「イノラブ」「篤姫」「流星の絆」からの共通メッセージとは?


9月のリーマンショック以来、金融恐慌が徐々に実物経済の不況に伝染してきている。
トヨタ、ホンダ、キャノンなどで派遣社員の契約解除、ソニーの大型リストラの話が世間を騒がせている。
大変なことだ。
おそらく、来年あたりさらに、失業者は増えていくのだろう。

心配なのは、それにつれて、自殺者の数も増加しそうということだ。
左表を見ると、悲しいほど、失業者数と自殺者数に相関関係にある。厳しい現実だ。

自殺の動機に関して、一番多いのは健康問題、次に経済問題だと言われているが、そういう問題を抱えていても多くの人は頑張って生きている。
おそらく、自殺するという事は、結局は、将来の向かって何の希望もなくなったということ、人間関係を断ち切りたくなったということである。
最終的には、人と人との結びつきしか、その増加を食い止める手段はないのだろう。
      ◆
さて、そんな現況の中、最近のドラマでも、自殺を阻止するような場面が多く見られる。
死のうとする人に対して、「死なないでくれ」というメッセージを積極的に出すことは、社会として重要な課題であるという認識が共有されているということか。

例えば、「イノセント・ラブ」において、佳音(堀北真希)の兄・耀司(福士誠治)がナイフで自殺しようとするが、殉也(北川悠仁)に制止される。
その時のセリフが「生きていて欲しい」だった。
そして最終回に耀司は言う。「何があっても生きなくてはいけないのですね。」と。
大河ドラマ「篤姫」でも、主人公の篤姫(宮崎あおい)は、自分は死んで官軍の江戸総攻撃を回避しようとする徳川慶喜(平岳太)に対して、「あなたも家族です。」と言って、自害を阻止する。
また、「流星の絆」、真犯人だった刑事(三浦友和)が自殺しようとするが、自分の両親を殺された有明功一(二宮和也)はそれを許さない。
原作では、この場面で刑事は自殺する事になっていたらしい。
ドラマ化する際に、殺させるのを良しとしなかったことがうかがえる。
そして、そのシーンに、敢えて「生きろ」というメッセージを込めたのだと思われる。

3作品とも、少なからず憎んでいた相手に対してのメッセージだったことは共通している。
      ◆
一方、冷静な目で見れば、こういった不況の時期は新しい才能が芽生える時期でもあることも事実である。
右表は、自殺者数の増加を年毎に表したグラフであるが、1998年に急激に伸びているのがわかる。
そして、1998年に年間3万人台に上がった自殺者数はその後、高値安定の状態になってしまっている。

1998年と言えば、前年の1997年に、山一證券、北海道拓殖銀等が破綻。
この年には、バブル以降最悪の不況だった年である。

しかし、同時にこの年、宇多田ヒカル、浜崎あゆみ、モーニング娘。、aiko、MISIA、椎名林檎、キロロ等、その後の大活躍する女性ミュージシャン達が次々にデビューしている。
おそらく、こういう時期だからこそ、人々の新しい心情、感情、人情を汲み取れるような新しい感性が登場するチャンスなのだとも言えるのかも知れないのだ。

不謹慎かもしれないが、そういう意味で、来年の音楽シーンは大変楽しみである。

まさむね

「イノセント・ラヴ」最終前回における10の奇行

イノセントラブの9回目放送の平均視聴率が出た。
最終回一回を残しての、14.5%だ。
月9ドラマとして、この数字が及第点だとは思えないが、それまでの数字の動きから見れば、盛り上がってきたとは言えるだろう。

1回目放送 16.9%
2回目放送 13.3%
3回目放送 13.1%
4回目放送 11.7%
5回目放送 11.7%
6回目放送 12.6%
7回目放送 13.4%
8回目放送 12.8%
9回目放送 14.5%

