誕生日には水を!

この間、誕生日だった日に、たまたま新聞の記事の見出しが目に入った。

「CD生産額 09年16%減」
「マンション発売09年 17年ぶり4万戸割れ」
「VC投資 1000億円割れの公算 09年度、新規上場の減少で」
「百貨店閉鎖 最悪に迫る」
 
いずれも我が日本国でのこと。これは09年度の話とはいえ、世の中がどんどん衰退している、その縮み速度ばかりが目立つような記事。どれもこれも日本全体が明らかな減衰モードに入っているんだというような。まるで日本という大人がどんどん逆戻りして赤子の時代に戻っていくような錯覚、ちょうと昨年上映された映画「ベンジャミン・バトン 数奇な人生」(原作はF・スコット・フィッツジェラルド)のようだ。
たしかに去年の落ち込み方はすごかった。特に一月とか二月とか。それでも新橋でお酒を飲む人たちは結構いたが。やけのやんぱちだったのかな。そういえば、あの頃あまりの受注額の少なさに、この世の終わりだと思ったと呟いていた人がいたっけ。
 ぼくもそれなりに年齢をくってきたので、お蔭様で悪かった時期はいろいろ経験させてもらった。90年、91年、97年、98年とか2001年とかたしか2003年とかもひどかったよなぁ、とか。
 それで、今年はどうなるか? 奈落はもうないか。まだ崖の残りがあるのか。喉元は過ぎたのだろうか。なにもたしかではないが。世の中は、ひとつのバブルを終えて、また別のバブルを探して動き始めているようにも見える。とにかくバブルがなければ経済は成り立たない。そして、これからはやれ中国だ、もうG20だ、ドルの崩落だ、商品市場だ・・・・等々。
 だが、覆水は返らないだろう。中途半端な期待や考えはいっさい止めること、か。
それをはっきり自覚すること。何かが始まるとしても、それは多分かつての姿のままではありえないだろう、おそらく今後、永遠に?

だから自分の誕生日にはせめて新しい水を、まず飲もう。

よしむね

日本はやはり変わりたくない人たちが大勢いる社会ということなのだろうな

民主党政権の施策について不満に思うことは、大きく以下の3点だ。たぶん一般的によく言われていることとかなり重なると思うのだけど。

①八方美人すぎて、結局なにをしたいのかよく分からないということ

②やや後ろ(下位、下から)目線が強すぎること

これは社会でわりと経済的には弱者に近いカテゴリーにあるような方々への配分を厚くしすぎているキライがあるように思えること。コンクリートから人へ、人に優しい施策ということかもしれないが、表現が悪いけど、貧乏人の子沢山の喩えではないが、子供手当てのような充実が今ほんとうに必要なのか。養育や教育費の問題は切実なのかもしれないが、長い目でみて本当はその人の始末と責任で育てているのに単に子供がいるというだけで上からお金をもらえるという安易さに居座ってしまうことにならないか。だいいちそんなに継続的に大判振る舞いできる余裕があるのだろうか。
やっぱり上への目線で、社会を引っ張っていく人たちや社会をうまく回転させる要因へのインセンティブをもっと効かせてゆく、その自律化をうながす施策の必要性があるのではないか。皆で並べば恐くないじゃないけど、でも本当に皆が下位に並んでしまったらどうしようもなくなるだろうと思うのだが。どうだろうか?

