第7話 急展開の「スキャンダル」を読み解く

TBS日曜劇場「スキャンダル」が急展開している。

新藤たまき(桃井かおり)の夫の哲夫(石原良純)が、理佐子(戸田菜穂)をホテルで匿っていたのだ。
しかも、結婚式から3日の間は、新藤家に理佐子が居たという。

ということは、駿介はそこには居なかったということだ。
しかし、この事は、たまきのトラウマになっているらしく、勝沼刑事(小日向文世)が駿介の部屋に踏み込もうとすると、たまきは異常に拒む。

ここで、一つ引っかかるのは、前回放送時、たまきは勝沼に、息子の事を相談しようとしていた事だ。
勝沼には、奥さんに逃げられたという過去がある。だからこそ、たまきは勝沼に共感するものがあったということなのか。

という事は、たまきも同様にかつて、夫に逃げられている、しかも息子も道連れにして逃げられているのではないのだろうか。
しかし、夫はともかく、息子に去られたたまきはその事を心の中で整理しきれず、部屋から出てこない息子という虚構を自分の中で作り上げて、固執していたのではないか。

その後、たまきと結婚した哲夫は、結婚生活においても、たまきの精神状態をそのまま受け入れるしかなかったが、それは相当ストレスになっていた。
その哲夫のストレスが、今回の理佐子を匿うという行為とどのように結びつくのはは現時点では不明である。

もしも、理佐子と哲夫の二人の間に男女の関係があるとするならば、理佐子が結婚式でみんなに言った「私は勝ったわ」というセリフは、ほぼ、説得力を持つ。
貴子(鈴木京香)の夫の秀典(沢村一樹)、真由子(吹石一恵)の夫の賢治(遠藤憲一)とは理佐子は付き合っていた事が判明しているが、ひとみ(長谷川京子)の夫・雄一(光石研)に関しては、少なくとも上司の金沢が付き合っており、その金沢が雄一にこう言った「八年前の一件は元々君が画策したんだ。 いいか、私と君は同罪だ。忘れてはいけないよ」。
ようするに、なんらかの秘密を共有をさせられているのだ。(もしかしたら乱交パーティ的な性的行動もあったか?)

そこで、一つ考えられるのは、久木田慶介(加藤虎ノ介)が起した8年前の傷害事件に関してだ。
この事件は、雄一が画策し、なんらかの挑発をして久木田に事件を起させたという事が考えられる。
そして、それをネタに、金沢&雄一が久木田から金を巻き上げようとしたのではないかという事も想像できる。(財務官僚は金が無いという雄一のたびかさなるつぶやきが気になる)
その時、哲夫が弁護士として、賢治が医者として、その事件にかかわっているのではないかというのはまだ未確認だがありえる話だ。
弁護士が示談をまとめ、示談を有利にすすめるために、医者が偽りの診断書を書いたというのが2人の役割だ。

そして、もう一つが、結婚式当日の夜にあのラブホで金沢と理佐子の間になにがあったのか、そして、その後始末に誰がどう動いているのかという点だ。
番組HPによるとたまきの家の駿介の部屋に理佐子の指紋と血痕のついたナイフが見つかるという。
という事はあの晩、ラブホで理佐子は金沢を刺し、その後始末を哲夫に依頼。哲夫は理佐子を自分の家に連れてきて、駿介の部屋に置くということではないだろうか。

では、何故、あの晩、ラブホで刃傷沙汰が起こったのか。
理佐子が金沢に別れを迫ったが、そのための手切金が用意できなくて、話が紛糾して、思わず刺して逃げてしまったのではないか。
おそらく、理佐子が賢治や秀典に借金を無心していたのは、そのための手切れ金の工面だったのではなかと思うのだ。

さて、ここでまだ判然としない伏線を整理してみよう。
★理佐子の携帯電話を久木田が持っていた事(これは、少なくとも結婚式の前の時点では理佐子と久木田はグルになって、金沢を陥れようとしていたが、ただ、あの晩の顛末によって、理佐子は久木田の前からも姿を消した?)。
★久木田が貴子にモーションを掛けつづける理由(これは、最終的には久木田が貴子から、金を引き出そうとしているとの推理が出来る。と同時に、久木田は、実は国際ピアニストではない。別人なのを偽っている可能性がある)。
★理佐子が久木田の前から逃げなければならない理由(理佐子は金沢と別れるという前提で久木田と結婚するが、その約束が果たせなくて失踪か?あるいは、逃げているように見せている狂言か?)
★結婚式の晩、金沢と一緒にラブホに入るときの理佐子が貴子を見る表情(敢えて、貴子にその姿を見せつけようとしているような表情にも見えなくはない)

