遷都1300年への回帰の旅も最後は土塀にきえて・・・

平城京の遷都1300年ということで、この週末に奈良(その後京都入り)に行ってきた。コースは大体お決まりの奈良公園あたりを皮切りに東大寺大仏様から薬師寺、唐招提寺、法隆寺へいたる行程。薬師寺は高校の修学旅行以来行っておらず、その時、空に融けてゆくような塔の優美さにいたく感動した記憶があり、ぜひもう一度行ってみたかったところ。今回行ってみての主な感想は以下箇条書きの通り。

1)まず奈良の拝観料が全般的にちょっと高すぎること。800円から1000円くらいなのだが、京都の金閣寺は400円だった。京都と奈良では人の出入りの絶対数が違うということがあるかもしれないが、いくら世界遺産とはいえせめて500円くらいでないと。特に昨今の不景気を考えれば、もう少し抑えてほしいところ。学生諸君も大変ではないか。団体割引かもしれないが。因みに金閣寺は2度めの拝観見直しもできた。素晴らしい、なんと寛容な心遣い!

2)薬師寺は東塔が改築中。全体的に壁や建築物の朱色の塗り直しがあったのか、高校時代の記憶のイメージよりも、ずっと華美な色調が目立つ感じで、正直あまり感動しなかった。なんとなく期待はずれ。もっとくすんでいて落ち着いた美しさがあったような気がしていたのだが。ぼくの記憶違いだったのかな、あるいは東塔が改築中で、バランスよく全体を俯瞰できなかったからか。少し失望(寺社の方には大変失礼かもしれませんが)。

3)それよりも、唐招提寺と法隆寺が良かった。天平の甍たちの質素な美しさ、力強さ。天平時代の建築群の、均整のとれた無駄のない配置、庭園や空間処理の見事さ。けっして贅沢ではないのだが、貧相でなく十分に優美であり、かつ極めてシンプルな建築そのものの造り(たぶん考え抜かれた設計配慮の徹底さ)にあらためて感動した。材木や屋根のふるめかしさもいい。とにかく古い木(構造体)が美しいのだ!

4)それから法隆寺の大宝蔵院でみた百済観音像は圧巻だった。ぼくは仏像にはまったく詳しくないのだが、百済観音像には感動した。通常の仏像はどこか威厳がありいかめしさやふくよかさに起因したある種の近寄りがたさがあると思う(どこか天上的で威圧的な)のだが、百済観音像はそれらの仏像とはおよそ対極的な所作を持っているように見えた。まるでジャコメッティの線的な人物彫刻のようでもあり、イコン画から抜け出してきた聖人のようでもあり、それこそグレコの描く聖人像にも似ており、とにかく全体的にきわめて細い躯体から、少しも威圧的でない、やわらかさが滲みでている感じだった。しかも天上的だがすこしも近寄りがたい感じではなく、どこまでも優しいのだ。百済というくらいだから、どこか大陸系・朝鮮の人たちに似た顔立ちのようでもあり、半目開きの物静かな面差しといい、正直こんな仏像を目にしたのは初めてのような気がした。見ていない方がおられたら、ぜひ一度ご覧になってみてください。

5)最後に中国の旧正月(春節)休みとも近かったからか、とにかく中国人の観光旅行者が奈良も京都でもやたら多かったこと! 躍進する中国さまさまか。国力の昇竜ブームにのった勢いのかずかず。これからの日本にはとても大事なお客様たち。

 さて旅にはいつも終わりはなく、どこで終わるともいえず、いつ終わったとも言えないのだが、最後は法隆寺の外郭の土塀あたりを散策しつつ、傾きかけた午後の日ざしのなかで、なんとなく懐かしいような小道(奈良も京都もやはり路地がいい)をふらつきながら、添付写真のような土塀のなかに、きっと透明人間になって消えていって誰でもないひととして紛れていって終わるのだろうな。皆さん、そこでゆっくり昼寝でもしましょうね、そして良い夢をみましょう。

よしむね

三者三様による「三斜・三冊子」「オーガニック革命」「2011年新聞・テレビ消滅」「未来のための江戸学」

最近たまたま読んだ三冊について、以下にその感想を書きます。いずれも「これから」を考える上でのヒントのひとつになるような本かな、と。その意味で三者三様、いずれもマイナーではありますが、ひとりひとりの傾斜角での視点に基づく、「三斜・三様」の本たちだと思います。あえてここで強引に内容を共通化して言ってみると、従来の「持てるもの」の時代が終わりを迎え、これからはいかに持たないで生きてゆくか、その工夫が鍵になる、ということでしょうか。

「オーガニック革命」(集英社新書、 高城剛)」

高城さんの主張は一貫している。まずここで言うオーガニックとは、単に有機農業などへの食品嗜好を意味するのではなく、もっと広く「個人の意識のあり方や態度から発信される行動様式」と定義。そして市場万能主義と金融グローバリゼーションが崩れたいわゆるリーマンショック以後を見据えて、効率化モデル・アメリカ的価値観の終わりの後に来るものとして、オーガニックのムーブメントを位置づけている。それを自身が住んでいたロンドンの先駆事例に基づきながら紹介している。