③やっていることがどうも一貫していないようにみえること

たとえばせっかく事業仕分けをしても、それがそのまま最終的に各省庁の予算削減で通ったわけではないらしいという事実。二重の結果。そうすると、われわれ第三者からみると、どこにほんとうの判断基準があったのか、最終の決定者が誰だったのか、事後まったく分からないことになってしまう。

閑話休題。それはそれとして、小沢一郎についてしつこいくらいの検察の捜査と報道が続いている。先週土曜日には小沢本人への事情聴取とその後の会見も行われている。結局その真偽は分からないし、小沢一郎に嘘がないといえるかも分からない。小沢一郎は正しくないかもしれない。しかし、この一連の捜査と報道のあり方は異常だと思う。
長く時の政権の中枢にあった自民党議員のほうが、政治献金の効果という視点からみても、たかが最近政権の座に着いた民主党議員よりもよほど多くを享受してきたのは普通に考えてもまったく当たり前のことではないかと思うのだ。この事件のかなめは標的として取り上げられるかどうかという恣意性以外の何ものでもないように思えてならない。小沢一郎よりも、だ。たとえば元首相の方々などもふくめて、大物はもっと沢山いるのではないか。そうした関連への捜査が行われている気配がなく報道もなされず、一方的に小沢捜査とそれをめぐる報道のみがあるという構図はどこか空恐ろしい。
現代日本では、けっきょく小沢一郎的なものが具現するものを、嫌いな人たちが大勢いるということなのだろう。彼らの思いとは何か。とにかく今までと変わらないこと、変わりたくない、ということ。既得権益にしがみついてきた人たちが、とにかく従来のやり方を変えようとしている小沢一郎に必死に抵抗しようとして追い討ちをかけているのかもしれない。そこには軍産一体化を背景にしたアメリカの意向などもあるかもしれない。
改革とか変革とかキレイごとをいっても、日本はやはり変わりたくない(=今のままでい)人たちが大勢いる社会だということなのだろうな。

よしむね

会社30年寿命説から考えてみる、まずもって上手に早めにリタイアできる社会にしないと、若者が仕事にありつけるデマンドバスは永遠に来ないのではないか

何かの本に書いてあったのだったか、誰が言っていたのかはわからないのだが、会社の寿命は大体30年くらいだと言われているのを聞いたことがある。会社30年ライフ・スパン説。ここでの30年とはいわゆる最盛期の時期という意味であろう。これは意外に正しい実像かなと思う。ある企業がほんとうにイキがいいのはどんなに長くてもせいぜい30年くらいがよいところだろうと思えるからだ。GMしかり、IBMしかり、マイクロソフト、アップルしかりではないか。

もちろん日本には100年企業は比較的たくさんあるし(たしか金剛組は飛鳥時代以前からだという。最近では経営破綻して高松建設に営業譲渡を行っているようだが)、絶頂期をすぎてもゾンビのようにダラダラと生き残っている企業も結構あることはあるけどね。ほんとうのしたたかな世界企業(ユダヤ金融財閥のような)はそれこそ東インド会社時代から連綿と続いていたりするわけだろうが、それは措くとして。
でもって、この30年の企業体で、これを支える年齢層といえば、理想的には、20代、30代、40代で構成されていることだろう。つまり働き盛りでフルに構成されていて、50代以上は取締役などの一部のマネジメントしかいないこと。上記3世代がフルに輪廻していき、30年一回りを回りきって会社の絶頂の寿命が尽きることが一応の理想形ではないか。こうであれば世代間格差も比較的少なく、その世代世代での良さを享受できてみんなそれなりにハッピーで終われるかもしれない。

ところが今の日本では、この年齢構成が、30代、40代、50代で限定構成されていて30年サイクルさえ回りきらずに終わっているのが実態ではないだろうか。従ってまずそこから年齢的に真っ先に弾き飛ばされているのが、いわゆる20代の若者たちだ。いつまでも彼らの多くがフリーターや派遣社員でいなければならない理由の一つと思われる。上の3世代もそれが分かっていても自分も苦しくてどこにも逃げ場がないので、そこから出ていこうとしない。この目詰まり・悪循環が続いているのが今の日本の硬直した労働市場ではないだろうか。
このあいだ年の初めということで、ある経済セミナーに参加したのだが、そこの大ホールにいた中堅以上の人たち(アラフィー世代?)、世にいう部長さん室長さん課長さんクラスのなんと多いこと! 結局新年早々こんな所に来ている彼らは暇人であり、ほんとうはやらなくても良い仕事に貼りついているだけで、彼らでなくてはできない仕事など実はもうなくなっているのかもしれない(かくいうぼくもその世代に属するのだが)。