まだまだ、未整理のスキャンダルではあるが、残り数回、ますます楽しみだ。

まさむね

誰か、小沢さんに「あれじゃダメですよ」と進言してほしい

麻生首相と小沢党首の党首論争は、最悪だった。
残念だった。
期待したこちらが悪かったのか。
僕は、不覚にも、今回の党首討論のお膳立てを整えた段階で、ついに小沢党首が本気を出すに違いないと微かな幻想をいだいてしまっていた。
でも、正直言って、僕の買いかぶりだったようだ。

はっきり言って、小沢党首は論争に全く向いていない。
とりあえず、党首討論をやったというアリバイ作りのために出てきたとしか思えなかった。

彼は、本当に麻生首相を追い込もうと思ってやってきたのだろうか。

小沢「経済対策優先と言いながら、何故、今国会で2次補正を出さないのか?」
麻生「それより、金融強化法を採決してくれ。それが先だ。」
小沢「2次補正を出さないのなら、解散しろ。」
麻生「政治的空白を作るから、解散しない。」
小沢「今までの経済優先という主張と矛盾するのではないか。」
麻生「矛盾しない。そちらこそ金融強化法を採決してくれ。」

簡単に言えば、こんなやりとりだった。凡庸だ。

実は、党首討論というのは、野党党首が首相を追い詰めるところではない。
その追い詰めてなくても、追い詰めたという印象を国民にわかりやすく「プレゼン」するところである。

小沢党首にはこの「見せる」という意識がまるで無い。
自分は言いたい事を主張したから、それでいいと思っているのではないか。
まるで知恵の無い話だ。

さらに問題なのは、、民主党は党として、戦略がなさすぎる事だ。
あるいは、あったとしても、誰も小沢党首に進言出来ない状態なんだろう。
これは不幸な事だ。

かつて小泉元首相は小沢党首の事を、あの人は、政略というものが分かっていないと言った。
どこを押せば、他人はどう動くのかというような人間というものの本性に対する洞察がないという事だ。
一般的に、小沢党首は、権謀術策の人と思われているが、他人の弱みに付込んでを追い込んでいくといった、本当の意味での政治的知恵の無い人なのだろう。

朴訥といってしまえば、悪く聞こえないが、ようするに場当たり的な人な人なのかもしれない。

僭越ながら言わせてもらえば、僕だったら、
「本来、党首討論というものは政治の大局を語るべきところという事は理解しておりますが、現在は、みぞゆうの、いや、失礼、未曾有の1度の危機ということなので、細かい話をさせていただきます」
と場の空気を変えてから、細かい点を次々に指摘し、麻生首相に謝らせまくる。
「首相は、老人医療に関して、病気の人の分を自分が払いたくないと言ったそうですが、その件に関してどう思われますか。」
「首相は、医者に対して、世間知らずの人が多いと言ったそうですが、その件に関してどう思われますか。」
「定額給付金に関して、配布を地方に任せると言われた事に関して、地方から批判があるが、それに関してどう思われますか。」
等など、他に、田母神氏の件、社保庁のデータ改ざんの件、さらに、中山元国交省の件、総裁選で名古屋だから大丈夫と言った件まで、ネチネチと、しかも、短くどんどんと持ち出して、その都度、謝罪させて、首相をイライラさせればよかったのだ。
僕だったら、とにかく蒸し返し作戦(だって、初めての党首討論なわけだから、それはそれで正当だろう)を採用して、スネイクになる。
そして、最後に民主党の経済対策案をプレゼンして、これと自民党案とで選挙をしようと言えばいいのだ。

恐らくテレビは、首相の謝罪シーンを編集して伝えるだろう。視聴者はそれを見て何を感じるのか?誰にでもわかるだろう。
そして何よりも、麻生首相に、党首討論をもうやりたくないと思わせる事ができる。
元々、小沢党首はやりたくないのだから、一石二鳥ではなかったのか。

少なくとも、小沢党首は、今回の討論が、大失敗だったという事を自覚し、民主党の他の面々はそのことを彼にわからせてほしい。
それからじゃないと何も変らない。麻生首相云々はそれからの話だ。

まさむね

田無における幕末動乱と住民のリアリズム

年末も近くなってきて「篤姫」も、江戸城無血入場のクライマックスが近づいてきた。

こういう歴史的な変動の時期は、当然、江戸だけじゃなくて、日本中それぞれの土地でも、様々な変動が起きているはずである。
江戸郊外であるが、当地・田無も無関係ではなかった。

