PAST MASTERS VOL.2

PAST MASTERS VOL.2

TOCP-51126
1988年3月7日発売

●ビートルズの後期(1965年12月以降)のシングル曲を収録
●中山康樹氏によるとビートルズ初心者がまず聴くべきアルバム。

後期の編集版といえば、青盤もあったけど、最終的にこういう形でこれらの曲を聞けるようになったんだ。ビートルズの成長といろんな嗜好がわかるお得な1枚だよね。
The inner lightを聴いたのはこのアルバムがはじめてだったな。Hey Judeの輝きは永遠だよね。

Day Tripper
★★★☆☆

◆(Lennon=Maccartney) V=John,Paul 収録日=1965/10/16

We Can Work It Outとの両A面として発売(でも両A面ってどういう意味か?)。

リフで引っ張っていくこのDay Tripperはストーンズとかも意識していたんだろうか。ちょうど、ビートルズの歌が段々サイケ色に変化していく時期の曲。ジョンも、この曲の事をはっきり、ドラッグソングと言っている。

また、歌詞にも、一筋縄でいかない部分が出てくる。
she’s a big teaserえらく手ごわい女だ、)という歌詞もあるけど、実は“She’s a prick teaserあの娘はチンチンをいじる女)ってのが隠しフレーズ。 いたずら心のあるジョンは、ライブでは、prick teaserで歌いながらゲラゲラ笑っていたそうだ。趣味悪いぞ、ジョン。

ここの部分を文章として解釈すると、2つの解釈がそれぞれ、以下のようにも訳せる。

She’s a big teaser, she took me half the way there
(えらく手ごわい女だ訳)えらく手ごわい女だ、僕も危うく一杯くうところだった
(チンチンをいじる女訳)彼女はチンチンをいじる女 僕も危うくイっちゃうところだった

そういえば、この曲のプロモで、リンゴが電車のセットをノコギリで壊すという(?)なシーンがある。とってもシュールだ。
一方、この曲の最後の方のギターで、この有名なリフがたまに消える。これは実はジョンが意図的にやったというのだ。
「あれはなんだったんだろう」っていう感じを残す、そこに想像(妄想)が入り込む隙を作る。

そういう発想するとやっと、リンゴが切り取ってた柱が、実は、ギターフレーズを構成する「音」だったんだなってことがわかるんだよね。

一度聴いたら忘れない印象的なフレーズ。これも天才の発想。

We Can Work It Out
★★★★☆

◆(Lennon=Maccartney) V=Paul,John 収録日=1965/10/20,29

●ジョンとポールの共作。途中ワルツにしたのはジョージのアイディア。
●邦題は「恋を抱きしめよう」。


しかし、「恋を抱きしめよう」っていうのは意味不明なタイトルだよな。どうすればいいの?
それはともかく、Aメロはポール、サビはジョン、味付けにジョージって3人が1曲にいいアイディアを出し合うっていうビートルズ最高の合体形態がこの曲。

歌詞は、ポールの部分は確かにで強引だ。無理矢理の前向きともいえる。女を口説くとき、この位の前向きさは誰でもする(?)でしょ。

Try to see it my way, Do I have to keep on talking till I can’t go on?
While you see it your way, Run the risk of knowing that our love may soon be gone.

We can work it out,

僕みたいに考えてご覧。こうやって延々と君を説得しなきゃならないのかい
君みたいな考え方はよくないよ
二人の愛がはかなく消える可能性を問題にするなんて縁起でもない
僕らはきっと上手く行く 上手くいく

一方、ジョンの書いた部分は以下だ。

Life is very short, and there’s no time For fussing and fighting, my friend.
I have always thought that it’s a crime, So I will ask you once again.

人生はひどく短い くだらないことで喧嘩している暇はないよ
そんなにバカげていると思わないか だから改めて君に頼みたい

一般にこの部分は悲観的と言われるが、僕はそれほどでもないと思うな。
「人生は短いから喧嘩をするのをやめよう」のどこが悲観的なのか?それにこれを哲学なんて呼ぶのもどうか、それほどのものか。
ジョンの悲観って言えば他にいくらでもあるよ。

1)No Reply
I nearly died, I nearly died
‘Cause you walked hand in hand with another man in my place

死ぬほどつらかったよ
だって君は僕の代わりに他の男と手をつないで帰って来たんだから

2)I am a loser
And so it’s true, pride comes before a fall
I’m telling you so that you won’t lose all

おごれる者はひさしからずっていう諺は本当らしい
君もいい気になっていると何もかもなくしちゃうぞ

3)Yeh Blues
The eagle picks my eye The worm he licks my bone
I feel so suicidal

鷲が俺の目玉を突っつき ウジ虫が俺の骨をしゃぶる
今すぐ自殺したい気分だ

ジョンとポールとジョージの発想が見事に融和した名曲。

Paperback Writer
★★★☆☆

◆(Lennon=Maccartney) V=Paul 収録日=1966/4/13,14

Revolverと同時期に録音されたシングルA面。
●ポールの曲ではじめて恋や女とは無関係な曲。
●東京公演でも演奏された。


ポールの弾くベースは、テクニックも、音も秀逸。

実は歌詞を追っていくと変な部分がある。

一番と三番と四番はペイパーバックライターになりたいという手紙の内容だ。「ペイパーバックライターになりたいです。」「お望みならばもっと長く書くことも出来ます。」「お気に召したなら、著作権も御社に差し上げます」「見込みがなければ送り返してください」っていう具合だ。だが、二番だけが異質だ。ペイパーバックライターになりたいヤツの説明だ。

It’s the dirty story of a dirty man And his clinging wife doesn’t understand.
これは、下劣な男の下劣な物語 彼にまつわりつく妻は夫を理解しない
His son is working for the Daily Mail,It’s a steady job but he wants to be a paperback writer,
デイリーメール紙に勤務する彼の息子はペイパーバックライターになろうと考えています

なんと、ペイパーバックライターになりたかったのは、持ち込んだ小説の中の人物だったのだ。これはエッシャーのダマシ絵のような風景(鏡に向かって鏡を向けているような風景といってもいいのだが)ではないか。小説の中の人物がペイパーバックライターになりたとすれば、その小説を書いたペイパーバックライターがいるが、そいつも小説の中の人物で...って感じで永遠に循環する構造の中にいる、眩暈がするよね。

このころシュールレアリズムに凝っていたというポール。リスナーをちょっとした混乱に陥れる、こうした手法にイタズラ心が垣間見られる。Maxwell’s Silver Hammerとちょっと似たセンスだよな。

絶妙なコーラス、ランニングベースが最高。

Rain
★★★★☆

◆(Lennon=Maccartney) V=John 収録日=1966/4/14,16

Paperback WriterのB面。
●テープの逆回転を始めて導入した。


中山康樹氏大絶賛のこの曲。どこがいいのかって言えば、「曲がいい」ってことらしい。僕もこの曲は大好きだ。リンゴのドラムも逆回転のところも好きだ。
その昔は「ヘイ・ジュード」っていうLPに入っていたな。

でも、僕はこの詞も好きだ。

Can you hear me, that when it rains and shines,
It’s just a state of mind?