今まで、聖花(内田有紀)の突然の、植物人間からの突然の起き上がりや奇行など、すなわち彼女の唐突演技に支えられて、6回目放送以降、徐々に上げてきた視聴率も、聖花が、9回目放送の最後の方ではついに立ち上がり、殉也(北川悠仁)と佳音(堀北真希)の結婚式会場に向かうという、これ以上無いようなあり得ない展開に。視聴率的に大いに貢献した。
さらに、この回は、その他に、佳音の兄・耀司(福士誠治)による殉也にナイフでの切りかかり、美月(香椎由宇)の殉也や聖花に対するイジメ、殉也と佳音のキス、佳音の花嫁衣裳姿など、”単品”でも魅力的なシーンの連続で、この14.5%という数字を無理やり確保したという感じだろうか。
しかし、シーン&シーンをそれぞれにキャラ立ちさせるために、ストーリーが破綻してくるというのは、いかがなものか。最終的に俳優自身の魅力で引っ張れなかったシワ寄せがこういった展開を生み出してしまったのである。そこが今回の「イノセントラブ」と前作「ラストフレンズ」の大きな違いだと思われる。

しかし、元々、このドラマは、登場人物の奇行(覗き見、勝手な家への上がりこみ、盗み撮影等)の連続だったことは確かで、恋愛ドラマというよりも、ホラーあるいはSFとして見るべきだと思っていたが、9回目放送回も、登場人物の心の動きの不自然さがどんどん出てきた。登場人物の心情よりもシーンの奇抜さに心を奪われていかざるを得ない展開だ。

それらを以下にまとめてみよう。

◆1◆佳音を追って、長野までやってきた殉也。佳音のアパートにやってくるが、佳音に拒絶され、アパートの近くから昼夜離れない。「僕はいつまでも待っている」と言えば、聞こえはいいが、傍から見ればただのストーカーだ。

◆2◆部屋の外で、賛美歌のオルゴールを聴かされ、説得されて、殉也を部屋に導きいれる佳音。意志が弱すぎる。

◆3◆出所した耀司が、夜にそのアパートへやってくる。何故かドアの鍵が開いている。部屋では2人で一つの毛布に包まり就寝。あまりにも無用心だ。

◆4◆耀司が殉也にナイフで襲い掛かる。それを止めようとする佳音。結局これは耀司による佳音の(両親を殺したのは彼女ではなく、耀司だったという)記憶を呼び起こそうとした狂言だった。耀司は、心理学者か。この行動によって佳音の記憶が戻るということが、何故解ったのか。それにしてもリスクの高すぎる行動だ。

◆5◆その後、耀司がナイフで自殺を図るが、殉也に阻止され、泣き崩れる。殉也曰く「生きていて欲しいんだ」って、心広すぎ。

◆6◆とりあえず、殺したのは自分ではないという記憶をよみがえらせた佳音。一応、自分が幸せになってもいいんだという免罪符を受け取る恰好に。でも、殺そうとしたことは確かなんだから、最後に刺したのが耀司だからって、自分は救われるの?という疑問が残る。

◆7◆横浜に帰り、佳音にプロポーズする殉也。聖花を死ぬほど好きだったのではないか。この心変わりは早すぎるとの指摘も。

◆8◆勿論、佳音はOKする。「殉也さんの笑顔を近くで見たい」という事で近くにいたのではないか。それまで、潜在的に存在した下心が露呈した恰好に。

◆9◆そして結婚式。自分が振った美月(香椎由宇)がいる教会での結婚式。美月への配慮はまるで無し。

◆10◆殉也の写真を見て、彼を思い出した聖花。招待状の住所を見て、その式場に歩いて向かう。彼女の頭の中はどうなっているのか。住所が解るのか?いきなり立ってそこまで歩けるのか?等の不条理の謎が残る。

来週の予告Vによれば、その聖花が教会の上から身を投げ、受け止めようとした殉也が下敷きになり頭から血を流すというわけのわからないシーンが見られた。また、昴(成宮寛貴)の殉也に対する同性愛、耀司の佳音に対する近親愛等がまだ未処理だ。どうなるのか。