江戸城無血入場後、慶喜は水戸へ退くが、腹の中が収まらない幕臣たちは、彰義隊を組織して上野に集結した事は知られている。(写真一番上、上野の彰義隊の墓)
しかし、内部で作戦方針が定まらず、一部(渋沢成一郎の一派)は彰義隊を離脱して、振武軍という部隊を結成した。
そして、この振武軍は、一隊ごと、田無にやってきたのである。

彼らは、田無の総持寺(写真二番目、三番目)に陣を張って、近隣の農民に、「徳川家再興のための軍資金集め」を要求した。
特に、地元の下田半兵衛(写真一番下は総持寺にある彼の墓)には、食事や夜具など様々な世話を命じたようである。

元々、この血は、江戸時代は、尾張徳川家の御鷹場(鷹狩りのための用地)であったため、比較的税制は優遇されていた。
だから、この辺りの農家の屋敷は、みんな大屋敷である。

後に、国木田独歩は「武蔵野」で、このあたりの土地の自然の豊かさを描写したが、それも、この土地が御鷹場であり、適度に自然を残す事が義務付けられていたという事情を背景としていたのだ。
しかし、一方で、そういった事情は同時に、いざという時には、幕府からの臨時徴収を覚悟しなければならなかったのである。

さて戦況は、どうなったのか。
まず、すぐに彰義隊が官軍に包囲されたという報告が入る。
振武軍は援軍として江戸に援軍として向かおうとしたが、途中で彰義隊壊滅の知らせが入り、再び田無に戻る。
すぐに官軍がこちらに向かっているという報が入り、急遽、臨戦態勢で陣を張る。
ところが、その陣にやってきたのは、官軍ではなく、傷ついた彰義隊だった。田無の村人は彼らの手当てを手伝ったという。
その後、振武軍は、田無から飯能へ後退。

そして、すぐに、振武軍を追ってやってきた官軍が田無へ大挙押し寄せる。そして田無で一泊した。
村では、官軍向けの炊き出しをしたという記録がある。

村人の意識としては、幕軍でも官軍でもどっちでもいいから、自分達の生活は乱さないでくれって思っていたんじゃないかな。そういう本音が垣間見れると、ちょっと微笑ましい。

戦局の方は、結局、振武軍が飯能で壊滅。
大将の渋沢成一郎は品川へのがれ、その後、榎本武揚達と一緒に、函館・五稜郭の戦いまで戦い抜く。
しかし、時勢が落ち着くと、渋沢は大蔵省に出仕、そして最終的には横浜で、生糸貿易を手がけ、成功して大富豪となったという。

なんかいろいろとあったけど、終わりよければ全て良しっていうのが渋沢の人生だった、ってことか?ちなみに、この渋沢成一郎は、日本・実業の父、渋沢栄一の従兄にあたる。

※多摩の歴史(武蔵野郷土史刊行会、有峰書店)参照
まさむね

14年前の「29歳のクリスマス」再放送の評価は?

「29歳のクリスマス」(以下、「29X」と略す)の再放送が始まった。

最近は、再放送と言えば、リアルタイムで放送しているドラマの番宣的位置づけで、主役の前作(例えば「セレブと貧乏太郎」番宣のための「暴れん坊ママ」再放送など)を流すというのがオーソドックスパターンなんだけど、いきなり、14年前のこの作品が時を越えて登場したのだ。
このドラマを見ていると、いろんなところに、14年の間の社会の変化を感じる。

僕は、「29X」に特徴的なキャラクタ、価値観を以下の10点にまとめてみた。

1)友達同士、すぐに会う。
これは、携帯電話まだ普及してないっていう技術的要因が大きいんだけど、お互い何かといえば、すぐに会う。仲がいいのだ。
そして、会っては、飯を食い、酒を飲み、大騒ぎする。

2)基本的に真面目
「29X」の彼・彼女達は、生き方に関して真面目である。
自分が決めた生き方に関して、頑張ろうとするプライドと意志と行動力を持っている。

3)女性の化粧が大きく変った。
基本的に、14年前の化粧はケバい。っていうか、色っぽい。とにかく、女を前面に出している化粧なのだ。

4)女性が男社会と闘っている。
男女雇用機会均等法が改正され、雇用差別が撤廃されたのが、1985年。
それから、男社会に徐々に進出しはじめた女性達が、個々の現場で奮闘する姿がドラマ主題の一つとなる。
「29X」でもまさに、これが一つのテーマ。
レストランの店長をさせられる典子(山口智子)、テレビカメラマンの彩(松下由樹)、彼女達は闘う女としての一面を色濃く持っている。

