カテゴリー別アーカイブ: 書評

「キュレーションの時代」を読む

著者の佐々木俊尚氏は過去に「電子書籍の衝撃」(ディスカヴァー携書)や「グーグル」(文春新書)などでも時代の先端を読み解く作業をされてきたが、本書「キュレーションの時代」(ちくま新書)ではそうした一連の流れをうけてこれからの未来社会へ向けたより突っ込んだご自身の考えを披瀝しているようにも思う。一個一個の時代の先端の読み解きも面白いが、ここでは筋立てて細かには紹介しない。ぜひご一読いただければ。

ぼくが一番興味深かったのは、これからは「もの」から「こと」へ着実に転換がなされてゆくということを述べられていた箇所。なぜアップルのiPhoneが受け入れられたか、それは「こと」をムーブメントとして提示できたからという論拠がかつて「電子書籍の衝撃」のときにもなされていたように記憶しているが、本著でもその主旨は変わらない。まったく同感。「もの」にこだわりつづけて、iPhoneを生み出せなかった日本メーカーには辛い話だ。

同様に利休の茶が優れているのは徹底的に「こと」=行いをめぐる場の共有にあったからというような論旨。これもまったく同感だ。茶とは主客が協働で作り出すものであって、どちらかが主役、一方的な提供者ということはありえないと思う。
いずれにせよ、モノさえよければいいと思って、いつまでもモノづくりの視点だけにこだわっている日本企業の先は衰退が待っているしかない。今回の震災以後の風潮は明らかに戦後の高度成長から低成長をへて今にいたる日本の単一的なモノづくり謳歌の時代が終わりを迎えつつあることを示唆している。

もう「モノ」から「コト」への動きは確実に生まれてきていると思う。若い人たちのボランティア活動然り。やはり単なる「モノ」と「カネ」を越えて「コト起こし」へ向かわなければ大きな変革には結びつかないだろう。
それから最近のSNSであれ、ツイッターであれ、フェイスブックであれ、それが優れているのは、なにかの占有ではなく、視座の提供にあるというような視点も大変興味深いとおもう。車座といってもいい。ぼくも最近ツイッターを遅ればせながら始めているが、やはり面白い。

情報の水平展開とヒエラルキーの崩壊のなかで、たしかに正しいかどうかなどの情報自体の信憑性の危うさはあるにしても、起点において誰でもが同じ地平でかつ横展開で情報を発信・受信できるという公平性がいい。なによりもそこからの座の広がりの可能性。
その意味でもはやプロもアマもない、というよりも特権的な立ち位置での情報のプロフェッショナリティーは死んだのだと思う。もともとそれは虚飾の像にすぎなかったともいえるが(いわゆる朝日新聞、岩波文化に代表される知的エスタブリッシュメント)。

フランスの思想家フーコーではないが、人は外(部)の力とかかわってゆくことで変化してゆく生き物であり、その意味でも上記のようなムーブメントをむしろ積極的に見てゆきたいというのが今のぼくの考え方、スタンスでもある。
最後に本書のタイトルであるキュレーションとは何か。それは「ひととひとのつながり」を作る、そのリレーションシップの共有以外のなにものでもないと思う。
興味のある方にはぜひ一読をお奨めしたい一書である。

よしむね

ハルキ・ムラカミは偉大な作家か

以前のまさむねさんのエントリー記事「ノルウェイの森、小説と映画におけるテーマの違い」(2011年1月2日)のコメント欄で以下のような僕自身のムラカミ・ハルキ脱落体験について記した。

ぼくの村上春樹体験は「ノルウェイの森」の登場で終わりました。それ以前にはマイナー・ポエットの同時代作家として好きでずっとリアルタイムで読んでいたのです。「風の歌を聴け」もぼくは群像の本誌で読んでました。「ノルウェイの森」はたしか100%の恋愛小説という本人直伝のキャッチコピーで当時売り出されてましたよね。読後感はこれで村上さんもメジャーな作家になったと思いました。それと同時に、これからはもうあまり読まないだろうと思いました。実際その通りになってしまいましたが。

僕個人のムラカミ・ハルキ体験はあくまでも個人的なものである。その脱落体験に果たしてどれほどの意味があるか、そこに普遍的な何かがあるかは分からないが、図らずもまさむねさんも同じような体験を持たれていたということが分かった(偶然にも!)ので、自分なりに過去の体験について少し思い返してみたい。

ノルウェイの森で終わっているので、ぼくの村上春樹像も上記に要約した通りで、今もそこから一歩も抜け出ていないとも言える。その意味ではなんら深化しているわけではない。ハルキ・ムラカミはぼくにとっては依然としてマイナー・ポエットの作家であり、それ以上でも以下でもなく、ある時代・ある雰囲気の中でもっとも時代の風のようなものを代弁してくれていた作家であった、ということに尽きる。

その時代とは特に80年代前半からバブル期の全盛前夜辺りまでとなる。「ノルウェイの森」が出版されたのは1987年で、「風の歌を聴け」が1979年に群像に掲載されたので、この間ほぼ10年近く、ぼくはずっと村上春樹の小説をリアルタイムで読んでいた。
なぜ好きだったか? それは他の多くの作家が多かれ少なかれ自身の体験の重さや亀裂、あるいはその多寡によってどこか物語るような風潮がまだ残っていた中にあって(その代表が戦後の体験を小説にするような作家先生たちであった)、遅れてきた青年であるぼくらにとって、時代が透かして見せている何もないことの空虚さをそのまま代弁してくれていたからだったのではないかと思う。しかもストーリーテラーとしてはどこか未熟さが残り、どこか未完成の物語のにおいがして、そこが好きだったとも言える。
ぼくが高校生になったとき、すでに学生運動は終わっており、いわば宴の後だった。因みにぼくの出身高校はその当時某地方都市で最も学生運動が盛んな高校といわれていた高校だった。でもぼくが入学したとき、そんな運動は跡形もなく終わっており、それ以後もなにか社会全体の動きに巻き込まれていくような運動はいっさい起こらなかった。そういう時代である。