雨が降ろうと晴れようと心の状態が問題なんだ

この「外界に惑わされない自分」、あるいは「外界なんてどうでもいいという自分」というコンセプトは、その後の、Strawberry Fields foreverI am the WalrusAcross the Universeへとつながっていく。

1)Strawberry Fields forever
Living is easy with eyes closed, misunderstanding all you see.
目をつぶっていれば生きるのはたやすい 見るものすべてを誤解してしまうからね
2)I am the Walrus
Sitting in an English garden waiting for the sun
If the sun don’t come, you get a tan from standing in the English rain

英国風の庭園に腰を下ろし 日差しを待っている
もしも陽が照らなかったら英国の雨にうたれて肌を焼けばいい

3)Across the Universe
Nothing’s gonna change my world
何ものも僕の世界を変えることは出来ない

さらに、この姿勢は、自分のまわりの騒音をそのものに惑わされずに音楽として聴いてしまおうというアバンギャルド、Revolution 9へと続くのである。

重厚なドラム。リンゴの仕事の中でも最高傑作。

Lady Madonna
★★★☆☆

◆(Lennon=Maccartney) V=Paul 収録日=1968/2/3,6

●ビートルズ17枚目のシングル。

サージェントペパーで凝りに凝った音楽を聴かせたビートルズの次なる作品がこれ。
あまりにもシンプルでフィフティーズポップスを思わせるような曲調やアレンジに当時は、みんな「そう来たか!」って感じだったらしい。

ウィングスのライブアルバム「Wings over America」でも演られている。僕は、そのバージョンを真似したピアノの練習をして人前で演ったよ。リズム感の無い僕はみなさまにご迷惑をかけたな。
ポールの物語風の設定に、ジョンの好きなマザーグースの味付けがされている。ポール的なオチもジョン的な皮肉も無いのが残念。

しかし、皮肉な事に、後々このLady Madonnaはそのまま、アップル社の自己パロディになってしまうのでした。

Wonder how you manage to make ends meet
いったどうやって採算を合わせるんだい

シンプルながら優しいポールの人柄がにじみ出る曲。

The Inner Light
★★☆☆☆

◆(George) V=George 収録日=1968/1/12,2/6,8

Lady MadonnaのB面。
●この曲を歌うかどうか悩んでいたジョージに対して、ポールが「やってみろよ、大丈夫、いい曲なんだから」って励ましたという。


The 比較級、The 比較級 で、~すればするほど、~になる っていう文法は、高校の英語の時間を思い出すよね。

The farther one travels
The less one knows
The less one really knows

遠くへ行けば行くほど
知ることは少なくなる 得るものは少なくなる

ジョンも、外界に惑わされない自分というコンセプトを持っているけど、ジョージは真実の知は内面にあるってコンセプトだよね。
スーパースターになって世界中を飛び回った彼ら。でも、どこにも、彼らが求める真実は無かったという、彼らの現実を踏まえるとより、深く聴けるよね。

Within you without youでもこう歌ってる。

Try to realize it’s all within yourself
no-one else can make you change

すべては己の内にあることを認識せよ
誰も他人を変えることは出来ない

メロディ、歌詞ともにジョージらしい隠れた名曲。

Hey Jude ★★★★★

◆(Lennon=Maccartney) V=Paul 収録日=1968/7/31,8/1,2

●ビートルズナンバーの中で最大のヒット。
●ジョンが離婚したことによって、父親を失ったジュリアンを励ますためにポールが書いた。
●JudeをJew(ユダヤ人)のことであるとして、差別的な歌だと言われた。


ポールの優しさ溢れた曲。たしか、この曲を作った月にポールは婚約破棄を発表したんだよね。
破れた恋の数だけ他人の優しく出来るって歌ったのは細川たかしだが、僕はここでポールの気持ちが痛いね。
この曲を聴いたジョンは自分とヨーコのことを励ますための曲だと解釈したんだから、その脳天気さはそれはそれで天才的だ。

このポールのジュリアンに向けての励ましソングは、同時に世界に受け入れられた。世界への励ましソングになっていくんだ。

Don’t carry the world upon your shoulders.
For well you know that it’s a fool who plays it cool
By making his world a little colder.

何もかもひとりで背負い込むことは無いんだよ
自分の世界を冷ややかなものにして 常に冷静さを気取っているヤツのなんと愚かなことか

これが全世界の運動家の心とシンクロした瞬間、この曲は大ヒットしていく。例えば、ソ連に蹂躙されたチェコスロバキアでは、このHey Judeをマルタ・グビショバという人がカヴァーし、歌詞を替え、自由をうたいあげたんだよね。音楽の力が民衆のエネルギーに火をつけることがあるんだな。

当時、僕は小学校3年生だったけど、土曜日の午後に大橋巨泉が司会をしていたポップス番組で、「僕は、B面のRevolutionの方が好きだな」というような事を言ったのを何故か覚えている。
何故覚えてるのかは忘れたけどね。

でも、やっぱり一筋縄ではいかないのがポールの歌詞。Penny laneAll together nowと同じようなエッチな隠語が潜んでいる。それはここだ。

So let it out and let it in, hey Jude, begin,
You’re waiting for someone to perform with.

心を開いて迎え入れればいい、ねぇジュードスタートを切れよ。
誰かが助け船を出すのを待っているのかい?

内田さんの訳は素晴らしい。でも僕は邪推訳をする。
(それ)を自分で入れたりだしたりしなきゃダメ。ねぇジュード早く始めてよ。
やってもらうのを待ってるの?

