カテゴリー別アーカイブ: 映画

ある時代の「ひとつの坂の上」の雰囲気がよく描かれていたということだけでも、映画「シングルマン」を見る価値はある

映画「シングルマン」を見た。バイセクシャルの話なのだが、そうした題材というよりも、描かれている当たり前の個人としての孤独感に共感できるし、ぼくはとても好きな部類に入る映画だ。監督がファッション・デザイナーのトム・フォード(ぼくはこの人の眼鏡のデザインが好きだ)ということもあり、映像がスタイリッシュで抑制が効いていてかつ最小限の美しさにあふれているような感じもいい。どこかノスタルジックな映像表現だ。もちろん映像だけではなく、人物や状況の描写も優れていると思う。

だが、それよりも一番良かったのは1960年代のアメリカという舞台設定だ。ちょうどキューバ危機の前後この当時のアメリカのおそらくミドルクラス以上の生活風景。芝生つきの広い家。モータリゼーション(自動車)の進展期。主人公が運転するアナログ的なインパネをもつ4ドア自動車がまたいいのだ。これはイーストウッドの「グラン・トリノ」の世界にも通じるもの。そして銀行での顧客サービス。すべてにおいてまだ上品で余裕があった時代のアメリカ白人社会が透けてみえるようだ。

総じて中流やや以上の暮らしが中心なのだろうが、それこそあの時代もっとも全世界があこがれていたに違いないアメリカの暮らし。冷蔵庫とTVと自動車と広い庭つきの白亜の家(それは空虚と裏腹だとしても)。そしてリビングの風景、60年代のファッション。女性の髪形の編み上げかたの面白さ。ポップだった時代。とくにジュリアン・ムーアのパーマネント・ウェイブがまたあの時代のポップな感じを想わせていい。ツイッギーみたいな感じか。ビートルズもこの時代の申し子。

いずれにしてもその功罪は別にして、それらはどういう時代であれまず貧しい国が成長を目指す過程でかならず思い描くであろう日常生活としての欲望のかたちにつながっている。そして映画のなかでの自信にみちて明るく紳士的・淑女的にみえる登場人物たち(もちろん登場人物たちの性格のねじれはあるのだが)。いっぽうで個人によってはどこか破滅的になりつつある(主人公が感じている核戦争の危機による世界の終わり)予感もある。

そうした諸々の変化に取り巻かれながらも、まだ健全で強く、退廃的であることが許されていたアメリカの古き良き時代。それは「トゥルーマン・ショー」の管理社会まではまだずっと遠い時代でもあり、登場人物はみんなやたらとタバコを吸っていたりするのだ。

最近読んだ関川夏央さんの「坂の上の雲と日本人」によると、司馬遼太郎さんの見方でもあるのだろうが、日本は日露戦争までの坂に至るまでは健康で明るい国だった(いわゆる偉大な明治だった)が、その達成以降劣化してゆくということになる。

その言い方にならえば世界史的にみればおそらくアメリカの全盛時代は1950年代から60年代前半あたりまで(ケネディ大統領が暗殺される辺りまで)で、それ以降はベトナム戦争への没入とともに劣化していくことになるといえるのかもしれない。そしてもっと広げていえば西欧やアメリカを中心とした先進国が文化的にも成長という意味でもまだ全的に輝いて見えた時代とはおそらく60年代までということになるのではないか。文化史的にみればフーコーとかラカン、バルトとかレヴィ=ストロースなどの一連のいわゆる構造主義者の著作が目白押しだったのが1966年という年だった(文化的にエポックの年)という指摘もあるようだ。

そしてこの辺りを境に日本でも世界でも学生運動が頻発し、その挫折とともにどこか停滞のステージに入っていく。70年代は石油危機が起こり、ローマクラブからは「成長の限界」というレポートが出るDecadeでもあった。先進国での人口増加のカーブ曲線もこの辺りをピークに変局していくともいわれている。ぼくが中学生から大人になってゆくのはこれ以降の時代だ。

没落の予感に怯えつつ、でもまだ日常生活の風景(消費社会)としてはアメリカが頂上の栄華を極めていた時代。だいぶ蛇足が長くなってしまったが、そのように紛れもなくある時代の「ひとつの坂の上」の雰囲気と、どこかそこはかとなく漂っているノスタルジーの感覚がとてもよく描かれていたということだけでも、「シングルマン」を見る価値はあるように思う。そしてそこにひとりの個人史の生と死もオーバーラップされて刻まれているのだ。

よしむね

ふたたび「恋々風塵」:あのお爺さんに遭うためだけでもこの映画を観る価値があるとおもう

まさむねさんとなるべく重ならないように80年代の映画について取り上げる予定なのだが、この「恋々風塵」だけはちょっと例外ということで、ぼくも書かせていただくことにした。というのももし今まで見た青春(恋愛)映画でベスト3を上げろと言われたら、間違いなくそのひとつにこの映画を上げるだろうからだ。とても好きな映画だ。

 もう細かいことやあらすじについては触れない。ただあのラストで、お爺さんと主人公が言葉を交わす(実はあまり交わさない)シーン。山の気に包まれたなかで、お爺さんは失恋した主人公に対して仔細はなにも尋ねず、ただ今年はさつまいもが不作だとか良くできたとか、そんな話をするだけだ。お爺さんは多分分かっているのだけど、なにも言わない。

