5月に「ももいろクローバーのことばかり考えている」という記事を投稿してからも、相変わらずももいろクローバーZのことばかり考えています。
ももいろクローバーZは幾多の困難を乗り越えて目覚しい成長を遂げました。
百田夏菜子(赤)は声とまなざしにますます説得力を増し、玉井詩織(黄)はぐんぐん大きくうるわしくなり、佐々木彩夏(ピンク)はプロとしてたのもしくなり、有安杏果(緑)は歌声にソウル(魂)が宿り、高城れに(紫)は予測不能になりました。
2011年のももいろクローバーZの活動はドキュメンタリーのまとめられるべきだと思いますよ。
10年後ぐらいにドキュメンタリーで振り返りたいです。もっとも10年後のももいろクローバーZを想像するのは怖いですが‥‥。
2011年3月11日、大地震、大津波、そして福島の原子力発電所の事故のあと、東北・関東の広い範囲にわたって計画停電が実施されました。
そのころ、1年以上前に発売されたももいろクローバーのシングル曲『未来へススメ!』がYoutubeで「ヤシマ作戦応援ソング」というタイトルをつけられて多くの人に何度も聞かれる事態が起こりました。「ヤシマ作戦」とはアニメ「新世紀エヴァンゲリオン」に由来する、ネットの住人たちによる、節電協力を呼びかける運動です。
星屑の輝きで暗い闇照らして行ける
迷わずに進めばいい 風を切り 光の矢を放て!
どんなどんな困難でも
きっときっと立ち向かえる
一人じゃ挫けそうでも助け合えば大丈夫!
(未来へススメ!)
「未来へススメ!」は、もとの歌の趣旨から少々ずれて、今では復興応援ソングにしか聞こえません。
4月10日の早見あかりがグループから脱退した重要なコンサート「中野サンプラザ大会 ももクロ春の一大事 ~眩しさの中に君がいた~」では、「 強いニッポン、未来へススメ!」と書かれたフラッグが掲げられました。
そしてその日、グループ名に「Z」がつきました。
グループ名称が変わったのだから、たぶんグループの意味(目的)だってちょっと変わったんだと思います。
5月14日、ももクロは急遽被災地である仙台でフリーライブを敢行しました。
そこで初披露された『Z伝説~終わりなき革命~』で、ももいろクローバーZの「使命」がとうとう公にされました。
わたしたち泣いている人に何ができるだろう
それは力いっぱい歌って踊ること
よっしゃやんぜー!
われらはアイドル! 週末ヒロインももクロ!!
こぶしに握れ! 涙ぶちのめすぜ
(Z伝説~終わりなき革命~)
歌でみんなを笑顔にすること、悲しみと戦うこと、幸福にすること、つまり日本を救うことがももいろクローバーZの使命なのです。この少女たちはヒロイン(戦士)なのです。
戦隊ヒーローのパロディでふざけている風? 笑ってもらうことも重要な使命です。
彼女たちは本気でみんなの笑顔のために戦っています。それはもう必死です。7月3日 ZeppTokyoでの1日で3部公演、合計6時間を全力で歌い踊りまくった壮絶な姿を見るとそう思わずにはいられません。
参考:山里亮太が語るももクロZeppTokyo 7/3ドキュメント
8月27日に発売されたファーストアルバム『バトルアンドロマンス』の最後に収められたボーナストラック『ももクロのニッポン万歳!』で、日本中をジェット機で飛び回るぜ!と彼女たちは宣言します。その歌の中で彼女たちが最後に赴くのは東北です。

(僕は10月に「ももクロのニッポン万歳!」の東北パートの歌詞をゼッケンに書いて、流山ロードレース大会に参加しました。)
日本ヤバイです。ももクロちゃんなんとかしてください!
ももクロはそんな大役をひょいとひょいとひょひょいと引き受けてくれて、夏、秋、冬と、本当に日本中を飛び回りました。
そして歌のメッセージ、体力を使い切る全力のライブ、テレビやラジオなどのメディアでのはつらつとした言動、そして日々成長する姿を見せることによって、僕たちを感動させ勇気付けてくれました。
2011年11月23日に、ももいろクローバーZの新しいシングルCD『労働讃歌』が発売されました。
労働のプライドを今こそ歌おうぜ!
全員で叫べば勝てるかもしれないぜ!
(労働讃歌)
ももクロは宣言します。これから歌うのは「労働」の歌であり、そして戦いなのです。
今や運命は 我らにかかった
上の連中は サッサと逃げちまった
(労働讃歌)
僕は福島原発で冷温停止目指して今なお戦い続けている労働者たちに思いを馳せました。まさに今日本の運命は彼らにかかっています。彼らの過酷な戦いはあの日からまだ続いているのです。
宇宙弾丸列車 作るくらい大仕事、
地球片隅で目立たない戦い
勝ち目はあるのかって?見くびられてんじゃないの?
