小室哲哉、夢に裏切られた男

僕がここで書いてみたいのは、彼がいろんな人に騙され、いろんな人を騙そうとして詐欺罪で逮捕される経緯というような裏の話ではない。
彼の音楽が1998年あたりから、何故、売れなくなったのかという事と、彼は何故、アジアに進出しようとして、そして失敗したのかという問題だ。

小室さんのプロデュース曲が次々とミリオンヒットを続けていた時期、それは1990年代の中盤から後半にかけてだ。
時は、女子高生ブーム全盛。僕の個人的なことを言えば、この頃、「女子高制服図鑑」とか「100万人の女子高生」というCD-ROMの制作にかかわっていた。
同じ頃、彼がプロデュースした安室奈美恵や華原朋美は、コギャル達のカリスマと言われ、楽曲は、ストリートコギャルの応援歌としてもてはやされていた。
小室さんの作る曲、詞は確実に彼女達をリアルに捉えていたのだ。

Lonelyくじけそうな姿 窓に映して
あてもなく歩いた 人知れずため息をつく
I’m proud 壊れそうで崩れそな情熱を
つなぎとめる何かいつも探し続けてた

-I’m proud -(華原朋美)

今日もため息の続き
1人街をさまよっている
エスケープ昨日からずっとしてる
部屋で電話を待つよりも歩いてる時に誰か
ベルを鳴らして!

-SWEET 19 BLUES-(安室奈美恵) 

当時、小室さんは、これらの曲を、スタッフ達と十分に、戦略を練って作っていたんだと思う。
そしてその戦略は見事成功した!
音楽業界におけるマーケッティングというものが、まだ、嫌らしさとも、嘘っぽさとしてとも、意識されていなかったこの頃、コムロサウンドは街を席巻したのである。

しかし、1998年頃に潮目が変った。それは音楽界だけでなく、社会的にも変った。

この頃、この社会的変化を象徴する二つの事件が起きている。

一つが、山一證券の廃業だ。
これは、「学校に行って、いい企業に入って真面目にやっていれば一生安泰」という夢の崩壊の象徴である。
そしてもう一つが、和歌山の砒素入りカレー事件だ。
こちらも「日本中どこにでもある共同体。そこに普通に暮らしていれば安心」という夢の崩壊の象徴である。

社会学者の山田昌宏氏は、この年に起きた、大きな社会的変化を1998年問題としてまとめている。
以下に上げるものの数が、この年に激増しているというのだ。

自殺者数
青少年の凶悪犯罪(殺人、強盗、強姦)の数
成人事件の強制わいせつ認知件数
セクハラ相談件数
児童虐待相談処理件数
離婚件数
できちゃった結婚の数
不登校児童の数
高校の中退率

このような現象は、それまで日本を支えていた社会システムの崩壊と言い表せると思う。
そして、コギャル達は、厳しい現実を前に、夢から醒めて、ルーズソックスを脱ぎ、ストリートから、それぞの家の中へと戻っていた。
それとともに、彼女達の応援歌=コムロサウンドも街から消えていったのである。彼が生み出したミリオンヒットは、1997年の安室奈美恵のCan you celebrate?と華原朋美のHate tell a lieが最後になった。コギャルの卒業ソングと解釈されたCan you celebrate?と、”嘘”との決別を表現していたHate tell a lieが、小室さんの最後のミリオンヒットとなった事実は、音楽シーンの流行にとって、誠に示唆的であったと思う。

一方、音楽界では1998年という年は、多くの画期的な新人が登場している。
宇多田ヒカル、浜崎あゆみ、aiko、椎名林檎、MISIA等、自分の個性を、自分の言葉とサウンドで表現できるミュージシャンの多くはこの年のデビューである。
大人が作って、タレントに歌わせ、タレントと同世代の女の子がCDを買い、メガヒットを記録するといった業界にとって幸福な時代。実は、この頃には既に終わっていたのかもしれない。
別の言い方をするならば、多くの視聴者はこの頃、より、共感出来る曲、リアルで本物の叫びとサウンドを求めたのである。
しかし、残念な事に、小室さんはこの流れについていけなかった。この年、彼の主な仕事は、鈴木あみをデビューさせることだったのだから。

勿論、パブリックイメージとしての小室哲哉は、まだ全盛である。特に小室さんを利用しようとする人々にとっては。
その翌々年の2000年の沖縄サミットでは、各国首脳の前で小室哲哉プロデュースの「NEVER END」という曲が披露されている。
小室さんの人生の絶頂とも言えるイベントである。

しかし、水面下では既に、終わっていた小室さんにとって「NEVER END(決して終わらない)」という曲は、今から見ると皮肉にしか聴こえない。

Never End Never End 私たちの未来は
Never End Never End 私たちの明日は
Fantasy 夢を見る 誰でも夢を見る
数えきれない やさしさが支えてる

-NEVER END-(安室奈美恵)

さて、この「NEVER END」では、Fantasy(夢)が歌われているが、実は、小室さんにとってのFantasy(夢)は2つあった。
一つは、「小室哲哉の楽曲は時代を超えて、永遠に通用するものだ。」という夢であり、それは上記のような時の流れによって否定されてしまった。

そしてもう一つは、「小室哲哉の楽曲は国境を越えて通用するものだ。」という夢であった。
実際に、今日の小室さんの転落の大きな原因は、彼の大陸進出の失敗と言われている。
実は、彼はここでもFantasy(夢)に裏切られたのである。

『Jポップとは何か』(烏賀陽弘道)によると、「Jポップ」という名称が運んだのは「日本のポピュラー音楽が世界に肩を並べるようになった」というファンタジーだったという。
すなわち、元々、Jポップという名前には、ある種の欺瞞があったというのだ。
それは、日本国内市場向けの音楽であるにもかかわらず、Jポップという名前によって、あたかも世界で通用しているかのようなイメージを生み出し、それによって国内市場で成功させようとしたのだという。
これは、”世界の”という冠詞をつけることによって、国内向けに売り出そうとする手法と同じ発想だ。世界のジャイアント馬場とか、世界の北野武とか、世界の三宅一生とか...

恐らく、小室さんは、このJポップのFantasy(夢)をベタに信じてしまったのだ。
しかも、先導するのは自分だという自負もあったんだと思う。

しかし、夢は夢だったのである。本来だったら、アジア市場を研究して、海賊版天国である事を踏まえるべきだった。パッケージはあくまでも宣伝という位置づけにして、コピーされることを前提に、とにかく認知度、高級なイメージを広めて、ライブでビジネスという方向も考えられたかもしれない。

このように、小室哲哉は、楽曲・才能の永遠性という夢、世界性という夢、いろんな意味で、夢に裏切られてしまったのだ。

さらに言えば、小室さんは、逮捕直前、最後の最後に誰かが救ってくれると夢想していたともいわれている。「NEVER END」における、”数えきれない やさしさが支えてる”という夢にまで、彼は裏切られたのである。

まさむね