…失礼しました。

ビートルズの代表中の代表曲。

Revolution
★★★★☆

◆(Lennon=Maccartney) V=John 収録日=1968/7/10,11,12

Hey JudeのB面。
●日産プレサージュのCMで使用(ただし、曲はCM用にアレンジ 歌手はアンジェラ・ジョンソン)。
●一時、天龍源一郎の入場テーマ曲として使用される。なんとなく変だったため、すぐにサンダーストームに戻る。
●もともとシングルにするために作った曲がテンポが遅くてシングル向きではないと判断され、スピードをあげ、シングル用にアレンジしなおした。ただ、後にHey Judeが作られ、この曲はB面に追われた。ジョンのトラウマとなる。


この曲は題名から来るイメージとは違い、聴き様によっては、革命に水を差す内容になっている。
ニーチェは「人間的なあまりに人間的な」の中で、「ものをよく考える人は党員にはなれない。思考は必ず党をはみだすからだ」という。
ジョンの微妙な立場を表してるような気もする。

僕はこのRevolutionの歌詞を見ていて一つの事に気づいた。

「世界を変えたいと思っている」「計画をきかせてもらおうか」「僕に出来ることなら何でもするよ」って革命に肯定的なセリフはすべて主語が「We」になっている。
一方、「数に入れないでくれ」とか、「早まるなといいたい」っていう時の主語は「I」になっているのだ。
すなわち、ジョンは集団としては革命賛成だが、個人としては革命に疑問を持っているのだ。その集団と個の間で揺れ動く自分というテーマ。それがこの時期のジョンのテーマだ。
これは世界と自分ということでもあるし、ビートルズと自分ということでもある。

ホワイトアルバムが1968年自体をパッケージングしたアルバムって呼ばれるが、そういった時代の揺れ動きを自分の内面の揺れ動きとして感じていた人が少なからずこのアルバムに共有したからではないかと思うのである。

そして、時がたち、現代の視点から見ると、ジョンは至極まっとうなことを言っているように思える。

「暴力のためだったら、僕は抜ける。そこに花を飾るのでなければ、僕がバリケードに加わるようなことは期待しないでくれ。マルクス主義やキリスト教の名の下に何かを粉砕するからには、すべてを粉砕した後に、いったい何をやろうとするのかが知りたい。僕がRevolutionのすべてのバージョンで言ったのは、”change your head君の頭を変えろ)”ということだ。」

でも、当時はそれもノンポリと批判されたんだよね。行動するのか、しないのかって2分法で言えば、実は、Hey Judeの方がRevolutionよりも行動を促す曲だったんだね。

ジョンの攻撃的な秀曲。

Get Back
★★★★☆

◆(Lennon=Maccartney) V=Paul 収録日=1969/1/28

●ルーフトップコンサートでの演奏。
●クレジットでビートルズとビリープレストン となっている。


ジョンがリードギターを弾いている。テクニックというよりもセンスが抜群だ。ジョンが嬉々として弾いている姿が僕は嬉しい。
心はもうビートルズになかったジョンだけどギターを持たせたらやっぱりロックンローラーだよな。僕も高校の頃、ドラムやったけど、楽しかったな。
この歌で楽しいのは、間奏の間に入る「Go home」のタイミングだな。

シンプルなロックンロール。大ヒット曲だよね。

Don’t Let Me Down
★★☆☆☆

◆(Lennon=Maccartney) V=John 収録日=1969/1/28

Get backのB面。
●ジョンがヨーコに向けて作った。
●何故か、Let it Beのアルバムには収録されず。Nackedでは収録。


Don’t Let Me Down
僕を見捨てないでくれ

ジョン得意の懇願系のラブソング。Please please meから、このDon’t Let Me Downまで、これはジョンの特徴だよね。
でも違うのは、彼のこの恋に対する自信だ。

I’m in love for the first time.
Don’t you know it’s gonna last.
It’s a love that lasts forever,
It’s a love that had no past.

生まれて初めて恋をした この恋には終りが無いんだ
限りなく続く永遠の恋
過去の一切を断ち切った恋

永遠の恋なんてことは、ヨーコと出会う前には見られなかったフレーズだよ。
でも、同時に見捨てないでくれって、懇願。この矛盾がジョンと言えばジョンだ。

ドンレットミーダーン♪って何回叫んだ事か。

The Ballad Of John And Yoko
★★★★☆

◆(Lennon=Maccartney) V=John 収録日=1969/4/14

Get backに引き続きシングル盤として発売。
●レコーディングはジョンとポールの2人で行われた。
●邦題は「ジョンとヨーコのバラード」。


ジョンの私生活をつづっている。サウンドにはジョン特有の憂鬱感は全く感じられない。リンゴが参加していないからかわからんが、悪く言えば軽い、よく言えば軽快なポップス。歌詞にはいたるところに興味深いフレーズが見られる。

しかし、この頃のジョンとヨーコはお気楽だ。

The man in the Mac said, “You’ve got to go back”.
You know they didn’t even give us a chance.

防水コートを着た男に言われた「さっさと帰りなよ」
奴らは僕らにチャンスすら与えようとしない

で、なんで出国できなかったのかって言えば、どうやらパスポートを持っていなかったらしいんだよね。別に社会(国家)が二人の自由を阻害したっていう大げさな話じゃないと思うんだが。

Christ you know it ain’t easy
畜生 全く楽じゃないぜ

この曲発表から4年くらい前にビートルズはキリストより有名発言でバッシングを受けたジョンだが、もう、そういった過去を吹っ切ったような表現だ。このフレーズのおかげでアメリカでは、放送禁止になった放送局も沢山あったようだけど、もうそんなことに気をつかうようなジョンではなかった。

You can get married in Gibraltar, near Spain”.
スペイン南端のジブラルタルで結婚式を挙げればいい

こういう手続きはマネージャーにやらせるジョンとヨーコ。お気楽だ。ジブラルタル生命保険のCMで、この時、ジブラルタルロックの前でジョンとヨーコが撮った記念写真が使われてたよね。

The newspapers said, “Say what you doing in bed?”
I said, “We’re only trying to get us some peace”.

新聞記者は訊いた「ベッドにもぐって何をしてるんですか」
僕は言ったよ。世界に平和をもたらしたいだけさ

これは、あの有名なベッドインの事だ。「僕たちは平和のセールスマン」って言って、ベッドから2人で平和をアピールしたんだ。「ホテルのスイートを使いやがって、その金は寄付しろ」とか、「そんなことしても世界は変わらないぞ」、みたいな非難をされた。でも当時の学生運動、平和運動に与えた影響は大きかったんだ。
このベッドインの最後に歌われた「Give peace a chance(平和を我等に)」。「いちご白書」っていう当時の青春映画でも講堂に座り込んでみんなで歌ってたよ。また、フジフィルムのCMでもこの時の写真が使われていたな。

Giving all your clothes to charity.
着るものはみんな寄付にまわす

これは、アップルブティック閉店の際に、無料で服を客にあげたことをさしてるんじゃないかな。これも今考えれば、無謀は笑い話だよね。ちなみに、その前日、ヨーコは自分の欲しい服を全部持っていったそうな。さすがちゃっかり者。いや、しっかり者。

eating chocolate cake in a bag.
袋に入ったチョコレートケーキを食べていたら(内田訳)