村上春樹さんはより正確にいえば、僕よりも上の、いわゆる全共闘や団塊の世代といわれる世代に属する。けれど、都市生活における消費することへのノスタルジーみたいなものや、全体として中流化・希薄化が進むなかでの空虚感のようなもの、そうしたオブラートのように纏わりついてくる些少なものへの目配せみたいなものをふくめて、村上さんの小説が持っている断片性がぼくを捉えていたのではないかと思う。その意味では村上春樹さんは徹頭徹尾、ぼくにとってはマイナーな作家であったのだ。
だが、「ノルウェイの森」の登場で、それは終わった。ぼくが変わったのか。村上春樹さんが変わったのか。どちらとも言えるし、どちらでもないかもしれない。ただ一つ言えるのは、ノルウェイの森はいかにも小説らしい小説の体裁になったということだ。大向こうの読者がたぶんより強く意識されるようになったとも言えるだろう。そして結末がどうあれ、小説は完成された物語の衣装に近づいたし、村上さん自身の小説家としての力量も成熟化したのだろう。
けれど、そのことによって僕にとっては村上さんの小説がリアルなものではなくなったのだ。なによりも物語になりきれないその不全さを愛していたのだから、たぶん。「羊をめぐる冒険」も「世界の終わりとハードボイルド・ワンダーランド」も然りだった。
またそれ以降の時代の流れということもおそらくあるだろう。やがて90年代を迎えてバブルがはじけ、現実がリアルに折り重なってくるなかで、その後僕自身も、仕事のことや自らの結婚や、人の死などにも直面し、いやおうなく自身のリアルに向き合わざるを得なくなったという現実的な理由もあるかもしれない。そうした中で僕個人の関心が完成された物語のようなもの、散文的なものから離れていったという嗜好の変化もあるだろう。

でも何も現実だけがリアルではないし、人はリアルさを感じるかぎりは付き合い続けるものだと思う。そういう意味でなら、ぼくにとっての90年代のリアルは、ハルキ・ムラカミの小説ではなく、「その男、凶暴につき」(89年)に始まり、「あの夏、いちばん静かな海」(91年)と「ソナチネ」(93年)を通って「菊次郎の夏」(99年)に至るまでの北野武の映画だったとも言える。
ぼくにとっての「ノルウェイの森」以降の村上春樹さんに対する雑駁な印象は、題材としてオウム真理教や阪神大震災や地下鉄サリン事件の擬似のようなものを選ぼうと、あるいは精神分析への興味・コミットのような形をとろうとも、彼の小説が醸し出すどこか書割的な事件性や物語性のイメージ臭に興味を失い(勝手な思いこみかもしれないが)、もう真に読みたい作家ではなくなったのだ。それは今日まで続いており、ぼくは「ねじまき鳥」も「海辺のカフカ」も「1Q84」も読んでいない。もちろんこの間にハルキ・ムラカミさんは世界的な作家になってゆくのだが。

最後に、先のコメントで、ぼくは村上さんの小説には本当の意味で他者性がないかもしれないとも書いた。同じキャラクターの分身の物語ではないか、とも。じゃ、ぼくが感じる他者性のある小説とは何か。それはたとえば島尾敏雄さんが書いた「死の棘」という小説だ。ずっと昔に読んだのでもう細かいあらすじはすっかり忘れてしまっているけど、要は浮気をした主人公のおかげで気が変になってしまった(なりかかった)奥さんと、それにとことん付きあい付き添ってゆくしかない男の話。しまいには主人公の男も気が変になりかかるような、ふたりがふたりで病んでゆくような、どちらが快癒してゆくか分からないような、そんな決して切り分けることのできない現実のなかで生き延びてゆく日々を書き続けたもの。その不分明さ。そういうものこそ実は本当の他者性ではないかと最近のぼくは思っている。

それに比べて村上さんの小説の登場人物たちはある種のスタイルとモードを守り、けっしてそこからはみ出すことがないようにも見える。でもこういうすべてのことは個人的な感想だ。冒頭に戻り繰り返しますが、僕個人のムラカミ・ハルキ体験はあくまでも個人的なものである。その脱落体験に果たしてどれほどの意味があるか、そこに普遍的な何かがあるかは分からない。当たり前だけど、人それぞれであり、人それぞれのハルキ・ムラカミさんがいるのだ。世界中に、今も。

よしむね

関連エントリー
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当たり前にリア充するために、・・・

神谷さんの「ゴールドマン・サックス研究」を読んで、前回に続いての感想。神谷さんの指摘にぼくもまったく同感なのだが、たとえば以下のような結論。

① ゼロ金利を続けても意味がない。そこで余ったお金はただ国債やその他債権などの買いに使われているだけで、資金を必要としている民間に回っているのではない(これはいまの世界の金融市場でも同様)
② 長い間のゼロ金利施策によって民間からの収奪(民間貯蓄からの所得移転)が起こっただけ。そのお金の使い道の大半は上記の通りで、あとは銀行等の不良債権処理に使われただけ
③ その結果といえばこの20年間で日本のGDPは470兆円でほとんど変わらず、ただ借金が増えただけ、GDPの2倍の借金になり、元との比較では3倍になった、等々。

