長谷寺の寺紋が二つ輪違い。
二つの輪は、曼荼羅の金剛界、胎蔵界を表し、その二つの世界が調和していることを表すといわれている。
ようするに、一つの輪は一つの世界を表し、それらが絡み合うことによって、多元的な宇宙の調和を表している。
静岡県、栃木県、滋賀県、愛媛県、兵庫県、福岡県などで比較的多く見られる。
使用している有名人は以下。
輪違い紋と同系統の七宝紋の有名人にご興味のある方はコチラをご覧下さい。)


高氏は足利氏の執事職を代々務めた。本姓は高階氏。足利尊氏の側近として討幕戦争に参加。分捕切捨の法を初めて採用。尊氏が室町幕府を開くと絶大な勢力を振るう。『騎馬武者像』(左の画像)は近年の高師直の像とされる。家紋は寄り懸かり輪違い。


脇坂氏は近江東浅井郡脇坂野に居住し、その土地の名から脇坂と称した。豊臣秀吉の家臣として活躍。賤ヶ岳の七本槍の一人。淡路洲本藩主。のち伊予大洲藩初代藩主。龍野藩脇坂家初代。家紋は輪違い。画像は中野区・青原寺の脇坂家墓所にて撮影。


摂津国東成郡出身。大坂天王寺の楽人・林廣倫の三男。読みは、はやしひろもり。宮内省雅楽局に配属される。国歌制定委員となり、日本の国歌である「君が代」の楽譜案を提出し名義上の作曲者となる。家紋の輪違い紋は肖像画の紋付より判断。


富山県富山市出身。安田財閥の祖。東京大学の安田講堂や、日比谷公会堂は彼の寄贈によるものである。前衛芸術家オノ・ヨーコの曽祖父。元々、安田家の家紋は「丸に木瓜」であったが、後に「釜敷梅鉢紋」に変更。家紋画像は旧安田楠雄邸庭園の写真より。


薩摩国出身。戊辰戦争では薩摩藩二番小隊長として活躍。明治六年政変時、西郷隆盛とともに鹿児島へ下野。西南戦争の時にも活躍するが、最後の戦いでは、西郷の死後に別府晋介と刺し違えて亡くなる。家紋の松皮菱に丸に三つ輪違いは墓所写真にて確認。


出羽国由利郡金浦村出身。読みは、しらせのぶ。日本人初の南極探検者。千島列島の開拓に続き、1910年に開南丸に乗船して南極に向い、南極大陸に上陸した。家紋の輪違い紋は生家・浄蓮寺の寺紋。白瀬南極探検隊記念館にて教えて頂く。


山形県米沢市に米沢藩士池田成章の長男として生まれる。三井財閥の実力者、中上川彦次郎の長女艶と結婚し、三井銀行筆頭常務となる。日本銀行総裁、大蔵大臣、商工大臣、枢密顧問官を歴任。家紋は、持ち合い三つ七宝紋。護国寺にて撮影。


東京・神田に生まれた。本名は健一。 近代日本の美人画家として上村松園、伊東深水と並び称せられる。代表作は『三遊亭圓朝像』(重要文化財)、『朝涼』『築地明石町』など。家紋は七つ輪違い紋(釜敷七曜紋とも同型)。画像は谷中霊園にて撮影。


京都府出身。宮内省内匠寮技師の木子清敬の四男。読みは、きごしちろう。萬翠荘、愛媛県庁舎、石崎汽船、関西日仏学館など数多くの建築などの設計を手がけた。家紋は二重団扇形に三つ輪違い紋。画像は青山霊園墓所にて撮影。


長野県下高井郡新野村出身。多くの傑作といわれる童謡・流行歌・新民謡などを残す。代表童謡『シャボン玉』 『てるてる坊主』 『証城寺の狸囃子』 など。代表歌謡曲『東京音頭』 『波浮の港』 など。家紋は三つ輪違い紋。画像は多磨霊園にて撮影。


鹿児島県出身。読みは、こきてつたろう。別名に鉄也。佐藤春夫の義弟。改造社の編集者から小説家に転身。代表作「子の死と別れた妻」は、芥川賞候補となる。家紋の丸に輪違い崩し紋は、墓所がある小平霊園にて撮影。


東京府出身。大蔵省入省。二・二六事件の際、岡田首相を救済。また、鈴木貫太郎内閣時の内閣書記官長として終戦工作に携わる。政治家としては経企庁長官、郵政大臣等を歴任。家紋は丸に丸に花付十字紋と輪違いに水紋。多磨霊園の墓所にて撮影。
有名人の家紋索引(あ行~さ行) (た行~わ行)
まさむね































































