むしろ「日本は弱い国」からの再生を願う

ご覧になった方も多いと思うけど、最近旧公共広告機構(ACジャパン)が「日本の力を信じている」のCMを流して日本は強い国ということをさかんに強調しようとしているようだ。そうやってただでさえ沈滞気味の世相・風潮を元気づけよう、鼓舞しようとしている意図も分からないではないが、むしろ今こそ「日本は弱い国」ということから再出発したいと思うが、如何であろうか。

松岡正剛氏の言葉ではないが、もともと日本はフラジャイルで傷つきやすい国であり、まさに地震の多さ、津波などの災害の多さに代表されるように壊れやすい国である。その壊れやすさを前提に設計してゆくことが大事だと思う。

原発にしても核閉じ込めの「五重の壁」の防御機構とかなんとか言っても、いかに脆かったか。結局冷却機能が失われれば五重の壁も容易く突き抜けられてしまうわけで、むしろ注意の視線は脆い冷却機能にこそ向けられるべきだったのだろう。

「安全だ、大丈夫だ」の強さの誇示ではなく、これからは脆い部分から出発し、それを素直に認め、開示してみんなでその脆さをどう克服してゆくかにフォーカスしてゆくような展開こそ望みたい。もう日本は強い国ではないはずだ。財政課題然り、経済停滞然り、人口減少然り。ある面借金漬けと高齢者の国になりつつあるのだ。

国破れて、山河はあるか。山河はもうないのか。重い課題を突きつけられているような、いまも予断を許さない状況が続いている。でも強がっても仕方がない。自分たちの弱さを見つめ、もう一度そこからリスタートできるような「柔らかさ」だけは失いたくないものだ。

よしむね

そのひとのこと

まさむねさんがエントリー記事で書かれたM君はぼくの知り合いでもあった。ぼくなりに故人の追悼文を書かせていただきたいと思います。彼とは大学時代と職場のある時期に一緒だったのだが、その後10数年はしだいに疎遠になりこの10年に限ればおたがいに音信が途絶えてしまい、連絡を取り合うこともなくなっていた間柄だった。

だから早すぎるその晩年において、彼がどんなことを考え、どんなベクトルを目指して生きていこうとしていたのか、今となってはまったくわからないとしか言えない。その後のかれのことを、もう知る術はない。ただお葬式でご親族や奥様のお話をうかがう限りでは以前から彼が持っていたある種超然とした形のダンディズムやクールさとどこか暗い思考に基づく独自な視点を貫いたまま最後まで生き通したようにも思えてくる。妹さんは「兄は好きなように生きたと思います」とおっしゃっていた。

案外ひとはそんなに変わらないともいえるからきっと変わらずに貫き通して完結していったのだとも思いたいし、一方やっぱりその晩年をふくめてそのひとのことはわからない、謎のままに終わったともいえるだろう。こういうとき、言葉はいつも多すぎるか少なすぎるかのどちらかでいずれもそのひとの周りを経巡るだけで終始するしかない。
だからもうこれ以上書くことはなく、何かを書くこともできず、今はかれの霊が安らかに眠られんことを静かにお祈りしたいと思うだけです。

M君、きみが好きだった宇宙のどこかの星雲のしたで永遠の眠りを憩われんことを。
地球科学科の学友として上記のことばを捧ぐ。
最後に、故人をおもい短歌を作ったので、それを以下に掲げてこの拙い文の終わりとしたい。

亡きM君へ

閉じるべき生命線も燃えゆきて夢の回廊、空に融けゆき 

晩年の片隅知らぬ朋逝きて空洞のみが残れり 今は 

ひとは皆異端の天賦信じつつ昏きひとりのともる火の果て

  

合掌。

よしむね

ハルキ・ムラカミは偉大な作家か

以前のまさむねさんのエントリー記事「ノルウェイの森、小説と映画におけるテーマの違い」(2011年1月2日)のコメント欄で以下のような僕自身のムラカミ・ハルキ脱落体験について記した。