じゃどうするかといえば、まず当たり前のところに戻すしかないと思う。適正な金利に戻すこと。その過程でいろんな取捨選択が起こり、振り落としが起こるかもしれない。でもそれは仕方がないと思う。
いま問題なのは一億総助け合い・相互互助的になって共倒れしそうで誰も先頭に行きたがらずリスクもとりたがらず、無責任にみんなで負債の先送りをし続けているとしか思えないことだ。多少リスクをとってでも投資をしたい人はそれを行い、利率を上回るリターンを目指すように頑張る風土にすることは必要だろう。それが健全だと思う。だから例えばただ利息が低いからというような理由で家を買うというのは本来間違っているはず。買える人が買えばいいのだ。そこに冷たいルールがあるとしてもそれは自己責任だから仕方ないだろう。
民主党に多少なりとも期待したことがあったとしたら、そういう当たり前のことに転換する道筋をつけてくれるかもしれない、との思いがぼくなりにあったからだ。でもどうやらそれは徒な期待に終わりそうだ。民主党も所詮は人気取り優先でかつて来た道の按分(富もないのに再配分をやろうということ)をただひた走ろうとしているようだ。
いまがどういう時代で、これからどうなるのかは分からないが、まさむねさんがエントリー記事で言っているように各個人がリア充を図ってゆく時代になるのかもしれない。以下その抜粋。
「例えば、今の若者の間には、「リア充」という言葉がある。それはリアル社会で充実している人々という意味らしいのだが、その充実の要素には決して、出世や物欲などは含まれてはいないという。それよりも、友達と楽しく時を過ごすセンスの方が大事だというのだ。もしそれが、次の時代の日本社会の価値観だとするならば、それはそれで、決して住みにくい世の中ではないのではないか。」

ぼくもそう思う。だが、そういう若者たちが当たり前に暮らせるようにするためにも、せめて負債(借金)の世代間押し付けだけは止めておかないといけないだろう。自分たちが使いたいだけ使って贅沢して、後の借金は君たちが払えというのはあまりにも虫が良すぎると思うからだ。これはわれわれみんなへの自戒。当たり前に貧しくなっていく(お金を切り詰めてゆく)ことに慣れてゆくことも大事だろう、楽しいことは楽しみながら、だ。

よしむね

あらためてマスコミの報道劣化を思うこの頃

神谷秀樹さんの「ゴールドマン・サックス研究」(文春新書)を読んだ。著者は元ゴールドマン・サックス証券の社員でその後独立して会社経営を行っている方で、その他の著書では「強欲資本主義 ウォール街の自爆」(文春新書)、「強欲資本主義を超えて 17歳からのルネサンス」(ディスカバー携書)などの本もある。いずれも底流で共通している認識は、いわゆるリーマン・ショックに至る一連の金融危機は実業が必要とする以上にお金が溢れてしまった状況(過剰流動性)のなかで、やがてお金がお金のための増殖に向かった結果起こるべくして起こった事件=危機であり、その後なんら本質的な解決がなされないまま次の崩壊に向かっているという苦い認識だと思う。
これは比較的つい最近まで金融に身を置いていたぼく(今はそういう意味では実業に移ったが)も同じくする考え方だ。いわば金融業界が壮大な詐欺まがいのことを行っていたのだが、胴元の張本人たちはその責任をとらず(小粒のリーマンが潰れたりはしたが)、国がいまなお膨大な借金の肩代わりを行い、さらに言えばそのツケを各国の国民が負わされてしまっているという構図。広い意味でギリシャ危機もそうした連鎖の一つだと思う。
そのような結果としてたとえば神谷さんの目に映るアメリカの現状は次のようなものだ。以下本文から抜粋する。

「自動車産業の中心だったデトロイト市では人口が200万人から80万人に激減した。・・一軒家の平均価格が1万5000ドル。それでも買い手が現れない。カリフォルニア州の市には、自前の警察を維持できなくなり、これを廃止し、手数料を支払って隣の市の警察に警察業を請け負ってもらうところも出てきた。ハワイ州ではとうとう学校を週4日制にしなければならないという(最近ぼくは夏休みで行ってきたばかりだ!)。私が住むニュージャージー州でも、校長と教頭と二人居るところは一人にするという発表があった。ごみの収集日も減った。・・・」

