筑紫さんはオナラが臭そうな人だった

筑紫哲也さんがガンで亡くなった。

僕たちの世代にとって、ジャーナリストと言えば、筑紫さんの顔が思い浮かぶ程、”それらしい”人だった。
このキャラクタ力は強固だ。
そういう意味でマスコミ既得権の代表者みたいな人だったよね。

だから、同業者であるマスコミ人はあまねく、筑紫さんに哀悼の意を示す。
「週刊ニュース新書」の田勢康弘さん、「JNN報道特集」の田丸美寿々さん、そして鳥越俊太郎さん達は異口同音に、「ブレない人」という言い方をしていた。
ブレないという事は、いつも同じ事を言っていたという事でしょ。
既に視聴者が持っているイメージ通りに振舞って、新しいこと考えなくていいんだから、ある意味、楽な立場だったんだろう。キャスターの発言で面白かったのは、安藤優子さん。「1980年頃、アメリカからの報道時、私が筑紫さんの通訳をしたんですよ。」って、ここに来て、朝日新聞・ワシントン特派員が看板の筑紫さんの英語力の無さを暴露するか!?こういうのを無邪気な悪意って言うんだろうな。

一方、2chでは、彼の事ボコボコ。
「慶んで、哀悼の意を表します」「日本の癌も癌には勝てず」「癌細胞に感謝!」等、そこまで言うか。
ニュー速+でのスレ数は、1日で30を越える。アメリカ大統領選挙、小室問題をはるかに上回る。大人気だ。

いつもそうだが、マスコミの言論とネットの反応の相反を再確認させられた。

僕の個人的な印象では、オナラの臭そうな人。
換言すれば、裏ではいつもいいもの食べてそう、あと、肉とか、辛い物好きそうな人だったよね。

まさむね

筑紫さんはオナラが臭そうな人だった” への2件のコメント

  1. 確かオペラ好きだったんじゃなかったっけ
    もち招待の赤い貴族だったんだろうけど

    それならホテルのバー位だなんだよ

    まぁ
    新人類云々もノーベル賞よろしく自分の権威付けだよね

  2. 2chの書き込みからだけど、最後の方の筑紫さんはあわれだったよね。

    『月刊 現代』2003年二月号「徹底検証 寡黙なカリスマへの大いなる疑問 筑紫哲也はニュース番組を迷走させる」です。
    一部引用しましょう。
    《筑紫自身のコメントさえも、実際には担当のディレクターが作る台本に沿っての発言であるケースがほとんどである》
    《~VTR~
    ゲストA(Vについてのコメント)
    ゲストB(Vについての感想)
    ゲストA(テーマについての見解)
    筑紫(はあ、はあ)(←※注:これは興奮してるのではない、相槌)
    ゲストB(テーマについての感想)》

    《センターテーブルで台本を前に最後の打ち合わせをしている筑紫が、いつものようにディレクターに尋ねた。
    「それで、僕は何を訊けばいいの?」》

    彼が看板キャスターを務めていた「筑紫哲也NEWS23」は、その名の通り彼がメインになって番組の方向性から何から引っ張っていくものだと思っていました。
    しかし真相は「テレビ局(もちろんTBS)の操り人形」。かつてオウム事件の際に「TBSは死んだ」と本人はいっていたはずなのですが…。
    その姿勢からはジャーナリストとしての精神など微塵も感じ取ることはできません。