ぼくの村上春樹体験は「ノルウェイの森」の登場で終わりました。それ以前にはマイナー・ポエットの同時代作家として好きでずっとリアルタイムで読んでいたのです。「風の歌を聴け」もぼくは群像の本誌で読んでました。「ノルウェイの森」はたしか100%の恋愛小説という本人直伝のキャッチコピーで当時売り出されてましたよね。読後感はこれで村上さんもメジャーな作家になったと思いました。それと同時に、これからはもうあまり読まないだろうと思いました。実際その通りになってしまいましたが。

僕個人のムラカミ・ハルキ体験はあくまでも個人的なものである。その脱落体験に果たしてどれほどの意味があるか、そこに普遍的な何かがあるかは分からないが、図らずもまさむねさんも同じような体験を持たれていたということが分かった(偶然にも!)ので、自分なりに過去の体験について少し思い返してみたい。

ノルウェイの森で終わっているので、ぼくの村上春樹像も上記に要約した通りで、今もそこから一歩も抜け出ていないとも言える。その意味ではなんら深化しているわけではない。ハルキ・ムラカミはぼくにとっては依然としてマイナー・ポエットの作家であり、それ以上でも以下でもなく、ある時代・ある雰囲気の中でもっとも時代の風のようなものを代弁してくれていた作家であった、ということに尽きる。

その時代とは特に80年代前半からバブル期の全盛前夜辺りまでとなる。「ノルウェイの森」が出版されたのは1987年で、「風の歌を聴け」が1979年に群像に掲載されたので、この間ほぼ10年近く、ぼくはずっと村上春樹の小説をリアルタイムで読んでいた。
なぜ好きだったか? それは他の多くの作家が多かれ少なかれ自身の体験の重さや亀裂、あるいはその多寡によってどこか物語るような風潮がまだ残っていた中にあって(その代表が戦後の体験を小説にするような作家先生たちであった)、遅れてきた青年であるぼくらにとって、時代が透かして見せている何もないことの空虚さをそのまま代弁してくれていたからだったのではないかと思う。しかもストーリーテラーとしてはどこか未熟さが残り、どこか未完成の物語のにおいがして、そこが好きだったとも言える。
ぼくが高校生になったとき、すでに学生運動は終わっており、いわば宴の後だった。因みにぼくの出身高校はその当時某地方都市で最も学生運動が盛んな高校といわれていた高校だった。でもぼくが入学したとき、そんな運動は跡形もなく終わっており、それ以後もなにか社会全体の動きに巻き込まれていくような運動はいっさい起こらなかった。そういう時代である。

村上春樹さんはより正確にいえば、僕よりも上の、いわゆる全共闘や団塊の世代といわれる世代に属する。けれど、都市生活における消費することへのノスタルジーみたいなものや、全体として中流化・希薄化が進むなかでの空虚感のようなもの、そうしたオブラートのように纏わりついてくる些少なものへの目配せみたいなものをふくめて、村上さんの小説が持っている断片性がぼくを捉えていたのではないかと思う。その意味では村上春樹さんは徹頭徹尾、ぼくにとってはマイナーな作家であったのだ。
だが、「ノルウェイの森」の登場で、それは終わった。ぼくが変わったのか。村上春樹さんが変わったのか。どちらとも言えるし、どちらでもないかもしれない。ただ一つ言えるのは、ノルウェイの森はいかにも小説らしい小説の体裁になったということだ。大向こうの読者がたぶんより強く意識されるようになったとも言えるだろう。そして結末がどうあれ、小説は完成された物語の衣装に近づいたし、村上さん自身の小説家としての力量も成熟化したのだろう。
けれど、そのことによって僕にとっては村上さんの小説がリアルなものではなくなったのだ。なによりも物語になりきれないその不全さを愛していたのだから、たぶん。「羊をめぐる冒険」も「世界の終わりとハードボイルド・ワンダーランド」も然りだった。
またそれ以降の時代の流れということもおそらくあるだろう。やがて90年代を迎えてバブルがはじけ、現実がリアルに折り重なってくるなかで、その後僕自身も、仕事のことや自らの結婚や、人の死などにも直面し、いやおうなく自身のリアルに向き合わざるを得なくなったという現実的な理由もあるかもしれない。そうした中で僕個人の関心が完成された物語のようなもの、散文的なものから離れていったという嗜好の変化もあるだろう。