これは神谷さんの目に映っている日常茶飯のアメリカの実情だろう。だがこうした実情をめぐる報道は今の日本のメインのニュース番組ではおそらく決して流されることはない。一時住む家を追われてテント暮らしをしているアメリカ人たちの様子をTVで流していた時期もあったが、今はまったく報道されなくなったといっていいだろう。何も終わったわけではないのだが。
ここにはアメリカからの報道当局への無言?の圧力規制やスポンサーの意向などもあるかもしれない。あまりネガティブ報道をしてくれるなといったような・・・。それよりも、喉元を過ぎれば熱さを忘れるで、もう次の成長ネタを探すことに新聞もテレビも興味の主力が移っているように見える。
やれ中国や新興国の需要を取り込め、次の市場と成長に遅れるな、日本が遅れつつあって取り残されてきている、それもこれも構造改革をしないからだ、なんだかんだ、etc.・・・・。特に日経新聞の論調などによると資本市場は一貫して正しく、それに乗り遅れているのは日本がいわゆる古い体質を払拭できず、構造改革を行っていないからだということになるのだろう。
だが、はたしてそうなのだろうか。それよりも論調以前の対応として、上記のような金融に翻弄された結果として当たり前の辛く厳しい生活の実態や事実をまず継続的に報道することからすべては始まるのではないか。そうした事実の提供を受けてそのあとどう考えるかは各自の自由だ。
そのような先ずもって手つかずの報道を行わないとしたら、どこに時事を担うマスコミの本分があるのだろう。いまのマスコミはなにか非常に見えにくい形で上手に統制がとれているようだ。まるで戦時中の大政翼賛会のよう。報道しないということにかけてはどの新聞社もテレビ局も同じように見える。あるいはその逆もある。小沢一郎を叩く時の姿勢などはどれも一様だ。
ぼくが高校生の時にベトナム戦争が収束したのだけど、あの当時のマスコミにはもっと各社各様の報道姿勢の違いがあったように記憶している。政府寄りであろうとなかろうと、いろんな見方の提示があったと思うのだ。なによりも直接現場に行って見て報道しようという姿勢がまだ強く残っていたと思う。
だけど特に湾岸戦争からいわゆる9.11以後、イラク、アフガニスタン紛争にしても肝心のことはまったく報道されなくなったように思う。ニュースソースがCNNやブルームバーグやロイターなどのお抱え通信社?に限られて、どこも独自ルートでの聴取がなくなり、結果「同じ報道」になっているように見えて仕方がない。少なくとも日本が劣化しているというなら、同じようにいやそれ以上に報道とマスコミが劣化しているのだと思う。
TVの番組といえば吉本の芸人を使ったお笑い番組が席巻するかあまり予算のかからない旅番組や料理番組ばかり。新聞記事もいつも同じ市場と成長と構造改革のテーマのくりかえしだ。しかも自由でなければならないマスコミのはずが、まさむねさんも以前指摘していたことだけど、既得権益に守られている自分たちのことはその歪みや問題点としては決して取り上げることはない。だいいちTV局と新聞社が未だに同じ資本系列でつながっているなんてマスコミ本来の役割である中立の視点からいってもあってはならないことだろう。
加えてマスコミの姿勢は起こったことについては過去のこととしてそれ以上考えさせまいとし、たえず目先のこれからばかりに話題をすり替えてゆくだけのように見える。鮮度が大事。それと一斉に同じテーマでの報道という意味では、最近では地球温暖化であり生物多様性ということになる。これも不思議でしょうがない。みんな実際に見て事実の検証をしたわけでもないだろうになぜ同じ報道のテーマになるのだろう。陰謀論は好きではないが、なにか陰でそれを煽りたがる一つの意思が働いているとしか思えない。
現代がますます差別化しにくく金太郎飴的になっているのだとしたら、マスコミもその例外ではない。もっと加速しているとも言える。少なくとも今のマスコミ(TV局や新聞社)はオピニオンを形づくるだけの品位も知性もすでに喪失しているのだと思う。
さらに言えばまさむねさんも以前のエントリー記事で書いていたことだけど、その国の政治とはけっきょく民度以上のものにはならないということにも通じるのかもしれない。けっきょくそういうマスコミになってしまっているのはぼくらの民度がそうさせてしまっているということでもあるのだろうか。とても残念なことだと思う。

よしむね

夏の家紋主義者

まさむねさんの「家紋主義宣言」についていろいろ咀嚼させていただきながら、ぼくなりにいろんな角度で考えさせて(バージョンアップさせて)もらっている昨今である。この週末プールに行ったのだが、そのプールサイドで山下達郎のベストを聴きながら、特に「夏への扉」を聞いていて思ったこと。これは家紋主義者の詞ではないか! との想い。
「夏への扉」はロバート・A・ハインラインの作品で、ぼくの学生時代に仲間たちはみんな読んでいたし、ご存知のとおりSF作品のなかでファン投票をすると必ずトップに近いランキングを得る、あまりにも有名な、有名すぎるというような作品だ。ここには未来、過去、タイム・トラベルなど、メジャーすぎるような動線や伏線、フィギュアやキッチュが沢山ある。

曲の「夏への扉」は同名の小説のモチーフをそのまま踏襲した、作詞吉田美奈子、作曲山下達郎の作品。リリースされたのは1980年。ぼく個人の好みだけど「夏への扉」は山下達郎の曲のなかでベスト3に入れたくなる好きな曲のひとつだ。青い空をバックにこの曲を聴いていると、ほんとうにこれは夏の家紋主義ではないのかなあと思ってしまう。「夏の家紋主義」とはまさむねさんに断りなくぼくが勝手に仮称したもの。以下にその歌詞の一部を引用する。

ひとつでも信じてる
事さえあれば
扉はきっと見つかるさ
もしか君今すぐに
連れて行けなくても
涙を流す事はない
僕は未来を創り出してる
過去へと向かいさかのぼる
そしてピートと連れ立って
君を迎えに戻るだろう

特に「僕は未来を創り出してる過去へと向かいさかのぼる」という歌詞。そして扉はたとえば家紋。ぼくらは過去へさかのぼることで、たぶんなにかと連れ立って現在に戻ってくるのだ。
夏の小道、せみの声、それぞれにとっての家紋、紋様。本当はそれはどのようなものであってもいい。その手がかり、物語の原型のようなもの、の一つ一つ。それらを携えてぼくらは過去から続いてきた道を知る(辿りなおす)ことができるのだ。
夏の、家紋主義。ふとそんなことを思った。
もうすぐ8月15日がまたやって来る。これもひとつの家紋、家の門にちがいない。

