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これも事業仕分けのなせる業? 利用できなくなった厚生年金施設のテニス・コート

これはとても残念な話。ここ20年以上、友人たちとテニスをやってきたのだが、その施設が例の、うわさの厚生年金関連の施設だったため、世田谷区に払い下げになってしまい、実質使えなくなってしまった。そこは料金も比較的安くかつ交通のアクセスをふくめて東京近郊のいろんな所に住んでいる友人にとっても集まりやすい場所だったのだが。
こういうところにも例の事業仕分けの余波みたいなものが出ているんだろうか。もっとも事業仕分け以前から上記関連施設の扱いについては巷で問題になっていたのだけれど、それが加速したということなのかな。
事業仕分けの意味とその是非はおいて(採算がとれていたかどうか、民間でできないのか等々)、一利用者として極めてよく利用していた者からすると、今回の件はとても残念至極である。昨年ぼくは骨折の怪我にあって半年以上この施設を利用していなかったので、あらためて電話で予約しようと思って事の経緯を知った次第。
結果同施設は、世田谷区の住民以外は原則使えなくなってしまったようである。でもこれって、そもそも利用者エリアを限定することで、利用者数がより減ることにならないのでしょうか。世田谷区内の近隣住民は相対的にわりと金持ちだからいいのかな。頻繁に利用してくれるということか。でももともと厚生年金の施設で、ある程度誰に対しても開かれた施設だったのに、住民のエリア限定になってしまうというのは(公共施設の特定の者だけの利用権への委譲ということ)、なんとなく腑に落ちないなぁ。世田谷区が引き取ったから仕方ないのか。そういうものなのか。
とにかく時代は変わる! ボブ・ディランじゃないけど。ライク・ア・ローリング・ストーンズさ。最近、ボブ・ディランがまた本国で復活してきているらしいが。
いずれにしてもぼくらは漂流するテニス・プレーヤーになった。しばらくは抽選の申し込みをして、どこかで当たるのを待つしかない身。転々と、転戦してゆくしかない。

よしむね

デジタルの岸辺で

ずっとずっと昔、「岸辺のアルバム」というTVドラマがあった。若い人はまったく知らないと思うのだけれど。アラ筋はいわゆる新興住宅街(番組では多摩川沿い、田園都市沿線エリア)を舞台に崩壊してゆく家族の物語だった。ドラマのエンディングはたしか多摩川の決壊で、岸辺(川の土手)にたたずむ家族たちのシーンだったように記憶している。これはこれでその後の風潮や時代性(中流階級幻想とその崩壊?)を先取りするような良いドラマ(脚本は山田太一)だったと思う。岸辺ということでたまたま思い出して書いたままで、本題とはまったく関連のない導入になってしまったようです。ご免なさい。(最初から横道にそれてしまいました。)

実は今回はちょっと「デジタル」ということについて改めて書いてみたいと思っています。製品を作る側からとその需要を探し出す=マーケティングからみての、二通りの視点で捉えた場合のデジタル時代の難しさ、タフさについて。作るという立場からみた場合、アナログとデジタル製品の最大の違いは何か。よく言われていることで、あえて今更確認するまでもないかもしれないが、ひとことで言えば、デジタル製品になればなるほどアナログよりも差別化しにくくなる、ということに尽きるだろう。

デジタル(言うまでもなく0か1の世界)はどこまでいっても金太郎飴みたいなもので、それを寄せ集めても他の製品との違いを出すことが難しいということ。だからデジタル化のことをテクノロジーの農産物化と呼ぶ人もいるようだ。つまりそれだけ作りやすくなったという意味(実際の農作物が作りやすいかは別にして)。デジタルはアナログ表現のような諧調表現(グラデーションの世界、諧調やゾーン(幅)でしか示せない?)とは基本異なる。極端な言い方をすればそこでは日本企業が得意としてきた微妙な調整(ファイン・チューニング)みたいなものがほとんどいらず、デジタル対応の部品をつないでただ製品にすればよいという話になる。

したがって製造の観点でいえば、垂直統合(何から何まで自社で抱えて生産する)ではなく、水平分業(私=設計する人、あなた=作る人というように分けて行う生産の徹底)がより適しているというわけだ。それだけ大量に作り、規模のメリットを享受する必要性も高まることになる。このパターンは米国(ファブレス、設計に特化)と台湾を中心としたアジア勢(生産)が得意としている分業の領域で、この世界の競争では日本は完全に遅れつつある。というよりも、垂直統合にも未だこだわりを捨てきれず、どっちつかずの中途半端な状態と言えようか。いかにも日本らしいが。