脚本担当・浅野妙子の前作「ラスト・フレンズ」のように、誰か死んで遺児を、残り人々が育てるというパターンになるのか。
そうだとしたら、死ぬ(あるいは植物人間になる)のは殉也で、彼の子を宿した佳音が兄・耀司と一緒にその子を育てるのか。兄の気持ちを考えるとそれも無理がある。
あるいは佳音が死んで、殉也と耀司が一緒に...というのももっとあり得ないか。

しかし、いずれにしても、登場人物の行動の唐突さでは他の追随を許さないこのドラマだけに何があるかわからない。
というわけで、来週の最終回もなんだかんだ言って、テレビの前に釘付けにされる僕であった。

まさむね

イノセントラブとスキャンダル勝負あった!?

月9ドラマ「イノセントラブ」の展開があまりにも息苦しい。
堀北真希演じる佳音の”心情”にベッタリと寄り添わないと、とても見続けるのはつらい。
客観的に、彼女の行動を追っていくと、覗き、盗み聞き、不法侵入、出まかせの嘘、その場のごまかし等が満載で、奇行少女といった感じだ。
おそらく、殉也(北川悠仁)の絶対的心の広さ(何をやっても最終的に許す優しさ)があるから物語がかろうじて成立しているのではないか。

こういった純愛物は例えば、「恋空」なんかもそうだけど、映像にしちゃうとイメージが限定されすぎちゃって、感情移入しにくくなっちゃうんじゃないかな。
時代の流行っていう意味で、厳しいような気がする。
80年代の大映ドラマや90年代の野島ドラマ等の不幸物は、もう喜劇としてしか見られないからね。

一方、日曜劇場「スキャンダル」の華やかな展開は「イノセントラブ」の息苦しさと好対照だ。
第4話を終わった時点で、先が全く読めない。
今まで隠されていた過去、お互いの人間関係が、どのように、露呈していき、そして収束していくのか。
沢山いる個性的な登場人物達がそれぞれに、事件と過去に巻き込まれていく、その展開は、新しさを感じるよね。
今後、このドラマの感覚を模したドラマが多産される予感すらする。

さて、この「スキャンダル」は「セックス・アンド・ザ・シティ」の多大な、影響下にあると言われている。
だとするならば、「セックス・アンド・ザ・シティ」同様に、主役の4人のライフスタイルとか年齢とかを元にして、それぞれが着ている服のブランドやセリフの言い回しのコード(意味)が理解できればもっと楽しいんだと思う。
金持ちの奥さんってこういうブランド着るんだよなとか、役人の奥さんはこういう色好きだよねとか、年増OLってこういう言い方するよねとか、みたいな、いわゆる、あるある感覚を楽しむのも一つの楽しみ方だよね。
でも、僕にはそれを解読する知識は無いのが、残念。
唯一、前回、みんながたまき(桃井かおり)の家に泊まるシーンで、たまきがその場で用意した寝巻き用のTシャツが、ストーンズ、キッス、クラッシュ等のロック物だった事で、たまきの趣味と部屋の汚さの起源がわかる程度だ。

「イノセントラブ」の浅野妙子と「スキャンダル」の井上由美子。
浅野は「ラブジェネレーション」「神様、もう少しだけ」「大奥」「ラスト・フレンズ」、井上は、「ギフト」「GOOD LUCK!!」「14才の母」「ファーストキス」等を手がけている。

1961年生まれの現代を代表する二人の脚本家だが、今回の「イノセントラブ」と「スキャンダル」の勝負は見えた!というのは早計だろうか。

まさむね

 

純愛一直線「イノセントラブ」は成功するか

先日(10月25日)、自ら結婚式を予約していたホテルに、その当日に放火した男が逮捕された。
容疑者の供述から、彼は、実は既婚者であり、それが判明するのを恐れての犯行であった事がわかった。