でも何も現実だけがリアルではないし、人はリアルさを感じるかぎりは付き合い続けるものだと思う。そういう意味でなら、ぼくにとっての90年代のリアルは、ハルキ・ムラカミの小説ではなく、「その男、凶暴につき」(89年)に始まり、「あの夏、いちばん静かな海」(91年)と「ソナチネ」(93年)を通って「菊次郎の夏」(99年)に至るまでの北野武の映画だったとも言える。
ぼくにとっての「ノルウェイの森」以降の村上春樹さんに対する雑駁な印象は、題材としてオウム真理教や阪神大震災や地下鉄サリン事件の擬似のようなものを選ぼうと、あるいは精神分析への興味・コミットのような形をとろうとも、彼の小説が醸し出すどこか書割的な事件性や物語性のイメージ臭に興味を失い(勝手な思いこみかもしれないが)、もう真に読みたい作家ではなくなったのだ。それは今日まで続いており、ぼくは「ねじまき鳥」も「海辺のカフカ」も「1Q84」も読んでいない。もちろんこの間にハルキ・ムラカミさんは世界的な作家になってゆくのだが。

最後に、先のコメントで、ぼくは村上さんの小説には本当の意味で他者性がないかもしれないとも書いた。同じキャラクターの分身の物語ではないか、とも。じゃ、ぼくが感じる他者性のある小説とは何か。それはたとえば島尾敏雄さんが書いた「死の棘」という小説だ。ずっと昔に読んだのでもう細かいあらすじはすっかり忘れてしまっているけど、要は浮気をした主人公のおかげで気が変になってしまった(なりかかった)奥さんと、それにとことん付きあい付き添ってゆくしかない男の話。しまいには主人公の男も気が変になりかかるような、ふたりがふたりで病んでゆくような、どちらが快癒してゆくか分からないような、そんな決して切り分けることのできない現実のなかで生き延びてゆく日々を書き続けたもの。その不分明さ。そういうものこそ実は本当の他者性ではないかと最近のぼくは思っている。

それに比べて村上さんの小説の登場人物たちはある種のスタイルとモードを守り、けっしてそこからはみ出すことがないようにも見える。でもこういうすべてのことは個人的な感想だ。冒頭に戻り繰り返しますが、僕個人のムラカミ・ハルキ体験はあくまでも個人的なものである。その脱落体験に果たしてどれほどの意味があるか、そこに普遍的な何かがあるかは分からない。当たり前だけど、人それぞれであり、人それぞれのハルキ・ムラカミさんがいるのだ。世界中に、今も。

よしむね

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2010.07.15 原作を知る者なら、原盤を映画に起用するのは必然的ではない「ノルウェイの森」

いじめ構造から逃れられない生徒たちが一斉に叫んだ高校演劇

9月に埼玉東南部の高校の演劇部が集う演劇祭に行った。
そこでいくつか見た演目のうちのひとつに強いインパクトを受けた。
だがきっと今後どこかで上演・発表されることはないだろう。それはちょっと惜しいので、ここでぜひ紹介したい。春日部女子高校演劇部の『ひまわり』という作品だ。脚本も演出も演劇部自身よるという。

舞台は高校の教室。出演者は女子ばかりだから、女子高という設定か。
大きく2つの部分からなる。
前半はいじめの場面。登場人物は5人で、仮にA、B、C、D、Eとする。
被害者Aが加害者C、D、Eからいじめられている。
BはAの友人で、Aがいじめられている境遇に心を痛めている。

 A=被害者
 B=Aの友人。後に被害者
 C=加害者(首謀者)
 D=加害者
 E=加害者

やがてAはいじめを苦にして、登校しなくなる。
すると、加害者CDEは次にBを標的にする。
いじめは構造であり要素は入れ替え可能だという説の通りに事態は進行する。
Bは加害者グループからの陰湿ないじめに耐えかねて(カッターナイフをつきつけて「死んでくれる?」と脅すおぞましい場面もある)、転校を決意する。
だが、Bが逃げおおせたとして、そのあとに残されたAにはどんな苦難が待ち受けているだろうか。
BはAに対して負い目を感じて、途方にくれる。

