与えよ、さすれば与えられん

この間、知り合いのSさんにお会いした。Sさんは自ら情報戦略研究所を立ち上げて長くコンサルテーション等の仕事をされている、業界では著名な方だが、ここではSさんのイニシャル名に留めておきます。
お会いしたのはご相談したいことがあってだったのだが、いろんなご指摘を頂戴して「なるほどなぁ」と思うことしきりであった。さすが百戦錬磨、厳しい時代を自ら生き抜いてこられた方の言葉だけに重みがあります。そのいくつかをここで紹介してみたい。
「大事なのはRich Experience(豊かな経験)を与えることができるかどうか」
 時代はもうソフトでもハードでもなく、あるメディアならそのメディアを提供することによってユーザーにどんな経験をしてもらいたいのか、どんな可能性(実現のイメージ)に誘いたいのか、いわゆるRich Experienceを経験してもらいたいのか、だということ。
アップルにあって日本企業にいま決定的に抜け落ちているもの、それが多分この視点だと思います、ということ。日本の多くの企業は、単なるハード屋かソフト屋に終わっている、あるいはそういう役割に甘んじてしまっている。人が求めているのは経験であって、単なるモノではないはず。
そして高邁なこころに高邁なものが宿るのです。スターバックスだって自分たちのことを単なるコーヒー屋だと思っているのではない。彼らの社員教育の徹底ぶりもすごいが、彼らはコーヒーを飲むことが世界の平和につながるという信念でビジネスをやっているのですよ。そこまで行かなきゃビジネスじゃありません。

「奪うのではなく、与えること」
いまの日本人の心性・心持はとても小さくなってしまった。みんな与えることをしないで、少ないパイから分捕ることばかり考えるようになっている。死亡老人の遺族による年金分捕りも然り。そしていま流行の中国頼みの姿勢も基本は同じで、みんな中国から分捕ることしか考えていないようだ。
でもこれは絶対にうまく行かない。中国人もしたたかだし、それよりもなによりも互いに与え合うことのなかで共に享受することを志向していかない限り、物事はぜったいにうまく行かない。いつか破綻する。だから単に中国からいかに分捕るかばかりを考えている現在のビジネスの多くはやがてうまく行かなくなるだろう。

「古いものや大きくなりすぎたものがやがて停滞して壊れるのはいい」
それは当然だから。問題は新しいものが生まれてこないこと。誰も正しいリスクをとらず新しいことにも挑戦しようとしないことのほうがはるかに損失なのです。

そして最後にSさんはこうおっしゃった。
「よしむねさん、ある程度の年齢になれば、どれだけ人に与えてきたといえるかでその人の価値は決まりますよ。いままでよしむねさんのおかげで育ててもらいましたといえる人をどれだけ持っているか、です。与えることが結果として相手から与えられることにつながるのです」
これにはぼくも答える術がなかった。グーの音もなかった。まったくおっしゃる通りだし、はたと自分の来し方を考えたときに、いままでぼくはどれだけの人になにかを与えることができただろうかと思ったからだ。「よしむねさんのおかげで育ちました」なんて言ってくださる殊勝な方がいるだろうか? だいいちぼくに与えられるものがあるだろうか?

疑問だ。だけどまだ遅くないか? これからぼくはもっと与えることを学んでいかなければならない、というよりもとにかく与えること、応援すること、そう強く思った。与えよ、さすれば与えられん、たとえ与えられなくても。

よしむね

夏の家紋主義者

まさむねさんの「家紋主義宣言」についていろいろ咀嚼させていただきながら、ぼくなりにいろんな角度で考えさせて(バージョンアップさせて)もらっている昨今である。この週末プールに行ったのだが、そのプールサイドで山下達郎のベストを聴きながら、特に「夏への扉」を聞いていて思ったこと。これは家紋主義者の詞ではないか! との想い。
「夏への扉」はロバート・A・ハインラインの作品で、ぼくの学生時代に仲間たちはみんな読んでいたし、ご存知のとおりSF作品のなかでファン投票をすると必ずトップに近いランキングを得る、あまりにも有名な、有名すぎるというような作品だ。ここには未来、過去、タイム・トラベルなど、メジャーすぎるような動線や伏線、フィギュアやキッチュが沢山ある。

曲の「夏への扉」は同名の小説のモチーフをそのまま踏襲した、作詞吉田美奈子、作曲山下達郎の作品。リリースされたのは1980年。ぼく個人の好みだけど「夏への扉」は山下達郎の曲のなかでベスト3に入れたくなる好きな曲のひとつだ。青い空をバックにこの曲を聴いていると、ほんとうにこれは夏の家紋主義ではないのかなあと思ってしまう。「夏の家紋主義」とはまさむねさんに断りなくぼくが勝手に仮称したもの。以下にその歌詞の一部を引用する。

ひとつでも信じてる
事さえあれば
扉はきっと見つかるさ
もしか君今すぐに
連れて行けなくても
涙を流す事はない
僕は未来を創り出してる
過去へと向かいさかのぼる
そしてピートと連れ立って
君を迎えに戻るだろう

特に「僕は未来を創り出してる過去へと向かいさかのぼる」という歌詞。そして扉はたとえば家紋。ぼくらは過去へさかのぼることで、たぶんなにかと連れ立って現在に戻ってくるのだ。
夏の小道、せみの声、それぞれにとっての家紋、紋様。本当はそれはどのようなものであってもいい。その手がかり、物語の原型のようなもの、の一つ一つ。それらを携えてぼくらは過去から続いてきた道を知る(辿りなおす)ことができるのだ。
夏の、家紋主義。ふとそんなことを思った。
もうすぐ8月15日がまたやって来る。これもひとつの家紋、家の門にちがいない。

よしむね