「天地人」はどういう価値観を示してくれるのか楽しみだ

元旦は、NHKスペシャル「激論2009」を興味深く見せてもらった。

番組のポイントは、現在の不況の原因を作ったといわれている構造改革の政策責任者の一人の竹中平蔵元総務大臣を金子勝、山口二郎、斎藤貴男の3氏がどれだけ、攻め込めるかだった。
ご存知の通り、竹中氏は、郵政民営化を初めとする新自由主義に基づいた(民営化、規制緩和、地方分権、財政再建など)政策を立案、実行したことで知られているが、その竹中氏に対して、今日の惨状の責任を認めさせるというのが、この3人に課せられたテーマだった。
多くの視聴者もそう思ってみていたはずだ。

しかし、結果としては、竹中氏は逃げ切った。
竹中氏に「第一の課題は貧困をなくすことだ」とか「大事なのは犯人探しをする事ではなくて、一つ一つ具体的に問題を解決することだ」と、正論を言い切られて、ほとんど有効な反論ができなくなってしまった。
さらに、実際の政策実行過程で具体的に官僚の執拗な抵抗があるという経験談に対して、この3人は黙って聞くしかない。
終いには、リアリストたれと一喝されることによって、事実上、論家あるいは研究者としての気楽さをも指摘され、いわゆる格の違いを見せ付けられてしまった。

それでも、例えば、今日の派遣切りなどの惨状と竹中氏の政策の失敗が明確にひも付けられれば、細かい点で、もっと攻め込めたかとも思うのだが、社会情勢の変化等も絡めて説明されると、それも難しかった。
具体的には、2003年に法制化された労働者派遣法の改正(製造業務への労働者派遣の解禁)の問題点が指摘されたが、それは別に小泉・竹中構造改革からだけの問題ではなく、80年代から徐々に解禁されてきた経緯がある。
労働者派遣法は、2003年の前に、既に1985年、1996年、1999年と徐々に派遣出来る業務が広がってきたのである。
また、同様に、パートタイマー(フリーター)、契約社員等の非正規社員もこの30年あまりの間にどんどん増えてきたし、転職なども当たり前になってきた。
それらは、新しい働き方、あるいは新しい生き方を支援するための新制度として、むしろ肯定的に広がっていったのである。
   ◆
そして、これらの労働形態の多様化は、その背景として、「自分らしく生きろ」、「個性を生かせ」、「夢を持て」などという耳あたりのいいイデオロギーが後押ししてきたのではなかったか。
おそらく、現代日本人にとって、こういった価値は、それこそ骨の髄まで染み付いている。
例えば、昨年の大河ドラマ「篤姫」は、まさに「己の心のままに生きる」ことを肯定する価値観を背景に持っていたし、TBSの大ヒットドラマ「ROOKIES」は常に「夢にときめけ!明日にきらめけ」と語りかけていた。

それらのドラマが発する価値観があまりにも自然なため、僕たちはその起源すら忘れがちであるが、それらは決して古いものではない。
おそらく、戦後にいつの間にか浸透したものであると思う。

しかし、昨年から今年をまたいでさらに続くと思われる経済危機の中、これまで僕らを支配していた、悪く言えば浮かれた価値観は必然的に変わらざるを得なくなってくるのではないか。まず、足元の生活を維持する事こそが重要になってきてしまうからだ。
勿論、だからと言って、その前の価値観=勤勉、忍耐、協調という古い価値観を持ち出すこともナンセンスだ。
それらは、日本型農業社会、そして、右肩上がりの工業生産重視の時代、あるいは終身雇用が当たり前の時代にまでしか通用しない価値観だからである。