さてではマーケティングはどうか。正直根拠があるわけではないけれど、なんとなく直感的に思えるのは、ひとことで言えばこれも経験則に基づいたようなマーケティングがあまり成り立たず、いかに先読みするか、イチかバチか的な当たり外れに賭けるような色彩がより際立つことになる、と言えそうな気がする。

こうしたマーケティングではかえって過去の成功体験は目を曇らせることになりがちで、むしろ過去にとらわれない発想がより求められるかもしれない。製品の性能さがあまりないため、いかに安いか、そのときの需要にフィットしているか、ブランド名が浸透しているか、大量に出回っているか、それが皆に急速に広がりつつあるか、などなどのムーブメント次第の構図がより強まる、ともいえようか。どちらにせよ、たぶん年功者や成功体験者の経験知などはあまり必要とされず、かつてのストックによる知見が効かない。ある意味では場当たり的、その場をしのぐフローが肝要。薄型テレビの展開じゃないけど、ますますフラット化して奥行きのいらない社会が要請されてゆくことになるのだろうか。欲望の先読みが過大視され、経験が希薄化してゆくような社会の到来。

こうした動きが金融をまきこんである面だけ先行加速していったのがそれこそリーマンショック前の一部の趨勢だったようにも思う。そしてリーマンショック以後を見ると、さすがにフロー一辺倒のような動きにも多少見直しが入りつつあるようにも思える。だが一度加速した動きがほんとうに巻き戻されるかどうか。人は昔とった杵柄がなかなか忘れられないものだ。

人は経験によって学ぶとはよく言われたきたことだ。だが、経験によって学ぶことができなくなったらどうなるか。当たり前のことだがいつも未知のことばかりに追われることになる。これはとても疲れるし、疲弊する。経験とはその意味で人の防波堤になってくれるありがたい面もあるわけだ。だが時代はやっぱりそうした経験というものを離れて、ますます漂流しつつある、ようにも思える、おそらく。

デジタルの岸辺ではこれからもたぶん既存の多くのものが毀れ、従来の勝者をふくめて崩壊してゆく。それはそれでいい。岸辺のアルバムじゃないけど、壊れるものはやがて壊れるのだ。そしてそんなデジタル時代をむかえて、世界の中での日本の立ち位置はますます難しいものになってゆくだろう。

そういう流れのなかで個人的にはアナログへのノスタルジーはあるとしても、アナログそのものの復権を叫びたいとは思わない。ただ時代遅れの周回遅れとして、ぼくはまだ無駄な奥行きと配置にはこだわりたいと思っている。ちょうどいろんな神社でみた奥行きみたいなものに。元々生まれてきたこと自体がアナログだし。

そんなことを書いていたら、携帯が鳴った。

「もしもし、もしもし・・・・誰ですか?」

その声には聞き覚えがあった。それを思い出した。その独特の抑揚、調子、等々。

人の声と思い出すという営みはまぎれもなくアナログだった。

「いやぁー、久し振りだねぇ・・・・どう元気?」

よしむね

終わりからしか考えられない時代なのかなぁ、と森美術館の「医学と芸術展」をみてふとそんなことを思った

先日六本木ヒルズの森美術館で展示されていた「医学と芸術展」を観に行ってきた。目的は日本画家の松井冬子さんの新作の絵(松井さんの絵はおどろおどろしいがやっぱり凄い)を見ることが主だったのだが、休日の夜遅くにもかかわらず意外にも館内は盛況で、若者たちが結構多かった。翌日が最終日であったせいか、六本木という場所柄デートのついでに観る人たちが多かったからなのか、よく分からないのだが。

堅苦しいようなテーマだけからはとても積極的に観たいと思うようなものでもないように感じられるのだけれど・・・。展示されているものの多くはといえば、人体解剖図だったりそのサンプル見本だったり、医学に使われた施術具だったり、臨終の御写真だったりした。最初からそれが分かっていればぼくは来なかったかもしれない。この人の多さは何なのだろう、いつもこんな風に多いのかな。現代の若者たちがほんとうにこういう企画を求めているのだろうか。