やることやるだけさ 労働For You
(労働讃歌)
震災以後、僕たちは生き方、考え方を見つめ直さずにはいられません。
今僕たちにできることは何だろう。
まずは目の前の自分の仕事を、家族や恋人や友人のために日々全うすることなのではないでしょうか。こつこつと。
働くと
働くと
君に会う時うれしいし
働くと
働くと
君の笑顔が見れるし
「労働For You」。それが「強い日本」を「未来へススメ」る方法かもしれません。
そしてももクロも働きます。ヒロインの仕事を全うします。
働こう
働こう
ビッカビカに輝け!
働こう
働こう
必ず 誰かが 助かってくれてる
それがプライド
労働For You あ~は~ん
『労働讃歌』は彼女たちが自分の使命を歌った歌でもあるのです。
僕たちは少女たちにたいへんな重荷を背負わせてしまいました。
せめて、彼女たちが自分のプライドを実感し、今の活動が彼女たち自身の糧になることを願ってやみません。
労働の喜びを今こそ歌おうぜ!
全員で叫べば見えるかも知れないぜ!
プライドとハートでガッツリ労働For You & Myself
じつに
関連エントリー:2011.05.11 ももいろクローバーのことばかり考えている
夜の部に行ったので、演目は以下の4つ。
ぼくは歌舞伎の専門家ではまったくないが、当時の江戸の人たちは、ぼくらが今3Dで「アバター」を観たり、スターウォーズを観るような感じで歌舞伎を観ていたのではないか、つまりそこにその時代の先端や先行きを感じたり未来を予感したりして、いわば宇宙ものを見るように歌舞伎の舞台を観ていたのではないかと勝手に思っている。歌舞伎役者は今でいえばマイケル・ジャクソンであり、マドンナのようなものであり、おそらく芸能を通じて先端世界と交信してくれるような役割を担っていたのかもしれないな。
そして今歌舞伎を観ていてぼくがあらためて羨ましいと感じるのは、伝統という生きた無形に支えられている歌舞伎役者たちの立ち振る舞いのことだ。特に勘三郎や団十郎の踊りや舞いを観ていると、彼らが歌舞伎の伝統を信じて疑わず、いわば悠々とその海のなかを泳いでいこうとしているように思える。もちろんそこには多大の苦労があることは言うまでもないが。
これはぼくらのビジネス社会とは対照的だと思う。曲がり角に来つつあるとはいえ、未だぼくらの現代社会ではいかに他者に先んじるか、同じことをしないか、差異をすばやく生き抜くか、伝統や習慣のような形式化したものからジャンプできるか、「かつて」と切れているか、そうしたことがより問われ、そうしたことがビジネスチャンスと捉えられがちな社会だからだ。弱肉強食。だからなるべく振り返ったりしているわけには行かないし、たえず前方の新しいものばかりを見ようとするわけだ。蓄積にならない社会、フローの社会。
これも少し時間が立ってしまっているのだけれど、大晦日に松田聖子のカウントダウン・コンサートに出かけた。今回で3回目、3年連続である。よくもまぁもの好きということかもしれないが、毎年のことながら会場には結構アラフォーならぬアラフィフ世代も多く男性ファンも相当数見受けられるのだ。おそらく根強い固定ファンがいて、毎年来ているのだと思う。そういえばぼくが通っている理髪店のマスターも松田聖子のファンで、カウントダウンにはぜひ行ってみたいと言ってたっけ。
松田聖子がアイドル全盛の花盛りだったのは、言わずと知れた80年代だ。アイドルという観点からみて70年代後半が山口百恵の時代だったとすれば、80年代前半は松田聖子の時代。山口百恵や中森明菜にくらべて、その家庭環境や出自をふくめて彼女の特徴はより普通っぽい=普通の女の子に近かったことだろう。なによりも松田聖子は蒲池法子という女の子が歌手になった、のである。
思えば、彼女の歌は80年代当時から、か弱い男に対して、それをしずかに激励(?)しつつ、お互いの関係はけっして進展せず、成就しないという間柄を歌ったものが多かった。そして結局は、お互いにひとりであること。「渚のバルコニーで待ってて。・・・ひとりで来てね。・・・」こうした歌詞で歌われた世界は、その後の80年代の風潮(おたく文化やさびしい個の時代等々)をどこか先取りするものだったと思う。それには作詞家松本隆の功績もあっただろうが。
松田聖子は今年デビュー30周年だという。「みんな元気?」とカウントダウンの会場で、彼女がステージ上から呼びかける。そして男も女もみんな自分の来し方行き方を投影しながら一緒に彼女の歌を歌うのだ、多分ね。
23日の天皇誕生日に、天皇陛下はご感想を発表された。