誰もどうすることもできないからだ。ただみんなそうしてきたように、ひとりで黙って泣くしかないし耐えてゆくしかない。映像はどこまでも静かで凛としている。そしてもの悲しい。山の気の張り詰めたような美しさ。老人と青年のふたりだけがいて・・・。

こんなシーンに出会えたことのなんという至福! 映画を観るとはまさにこういう瞬間に出会うことだと思わせてくれた、そういう作品。

人を好きになることはときに悲しい。ぼくももうあの少年少女たちからは遠く離れたところに来ているけど、今もときどきこの映画のいくつかのシーンを思い出す。切ないことや思いっきり楽しかったこと、ワルをしたり、そんなこんな誰にでもあったに違いない小さな出来事の数々。今も恋々風塵は走馬灯のようにそれらを浮かべて回っているのだと思う。

よしむね

ディーバはアバターよりも新しい

ジャン=ジャック=ベネックス監督の作品。この監督の作品では「ベティー・ブルー」も有名だが、ぼくは「ディーバ」のほうが好きだ。公開は1981年でたしか六本木シネ・ヴィヴァンで上映されたと思うが(この辺は記憶が曖昧)、公開時に観た。

今回あらためてビデオで見なおしてみたのだが、ストーリ自体には少しも古い感じがしない。出てくるパリの風景や女性の服装や髪型にはさすがに80年代のものを感じる部分もある(メディアとしての録音テープ等もそうである)が、奇妙な味わいといい、スタイリッシュな映像や、妙な可笑しさといい、誤解を恐れずにいえば3Dという話題性があるにせよ画一的な作品であるアバターなんかよりもよほど飽きない。サスペンスフルで奇妙でスタイリッシュで恋愛的でと、なんでもある。主人公とディーバが連れ立ってデートする雨のなかの寡黙なシーンなんかとても良い。けっして平板ではない。こうした映画をみると、80年代の映画ってやっぱり面白かったなと思う。

しかも今回改めて気づいたのは、ベトナム人の女の子が出てきたり、ギリシャ人の謎の男や黒人であるディーバ(歌姫)が出てくるところなど、いわゆるパリの中の異邦性がすでに映画として取り上げられていたこと。今でこそというか90年代くらいからはヨーロッパに旅行してもパリやロンドンなどの大都市での黒人の多さが当たり前に目につくようにはなっていたと思うけど、80年当初からフランス映画の中でこんな風に都市のなかでの異邦性や無国籍性を取り上げたものはあまりなかったようにも思う。その意味でも先駆的。

当時この映画をみて、東京でもまったく違和感のない、共振する時代感覚のようなシンパシーを感じたのを覚えている。それから余談だけど、ぼくはこの映画ではじめてカタラーニのオペラ「ワリー」を知って、なんて素晴らしい曲なんだと思ったものだった。今ではサラ・ブライトンなんかがさんざん歌っているので、とても有名になってしまったと思うけど。

いろんな意味で2010年になって時代はふたたびディーバに追いついたのかもしれない。

よしむね

「刑事ジョン・ブック 目撃者」-まれびとは去らなければならない

当時この映画が話題になったのは、今もアメリカに現存しているアーミッシュという自給自足の社会(ドイツ系アメリカ人の村社会)が取り上げられていたという物珍しさも多少あったと思う。そこに適度なサスペンスと恋愛ドラマ。今みてもよくできた映画だ。いろんな要素を持っているのでさまざまな切り口の考察が可能だと思われるのだが、ここでは共同体と個人ということに絞りたい。ふたつの共同体が舞台。ひとつは無法もふくめて刑事が所属する社会。もうひとつは上記アーミッシュという共同体。
そして刑事ジョン・ブック(ハリソン・フォード)とレイチェル(ケリー・マクギリス)というそれぞれの共同体に属していたふたりが共同体の間で惹かれあい揺れ動いてゆく。その共同体をめぐっては何度か「掟」というセリフが出てくる。掟を破った者は共同体を去らなければならないし、共同体の外へ放逐されなければならない。映画の中でジョン・ブックがレイチェルにむかって「君を抱いたら、ふたりとも出てゆかなければならなくなる」と呟くシーンがある。だがふたりはギリギリのところで引き返し、それぞれが以前属していた共同体にもどってゆくところでこの映画は終わる。
ふたりが目の表情だけで語り合うシーンや、ジョン・ブックが村を去ろうとする日にレイチェルの長男と一緒に黙って土手に座っている映像とか、村の皆で納屋だったか新居だったかを造るシーン(そこにジョン・ブックも参加している。ここでのモーリス・ジャールの音楽がまた良い)などなど、忘れがたいシーンはたくさんある。だがとにかく共同体にとってまれ人である者はそこに入るための掟を受け入れないかぎりやがて出てゆかなければならないのだ。
ジョン・ブックは結局去ってゆくのである。映画のいちばん最後で彼はオンボロ車をふたたび運転しながら一本道を引き返してゆく。「まれびと(稀人)」として村にやってきてまた去ってゆくのだ。この映画が公開された1985年という年は今から振り返ってみるといろんな意味でその後を暗示しているような年だったと思う。
プラザ合意をへて、時代はその後の英米による金融の自由化へまっしぐらに進んでゆく転換点に当たっていたと思われるからだ。ちょうどジョン・ブックの車が自給自足のアーミッシュという共同体から離れて行ったように、時代の切っ先はある意味で質素倹約の友愛社会から金融至上主義の競争社会に向かい始めてゆこうとしていたのだ。この映画のラストをそんな風に勝手に読み解くこともできるかもしれない。
そして25年が過ぎていくつかの金融・経済危機をへて、時代はふたたび単なるお金ではない、なにかオーガニックなものへ回帰してゆこうとしているように見える。ジョン・ブックの乗った車は、かつての一本道を映画のラストとは逆向きにオーガニックな風景と村々のほうへもう一度引き返そうとしているのかもしれない。
ぼくがこの映画を観たのはほとんど公開時のリアルタイムで、新宿か渋谷の映画館だったと思う。誰と観たのかは覚えていない。当時はジョン・ブックの車の先にこれからどんな時代の風が吹きつけてくることになるのかなど、もちろんなにも予見できなかったのだけど。