5)男女それぞれが異性を見る目が野生的。
図式的に結婚に関して言えば、70年代にお見合いのシステムが崩れ、80年代に職場結婚(総合職男子と一般職女子の結婚)が崩れ、そして、80年代末~90年代にかけて、いわゆる野生的婚活時代になるのである。
今から見ると、みんなギラギラしていた。

6)恋愛と結婚が近い
大前提として、付き合うって事は、最終的には結婚する可能性をどこかに抱きながらの行為なのだ。

7)結婚における家の存在感がある
これは、「29X」だけの話かもしれないが、結婚というのが、まだ二人だけの関係というところまでは行っていない。
それはお互いの家と家との結婚という面がまだ残っているのだ。

8)結婚相手の条件として三高が残っている
三高(高学歴、高収入、高身長)の男が価値の有る存在として描かれている。
「29X」では、木佐裕之(仲村トオル)が、それに当てはまっている。

9)30歳というのが大きな意味を持つ
このドラマでは、典子(山口智子)の有名なセリフがある。「30歳の誕生日には 最高に幸福になってやる 絶対に!」。
そのために、逆算して、29歳のクリスマスには男をゲットしなければならないのだ。

10)お互い干渉しまくる
「29X」では、お互いの恋愛、結婚、生活、仕事に関して、お互い干渉し合って、エキサイトしてくると罵り合ったりもする。
「29X」は、「ラストフレンズ」同様に、男女のルームシェアが行われるが、お互いの関係性は全く違い。
「ラストフレンズ」では、一緒に住みながら、お互いの価値観を押し付けあおうとしないのだ。

おそらく、上記のような価値を持つ人は現在でも多く存在していると思う。
ただ、そういった価値観を持つ人が相対的に少なくなったのである。

どちらかと言えば、現代では、上記のような価値観は上流指向的発想と言われるものに属する。
15年前位では、これがいわゆるメジャーな考えだと思われて、しかも当たり前とも思われていた。だから、そうでない状況の人々も、ある種、憧れとして認知して、見ていたのではないか。

ところが、現代は、上記価値観に関して、それはそれとして、残存しながらもっと多様な価値観がどんどん出てきた。
オタク派、手に職派、ヤンママ派、キャリアウーマン派、環境派等が混在していて、それぞれがあまり交流を持たないような状況になってきているため、ドラマとして、一つの物語に収める事が難しくなってしまったのかもしれない。

そういえば、最近は普通の人々を主人公にした普通の恋愛ドラマが全くなくなってしまった。
物語の要素として、必ず、過去のトラウマ、不治の病、特殊な職業、特別な事件、サスペンス的要素などが無いと、現代では、ドラマとして、成立出来なくなってきているのだ。

さらに、29歳というか、30歳位の年齢の人たちが主役になるドラマっていうのも無くなって来てると思う。

「イノセントラブ」「流星の絆」「ラストフレンズ」のように、いわゆる恋愛物と言われるドラマですら、主役達は、20代前半である。
これは、恐らく、ドラマのメインターゲットである女子高校生達が、30歳位の女性を自分の延長的存在として見られなくなってきている事、せいぜい、25歳くらいまでのドラマにしか共感できなくなってきている事がまずある。
さらに、同時に30歳位の女性も、気持ち的には20代前半でいる(無意識的に強引にいようとする)ため、彼女達が共感出来る年齢が下方に伸びて、20代前半になっているからだ。

かくして、恋愛、結婚、仕事、友情という”みんなが共有する”大テーマを扱うTVドラマが死滅してしまったわけであるが、今回の「29X」の再放送は、現代人にどう評価されるのか。
今回の再放送は、最近打つ手がなくなってきている感のある、テレビ局にとっても一つの市場調査的意味合いがあるのかもしれない。

まさむね

田無神社は、武蔵野面影を残す緑と水の神社

田無の氏神、田無神社までちょっと足をのばした。

田無神社のご祭神は、尉殿大権現と大国主命。
公式HPには、「尉殿大権現(級津彦命、級戸辺命)は、すべての命の源である水と、よろすの災を祓う神を司る豊饒と除災の守護神で、その御姿は金龍神として顕現いたします。」とある。

田無周辺は、典型的な武蔵野の台地だから、生活、農業をするには水がとっても大事だったんだろうね。由緒書によると、元々、ちょっと離れた谷戸という所にあった神社を、人々が幕府からの指示(石灰の伝送のため)で青梅街道沿いに移り住んだタイミングで持ってきたらしい。
谷戸は水が豊富だったけど、この田無はそうでもなかったから、みんな苦労したらしいね。
水への感謝の意を込めて、龍神を奉っている。