ここで唐突にストーリーは後半に移る。
移るきっかけは、
「はいカーット!」
という声。
舞台が明るくなり、みんなががやがやと集まってくる。
おお! 今までのお話は演劇部員たちによる稽古の場面だったのだ。
つまりいじめはすべてお芝居であり、架空の世界のできごとだった。
我々は陰湿な暴力から解放された。
一転して、笑いのある明るい世界が現われる。
でも明るいのは表面だけだった。ここにもいじめはあったからだ。
いじめ構造は説話次元をも超えて存続しつづけるからだ。
ただし世界が変わったら構造内の構成要素がシャッフルしてしまった。いじめ被害者と加害者が逆転したのだ。
劇中劇内でいじめられて登校拒否したAはここからは加害者。そして加害者の中心人物だったCは被害者であることが明らかになる。まるで芝居内容への復讐であるかのようだ。さっきまであんなに憎憎しい悪の塊にしか見えなかったCは、ここからは弱くてナイーブな少女にしか見えない。
またいじめに加担していたD、Eはここでは傍観者(という名の加害者)だ。
そして劇中劇でAをかばってその後被害者に転じたBはいじめ構造から逃れているらしい。
Bは演劇部の部長である。部を統率する役割を担っているにも関わらず、部内を蝕むいじめの存在に気づいていない。
部長がいるときは明るく活気のある演劇部だが、部長が姿を消すととたんに暴力が顔を出す。

 A=加害者
 B=演劇部部長
 C=被害者
 D=傍観者
 E=傍観者

AがCを執拗に追い詰める。
「最近ものがなくなるのよね。あんたが犯人としか思えないのよね」
傍観者たちも、そういえば自分たちのものもなくなった、と同調する。
身に覚えのない罪を着せられて、傷つくC。
Cはなぜか部長に苦難の状況を打ち明けない。たしかにいじめ被害を受ける子供がなかなか親に打ち明けられないという実態を我々は知っている。
Aが机に放置されたCの服をカッターで切り裂くシーンが痛い。
だが、とうとう部長は暴力の証拠を発見し、部内にいじめがあることを認識する。
部長はきびしく加害者Aを追及し、結局Aは反省して謝罪する。被害者は許す。部に平和が戻る。

だが劇はまだ終わらない。
部員がみんな去った部室で、ひとり残った部長がどこからか袋をひっぱり出す。
袋を逆さにすると、床に物が散らばる。傘や文房具やいろいろな小物。
「最近ものがなくなる」と彼女らが言っていた、あのものたちだ。
部長が犯人であり、いじめの元凶だったのだ。
「面白かったな!」と部長。激しく笑う。

だが、まだまだ劇は終わらない。
舞台に現れたDとE。
「あいつら面白すぎだ。あはははあは」
Cが立っている。
「悲劇のヒロインぶるの楽しかったのになあ。あんなやつ好きじゃないっての。あははははは」
Aが携帯電話で話している。
「もしもし、今部活終わった、ほんと今日はむかついた。あははははは」
全員、身をよじって激しく笑う。
そして、いっせいに独り言をいう、「あ~あ。みんな……」
舞台、暗くなる。
全員が叫ぶ、「死んじゃえばいいのに!」
幕。

破壊的な結末だ。観客はあっけにとられた。なんと加害者も被害者もみんなワルだったのか。
叫びの内容を見れば憎悪を読み取るしかないのだが、唱和の響きからはなんだかすがすがしさを感じる。したたかさ、力強さを感じる。この力強さはいじめ解決のヒントにつながるのか?
もちろん構造からは逃げられない。内部にとどまることしかできない。せめて一斉に叫んで孤立した共闘で、構造への抵抗を示そう、ということか。

TBSラジオ「ニュース探求番組Dig」で7月に「”いじめ”を構造から考える」という話題が放送された。たいへんに刺激的な内容だった。
内藤朝雄さんという学者が、明晰でラディカルな議論を展開していた。
TBSラジオの方針変更によって現在Podcastを聞き返すことができないのだが、議論の内容は自身のブログに掲載されている。「内藤朝雄HP -いじめと現代社会BLOG-」「2010-08-27 いじめの直し方」というエントリー。
内藤さんによると、学校という制度こそいじめの原因であることは、狭いスペースに長時間監禁すると暴力的な異常行動を起こすラットなどの動物実験からも明らかだという。学校を解体しない限り、いじめはなくならないのだ。
じつに

