たしかにガラパゴス化した国で皆が子泣き爺になっているようだ

まさむねさんが「デフレを受け止めきれない僕らの近未来イメージの不在」で書いているように「事業仕分けの流れでも明らかなように、これまでの日本はあまりにも公共的なバラマキ予算で食べてきた人が多すぎたということなのである。そして、その結果としての900兆円の借金なのである。社会の役に立つ仕事をしていたと思っていた多くの”善意の人”が、実は政府に食べさせてもらっていただけの”子泣き爺”(=お荷物)だったということが白日の下にバレてしまったのだ。」という感想にはぼくもまったく同感だ。

昨今の報道のサマを見ていると、国民の側も報道する側も、税金を取られるほうも取るほうも皆が皆でまとまって、国全体がもう病的なまでにお金の取り合いのことを考えるしかないような袋小路に追い詰められているようにみえてならない。清貧の思想が良いとは思わないが、どこかに、凛として、節度あり、いわゆる自分の分をわきまえ、ほどほどを知る、という引き算の姿勢があってもいいような気がするし(この主題についてはいつかまとまってまさむねさんと一緒に考察してみたいところだ)、一方もっと大きな視点で、つねにどこかに全体最適から考えていくような発想が抜け落ちていると、必ず瑣末な論議の積み重ねで、どこにも出口のない堂々巡りに落ちてゆくことになりかねないとも思えるからだ。

そもそも事業仕分けの前半戦をわりと好意的に報道していたTV局の姿勢も、後半のいわゆる科学技術の事業仕分けに入ってきた段階で、その報道姿勢をやや批判的なトーンに変えだしてきている。ムダの一掃とばかりに、いわゆる科学のような「現在」の役に立たないものを「ムダの視点」だけで切っていいのか、将来の発展のためにはムダもまた必要なのではないかという論調だ。
だが、民放に代表されるTV局自体がいわゆる長年の電波行政の規制の御蔭で競争にさらされることもなく格段に高いサラリーを享受できてきた業界であり、まさにそれこそ事業仕分けの対象にふさわしい存在だろう。さすがに昨今は景気低迷の影響もあり広告収入の大幅な落ち込みと番組の質と視聴率の低下、ネット広告の脅威などで安閑としてはいられなくなってきているようだが。

ここで問題にしたいのは、その報道の仕方に首尾一貫したものがなく、場当たり的なことなのだ。もちろん何が正しいかは確かに誰にも分からないが、たとえば事業仕分けについていうなら、とにもかくにも、そのテーマにかかわりなく聖域なく皆の前で議論する機会になっていることは以前の政治風土よりは良しとするような一貫した評価の姿勢があってもいいし、その逆に批判し続ける姿勢があってもいい。要は、マスコミ自体にはもうまったく主体性がなく、その時々でいいといってみたり、悪いといってみたりする傾向があまりにも強すぎるのだ。近年はその傾向に拍車がかかってきているように思えてならない。
皆が子泣き爺になっているこの国で、たぶんいまもっとも必要なのは、全体をデザインする力=構想力=グランド・デザイン力なのだと、ぼくは個人的に勝手に思っている。それを愚直に発信していくような場こそが必要だと思う。なぜ日本でiPhoneが作れなかったのか。iPhoneを構成している電子部品のほとんどは日本製だったのに、というあまりにも有名な命題・疑問。その答えもまたあまりにもしばしば言われすぎていて、今更繰り返してもしょうがないかもしれないが、日本にはそれを作りあげる構想力を持った人がいなかった、アップルのスティーブ・ジョブスがいなかった、というのがその一番の答えだということに尽きるだろう。

