デザイン立国・日本の自叙伝

かつてNHKで「電子立国 日本の自叙伝」という名物番組があった。それは20世紀の話。こちらは21世紀の架空の談義、ある昼下がりの茶飲み話みたいなもの。テーマはデザイン立国・日本の自叙伝。

A:日本はものづくり、ものづくりって過剰に言い過ぎるね。これこそ戦後の成功体験にもとづく依怙地な理屈に思えるよ。資源のない国だから技術と生産しかないっていう。確かにモノはなくならないから、ものづくりは大事だが、よく言われることだけど、生産という意味ではひとつのプロダクト(産業分野)で企業が1社から2社あればいいよ。何社もあって多すぎるよ。とにかく過剰。みんな横並びになっちゃったし。
B:じゃ、他はどうするの? 食べていけなくなるよ。
A:これから日本はデザイン立国を目指すべき。それこそ小さなもの(半導体素子)から大きなもの(家、自動車、建築)まで、あらゆるもののデザイン・設計の仕事に特化してゆけばいい。日本人のセンスとか昔からのメンタリティー、縮み志向の文化といい、デザイン精神にあふれた民族性だと思うよ。アニメもファッションも、ファニチャーもみんなデザインがベースさ。デザインはアナログに近いし、なかなか真似できないよ。
B:デザインだけでペイするかな。
A:生産での物づくりについては、世界で戦うにはもう規模のメリット(大量生産)とローコストしか将来の道はやっぱりないよ。ここはもう日本の領域じゃない。付加価値品とかいっても無理だね。いずれ必ずコモディティー化してゆく。ここで戦うのは国内1社、2社くらいでいいよ。あとは小ぢんまりとした小規模単位のデザイン集団の会社になればいい。名とか面子とかを捨てて、黒子のデザイン・コンテンツ設計集団でいいじゃないか。できるだけ身軽であることが大事だよ。
B:これからは人口も減少してゆくからねぇ。
A:そうだよ。もう人も増えないんだから、集団や組織自体はだんだん小規模化していって、その連携を心がけでゆけばいいんだ。江戸時代の「連」みたいにね。かりに売上が伸びなくても、人口減以上の売上をキープできれば一人当たりの売上高は逆に増える。それでよしとしないと。そして一個人がより豊かになればいいじゃないか。
B:うまく行くかな。
A:中途半端が一番良くない。中庸は美徳じゃない。ここは思い切りだね。うまく行かなきゃまた修正すればいい。それからデザインとあわせて観光立国を目指すべき。とにかくアジアの人たちにバンバン来てもらおう。客へのもてなしとかサービスは日本人はまだ一流だと思うからね。微妙な心遣いとか絶品だと思うよ。環境面でも清潔だし。一人一人が豊かな気持ちで良い国になれば必ず訪れてくる人は沢山いるよ。
B:デザインと観光ね。けっきょくソフトだね。
A:いや、ぼくはソフトという言い方はあまり好きじゃないな。ちゃんとハード(モノや器、土地)を伴ったソフトサービスだよ。だから両方あるさ。デザイン心あふれるモノとサービス。でも、まあ、ほどほどでいいじゃない。その意味ではやっぱり中庸か。そして坂道を上るイメージよりは、ほんの少し下ってゆくような感じかな。そういう時のほうが人に優しく気遣いできるようにも思えるしね。

よしむね

「経済成長という病」を読む。経済にも春夏秋冬があっていいよね。

 平川克美さんという現役の社長さんが書かれた本で講談社現代新書の一冊。この方はたしかフランス文学者の内田樹さんの小学校時代からのご友人だそう。内田さんとは共著で本を書かれているらしいが、ぼくは初めてこの方の本を読んだ。
 途中やや抽象的すぎるような箇所もあるにはあるが、中味はきわめて至極当然のことで、われわれは、経済というものは、ほんとうに成長し続けなければならないのかへのアンチテーゼが伏流のようにながれて一貫している。人の一生には、少年期、青年期、壮年期、老年期があるのに、なぜ経済状態にはそうしたステージがあまり想定されないのか、いつも不思議に思っていた。経済にも春夏秋冬があっていいはず。その意味でも本書の示唆する内容は僕にはとても共感できた。