僕の想像だけど、これはなんらかのドラッグ入りのケーキだろうな。当時、日本でだってLSD入りの自作チョコとか、みんなで食べたっていうからね。
ちなみに、In a bag だけどさ、袋に入ってっていうのはチョコレートじゃなくて、ジョンとヨーコのことだからね。だから、本当は、「袋に入った」じゃなくて、「袋に入って」だよね。

They look just like two gurus in drag”.
二人して導師きどりでいやがって

このin dragは、ポリシーパンでも出てくる。風変わりなって訳すんだろうか。でも字義通り、「薬漬けになって」って訳してもいいんじゃないかな。実際そうだったんだから。

Fifty acorns tied in a sack.
50個のドングリがぞろぞろくっついてくる

これはドングリイベント(※1968年、ジョンとヨーコが平和を祈って、ドングリの苗を植えたり、全世界の指導者にドングリを送ったりした)のことを念頭に置いている。

The way things are going
They’re going to crucify me.

世の中はどうにかしてやがる 僕を磔にするつもりなんだ

行動的なジョンとヨーコ。だけど世の中は変わったのだろうか。少しづつ変わっているといえばそうだし、変わっていないといえばそうだ。
ジョンが常に主張したのは、社会システムを変えるんじゃなくて、一人一人の意識を変えるべきだって事。

世界は、ジョン一人を磔にして、何も無かったかのように昨日と同じように続いていく。

「ホタテをなめるなよ」と間違わないでね。

Old Brown Shoe
★★★☆☆

◆(George) V=George 収録日=1969/4/16,18

The Ballad Of John And Yoko のB面。
●何故か青盤にも収録されていた。
●ベースを弾いているのはポールなのかジョージなのか、未だに論争が続いている。


Now I’m stepping out this old brown shoe
履き古した茶色の靴はもう脱ごう

僕は、これはジョージの決意表明ととるな。勿論、このOld Brown Shoeはビートルズのことだ。
この歌の中でこう歌われている。

You know you pick me up from where some try to drag me down
人が僕の足を引っ張ろうとする世界から君が助け出してくれる
And when I see your smile replace every thoughtless frown.
思いやりの無いしかめっ面は消え、今は君の笑顔が見える
Got me escaping from this zoo, baby, I’m in love with you.
僕を動物園の檻から逃してくれた君

この動物園(zoo)というのは、Baby you are rich manでも使われている。ビートルズたちはすべての行動を世間から見られ続けていた。そのプレッシャーというは大変なものだったに違いない。彼らは、自分たちを動物園にいる動物って感じてたんだ。
シェアスタジアムのコンサートの映像を見たことある?野球場のプロテクトネットをつかみながら泣き叫ぶ少女たち。その5万人の少女たちに囲まれて演奏するビートルズ。監視しているフリをしながらビートルズをチラ見する警備員。エプスタインはガムをかみながら、満足そうにスタジアムを見回す。ジョンは狂ったような笑みを浮べてキーボードをひじで弾く。そんな光景さ。
こんな狂乱の劇場、これが動物園だ。コンサートを止めたが、現状はさらに悲惨になった。メンバーはお互いのエゴを剥き出しにし始めた。「人の足を引っ張ろうとする世界」ジョージは本当に、この頃のビートルズが嫌だったんだろうと想像されるよね。

でそういった嫌なものから離れよう。そういうメッセージソングだよね。

Do you want to know a secretのシャイな仮面、Don’t bother meの身勝手な引きこもりから、時間がたってジョージも大人になったな。

ビートルズの楽曲の中でも1位、2位を争うほどの名演。

Across The Universe
★★★★★

◆(Lennon=Maccartney) V=John 収録日=1968/2/4,8

●世界野生動物保護基金救済チャリティーアルバム「No one’s gonna change my world」に収録されたバージョン。
●オープニングの鳥の羽ばたき音が入っていることから通称バードバージョンと呼ばれている。
Let it be にされた収録バージョンに比べてテンポははやい(っていうかLet it be バージョンが遅い)。
●女性コーラスは、スタジオの外にいたおっかけの娘をその場で連れてきて使ったという。


ジョンを語る上で重要なナンバー。
Words(言葉)はコップの中から溢れ出し、全世界をくまなく巡るっていうのに対し、Thought思想)はでたらめに転がりながら世界を巡る。
やっぱりジョンは詩人なんだなと思わせるよね。この思想批判は、その後、平和を我らににも通じるよね。

「みんなが口にすることといったら何とかイズムばっかりだけど 僕らがいっているのは”平和を我らに” ただこれだけさ」ってね。

もっとも、リシュケシュっぽい至上の名曲。

Let It Be
★★★★★

◆(Lennon=Maccartney) V=Paul 収録日=1969/1/31,4/30

●シングルバージョンのプロデュースはジョージマーティン。
●ジョージの間奏のギターがどちらかといえば地味なバージョン。


この曲も僕が高校の時、人前でやったな。ピアノだった。ギターのM君はまよわず、スペクターバージョンのギターを弾いていた。
70年代はギター最盛期だから、より派手なギタープレイのスペクターバージョンの方を選択するのは当然だった。

当時は、僕たちにとって、プロデューサーのマーチンのプロデューサーとしての存在なんて誰も重要視してなかったからな。っていうか、そんなの気にするようなレベルじゃなかった。これは僕たちって言うよりも、その時代のリスナーのレベル、送り手側の意識も含めてのレベルが現代に比べるとだいぶ違っていたっていうことなんだな。

だから、アルバムの音が、その頃の思い出と一緒に染み付いてしまった僕は、Nakedって言われても、これが本物ですって言われても、待ってましたという感じではなかったな。(だから、本サイトではネイキッドのレビューはありません。)

こっちのLet it beは、最後のレリピーのコーラスが1回少ないんだよね。それだけでなんか損したような、感じがしたもんだ。当時日本は、っていうか僕たちは貧しかったということかな。

おそらく日本で最も人気のあるビートルズナンバー。

You Know My Name[Look Up The Number]
★☆☆☆☆

◆(Lennon=Maccartney) V=John,Paul 収録日=1967/5/17,6/7,8,1969/4/30

●サックスはストーンズのブライアン・ジョーンズが吹いている。上手い。
Let it be のB面。


メリージェーンとかRevolution9に通じるようなコンセプチュアルさを感じさせる遊び歌。

You Know My Name [Look Up The Number]
僕の名前は知っているよね。電話番号を調べてみな

っていうのがファンに対する最後のメッセージっていうのも、皮肉たっぷりでビートルズらしいよね。
親しみやすいんだけど、永遠に手の届かない存在。目の前の旅人に謎をなげかけるスフィンクスみたいに、どっか不思議のベールをかぶっていたビートルズ。だからこそ、僕たちは今でもこうやってその謎の前で遊ばしてもらっているんだ。