よしむね

80年代SF映画の綺羅星「ブレードランナー」、レイチェルと一緒にどこまでも!

まさむねさんの「存在の耐えられない軽さ」に続いて80年代に観た映画について書いてみたい。ぼくもその時代の子というか当時は映画青年のはしくれだったということになるだろう。大学時代に映研に入っていたことがあり、多い時でたぶん年間200本くらいの映画を観ていたことがある。しかも80年代の前半はビデオ(VHS)なんてそんなに普及してなかったから、ほとんど映画館に通って観ていた。勤め人になってからもまさむねさんが言っていたのと同じように、80年代当時(90年代も)は年間50本以上は優に観ていたと思う。

それでも自分のことを映画通だとは思っていなかったし、今もそうだ。もっとそれを上回るつわものは大勢いたし、ぼくなどは普通に+ちょっと多いくらいだったろう。今の人たちの平均に比べれば多いのかもしれないが、映画しか娯楽がなかったわけじゃないけど、とにかく映画はよく観ていた。80年代の後半になるとスキーブームで週末っていうとスキーに行ったりしながら、か。

80年代は今から思い出そうとしてもなかなかその時代の本当のフレームを掴むことは難しいと感じるのだけど、とにかくいろんなものがまだ玉石混交していてポテンシャルあふれていたなとまず思う。映画監督にしてもフェリーニもまだ生きていたし、寺山修司も前半までは存命されていたし、ヌーベルヴァーグの旗手たちもトリフォーも矢継ぎ早に作品を発表し続けていたし、ゴダールも商業映画に復帰してきたときで、いずれもぼくはそれらの作品群を当時リアル・タイムで観ていた。もちろんB級映画もふくめてだ。

時代はポスト・モダンとかネアカとか、おたく世代の台頭とか新人類とか、その後いろいろ命名されてゆくことになるし、85年のプラザ合意をへてバブル経済に向かってゆくわけだけど、まずもって思うのは、時代はいまだ出口なしの閉塞にはいたらず、なにか肯定的なポテンシャリティー(良い悪いは別にして)みたいなもの・機運が引き続きあったようにおもうのだ。その当時ぼくも今でいえばフリーターみたいにして過ごしていた時期もあるし、周りにもそういう人たちがたくさんいたけど、どこかになんとかなるさみたいなところがあった。実際それでなんとかなってきた。でも今は違う。もうなんともならない閉塞感みたいなものがより切実だ、とおもう。

これからまさむねさんと一緒に「80年代の映画を語る」を通じて個々の思い出深い作品について多分連綿と書いていきながら、80年代という、いまも流動してやまない時代の川みたいなものを自分たちなりに少しでもなぞることができればみたいな気持ちもあるし、少しは年をとって若かったときのことを思いとどめておきたいような気も一方にはあるかも。

とにかく前置きはこれくらいにしてまずは「ブレードランナー」(監督はリドリー・スコット、1982年公開)だ。この映画の魅力の一つであるその後の未来都市のイメージやアジア的な混沌、猥雑さについては以前大江戸温泉のコラムでも少し書いたので省略する。ここではぼくがもっとも好きな、二つのシーンについて触れたい。

ひとつは、ルドガー・ハウアー演じるレプリカント(アンドロイド)が、ビルの屋上から堕ちそうになるデッカード捜査官(ハリソン・フォード)を救い出し、白い鳩が飛んでゆくなか、みずから雨に打たれて死んでゆく最期のシーン。そしてもうひとつはいつまで生きることができるのか分からないレイチェル(レプリカント)を連れて、デッカードが車を運転してゆくラストのシーンだ。

これらのシーンが感動的なのは、けっきょく人間もアンドロイドも本当はその区別はなく、実は人間だっていつ死ぬか分からないアンドロイドと同じようなものなのではないか(人間は神につくられたアンドロイドかもしれない)という、相対化された視点があるからだ。その意味でみんな同じように悲しい生き物だ(アンドロイドだ)、だから誰かを好きになるし、そして死んでゆくのだ、ということ。