科学技術の事業仕分けに遭遇して、大学の総長たちが集まって危機感の表明会見を行おうと、ノーベル賞の学者先生があつまって反対意見を述べようと、そこに欠けているのは、ではあなたたちは大学教育をどう考えているのか、どうありたいのですか、技術立国というなら、あなた方はそのあるべき姿についてどうデザインしているのか、まずそれを大上段に愚直に常日頃から発信してほしいということだ。その一環で予算削減について批判的に述べるのならそれはそれでいい。だが、ぼくらの目に映るのは、まずもって「これ以上削られたらもう大変なんだ、大変なんだ、競争できなくなるんだ」という大合唱の光景のようにしかみえない。これで生活している研究者たちの暮らしをなんとか支えてほしいという願いが透けてみえるようで悲しい。科学する心の大切さを漫然と話されても心には響かないのだ。
そもそもの何の疑いもないかのように、日本を技術立国と呼ぶこと自体があやしいものだとぼくは思っている。技術立国と呼んでいるその根拠について話せる人がどれだけいるのだろうか、なにをもって技術立国と定義しているのか。ハイテクの先端である半導体や液晶ディスプレイ産業を例にとるなら、製造業としての日本はもう上位の座を韓国、台湾のメーカーに奪われており競争力を失って久しい。携帯電話然り、PC産業然りである。かろうじてその川上に位置する部品産業はまだ競争優位を保っているようだが、需要の盛衰という意味では完全に新興国であるBRICs頼みの構図となっている。

ニホン人の多くが日本でしか通用しない規制に守られて、日本というガラパゴス島のなかで独自の進化を遂げ、独自になんとか生きてきたが、今、それが壊れつつあり、多かれ少なかれみんなが子泣き爺と化して既得権益にしがみつこうとしているのだ(悲しいかな、ぼくもその一部に含まれているのだろう。)
かつて幕末の志士たちにはなによりも次の時代をどうしようかという構想力があったと思う。それがいいか悪いか、正しいか正しくないかは別にして。デザイン力だけはみずみずしいまでに溢れていたと思うのだ。今の日本にはそれがない、というのはとてもさびしい。ものづくり、よりは、むしろデザイン力の復権こそ、とぼくは言いたい。

よしむね

大江戸温泉の無国籍化でブレードランナーのことなどを思いながらわしも考えた

最近、骨折快癒後の腰痛リハビリを兼ねて大江戸温泉に通っている。大江戸温泉が果たして本当の温泉なのか、なぜ大江戸温泉通いなのかにはとくに深い意味はない。比較的家から近いという利便性と手ごろさというのが選んだ理由の一番だ。それに湯による癒しは確かに腰痛には良いようだ。因みに僕の住まいは大田区だが、京浜地区にも近いエリアでいわゆる城南地区ということになる。

さて通いつめて常々思うのは、コンスタントに来ている外人客の存在だ。ここがどれほど日本在住の外人に知れ渡っているのか僕は知らないが、築地市場ほどとは言わないが、案外隠れ人気スポットだったりして! 来訪してくる外人の多様性もそれなりに面白い。会話から聞き取れるかぎりでも、いわゆるイングリッシュやアジア系(中国、台湾、韓国)に限らず、ドイツ語、フランス語、スペイン語、ロシア語等々と思しきことばたちが結構渦巻いていたりするのだ。団体でやってくる客も結構いる。それだけ無国籍化しているわけだ。
この外人客の多さをグローバル化や経済の多様性と結びつけることもできようが、それよりも異邦人からみて大江戸温泉の持つコンセプトの分かり易さが一番の理由かもしれないな。温泉といういかにも日本的な「場」、しかもそこに江戸の持つ見世物屋的な雰囲気(因みにここでの浴衣は江戸時代の浮世絵を図案にした柄もの)が多少味付け演出されていること。そこにリトル・ジャパンのなにかの面影でも感じているのかどうか・・・・。造られているものは、どれも折衷的・ガラクタ的な模造建築でおよそ時代考証的にはいい加減な感じはするのだが。だがここではこれ以上大江戸温泉自体への考察は行わないつもり。
ぼくにとってむしろ興味惹かれるのは、大江戸温泉がいわゆる湾岸エリアの只中にある、という事実だ。江戸時代には存在しなかった海の上の埋め立て地に「大江戸」が存在するという皮肉、構図。