だから、この神社には龍が多い。神社内の天水桶の所に龍(写真一番上)、本殿の彫刻にも龍(写真二番目)、そして狛犬までも龍のマネをしているのか低身のポーズ(写真三番目)、ちょっとカワイイ。

大国主命は、明治になって、田無神社が、熊野神社、八幡神社を合祀してから祭神になった。
これは全国、いたるところで起きた現象(政策)で、いろんな神社を国家神道傘下に位置づける過程で、合祀したりして整理したんだよね。
日本人はおおらかというかいい加減だから、そういう措置に関して、特に不平も言わないで従った。

元々、神社に何か(誰が)奉られているなんてことは、日本人は、それほど関心ない。どんなご利益をもたらしてくれるかって事の方が重要。まぁ当たり前のことなんだけどね。

ちなみに、境内には、他に、相撲場があったり、五木寛之が境内に早稲田在学中に居候していたっていう記念板(写真四番目)があった。

一番下の写真は、神社からの帰路、青梅街道沿いに、いつも気になっていたお肉屋さん。逆さから読むと「野生の肉」に読めるのがなんとも、いい味出してるでしょ。

まさむね

今日の「久米宏のTVってヤツは!?」の印象雑感

本日の「久米宏のTVってヤツは!?」は、三浦展氏の「女はなぜキャバクラ嬢になりたいのか?」(光文社新書)を踏まえたキャバクラ特集だった。

この三浦展氏って一連の下流ブームの仕掛け人。僕も下流三部作は面白く読ませてもらった。
この下流という言葉、最初はマスコミ的にも、僕らが日常使う言葉としてもちょっと刺激的にすぎるかなと思っていたんだけど、この人の著書のおかげで、世間に認知された感はあるよね。
そう意味で、新しいリアリティを創造できた人の一人だと思う。

でも、最近、ちょっと多作すぎて、内容が薄くなってきているような気もする。
特に「下流大学は日本を滅ぼす!」とか。まぁ、本エントリでは三浦展論は、本題ではないので、改めて書評することにする。

さて、番組に戻る。
気付いた点は2つ。

一つ目は、杉田かおるさんて意外に視野が広く、しかも常識的だって事。

杉田さんは、女の子が何故、キャバクラ嬢になりたいのかという番組構成上の大きな問いかけに対して、「バブルが崩壊して、普通の人が地道に生きていっても幸せになれるとは限らなくなったという時代背景」を説明し、さらに、昔(自分が子役の頃)は、「このままだと君は、銀座のホステスになっちゃうよ」って共演者(例えば石立鉄男さん)に言われたっていう経験を踏まえて、水商売というものが、昔は「なりたい商売」ではなく「なってしまう商売」だったのが、現在は「なりたい商売」になっている、この価値の転倒はどうしたものかという問題まで提起していた。

ちなみに、一方では、進行役の八木亜希子アナは、一方、女子アナっていう職業が、昔は憧れの職業だったのに、今はキャバクラより下なのかという事を嘆く作法だけを繰り返し見せて、ただ、嫌味な印象だけを振り撒いていた。
もう一人、チョイ悪風のCM業界者が出ていたが、残念ながら番組内では存在意味無し。俺はクライアントには媚びないって胸を張っておきながら、年末年始にはみんなで、テレビを見ましょうって言ってた。

さて、そうなのだ。杉田さんが言うように、この日本では従来の価値観がいつのまにか転倒してしまっているのだ。

そのうち、キャバクラの専門学校が出来るかもしれない。
また、花嫁修業のためにキャバクラで働くような時代が来るかもしれない。
接客のための知識の習得、美への研鑽、周囲への目配り力の強化、しっかりした経済観念の育成、っていう具合に、花嫁としてのリアルスキルを、生け花教室よりも学ぶことが多いのかもしれないのだ。

もう一つは、経済評論家の森永卓郎さんの指摘がうやむやになってしまった点。

男は何故、キャバクラに行くのか。10,000円/1時間だったら、普通の女の子を誘って飯を食いに行った方が、安上がりではないのか。エッチなサービスは無いと言いながら、アフターとかあるんでしょ..と森永さんは聞く。

そこで、スタジオのキャバクラ嬢たちは、そんな事は無い的な素振りをしていたが、はっきりは言っていなかった。でっ、残念ながら、久米氏はそこでCMに行ってしまったのだ。

