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「刑事ジョン・ブック 目撃者」-まれびとは去らなければならない

当時この映画が話題になったのは、今もアメリカに現存しているアーミッシュという自給自足の社会(ドイツ系アメリカ人の村社会)が取り上げられていたという物珍しさも多少あったと思う。そこに適度なサスペンスと恋愛ドラマ。今みてもよくできた映画だ。いろんな要素を持っているのでさまざまな切り口の考察が可能だと思われるのだが、ここでは共同体と個人ということに絞りたい。ふたつの共同体が舞台。ひとつは無法もふくめて刑事が所属する社会。もうひとつは上記アーミッシュという共同体。
そして刑事ジョン・ブック(ハリソン・フォード)とレイチェル(ケリー・マクギリス)というそれぞれの共同体に属していたふたりが共同体の間で惹かれあい揺れ動いてゆく。その共同体をめぐっては何度か「掟」というセリフが出てくる。掟を破った者は共同体を去らなければならないし、共同体の外へ放逐されなければならない。映画の中でジョン・ブックがレイチェルにむかって「君を抱いたら、ふたりとも出てゆかなければならなくなる」と呟くシーンがある。だがふたりはギリギリのところで引き返し、それぞれが以前属していた共同体にもどってゆくところでこの映画は終わる。
ふたりが目の表情だけで語り合うシーンや、ジョン・ブックが村を去ろうとする日にレイチェルの長男と一緒に黙って土手に座っている映像とか、村の皆で納屋だったか新居だったかを造るシーン(そこにジョン・ブックも参加している。ここでのモーリス・ジャールの音楽がまた良い)などなど、忘れがたいシーンはたくさんある。だがとにかく共同体にとってまれ人である者はそこに入るための掟を受け入れないかぎりやがて出てゆかなければならないのだ。
ジョン・ブックは結局去ってゆくのである。映画のいちばん最後で彼はオンボロ車をふたたび運転しながら一本道を引き返してゆく。「まれびと(稀人)」として村にやってきてまた去ってゆくのだ。この映画が公開された1985年という年は今から振り返ってみるといろんな意味でその後を暗示しているような年だったと思う。
プラザ合意をへて、時代はその後の英米による金融の自由化へまっしぐらに進んでゆく転換点に当たっていたと思われるからだ。ちょうどジョン・ブックの車が自給自足のアーミッシュという共同体から離れて行ったように、時代の切っ先はある意味で質素倹約の友愛社会から金融至上主義の競争社会に向かい始めてゆこうとしていたのだ。この映画のラストをそんな風に勝手に読み解くこともできるかもしれない。
そして25年が過ぎていくつかの金融・経済危機をへて、時代はふたたび単なるお金ではない、なにかオーガニックなものへ回帰してゆこうとしているように見える。ジョン・ブックの乗った車は、かつての一本道を映画のラストとは逆向きにオーガニックな風景と村々のほうへもう一度引き返そうとしているのかもしれない。
ぼくがこの映画を観たのはほとんど公開時のリアルタイムで、新宿か渋谷の映画館だったと思う。誰と観たのかは覚えていない。当時はジョン・ブックの車の先にこれからどんな時代の風が吹きつけてくることになるのかなど、もちろんなにも予見できなかったのだけど。

よしむね

麻布十番・暗闇坂は遠い彼方に

この間麻布十番を歩いていたら、ふと暗闇坂の道標が目にとまった。この通りは過去何度も歩いていたのだが、暗闇坂への目線(意識)がまったく失われていたのだった。写真はそのときの通りの方角からみた暗闇坂なのだが、それとともに俄かに思い出したことがあった。ここは昔寺山修司の劇団天井桟敷(兼事務所)があった場所のはずだ。ぼくの記憶が正しければ(もし間違っていたら、どなたかご指摘ください)。

もう30年くらい前のことになるけど、不案内で迷路のような麻布十番の道を探しながらやっと天井桟敷の場所にたどり着いたという記憶がある。当時は勿論麻布十番駅などはなくて文字通り麻布十番の界隈は陸の孤島だった。公共機関ならバスで行くか日比谷線の六本木駅方面から回って行くしかなかった。