この湾岸というエリアは、特に90年代以降のパースペクティブのなかでは世界的に流行となった湾岸再開発のながれもあり、ほんとうは世紀末をまたいで輝かしい未来都市の何かにつながるはずだった。ウィリアム・ギブスンのSF「ニューロマンサー」のチバ・シティに代表されるような電脳空間のさきがけ、先端都市のイメージ。それをいま代表しているのはかろうじて世界のアキバかもしれないが。
だが結果として今ぼくらの目に映っている湾岸地帯とは、意味のない更地のうえに立つ空虚な記号としてのなにかの施設というビル建物だけとも言える。そこに大江戸温泉も位置しているのだ。たしかに未来にやってきて、ハコ(箱)だけが残ったのだ。

また無国籍化というと、ぼくも大好きなかつてのSF映画「ブレードランナー」(原作はフリップ・K・ディックの「アンドロイドは電気羊の夢をみるか?」)で描かれている未来都市のなかの屋台風景に通じるようなアジア的な混沌、猥雑なエネルギーみたいなものを想像したくなるが、お台場に代表されるのはそのような混沌とはおよそ対極にあるものだろう。むしろ無機的で人工的でそれがかもし出すどこか醒めた感じの匂いや距離感といったほうがより正確だろう。今では上海のガイタン地区に代表されるような中国沿岸部の成長性のほうが余程未来に通じる湾岸のイメージに近いであろうし、悲しいかなその意味で日本は国力の衰退をたどる以外に道はないともいえるかもしれないけど・・・・。

でも世の中に絶対というものはないし、かつてこうあれと思ったものが、そうなるとは限らない。今、若者を中心に、工場地帯を遊覧船で回る夜景クルーズツアーが流行っているという。工場地帯の持つ無機性に惹かれる若者が多いらしい。世代が違っても、ぼくもかれらの心情に通じるものは共有している。湾岸や工場がかもし出す廃墟を美しいと感じる心性たち、その群れ。それがまぎれもない今だとするなら、それが所詮かりそめの空虚な箱に過ぎないとしても、そこから出発するしかない、それを受け止めてゆくしかない、と思う。「未来の都市」なんてどこにも存在しないからだ。

よしむね

MJは後半生において宇宙からの使者、伝道師ETのようなものになったのではないか

マイケル・ジャクソンとは何者だったのか。

先週の日曜日に、彼が亡くなる直前までロンドン公演向けのリハーサルに打ち込んでいたときの収録ビデオを編集した映画「This Is It」を観た。この映画を見る限り、彼がその直後に死ぬ人とはとても思えないし(とても死期の近い病人のようには見えなかった)、死の直後に言われていたような公演のリハをほとんど行っていなかったという真らしきデマが嘘だったこともよく分かる。リハーサルの様子を観るかぎり、かなり完成形に近づいていたと思うし、公演への思いも本気だったと理解できるのだ。だとすれば、死因はやはり担当主治医の処方ミスということになるのだろうか。それは分からないが、ここではMJの死因について語ることが目的ではない。それはたぶん永遠の謎かもしれない。

MJと僕は生まれ年が同じ1958年、つまり51歳のタメ年(マドンナも同じはず)。だけど不思議に同世代という意識はあまりなかった。同時代の音楽という捉え方も希薄だった。どんなにひいき目にみてもせいぜいスリラーを引っさげて登場した80年代の前半までで(スリラーを当時深夜のMTVで観たときはたしかに衝撃だった! 難しい話ではなく、ストレートに面白かった! だってゾンビたちが踊るのだから、とってもダンサブルにね!!)、そこまでは同時代としての歩行が揃っていたと仮に言ってみるとしても、そこから先の、かれの容姿の変化(黒から白へのいわゆる白化現象の加速)とともに、その音楽や彼への興味を失っていったことはまぎれもない事実で、90年代半ば以降はむしろまったく興味の対象から外れていたといって良いと思うのだ、僕にとっては。白人の色にこだわりすぎる彼にむしろ違和感を覚えるほうが強かったくらいだ。