どんな職業にでもいい面と悪い面がある。
キャバクラ嬢になる事のリスク、嫌な点は、ただ、年齢を重ねると出来なくなるって事だけなのだろうか。
ある種の人々には野暮な質問かもしれないが、そのあたりは番組として、明確に示すべき一線ではないのかと思われた。

ちなみに、僕は、何度か仕事でキャバクラには行ったが、そんなに面白いところではなかった。

まさむね

安馬の大関昇進はモンゴルの文化的勝利だ

安馬改め日馬富士(はるまふじ)(24)が大関昇進を果たした。

安馬という名前は、旧安冶川部屋所属力士の「印」として、安冶川親方(元横綱・旭富士)が”安”+”馬”として、つけたものだが、安冶川親方が伊勢ヶ濱親方への名跡変更したのに伴い、順次、進めている改名の一貫という事になる。

日馬富士は、幕の内で最も体重が少ない小兵力士であったが、持ち前の努力とスピードで大関昇進を見事はたした。
しかし、これまでの道のりは決して平坦ではなかったはずだ。
入門は16歳の時。右も左も言葉も文化もわからない日本という異国の地でなめた辛酸は尋常ではなかっただろう。

しかし、彼は大きなチャンスを一度でものにした。
その尋常ではない努力と精神力はもっと賞賛されるべきだと思う。
ところが、僕が今日見ていた18時からのTBSニュースのスポーツコーナーでは全く触れられず。
八百長とか大麻だとかの時はあれだけ大きく憤って見せた面々が、本当は全く大相撲に興味の無い事が露呈。編集権という名の横暴と言うべきか。

さて、一方で、最近、日本人力士の低迷が続いているといわれている。
次の横綱は誰かと問われるならば、どちらかと言えば日本人贔屓の僕でさえ、琴光喜、魁皇、千代大海ではなく、琴欧洲、日馬富士、把瑠都という外国人勢の名前を上げざるを得ない。
それでは、何故、日本人力士がなかなか活躍できなくなってしまったのだろうか。
一般的には、力士になるような才能や体躯を持つ子供達が他のスポーツに流れてしまったために、元々力士志望者が減ったという事が言われている。
また、志望者が入門しても、すぐに辞めてしまう(いわゆる根性が無い)という事も多いようだ。

しかし、辞めたくなるという事に関しては、日本人も外国人も同じ。嫌、角界というところは、外国人にとっての方がより過酷な状況ではないのか。

実は、日馬富士も、相撲が嫌になった時期があったという。
入門1年半後、初めて許されたモンゴルへの帰国時、里心がついたのか父親に「日本に戻りたくない」とつぶやいたと言われている。
しかし、その際、父親は、「男は目標を持ったら最後まで目指さないといけない。ここで逃げたら何をやっても成功しないぞ」と言って日馬富士をたしなめ、日本に送り出した。

教育の基本方針として、子供の自由意志を尊重するという現代日本文化において、上記のような威厳のある父親はどれだけ存在するのであろうか。
心を鬼にして、息子を再び、荒海に戻す勇気 という親子文化を日本は正しく継承してきたのだろうか。

確かに、日馬富士の大関昇進は、喜ばしいことではあるが、一方で、それは、モンゴル文化の日本文化に対する勝利を、逆に言えば、日本文化のある種の危機を象徴していないだろうか。

ちなみに、紋付で登場した日馬富士の胸についていたのは、茗荷紋(上図)のように見えた。
茗荷紋はもともと、大陸からやってきた憤怒の神様、摩陀羅神の象徴だ。日本を代表する紋の一つで、三島由紀夫、向田邦子、角川春樹、うつみみどり等がこの紋であることが確認出来ている。

しかし、未確認ではあるが、杏葉紋(下図)のようにも見えなくもない。
もしも杏葉紋であれば、それはそれで粋だと思う。元々、この紋はシルクロードの馬具の飾りが起源と言われているから、日馬富士という名前との整合性もバッチリではないか。

まさむね

小沢氏党首討論受諾に見る一郎流喧嘩の極意

麻生首相と小沢氏との党首討論が28日に開催されることとなった。

負けない喧嘩の究極の極意(その1)とは、「負けそうな時には喧嘩しない」という事らしいが、小沢氏、満を持しての登場に凄みの予感を感じる。

今回のテーマは経済対策。直近の流れを見てみよう。

1)党首会談で、小沢氏、麻生首相に対して、第2次補正予算の今国会提出を要求。
2)その席上で、麻生首相、後ろ向きな回答。
3)会談を受けて、麻生首相、小沢氏は信用出来ない発言。
4)小沢氏、麻生首相をチンピラよばわり。
5)麻生首相、チンピラ発言に対して、ノーコメント。
6)麻生首相、第2次補正予算の来年に先送りを表明。
7)小沢氏、今国会提出に向けて、独自の経済金融対策関連法案の骨子をまとめる。