なぜ天井桟敷を訪ねたのかはもう忘れた。ただ劇団が入っている建物を見たかったのか、それともなにかの演劇を見る目的があったためだったか・・・。いずれにしても劇団が建っていたと思われる場所は別のビル(駐車場)に変わり、かつてはどこか威嚇的で幻想的だった建築物の表情もいまではありきたりなビルの壁面に変貌してしまっている。この暗闇坂の上はオーストリア大使館になっている。

当たり前だけど時はながれる。そしてかつてあったものが壊されてなくなる。残るものもある。だから街も変わる。変わらないようで変わり変わるようで変わらない。そういうものだ。麻布十番温泉もなくなった。何度かあの黒い温泉に入ったっけ。何が本当の街のすがたか。それは誰にも分からない。そんなものはない。

だから麻布十番の暗闇坂は、いまも遠い彼方にある。

暗闇坂といえば、ぼくの住んでいる界隈の近くにも同じ名前の坂がある。その坂を通るときは夜自宅への近道としてタクシーを利用するときに限られていたのだが。

よしむね

80年代SF映画の綺羅星「ブレードランナー」、レイチェルと一緒にどこまでも!

まさむねさんの「存在の耐えられない軽さ」に続いて80年代に観た映画について書いてみたい。ぼくもその時代の子というか当時は映画青年のはしくれだったということになるだろう。大学時代に映研に入っていたことがあり、多い時でたぶん年間200本くらいの映画を観ていたことがある。しかも80年代の前半はビデオ(VHS)なんてそんなに普及してなかったから、ほとんど映画館に通って観ていた。勤め人になってからもまさむねさんが言っていたのと同じように、80年代当時(90年代も)は年間50本以上は優に観ていたと思う。

それでも自分のことを映画通だとは思っていなかったし、今もそうだ。もっとそれを上回るつわものは大勢いたし、ぼくなどは普通に+ちょっと多いくらいだったろう。今の人たちの平均に比べれば多いのかもしれないが、映画しか娯楽がなかったわけじゃないけど、とにかく映画はよく観ていた。80年代の後半になるとスキーブームで週末っていうとスキーに行ったりしながら、か。

80年代は今から思い出そうとしてもなかなかその時代の本当のフレームを掴むことは難しいと感じるのだけど、とにかくいろんなものがまだ玉石混交していてポテンシャルあふれていたなとまず思う。映画監督にしてもフェリーニもまだ生きていたし、寺山修司も前半までは存命されていたし、ヌーベルヴァーグの旗手たちもトリフォーも矢継ぎ早に作品を発表し続けていたし、ゴダールも商業映画に復帰してきたときで、いずれもぼくはそれらの作品群を当時リアル・タイムで観ていた。もちろんB級映画もふくめてだ。

時代はポスト・モダンとかネアカとか、おたく世代の台頭とか新人類とか、その後いろいろ命名されてゆくことになるし、85年のプラザ合意をへてバブル経済に向かってゆくわけだけど、まずもって思うのは、時代はいまだ出口なしの閉塞にはいたらず、なにか肯定的なポテンシャリティー(良い悪いは別にして)みたいなもの・機運が引き続きあったようにおもうのだ。その当時ぼくも今でいえばフリーターみたいにして過ごしていた時期もあるし、周りにもそういう人たちがたくさんいたけど、どこかになんとかなるさみたいなところがあった。実際それでなんとかなってきた。でも今は違う。もうなんともならない閉塞感みたいなものがより切実だ、とおもう。

これからまさむねさんと一緒に「80年代の映画を語る」を通じて個々の思い出深い作品について多分連綿と書いていきながら、80年代という、いまも流動してやまない時代の川みたいなものを自分たちなりに少しでもなぞることができればみたいな気持ちもあるし、少しは年をとって若かったときのことを思いとどめておきたいような気も一方にはあるかも。

とにかく前置きはこれくらいにしてまずは「ブレードランナー」(監督はリドリー・スコット、1982年公開)だ。この映画の魅力の一つであるその後の未来都市のイメージやアジア的な混沌、猥雑さについては以前大江戸温泉のコラムでも少し書いたので省略する。ここではぼくがもっとも好きな、二つのシーンについて触れたい。