みんなが自分たちはどこから来て、どこへ行くのかを知りたがるのだ、ちょうどアンドロイドたちが自分たちの来歴を知りたがったように。ゴーギャンの絵のタイトルそのままに「われわれはどこから来たのか、われわれは何者か、われわれはどこへ行くのか」。それを探し続けている、今も、ぼくらは、この2010年になっても。

「ブレードランナー」が公開された1982年という年は、未来ということを含めてまだいろんな変化の予感に彩られていたように思う。ぼくが観たのは公開から少し遅れて、今はなくなった水道橋の映画館だったと思う。その後もいろんなSF映画が生まれたけど、ブレードランナーは今もSF映画の綺羅星のひとつだとおもう。

後年新しいバージョンがディレクターズ・カット版として監督自身の手によって編集しなおされたが(たしかラストの解釈をめぐって編集しなおされたと思うけど)、ぼくは断然編集前の古いバージョン(日本公開当時のバージョン)が好きだ。これ以外にも「ブレードランナー」にはいくつかのバージョンがあるらしい。こうした混沌もまた面白い。人それぞれが好きなバージョンがあるわけだ。上のシーンはぼくが好きなバージョンの記憶によっている。ブレードランナーの思い出よ、永遠に。

よしむね

前衛も後衛もなくなった時代に「去年マリエンバートで」は退屈な映画になった?

「去年マリエンバートで」のデジタルリメーク版(ニューマスター版)ができたとかいうことで、先月渋谷でリバイバル上映されていたので観に行ってきた。ぼくがこの作品を観たのははっきり覚えていないのだが、たしか劇場で1回、深夜のTV放送で1回観たように記憶している。

 作品自体はいわゆる映画通には有名な映画の類で、何かの投票によってはかならずベスト10入りするような映画。また人工的な西洋庭園に整然と配されてたたずむ恋人たちの映像シーンも有名で、たしか自動車のTVコマーシャルとかでもその模倣シーンが作られていたりしていたはずだ。監督はアラン・レネ。脚本は前衛作家といわれたアラン・ロブ=グリエ。

 もともと筋書きのない映画なので、説明すること自体ナンセンスなのだが、以前は刺激的な映画だと思っていたとおもうのだが(今は記憶も曖昧)、今回はのっけから退屈な感じで睡魔に襲われてしまいすぐに寝てしまったのだった! 始まる前になんとなく寝てしまうかもしれないなという悪い予感はあったのだが。身体に疲れがあったからなのか、それとも感性が鈍くなってしまったからだろうか。でもどうもそれだけではないような気がする。

 「去年マリエンバートで」の、その映像が持つある種の美しさやミステリアスさ、袋小路のような展開なきドラマ=アンチ・ドラマ性、複数的に張られた伏線、解決のない出口、不条理さ、モノクロームのもつ陰影の輝き等々は、多分今も変わらずにこの映画の魅力としてあるのだろうと思う。でも、それを観るぼくらの現在の視線が変わってしまったのではないか。

初演当時(日本公開初演は1964年だそう。もちろんぼくは初演は見ていない)はたしかに前衛映画とか騒がれたりしたかもしれないのだが、いまや前衛も後衛もなく、時代そのものがいろんな不条理と浮沈を経験してそれに晒されてきた視線から見ると、どのような映画にももはや新しさや珍奇さや眩暈のようなものがないのだ、たぶん。前衛も後衛もない時代。それが今流行の3Dだろうと同じだ。もはや新しさではない。みんな経験してしまって未知ではなくなっているからだ。

そんな中で今もいろんな意味でまだあたらしく先鋭的(切実ということ)なのは、あえてそういう映画作品や監督を上げろと言われたら、逆説的だけどたとえば「アキレスと亀」までの北野武(依然として)であり、監督としてのクリント・イーストウッドだとぼくは勝手に思っている(これはまたいずれのかの機会に書いてみたいテーマ)。特にイーストウッドは21世紀に入ってからさらに脂が乗って「ミスティック・リバー」以降の快進撃が素晴らしい。救いのない時代に生きる人間たちの描写力がますます際立つようだ。

それに比べると、「去年マリエンバートで」はその仮構ぶりといい、華美さ加減といい、どこか気楽な感じで退屈な映画になったと思えて仕方がない。本当に変わらずに凄いと思うのは、主演女優デルフィーヌ・セイリグの美しさだ。これだけは今も変わらない。

まあ映画は生き物だからまた別のときに見直したら、違う感想になることもあるだろう。そのときはまたもう一つの「去年マリエンバートで」について書こうと思うが。でも時代そのものが「去年マリエンバート」を過ぎてもっとミステリアスになってしまったのかもしれない。

よしむね

ニュー・シネマ・パラダイスの20年

この間、ラジオを「ながら」で聞いていたとき、今年2009年が映画「ニュー・シネマ・パラダイス」(ジュゼッペ・トルナトーレ監督)が公開されてからちょうど20年めだということを改めて知った。これは別に大事件でもなんでもないのだが、公開年である1989年というその区切りの年号といい、ぼくにとってはなにか極めて感慨深いものがあった。もちろん当時ぼくはリアルタイムでこの映画を観た。