こうしたことが現場の第一線のビジネスマンから直接語られていることでより説得力が増している。というよりもビジネスの最前線で働いている人にこそ、こういう風に語ってほしかったと思う、そんな本のひとつだ。
その中で平川さんは2000年の夏から秋にかけてのいわゆるITバブル時代のさなかに、バブルの先棒を担いでいたご自身の過去の行いについても自戒をこめた形で回顧している。ちょうどその頃、ぼくも金融業界に移ったばかりで投資銀行の末端に近いところにもいたので、あのころの気分や周りの酔いしれ方、新興IT企業を巻き込んだ業界の浮沈のことが今もまざまざと思い出されるような気がする。あれから10年が過ぎた。
平川さんの筆先は、いろいろとうねりながら蛇行しながらも、経済成長という幻想・神話の終焉(剥離)を明らかにしていこうとする。それがエッセイとも論文とも異なる文の彩で語られてゆくわけだが、そのクロスオーバー的なところが本書の魅力のひとつともなっているし、同時にそれが好き嫌いの分かれ目にもなるかもしれない。

だが中味についてはもうこれくらいの紹介にとどめて、後は興味のある方にはぜひご一読をお勧めしたい。最後に、なるほどそうだなぁと頷せていただいた一説の幾つかを書き留めて終わりにしたい。

◎多くの人間は、未来を思い描いていると思っているが、実はただ自分が知っている過去をなぞっているだけなのではないか

◎出生率が低下し、人口が減少してゆく社会の未来は、必ずしも暗いものではなく、むしろ人口適正社会というべき状態を作り出し、人口増加社会が持っていた多くの問題を解決する

◎老いは退行であり、忌むべきものである。ゼロ成長モデルはうまくいかない。そう思うのは、老いもゼロ成長もまだ経験したことのない、未来だからである

 いつの時代でも希望や可能性が最小限必要だとするなら、成長一辺倒という軸とは異なる可能性こそがこれからの未来において考えられていかなければならないように思う。世阿弥の花伝書ではないが、老いには老いにふさわしい舞いがあるはずだ。その時分、その時々の舞いを踊ることができればそれでよしとする潔さをせめて持っていたいと思うが、どうだろうか。

よしむね

「WE ARE THE WORLD ハイチ」に紛れこんだマイケル・ジャクソンの精神

ちょうど「We ARE THE WORLD」から25年めの今年、ハイチ・バージョンが出た。本当はマイケル・ジャクソンの死もあり25周年記念のようなものを考えていたところ、ハイチ地震があって、ハイチ・バージョンに変わったらしいけど。

家内がiPhoneを使って350円でダウンロードしてくれた映像を見ながら、音楽を聞いた。25年前とは歌手の顔ぶれもすっかり変わった。変わらないのはライオネル・リッチーとクインシー・ジョーンズがリーダーシップをとったことか。最後はラップ・ミュージックを基調にした曲調でエンディング。そして「WE ARE THE WORLD」を歌う要所要所では、故マイケル・ジャクソンの映像が挿入されていた。妹のジャネット・ジャクソンとのデュオという形で。皆さんの多くもすでにご覧になっているでしょうが。

前回同様に収益金は救済金として使われるわけだが、前回と異なるのは、最後にハイチでおそらく被災にあった子供たちの映像がながれ、現地で音楽にあわせて踊ったり、笑ったりしている姿が映し出されていたこと。辛いなかにあっても笑顔を見せるそのしぐさが、嘘がない感じでかえっていい。人は泣いてばかりいられないだろうからだ。

こうした映像をみていてつくづく思うのは、なぜ日本ではこのようなボランタリーな試みがすぐに行われないのだろうかということ。詳しいことは分からないが、所属事務所の違いとかレコード会社の問題、レーベルの問題とかいろいろ障壁が大きいのだろうか。加えてたしかにアメリカやイギリスと違い、ミュージックシーンにおけるインパクトの大きさの違いもあると思うが。もちろんこうしたバンド・エイドによって世界が変わるわけではないとしても。