ひとつは、ルドガー・ハウアー演じるレプリカント(アンドロイド)が、ビルの屋上から堕ちそうになるデッカード捜査官(ハリソン・フォード)を救い出し、白い鳩が飛んでゆくなか、みずから雨に打たれて死んでゆく最期のシーン。そしてもうひとつはいつまで生きることができるのか分からないレイチェル(レプリカント)を連れて、デッカードが車を運転してゆくラストのシーンだ。

これらのシーンが感動的なのは、けっきょく人間もアンドロイドも本当はその区別はなく、実は人間だっていつ死ぬか分からないアンドロイドと同じようなものなのではないか(人間は神につくられたアンドロイドかもしれない)という、相対化された視点があるからだ。その意味でみんな同じように悲しい生き物だ(アンドロイドだ)、だから誰かを好きになるし、そして死んでゆくのだ、ということ。

みんなが自分たちはどこから来て、どこへ行くのかを知りたがるのだ、ちょうどアンドロイドたちが自分たちの来歴を知りたがったように。ゴーギャンの絵のタイトルそのままに「われわれはどこから来たのか、われわれは何者か、われわれはどこへ行くのか」。それを探し続けている、今も、ぼくらは、この2010年になっても。

「ブレードランナー」が公開された1982年という年は、未来ということを含めてまだいろんな変化の予感に彩られていたように思う。ぼくが観たのは公開から少し遅れて、今はなくなった水道橋の映画館だったと思う。その後もいろんなSF映画が生まれたけど、ブレードランナーは今もSF映画の綺羅星のひとつだとおもう。

後年新しいバージョンがディレクターズ・カット版として監督自身の手によって編集しなおされたが(たしかラストの解釈をめぐって編集しなおされたと思うけど)、ぼくは断然編集前の古いバージョン(日本公開当時のバージョン)が好きだ。これ以外にも「ブレードランナー」にはいくつかのバージョンがあるらしい。こうした混沌もまた面白い。人それぞれが好きなバージョンがあるわけだ。上のシーンはぼくが好きなバージョンの記憶によっている。ブレードランナーの思い出よ、永遠に。

よしむね

前衛も後衛もなくなった時代に「去年マリエンバートで」は退屈な映画になった?

「去年マリエンバートで」のデジタルリメーク版(ニューマスター版)ができたとかいうことで、先月渋谷でリバイバル上映されていたので観に行ってきた。ぼくがこの作品を観たのははっきり覚えていないのだが、たしか劇場で1回、深夜のTV放送で1回観たように記憶している。

 作品自体はいわゆる映画通には有名な映画の類で、何かの投票によってはかならずベスト10入りするような映画。また人工的な西洋庭園に整然と配されてたたずむ恋人たちの映像シーンも有名で、たしか自動車のTVコマーシャルとかでもその模倣シーンが作られていたりしていたはずだ。監督はアラン・レネ。脚本は前衛作家といわれたアラン・ロブ=グリエ。

 もともと筋書きのない映画なので、説明すること自体ナンセンスなのだが、以前は刺激的な映画だと思っていたとおもうのだが(今は記憶も曖昧)、今回はのっけから退屈な感じで睡魔に襲われてしまいすぐに寝てしまったのだった! 始まる前になんとなく寝てしまうかもしれないなという悪い予感はあったのだが。身体に疲れがあったからなのか、それとも感性が鈍くなってしまったからだろうか。でもどうもそれだけではないような気がする。

 「去年マリエンバートで」の、その映像が持つある種の美しさやミステリアスさ、袋小路のような展開なきドラマ=アンチ・ドラマ性、複数的に張られた伏線、解決のない出口、不条理さ、モノクロームのもつ陰影の輝き等々は、多分今も変わらずにこの映画の魅力としてあるのだろうと思う。でも、それを観るぼくらの現在の視線が変わってしまったのではないか。