アニメ『GIANT KILLING』のオープニングテーマを歌うTHE CHERRY COKE$に胸が熱くなった

土曜の夕方、娘たちがテレビの前に集まる。
NHK教育テレビにチャンネルを合わせる。学習番組ではなく、アニメが始まるのを期待して。
近年教育テレビが持ってくるアニメはすごい。『電脳コイル』とか『メジャー』とか。
さて6時になった、『バクマン。』が始まる。少年ジャンプに連載中の、若い漫画家コンビが一流の漫画家を目指すマンガのアニメだ。ものすごく面白い。
舞台となる地名、埼玉県谷草市ってのもまた親近感が沸く。
谷草って草加? 越谷? ちなみに僕は草加市民。
北谷草という駅名からして、どうも北越谷駅を擁する越谷市がモデルらしいというのが娘たちの見解。ちなみに僕の実家は越谷市。
で、その『バクマン。』が終わったら続いて、『GIANT KILLING』(ジャイアントキリング)が始まってしまうのが、NHK教育のすごさ。『GIANT KILLING』はマンガ雑誌『モーニング』で連載しているサッカーマンガ。Jリーグの弱小チームが主人公。
就任したばかりの若い監督や、ベテラン選手や若い選手やチームのフロントや、おっさんサポーターや過激なサポーターたちがぶつかり合う。
この秋から地上波で放映開始されて見始めたのだが、BSでは春からやっていたらしい。
オープニングテーマソングがいいんだ!
バグパイプ(かな?)とティンホイッスルの哀愁のある音色から始まる。アイルランド民謡みたいなやつ。
が、いきなりテンポチェンジして、高速裏打ちパンクになる。ボーカルがまただみ声ときた。
高速裏打ちパンクなのに、アコーディオンやティンホイッスルも入ってくる。哀愁と叫びのミクスチャー。ぐっとくる。胸が熱くなる。
字幕によるとTHE CHERRY COKE$というバンドの「My story 〜まだ見ぬ明日へ〜」という曲だ。
「THE CHERRY COKE$」か。そのバンド名、しっかり記憶した。あとで調べよう。
アイルランド民謡とパンクのミクスチャーって、じつにサッカーっぽいと思った。
子供からお年寄りまで、さらには過激化したサポーターまで、一丸となった応援する姿。パトリオティズム(愛国心、愛郷心)が発露する姿。
THE CHERRY COKE$の音を聞いて、若いときに聞いて好きになったバンドを思い出した。ザ・ポーグス
調べたら、アイリッシュ・パンクというジャンルがあった。ザ・ポーグスに始まり、THE CHERRY COKE$に続くジャンル。PADDY BEATという言い方もあるらしい。
伝統と過激さを兼ね備えた音楽って、一見矛盾するように感じるが、伝統の芳醇な情緒が利用されることによって、ロックの歌により強い力が加えられているんだと思う。
それと、磐石な土台の上で跳ねっ返りが少々暴れてもびくともしないほど、その音楽共同体の包容力が大きいんだろうなとも思う。
青森のねぶたの雄大なリズムの上で跳ね返っている「はねと」の姿を連想した。

じつに

ある時代の「ひとつの坂の上」の雰囲気がよく描かれていたということだけでも、映画「シングルマン」を見る価値はある

映画「シングルマン」を見た。バイセクシャルの話なのだが、そうした題材というよりも、描かれている当たり前の個人としての孤独感に共感できるし、ぼくはとても好きな部類に入る映画だ。監督がファッション・デザイナーのトム・フォード(ぼくはこの人の眼鏡のデザインが好きだ)ということもあり、映像がスタイリッシュで抑制が効いていてかつ最小限の美しさにあふれているような感じもいい。どこかノスタルジックな映像表現だ。もちろん映像だけではなく、人物や状況の描写も優れていると思う。

だが、それよりも一番良かったのは1960年代のアメリカという舞台設定だ。ちょうどキューバ危機の前後この当時のアメリカのおそらくミドルクラス以上の生活風景。芝生つきの広い家。モータリゼーション(自動車)の進展期。主人公が運転するアナログ的なインパネをもつ4ドア自動車がまたいいのだ。これはイーストウッドの「グラン・トリノ」の世界にも通じるもの。そして銀行での顧客サービス。すべてにおいてまだ上品で余裕があった時代のアメリカ白人社会が透けてみえるようだ。