20年といえば成人に代表されるように人が生まれていっぱしの大人になる年数だし、経済用語でいえばキチンの波(40ヶ月)、ジュグラーの波(10年)と来てクズネッツの波(20年)を迎えるわけで、世の中の建築需要などが大きく動く年単位に相当すると言われる。
20年ではないが、「澁澤流30年長期投資のすすめ」(澁澤健著、角川SSC新書)などに見られるように長期の運用哲学が花開くことをおっしゃる方もいる。因みにこの方は明治時代の日本経済(資本主義)の礎をつくった渋沢栄一さんの5代目ご子孫だ。つまり20年という単位はなにかが大きく変わってもおかしくない単位の一つであるということ。それだけの年数を自分もすでに生きてしまったわけで、それに対する感慨がなかったといえば嘘になる。

そして1989年という記念すべき年。この年は世界史的にはベルリンの壁崩壊があり、日本がバブル崩壊する直前の年(言わずと知れた大納会のときに付けた日経平均38,915円が歴史的ピークで、年明け以降はこれが急降下してゆくことになる)で、いわば国内海外をふくめた世の中全般が大きく変動してゆく前年にあたっている。
ニュー・シネマ・パラダイスはわざわざ説明するまでもないくらい人口に膾炙している映画で、映画史上では名作中の名作と呼ばれる類の作品。何がしかのランキング投票を行えば必ずベスト10位入りすることは間違いないだろう。あまりにも有名なエンニオ・モリコーネのサウンドトラック(旋律)もどこかで必ず聴いているはずだ。

ぼくが最初この映画に感動したのは、これもまたあまりにも有名なラストの古い映画のキスシーンの数珠つながりのシーンだ。洗礼の水でも浴びるようなフィルムの切れはしたちの映像の連鎖。検閲にひっかからないようにフィリップ・ノワレ演じる映写技師アルフレードがそれらのフィルムを切り刻んでいたわけだが、その「記念品(形見)」を主人公が上映してながめるシーン。ここには過ぎた時への回想とともに、トルナトーレ監督自身による古き映画への紛れもないオマージュもあったはずだ。
映画は生き物であり、おそらくその時々によって何に感動するのか、その印象も確実に変わってゆく。ぼくにとってのニュー・シネマ・パラダイスもその意味では変化し続ける作品なのかもしれないが、今もあらためて惹かれている部分があるとしたら、それはたぶんこの映画がノスタルジーに貫かれた追想の視点で描かれていることだ。主人公の幼年時代への、町をとりまく環境への、高校時代の恋人への、その別れへの、親しい友人への、なによりも大好きだった映画館への、そうした失われたものたちへの、追想のオマージュ。    
そして映画の最後のほうで、アルフレードの死の知らせをうけて故郷へ帰る決心をした主人公はなにかと和解し(過去と現在に連なる時間と?)、その葬式参列の日にかつての知人たちの多くの顔に出会う。そこに見いだされるのは、時が確実に刻みつけた人々の顔の変化であり、それと同じだけ主人公も年を重ねたという事実、そしてそれらがある懐かしさをともなって現れてくるのだ。ちょうどプルーストが「失われた時を求めて」における最終巻の「見出された時」の仮装パーティーで「時」の交差と出会ったかのように?・・・・。

1989年のバブル崩壊のあとの、日本の20年。失われた10年とも20年とも言われる、その長いだらだら坂の低迷。この間の最初の10年でみても、単に経済情勢の激しい変化だけではなく、オウム事件や阪神大震災に代表される大きな社会的な事件や天変地異があった。次の10年でみても不景気なのに異常なくらいのラッシュとなった都市の大規模再開発(六本木、汐留、丸の内)など、とても変化の激しいDecadeだったと言える。そのあまりにも振幅が大きいために誰も正確に語れないような時代。そして今、ぼくたちはニュー・シネマ・パラダイスの主人公と同じように、その日本の周辺のあちこちに、それこそ制度疲労のためかすっかり「老いた」日本の多くの顔たちとその残像に出会っている。

21世紀を前にしてその最後の10年の手前で公開されたニュー・シネマ・パラダイスは、そう思えば予見的な映画だったのかもしれない。それは華やかな未来よりもどこか追憶の過去にひきよせられ、新しさよりも追憶のさざ波に揺れているような映画だからだが、それこそまさに現代の風景そのものにも思える。現代において新しいものはまだあるのか? あるのは追憶だけなのか? 失われた過去への記憶だけなのか? 果たして、ぼくらはこの老いた日本の再生の果てに、ニュー・パラダイスを見ることができるだろうか? 
                                