「次」に向けて、ロンドンが、世界がもう変わり始めている、と。そして、このオーガニックには「行き過ぎた資本主義へのアンチテーゼがある」のだ、と。以下、面白そうな論点。
・これからは、働く場所(第一の土地)、住む家(第二の土地)以外の第三の土地をいかに発見するか、である
・できるだけモノを持たないのが21世紀的発想になる
・都市システムを解体することが、21世紀的な行為になるのではないか、等々
またこれは高城さんが以前から書いていることとも符合していると思われるが、「フラット化する世界」(トーマス・フリードマン著)に留まらず、これからはますます世界がリキッド化(液状化)に向かうとして、その中で自らより強く「ハイパー・ノマド(遊牧民」として生きてゆくことを宣言してもいる。高城さんの視点は、先の著書「サバイバル時代の海外旅行術」(光文社新書)にも代表されるように、変化が激しく見通しにくいこの時代を漂流してゆきつついかにサバイブしてゆくかに主眼があるともいえるだろう。

「2011年新聞・テレビ消滅」(文春新書、佐々木俊尚)」

 タイトルからはややショッキングに思えるかもしれないが、佐々木さんの主張も決して大げさなものではなく、ある必然をもって新聞とテレビという既存メディアがこれから確実に衰退に向かうことを描写してゆく。その基調にあるのは、従来前提とされていたマスメディアが明確に終焉を迎えつつある、というある意味でオーソドックスな時代認識だ。

 そして、メディアの流れ(流通)を、コンテンツ・コンテナ・コンベヤという三層モデルで考えた場合、従来のメディアは垂直統合でこの三層を押さえていたのだが、ネットビジネスの登場等でそのモデルが完全に崩れつつあり、次の時代の覇者は、コンテナなどのプラットホームを握るものにこそ優位権があるという考え方。
そのような近未来的なプラットホーム争いのなかで、キンドルのアマゾンやユーチューブ、グーグル、アップル、リクルートなどの新興企業の登場と戦略が併行して語られてゆくのだが、上記の考え方もふくめてベースとなるものは古典的な見方にそったものだ。

これはしばしば言われたことだが、過去の歴史において最終的に石油の利権を制したのは、石油の採掘権を握った者たちではなく、その石油を輸送する手段(その当時は鉄道)を握ったロックフェラーたちだったという事実。つまりいくら石油が取れても、運ぶことができなければ石油もただの水以下だということ。
大事なのは昔も今も運ぶ手段網(流通経路の根幹となるネットワーク)にあるのだ、ということ。佐々木さんの考えもある意味でそのような考え方を忠実に踏襲しているといえるだろう。そして2011年に行われる完全地デジ化と情報通信法の施行が、日本の新聞社とテレビ局に対して従来の権益モデルをつき崩す決定的なトリガー(引き金)になると見ているのだ。

「未来のための江戸学」(小学館101新書、 田中優子)」

 著名な江戸学者によって、時事風の主題をまじえながら、江戸時代からこの今を考えるということ、現代が江戸の優れていた点とどんな風に交差することが可能かを未来の視点から考えようとしている、と言ったらよいだろうか。

 ぼくは日本の歴史に明るくなく大した知識など持っているとは言えないのだが、このような著書を読むと、過去の歴史というものを今の視点で括ってしまってなんとなく分かった気になっていることが往々にしてありはしないか、反省させられるような気がする。本当の歴史とは今ぼくらが聞いて知っていたものとはおよそまったく異なるかたちだったのではないかというようなことだ。

以下に、田中さんのフィルターを通した指摘の幾つかを示してみる。江戸時代とはどんな時代だったのか。
・江戸時代の職人たちは、100年や200年ももつ道具や建築物や紙や布を作ることを誇りにしていた
・江戸時代の商人倫理は過剰な利ざやを稼がないことが、信用を得ることだった
・江戸時代の森林伐採の禁止は、環境保全と経済成長を両立させようなどというむしのいい発想ではなく、むしろ「すたり」(無駄)をなくすことによって、健全なサイクルを作り、誰もが貧困状態にならないよう世の中を経営するという考え方に基づいていた
・江戸時代には、「始末」という考え方があり、これは始まりと終わりをきちんとして循環が滞らないようにすることだった
・江戸時代の「経済」という言葉は、国土を経営し、物産を開発し、都内を富豊にし、万民を済救するという意味であった
・安藤広重の「名所江戸百景」によると、江戸という都市が単に活気に満ちた騒がしいところなのではなく、静かでゆったりして、実にのびのびとした空間であったことがありありとわかる
・縄文時代後期から始まって江戸時代中期に完成した水の管理システムは、本来は至るところ急流になっている日本の川を制御して、降った雨が大地のすみずみまで滲みこんで潤しながら、むしろゆっくり流れるようにすることだった