総じて中流やや以上の暮らしが中心なのだろうが、それこそあの時代もっとも全世界があこがれていたに違いないアメリカの暮らし。冷蔵庫とTVと自動車と広い庭つきの白亜の家(それは空虚と裏腹だとしても)。そしてリビングの風景、60年代のファッション。女性の髪形の編み上げかたの面白さ。ポップだった時代。とくにジュリアン・ムーアのパーマネント・ウェイブがまたあの時代のポップな感じを想わせていい。ツイッギーみたいな感じか。ビートルズもこの時代の申し子。

いずれにしてもその功罪は別にして、それらはどういう時代であれまず貧しい国が成長を目指す過程でかならず思い描くであろう日常生活としての欲望のかたちにつながっている。そして映画のなかでの自信にみちて明るく紳士的・淑女的にみえる登場人物たち(もちろん登場人物たちの性格のねじれはあるのだが)。いっぽうで個人によってはどこか破滅的になりつつある(主人公が感じている核戦争の危機による世界の終わり)予感もある。

そうした諸々の変化に取り巻かれながらも、まだ健全で強く、退廃的であることが許されていたアメリカの古き良き時代。それは「トゥルーマン・ショー」の管理社会まではまだずっと遠い時代でもあり、登場人物はみんなやたらとタバコを吸っていたりするのだ。

最近読んだ関川夏央さんの「坂の上の雲と日本人」によると、司馬遼太郎さんの見方でもあるのだろうが、日本は日露戦争までの坂に至るまでは健康で明るい国だった(いわゆる偉大な明治だった)が、その達成以降劣化してゆくということになる。

その言い方にならえば世界史的にみればおそらくアメリカの全盛時代は1950年代から60年代前半あたりまで(ケネディ大統領が暗殺される辺りまで)で、それ以降はベトナム戦争への没入とともに劣化していくことになるといえるのかもしれない。そしてもっと広げていえば西欧やアメリカを中心とした先進国が文化的にも成長という意味でもまだ全的に輝いて見えた時代とはおそらく60年代までということになるのではないか。文化史的にみればフーコーとかラカン、バルトとかレヴィ=ストロースなどの一連のいわゆる構造主義者の著作が目白押しだったのが1966年という年だった(文化的にエポックの年)という指摘もあるようだ。

そしてこの辺りを境に日本でも世界でも学生運動が頻発し、その挫折とともにどこか停滞のステージに入っていく。70年代は石油危機が起こり、ローマクラブからは「成長の限界」というレポートが出るDecadeでもあった。先進国での人口増加のカーブ曲線もこの辺りをピークに変局していくともいわれている。ぼくが中学生から大人になってゆくのはこれ以降の時代だ。

没落の予感に怯えつつ、でもまだ日常生活の風景(消費社会)としてはアメリカが頂上の栄華を極めていた時代。だいぶ蛇足が長くなってしまったが、そのように紛れもなくある時代の「ひとつの坂の上」の雰囲気と、どこかそこはかとなく漂っているノスタルジーの感覚がとてもよく描かれていたということだけでも、「シングルマン」を見る価値はあるように思う。そしてそこにひとりの個人史の生と死もオーバーラップされて刻まれているのだ。

よしむね

羽田空港の国際線新ターミナルでクール・ジャパンというならいっそ本物の歌舞伎公演でもやったらどうだろうか

羽田空港の新ターミナルビル(国際線)に行ってきた。家内が国内線を利用したその帰り、迎えに行ったついでに開設した空港ターミナルビルを見てきた。第一印象としては施設は意外にシンプルでコンパクトという感じ。予想していたよりも施設内のロビーはそんなに広くなくコンパクトというのが一番強い実感。
ターミナル内部はおそらくBIG BIRDという名に因んで翼(羽根)をイメージした流線型ぽい構造体(添付写真)のようだが、これらは最近の建築の傾向と似ていると思う。シドニーのオペラハウスとかパリのドゴール空港なんかもそうだと思うのだけど、流線型に特徴があり、おそらく人的着想というよりもコンピュータ解析による設計デザイン力の発展によって可能性が見出された構造体でもあるのだろう。この辺は僕も専門家ではないので間違っているかもしれませんが。