若者たちの多さに触発されて、以下に現代若者の心性について勝手に推察した感想を徒然なるままに「かもしれない」文で書いてみたい。

・けっきょくここで取り上げられているもののひとつは死ということなのだが、現代の若者は死に惹きつけられているのかもしれない
・死を終わりと考えれば、けっきょく終わりからしか何も考えることができない時代になってしまっているために、若者たちは終わりに惹きつけられているのかもしれない
・人体解剖図とか施術具とかどれも即物的で具体的なもの。若者の多くが即物的なものしか信用できなくなっているのかもしれない
・即物的なものにある種の安らぎを感じるのかもしれない。あまりにも不定形で不確かなものが多すぎるので、それが筋肉や骨格のようなものであれ、まさに具体物を求めているのかもしれない
・別に「医学と芸術展」を観に来たのにはたいした理由はないのかもしれない
・でもたいした理由もなく、ここまで観にくることはあり得ないかもしれない
・でもこうやって書いてきて、これは現代若者の心性にとどまらず、けっこうぼくら一般の現代人=老若男女の心性にも通じるものでもあるかもしれない

 そんな風に思えてきた。そんな風なことをふと思い始めたのだった。

よしむね

あなたはラーメン二郎のラーメンを食べたことがありますか

先日、保険コンサルタントの友人から加入している保険の診断を受けた。その話は置くとして、彼自身は営業コンサルでよく人に会うので最近の景況感を肌身で感じるそうであるが、やはり現在の状況は依然としてとてもヒドイ状況ではないか、と言っていた。久し振りに会った人で失業中の人もいるという。その彼とは以前同じ職場だったのだが、当時の会社で外注の仕事を続けていた幾人かの人たちが昨年まとめて首を切られたとか。ぼくの知り合いにも業界を問わずいまだ失業中の人は多い。

保険コンサルタントの上記友人T氏と同じ職場にいたのは今からちょうど20年前くらい。そのとき働いていた人たちが今失業中ということになるが、20年後に失業するなんて誰も予想していなかっただろう(だいいちそれは予想することではないが)。最近よく聞くが、給与水準とかをふくめてほぼ20年前の水準に逆戻りしているという。

20年かかって振り出しにもどったことになるが、これは単純にいえば20年かかっても給料が増えなかったともいえるわけで、サラリーマンからすれば辛い話だ。
キャッシュの状況がそうだとして、ではアセットはどうかというと、ローンで購入した住宅物件の資産価値が確実に目減りしている。両方から攻められているわけで、非常に厳しいというのが日本のわれら勤め人の状況か。借金に頼っている国力のポテンシャルも同じようなもの。

20年かかって何が変わったのか、変わらないものは何だったのか。本当のところ、誰も正確に答えることなどできないだろう。その友人T氏と会って別れた後に、彼からメールが送られてきて、「ラーメン二郎」でラーメンを食べているという。しかも昨日に続いてだという。添付はそのとき送られてきた写真。なんと旨そうであることか! やっぱりどんな時であれ旨いものはやめられないか。

ラーメン二郎はWikipediaによると、創業は1968年だそう。ぼくもラーメン二郎の評判は一応知っており、休日に山の手通りを車で走っていると、店の前でよく長蛇の列が作られているのを何度も目にしていたのだけれど、味がこってりタイプ(トンコツベース強し?)と聞いていたので、それが嫌でなんとなく敬遠していたのだが・・・。

ラーメン二郎は20年前から味が変わらずずっとおいしかったのかな。変わらない本物のラーメンの味だったのか!? 今度行ってみようかな。

因みに、Wikipediaに載っていたラーメン二郎三田本店の社訓は以下のようだそう。下記そのまま添付。

一、清く正しく美しく、散歩に読書にニコニコ貯金、週末は釣り、ゴルフ、写経
二、世のため人のため社会のため
三、Love & Peace & Togetherness
四、ごめんなさい、ひとこと言えるその勇気
五、味の乱れは心の乱れ、心の乱れは家庭の乱れ、家庭の乱れは社会の乱れ、社会の乱れは国の乱れ、国の乱れは宇宙の乱れ
六、ニンニク入れますか?