これが最後の1曲でした。

最後がビートルズで一番、変な曲っていうのもビートルズらしいかも。

高齢者問題から逃げた筑紫哲也

筑紫哲也の最後の多事争論web版を見た。

内容を抜粋する。

政治っていうのは古典的には、世代の間でパイを奪い合う。
若い世代のために、これからの世代のためにどのくらいお金を使うか。
世の中につくしてきた高齢者にどれくらいお金を使うか、

どっちに配分を多くしたらいいのかというのが政治の選択肢であるはずなんですね。
私達の国の今のおかしさっていうのは何なのかというのは実はどっちにも行っていない。

問題ははっきりしている。
問題はここにあるんだということはまずははっきりしないと何事もはじまらない。
その上で、それにむかって闘うのか、もう、それに負けるのか
そこが私達に迫られている選択肢だろうと思います。

筑紫さんは最後まで、自分の主張をしないで、なんとなく日本、国家、政治、行政をゆるく批判する人だった。また、自分を支えてくれた内輪の人間、そして、自分のファン層には格別の配慮をする人だった。
彼が”一流”のジャーナリストの位置をキープし続ける事が出来たのは、おそらく、この気遣い力のお陰に違いない。
最後の多事争論においても高齢者に対して配慮したいい方で物事の本質をずらす。彼は最後まで、高齢者問題から逃げた。結論を出さなかった。恐らく、問題であるという事はわかっていただろうに、だ。

しかも、彼は同じ動画の中で、自分はTVではほとんどやりたい事が出来なかったと弱毒を吐く。
散々、電波を私物化して(宮崎哲哉氏談)おきながら、どこまで自分勝手な人なんだろうと思わざるを得ない。

さて、筑紫さんが最後の提示した問題だが、現代の日本は明らかに高齢者に金を使いすぎだ。
彼らが貧しい人々というなら、それもわからないではないが、彼らは裕福なのだ。65歳以上の貯蓄残高(2,423万円)は、全世帯の1.4倍になっているという報告もある。

後期高齢者医療制度に対する高齢者達の反対に関しても、よく考えると、理解不能だ。
どうせ払うものを天引きするのがどこが問題なのか。
75歳以上という線引きに関しては、行政として、高齢者医療費の伸びを抑えようとするのは当然のことではないか。

はっきり言って、治療を受ける必要のない高齢者がこぞって通院している様は、何とかならないものか。

僕はC型肝炎の治療で毎週、土曜日に家の近くの総合病院に通院しているが、こんなスケジュールだ。

午前8時に受付
午前9時に診療開始
午前10時に採血の順番が来る。(採血自体は10分位で終わる)
午後11時に採血検査の結果を踏まえて医師の診療
午後12時にインターフェロンの注射

毎回、4時間もの時間を取られる。そして、僕のライバル達は勿論、ほとんどが高齢者達だ。

しかし、政治は彼らを重要な票田と考えているから、彼らに無理を強いる事はない。
定額給付金に関しても、いつの間にか、高齢者には8000円を上乗せするという話になっており、誰も反論しない。
子供に対して、余分に8000円を与えるのはわかる。子供達はこれからの消費者だから、お金を使うことの楽しさを教えるという意味もあるんだろう。
だけど、高齢者にお金を与えても、おそらく貯蓄に回るだけだろう。誰でもわかる話を誰も言い出さないのはどうしたものか。

そういう意味で、筑紫さんに提示した問題に対して英断する政治家の出現を待ちたい。
それは、麻生さんでも、小沢さんでもないのは確かだ。

何故ならば、麻生さんや小沢さんのような裕福な高齢者予備軍が、高齢者に対して我慢しろとは言えないからだ。
何とかならないものか。

まさむね

秩父の街 紋所散歩2

秩父散歩記-1からつづく。

秩父神社の境内に入る。
本殿の四方には、南面に虎、東面に龍、北面に梟、西面に猿の彫刻がある(写真一番上)。
日光東照宮と同様、江戸初期の彫刻様式だ。この時代の作品に対するある種のお決まりだが、左甚五郎作と伝えられている。

北面にある梟(写真二番目)は「北辰の梟」と呼ばれているが、梟が知恵を表すことから、最近では受験の守り神として学生達に人気が高い。っていうか神社側もそれを当て込んでPRしているようだ。
そういえばローマ神話でもミネルバの梟って知恵の象徴だ。梟=知恵みたいな観念って世界共通なのか。あるいは、西洋から東洋に伝播したものか。興味深いところだ。

さて、秩父神社のどこに紋所があるのか探す。

それらを勝手にピックアップして推理し、秩父神社、そして土地の歴史を妄想してみたい。

秩父神社は神仏習合時に、妙見宮も奉られていたという社伝もあって、平氏系の紋を探すが、残念ながら、慈眼寺で見られた九曜、七曜等の紋は見つからなかった。

しかし、消火用の天水桶の正面に、抱き銀杏紋(写真三番目)があった。
さて、この銀杏紋の起源は何か?

1:銀杏といえば、原産が中国大陸だ。銀杏紋は、古代にこの地を開発した大陸系の一族の名残か。ちなみに、彼らは古くからこの地で養蚕を営んだという。和同開珎用の自然銅もこのあたりで産出している。
2:いや、中世に、南関東を支配した大石氏の支配の痕跡か?
3:それとも、保水力のある大木・銀杏にあやかって、火除けの象徴としての銀杏を天水桶に彫っただけか?
4:また、銀杏と言えば、東京大学の学紋でも知られた通り、北辰の梟と同じく知恵の象徴でもある。秩父神社の主祭神の一人で学問の神様、八意思兼命(やごころおもいかねのみこと)を表してるのかも。

僕としては4:だと思うんだけど...ちなみに、この地方の名門・秩父高校の校章(写真四番目)にも銀杏があしらわれているんだ。また、ゆっくりと考えよう。

さて、本殿に目を戻す。
おっと、正面の上の方に葵紋を発見。
社伝によると、この建物は徳川家によってされたというから、やっぱりスポンサーの紋は高く掲げるよな、って思っていたら、そのさらに上に菊の紋所があった。

この正面の葵紋、そしてその上の菊紋は、王政復古後に、明治政府がこの神社を、徳川から奪取、その支配下に置いたという事を物語る。
しかし、そこには一筋縄ではいかない事情があった。
実は、明治時代、この秩父では秩父事件という大きな政治事件(一揆)があり、かなり多くの人々が投獄されたのである。時はちょうど自由民権運動の頃の話だ。

政府は、だからこそ、この事件の後、この地方の鎮魂を重要に考えたのであろう。
皇族の一人に秩父宮という名前まで与える。この神社の境内には、その秩父宮が植樹したという木が、婦人のものも含めて3本もあった。
そして、恐らく多額の補助金をこの地方に落とした。
いわゆる、弾圧の後の懐柔である。
秩父神社から駅までの街路には昭和初期の贅沢な洋館が散見(写真五番目)されるが、これらも、当時の繁栄の残像、政府の懐柔の痕跡か。

一方、江戸時代の支配者の徳川家は、明治以降どうなったのか。境内に入ってすぐ右に小さく東照大権現の祠が置かれている。
扱い悪いけど、捨てはしないで、とりあえず、隅にこっそり置いておくっていう日本的対応がほほえましくもある。

まさむね

 

関口宏の「水曜ノンフィクション」って存在意義ある番組?