初演当時(日本公開初演は1964年だそう。もちろんぼくは初演は見ていない)はたしかに前衛映画とか騒がれたりしたかもしれないのだが、いまや前衛も後衛もなく、時代そのものがいろんな不条理と浮沈を経験してそれに晒されてきた視線から見ると、どのような映画にももはや新しさや珍奇さや眩暈のようなものがないのだ、たぶん。前衛も後衛もない時代。それが今流行の3Dだろうと同じだ。もはや新しさではない。みんな経験してしまって未知ではなくなっているからだ。

そんな中で今もいろんな意味でまだあたらしく先鋭的(切実ということ)なのは、あえてそういう映画作品や監督を上げろと言われたら、逆説的だけどたとえば「アキレスと亀」までの北野武(依然として)であり、監督としてのクリント・イーストウッドだとぼくは勝手に思っている(これはまたいずれのかの機会に書いてみたいテーマ)。特にイーストウッドは21世紀に入ってからさらに脂が乗って「ミスティック・リバー」以降の快進撃が素晴らしい。救いのない時代に生きる人間たちの描写力がますます際立つようだ。

それに比べると、「去年マリエンバートで」はその仮構ぶりといい、華美さ加減といい、どこか気楽な感じで退屈な映画になったと思えて仕方がない。本当に変わらずに凄いと思うのは、主演女優デルフィーヌ・セイリグの美しさだ。これだけは今も変わらない。

まあ映画は生き物だからまた別のときに見直したら、違う感想になることもあるだろう。そのときはまたもう一つの「去年マリエンバートで」について書こうと思うが。でも時代そのものが「去年マリエンバート」を過ぎてもっとミステリアスになってしまったのかもしれない。

よしむね

フラワー・アレンジメント、男たちが愛でる花々。-その行方は如何に、花々はどこへ行くのか?

プリサーブド・フラワーをご存知だろうか。ご存知のかたも多いはず。元々は生花だが、手入れ・水やりなしでも最低2年くらいもつフラワー・アレンジメントの一種。プリサーブドに限らないが、最近男性のあいだでもフラワー・アレンジメントや自分のために花を買う習慣が増えているという。これも古くはわが国平安朝に由来する雅につながるものなのか、最近の草食系男子のムーブメントにも現れていることなのか。

ぼくも大学を卒業後、いちばん最初に就職した先で華道クラブに入っていたことがある。そこは草月流の流れをくむ流派で、いわゆる主・客・副の生け方を教えてもらったものだ。もうすっかり忘れてしまったけど。

最近新宿伊勢丹のメンズ館8階にニコライ・バーグマンのフラワーショップが出来たということで行ってみた。たまたま別の用事だったのだけど。実際に花に包まれていたり、花の雰囲気が発散しているというのはどんな場所でもなにか豊かな感じになっていいものだ。

花ということでいえば、現在も失職している友人がいて、彼はずっと映画関係の仕事をしていたのだけど、昨年いわゆる契約打ち切りで大手のK社を辞めることになった。彼にはぼくが昨年怪我で自宅療養中だったときに何度か自宅に訪ねてきてもらい、当時気落ちしていたのを大分元気づけてもらったものだ。

また彼はクリスチャン・トルチュのフラワー・アレンジメントが大好きというとても感性豊かな人でもあったから、妻とも相談して、ぼくが怪我から復帰した快気祝いのお返しに、上記トルチュさんのお店で買ったプリザーブド・フラワーを贈ったのだった。

彼は当時、映画の仕事への復帰を諦めて花屋さんに転職してもいいというような考えもあり、そうした相談を受けたこともあった。実名は明かせないが、M君。M君の部屋のどこかには今もクリスチャン・トルチュのプリザーブド・フラワーが揺れていてくれるだろうと思うのだが、それとともになるべく早くいわゆる「就活」がうまく行ってほしいとぼくは思っている。因みに彼の就職先はまだ決まっていない。

男たちと花、時代は不確かで、なかなかその結びつきも切なく厳しいかもしれないけど。

よしむね

金融資産のご開帳みたいな公表はもう止めたほうがいい

日本の金融資産がまだ1,400兆円くらいあるとよく言われる。ついこの間も日経新聞に記事が出ていたね。だがこれはもう数字の嘘・まやかしであり、はっきり言って毎度毎度のこういう提示の仕方はやめたほうがいいと思う。いったい誰がどういう意図があってこんな公表をやっているのだろうか。