今回「This Is It」を観て、改めてMJの晩年の容貌について思うのだが、今更ながらなんと年齢不詳であることかということ! とても50歳の人には見えないよね。確かに芸能人やエンターティナーを職業としている人たちが年齢不詳、アンチ・エイジングで、いわゆる普通の人の年域を超えて若く見えるのは当然だとしても、彼の場合は単にそれだけではなく筋金入りで、元々その根っこの思想としても年を取ることを拒んでいたように思えるのだ。どこか中性的な感じ、なにか少年合唱団の面影をひきずり(ジャクソン5)、合唱団を卒業した後も去勢したように声変わりせずに高音域の声を残したまま、華奢で未成熟な肢体のイメージを醸し、白でも黒でもない人種の枠を超えて、少年、児童、玩具、遊園地が大好きで・・・・・等々。スクリーンの彼はますます人間離れしていて、なにか手足の長い宇宙人のように見えたものだ。MJはその後半生において宇宙からの使者、伝道師ETのようなものになったのかもしれない。

それはさておくとしても彼が「ポップの王」と形容されていることに僕は興味はない。音楽的に本当にそういえるのかも知らない。死んで伝説化され、新たに命名されることはよくあることだ。ただ音楽にしろなにかのカルチャーにしろ、アンダーグラウンドの活動にしろ、それがなにかのムーブメントとつながっていると時代に共有(錯覚)された(所詮幻想だったにせよ!)のはやはり80年代前半までだったのではないかと僕は思う。その意味でポップミュージックという意味でなら、彼のスリラーを収録したアルバムはまだ音楽がなにか時代の鏡であるかのように信じ込ますことができた棹尾を飾るアルバムだったといえるのかもしれない。事実このアルバムの売上(アルバム・セールス)は未だに世界一らしいが。

それ以後はもうどんなムーブメントにもカルチャーにも音楽にも新しさはなく、もう時代を代表するようななにかとしてではなく、どこか既視感のなかに入ってゆきすべてが等質で、均一で、いっぽうズレがズレのまま、でもどこにも矯正できるものはなく、ただただ崩壊の過程に向かって、音楽も経済も文化も文学もユニバースそのものがすべり始めていったように思う(日本経済でいえば85年の円高プラザ合意以後、バブルを経て、その崩壊とそれ以後の崩壊つづき)。

そういうなかでMJの音楽ももともと深まることはなく、表層を表層のまま奏でていった。その後半に至って、ヒーリング(癒し)、地球環境へのメッセージや愛、WE ARE THE WORLDのボランタリーなどの色彩を強めて移動してゆくかのように見えても、それらは深さによったものではないし、なにか年輪の智慧によって生まれたものでもないし、どこまでも単に彼の嗜好、オタクの一環としてくらいの意味しかないだろうと思う、本当のところは。時代が下降してゆくなかにあっては音楽的には僕はむしろマドンナの方が戦略的にしたたかな感じがする。先ごろWOWOWで見たブエノスアイレスでの2008年のマドンナのツアーはよかった。ギター片手に歌うマドンナがいい。草原のなかの兵士みたいで、ジャンヌ・ダルクのようでもあり、フィジカルで、シンプルで、身体的で、・・・・、等々。

なにか意味のないことを長々と書いてきたような気がするが、ぼくがMJの曲でやっぱり一番好きなのはスリラーだな。ゾンビから髑髏からなにからなにまで墓から抜け出してみんな踊りだせ、踊るがいい! そんな気がする。MJの音楽がどうであれ、これからも世界中の若者がいつかあるときある場所で汚い格好と醜い姿をしながら(あるいはそんな格好をしなくても)あの奇妙な奇天烈なスリラーを路上で何処かのストリートで踊り続けることだけは確かだと思う。あなたが歌った曲でその後に生まれた子供たちが踊るのだ。マイケル・ジャクソンよ、永遠なれ! 合掌。

よしむね