でもクール・ジャパンの今なら、たとえばコスプレやアニメ、JPOPとジャパン・ファッション等のコラボ組み合わせで、WE ARE THE WORLD に匹敵するものを日本からの発信として流せるようにも思うけど。とにかく最近に至るまで日本に一貫して欠けているのは、ノーブレス・オブリージュ(騎士道に基づく奉仕精神)のようなもの。税制の優遇がないことも一因かもしれないが、日本人は金持ちほど寄付したがらない国。そしてボランタリーの欠如ということ。

欧米などに旅行してつくづく感じるのは、たとえば公共の場で一般の人たちが障害者の人たちに示す配慮のようなものの根強さのことだ。これだけは未だに日本では決定的に遅れていると思う。アメリカ人は大義が好きで、売名行為的なものが大好きだからというようにあえて意地悪く見るとしても、金儲け以外に、セレブを中心にして日本からボランタリーなことが世界に向けて依然として発信されていかないのはちょっとさびしいね。

次の25年めまで待つしかないのかなぁ。そのときはUSAで「WE ARE THE WORLD」の何バージョンが出るのか。そこでまたマイケル・ジャクソンの歌っている姿が挿入されるのだろうか。マイケル・ジャクソンはゾンビ(永遠)だからね。今回のハイチ・バージョンもきっと天国でゾンビとなったマイケル・ジャクソンの精神が生かされているのだろう。                            

よしむね

自民党はいっそこのまま溶融してゆけばいいじゃないか

最近、鳩山政権の支持率低下が盛んに喧伝されるようになった。直近の世論調査ではたしか30%を割りこむところまで低下しているらしい。米国のオバマ大統領の陰りも然り。両者ともいわゆる蜜月期間をとうに過ぎて、マスコミによる容赦ない反撃のようなものをふくめて、支持率の下降局面に入ってきているというわけだ。

けれど翻って、では日本の自民党はどうかというと、自民党もトコトン冴えない。とてもかつて長く日本の政権の座にあった政党とは思えない。めぼしい発信もなく、この力のなさは何なのだろう。

民主党の施策に対して、それと対抗し封じ込めるような新しい戦略やビジョンがまったく出てこない。かといって新しい政党として出直してくるだけのポテンシャルがあるとも思えない。せいぜい小泉元首相の生意気な次男坊や、かわいすぎるといわれる女性の市議に出てもらって人気取りの街頭演説を行っているていたらくだ。

もともと自民党とはからっぽの政党だったのかもしれない。実はこの「からっぽさ」こそが長く政権の座にあった最大の理由だったのかもしれないとさえ思えてくる。つまり時の体制や長いものには巻かれろというようなイイトコドリ・日和見主義みたいな、言いなりになりやすいような優柔不断さこそが己の身を長く保つ最大の処世術だったということ。

今回民主党に変わったことで、あらためて自民党政権時代に日本がどれだけ既得権益で生きてきた人が多かったか、そのしがらみの多さが白日の下に垣間見える機会があっただけでも良かったのではないか、とぼくは思っている。それがなんとなく分かっただけでも民主党に政権が変わった意味がある、と。だから別に民主党の支持率が下がろうが別にいいじゃないか。

それよりも自民党というこんなポテンシャルの低い政党がながくゾンビのように時の政権の座にあったことが信じられない気がする。つくづくわれわれ国民の意識も低かったのだろう。また一方で、日本が劣化してきたことに相応して、政権与党である自民党自体もその内部において確実に劣化が進んでいたということなのだろう。自民党だってその初期には高邁なビジョンがあったはずだ。たとえば所得倍増計画を標榜した池田内閣あたりまでとか、は。