これからは、普通の人が、普通に真面目に働いてもその先に成功するとは限らない時代が待っていると思う。
逆に、今まで以上に、一人一人が、付加価値を付けていかなければ生き残っていけない時代になる。その意味で、上記討論番組において、勝間和代氏が、これからは教育が大事だ、しかもそれは、子供に対してだけではなく、個々人が自らに対してもそうだという趣旨の話をしていたが、まさしくその通りなのである。
しかし、一方で、だからこそ、これからはイザという時のために、普段から、絆(今上天皇によって、天皇誕生日のご感想だけではなく、年頭のお言葉でも繰り返された言葉であるが)=人間関係というセイフティネットを大事にし、さらに、国に頼る以前に、自分達で作っていかなければならない時代になると思う。
そういう意味で、今後、学校の役割は、自分が落ちそうになった時の精神的、人間関係的なセイフティネットの基礎となる絆を作る場としての意味も大きくなっていくようにも思える。教育に金をかけるのは確かに大事だが、学校というところが、大人になるためのプラグマチックな訓練場として以上に、学校を卒業して大人になった時に、僕たちを癒してくれる「故郷」として必要になってくると思うのは、いささかノスタルジックに過ぎるだろうか。
    ◆
さて、今年の大河ドラマ「天地人」では上杉家家臣の直江兼続が主役であるが、彼は、「愛」と「義」に生きた武将として知られている。
「愛」と「義」というコンセプトは、自分自身の生き方というよりも、周囲に対しての接し方のコンセプトなのだと思うが、それがこの時代に必要な「絆」構築のための思想になれるかどうか。その思想が時代とシンクロしていけるかどうか。
そういう視点でこのドラマを見て行きたいと思う。

まさむね

大河・篤姫が「その時歴史が動いた」篤姫と違う5つの点

先日、NHK「その時歴史が動いた 大奥 華にも意地あり~江戸城無血開城 天璋院篤姫~」の再放送があった。

「その時歴史が動いた」は、忠実に史実を再現する事をポリシーとした番組である。
今まで、信じられてきた歴史に対して、新たな実証、資料を元にして、新史実を紹介するところが真骨頂だ。

そこで、僕が気になったのは、この番組で紹介された史実の篤姫は、大河ドラマ「篤姫」と、いくつかの点で異なっていたという事だ。しかも、そのいくつかの点は、むしろ篤姫の特徴を現していたエピソードのような気もするのである。

僕が気になった点を上げてみる。以下の5点だ。

1)和宮との初対面における敷物
和宮との初対面において、史実では、篤姫が和宮に敷物の無い場所を指定したのだが、大河では、篤姫は敷かなくていいのか?といぶかるが、大奥総取締り・滝山に「必要ない」と進言され、そのような状態になった、ということになっていた。

2)江戸城退去を言い渡させた時の篤姫の態度
朝廷から倒幕の勅命が出て、討幕軍が江戸に迫った時、篤姫は城内からの退去を勧められるが、これを拒絶し、史実では短刀を構えて自害の姿勢を見せたという。
そうとう気性の激しい女性だったようだ。勝海舟は、こんな篤姫を評して「天璋院は貞婦というか烈婦」と記しているほどだ。
しかし、大河では、この場面では篤姫は退去に納得。その際に、「とりあえず、3日間だけ退去してほしい」という滝山の嘘を見破り、逆に、そのような嘘を付かせた滝山の心をいたわっている。

3)江戸城総攻撃を思いとどまらせるために西郷に送った手紙
史実では、西郷が江戸総攻撃を思いとどまったのは、篤姫からの「自分の命にかけても、徳川家の存続を嘆願する」手紙によってということであるが、大河では、むしろ、斉彬から篤姫への手紙を読むところで、西郷は号泣。日本を西洋に負けないような国にしたいという斉彬の意志を継ぐ、すなわち日本のためを思って江戸総攻撃を止めたということになっていた。

4)江戸城退去後に大奥に残された物
篤姫が江戸城から退去するとき、史実では、調度品等を全部置いてくる事によって、薩長に対して、徳川文化の厚みを誇示しようとしたのに対して、大河では、高寿院(家定の母)が活花をして、それに感化された篤姫をはじめ、他の女中達、みんなが活花をし、それを部屋に残し、乗り込んできた薩長軍の兵士を驚かせるというエピソードになっていた。

5)大奥退去後の女中達への世話
大奥退去後、史実では篤姫は、女中達の縁談、再就職先の面倒のため奔走したとのこと。そのために、死後、残された所持金はたった3円=現在の貨幣価値で6万円程度になっていたということであるが、大河では、その件は、江戸城開城前に、滝山に一任されていたようだった。篤姫の面倒見のよさを示すエピソードのはずなのだが、大河では、「気にかけている」レベルの話になっていた。

おそらく、本当の篤姫は、1)、2)、3)でも分かるが、気性が激しい女性だった。
また、1)、4)のエピソードを聞くと、かなりプライドが高い面も持っていたことがうかがえる。
さらに、2)、3)、5)で分かる通り、責任感が強く、人情味にあつかったようだ。

大河における篤姫よりも、かなり性格の輪郭がはっきりしている。
ようするに、本当の篤姫は、大河・篤姫よりもキャラが立っていたのではないだろうか。しかし、そのキャラはかなり古風である。