麻生氏がスピード優先と位置づけた経済対策。そのスピードの遅さを突き、と同時に相手の冷静さを失わせるように挑発する。
そして、相手が出してこないとみると一気に、自分達は経済対策を出す構え。

小沢氏得意の囲碁ではないが、まるで詰め将棋のような手際だ。
どうみても流れは小沢氏側にある。だからこその党首討論受諾なのだ。

しかし、相手の首相は、先祖代々の筑豊の川筋者。
いざという時の喧嘩強さには伝説的定評がある。
それは、横須賀博徒の流れを汲小泉元首相が喧嘩が強かったのと同様に不気味な存在だ。

しかし、負けない喧嘩の極意(その2)とは、本当は負けていても、周囲には勝ったとみせる術らしい。
例えば、人の印象に残るようなタンカを切るとか、一方的にしゃべりまくるとかだ。
「負けた」と思ってからそういった術に切り替えられるか、このあたりがこの勝負の技術論的見所だ。

しかし、プロレスでもそうだが、お互いに感情的になると、見世物としては最悪になるケースが多い。
党首討論の場合は、いわゆる議論がかみ合わない、目も合わせない、って状態になりそうなのだ。

前回の党首討論では、福田前首相、涙目で「かわいそうなくらい頑張ってるんですよ」>小沢氏高笑い という名場面があったが、今回はどうだろうか。

まさむね

テレビ業界不況を反映した紅白出場者決定

紅白出場者が決まった。

ほぼ、下馬評通りの選出だったが、ミスチルの初出演にはちょっと驚いた。
さすがに、オリンピックのテーマ曲「GIFT」とかも作ってたから、結局は人間関係で押し切られたといったところか。
「大晦日に、他のアーティストと一緒に歌えるのは感激です」とは桜井さんから、伝わっている感想だが、まさしく大人の対応だ。
だったら、今までとうして?っていうのは小さなツッコミ。

今年は、民放キー各社のコンテンツ絡みのアーティストが出揃った。

日テレは「崖の上のポニョ」の藤岡藤巻と大橋のぞみ。
TBSは「私は貝になりたい」から中居正宏と仲間由紀恵。司会に抜擢だ。
フジは「ヘキサゴン」の羞恥心withPabo。
テレ朝は「相棒」の水谷豊。

テレ東だけ、ハロプロ関連落とされて、ちょっと涙目?(正確に言えば、Paboの里田はハロプロだが)

しかし、これほど、各社タイアップ企画のキャラが軒並み登場するっていうのは、いつのまにかどっかで、”橋”を渡ったんだろうね。
とにかく、今期は、CMのスポットが入らなくて、各社減益。特に、日テレ、テレ東が赤字転落らしいからさ、とにかくテレビ業界自体が大ピンチ。なんとか、各社、不動産業(サカスのTBS)とか、コンテンツ事業部系の売上げ(「相棒」のテレ朝)、番組制作費予算カット(フジ)でなんとかしのいでいる状況でしょ。昔の映画会社みたいだよね。
いまや、今は、各社が競っているというより、みんなで斜陽産業を盛り上げようっていう事か。今年のテーマは“ひとの絆(きずな)”らしいが、どこか痛い。

でも、ちなみに各社のワイドショー、夕方のニュースで紅白歌手出場決定って大々的に報道していたわりに、そのニュースの最後で、自社の番宣を5秒位入れる苦しさも笑えた。

その他、初出場で、即納得は、Perfume、ジェロ、青山テルマ、いきものがかり。
ジェロは演歌歌手らしく、「(亡くなった)おばあちゃんのお陰です」って親孝行をアピール。
Perfume、いきものがたりは、それぞれエコCM、合唱コンクール等で”取引口座”がすでにある。NHK御用達系と言えなくも無いか。

