世界的な金融危機に端を発して、現在多くの国々が深刻な経済危機に直面しており、我が国においても、経済の悪化に伴い多くの国民が困難な状況に置かれていることを案じています。働きたい人々が働く機会を持ち得ないという事態に心が痛みます。
これまでさまざまな苦難を克服してきた国民の英知を結集し、また、互いに絆(きずな)を大切にして助け合うことにより、皆で、この度の困難を乗り越えることを切に願っています。
23日の天皇誕生日に、天皇陛下はご感想を発表された。
冒頭はその最後の一節である。
国民に対して、知恵と絆で、国難を乗り切るようにとのこと。
今まで、今上天皇が、ここまで踏み込んだ御言葉を述べられたことがあっただろうか。
日本人なら、一人ひとり心に刻み込むべきだ。
政治の場面においては、「国難を前にして、与党、野党争っている場合ではない」という示唆にも聞こえるが、政治家はこの御言葉をよく咀嚼して、正月からの行動をとってもらいたいものだ。
一方、年の暮れ、数々の企業から、派遣切りの発表がなされた。
その中の多くの企業は、しばらく続いた円安の恩恵を受けていた輸出依存企業だ。
日本を代表する名立たる大企業が、本当に今、それまで企業のために、働いてくれていた派遣従業員を、ホームレスにしてまで切らなければならないのか。
「絆を大切にして助け合うことで困難を乗り越える事を願う」というのが何を意味するのかをもう一度、考え直して欲しい。まだ間に合う。
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次の日の24日のクリスマスイヴ、飯島愛が自宅のマンションで亡くなっているのが発見された。
死因はまだはっきりしていないが、亡くなってから既に数日間経っていたようだった。
いわゆる孤独死。気の毒な話である。
今日の「サンデージャポン」でコメンテーター達が彼女の思い出を語っていたが、その言葉はどれも悲しかった。
◆爆笑問題・田中裕二
すごく繊細な人だった。辞めるときも「漫才があっていいな。私なんて何もないんだよ」といっていた。辞めたあとも番組をよく見てくれていて「またデーブがつまらないこといってる…」とかメールが来ていた。
◆テリー伊藤
1カ月前に「芸能界に戻ってこいよ」と話したのだが…。ずっと芸能界にいたらこんな結末にはならなかったかも。今日は皆に会いにきているはず。
◆高橋ジョージ
すごい居心地のいい人だった。(昨年3月25日の)最後のサンジャポ出演のときに「ロード」を歌ったら何回もメールをくれた。「アーティストに歌ってもらっちゃって。私なんかのために…」といっていた。人のことばっかりだった。
◆デーブ・スペクター
サンジャポは生放送なので一番愛ちゃんらしく見えた。最後の出演のときに「自分の代わりはいっぱいいる」と言っていたが、飯島愛は彼女しかいない。
◆八代英輝弁護士
やりたいことがいっぱいあっただろう。HIV啓発活動を積極的にやるなどとって代わることのできない、大切な人だった。
◆西川史子
7月にお会いして「愛ちゃんのあとやりにくいよ」と言ったら「大丈夫だよ、見てないけど」といわれた。愛ちゃん流のエールかも。寂しいですね。
サンジャポファミリーとか言いながらはしゃいで、あんなに仲が良さそうだった芸能人達はみんな痛恨の思いだろう。
一見、華やかな人間関係の真っ只中にいるようにも見えた彼女だが、近所の交番に行って、「寂しいから話を聞いて欲しい」と相談していたのである。
飯島愛の内面を思うと、華やかな芸能界、そしてそれにとどまらず、僕たちが生きる現代社会における見せ掛けの絆がいかに虚しいものかと考えざるを得ない。
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さて、絆を語源辞典で調べてみた。
絆とは犬や馬などの動物を繋ぎ止めておく綱のことをいう
元々、絆という言葉は結びつきを表すと同時に、その裏に束縛という言葉が張り付いているのだ。
それは、決して暖かいだけのものではないのである。
それどころか、僕たち人間の歴史は、ある面、絆(=束縛)からの解放の歴史なのである。
おそらく、戦後の核家族化、地縁・血縁共同体の弱体化というのはその流れに沿っている。
さらに、非正規雇用者の増加、農家の激減、晩婚化、少子化という現象も絆(=束縛)からの解放という歴史の流れの中にある。
それは、人それぞれ、自由な生き方を認めようという思想のもとに、結婚も就職も転職も子作りも自分で選択できるようになったからだ。
しかし、それは当然、個々の人生が厳しい競争原理にさらされるようになったという負の面も併せ持っていたのである。
自由は、同時に、そして必然的に、敗者を生み出してしまうということなのだ。
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しかし、競争に負けた者には悲惨な境遇しか残っていないというのでいいのだろうか。
極端な例かもしれないが、派遣社員が契約を切られた後に、すぐにホームレスという底が抜けた社会はやはりおかしい。
しかし、日本人は束縛からの解放の歴史を元に戻して、かつての地縁血縁共同体を取り戻すことなど出来るのだろうか。
一方、そうでなければといって、絆の構築を一方的に国家に押し付けるということは健全なことなのだろうか。それはゆくゆくは、国家からの束縛を意味してしまうのではないだろうか。
また、例えば、今年の紅白歌合戦のテーマ「歌の力、歌の絆」のようにマスコミがキャッチフレーズとして喧伝しまくればいいというものでも全くないであろう。
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陛下が言われた「この困難を乗り越えるための絆」をどのように創り直していくのか、それこそ、今、日本人が英知を結集して考えなければならない事なのだ。
これは、まさに歴史的試練である。
まさむね