よしむね

まさむねさんの「家紋主義宣言」に思う、ぼくらは後ろ向きに未来に入る

たしかフランスの詩人ポール・ヴァレリーだったと思うが、「後ろ向きに未来に入る」という詩句があるそうだ。まさむねさんの「家紋主義宣言」がこの度めでたく発刊となったが、送っていただいた御本を拝読して、まさに上記ヴァレリーの言をまず思い出した。
やっぱりぼくら人間はゴーギャンの絵のタイトルじゃないけど「われわれは何者か、どこから来て、どこへ行くのか」を知りたがる生き物だ。そしていま過剰なまでに日本人が未来へ向かっての視線(眼差し)に晒されて痛めつけられているのだと思う。それは日本の将来性や未来のなさへ通じるような喪失感の予感でもあるだろう。グラウンド・ゼロの時代。
だが、未来ばかりを想い描こうとしても、未来からの視点だけでは多分たいしたアイディアは出てこないだろう、それよりもわれわれはどういう性(サガ)の人たちだったのか、何をしてきたのか、その来歴(後ろ向きに)を知ることがいまこそ必要なのかもしれない。
龍馬ブームにしろ、墓マイラー、歴女の興隆、アシュラーのブームにせよ、いわゆる「日本」が冠につく本の出版ラッシュにせよ、未来へ!未来へ!という視線の投げかけに疲れ、むしろ足元へ至る過去の道からもう一度見つめなおそうというある種の先祖がえりとけっして無縁な風潮ではないと思う。
そして今回「家紋主義宣言」を読んで、あらためてわれわれ日本人とは何者だったのかを強く感じさせられる契機ともなった気がする。家紋に託されたさまざまな物語、その紡ぎの数々。そこに何よりもまさむねさんの個人史も投影されている。
そして改めて確認させてもらったことは、家紋にまつわる意外なおおらかさや自由さということ。家紋が持つ広がりとは、かならずしも厳密な物語の公証性に基づくような類によるのではなく、あくまでもそこに自由な個人の思いがいつも許容されるスペースのようなものとして広がっているのだという事実。
それから家紋の種類の多さ、そのアイコン(イコン)としての面白さと秀逸さ。この家紋をめぐる象形性のひとつをとっても、以前ぼくも「デザイン立国・日本の自叙伝」の架空談義として書かせていただいたこととも相通じると思うのだが、日本人のデザイン感覚力(構想力)のDNAはやはりすごい!と思うのだ。そうしたことも本書を読んで気づかされたことだ。
ぼくは家紋主義宣言を読む前に、以下のような勝手な予感メールをまさむねさんに送らせてもらったことがある。それを原文のままここに引用してみる。

「日本人がいま自分のルーツ探しをしようとする時にあるいは{われわれはどこから来たのか}を知ろうとするときに家紋というのは有力なツールのひとつになりえるように思われます。
何でもありの時代だからこそ何も手がかりのない時代でもあるわけでそこに物語性としての家紋の意義があるようにも思われます。おっしゃられるように見えない制度としての抑圧性については注意しないといけないと思いますが。」

「みんな物語がすでに死滅したことは了解していてもやっぱり想像力としての任意の物語性は求めているように思います。それとやはり身体性ということの関連でも妙に家紋の象形チックな紋様がマッチするようにも感じます。」

この思いは本書を読んだ後のいまも変わらない。というよりも21世紀を迎えて、あらためてますます家紋の潮流が新しい、と言えるように思うのだ。ぼくもまさむねさんとは古い付き合いで、途中の音信途絶の時期もいれてもうかれこれ20数年になる。
昨年から骨折を機縁に(?)一本気新聞にも合流させてもらってこうして書かせていただいているわけだけど、年齢の近しい同時代人として、このような書物が同世代のひとりの書き手によって出現したことを誇りに思うし、もっと多くの人の目に触れてほしいと思う。
本の帯にもあるようにこの本は21世紀に出版が予定されていたもっとも危険な書物の一冊かもしれない。読まれていない方があったら、ぼくが言うのもなんですが、ぜひ読んでいただきたいと思います。そしてまず自分と自分の家の歴史(先祖の人たちのことも)についてしばし想いを馳せてみてください。そこからはじめてみましょう。
因みにぼくの家紋は「細輪に中柏」の柏紋である。まさむねさん曰く、ぼくの先祖はアート感覚にあふれたおしゃれな方だったのかもしれませんね、とのご診断。それからぼくの家(先祖)の出は姓から推察しても京都あたりだったのでしょう、ということ。ただし、実際のお墓に彫られた家紋は間違っているのだが。この間実家に帰ってそれを確かめてきた。まあ、いずれにしてもこれも家紋にまつわるおおらかな物語のひとつかもしれない。
最後に、まさむねさんの「家紋主義宣言」の一節でぼくがもっとも好きな語句は次のことばだ。

「今ならば、まだ、僕らの「帰り道」はかろうじてそこに在るに違いないのである。」

文字通り、最終章、結びのことば。ひとの帰り道。それはそのままこれから行く道でもある。もう日が暮れて、道は遠くなってきていても(お家がだんだん遠くなる)、まだ帰り道があると信じたい。
まさむねさん、出版おめでとう!

よしむね

宮沢賢治さん、ぼくらもサラリーマンとして複数的に生きるのです

宮沢賢治が晩年を営業サラリーマンとして生きたことは意外に知られていないのではないか。「宮沢賢治 あるサラリーマンの生と死」(佐藤竜一著、集英社新書)はそのサラリーマン時代に比較的照準を合わせて書かれた本だ。

宮沢賢治についてはこれまで農業学校の教師や自ら農民となって活動したりという、いわゆる聖人ぽい紹介が多くなされてきたように思うが、晩年のサラリーマンとしての賢治像を読むと、長くモラトリアム青年であることをひきずり理想と現実の違いに悩み、病弱で転職を繰り返すような、どちらかというと現代の若者像とも交差する等身大の像に触れるようで共感を覚えた。

いま賢治が生きていたら、間違いなくブログやツイッターにはまっていたかもしれない。それにiPhoneやiPADにも。宮沢賢治はどこまでも未完成で、探し続ける実業の人という一面があったのだと思う。今でこそ詩人・童話作家として有名だが、存命中はもちろん無名に近く、生涯において原稿料は一度だけしか手にしたことがなかったという。

ぼくがサラリーマンとしての宮沢賢治に興味を感じるのは、もちろん自分が現にサラリーマンを生業としているということもあるし、世の多くの人がその生涯の大半を過ごす形態である以上避けて通ることのできない関心事であることにもよるが、それよりも複数の生としてのあり方に関する示唆のようなものを賢治の生き方に感じるからというのが一番の理由かもしれない。