よしむね

京都・吉田神社でみた「トマソン」=「やしろ」

この間の週末、奈良・京都の小旅行の際、京都の吉田神社にも行ってきた。もともと私の姓と同じであり、家紋の話(これについてはまさむねさんが専門家)などからもこの辺り一帯が祖先のルーツ(出)かもしれないという興味もあって訪ねてみた。吉田神社そのものは有名かつ立派な神社なので特にここで紹介めいたことは書くつもりはない。
 今回行ってみて改めて思ったのは、以下のような二つのこと。
 神社や寺に限らず、良い空間というのは、かならず「奥の院」のような配置、いわゆる奥行きを持っているということ。それが本当の奥でなくてもいいし、周りに散らされていてもいいのだが、そうした適度な散らばりや広がりがあること(庭園もこれに加えていいと思う)がとても気持ちが良いということ。歩き回る楽しさがある。

 それから、関連したことだけれど、日本には何もない空間をいわゆる「やしろ」として崇める慣習があったと言われているようだが、同じように良い空間にはかならずそうした意味のない空間を寿ぐような場所があるということ。ゆとりともいえるだろうし、遊びの空間とも、赤瀬川原平さんならそれこそまさに「トマソン」だとおっしゃるかもしれないような場所。添付写真は吉田神社で見られた「やしろ」のような空間の数々。これについては神聖化している理由はちゃんとあるのかもしれないが。
いずれにしても吉田神社には上記のような空間がたしかにあった。それから、君が代で歌われている「さざれ石」の原形(?)を祭っていることを知ることができたのも僥倖だった。

 神社の空間というのは、まさむねさんも以前言っていたのだけれど本来誰にでも開かれた空間なわけで、その何もないといえば言える空間だからこそ面白い。現代の都市開発も先祖がえりじゃないけど、効率性ばかりを追求してきた反転として一見無意味とみえる空間(無駄な遊びの空間)をいかに上手に設けるかに回帰しつつあるようにも思える。
 
因みに「トマソン」とは、赤瀬川さんによって、当時読売ジャイアンツに高額の契約金で雇われたゲーリー・トマソン選手が役に立たなかったことにちなみ、「超芸術トマソン」と命名されたことに起因する造語。いわゆる役に立たないもの、無意味なもの、不思議なものから来る妙なおかしさ、翻って貴重さ等々の広い意味に捉えることができると筆者は勝手に拡大理解しています。

よしむね

遷都1300年への回帰の旅も最後は土塀にきえて・・・

平城京の遷都1300年ということで、この週末に奈良(その後京都入り)に行ってきた。コースは大体お決まりの奈良公園あたりを皮切りに東大寺大仏様から薬師寺、唐招提寺、法隆寺へいたる行程。薬師寺は高校の修学旅行以来行っておらず、その時、空に融けてゆくような塔の優美さにいたく感動した記憶があり、ぜひもう一度行ってみたかったところ。今回行ってみての主な感想は以下箇条書きの通り。

1)まず奈良の拝観料が全般的にちょっと高すぎること。800円から1000円くらいなのだが、京都の金閣寺は400円だった。京都と奈良では人の出入りの絶対数が違うということがあるかもしれないが、いくら世界遺産とはいえせめて500円くらいでないと。特に昨今の不景気を考えれば、もう少し抑えてほしいところ。学生諸君も大変ではないか。団体割引かもしれないが。因みに金閣寺は2度めの拝観見直しもできた。素晴らしい、なんと寛容な心遣い!

2)薬師寺は東塔が改築中。全体的に壁や建築物の朱色の塗り直しがあったのか、高校時代の記憶のイメージよりも、ずっと華美な色調が目立つ感じで、正直あまり感動しなかった。なんとなく期待はずれ。もっとくすんでいて落ち着いた美しさがあったような気がしていたのだが。ぼくの記憶違いだったのかな、あるいは東塔が改築中で、バランスよく全体を俯瞰できなかったからか。少し失望(寺社の方には大変失礼かもしれませんが)。

3)それよりも、唐招提寺と法隆寺が良かった。天平の甍たちの質素な美しさ、力強さ。天平時代の建築群の、均整のとれた無駄のない配置、庭園や空間処理の見事さ。けっして贅沢ではないのだが、貧相でなく十分に優美であり、かつ極めてシンプルな建築そのものの造り(たぶん考え抜かれた設計配慮の徹底さ)にあらためて感動した。材木や屋根のふるめかしさもいい。とにかく古い木(構造体)が美しいのだ!