よしむね

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ぼくらは両極の映画の佳品「サイドウェイズ」と「アンナと過ごした4日間」の間で揺れ動くのだ

最近とても良い2つの映画を見た。映画のタイトルは「サイドウェイズ」と「アンナと過ごした4日間」。どちらも地味な映画なのだが佳品と呼ぶにふさわしい作品だと思う。ここでは映画の解説を書くことが目的ではないのでとにかく作品を見ていただくしかないのだが、以下に少し紹介文めいたサワリを書いてみたい。

「サイドウェイズ」は2004年同名のハリウッド映画のリメイク版。監督は外国人のチェリン・グラック。主演陣は日本人の俳優で小日向文世、生瀬勝久、鈴木京香、菊池凛子の4名。まず役者たちの顔ぶれが良い。物語は解説文をそのまま使わせてもらうと、「ワインの産地、カリフォルニアのナパ・バレーを舞台に、さえない40代の男二人のパッとしない人生が少しずつ動き出していく様をていねいに描く」とある。まあたしかにそのように動いてゆく。そこに同世代といってよい二人の女たち(鈴木京香と菊池凛子)が絡む。
よくある再会と新たな旅立ちのストーリー。しかもみんな中年であり、どこかにほろ苦いテイストをひきずって旅立つことになるのだ。それが陽光明るいカリフォルニアを舞台にして静かに淡々とシニカルにそしてやわらかくある意味では決して気負わずに主人公たちが動いていく。大それた事件が起きるわけではない日常の連鎖の延長の中で、主人公たちは悩み、諦め、観念してゆく。まあそんな物語だが、そういう気負わなさが良い。
結局はなにも解決しないし、勿論多少のドラマ風の味付けはあるのだがすっきりかっこよく終わるようには行かない。売れないシナリオライターとしての主人公の設定や留学や渡航の経験などが題材に扱われていても、特別な人物設定ではないし、舞台となるアメリカも心象風景としてみれば現代日本の延長とそれほど劇的に変わる土地として捉えられているわけではない。人も土地もある意味で非常に等質(均質)であり、リアルなのだといえる。

一方の「アンナと過ごした4日間」はこれとは対蹠的にまったく異常さに基づくような内容になっている。監督はポーランドのイエジー・スコリモフスキー。現代世界の特徴のひとつが等質性にあるとすれば、この映画はそのすべてにおいてこれと反対を行くような設定だ。主人公は病院の火葬場で働くまったく冴えない寡黙な独身男。年老いた祖母との二人暮しだが、ほとんど引きこもりのような二人の生活。やがて祖母の死。そして異常なレイプ事件を目撃。主人公自身も過去に異常な暴力事件(?)に遭った過去を持つ。
それから目撃したレイプ事件の相手の女性(看護婦)への恋。覗き見。それが嵩じての、ストーカーに近い偏執的な行動。ある一夜の物語、その続き。そして愛の告白。絶対的な愛といえるほどの、なにかへの、・・・・等々。
たぶんこんな風にいくらこの映画のことを書いても、この映画の良さはおそらく伝わらないだろうと思う。だいいち映画そのものが本当はことばでくくられることを拒んでいるし、優れた映画ほど映像や音や役者の身振り・演技のすべてをふくめて、言葉で要約することができないものを持っているからだ。ただぼくがこの映画で強く感じるのは、主人公が持つ愚直さと一途さとほとんど狂気に近いような純粋さが持つ、肯定性のようなものだ。あるいはもし別の言葉でいうなら、やはり希望ということ。それでもぼくは君を愛している、と。

ここで扱われている世界はいずれも重く苦しい。何一つ等質ではなく、貧困をふくめて凹凸ばかりのある生活。主人公もおよそ世間の等質性から外れたアウトロー(脱落者?)だ。だが、それでも人は希望を持つことができるし、そうする権利があると、この映画は底のほうで語ろうとしているかのようだ。
いま、ぼくらを取り巻く世界は、ほとんど等質といってよい世界だ。インターネット、携帯電話、パソコン、高層ビル、電気街、ビジネス街。家とオフィスの往復、通勤電車。人が等質に利用し、まずもって等質に生きることが前提の社会だ。多かれ少なかれ先進国の大都市ではほとんど当たり前となった光景とそれらが累々と積み重なった生活。だが何かのきっかけでその等質のすきまから、ふと等質でないものが顔をのぞかせる。それが秋葉原での集団殺人事件につながったりするのかもしれないが。

いずれにしても大事なのは、何が等質で何が異常かを見極めることではないだろう。まずもって好むと好まざるとにかかわらずぼくらは等質の足場に身をおいているのだ(そのことに観念しながらも)。だが、けっして等質でないものへの目配りも忘れることなく、いわばそうしたものと自由に往復できる視線を持っておくことが必要なのだと思う。ちょうど「サイドウェイズ」と「アンナと過ごした4日間」の間で揺れ動き続けること。それこそが必要なのだと。

よしむね

「なんでも腐りかけがおいしい」という斜陽のなかでの日本ブーム

雑誌記事などによるとフランスで空前の日本ブームだという。空前というのがどの程度なのかよく分からないが、同じように日本ブームという意味ではちょうど150年くらい前の日本文化への嗜好(いわゆるジャポニズム)がこれに匹敵するのだろうか。今回の一連のブームのなかでは日本を題材にした小説も結構多く書かれているようだ。最近では本国フランスでベストセラーになったといわれている「優雅なハリネズミ」(これに登場するのは映画監督小津安二郎を思わせるような日本人オズが登場しているそうだ。ぼくはまだ読んでいないが。)という小説もあるらしい。ぼくも今年にはいって日本を題材にした一冊である「さりながら」(フィリップ・フォレスト著)を読んだことがある。夏目漱石、小林一茶、山端庸介(写真家)を主人公に設定しながら、コント風仕立ての枠組みを使って単に日本への関心にとどまらずに、自身の遺児への思いと重ね合わせながら哲学的な省察(同時代への考察)を試みている、抑制の効いた佳品だったと記憶している。