回りくどい言い方かもしれないが、ぼくらは今後ますます多数的に生きてゆくほかないように思う。ネットの普及によってプロとアマの垣根が曖昧になりつつあるとはよく言われる。誰でもが自分が書いた小説や記事のたぐいをネットで公開することが可能になった。極端にいえばプロの新聞社に伍して個人でも新聞記事を書き、毎日配信することができる。
いっぽうプロとアマの間には依然として深い溝があり、いわゆるプロとアマの作家の違いには歴然としたものがある、という議論も成り立つだろう。ここでどちらが正しいというのではない。ただひとつ言えるのは、これからはプロとアマの間のグレーな部分がますます大きくなり、従来の既得権益に乗ったようなただの権威づけではもはやプロの定義にはなりえなくなるだろうということだ。もっといえば従来の境界を越えて、自由に行き来できるような感性のあり方こそがますます必要になると思われる。境界(クロスオーバー)の動きに鈍感なひとは多分何にせよもはやプロにはなりえなくなるだろう。

宮沢賢治の詩や童話がいまでも新鮮だとしたら、それはサラリーマンのような視点をけっして否定せずにむしろそこから書かれているからだとも言えると思う。なにかを特権視しないこと。書くことが偉いわけでも絶対でもないし、食べること、生活すること、楽しむこと、書くことを同じ視線で並べること。みんないろんなキャラクターに基づく複数の生を生きているのだ。
あるときは童話作家であり、詩人であり、法華経の信者であり、サラリーマンであり、広告マンであり、農業の実践者であるような生。そうした複数性こそが宮沢賢治の新しさであり、今も未来的な詩人に見える理由ではないかとおもう。

よしむね

「経済成長という病」を読む。経済にも春夏秋冬があっていいよね。

 平川克美さんという現役の社長さんが書かれた本で講談社現代新書の一冊。この方はたしかフランス文学者の内田樹さんの小学校時代からのご友人だそう。内田さんとは共著で本を書かれているらしいが、ぼくは初めてこの方の本を読んだ。
 途中やや抽象的すぎるような箇所もあるにはあるが、中味はきわめて至極当然のことで、われわれは、経済というものは、ほんとうに成長し続けなければならないのかへのアンチテーゼが伏流のようにながれて一貫している。人の一生には、少年期、青年期、壮年期、老年期があるのに、なぜ経済状態にはそうしたステージがあまり想定されないのか、いつも不思議に思っていた。経済にも春夏秋冬があっていいはず。その意味でも本書の示唆する内容は僕にはとても共感できた。

こうしたことが現場の第一線のビジネスマンから直接語られていることでより説得力が増している。というよりもビジネスの最前線で働いている人にこそ、こういう風に語ってほしかったと思う、そんな本のひとつだ。
その中で平川さんは2000年の夏から秋にかけてのいわゆるITバブル時代のさなかに、バブルの先棒を担いでいたご自身の過去の行いについても自戒をこめた形で回顧している。ちょうどその頃、ぼくも金融業界に移ったばかりで投資銀行の末端に近いところにもいたので、あのころの気分や周りの酔いしれ方、新興IT企業を巻き込んだ業界の浮沈のことが今もまざまざと思い出されるような気がする。あれから10年が過ぎた。
平川さんの筆先は、いろいろとうねりながら蛇行しながらも、経済成長という幻想・神話の終焉(剥離)を明らかにしていこうとする。それがエッセイとも論文とも異なる文の彩で語られてゆくわけだが、そのクロスオーバー的なところが本書の魅力のひとつともなっているし、同時にそれが好き嫌いの分かれ目にもなるかもしれない。

だが中味についてはもうこれくらいの紹介にとどめて、後は興味のある方にはぜひご一読をお勧めしたい。最後に、なるほどそうだなぁと頷せていただいた一説の幾つかを書き留めて終わりにしたい。

◎多くの人間は、未来を思い描いていると思っているが、実はただ自分が知っている過去をなぞっているだけなのではないか

◎出生率が低下し、人口が減少してゆく社会の未来は、必ずしも暗いものではなく、むしろ人口適正社会というべき状態を作り出し、人口増加社会が持っていた多くの問題を解決する

◎老いは退行であり、忌むべきものである。ゼロ成長モデルはうまくいかない。そう思うのは、老いもゼロ成長もまだ経験したことのない、未来だからである

 いつの時代でも希望や可能性が最小限必要だとするなら、成長一辺倒という軸とは異なる可能性こそがこれからの未来において考えられていかなければならないように思う。世阿弥の花伝書ではないが、老いには老いにふさわしい舞いがあるはずだ。その時分、その時々の舞いを踊ることができればそれでよしとする潔さをせめて持っていたいと思うが、どうだろうか。

よしむね

三者三様による「三斜・三冊子」「オーガニック革命」「2011年新聞・テレビ消滅」「未来のための江戸学」

最近たまたま読んだ三冊について、以下にその感想を書きます。いずれも「これから」を考える上でのヒントのひとつになるような本かな、と。その意味で三者三様、いずれもマイナーではありますが、ひとりひとりの傾斜角での視点に基づく、「三斜・三様」の本たちだと思います。あえてここで強引に内容を共通化して言ってみると、従来の「持てるもの」の時代が終わりを迎え、これからはいかに持たないで生きてゆくか、その工夫が鍵になる、ということでしょうか。

「オーガニック革命」(集英社新書、 高城剛)」

高城さんの主張は一貫している。まずここで言うオーガニックとは、単に有機農業などへの食品嗜好を意味するのではなく、もっと広く「個人の意識のあり方や態度から発信される行動様式」と定義。そして市場万能主義と金融グローバリゼーションが崩れたいわゆるリーマンショック以後を見据えて、効率化モデル・アメリカ的価値観の終わりの後に来るものとして、オーガニックのムーブメントを位置づけている。それを自身が住んでいたロンドンの先駆事例に基づきながら紹介している。