おそらく、上記のような史実の篤姫の武勇伝の多くが避けられたのは、随所で現代的な価値観を見せる大河・篤姫とのキャラの整合性をとるための対応だったのであろう。
例えば、「生きる」という事を第一とする現代の価値観からすれば、短刀で自殺しようとしたり、あるいは、自分を犠牲にしても徳川家を守って欲しいなどと言うのは矛盾してしまう。
また、1)のように、見方によっては姑の嫁に対する意地悪に見えてしまう振る舞いは避けられた。

ただ、4)の場面では、自分が先導して活花をしたとか、5)の場面では自ら奔走したというシーンにしてもよかったと思うが、それぞれ、ヒステリック、あるいは冷たいイメージの高寿院と滝山に華を持たせる形となっている。
この点は、逆に、結果として、篤姫の懐の深さを見せたのではないだろうか。

一方で、大河・篤姫は、史実としては可能性が低い小松帯刀や徳川家定とのユニークな男女関係が前面に出ていたが、これが多くの視聴者を惹きつけたのである。

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篤姫の行動原理は極めて現代的だ。
篤姫 幕末に迷い込んだ現代女性

まさむね

「イノセントラブ」最終回に残された8つの不可解さ

「イノセントラブ」の最終回。

誰か命を落とすのでは、と思っていたのだが、それはなかった。ここに来て、日本社会もの急速の不況で、死というものをドラマで扱いにくくなっているのだろうか、結局、誰も死ななかった。
「何があっても、生きていかなければいけないんですね。」という佳音(堀北真希)の兄・耀司(福士誠治)のセリフが、今の時点でテレビドラマが発しなくてはいけない最低限のメッセージであることをよく表している。
ちなみに、最近のドラマにおける「生きなさい」というメッセージに関する詳細に関しては、。「篤姫」「イノラブ」「流星の絆」からの共通メッセージとは? をご参照ください。
    ◆
さて、今回の最終回であるが、教会の2階から飛び降りた聖花(内田有紀)。
とっさに助けようとして、彼女の下敷きになって頭から血を流す殉也(北川悠仁)。
昴(成宮寛貴)は「聖花は殉也の気を惹きたくて飛び降りたんだね。」と解釈する。

そして、脳に傷害を負う殉也は、聖花と同じく、人工呼吸器生活に。
病院のベッドで、殉也の手を握り、殉也への愛を告白する昴だが、殉也は全く反応せず。

必死に看病する佳音だが、立ち上がっても、殉也の記憶、感情が元に戻らない。
さらに、恋のライバルだった美月(香椎由宇)を呼んで、殉也の記憶を蘇らせようとするが、失敗。

続けて、殉也を暖かく看病する佳音。
ある日、公園で殉也に玩具のカメラ等を見せて殉也を笑わせる。
そのシーンを遠目で見ていた耀司。その足で教会へ行き、今まで、妹・佳音に抱いていた近親愛を吹っ切れたと、神父に告白。微笑む神父。
さて、公園に戻る。そこにあった赤い風船を見て、殉也が、聖花の事を思い出す。
佳音は、殉也が、本当は聖花の事を心の奥ではずっと好きだったんだと悟り、自分の身は引いて、殉也と聖花の2人で会わせようとする。
ところが、殉也は、聖花と一緒の時に、床に落ちた楽譜(殉也が佳音のために作った曲)で見て、その曲をピアノで弾きだし、「自分にとって大事なのは佳音なのだ」と悟り、急に家を飛び出して佳音がいるであろう教会に走り出す。
教会では、殉也と聖花のために、身を引き、落ち込む佳音がいた。
佳音に抱きつく殉也。そのままキスシーンへ。
そのシーンにかぶって、「愛に過去も未来も無い。好きだという気持ちの日々の積み重ねだ」みたいなナレーションが入り、ジ・エンド。
     ◆
最終回、みなさんはどう思われただろうか。
僕は残念ながらあまりにも不可解で、多くの謎を残したという印象だ。
そこでどこが不可解だったのかを以下の6点にまとめてみたいと思う。

1)殉也の気を惹こうとして、聖花が教会の2Fからダイブする。ってあまりにもリスキーじゃない?
前回の放送でも、耀司が妹・佳音の記憶を蘇らそうとして、殉也にナイフで襲い掛かるシーンがあったが、自分が起した行動とその結果との結びつきが、あまりにも、無理矢理な感じがする。
聖花の頭の中はどうなっているのか。そういった知恵はあるのか。昴への思いやりは無いのか。
脳の病気という事にしてしまえば、どんな唐突のな行動も許容されるというシナリオにはやはり、付いて行きがたいものがある。