4)それから法隆寺の大宝蔵院でみた百済観音像は圧巻だった。ぼくは仏像にはまったく詳しくないのだが、百済観音像には感動した。通常の仏像はどこか威厳がありいかめしさやふくよかさに起因したある種の近寄りがたさがあると思う(どこか天上的で威圧的な)のだが、百済観音像はそれらの仏像とはおよそ対極的な所作を持っているように見えた。まるでジャコメッティの線的な人物彫刻のようでもあり、イコン画から抜け出してきた聖人のようでもあり、それこそグレコの描く聖人像にも似ており、とにかく全体的にきわめて細い躯体から、少しも威圧的でない、やわらかさが滲みでている感じだった。しかも天上的だがすこしも近寄りがたい感じではなく、どこまでも優しいのだ。百済というくらいだから、どこか大陸系・朝鮮の人たちに似た顔立ちのようでもあり、半目開きの物静かな面差しといい、正直こんな仏像を目にしたのは初めてのような気がした。見ていない方がおられたら、ぜひ一度ご覧になってみてください。

5)最後に中国の旧正月(春節)休みとも近かったからか、とにかく中国人の観光旅行者が奈良も京都でもやたら多かったこと! 躍進する中国さまさまか。国力の昇竜ブームにのった勢いのかずかず。これからの日本にはとても大事なお客様たち。

 さて旅にはいつも終わりはなく、どこで終わるともいえず、いつ終わったとも言えないのだが、最後は法隆寺の外郭の土塀あたりを散策しつつ、傾きかけた午後の日ざしのなかで、なんとなく懐かしいような小道(奈良も京都もやはり路地がいい)をふらつきながら、添付写真のような土塀のなかに、きっと透明人間になって消えていって誰でもないひととして紛れていって終わるのだろうな。皆さん、そこでゆっくり昼寝でもしましょうね、そして良い夢をみましょう。

よしむね

三者三様による「三斜・三冊子」「オーガニック革命」「2011年新聞・テレビ消滅」「未来のための江戸学」

最近たまたま読んだ三冊について、以下にその感想を書きます。いずれも「これから」を考える上でのヒントのひとつになるような本かな、と。その意味で三者三様、いずれもマイナーではありますが、ひとりひとりの傾斜角での視点に基づく、「三斜・三様」の本たちだと思います。あえてここで強引に内容を共通化して言ってみると、従来の「持てるもの」の時代が終わりを迎え、これからはいかに持たないで生きてゆくか、その工夫が鍵になる、ということでしょうか。

「オーガニック革命」(集英社新書、 高城剛)」

高城さんの主張は一貫している。まずここで言うオーガニックとは、単に有機農業などへの食品嗜好を意味するのではなく、もっと広く「個人の意識のあり方や態度から発信される行動様式」と定義。そして市場万能主義と金融グローバリゼーションが崩れたいわゆるリーマンショック以後を見据えて、効率化モデル・アメリカ的価値観の終わりの後に来るものとして、オーガニックのムーブメントを位置づけている。それを自身が住んでいたロンドンの先駆事例に基づきながら紹介している。

「次」に向けて、ロンドンが、世界がもう変わり始めている、と。そして、このオーガニックには「行き過ぎた資本主義へのアンチテーゼがある」のだ、と。以下、面白そうな論点。
・これからは、働く場所(第一の土地)、住む家(第二の土地)以外の第三の土地をいかに発見するか、である
・できるだけモノを持たないのが21世紀的発想になる
・都市システムを解体することが、21世紀的な行為になるのではないか、等々
またこれは高城さんが以前から書いていることとも符合していると思われるが、「フラット化する世界」(トーマス・フリードマン著)に留まらず、これからはますます世界がリキッド化(液状化)に向かうとして、その中で自らより強く「ハイパー・ノマド(遊牧民」として生きてゆくことを宣言してもいる。高城さんの視点は、先の著書「サバイバル時代の海外旅行術」(光文社新書)にも代表されるように、変化が激しく見通しにくいこの時代を漂流してゆきつついかにサバイブしてゆくかに主眼があるともいえるだろう。

「2011年新聞・テレビ消滅」(文春新書、佐々木俊尚)」

 タイトルからはややショッキングに思えるかもしれないが、佐々木さんの主張も決して大げさなものではなく、ある必然をもって新聞とテレビという既存メディアがこれから確実に衰退に向かうことを描写してゆく。その基調にあるのは、従来前提とされていたマスメディアが明確に終焉を迎えつつある、というある意味でオーソドックスな時代認識だ。

 そして、メディアの流れ(流通)を、コンテンツ・コンテナ・コンベヤという三層モデルで考えた場合、従来のメディアは垂直統合でこの三層を押さえていたのだが、ネットビジネスの登場等でそのモデルが完全に崩れつつあり、次の時代の覇者は、コンテナなどのプラットホームを握るものにこそ優位権があるという考え方。
そのような近未来的なプラットホーム争いのなかで、キンドルのアマゾンやユーチューブ、グーグル、アップル、リクルートなどの新興企業の登場と戦略が併行して語られてゆくのだが、上記の考え方もふくめてベースとなるものは古典的な見方にそったものだ。