実際にはここから個人の負債やローン残高もあり、そうしたものを差し引くと、真水は400兆円とか600兆円あたりということでもあるらしい(真実はよく分からない)。しかも国・地方の借金があわせて1,000兆円近くとも言われているわけで、これを引いてしまえば実質マイナスなわけだ。仮に引かなくても、真水といわれているものだって将来収益とかも含まれているようなので、実質的には運用損でどれだけ残っているのかさえ怪しいものだ。特にわが日本では運用ビジネスはきわめて低劣だから。

こういう風にお金がたくさんあるように言いたくなるのは、本当は自分たちが金持ちだと思い込みたいからなのだろうか。日本という国はこれくらいあるのだと言い聞かせたいのだろうか。でもこれって裸の王様みたいなもので、本当はもう財産なんてたいして残ってないのにいつまでもあるように思うことで、どんなメリットがあるのだろう。

それよりもう皆、お金がないのだから、ムダ使いを止めようと言ってくれたほうがよほどすっきりするように思える。つまりお金のムダ使いを続けたい人がいて、その人たちがムダ使いを止めなくていいための方便にこそ使われているだけなのではないかと思えて仕方がない。

どっちにしても、以前まさむねさんが言っていたけど、今の日本はどっちの方向に向かうにしても、国際競争(ストレス)か衰退(できるだけストレス・フリーの過保護・高福祉)の2者択一の道くらいしかなく、どっちを考えることも嫌で思考停止しているのに似て、お金についても本当はもう残っていないことを考えたくないのだろうな。そんなことを考えても何もならないからとでもいうように。

でも、そろそろそんな思考停止はやめて、ニッチもサッチもいかないことから始めていくことを覚悟して考えないといけないのじゃないだろうか。そうしないと運用をどうしてゆくかみたいな基本的な肝心なことがいつまでも議論されず等閑にされて、ただただ放置されてゆきかねないように思うのだが。結局はいずれ損の落とし前が必要になるのだから。さしあたっては国として大量に買い込んでいる米国債とかどうするのだろう? 自分で買い支えている日本国債しかり。その他諸々、有象無象、奇奇怪怪。

そしてまずもっていい加減収入に見合った生活へのリサインジングの意識をちゃんと持つようにしないとね。今の日本は月給40万円の人が借金して100万円の生活を続けているわけだから。とにかく何とかしてくれみたいな要求ばかりで分相応ということがどこからもトンと聞かれなくなって久しいようにも思える。

このままだといったいぼくら国民はどれくらいのサイズ・規模の収支で満足しなきゃいけないのか、さっぱり見えてこない。これは民主党政権になっても基本変化なし。民主党ももうなにをしたいのかさっぱり分からない感じになってきているね。最初の志の変質か変局なのか。しだいに選挙対策と利益誘導の体質=かつての自民政治そのものへの回帰みたいにも見えてきているし。青年=志、老いやすしとはよく言ったものだ。でも老いには老いの知恵があることを期待したいが、それもあまり見えない。

とにかく国として肝心の議論がきらいなのにお金があるという幻想だけは持ち続けたいというのはどこかさびしいね。いずれ困ったときには空からお金が降ってくるという神風的な待望論・信仰心から抜け切れない国民性なのだろうか。それとも宵越しの金は持たないという潔い心持がなせる業からなのか。たしかに金は天下の回り物かもしれないが。このままだと小回りものにさえならずに終わりそうだけど。

よしむね

デザイン立国・日本の自叙伝

かつてNHKで「電子立国 日本の自叙伝」という名物番組があった。それは20世紀の話。こちらは21世紀の架空の談義、ある昼下がりの茶飲み話みたいなもの。テーマはデザイン立国・日本の自叙伝。