関口宏の「水曜ノンフィクション」を見た。

番組の雰囲気は、「サンデーモーニング」の特集版といった感じだが、毎回、じっくりと特集のドキュメンタリ(ノンフィクション)を放送するらしいが、放送開始して数回、視聴率的にはかなり厳しいというニュースが伝わっている。

12日放送のテーマは、ネット社会の光と闇~”悪魔の暴走”と”闘う人々”。

関口さんの番組らしく、視聴ターゲットをネットとかコンピュータとかにどちらかといえば疎そうな階層(ようするにオヤジ層)にしぼり、学校裏サイト、闇サイト、それらの監視会社の現状、韓国における有名女優を自殺にまで追い詰めた中傷事件等の紹介。”光と闇”というわりに、ほぼ100%が闇に偏ったドキュメンタリだった印象。

「お宅のお子さんが、ネットという危ない世界でイジメられてないですか、悪に巻き込まれてないですか、大丈夫ですか?」という脅迫的な話の流れは、おなじみの展開だけど、子供が被害者になってるかもっていう心配よりも、加害者にならないように、厳しく躾てほしいよね、親御さんには。

当日のゲストの安川雅史氏は、「だから親御さんも、ネットの現状を把握してください。」って言ってたけど、恐らく、それは無理だし、無駄だ。
この人、「学校裏サイトからわが子を守る!」とか書いている人だから、本を売りたいってのはわかるけどさ。

番組HPには、プロデューサー・南部雅弘氏の言葉として「関口宏の持つプレゼンテーション力と時代を斬るセンスを生かし、」とあるけど、その当のアンカー関口氏の一言が「私はもう完全に取り残されていまして、ハハハ...」じゃ、低視聴率も仕方がないか。

少しは勉強したほうがいいですよ、ってスタッフの誰かが言ってあげたら、どう?言えないか。

まさむね

 

哀愁の名大関・魁皇がついに休場

ついに大関・魁皇が休場した。

九州場所は初日から左ひざの故障で苦しい土俵ではあったが、一昨日の若の里戦で左上腕も痛めてしまい、休場に追い込まれてしまったのだ。
九州は魁皇のご当地であり、連日、ファンからの異常な声援を受けていただけに今回の休場は誠に残念なことだ。
今回の休場により、史上最多の12回目の角番(負け越したら大関から陥落する立場)となってしまった。

休場となってみると、その優しそうな表情、黙々とした土俵態度、だけでなく、張りの無くなった体躯、膝の分厚いサポータ、塩が吹いて色褪せた回しでさえも、魁皇の世界を構成する一部という意味で愛おしく感じられるから不思議だ。

昨今、カジノ資本主義崩壊による金融恐慌後の日本人の、”次の時代の倫理”が模索されつつある。
こんな時期だからこそ、日本人の生き方のモデルの一人として魁皇にはいつまでも土俵に上がり続けてほしい。

常に追い詰められながらも踏みとどまる名大関・魁皇が醸し出す哀愁は、朝青龍、白鵬、琴欧洲、把瑠都、阿覧、栃ノ心達には決して出せないのだから。

まさむね

紳助の紳助による紳助ためのバラエティはもう結構だ

毎月、「TVnavi」というテレビ雑誌を読んでいるが、視聴率ランキングにいつも違和感を感じることがある。
関西地区のバラエティ部門において「クイズヘキサゴン」(以下、ヘキサゴンと略す)と「行列の出来る法律相談所」(以下、行列と略す)の視聴率が毎号、ダントツなのだ。

でも、そんな面白いか、このヘキサゴンと行列。

言うまでもなく、この2番組は、島田紳助の司会で進行される。
本来は、それぞれ、クイズ、法律相談がメインなはずなのだが、いつの間にか、紳助の雛壇ゲストに対する、辛らつな仕切り(いじり)の時間がやたらに長く、それ自体が番組の売りとなっている。

そしてゲスト達は、あくまで紳助のネタのためのキャラであることに徹する。
石田純一=女たらし、東野幸次=腹黒、磯野貴理=嘘付き 羞恥心=おバカ、波田陽区=つまらない芸人という具合だ。

ある事ない事織り交ぜて、”紳助組”の内輪ゲストに対してイジりまくる芸は、紳助の持ち技として他の追随を許さない事は認めざるを得ない。
ただ、画面から感じられる紳助とゲストの力関係があまりにも露骨なため、時に、その場のクウキが不愉快に感じられてしまうのだ。

「検索バカ」(藤原智美)によると、「クウキとはその場でできあがる人間同士の力関係です。リーダー的な存在がありそれを軸にできあがる暗黙の秩序といっていいでしょう。」というが、まさしく”ヘキサゴン”と”行列”は、紳助を頂点とした暗黙のクウキを必死に読もうとするゲスト達の競い合いにも見える。
僕には、紳助に場面を振られたゲストが、エサを投げてもらって喜んでいる動物園のサルに見えてしまうのである。

しかし、結局は、ゲスト達の発言は、最終的には紳助の話芸のネタとして消費されていく。
視聴者は、紳助の、紳助による、紳助の時間を見せられる事になる。それは紳助の支配欲を、深読みするならば、コンプレックスの裏側を見せられる事でもある。

一度、番組がこういう風景に見えてしまうと、このクウキの臭みを看過できなくなってしまう。
おそらくこれが、この番組の高視聴率への違和感の原因なんだと思う。

でも、もしかしたら、これは、関西と関東との感覚の違い?
一方、関東では、「笑点」の視聴率がいつも高いっていうのも、これはこれで信じられないのだが...

まさむね

 

イノセントラブとスキャンダル勝負あった!?