今回の日本ブームはアニメやゲーム、コスプレなどの従来のポップカルチャーのみならず、寿司、禅、焼き物、茶、相撲、歌舞伎など広範な事象への関心の広がりも特徴の一つのようだ(それらが紋切り型の理解であれどうあれ、理解のためには多少の紋切り型が必要だと思う。その意味でぼくは紋切り型について好意的に考えている)。
どちらも見出された国・日本であろうが、およそ150年前に近代国家の仲間入りを果たそうとしていた中で見出された国のかたちと、すでに十分に成熟した国家となって見出された今この段階での見出され方の違いはそれなりに興味深い感じがする。前者には単純に今まであまり知らなかった未知への国(東洋)への興味本位も多少なりともあったとすれば、後者には情報というものがすでに十分に氾濫している最中でもなおかつ興味をそそられる全世界共通のなにかの琴線に触れえたことが背景にあったと思われるもするからだ。その何かはぼくには分からない。それがクール・ジャパン(かっこいい日本)と呼ばれている正体なのだろうか。その一端については日本ブームをめぐる考察(次回作)でも少し考えてみたいが。
もう一つ面白いのは、ちょうどクール・ジャパンと言われ出した時期が、日本が90年のバブル崩壊を経て国力の低下・衰退と重なる時期であることだ。国、敗れて、山河あり、だけではなく、国敗れても人気あり、が続いているわけだ。いわゆる国力と人気の関係、この相反が面白い。

アメリカの世紀であった20世紀についてつらつら考えてみると、国力と人気の持続は陰に陽にけっこう重なっていたように思うのだ。いわゆる50年代・60年代の大衆文化の見本としてのアメリカ(芝生つきの広い家、電化製品に囲まれた豊かな暮らし、車社会)から金融市場の活性化を経た90年代以降のアメリカ(成長神話としてのアメリカン・ドリーム、先端ハイテクと投資・ベンチャービジネスの盛り上がり)まで、それなりに一貫してその人気はアメリカという国の力に支えられて憧れの対象となり羨望の像となり続けたように思う。ベトナム戦争の時代や冷戦の時代も、大きい意味ではまだ国家としてのアメリカの器の大きさは変わらなかったと思うのだ。そしていま時代は「アメリカ後」の世界にむけて動き出そうとしている。人はそれを多極化する世界と呼んでみたり、ポスト・アメリカとしての21世紀=中国の時代と形容したりするのだろうが。

そうした中で日本人気はまさにアンビバレンスななかで起こっている。だがこうした海外での日本への評価・人気というものがどれだけ正しく日本に伝えられてきたかははなはだ疑わしい。TVによる報道に限っても世界のなかのクール・ジャパンについてわりと一貫して伝えてきたのはNHKくらいで、民放からこの手の継続的な報道ニュースがあったことをぼくはほとんど知らない。それからどうも日本人の傾向として自虐的に自己分析することはあっても、他人に褒められることに素直になれない性向があるのだろうか。自分たちの良いものを海外に評価されて始めて、そんなに凄かったのかと気づかされるようなところが往々にしてあるようだ。建築の例をとっても桂離宮などがその最たる事例だろう。逆にいえば日本人は自分たちに自信がないので、いつも外部評価(海外の目)を通じてしか評価づけることができない性なのだろうか。

こうしたことのチグハグさもふくめて、依然日本の本質は変わっていないのかもしれない。ただ斜陽のなかでの日本ブームについて考えるとき、ついつい思い出してしまう映画の中のことばがある。その映画というのは鈴木清順監督の「チゴイネルワイゼン」で、もう大分昔に見た映画なのでその言葉をつぶやいたのが主人公の原田芳雄だったかもはっきりとは覚えていないのだが、たしか何か果物を食べるシーンで「なんでも腐りかけが一番おいしい」とつぶやくセリフがあったことを記憶している。

ちょうど夕日がとても美しく感じられるように斜陽のときのほうがその本質がよりよく反映されるのか分からないが、日本も腐りかけの残照のときが一番おいしいのだろうか。そこにデガダンスの影でもきらめているのか。国力だけの尺度で見るかぎり世界に憧れを持たれていることがとても理解しにくいことも事実だが、なにか奇妙で不思議な印象をもってしまう、昨今の日本ブームという感じだ。

よしむね

MJは後半生において宇宙からの使者、伝道師ETのようなものになったのではないか

マイケル・ジャクソンとは何者だったのか。

先週の日曜日に、彼が亡くなる直前までロンドン公演向けのリハーサルに打ち込んでいたときの収録ビデオを編集した映画「This Is It」を観た。この映画を見る限り、彼がその直後に死ぬ人とはとても思えないし(とても死期の近い病人のようには見えなかった)、死の直後に言われていたような公演のリハをほとんど行っていなかったという真らしきデマが嘘だったこともよく分かる。リハーサルの様子を観るかぎり、かなり完成形に近づいていたと思うし、公演への思いも本気だったと理解できるのだ。だとすれば、死因はやはり担当主治医の処方ミスということになるのだろうか。それは分からないが、ここではMJの死因について語ることが目的ではない。それはたぶん永遠の謎かもしれない。