でも仕方ないのだ。彼ら・ぼくらにはまだまだ住宅ローンも残っているし、学生の子供もいる、というわけで働かなければならない、まだ必死なのさ!ということになるのだろう。だから、しばしば言われるようにフリーターや派遣の問題とはいっぽうの若者にだけフォーカスした問題として取り上げてもあまり意味がないとぼくは思う。たしかに労働需要の広がり、長い目でみて就職の機会市場を作ることも大事であるが。
むしろ肝心なのは、若者の雇用と表裏一体となっている、いわゆる雇用の流動性を高めること、そのためには、具体的にいえば早く辞めるべき人(たとえば50代の人たち)が辞めやすい社会、早くリタイアしてもそれなりになんとか生きて行ける社会をいかにちゃんと作れるかにかかっていると思うし、その視点が抜け落ちては、いつまで立っても何も解決していかないかもしれない。特に人口も減少していく成熟社会になればなおさらのことだ。

大雑把に言えば、20代から働き始めたらほぼ30年経過して50代になった時点で、まずローン関連はほぼ誰でもが完遂できており多くのクビキから脱していること、後は中高年の多くがボランティアなどの社会参加などをしながらそれなりに自由に生きていけること、そういった多様な選択の下地ができている社会になっていることが理想だろう。
けれどそのためには日本は何よりもまだまだハウジング関連のコストが高すぎるし、ローンを返済したと思ったら、今度は中古マンションがただ同然の売却価値しかないと来ているわけだ(いつまでもフローだけの社会、ストックが効かない社会! その悪しきサイクルから抜け出せないのかな)。こうしたところから根本的にグランドデザインを書き直す必要があるだろうし、それを避けては通れないと思う。これからはいくら叫んでも有名無実の成長戦略に頼ることはできなくなるだろうから。

そういえば武家・貴族社会時代からの隠居という方法は後進に道を譲りやすくするという一面を持つ大人の知恵でもあったと思う。相撲社会では年寄りの制度もあったね。これらは畢竟広い意味でリタイアを含めての処世術だろう。やっぱり世の中を回していくという意味で社会システムをめぐる昔からの知恵は凄かったなと思う。先物取引にしても、今風のエコだってとうに江戸時代からやっていたわけだし。 
今の日本がほんとうに考えなければならないのはいかにリタイアしていくか、坂の上の雲ならぬ、いかに坂を下っていくかを上手に考えていくことに尽きるとも思うのだ。成長ではない、坂の転がり方だ。そう、もうそろそろ「頑張らなくてもいいんです」(吉田拓郎)を本当に考えていかないと。

よしむね

おそらく歌舞伎における伝統とは生きた遺伝子が泳ぐ海なのだろう

ご存知のとおり、歌舞伎座がこの4月で閉館し建て替えに入る。完成は2013年。4月まで「さよなら公演」と銘打って興行が行われているが、今年も初春歌舞伎を観た。
夜の部に行ったので、演目は以下の4つ。
「春の寿」
「菅原伝授手習鑑―車引」
「京鹿子娘道成寺」
「与話情浮名横櫛」
「春の寿」と「京鹿子娘道成寺」は踊りもの。なかでも道成寺は今をときめく勘三郎と団十郎の組み合わせ。玉三郎が時代を超えた天才だとすれば(その踊りのやわらかさ!)、勘三郎はいま中堅世代ではもっとも脂が乗っている。とにかく相変わらず生きのいい踊りを観る楽しさがあった。
 「車引」は布陣が豪華。芝翫、吉右衛門、幸四郎、富十郎、等々。初春公演ならではというところか。特に一堂が会したお仕舞い(エンディング)はなんと豪華な見世物だったことか。「与話情浮名横櫛」は染五郎と福助の人情話。これもそれなりに楽しめる機微のある人情ものだった。  
こうしてみると、歌あり踊りあり人情ものありで、やはりなかなかのエンターテインメントではあった。今、歌舞伎がその充実さからある種のブーム(戦後何番目かの?)になっているというのも分からないではない気がする。長老、中堅、若手と陣容も粒が揃っているし。若手の今後ということではやはりポテンシャルとしては海老蔵であり、女形の期待値では七之助かな。