月9ドラマ「イノセントラブ」の展開があまりにも息苦しい。
堀北真希演じる佳音の”心情”にベッタリと寄り添わないと、とても見続けるのはつらい。
客観的に、彼女の行動を追っていくと、覗き、盗み聞き、不法侵入、出まかせの嘘、その場のごまかし等が満載で、奇行少女といった感じだ。
おそらく、殉也(北川悠仁)の絶対的心の広さ(何をやっても最終的に許す優しさ)があるから物語がかろうじて成立しているのではないか。

こういった純愛物は例えば、「恋空」なんかもそうだけど、映像にしちゃうとイメージが限定されすぎちゃって、感情移入しにくくなっちゃうんじゃないかな。
時代の流行っていう意味で、厳しいような気がする。
80年代の大映ドラマや90年代の野島ドラマ等の不幸物は、もう喜劇としてしか見られないからね。

一方、日曜劇場「スキャンダル」の華やかな展開は「イノセントラブ」の息苦しさと好対照だ。
第4話を終わった時点で、先が全く読めない。
今まで隠されていた過去、お互いの人間関係が、どのように、露呈していき、そして収束していくのか。
沢山いる個性的な登場人物達がそれぞれに、事件と過去に巻き込まれていく、その展開は、新しさを感じるよね。
今後、このドラマの感覚を模したドラマが多産される予感すらする。

さて、この「スキャンダル」は「セックス・アンド・ザ・シティ」の多大な、影響下にあると言われている。
だとするならば、「セックス・アンド・ザ・シティ」同様に、主役の4人のライフスタイルとか年齢とかを元にして、それぞれが着ている服のブランドやセリフの言い回しのコード(意味)が理解できればもっと楽しいんだと思う。
金持ちの奥さんってこういうブランド着るんだよなとか、役人の奥さんはこういう色好きだよねとか、年増OLってこういう言い方するよねとか、みたいな、いわゆる、あるある感覚を楽しむのも一つの楽しみ方だよね。
でも、僕にはそれを解読する知識は無いのが、残念。
唯一、前回、みんながたまき(桃井かおり)の家に泊まるシーンで、たまきがその場で用意した寝巻き用のTシャツが、ストーンズ、キッス、クラッシュ等のロック物だった事で、たまきの趣味と部屋の汚さの起源がわかる程度だ。

「イノセントラブ」の浅野妙子と「スキャンダル」の井上由美子。
浅野は「ラブジェネレーション」「神様、もう少しだけ」「大奥」「ラスト・フレンズ」、井上は、「ギフト」「GOOD LUCK!!」「14才の母」「ファーストキス」等を手がけている。

1961年生まれの現代を代表する二人の脚本家だが、今回の「イノセントラブ」と「スキャンダル」の勝負は見えた!というのは早計だろうか。

まさむね

 

渋谷警察署裏の金王神社を散歩

渋谷駅東口を出ると大きな歩道橋がある。
渋谷で、時間がある時は、この歩道橋のエレベータに乗ってみよう。

実は、このエレベータってちょっと前に一世を風靡したシンドラー製なんだよね。
歩道橋のエレベータだから、2Fまでなんだけど、一瞬のスリルが味わえる。
本当に微妙なスリルなんだけどさ。

さて、この歩道橋を渋谷東警察署の方に降りて、警察署の横の道に入ってちょっと行くと金王八幡宮がある。
ここは、今から900年位前、このあたりを治めた渋谷氏の居城があったんだってさ。
だから、渋谷の中心って歴史的に言えば、このあたりだったんだよね。

この、金王八幡宮、ビル街の中の異空間。鬱蒼とした敷地内に、木の幹に穴が開いてる御神木もあったりする。実はこの八幡宮って東京には結構あるんだよ。
代々木八幡、大宮八幡、世田谷八幡、鷺宮八幡、太子堂八幡、北澤八幡、雪谷八幡、碑文谷八幡、蒲田八幡...
どちらかといえば、渋谷、世田谷、目黒あたり、東京の西南に多い。
このあたりに、源氏に従う武士が多かったんだろうね。八幡宮は源氏の氏神だからね。

ちなみに、逆に東京の西北には氷川神社が多い。
一方、東京の東側には神田明神なんかもあるけど、平氏の根拠地だったかもね。

ちなみに、よく、渋谷っていうのは谷が多いから渋谷って呼ばれてるって説も聞くけど、歴史的にはどうなんだろう。
渋谷氏といえば、遠く歴史を経て、日露戦争で活躍した東郷平八郎もつながっている。
この渋谷区の原宿に東郷神社があるってのもなんかの因縁かもしれないね。

まさむね

 

 

 

筑紫さんはオナラが臭そうな人だった

筑紫哲也さんがガンで亡くなった。

僕たちの世代にとって、ジャーナリストと言えば、筑紫さんの顔が思い浮かぶ程、”それらしい”人だった。
このキャラクタ力は強固だ。
そういう意味でマスコミ既得権の代表者みたいな人だったよね。

だから、同業者であるマスコミ人はあまねく、筑紫さんに哀悼の意を示す。
「週刊ニュース新書」の田勢康弘さん、「JNN報道特集」の田丸美寿々さん、そして鳥越俊太郎さん達は異口同音に、「ブレない人」という言い方をしていた。
ブレないという事は、いつも同じ事を言っていたという事でしょ。
既に視聴者が持っているイメージ通りに振舞って、新しいこと考えなくていいんだから、ある意味、楽な立場だったんだろう。キャスターの発言で面白かったのは、安藤優子さん。「1980年頃、アメリカからの報道時、私が筑紫さんの通訳をしたんですよ。」って、ここに来て、朝日新聞・ワシントン特派員が看板の筑紫さんの英語力の無さを暴露するか!?こういうのを無邪気な悪意って言うんだろうな。

一方、2chでは、彼の事ボコボコ。
「慶んで、哀悼の意を表します」「日本の癌も癌には勝てず」「癌細胞に感謝!」等、そこまで言うか。
ニュー速+でのスレ数は、1日で30を越える。アメリカ大統領選挙、小室問題をはるかに上回る。大人気だ。

いつもそうだが、マスコミの言論とネットの反応の相反を再確認させられた。

僕の個人的な印象では、オナラの臭そうな人。
換言すれば、裏ではいつもいいもの食べてそう、あと、肉とか、辛い物好きそうな人だったよね。

まさむね

小室哲哉、夢に裏切られた男

僕がここで書いてみたいのは、彼がいろんな人に騙され、いろんな人を騙そうとして詐欺罪で逮捕される経緯というような裏の話ではない。
彼の音楽が1998年あたりから、何故、売れなくなったのかという事と、彼は何故、アジアに進出しようとして、そして失敗したのかという問題だ。