A:日本はものづくり、ものづくりって過剰に言い過ぎるね。これこそ戦後の成功体験にもとづく依怙地な理屈に思えるよ。資源のない国だから技術と生産しかないっていう。確かにモノはなくならないから、ものづくりは大事だが、よく言われることだけど、生産という意味ではひとつのプロダクト(産業分野)で企業が1社から2社あればいいよ。何社もあって多すぎるよ。とにかく過剰。みんな横並びになっちゃったし。
B:じゃ、他はどうするの? 食べていけなくなるよ。
A:これから日本はデザイン立国を目指すべき。それこそ小さなもの(半導体素子)から大きなもの(家、自動車、建築)まで、あらゆるもののデザイン・設計の仕事に特化してゆけばいい。日本人のセンスとか昔からのメンタリティー、縮み志向の文化といい、デザイン精神にあふれた民族性だと思うよ。アニメもファッションも、ファニチャーもみんなデザインがベースさ。デザインはアナログに近いし、なかなか真似できないよ。
B:デザインだけでペイするかな。
A:生産での物づくりについては、世界で戦うにはもう規模のメリット(大量生産)とローコストしか将来の道はやっぱりないよ。ここはもう日本の領域じゃない。付加価値品とかいっても無理だね。いずれ必ずコモディティー化してゆく。ここで戦うのは国内1社、2社くらいでいいよ。あとは小ぢんまりとした小規模単位のデザイン集団の会社になればいい。名とか面子とかを捨てて、黒子のデザイン・コンテンツ設計集団でいいじゃないか。できるだけ身軽であることが大事だよ。
B:これからは人口も減少してゆくからねぇ。
A:そうだよ。もう人も増えないんだから、集団や組織自体はだんだん小規模化していって、その連携を心がけでゆけばいいんだ。江戸時代の「連」みたいにね。かりに売上が伸びなくても、人口減以上の売上をキープできれば一人当たりの売上高は逆に増える。それでよしとしないと。そして一個人がより豊かになればいいじゃないか。
B:うまく行くかな。
A:中途半端が一番良くない。中庸は美徳じゃない。ここは思い切りだね。うまく行かなきゃまた修正すればいい。それからデザインとあわせて観光立国を目指すべき。とにかくアジアの人たちにバンバン来てもらおう。客へのもてなしとかサービスは日本人はまだ一流だと思うからね。微妙な心遣いとか絶品だと思うよ。環境面でも清潔だし。一人一人が豊かな気持ちで良い国になれば必ず訪れてくる人は沢山いるよ。
B:デザインと観光ね。けっきょくソフトだね。
A:いや、ぼくはソフトという言い方はあまり好きじゃないな。ちゃんとハード(モノや器、土地)を伴ったソフトサービスだよ。だから両方あるさ。デザイン心あふれるモノとサービス。でも、まあ、ほどほどでいいじゃない。その意味ではやっぱり中庸か。そして坂道を上るイメージよりは、ほんの少し下ってゆくような感じかな。そういう時のほうが人に優しく気遣いできるようにも思えるしね。

よしむね

「経済成長という病」を読む。経済にも春夏秋冬があっていいよね。

 平川克美さんという現役の社長さんが書かれた本で講談社現代新書の一冊。この方はたしかフランス文学者の内田樹さんの小学校時代からのご友人だそう。内田さんとは共著で本を書かれているらしいが、ぼくは初めてこの方の本を読んだ。
 途中やや抽象的すぎるような箇所もあるにはあるが、中味はきわめて至極当然のことで、われわれは、経済というものは、ほんとうに成長し続けなければならないのかへのアンチテーゼが伏流のようにながれて一貫している。人の一生には、少年期、青年期、壮年期、老年期があるのに、なぜ経済状態にはそうしたステージがあまり想定されないのか、いつも不思議に思っていた。経済にも春夏秋冬があっていいはず。その意味でも本書の示唆する内容は僕にはとても共感できた。