MJと僕は生まれ年が同じ1958年、つまり51歳のタメ年(マドンナも同じはず)。だけど不思議に同世代という意識はあまりなかった。同時代の音楽という捉え方も希薄だった。どんなにひいき目にみてもせいぜいスリラーを引っさげて登場した80年代の前半までで(スリラーを当時深夜のMTVで観たときはたしかに衝撃だった! 難しい話ではなく、ストレートに面白かった! だってゾンビたちが踊るのだから、とってもダンサブルにね!!)、そこまでは同時代としての歩行が揃っていたと仮に言ってみるとしても、そこから先の、かれの容姿の変化(黒から白へのいわゆる白化現象の加速)とともに、その音楽や彼への興味を失っていったことはまぎれもない事実で、90年代半ば以降はむしろまったく興味の対象から外れていたといって良いと思うのだ、僕にとっては。白人の色にこだわりすぎる彼にむしろ違和感を覚えるほうが強かったくらいだ。

今回「This Is It」を観て、改めてMJの晩年の容貌について思うのだが、今更ながらなんと年齢不詳であることかということ! とても50歳の人には見えないよね。確かに芸能人やエンターティナーを職業としている人たちが年齢不詳、アンチ・エイジングで、いわゆる普通の人の年域を超えて若く見えるのは当然だとしても、彼の場合は単にそれだけではなく筋金入りで、元々その根っこの思想としても年を取ることを拒んでいたように思えるのだ。どこか中性的な感じ、なにか少年合唱団の面影をひきずり(ジャクソン5)、合唱団を卒業した後も去勢したように声変わりせずに高音域の声を残したまま、華奢で未成熟な肢体のイメージを醸し、白でも黒でもない人種の枠を超えて、少年、児童、玩具、遊園地が大好きで・・・・・等々。スクリーンの彼はますます人間離れしていて、なにか手足の長い宇宙人のように見えたものだ。MJはその後半生において宇宙からの使者、伝道師ETのようなものになったのかもしれない。

それはさておくとしても彼が「ポップの王」と形容されていることに僕は興味はない。音楽的に本当にそういえるのかも知らない。死んで伝説化され、新たに命名されることはよくあることだ。ただ音楽にしろなにかのカルチャーにしろ、アンダーグラウンドの活動にしろ、それがなにかのムーブメントとつながっていると時代に共有(錯覚)された(所詮幻想だったにせよ!)のはやはり80年代前半までだったのではないかと僕は思う。その意味でポップミュージックという意味でなら、彼のスリラーを収録したアルバムはまだ音楽がなにか時代の鏡であるかのように信じ込ますことができた棹尾を飾るアルバムだったといえるのかもしれない。事実このアルバムの売上(アルバム・セールス)は未だに世界一らしいが。

それ以後はもうどんなムーブメントにもカルチャーにも音楽にも新しさはなく、もう時代を代表するようななにかとしてではなく、どこか既視感のなかに入ってゆきすべてが等質で、均一で、いっぽうズレがズレのまま、でもどこにも矯正できるものはなく、ただただ崩壊の過程に向かって、音楽も経済も文化も文学もユニバースそのものがすべり始めていったように思う(日本経済でいえば85年の円高プラザ合意以後、バブルを経て、その崩壊とそれ以後の崩壊つづき)。

そういうなかでMJの音楽ももともと深まることはなく、表層を表層のまま奏でていった。その後半に至って、ヒーリング(癒し)、地球環境へのメッセージや愛、WE ARE THE WORLDのボランタリーなどの色彩を強めて移動してゆくかのように見えても、それらは深さによったものではないし、なにか年輪の智慧によって生まれたものでもないし、どこまでも単に彼の嗜好、オタクの一環としてくらいの意味しかないだろうと思う、本当のところは。時代が下降してゆくなかにあっては音楽的には僕はむしろマドンナの方が戦略的にしたたかな感じがする。先ごろWOWOWで見たブエノスアイレスでの2008年のマドンナのツアーはよかった。ギター片手に歌うマドンナがいい。草原のなかの兵士みたいで、ジャンヌ・ダルクのようでもあり、フィジカルで、シンプルで、身体的で、・・・・、等々。

なにか意味のないことを長々と書いてきたような気がするが、ぼくがMJの曲でやっぱり一番好きなのはスリラーだな。ゾンビから髑髏からなにからなにまで墓から抜け出してみんな踊りだせ、踊るがいい! そんな気がする。MJの音楽がどうであれ、これからも世界中の若者がいつかあるときある場所で汚い格好と醜い姿をしながら(あるいはそんな格好をしなくても)あの奇妙な奇天烈なスリラーを路上で何処かのストリートで踊り続けることだけは確かだと思う。あなたが歌った曲でその後に生まれた子供たちが踊るのだ。マイケル・ジャクソンよ、永遠なれ! 合掌。

よしむね