世の中、いろんな事件が起きるものだが、これまた、普通では考えられないとんでもない事件であった。

結婚式に招待されていた人の中に、男が既婚者だった事を知ってる人はいなかったのだろうか?
結婚当日、彼は何と言って現妻の家から出てきたのであろうか?
婚姻届はどうしようと思っていたんだろうか?
とりあえずその日には式が出来なかったとして、仕切り直しの式当日はどうしようと思っていたのだろうか?
この事件を知って、現妻とその親族、新妻とその親族、会社の同僚、友人達、ホテル関係者はどう思ったのだろうか?
いったい、彼はどんな性格だったのだろうか?

等々、疑問は尽きない。

しかし、実は僕は、彼の気持ちはわからなくはないのだ。
恐らく、彼の頭の中の願望の世界では、現妻とも新妻とも、それぞれに楽しく暮らす絵が描かれていたのだろう。
勿論、それは、現実生活としては不可能だ。有り得ない。
しかし、彼は願望と現実の間に挟まれ続けて、対応を遅らせ、問題を先送りし続けて、最後に、放火に至ってしまったのである。
そういう意味で、彼はあまりにも純情だったのかもしれない。

ところが、彼が持っているような、ある意味での内面の純情さ(ナイーブさ)は、ドラマの登場人物の行動のモティベーションとしてはアリなのだ。

そのいい例が、「イノセント・ラヴ」の主人公の佳音(堀北真希)のいわゆるイノセント(純情)な気持ちである。
例えば、前回も、一目惚れした殉也(北川 悠仁)のあとを付け回す佳音。
彼が落としたハンカチを届けに彼の家に行き、鍵が開いていたため、勝手に侵入してしまう。
しかも、以前に入ってはいけないと言われていた部屋にも忍び込もうとするのだ...

恐らく、彼女の心情とシンクロしてドラマを楽しんでいる人にとっては、彼女の行動は、違和感は無く見れるのだろう。
多くのドラマファンにとっては、そこに描かれている現実のリアリティよりも、心情のリアリティの方が重要だからだ。

しかし、この心情最優先主義という思想自体が、最近、徐々に、揺らいで来ているように思える。
いろんなニュースを見ていても、同情を惹こうとする振る舞いに対して、以前ほど、多くの人々の感情が揺り動かされなくなってきているように思われる。
例えば、ちょっと前に、高速道路を作るために、幼稚園のイモ掘りが中止されるというニュースがあったが、昔だったら、泣き叫ぶ子供の前では、行政への非難が集中しそうな場面も、逆に幼稚園側の不可解さの疑問の声の方が大きかったようだ。

このような、心情最優先主義の後退が、最近のドラマの視聴率の低迷の背景にあるのではないかと、僕には思われる。

この夏、「恋空」がTBSでドラマ化されたが、昨年、映画や小説で大ヒットした割りに思ったような数字を稼げなかった。
恐らく、「恋空」というコンテンツがテレビというマスメディアで流されて、国民的に共感を得られる程の”広い心情のリアリティ”が無いのだ。
それは、あくまで携帯サイト、映画館レベルの人々が共感出来るリアリティにすぎなかったのではないか。(恐らく、多くの大人達にとっては、「恋空」の登場人物の行動・心情は理解不能だったのではないか。)

さて、そんな状況を受けて、月9というメジャーステージで、心情最優先主義ドラマ「イノセント・ラヴ」がどれほど、世間に受け入れられていくか。
数字の動きが楽しみだ。

まさむね

イノセントラブの盗み見 日本文学の伝統

浅野妙子脚本作の特徴の一つは覗き見・盗み聞き・偶然の発見の多用だ。

前作「ラストフレンズ」でも、ほぼ毎回1回はそのようなシーンがあり、ストーリーを転がしていた。(本ブログ6/20の「ラストフレンズは盗聴ドラマだ」参照の事)