2)殉也がピアノを自分で弾いて、大事なのは佳音だと気付くっていうのも、唐突じゃない?
聖花の教会ダイブと同様に、「イノセントラブ」における脳に傷害を負った人の行動があまりにも非論理的過ぎて付いていきがたい。
聖花も殉也も同じ類の傷害なのだろうが、時々、ただ口が聞けないだけの人々のようにも見える。

3)神父は何故、耀司の内面をすぐに理解できるの?
自分の今までの邪心を反省し、これからは心から妹の幸せを祈れると、教会で手を合わせる耀司だが、そばにいた初対面の神父(内藤剛)に自分の気持ちを打ち明けると神父はすぐに理解を示し、微笑む。
神父というものは状況の詳細がわからなくても、懺悔してくる人には必ず、微笑むものなのだろうか。

4)身を引いたはずの佳音が、殉也と教会で再会するとすぐにまたキスするっていいの?
殉也の「本当の」幸せを願っている佳音だが、一度は諦めたくせに殉也が迫ってくるとすぐに、キスに応じる、って変わり身、早過ぎない?

5)殉也の記憶を呼び起こそうとして美月を家に呼ぶ佳音、虫が良すぎないか?
殉也の記憶を呼び起こしてもらおうと、家に美月を招くが、結局成功せず。
またもや美月の心を傷つけることに。佳音はちょっと残酷ではなかったのか。
最初から最後までかわいそうな美月。
と思ったら、最後のエンディングシーンで笑ってオルガンを弾く姿も。どうやって、立ち直ったのか。

6)昴と聖花はこれからどうするの?
自分にとって大事だったのは、殉也と気付いてしまった聖花。
振られてしまうわけだが、一方で愛情の注ぎ先を失っている昴が、そんな聖花とそれまでのような暮らしが出来るのか。疑問を残したまま終了してしまった。

7)佳音と殉也はどうやって生計立てていくの?
最初から、引越しばっかりしている佳音の経済状態は気になるところだったけど、殉也が半植物になっちゃった今、佳音のピアノバーのアルバイトだけでやっていけるのでしょうか。
老婆心ながら気になるところだ。

8)結局、イノセントラブというは、誰の誰に対する愛のことだったのだろうか。
大きなところ、この疑問に尽きる。
これはみなさんにも是非考えていただきたい点である。

まさむね

井の頭弁財天の恋人破局伝説とテレビドラマの結末

先日、吉祥寺の井の頭公園に行ってきた。
都会の中のオアシスという言葉があるが、まさに、そんな感じだ。

さて、井の頭公園と言えば、弁財天である。

ここの弁財天は歴史がある。
天慶年間(938-946)に清和源氏の祖・源経基が最澄作弁財天を奉納して建立したのが元だという。
その後、源頼朝が宮社を建立、新田義貞が戦勝祈願したとも伝えられている。(神社公式HPより)
さて、弁財天の神紋は、「対い波に三つ鱗の紋」。人形町の水天宮の弁財天の神紋もそうでした。
境内には、提灯、賽銭箱、手水場等、様々な所にこの紋が見られるが、それぞれ微妙に違う。

また、狛犬の古さが、この弁財天の歴史を物語る。
台座には明和八年とある。1771年のことである。この頃の狛犬は、胴長でユーモラスな御顔の創りのものが多いが、この狛犬もそうだ。
ちなみに、写真は、口をあけているので正確には、「阿形の獅子」というべきか。
    ◆
ご存知の方も多いかと思うが、井の頭公園にカップルで来ると、ここの弁財天が嫉妬して、別れさせてしまうという伝説がある。この公園はドラマロケが多い公園としても有名であるが、この公園でデートした男女がドラマの中で、その後、どうなったのかを見てみよう。

1)「愛していると言ってくれ」
1995年にTBS系で放映。主演は紘子(常盤貴子)と晃次(豊川悦司)。
この公園で何度と無く過ごす二人だが、結局は別れてしまう。
しかし、最後の何年後かのシーンで偶然再会。将来へ若干の含みは持たせてあるが...