こうしたことが現場の第一線のビジネスマンから直接語られていることでより説得力が増している。というよりもビジネスの最前線で働いている人にこそ、こういう風に語ってほしかったと思う、そんな本のひとつだ。
その中で平川さんは2000年の夏から秋にかけてのいわゆるITバブル時代のさなかに、バブルの先棒を担いでいたご自身の過去の行いについても自戒をこめた形で回顧している。ちょうどその頃、ぼくも金融業界に移ったばかりで投資銀行の末端に近いところにもいたので、あのころの気分や周りの酔いしれ方、新興IT企業を巻き込んだ業界の浮沈のことが今もまざまざと思い出されるような気がする。あれから10年が過ぎた。
平川さんの筆先は、いろいろとうねりながら蛇行しながらも、経済成長という幻想・神話の終焉(剥離)を明らかにしていこうとする。それがエッセイとも論文とも異なる文の彩で語られてゆくわけだが、そのクロスオーバー的なところが本書の魅力のひとつともなっているし、同時にそれが好き嫌いの分かれ目にもなるかもしれない。

だが中味についてはもうこれくらいの紹介にとどめて、後は興味のある方にはぜひご一読をお勧めしたい。最後に、なるほどそうだなぁと頷せていただいた一説の幾つかを書き留めて終わりにしたい。

◎多くの人間は、未来を思い描いていると思っているが、実はただ自分が知っている過去をなぞっているだけなのではないか

◎出生率が低下し、人口が減少してゆく社会の未来は、必ずしも暗いものではなく、むしろ人口適正社会というべき状態を作り出し、人口増加社会が持っていた多くの問題を解決する

◎老いは退行であり、忌むべきものである。ゼロ成長モデルはうまくいかない。そう思うのは、老いもゼロ成長もまだ経験したことのない、未来だからである

 いつの時代でも希望や可能性が最小限必要だとするなら、成長一辺倒という軸とは異なる可能性こそがこれからの未来において考えられていかなければならないように思う。世阿弥の花伝書ではないが、老いには老いにふさわしい舞いがあるはずだ。その時分、その時々の舞いを踊ることができればそれでよしとする潔さをせめて持っていたいと思うが、どうだろうか。

よしむね

「WE ARE THE WORLD ハイチ」に紛れこんだマイケル・ジャクソンの精神

ちょうど「We ARE THE WORLD」から25年めの今年、ハイチ・バージョンが出た。本当はマイケル・ジャクソンの死もあり25周年記念のようなものを考えていたところ、ハイチ地震があって、ハイチ・バージョンに変わったらしいけど。

家内がiPhoneを使って350円でダウンロードしてくれた映像を見ながら、音楽を聞いた。25年前とは歌手の顔ぶれもすっかり変わった。変わらないのはライオネル・リッチーとクインシー・ジョーンズがリーダーシップをとったことか。最後はラップ・ミュージックを基調にした曲調でエンディング。そして「WE ARE THE WORLD」を歌う要所要所では、故マイケル・ジャクソンの映像が挿入されていた。妹のジャネット・ジャクソンとのデュオという形で。皆さんの多くもすでにご覧になっているでしょうが。

前回同様に収益金は救済金として使われるわけだが、前回と異なるのは、最後にハイチでおそらく被災にあった子供たちの映像がながれ、現地で音楽にあわせて踊ったり、笑ったりしている姿が映し出されていたこと。辛いなかにあっても笑顔を見せるそのしぐさが、嘘がない感じでかえっていい。人は泣いてばかりいられないだろうからだ。

こうした映像をみていてつくづく思うのは、なぜ日本ではこのようなボランタリーな試みがすぐに行われないのだろうかということ。詳しいことは分からないが、所属事務所の違いとかレコード会社の問題、レーベルの問題とかいろいろ障壁が大きいのだろうか。加えてたしかにアメリカやイギリスと違い、ミュージックシーンにおけるインパクトの大きさの違いもあると思うが。もちろんこうしたバンド・エイドによって世界が変わるわけではないとしても。

でもクール・ジャパンの今なら、たとえばコスプレやアニメ、JPOPとジャパン・ファッション等のコラボ組み合わせで、WE ARE THE WORLD に匹敵するものを日本からの発信として流せるようにも思うけど。とにかく最近に至るまで日本に一貫して欠けているのは、ノーブレス・オブリージュ(騎士道に基づく奉仕精神)のようなもの。税制の優遇がないことも一因かもしれないが、日本人は金持ちほど寄付したがらない国。そしてボランタリーの欠如ということ。