これはしばしば言われたことだが、過去の歴史において最終的に石油の利権を制したのは、石油の採掘権を握った者たちではなく、その石油を輸送する手段(その当時は鉄道)を握ったロックフェラーたちだったという事実。つまりいくら石油が取れても、運ぶことができなければ石油もただの水以下だということ。
大事なのは昔も今も運ぶ手段網(流通経路の根幹となるネットワーク)にあるのだ、ということ。佐々木さんの考えもある意味でそのような考え方を忠実に踏襲しているといえるだろう。そして2011年に行われる完全地デジ化と情報通信法の施行が、日本の新聞社とテレビ局に対して従来の権益モデルをつき崩す決定的なトリガー(引き金)になると見ているのだ。

「未来のための江戸学」(小学館101新書、 田中優子)」

 著名な江戸学者によって、時事風の主題をまじえながら、江戸時代からこの今を考えるということ、現代が江戸の優れていた点とどんな風に交差することが可能かを未来の視点から考えようとしている、と言ったらよいだろうか。

 ぼくは日本の歴史に明るくなく大した知識など持っているとは言えないのだが、このような著書を読むと、過去の歴史というものを今の視点で括ってしまってなんとなく分かった気になっていることが往々にしてありはしないか、反省させられるような気がする。本当の歴史とは今ぼくらが聞いて知っていたものとはおよそまったく異なるかたちだったのではないかというようなことだ。

以下に、田中さんのフィルターを通した指摘の幾つかを示してみる。江戸時代とはどんな時代だったのか。
・江戸時代の職人たちは、100年や200年ももつ道具や建築物や紙や布を作ることを誇りにしていた
・江戸時代の商人倫理は過剰な利ざやを稼がないことが、信用を得ることだった
・江戸時代の森林伐採の禁止は、環境保全と経済成長を両立させようなどというむしのいい発想ではなく、むしろ「すたり」(無駄)をなくすことによって、健全なサイクルを作り、誰もが貧困状態にならないよう世の中を経営するという考え方に基づいていた
・江戸時代には、「始末」という考え方があり、これは始まりと終わりをきちんとして循環が滞らないようにすることだった
・江戸時代の「経済」という言葉は、国土を経営し、物産を開発し、都内を富豊にし、万民を済救するという意味であった
・安藤広重の「名所江戸百景」によると、江戸という都市が単に活気に満ちた騒がしいところなのではなく、静かでゆったりして、実にのびのびとした空間であったことがありありとわかる
・縄文時代後期から始まって江戸時代中期に完成した水の管理システムは、本来は至るところ急流になっている日本の川を制御して、降った雨が大地のすみずみまで滲みこんで潤しながら、むしろゆっくり流れるようにすることだった

これなどは正にダム建設中心で推移してきた日本の治水システムを見直そうとしている昨今の民主党の施策のずっと先を行っていたようなものとも言えるだろう。また江戸のゆったり感というのも、当時今のような高い建物などがなく、いろんな場所から富士山を見ることができたことを想うと、江戸が水の都市と呼ばれ、かつ視界がひろびろとしていたことが当たり前のようにまざまざと想像できるように思える。さらによく言われる鎖国というものが実は後で作られた言葉に過ぎず、鎖国によって国を閉ざしていたわけではなく、今でいうグローバル化のなかで選択された施策であったことなども田中さんの論点によって明らかにされてゆく。そして「分」をわきまえ、配慮と節度で対応していた江戸時代の人たちの心構えのようなもの、人との関係としての「框」の構造の意味、等々。

別に江戸時代の昔に返ればよいということではないし、古の昔が良かったというわけではない。ただ未だに成長神話に頼らずには生きていけないような、一本調子の基調のみを求めたがる現在の風潮に対して、江戸時代が持っていた「循環(めぐること)」の価値観に基づく考え方には、どこか一筋縄では行かない奥行きの深さを感じずにはいられないし、今を生きるヒントの一つとなり得る示唆に満ちているようにも思えるのだ。