それでは最新作「イノセント・ラヴ」はどうだろうか。
第1回放送では早くも4回もあった。

佳音(堀北真希)が喫茶店の女主人と客との間での佳音兄妹の悪い噂しているのを覗き見る。
春江(宮崎美子)がハウスクリーニング先で現金を盗むところを佳音が発見。
佳音が殉也(北川悠仁)の写真を盗もうとしたところを殉也が発見。
ハウスクリーニング事務所で佳音の過去の事件が表示されているPC画面を春江が盗み見る。

これはちょっと多すぎやしないか。普通の人生で、こういった劇的な盗み見ってそんなにあるもんじゃないからね。
まぁ、これらの仕掛けが悪いわけじゃない。それでドラマが面白くなってくれればいいんだけどね。

考えてみれば、この覗き見・盗み聞き・偶然の発見っていうのは、日本の文学作品を振り返ってみても重要な物語転換点になっている。

例えば、「古事記」で、黄泉の国でイザナギノミコトがイザナミノミコトの死後の姿を見ちゃうとか、アマテラスが天岩戸に隠れた後、他の神々の饗宴を岩戸の中から覗いたりする。
この2つのシーンは、「古事記」の中でも凄く有名でしょ。

また、「源氏物語」でも、乳母の家の隣の家で、夕顔を覗き見るシーン、光源氏が紫の上を始めて見つけるシーン、柏木が、飼い猫が御簾の中から出てきた瞬間、女三宮を見てしまうシーンが有名。
偶然かもしれないけど、この3シーンは、後に作られた源氏絵巻、源氏蒔絵、浮世絵の題材等でも人気ベスト3の絵柄として人々の印象に残ってるっていうのも面白い。

その後の文学史を見ても、今昔物語、能の題材(「黒塚」)、おとぎ話(「鶴の恩返し」)から、谷崎潤一郎(「鍵」)の近代文学まで、覗き見は、日本文学の主題の一つとして生き続ける。

実は、日本人ってこういうの好きな民族なのかも。
ちなみに、ある調査によると、現代でも、20代で恋人の携帯の記録を勝手に、見たことある人って6割くらいいるんだってさ。

まさむね

「イノセント・ラヴ」と「流星の絆」の共通性

昨日、TBSドラマ「流星の絆」はふるさとを喪失した兄弟の物語だと書いたんだけど、本日放映されたフジの月9ドラマ「イノセント・ラヴ」も同様の主題だった。

人気ドラマが偶然にしても同様の主題を扱うと言う事自体、根っ子が無くなってしまった人々、政治のみならず地域からも阻害された人々をどうするのかという事が社会的なテーマとなりつつある事情が背景になっているのではないかな。

さて、この「イノセント・ラヴ」だけど、堀北真希演じる秋山佳音のキャラクタがちょっと固まっていない感じがするよね。
よく働くいい娘なのだが、突然別の面を見せる。
携帯で他人を盗み撮りするは、写真自体を盗もうとするは、と倫理観が無いようなのだ。
しかも、写真を盗むところを見られ、逆に優しくされた相手(北川 悠仁演じる長崎 殉也)を好きになり、彼の家に突然、プレゼントを持って会いに行く。

動機が純粋であればいいということか?
だからイノセントなのか?

まぁその他、北川悠仁が”棒”だって問題もあるけど、このドラマ、「ラストフレンズ」と同じく浅野妙子が脚本なのでしばらく見続けてみようかな。

ちなみに、最近の堀北真希といえば、「篤姫」の和宮役のイメージが強いんだけど、ここ数週間、長州征伐で大阪に行ってしまった愛する夫の徳川家茂の写真を見ながら、モンモンと過ごす可憐な和宮のイメージを、「イノセント・ラブ」は見事に引き継いでいるなぁと感心した。その辺りはフジってさすがだよね。

まさむね