だが日本が経済と繁栄の軌道に乗ってからは、ただ惰性操舵のままに行けばよくなり次第に事なかれ主義になり、自らを変革する力を失い、ただただ劣化してもはや斬新な政策を打ち出す能力がほぼ皆無に等しい現在の状態になってしまったということなのかもしれない。でもそれでいいじゃないか。だって戦後60年以上もそうやって政権の座にあり続けたのだから。

だから自民党はいっそこのまま溶融して瓦解して粉々になってゆけばいいじゃないか。それがより望ましい姿というものだと思う。そしていつか人々がふりかえって、「20世紀の後半から21世紀前半にかけて、かつて、長く戦後の政権を担った、自民党という、政党が、あった」といわれる日が来れば、それで良しとすべきではないか。日々是好日。いい日旅立ち、自民党。良い意味でも悪い意味でも戦後の風潮が瓦解しつつあるように、自民党の役割もまた終わりつつあるのだ。

よしむね

これも事業仕分けのなせる業? 利用できなくなった厚生年金施設のテニス・コート

これはとても残念な話。ここ20年以上、友人たちとテニスをやってきたのだが、その施設が例の、うわさの厚生年金関連の施設だったため、世田谷区に払い下げになってしまい、実質使えなくなってしまった。そこは料金も比較的安くかつ交通のアクセスをふくめて東京近郊のいろんな所に住んでいる友人にとっても集まりやすい場所だったのだが。
こういうところにも例の事業仕分けの余波みたいなものが出ているんだろうか。もっとも事業仕分け以前から上記関連施設の扱いについては巷で問題になっていたのだけれど、それが加速したということなのかな。
事業仕分けの意味とその是非はおいて(採算がとれていたかどうか、民間でできないのか等々)、一利用者として極めてよく利用していた者からすると、今回の件はとても残念至極である。昨年ぼくは骨折の怪我にあって半年以上この施設を利用していなかったので、あらためて電話で予約しようと思って事の経緯を知った次第。
結果同施設は、世田谷区の住民以外は原則使えなくなってしまったようである。でもこれって、そもそも利用者エリアを限定することで、利用者数がより減ることにならないのでしょうか。世田谷区内の近隣住民は相対的にわりと金持ちだからいいのかな。頻繁に利用してくれるということか。でももともと厚生年金の施設で、ある程度誰に対しても開かれた施設だったのに、住民のエリア限定になってしまうというのは(公共施設の特定の者だけの利用権への委譲ということ)、なんとなく腑に落ちないなぁ。世田谷区が引き取ったから仕方ないのか。そういうものなのか。
とにかく時代は変わる! ボブ・ディランじゃないけど。ライク・ア・ローリング・ストーンズさ。最近、ボブ・ディランがまた本国で復活してきているらしいが。
いずれにしてもぼくらは漂流するテニス・プレーヤーになった。しばらくは抽選の申し込みをして、どこかで当たるのを待つしかない身。転々と、転戦してゆくしかない。

よしむね

デジタルの岸辺で

ずっとずっと昔、「岸辺のアルバム」というTVドラマがあった。若い人はまったく知らないと思うのだけれど。アラ筋はいわゆる新興住宅街(番組では多摩川沿い、田園都市沿線エリア)を舞台に崩壊してゆく家族の物語だった。ドラマのエンディングはたしか多摩川の決壊で、岸辺(川の土手)にたたずむ家族たちのシーンだったように記憶している。これはこれでその後の風潮や時代性(中流階級幻想とその崩壊?)を先取りするような良いドラマ(脚本は山田太一)だったと思う。岸辺ということでたまたま思い出して書いたままで、本題とはまったく関連のない導入になってしまったようです。ご免なさい。(最初から横道にそれてしまいました。)

実は今回はちょっと「デジタル」ということについて改めて書いてみたいと思っています。製品を作る側からとその需要を探し出す=マーケティングからみての、二通りの視点で捉えた場合のデジタル時代の難しさ、タフさについて。作るという立場からみた場合、アナログとデジタル製品の最大の違いは何か。よく言われていることで、あえて今更確認するまでもないかもしれないが、ひとことで言えば、デジタル製品になればなるほどアナログよりも差別化しにくくなる、ということに尽きるだろう。