個人的に興味深いのは木山裕策。月曜日の深夜番組の「歌スタ」からの成り上がり。
4人の子持ち、病気持ち、オーディション出って三拍子揃った奇跡の新人だ。

紅白には、こういう人生ドラマ系苦労人枠って毎回1~2づつあるよね。
今年は、この人と秋元順子。

そういえば、森進一は「おふくろさん」歌うんだろか。別に聴きたいわけじゃないけど、ちょっと気になる。

でもモーニング娘。落選がショックは僕。地方公務員層を支持基盤においていた彼女達だが、昨今の交付金削減、補助金カットなどの荒波が、地方公務員たちの給料に影響し、パッケージ販売を鈍らせたか!?
「ペッパー警部」も、阿久悠ネタ+前作からの期間などを勘案する限り、満を持したにもかからわず、今ひとつだったしな。
でも、ネットでは、今、紅白関連の話題ってモーニング娘。落選一色。
2ch、その他でも、ファン達の反省会、及び、今後の対策会議のスレが乱立している。
さすが、コンサート終了後、会場外でいくつかのグループでまとまり、「本日のコンサートの反省会」「高橋愛体制後の娘達の将来」等を真剣に議論してくれる暖かい(?)ファンがささえている。
心配しなくても、大丈夫だよ、ミッツィ~。

あと、保釈中の小室哲也は、残念落選。それでも、KEIKOが宇多田ヒカルの協力を得て、「Prisoner of Love」(翻訳すると愛の囚人)歌うとか。
「平気な顔で嘘をついて 笑って 嫌気がさして 楽ばかりしようとしていた ないものねだりブルース ~♪」って、ないか。

まさむね

顕微鏡で覗いたビートルズ ~『真実のビートルズ・サウンド書評~

「Baby’s in black and I’m feeling blue(あの娘は黒い服で僕の気分はブルー)」という感じを出すために、リンゴがドラミングで工夫をしている。
リンゴはこの曲で、最後のサビの「♪She thinks of him」~「♪She’s dressed in black」までは、ハイハットを叩かず(ロックバンドのドラマーがこうした曲調を演奏する場合は、普通にハイハッタオやシンバルを叩くのだが)、バスドラを8分音符で叩き、タンバリンの刻みとタムタム中心のサウンドにしてくれる。つまり、この曲の曲調や歌詞に会わせるために、スネアの響き線やシンバルなどの金属系の音を抑えて-金属系の音を使うとどうしても賑やかな感じになってしまう-太鼓中心のドラミングにしているのだ。
-「真実のビートルズ・サウンド (学研新書 38)」川瀬泰雄 P74-

僕はC型肝炎のため、週に一度、通院しているが、注射を待つ間、この本を読んでいたのだが、思わず、本を閉じた。
そんな場所でこの本を読むのがもったいなかったのだ。
読み終わるのが惜しくて思わず本を閉じてしまった経験がみんなもあるでしょ。
僕は子供の頃にむさぼり読んだ手塚治虫のコミック以来の経験を、この本で味あわせてもらった。

とにかく、今まで読んだビートルズ本の中で最も繊細な本だった。
まるで、ビートルズサウンドを顕微鏡で、そっと覗いたような細やかで微妙な解説書である。
特に初期のビートルズの小曲に関する解説の多くに鱗from目情報が多いように思う。
例えば、You can’t do that やIf I fellのジョンのギター、A taste of honeyにおけるポールのコーラス、Baby it’s youにおけるジョージマーチンのアレンジ...きりがない。
しかも、その細かいサウンドにメンバー達の意図や冒険心を読み込んで、著者独自の説明をしてくれているのだ。
ついでに、ちょっとしたミスまで指摘してくれていて、それはそれで、もう一度CDを聴いてみようとさせてくれるから凄い。

冒頭は、アルバム「Beatles for sale」に収録されている「Baby’s in black」というワルツ風のバラードのリンゴのドラミングに対する解説である。この曲、確かに名曲は名曲なのだが、今までの解説水準だと、せいぜい、ジョンとポールのコーラスに関して言及するにとどまっていたと思う。
しかし、著者の川瀬氏は、その経歴が音楽プロデューサという事もあってか、サウンドの細部にまで、耳が届いている。

川瀬氏は言う。

優れた芸術作品に共通していることは、細部へのこだわりである。天才的な芸術家たちは「神は細部に宿る」ということをよく知っているからだ。ビートルズサウンドの大きな特徴の一つが、その細部へのこだわりである。(同書P38)

おそらく、川瀬氏一流のプロの耳だからこそ、その細部に宿った神を見つける事ができるのだと思う。そして、この本では、そういう耳で拾い上げたビートルズサウンドに潜む神の魅力を、素人の僕達に優しく伝えてくれているのだ。

あのリンゴも海の向こうに、「Baby’s in black」のドラミングに関して、ここまでの理解者がいるとは夢にも思わなかったのではないか。
是非、なんらかの方法で、この本をリンゴに伝えてあげたいものである。

まさむね