欧米などに旅行してつくづく感じるのは、たとえば公共の場で一般の人たちが障害者の人たちに示す配慮のようなものの根強さのことだ。これだけは未だに日本では決定的に遅れていると思う。アメリカ人は大義が好きで、売名行為的なものが大好きだからというようにあえて意地悪く見るとしても、金儲け以外に、セレブを中心にして日本からボランタリーなことが世界に向けて依然として発信されていかないのはちょっとさびしいね。

次の25年めまで待つしかないのかなぁ。そのときはUSAで「WE ARE THE WORLD」の何バージョンが出るのか。そこでまたマイケル・ジャクソンの歌っている姿が挿入されるのだろうか。マイケル・ジャクソンはゾンビ(永遠)だからね。今回のハイチ・バージョンもきっと天国でゾンビとなったマイケル・ジャクソンの精神が生かされているのだろう。                            

よしむね

自民党はいっそこのまま溶融してゆけばいいじゃないか

最近、鳩山政権の支持率低下が盛んに喧伝されるようになった。直近の世論調査ではたしか30%を割りこむところまで低下しているらしい。米国のオバマ大統領の陰りも然り。両者ともいわゆる蜜月期間をとうに過ぎて、マスコミによる容赦ない反撃のようなものをふくめて、支持率の下降局面に入ってきているというわけだ。

けれど翻って、では日本の自民党はどうかというと、自民党もトコトン冴えない。とてもかつて長く日本の政権の座にあった政党とは思えない。めぼしい発信もなく、この力のなさは何なのだろう。

民主党の施策に対して、それと対抗し封じ込めるような新しい戦略やビジョンがまったく出てこない。かといって新しい政党として出直してくるだけのポテンシャルがあるとも思えない。せいぜい小泉元首相の生意気な次男坊や、かわいすぎるといわれる女性の市議に出てもらって人気取りの街頭演説を行っているていたらくだ。

もともと自民党とはからっぽの政党だったのかもしれない。実はこの「からっぽさ」こそが長く政権の座にあった最大の理由だったのかもしれないとさえ思えてくる。つまり時の体制や長いものには巻かれろというようなイイトコドリ・日和見主義みたいな、言いなりになりやすいような優柔不断さこそが己の身を長く保つ最大の処世術だったということ。

今回民主党に変わったことで、あらためて自民党政権時代に日本がどれだけ既得権益で生きてきた人が多かったか、そのしがらみの多さが白日の下に垣間見える機会があっただけでも良かったのではないか、とぼくは思っている。それがなんとなく分かっただけでも民主党に政権が変わった意味がある、と。だから別に民主党の支持率が下がろうが別にいいじゃないか。

それよりも自民党というこんなポテンシャルの低い政党がながくゾンビのように時の政権の座にあったことが信じられない気がする。つくづくわれわれ国民の意識も低かったのだろう。また一方で、日本が劣化してきたことに相応して、政権与党である自民党自体もその内部において確実に劣化が進んでいたということなのだろう。自民党だってその初期には高邁なビジョンがあったはずだ。たとえば所得倍増計画を標榜した池田内閣あたりまでとか、は。

だが日本が経済と繁栄の軌道に乗ってからは、ただ惰性操舵のままに行けばよくなり次第に事なかれ主義になり、自らを変革する力を失い、ただただ劣化してもはや斬新な政策を打ち出す能力がほぼ皆無に等しい現在の状態になってしまったということなのかもしれない。でもそれでいいじゃないか。だって戦後60年以上もそうやって政権の座にあり続けたのだから。

だから自民党はいっそこのまま溶融して瓦解して粉々になってゆけばいいじゃないか。それがより望ましい姿というものだと思う。そしていつか人々がふりかえって、「20世紀の後半から21世紀前半にかけて、かつて、長く戦後の政権を担った、自民党という、政党が、あった」といわれる日が来れば、それで良しとすべきではないか。日々是好日。いい日旅立ち、自民党。良い意味でも悪い意味でも戦後の風潮が瓦解しつつあるように、自民党の役割もまた終わりつつあるのだ。

よしむね