それとなんといっても便利だと驚いたのは、モノレールの新駅改札口がそのまま空港ターミナルのフロアーと直結していること(添付写真)。以前京急の広告CGだったかで国際線の空港ターミナルに電車が乗り上げているつり革広告?があったと思うのだが(それを見て本当にそうなっていると思っていた人もいるという冗談めいた話を聞いたことがあるけど、)それが冗談ではなくまさにほぼ近い形で実現されていることは驚きだった。駅の改札を出ればすぐそこは国際線のターミナルだ。
あとはいろいろ話題になっていた江戸屋敷の小路風のいわゆる「クール・ジャパン」に関連したような食堂街や土産物屋の施設(添付写真)。これらはなんか江戸博物館のイメージに近い。まあ模造品なりにも日本のクールさ(ジャパン・アニメの店などもある)を多少絡めて、主に海外旅行者に感じてもらおうという試みなのだろうが、やっぱり所詮模造であることの中途半端さが僕は気になる。

むしろ本物志向でいっそほんとうの短い歌舞伎の演目を上演したり、コスプレのGALたちのファッションショーみたいなものをやったり、ストリートミュージシャンに日本の今を歌ってもらったり、そういうことができるような劇場やスペースをターミナル内に常設しても良かったのではないか。どうせ国力も衰退しているのだし、もっと面白い活力を見せるということで、そうした本物で異国を訪れた外国の方をまずもって圧倒してみるという試みがあっても良かったのではないか、などど勝手な空想を膨らませた次第。

そういえばなかに矢倉が組まれたステージ(舞台)もどきはあったけど。あれは何をやるところなのか。いずれにしてもなにか本物の上演がいいな。

まあ皆さんも機会あれば行ってみてください。

よしむね

TV番組「ブラタモリ」と「世界ふれあい街歩き」にみられる何気ない散歩の風景はいい

最近のTV番組はほんとうに面白くないのであまり見ていないのだが、そのなかでも好きな番組が二つある。「ブラタモリ」と「世界ふれあい街歩き」だ。NHKの番組。といっても毎回欠かさずかならず観ているというわけではないのだが。いずれも番組の基本は街のなかをとくに目的もなく散歩するというようなコンセプト。もともと僕自身がいわゆる名所旧跡の類にはあまり興味がなく、外国に行ってもほとんど観光地めぐりらしい観光を行わない(たとえばパリに行ってもマレ地区をうろついたりするのがとても好きだ)ので、そういう性格の人間にはとても波長が合う番組なのだ。なんといってもどこか行き当たりばったりの散歩者目線であるところがいい。

「ブラタモリ」はご存知タモリが東京という町の今昔をどこかワープしながら散歩するというような内容。たとえばこの間あった新宿の探索では、新宿という町が江戸時代からいかに水道(玉川上水)とのかかわりをもって発展してきたかという観点でその足跡をたどりながら散歩してゆく流れになっていた。たとえば四谷の交差点のコーナーの曲がり具合が実は上水の曲がり具合をそのまま反映したものであるという事実や、上水からの分水(枝水)が今は柵の脇の草の生えたただの無意味な土地のように伸びていることなどが明らかにされてゆく。

一つ一つのことは別にたいしたことではないかもしれないのだが、そういうたいしたことはない積み重ねのなかで交錯して発展してきた新宿の今がわかってとても面白い。
その最終形として今の西新宿という土地そのものが浄水場の跡に立った高層ビル街であり、ちゃんと現代の水道局本体もいまだに鎮座していることなども当然ながら確認されてゆく。
それから「世界ふれあい街歩き」のほうはカメラマンの体に装着された水平移動カメラが世界のある都市の路地をまるで縫ったり這ったりするように移動してゆきながら、その間に現地の人とまるで対話しているような日本語のナレーションが入りつつ進んでゆくというコンセプト。これを早朝(朝の出勤時刻)から夕方まで街中を歩き続けるシーンが続いて、そこで偶然に出会った人やモノ、風景を映し出すという流れになっている。