これなどは正にダム建設中心で推移してきた日本の治水システムを見直そうとしている昨今の民主党の施策のずっと先を行っていたようなものとも言えるだろう。また江戸のゆったり感というのも、当時今のような高い建物などがなく、いろんな場所から富士山を見ることができたことを想うと、江戸が水の都市と呼ばれ、かつ視界がひろびろとしていたことが当たり前のようにまざまざと想像できるように思える。さらによく言われる鎖国というものが実は後で作られた言葉に過ぎず、鎖国によって国を閉ざしていたわけではなく、今でいうグローバル化のなかで選択された施策であったことなども田中さんの論点によって明らかにされてゆく。そして「分」をわきまえ、配慮と節度で対応していた江戸時代の人たちの心構えのようなもの、人との関係としての「框」の構造の意味、等々。

別に江戸時代の昔に返ればよいということではないし、古の昔が良かったというわけではない。ただ未だに成長神話に頼らずには生きていけないような、一本調子の基調のみを求めたがる現在の風潮に対して、江戸時代が持っていた「循環(めぐること)」の価値観に基づく考え方には、どこか一筋縄では行かない奥行きの深さを感じずにはいられないし、今を生きるヒントの一つとなり得る示唆に満ちているようにも思えるのだ。

いずれにしても、戦略ということを含めて、何を持ち、何を持たないか、その取捨がこれからとても大事になるように思える、そういうことを示唆してくれた三冊だった。

よしむね

男もすなる料理というものを、女もしてみむとて、大勢がするなり

これは、ぼくがコラーゲン入りラーメン・スープの作り方という男の料理教室に行ったときのこと。添付の写真はそのとき作ったラーメンとチャーシュー飯。ちゃんと作ったように見えるだろうが、味付けタマゴといい、ほとんどは段取りよく仕込まれていたものも多く、自分で実際に作ったものとはあまりいえないのだが。
 それはそうとして、ここで書きたいのは、男の料理教室といっても、その日男で実際に参加したのはぼくを入れて3名くらいで、それ以外の圧倒的多数は女性だったという事実。教室のシェフ先生の言葉だけれど、「男の料理教室とは言ってますが、いつも女性のかたのほうが多いんですよ!」。
つまり最近の男は草食化しており、やれマイ弁を作ってくるものも多いとかマメになったとかいろいろ言われてはいても、それはまだ少数派なのか、やはり圧倒的に、何にせよ世のイベントの津々浦々・その枝葉末節に至るまでの命脈を支えているのはまだまだ女性の実需なのだということ。もっと言えば結局は女性に気に入られないようなイベント・企画は流行らない・長続きしないということだろう。男の料理教室の実際も女性でもっているのである。
上智大学経済学部教授の鬼頭宏さんが以前話をされていたインタビュー記事(1月7日の日経新聞朝刊)によると、日本の人口が長期にわたって増えた時期は過去の歴史で4回。縄文時代前半、弥生時代から平安時代、室町から江戸時代前期、幕末から21世紀初頭まで、だそう。逆に減った時期も4回で、縄文時代後半、鎌倉、江戸中・後期と現在なのだという。
そして、人口が飛躍的に増える時期は新しい文明システムが展開する時期で、一方人口が減少する時期には文明が成熟し、人々の関心が外よりも内面に向かい、ハードよりソフト志向、工業よりサービス、男より女の役割が増す、時代なのだという。これは一般論としてはむべなるかな、というところだろう。
また社会学者の見田宗介さんが著書のなかで書かれていたことだが、世界史的に人口推移を捉えてみると、実は1970年半ばくらいからが変局点になるという。つまり、産業革命をへて20世紀に入りそれまで一本調子で増加し続けてきた人口増大の傾向が、1970年半ば頃をターニングポイントにして鈍化する(曲がり角を迎える)兆しが現れ始めていたのだという。因みに1970年代半ばというのは石油危機があり、ローマ・クラブが「成長の限界」というレポートを提出したころ。
人口減少のトレンドはなにも日本だけに限った話ではなく、現在の世界人口が推定68億くらい(2009年時点)あり、2050年には90億近くになるなどの予想がなされてはいても、その増加スピードは明らかに弱まってきており、世界の人口試算では21世紀の前半で平衡・均衡曲線に移り、その後はいずれかの時点でピークを打ってやがては人口減少に移行していくということになるのだろう。21世紀にはいり人類も成長期を終えつつあるのだ(もう疾うに成長は限界だったわけかな)。
 そしてそうだとすれば、遅かれ早かれ日本も世界もこれから明らかに長いだらだら坂の坂道を下ってゆくことになり、ソフト志向が強まるとともに、何処の地でも女性たちが活躍する時代が当分続いてゆくのである。世界は、かわいいKAWAII!に憧れる女性たちで埋め尽くされるのだろう。けっこうなことではないか。そして世の男たちはといえば、昼下がり、坂道のベンチに座って何を思うのだろうか? そのときも男もすなる料理というものが果たしてまだ残っているだろうか。

よしむね