デジタル(言うまでもなく0か1の世界)はどこまでいっても金太郎飴みたいなもので、それを寄せ集めても他の製品との違いを出すことが難しいということ。だからデジタル化のことをテクノロジーの農産物化と呼ぶ人もいるようだ。つまりそれだけ作りやすくなったという意味(実際の農作物が作りやすいかは別にして)。デジタルはアナログ表現のような諧調表現(グラデーションの世界、諧調やゾーン(幅)でしか示せない?)とは基本異なる。極端な言い方をすればそこでは日本企業が得意としてきた微妙な調整(ファイン・チューニング)みたいなものがほとんどいらず、デジタル対応の部品をつないでただ製品にすればよいという話になる。

したがって製造の観点でいえば、垂直統合(何から何まで自社で抱えて生産する)ではなく、水平分業(私=設計する人、あなた=作る人というように分けて行う生産の徹底)がより適しているというわけだ。それだけ大量に作り、規模のメリットを享受する必要性も高まることになる。このパターンは米国(ファブレス、設計に特化)と台湾を中心としたアジア勢(生産)が得意としている分業の領域で、この世界の競争では日本は完全に遅れつつある。というよりも、垂直統合にも未だこだわりを捨てきれず、どっちつかずの中途半端な状態と言えようか。いかにも日本らしいが。

さてではマーケティングはどうか。正直根拠があるわけではないけれど、なんとなく直感的に思えるのは、ひとことで言えばこれも経験則に基づいたようなマーケティングがあまり成り立たず、いかに先読みするか、イチかバチか的な当たり外れに賭けるような色彩がより際立つことになる、と言えそうな気がする。

こうしたマーケティングではかえって過去の成功体験は目を曇らせることになりがちで、むしろ過去にとらわれない発想がより求められるかもしれない。製品の性能さがあまりないため、いかに安いか、そのときの需要にフィットしているか、ブランド名が浸透しているか、大量に出回っているか、それが皆に急速に広がりつつあるか、などなどのムーブメント次第の構図がより強まる、ともいえようか。どちらにせよ、たぶん年功者や成功体験者の経験知などはあまり必要とされず、かつてのストックによる知見が効かない。ある意味では場当たり的、その場をしのぐフローが肝要。薄型テレビの展開じゃないけど、ますますフラット化して奥行きのいらない社会が要請されてゆくことになるのだろうか。欲望の先読みが過大視され、経験が希薄化してゆくような社会の到来。

こうした動きが金融をまきこんである面だけ先行加速していったのがそれこそリーマンショック前の一部の趨勢だったようにも思う。そしてリーマンショック以後を見ると、さすがにフロー一辺倒のような動きにも多少見直しが入りつつあるようにも思える。だが一度加速した動きがほんとうに巻き戻されるかどうか。人は昔とった杵柄がなかなか忘れられないものだ。

人は経験によって学ぶとはよく言われたきたことだ。だが、経験によって学ぶことができなくなったらどうなるか。当たり前のことだがいつも未知のことばかりに追われることになる。これはとても疲れるし、疲弊する。経験とはその意味で人の防波堤になってくれるありがたい面もあるわけだ。だが時代はやっぱりそうした経験というものを離れて、ますます漂流しつつある、ようにも思える、おそらく。

デジタルの岸辺ではこれからもたぶん既存の多くのものが毀れ、従来の勝者をふくめて崩壊してゆく。それはそれでいい。岸辺のアルバムじゃないけど、壊れるものはやがて壊れるのだ。そしてそんなデジタル時代をむかえて、世界の中での日本の立ち位置はますます難しいものになってゆくだろう。

そういう流れのなかで個人的にはアナログへのノスタルジーはあるとしても、アナログそのものの復権を叫びたいとは思わない。ただ時代遅れの周回遅れとして、ぼくはまだ無駄な奥行きと配置にはこだわりたいと思っている。ちょうどいろんな神社でみた奥行きみたいなものに。元々生まれてきたこと自体がアナログだし。