いずれにしても、戦略ということを含めて、何を持ち、何を持たないか、その取捨がこれからとても大事になるように思える、そういうことを示唆してくれた三冊だった。

よしむね

男もすなる料理というものを、女もしてみむとて、大勢がするなり

これは、ぼくがコラーゲン入りラーメン・スープの作り方という男の料理教室に行ったときのこと。添付の写真はそのとき作ったラーメンとチャーシュー飯。ちゃんと作ったように見えるだろうが、味付けタマゴといい、ほとんどは段取りよく仕込まれていたものも多く、自分で実際に作ったものとはあまりいえないのだが。
 それはそうとして、ここで書きたいのは、男の料理教室といっても、その日男で実際に参加したのはぼくを入れて3名くらいで、それ以外の圧倒的多数は女性だったという事実。教室のシェフ先生の言葉だけれど、「男の料理教室とは言ってますが、いつも女性のかたのほうが多いんですよ!」。
つまり最近の男は草食化しており、やれマイ弁を作ってくるものも多いとかマメになったとかいろいろ言われてはいても、それはまだ少数派なのか、やはり圧倒的に、何にせよ世のイベントの津々浦々・その枝葉末節に至るまでの命脈を支えているのはまだまだ女性の実需なのだということ。もっと言えば結局は女性に気に入られないようなイベント・企画は流行らない・長続きしないということだろう。男の料理教室の実際も女性でもっているのである。
上智大学経済学部教授の鬼頭宏さんが以前話をされていたインタビュー記事(1月7日の日経新聞朝刊)によると、日本の人口が長期にわたって増えた時期は過去の歴史で4回。縄文時代前半、弥生時代から平安時代、室町から江戸時代前期、幕末から21世紀初頭まで、だそう。逆に減った時期も4回で、縄文時代後半、鎌倉、江戸中・後期と現在なのだという。
そして、人口が飛躍的に増える時期は新しい文明システムが展開する時期で、一方人口が減少する時期には文明が成熟し、人々の関心が外よりも内面に向かい、ハードよりソフト志向、工業よりサービス、男より女の役割が増す、時代なのだという。これは一般論としてはむべなるかな、というところだろう。
また社会学者の見田宗介さんが著書のなかで書かれていたことだが、世界史的に人口推移を捉えてみると、実は1970年半ばくらいからが変局点になるという。つまり、産業革命をへて20世紀に入りそれまで一本調子で増加し続けてきた人口増大の傾向が、1970年半ば頃をターニングポイントにして鈍化する(曲がり角を迎える)兆しが現れ始めていたのだという。因みに1970年代半ばというのは石油危機があり、ローマ・クラブが「成長の限界」というレポートを提出したころ。
人口減少のトレンドはなにも日本だけに限った話ではなく、現在の世界人口が推定68億くらい(2009年時点)あり、2050年には90億近くになるなどの予想がなされてはいても、その増加スピードは明らかに弱まってきており、世界の人口試算では21世紀の前半で平衡・均衡曲線に移り、その後はいずれかの時点でピークを打ってやがては人口減少に移行していくということになるのだろう。21世紀にはいり人類も成長期を終えつつあるのだ(もう疾うに成長は限界だったわけかな)。
 そしてそうだとすれば、遅かれ早かれ日本も世界もこれから明らかに長いだらだら坂の坂道を下ってゆくことになり、ソフト志向が強まるとともに、何処の地でも女性たちが活躍する時代が当分続いてゆくのである。世界は、かわいいKAWAII!に憧れる女性たちで埋め尽くされるのだろう。けっこうなことではないか。そして世の男たちはといえば、昼下がり、坂道のベンチに座って何を思うのだろうか? そのときも男もすなる料理というものが果たしてまだ残っているだろうか。

よしむね

誕生日には水を!

この間、誕生日だった日に、たまたま新聞の記事の見出しが目に入った。

「CD生産額 09年16%減」
「マンション発売09年 17年ぶり4万戸割れ」
「VC投資 1000億円割れの公算 09年度、新規上場の減少で」
「百貨店閉鎖 最悪に迫る」
 