こちらも特に名所旧跡だけを映し出すのとは違い、他愛がないといえばそういえるのだが、それがいいのだ。結局そこに映し出されるのは何気ない日常を生き続けている現地のひとたちの当たり前の暮らしだ。僕らの日常も実はそういう他愛もないような連鎖によって成り立っているのだから。

そこには大言壮語もおそらく経済の危機もない。かりにその影響はあってもそんなものとは別に連綿と淡々と昔から続いてきた日常の風景。たとえばヨーロッパのある小さな都市。街中のバールみたいなところで早朝からゆっくり酒を飲んでいるお爺さんの姿。そして夕方。同じ店の前を通ったカメラが映し出したのはまたそのお爺さんの姿だった、みたいな。のどかで、でも根太いひとの暮らし。とても変化の激しい時代だけど、一方で太い糸のように繰り返されてきた人の当たり前の暮らしというものもあり、その両方への目配りは忘れたくないものだ、と思う。余談だけど、僕の通勤もまず一軒の惣菜屋さんの前を通りすぎてそこのいい匂いを嗅ぐことから始まっている。雨が降ろうと天気が良かろうと。

よしむね

当たり前にリア充するために、・・・

神谷さんの「ゴールドマン・サックス研究」を読んで、前回に続いての感想。神谷さんの指摘にぼくもまったく同感なのだが、たとえば以下のような結論。

① ゼロ金利を続けても意味がない。そこで余ったお金はただ国債やその他債権などの買いに使われているだけで、資金を必要としている民間に回っているのではない(これはいまの世界の金融市場でも同様)
② 長い間のゼロ金利施策によって民間からの収奪(民間貯蓄からの所得移転)が起こっただけ。そのお金の使い道の大半は上記の通りで、あとは銀行等の不良債権処理に使われただけ
③ その結果といえばこの20年間で日本のGDPは470兆円でほとんど変わらず、ただ借金が増えただけ、GDPの2倍の借金になり、元との比較では3倍になった、等々。

じゃどうするかといえば、まず当たり前のところに戻すしかないと思う。適正な金利に戻すこと。その過程でいろんな取捨選択が起こり、振り落としが起こるかもしれない。でもそれは仕方がないと思う。
いま問題なのは一億総助け合い・相互互助的になって共倒れしそうで誰も先頭に行きたがらずリスクもとりたがらず、無責任にみんなで負債の先送りをし続けているとしか思えないことだ。多少リスクをとってでも投資をしたい人はそれを行い、利率を上回るリターンを目指すように頑張る風土にすることは必要だろう。それが健全だと思う。だから例えばただ利息が低いからというような理由で家を買うというのは本来間違っているはず。買える人が買えばいいのだ。そこに冷たいルールがあるとしてもそれは自己責任だから仕方ないだろう。
民主党に多少なりとも期待したことがあったとしたら、そういう当たり前のことに転換する道筋をつけてくれるかもしれない、との思いがぼくなりにあったからだ。でもどうやらそれは徒な期待に終わりそうだ。民主党も所詮は人気取り優先でかつて来た道の按分(富もないのに再配分をやろうということ)をただひた走ろうとしているようだ。
いまがどういう時代で、これからどうなるのかは分からないが、まさむねさんがエントリー記事で言っているように各個人がリア充を図ってゆく時代になるのかもしれない。以下その抜粋。
「例えば、今の若者の間には、「リア充」という言葉がある。それはリアル社会で充実している人々という意味らしいのだが、その充実の要素には決して、出世や物欲などは含まれてはいないという。それよりも、友達と楽しく時を過ごすセンスの方が大事だというのだ。もしそれが、次の時代の日本社会の価値観だとするならば、それはそれで、決して住みにくい世の中ではないのではないか。」

ぼくもそう思う。だが、そういう若者たちが当たり前に暮らせるようにするためにも、せめて負債(借金)の世代間押し付けだけは止めておかないといけないだろう。自分たちが使いたいだけ使って贅沢して、後の借金は君たちが払えというのはあまりにも虫が良すぎると思うからだ。これはわれわれみんなへの自戒。当たり前に貧しくなっていく(お金を切り詰めてゆく)ことに慣れてゆくことも大事だろう、楽しいことは楽しみながら、だ。

よしむね

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