そんなことを書いていたら、携帯が鳴った。

「もしもし、もしもし・・・・誰ですか?」

その声には聞き覚えがあった。それを思い出した。その独特の抑揚、調子、等々。

人の声と思い出すという営みはまぎれもなくアナログだった。

「いやぁー、久し振りだねぇ・・・・どう元気?」

よしむね

終わりからしか考えられない時代なのかなぁ、と森美術館の「医学と芸術展」をみてふとそんなことを思った

先日六本木ヒルズの森美術館で展示されていた「医学と芸術展」を観に行ってきた。目的は日本画家の松井冬子さんの新作の絵(松井さんの絵はおどろおどろしいがやっぱり凄い)を見ることが主だったのだが、休日の夜遅くにもかかわらず意外にも館内は盛況で、若者たちが結構多かった。翌日が最終日であったせいか、六本木という場所柄デートのついでに観る人たちが多かったからなのか、よく分からないのだが。

堅苦しいようなテーマだけからはとても積極的に観たいと思うようなものでもないように感じられるのだけれど・・・。展示されているものの多くはといえば、人体解剖図だったりそのサンプル見本だったり、医学に使われた施術具だったり、臨終の御写真だったりした。最初からそれが分かっていればぼくは来なかったかもしれない。この人の多さは何なのだろう、いつもこんな風に多いのかな。現代の若者たちがほんとうにこういう企画を求めているのだろうか。

若者たちの多さに触発されて、以下に現代若者の心性について勝手に推察した感想を徒然なるままに「かもしれない」文で書いてみたい。

・けっきょくここで取り上げられているもののひとつは死ということなのだが、現代の若者は死に惹きつけられているのかもしれない
・死を終わりと考えれば、けっきょく終わりからしか何も考えることができない時代になってしまっているために、若者たちは終わりに惹きつけられているのかもしれない
・人体解剖図とか施術具とかどれも即物的で具体的なもの。若者の多くが即物的なものしか信用できなくなっているのかもしれない
・即物的なものにある種の安らぎを感じるのかもしれない。あまりにも不定形で不確かなものが多すぎるので、それが筋肉や骨格のようなものであれ、まさに具体物を求めているのかもしれない
・別に「医学と芸術展」を観に来たのにはたいした理由はないのかもしれない
・でもたいした理由もなく、ここまで観にくることはあり得ないかもしれない
・でもこうやって書いてきて、これは現代若者の心性にとどまらず、けっこうぼくら一般の現代人=老若男女の心性にも通じるものでもあるかもしれない

 そんな風に思えてきた。そんな風なことをふと思い始めたのだった。

よしむね

あなたはラーメン二郎のラーメンを食べたことがありますか

先日、保険コンサルタントの友人から加入している保険の診断を受けた。その話は置くとして、彼自身は営業コンサルでよく人に会うので最近の景況感を肌身で感じるそうであるが、やはり現在の状況は依然としてとてもヒドイ状況ではないか、と言っていた。久し振りに会った人で失業中の人もいるという。その彼とは以前同じ職場だったのだが、当時の会社で外注の仕事を続けていた幾人かの人たちが昨年まとめて首を切られたとか。ぼくの知り合いにも業界を問わずいまだ失業中の人は多い。

保険コンサルタントの上記友人T氏と同じ職場にいたのは今からちょうど20年前くらい。そのとき働いていた人たちが今失業中ということになるが、20年後に失業するなんて誰も予想していなかっただろう(だいいちそれは予想することではないが)。最近よく聞くが、給与水準とかをふくめてほぼ20年前の水準に逆戻りしているという。

20年かかって振り出しにもどったことになるが、これは単純にいえば20年かかっても給料が増えなかったともいえるわけで、サラリーマンからすれば辛い話だ。
キャッシュの状況がそうだとして、ではアセットはどうかというと、ローンで購入した住宅物件の資産価値が確実に目減りしている。両方から攻められているわけで、非常に厳しいというのが日本のわれら勤め人の状況か。借金に頼っている国力のポテンシャルも同じようなもの。