いずれも我が日本国でのこと。これは09年度の話とはいえ、世の中がどんどん衰退している、その縮み速度ばかりが目立つような記事。どれもこれも日本全体が明らかな減衰モードに入っているんだというような。まるで日本という大人がどんどん逆戻りして赤子の時代に戻っていくような錯覚、ちょうと昨年上映された映画「ベンジャミン・バトン 数奇な人生」(原作はF・スコット・フィッツジェラルド)のようだ。
たしかに去年の落ち込み方はすごかった。特に一月とか二月とか。それでも新橋でお酒を飲む人たちは結構いたが。やけのやんぱちだったのかな。そういえば、あの頃あまりの受注額の少なさに、この世の終わりだと思ったと呟いていた人がいたっけ。
 ぼくもそれなりに年齢をくってきたので、お蔭様で悪かった時期はいろいろ経験させてもらった。90年、91年、97年、98年とか2001年とかたしか2003年とかもひどかったよなぁ、とか。
 それで、今年はどうなるか? 奈落はもうないか。まだ崖の残りがあるのか。喉元は過ぎたのだろうか。なにもたしかではないが。世の中は、ひとつのバブルを終えて、また別のバブルを探して動き始めているようにも見える。とにかくバブルがなければ経済は成り立たない。そして、これからはやれ中国だ、もうG20だ、ドルの崩落だ、商品市場だ・・・・等々。
 だが、覆水は返らないだろう。中途半端な期待や考えはいっさい止めること、か。
それをはっきり自覚すること。何かが始まるとしても、それは多分かつての姿のままではありえないだろう、おそらく今後、永遠に?

だから自分の誕生日にはせめて新しい水を、まず飲もう。

よしむね

日本はやはり変わりたくない人たちが大勢いる社会ということなのだろうな

民主党政権の施策について不満に思うことは、大きく以下の3点だ。たぶん一般的によく言われていることとかなり重なると思うのだけど。

①八方美人すぎて、結局なにをしたいのかよく分からないということ

②やや後ろ(下位、下から)目線が強すぎること

これは社会でわりと経済的には弱者に近いカテゴリーにあるような方々への配分を厚くしすぎているキライがあるように思えること。コンクリートから人へ、人に優しい施策ということかもしれないが、表現が悪いけど、貧乏人の子沢山の喩えではないが、子供手当てのような充実が今ほんとうに必要なのか。養育や教育費の問題は切実なのかもしれないが、長い目でみて本当はその人の始末と責任で育てているのに単に子供がいるというだけで上からお金をもらえるという安易さに居座ってしまうことにならないか。だいいちそんなに継続的に大判振る舞いできる余裕があるのだろうか。
やっぱり上への目線で、社会を引っ張っていく人たちや社会をうまく回転させる要因へのインセンティブをもっと効かせてゆく、その自律化をうながす施策の必要性があるのではないか。皆で並べば恐くないじゃないけど、でも本当に皆が下位に並んでしまったらどうしようもなくなるだろうと思うのだが。どうだろうか?

③やっていることがどうも一貫していないようにみえること

たとえばせっかく事業仕分けをしても、それがそのまま最終的に各省庁の予算削減で通ったわけではないらしいという事実。二重の結果。そうすると、われわれ第三者からみると、どこにほんとうの判断基準があったのか、最終の決定者が誰だったのか、事後まったく分からないことになってしまう。

閑話休題。それはそれとして、小沢一郎についてしつこいくらいの検察の捜査と報道が続いている。先週土曜日には小沢本人への事情聴取とその後の会見も行われている。結局その真偽は分からないし、小沢一郎に嘘がないといえるかも分からない。小沢一郎は正しくないかもしれない。しかし、この一連の捜査と報道のあり方は異常だと思う。
長く時の政権の中枢にあった自民党議員のほうが、政治献金の効果という視点からみても、たかが最近政権の座に着いた民主党議員よりもよほど多くを享受してきたのは普通に考えてもまったく当たり前のことではないかと思うのだ。この事件のかなめは標的として取り上げられるかどうかという恣意性以外の何ものでもないように思えてならない。小沢一郎よりも、だ。たとえば元首相の方々などもふくめて、大物はもっと沢山いるのではないか。そうした関連への捜査が行われている気配がなく報道もなされず、一方的に小沢捜査とそれをめぐる報道のみがあるという構図はどこか空恐ろしい。
現代日本では、けっきょく小沢一郎的なものが具現するものを、嫌いな人たちが大勢いるということなのだろう。彼らの思いとは何か。とにかく今までと変わらないこと、変わりたくない、ということ。既得権益にしがみついてきた人たちが、とにかく従来のやり方を変えようとしている小沢一郎に必死に抵抗しようとして追い討ちをかけているのかもしれない。そこには軍産一体化を背景にしたアメリカの意向などもあるかもしれない。
改革とか変革とかキレイごとをいっても、日本はやはり変わりたくない(=今のままでい)人たちが大勢いる社会だということなのだろうな。

よしむね