 ぼくは歌舞伎の専門家ではまったくないが、当時の江戸の人たちは、ぼくらが今3Dで「アバター」を観たり、スターウォーズを観るような感じで歌舞伎を観ていたのではないか、つまりそこにその時代の先端や先行きを感じたり未来を予感したりして、いわば宇宙ものを見るように歌舞伎の舞台を観ていたのではないかと勝手に思っている。歌舞伎役者は今でいえばマイケル・ジャクソンであり、マドンナのようなものであり、おそらく芸能を通じて先端世界と交信してくれるような役割を担っていたのかもしれないな。
「我国の舞踊はつまり遠来のまれびとが大きな家を訪れて、その庭で祝福の歌を謡ひ、舞を舞って行くことに始まったことは、先に申し述べた通りです」(日本藝能史六講、折口信夫)。歌舞伎役者はまれびととして舞台に出て、みんなを代表して、その時代の世相を先んじて生きてくれる(舞い、踊り、歌う)存在だったのかもしれない。

 そもそも歌舞伎には翌年にどんなテーマに基づいた演目を取り上げるかを決める「世界定め」があり、その定めに基づいて顔見世が行われる慣わしだったと言われる。これは今風にいえば婚活がブームだから、来年は婚活をテーマにした作品をもっと上演していこうというようなものだろう。ぼくらはある程度普遍的になった話や舞台を観ているわけだが、江戸時代の人たちには歌舞伎はもっと当時のなまなましい世情と表裏一体のものだったろう。

 そして今歌舞伎を観ていてぼくがあらためて羨ましいと感じるのは、伝統という生きた無形に支えられている歌舞伎役者たちの立ち振る舞いのことだ。特に勘三郎や団十郎の踊りや舞いを観ていると、彼らが歌舞伎の伝統を信じて疑わず、いわば悠々とその海のなかを泳いでいこうとしているように思える。もちろんそこには多大の苦労があることは言うまでもないが。
ただしそこでの伝統とは、なにも形骸化した、決まりごとのようなものではなく、生きたフォルムとして、たえず当事者によって更新されていくフォルム(遺伝子)のようなものだ。型であって型ではなく、デザインとは異なるようで、まさにデザインそのものであるようなもの、肉体という物理が実現するもの。とても柔軟性があり、けれどその背景として連綿とした歴史によって支えられてきたもの、等々。歌舞伎役者たちは多かれ少なかれその生きた遺伝子を受け継ぎ、伝統を信じ、伝統と対話し、その「伝統という同じように刻々と生きている海」のなかを泳ごうとしているように見える。

 これはぼくらのビジネス社会とは対照的だと思う。曲がり角に来つつあるとはいえ、未だぼくらの現代社会ではいかに他者に先んじるか、同じことをしないか、差異をすばやく生き抜くか、伝統や習慣のような形式化したものからジャンプできるか、「かつて」と切れているか、そうしたことがより問われ、そうしたことがビジネスチャンスと捉えられがちな社会だからだ。弱肉強食。だからなるべく振り返ったりしているわけには行かないし、たえず前方の新しいものばかりを見ようとするわけだ。蓄積にならない社会、フローの社会。
そんなこんなに追われているなかで、ほんとうは違う可能性もあるのかもしれないと、そんなことをふと思いながら、ぼくは取り壊される日が近い歌舞伎座を後にしたのだった。