小室さんのプロデュース曲が次々とミリオンヒットを続けていた時期、それは1990年代の中盤から後半にかけてだ。
時は、女子高生ブーム全盛。僕の個人的なことを言えば、この頃、「女子高制服図鑑」とか「100万人の女子高生」というCD-ROMの制作にかかわっていた。
同じ頃、彼がプロデュースした安室奈美恵や華原朋美は、コギャル達のカリスマと言われ、楽曲は、ストリートコギャルの応援歌としてもてはやされていた。
小室さんの作る曲、詞は確実に彼女達をリアルに捉えていたのだ。

Lonelyくじけそうな姿 窓に映して
あてもなく歩いた 人知れずため息をつく
I’m proud 壊れそうで崩れそな情熱を
つなぎとめる何かいつも探し続けてた

-I’m proud -(華原朋美)

今日もため息の続き
1人街をさまよっている
エスケープ昨日からずっとしてる
部屋で電話を待つよりも歩いてる時に誰か
ベルを鳴らして!

-SWEET 19 BLUES-(安室奈美恵) 

当時、小室さんは、これらの曲を、スタッフ達と十分に、戦略を練って作っていたんだと思う。
そしてその戦略は見事成功した!
音楽業界におけるマーケッティングというものが、まだ、嫌らしさとも、嘘っぽさとしてとも、意識されていなかったこの頃、コムロサウンドは街を席巻したのである。

しかし、1998年頃に潮目が変った。それは音楽界だけでなく、社会的にも変った。

この頃、この社会的変化を象徴する二つの事件が起きている。

一つが、山一證券の廃業だ。
これは、「学校に行って、いい企業に入って真面目にやっていれば一生安泰」という夢の崩壊の象徴である。
そしてもう一つが、和歌山の砒素入りカレー事件だ。
こちらも「日本中どこにでもある共同体。そこに普通に暮らしていれば安心」という夢の崩壊の象徴である。

社会学者の山田昌宏氏は、この年に起きた、大きな社会的変化を1998年問題としてまとめている。
以下に上げるものの数が、この年に激増しているというのだ。

自殺者数
青少年の凶悪犯罪(殺人、強盗、強姦)の数
成人事件の強制わいせつ認知件数
セクハラ相談件数
児童虐待相談処理件数
離婚件数
できちゃった結婚の数
不登校児童の数
高校の中退率

このような現象は、それまで日本を支えていた社会システムの崩壊と言い表せると思う。
そして、コギャル達は、厳しい現実を前に、夢から醒めて、ルーズソックスを脱ぎ、ストリートから、それぞの家の中へと戻っていた。
それとともに、彼女達の応援歌=コムロサウンドも街から消えていったのである。彼が生み出したミリオンヒットは、1997年の安室奈美恵のCan you celebrate?と華原朋美のHate tell a lieが最後になった。コギャルの卒業ソングと解釈されたCan you celebrate?と、”嘘”との決別を表現していたHate tell a lieが、小室さんの最後のミリオンヒットとなった事実は、音楽シーンの流行にとって、誠に示唆的であったと思う。

一方、音楽界では1998年という年は、多くの画期的な新人が登場している。
宇多田ヒカル、浜崎あゆみ、aiko、椎名林檎、MISIA等、自分の個性を、自分の言葉とサウンドで表現できるミュージシャンの多くはこの年のデビューである。
大人が作って、タレントに歌わせ、タレントと同世代の女の子がCDを買い、メガヒットを記録するといった業界にとって幸福な時代。実は、この頃には既に終わっていたのかもしれない。
別の言い方をするならば、多くの視聴者はこの頃、より、共感出来る曲、リアルで本物の叫びとサウンドを求めたのである。
しかし、残念な事に、小室さんはこの流れについていけなかった。この年、彼の主な仕事は、鈴木あみをデビューさせることだったのだから。

勿論、パブリックイメージとしての小室哲哉は、まだ全盛である。特に小室さんを利用しようとする人々にとっては。
その翌々年の2000年の沖縄サミットでは、各国首脳の前で小室哲哉プロデュースの「NEVER END」という曲が披露されている。
小室さんの人生の絶頂とも言えるイベントである。

しかし、水面下では既に、終わっていた小室さんにとって「NEVER END(決して終わらない)」という曲は、今から見ると皮肉にしか聴こえない。

Never End Never End 私たちの未来は
Never End Never End 私たちの明日は
Fantasy 夢を見る 誰でも夢を見る
数えきれない やさしさが支えてる

-NEVER END-(安室奈美恵)

さて、この「NEVER END」では、Fantasy(夢)が歌われているが、実は、小室さんにとってのFantasy(夢)は2つあった。
一つは、「小室哲哉の楽曲は時代を超えて、永遠に通用するものだ。」という夢であり、それは上記のような時の流れによって否定されてしまった。

そしてもう一つは、「小室哲哉の楽曲は国境を越えて通用するものだ。」という夢であった。
実際に、今日の小室さんの転落の大きな原因は、彼の大陸進出の失敗と言われている。
実は、彼はここでもFantasy(夢)に裏切られたのである。

『Jポップとは何か』(烏賀陽弘道)によると、「Jポップ」という名称が運んだのは「日本のポピュラー音楽が世界に肩を並べるようになった」というファンタジーだったという。
すなわち、元々、Jポップという名前には、ある種の欺瞞があったというのだ。
それは、日本国内市場向けの音楽であるにもかかわらず、Jポップという名前によって、あたかも世界で通用しているかのようなイメージを生み出し、それによって国内市場で成功させようとしたのだという。
これは、”世界の”という冠詞をつけることによって、国内向けに売り出そうとする手法と同じ発想だ。世界のジャイアント馬場とか、世界の北野武とか、世界の三宅一生とか...

恐らく、小室さんは、このJポップのFantasy(夢)をベタに信じてしまったのだ。
しかも、先導するのは自分だという自負もあったんだと思う。

しかし、夢は夢だったのである。本来だったら、アジア市場を研究して、海賊版天国である事を踏まえるべきだった。パッケージはあくまでも宣伝という位置づけにして、コピーされることを前提に、とにかく認知度、高級なイメージを広めて、ライブでビジネスという方向も考えられたかもしれない。

このように、小室哲哉は、楽曲・才能の永遠性という夢、世界性という夢、いろんな意味で、夢に裏切られてしまったのだ。

さらに言えば、小室さんは、逮捕直前、最後の最後に誰かが救ってくれると夢想していたともいわれている。「NEVER END」における、”数えきれない やさしさが支えてる”という夢にまで、彼は裏切られたのである。

まさむね