「次」に向けて、ロンドンが、世界がもう変わり始めている、と。そして、このオーガニックには「行き過ぎた資本主義へのアンチテーゼがある」のだ、と。以下、面白そうな論点。
・これからは、働く場所(第一の土地)、住む家(第二の土地)以外の第三の土地をいかに発見するか、である
・できるだけモノを持たないのが21世紀的発想になる
・都市システムを解体することが、21世紀的な行為になるのではないか、等々
またこれは高城さんが以前から書いていることとも符合していると思われるが、「フラット化する世界」(トーマス・フリードマン著)に留まらず、これからはますます世界がリキッド化(液状化)に向かうとして、その中で自らより強く「ハイパー・ノマド(遊牧民」として生きてゆくことを宣言してもいる。高城さんの視点は、先の著書「サバイバル時代の海外旅行術」(光文社新書)にも代表されるように、変化が激しく見通しにくいこの時代を漂流してゆきつついかにサバイブしてゆくかに主眼があるともいえるだろう。

「2011年新聞・テレビ消滅」(文春新書、佐々木俊尚)」

 タイトルからはややショッキングに思えるかもしれないが、佐々木さんの主張も決して大げさなものではなく、ある必然をもって新聞とテレビという既存メディアがこれから確実に衰退に向かうことを描写してゆく。その基調にあるのは、従来前提とされていたマスメディアが明確に終焉を迎えつつある、というある意味でオーソドックスな時代認識だ。

 そして、メディアの流れ(流通)を、コンテンツ・コンテナ・コンベヤという三層モデルで考えた場合、従来のメディアは垂直統合でこの三層を押さえていたのだが、ネットビジネスの登場等でそのモデルが完全に崩れつつあり、次の時代の覇者は、コンテナなどのプラットホームを握るものにこそ優位権があるという考え方。
そのような近未来的なプラットホーム争いのなかで、キンドルのアマゾンやユーチューブ、グーグル、アップル、リクルートなどの新興企業の登場と戦略が併行して語られてゆくのだが、上記の考え方もふくめてベースとなるものは古典的な見方にそったものだ。

これはしばしば言われたことだが、過去の歴史において最終的に石油の利権を制したのは、石油の採掘権を握った者たちではなく、その石油を輸送する手段(その当時は鉄道)を握ったロックフェラーたちだったという事実。つまりいくら石油が取れても、運ぶことができなければ石油もただの水以下だということ。
大事なのは昔も今も運ぶ手段網(流通経路の根幹となるネットワーク)にあるのだ、ということ。佐々木さんの考えもある意味でそのような考え方を忠実に踏襲しているといえるだろう。そして2011年に行われる完全地デジ化と情報通信法の施行が、日本の新聞社とテレビ局に対して従来の権益モデルをつき崩す決定的なトリガー(引き金)になると見ているのだ。

「未来のための江戸学」(小学館101新書、 田中優子)」

 著名な江戸学者によって、時事風の主題をまじえながら、江戸時代からこの今を考えるということ、現代が江戸の優れていた点とどんな風に交差することが可能かを未来の視点から考えようとしている、と言ったらよいだろうか。

 ぼくは日本の歴史に明るくなく大した知識など持っているとは言えないのだが、このような著書を読むと、過去の歴史というものを今の視点で括ってしまってなんとなく分かった気になっていることが往々にしてありはしないか、反省させられるような気がする。本当の歴史とは今ぼくらが聞いて知っていたものとはおよそまったく異なるかたちだったのではないかというようなことだ。

以下に、田中さんのフィルターを通した指摘の幾つかを示してみる。江戸時代とはどんな時代だったのか。
・江戸時代の職人たちは、100年や200年ももつ道具や建築物や紙や布を作ることを誇りにしていた
・江戸時代の商人倫理は過剰な利ざやを稼がないことが、信用を得ることだった
・江戸時代の森林伐採の禁止は、環境保全と経済成長を両立させようなどというむしのいい発想ではなく、むしろ「すたり」(無駄)をなくすことによって、健全なサイクルを作り、誰もが貧困状態にならないよう世の中を経営するという考え方に基づいていた
・江戸時代には、「始末」という考え方があり、これは始まりと終わりをきちんとして循環が滞らないようにすることだった
・江戸時代の「経済」という言葉は、国土を経営し、物産を開発し、都内を富豊にし、万民を済救するという意味であった
・安藤広重の「名所江戸百景」によると、江戸という都市が単に活気に満ちた騒がしいところなのではなく、静かでゆったりして、実にのびのびとした空間であったことがありありとわかる
・縄文時代後期から始まって江戸時代中期に完成した水の管理システムは、本来は至るところ急流になっている日本の川を制御して、降った雨が大地のすみずみまで滲みこんで潤しながら、むしろゆっくり流れるようにすることだった

これなどは正にダム建設中心で推移してきた日本の治水システムを見直そうとしている昨今の民主党の施策のずっと先を行っていたようなものとも言えるだろう。また江戸のゆったり感というのも、当時今のような高い建物などがなく、いろんな場所から富士山を見ることができたことを想うと、江戸が水の都市と呼ばれ、かつ視界がひろびろとしていたことが当たり前のようにまざまざと想像できるように思える。さらによく言われる鎖国というものが実は後で作られた言葉に過ぎず、鎖国によって国を閉ざしていたわけではなく、今でいうグローバル化のなかで選択された施策であったことなども田中さんの論点によって明らかにされてゆく。そして「分」をわきまえ、配慮と節度で対応していた江戸時代の人たちの心構えのようなもの、人との関係としての「框」の構造の意味、等々。