よしむね

歌のあり方について、松田聖子は平成の陰の歌姫、持続するディーバである(その二)

これも少し時間が立ってしまっているのだけれど、大晦日に松田聖子のカウントダウン・コンサートに出かけた。今回で3回目、3年連続である。よくもまぁもの好きということかもしれないが、毎年のことながら会場には結構アラフォーならぬアラフィフ世代も多く男性ファンも相当数見受けられるのだ。おそらく根強い固定ファンがいて、毎年来ているのだと思う。そういえばぼくが通っている理髪店のマスターも松田聖子のファンで、カウントダウンにはぜひ行ってみたいと言ってたっけ。
ぼくは根っからの聖子ファンだったことはない。じゃ何故カウントダウンに来ているかといえば、もともとは家内に誘われて来始めたのだが、その後は松田聖子という持続する現象に興味があるからだということになる。いわゆる歌謡界のアイドル出身で今も現役の第一線で頑張っている歌手といえば彼女くらいしかいない。

松田聖子がアイドル全盛の花盛りだったのは、言わずと知れた80年代だ。アイドルという観点からみて70年代後半が山口百恵の時代だったとすれば、80年代前半は松田聖子の時代。山口百恵や中森明菜にくらべて、その家庭環境や出自をふくめて彼女の特徴はより普通っぽい=普通の女の子に近かったことだろう。なによりも松田聖子は蒲池法子という女の子が歌手になった、のである。
だが、その普通っぽいイメージとは異なり、そのブリっ子ぶりといい、歌のうまさといい、したたかさといい、けっして平均的だったわけではないだろう。だからこそ現在まで長く生き延びてきたとも言える、山口百恵は結婚即引退し、中森明菜はその後フェードアウトしていく中にあって・・・・。
ぼくが松田聖子に今でも興味があるとすれば、それは世の同世代の疲れた男どもよりも、ある意味でよほど個として自立しているから、と答えるだろう。結婚やその前後のスキャンダルを経て、90年代以降はどちらかというと表舞台から離れて潜行しつつ歌手活動を続けていくわけだが、その個としての生き方もふくめて評価したい。

思えば、彼女の歌は80年代当時から、か弱い男に対して、それをしずかに激励(?)しつつ、お互いの関係はけっして進展せず、成就しないという間柄を歌ったものが多かった。そして結局は、お互いにひとりであること。「渚のバルコニーで待ってて。・・・ひとりで来てね。・・・」こうした歌詞で歌われた世界は、その後の80年代の風潮(おたく文化やさびしい個の時代等々)をどこか先取りするものだったと思う。それには作詞家松本隆の功績もあっただろうが。
世の男どもがますますオタク化してゆく中で(最近では草食系男子が流行りだという)、女性たちは強くなり文化史的には女性の時代が続いて現在に至っていると思われるのだが、松田聖子はある意味でその一つの先陣の風となって先行してきたのだと思う。彼女は90年代以降自分で作詞するようになるが、それらの歌も一貫して別れた男に対して、ひとりで生きていくことをしずかに宣言し相手にエールを送るような歌になっている。

松田聖子は今年デビュー30周年だという。「みんな元気?」とカウントダウンの会場で、彼女がステージ上から呼びかける。そして男も女もみんな自分の来し方行き方を投影しながら一緒に彼女の歌を歌うのだ、多分ね。
前回の小田和正の「クリスマスの約束」が歌のリレーという続きだったとすれば、こちらはひとりの女性歌手がとにもかくにもいろんな荒波のなかでも歌い続けてきたというその持続のエネルギーにある。どちらも同じ持続にかかわるもの、そして歌のあり方にかかわる、あり様。歌い続けること、続けることの積み重ね。松田聖子の歌を聞きながら、ぼくは今年も改めてそんなことを思った。

よしむね