20年かかって何が変わったのか、変わらないものは何だったのか。本当のところ、誰も正確に答えることなどできないだろう。その友人T氏と会って別れた後に、彼からメールが送られてきて、「ラーメン二郎」でラーメンを食べているという。しかも昨日に続いてだという。添付はそのとき送られてきた写真。なんと旨そうであることか! やっぱりどんな時であれ旨いものはやめられないか。

ラーメン二郎はWikipediaによると、創業は1968年だそう。ぼくもラーメン二郎の評判は一応知っており、休日に山の手通りを車で走っていると、店の前でよく長蛇の列が作られているのを何度も目にしていたのだけれど、味がこってりタイプ(トンコツベース強し?)と聞いていたので、それが嫌でなんとなく敬遠していたのだが・・・。

ラーメン二郎は20年前から味が変わらずずっとおいしかったのかな。変わらない本物のラーメンの味だったのか!? 今度行ってみようかな。

因みに、Wikipediaに載っていたラーメン二郎三田本店の社訓は以下のようだそう。下記そのまま添付。

一、清く正しく美しく、散歩に読書にニコニコ貯金、週末は釣り、ゴルフ、写経
二、世のため人のため社会のため
三、Love & Peace & Togetherness
四、ごめんなさい、ひとこと言えるその勇気
五、味の乱れは心の乱れ、心の乱れは家庭の乱れ、家庭の乱れは社会の乱れ、社会の乱れは国の乱れ、国の乱れは宇宙の乱れ
六、ニンニク入れますか?

よしむね

京都・吉田神社でみた「トマソン」=「やしろ」

この間の週末、奈良・京都の小旅行の際、京都の吉田神社にも行ってきた。もともと私の姓と同じであり、家紋の話(これについてはまさむねさんが専門家)などからもこの辺り一帯が祖先のルーツ(出)かもしれないという興味もあって訪ねてみた。吉田神社そのものは有名かつ立派な神社なので特にここで紹介めいたことは書くつもりはない。
 今回行ってみて改めて思ったのは、以下のような二つのこと。
 神社や寺に限らず、良い空間というのは、かならず「奥の院」のような配置、いわゆる奥行きを持っているということ。それが本当の奥でなくてもいいし、周りに散らされていてもいいのだが、そうした適度な散らばりや広がりがあること(庭園もこれに加えていいと思う)がとても気持ちが良いということ。歩き回る楽しさがある。

 それから、関連したことだけれど、日本には何もない空間をいわゆる「やしろ」として崇める慣習があったと言われているようだが、同じように良い空間にはかならずそうした意味のない空間を寿ぐような場所があるということ。ゆとりともいえるだろうし、遊びの空間とも、赤瀬川原平さんならそれこそまさに「トマソン」だとおっしゃるかもしれないような場所。添付写真は吉田神社で見られた「やしろ」のような空間の数々。これについては神聖化している理由はちゃんとあるのかもしれないが。
いずれにしても吉田神社には上記のような空間がたしかにあった。それから、君が代で歌われている「さざれ石」の原形(?)を祭っていることを知ることができたのも僥倖だった。

 神社の空間というのは、まさむねさんも以前言っていたのだけれど本来誰にでも開かれた空間なわけで、その何もないといえば言える空間だからこそ面白い。現代の都市開発も先祖がえりじゃないけど、効率性ばかりを追求してきた反転として一見無意味とみえる空間(無駄な遊びの空間)をいかに上手に設けるかに回帰しつつあるようにも思える。
 
因みに「トマソン」とは、赤瀬川さんによって、当時読売ジャイアンツに高額の契約金で雇われたゲーリー・トマソン選手が役に立たなかったことにちなみ、「超芸術トマソン」と命名されたことに起因する造語。いわゆる役に立たないもの、無意味なもの、不思議なものから来る妙なおかしさ、翻って貴重さ等々の広い意味に捉えることができると筆者は勝手に拡大理解しています。

よしむね