別に江戸時代の昔に返ればよいということではないし、古の昔が良かったというわけではない。ただ未だに成長神話に頼らずには生きていけないような、一本調子の基調のみを求めたがる現在の風潮に対して、江戸時代が持っていた「循環(めぐること)」の価値観に基づく考え方には、どこか一筋縄では行かない奥行きの深さを感じずにはいられないし、今を生きるヒントの一つとなり得る示唆に満ちているようにも思えるのだ。

いずれにしても、戦略ということを含めて、何を持ち、何を持たないか、その取捨がこれからとても大事になるように思える、そういうことを示唆してくれた三冊だった。

よしむね

「世界カワイイ革命」と日本ブームについて思う

櫻井孝昌さんの「世界カワイイ革命」(PHP新書)を読んだ。この本を読むと、「KAWAII」という日本語がもう普遍語・世界標準語になっていて、生き方を代表するものとして新しい意味を担っていることが改めてよく分かる。「カワイくなりたい。カワイく生きたい。女の子の気持ちは世界いっしょだと思います。」(文中言)。そして世界中の女の子がどれだけ日本に恋しているかが詳らかにされてゆく。こうした現状をふまえての櫻井さんの要旨は明快であり、日本はこれだけ愛されているのに多くの日本人はまだ鈍感のままで大きなビジネスチャンスにつながるものを失くしていないかということである。日本にはそのためのアイコンが沢山あるのにそれを生かしきれていないということ。ぼくもこの意見に賛成だ。

以前のブログでも書いたことだが、日本人はそもそも他人に評価されることに素直に喜べないような性格の偏屈な傾きがあるようだ。というよりも、実は他者の視線を本当に感じようとしているのだろうかと疑問に思えることがある。他者の視線を感じるためには自分にもかなり自覚的になる必要があるからだ。
つまり自分がよく見えていなければならないし、自分がよく見えていることと他人がよく見えることは表裏一体だと思うのだ。しかし日本人に世界における自分という考えかたが馴染みやすいものかどうか。この問いかけに日本人のぼくらはちゃんと答えることは難しい。そもそも政治的・地理的にも長くアメリカの傘の下で暮らしてきたために、ぼくらは意志的に先導的に世界での役割について発信してゆくことに慣れていないし、日本人は世界という舞台で自分がいまどこにいて、何をしなければならないのかを問いかけることがとても苦手だと思う。

一例を挙げるなら、韓国の企業で三星電子だったと思うが、世界のある市場に製品を売る前に、ある人材を送り込んで一年間まったく自由に過ごさせることで現地に溶け込ませ、その国の文化に始まり何から何まですべてを吸収させて、その現地にあった市場戦略(販売戦略)を考えさせるという研修員プランがあるという。ここまで時間をかけて相手の国のことを研究することを日本企業(=人)はやっているだろうか。そこまで相手のことを見ようとしているとは思えない。

それよりも日本人が往々にしてとりがちな行動として、危機に陥ったときの被害者意識に基づくようないわゆるカミカゼ特攻隊に代表される、なりふり構わず自虐的に振舞うことであったりするわけだ。冷静に相手を見ながら戦略を立てることがとても不得手の国民性に思える。ほんとうに冷静に考えようとするなら、戦闘機一機が軍艦に衝突を重ねていくことは精神に基づいた行為に似てはいても、戦時指揮下における正しく汎用的な軍事行動とは言えないだろう。つまりしばしば言われることだが、日本には戦術あって、戦略なし、ということがいまも多かれ少なかれ続いていると思えるのだ。

日本のある半導体メーカがとても優れたカスタムIC製品を作ったとしよう。過剰スペックすぎて誰も必要としないのだが、上記メーカの人は機能的に最高のものであり、売れないはずがないと考える。機能さえよければ売れて当然だと考えるのだが、結局は世界市場で圧倒的に売れる製品にはならない。世界市場でスタンダードになるためには、機能以外にも、価格の値ごろ感や使い勝手の良さだったり、そのときの力関係だったり、その他様々な要因があるからだ。 
全体のバランスをトータルな視点から考える戦略が必要だからだ。日本の製造業やハイテク企業の多くは近年大きい意味でこの戦略(構想デザイン力)のなさのために失敗を重ねてきている。そうしたなかで戦意喪失し始めているのがいまの日本を取り巻く状況だと考えるのはとてもさびしいことだけれど。

戦後、焼け野原だけが残ったといわれる(もちろん戦後生まれのぼくはその焼け野原を知らない)。バブル崩壊後現在(=いま)に連綿と続く原風景も多くの日本人にとってどこか焼け野原に近いイメージを抱かせるものなのかもしれない。頼るもののない、荒れた土地。瓦礫の街。そうしたなかで、世界中の女の子だけが能動的な生き方として「カワイくなりたい。カワイく生きたい」と願いそれを実践している。人はそれを安易にロリータファッションとのみ定義づけ括ろうとして安心しようとしたりするのかもしれないが。でもこの女の子たちの感性パワーは今を生きることをめぐる結構ほんものの呼び声や価値観に近いなにかなのかもしれないとぼくは思う。
だからこそぼくら(=日本人)は愛するだけではなく、他者から愛されていることにもっと素直に自覚的になって良いのではないかとも思う。繰り返しになるが、自分のことが見えていない人は他人のことも見えないからだ。他人と自分はしょせん一緒、鏡の表裏なのである。

世界(他人)をよく見ること。その評価をふくめてとりあえずいまなにが起きているかを見極めようとすること。世界のニーズとシーズを探ること。この当たり前の原則。ビジネスの基本。せっかくのチャンスなのだから、今回の日本ブームもこの当たり前の原則から、戦略的に行動することがいま何よりも日本の継続的な国益(富)として必要なのだと思う。王道はないからだ。いずれこの日本ブームも廃れていくだろうから、そうであればなお更、この原則に何度も立ちかえることが必要なのではないだろうか。

よしむね