2)「ひとり暮らし」
1996年TBS系で放映。主演は美歩(常盤貴子)、他出演は、恭子(永作博美)と高弘(高橋克典)、千勝(高橋和也)。
一方的に美歩のことが好きだった千勝は美歩を誘って、井の頭公園でデートするが、結局実らず。

3)「仔犬のワルツ」
2004年にNTV系で放映。主演は葉音(安倍なつみ)と芯也(西島秀俊)。盲目の葉音と一緒に散歩するシーンがある。
二人は、愛し合っていたが、ドラマの最後では結ばれず。
ラストシーンでは、葉音が芯也を銃で撃つ?らしい銃声が...

4)「ラストフレンズ」
2008年にCX系で放映。主演は美知留(長澤まさみ)、瑠可(上野樹里)、タケル(瑛太)。
タケルがこの公園で瑠可を抱きしめて告白するも、瑠可は性同一障害のため、永遠に実らず。

偶然なのか、意図的なのか、4つのドラマとも、愛のすれ違い、あるいは愛を超えた運命によって、カップルは結ばれることは無かった。
    ◆
ところが、この日は、日曜日。
二人で楽しそうにしているカップルが多かったこと。

まさむね

「スキャンダル」最終回に残した11の疑問

TBS日曜劇場「SCANDAL」の最終回が終了した。
内容に関しては、基本的に納得出来る話だったと思う。面白かった。
最終的にサスペンス性よりも、男と女の情を描くシーンにウェイトが置かれた展開は、僕は、よかったと思う。

さて、予想(「スキャンダル」最終回を残して推理してみました)のいくつかは当たったが、多くは当たらなかった。
これに関しては、お許しください。

キャスト

高柳 貴子 – 鈴木京香
高柳 秀典 – 沢村一樹

河合 ひとみ – 長谷川京子
河合 雄一 – 光石研

鮫島 真由子 – 吹石一恵
鮫島 賢治 – 遠藤憲一

新藤 たまき – 桃井かおり
新藤 哲夫 – 石原良純

白石 理佐子 – 戸田菜穂
久木田 慶介 – 加藤虎ノ介

川島 礼二 – 植田浩望
水谷 隼人 – 細田よしひこ
勝沼 龍太郎 – 小日向文世

ちなみに、大きくはずした予想は以下の3点だ。

1)一番大きくはずしたのが、夫4人が理佐子の金沢殺害計画を幇助するという点だった。それは全く関係なかった。4人の妻を結婚式場に集めている間に、それぞれの4人の夫に、金沢殺害計画の準備をさせるっていう推理、なかなかだと自分で悦に入っていたけど、結局、まったく関係なかった。
それゆえ、その計画を前提とした動き(雄一が、理佐子と金沢との仲介をしたとか、秀典と賢治がその場に控えている、4人が理佐子に逆に脅されている等)に関しては、完全にはずしてしまった。

2)また8年前の事件をそもそも起したが雄一の画策だという推理もはずした。
そのクラブで外資系企業の幹部に接待された現場をフリー記者に見られ、その記事をもみ消すための資金として、偶発的に起きた事件の示談金を充てようというアイディアを雄一を出したというだけだった。
しかし、これは前回まで全くその記者の話など出てきていないのでしかたないと思うのですが...

3)4組の夫婦が全て離婚すると予想したが、真由子とたまきの2組のみが離婚、貴子とひとみ夫婦は元の鞘におさまった。元に戻った2組には、子供がいたというのが大きな分かれ目だったのだろう。

ただ、若干、疑問、強引さとして残された点もあったので、最後に触れておきたい。

以下の11点だ。

1)前回の放送時に教会の影に立って、石を並べていた帽子の男は誰だったのだろうか
警察があの現場を認識したのは雄一の垂れ込みによってなので、時系列的に、理佐子が教会に入ったタイミングでは早すぎる。したがって、警察の人ではない。
秀典はあの現場に来ていたし、賢治も家を外出するシーンがあったのでその2人のどちらかとも思ったが、不明。
結局あの伏線は回収されず。

2)久木田が貴子に近づいた理由の説得力が弱い
一時、久木田は、理佐子から自分への別れのメールを偽装したり、2人きりで何度も会うなど、明らかに貴子を誘惑しようとしていた。
しかし、それが、ただ、理佐子と会うための手段だったというのは無理があるように思えた。
もっと、別の深い意図があるのかと思ってしまった。それに関して、公式HPのキャスト説明の久木田の欄には「日本人で初めてニューヨークフィルと契約し、脚光をあびるが、その経歴ははっきりと公表されていない。」とあったので、彼に、もっと秘密があるのではないかと勘ぐってしまったのである。

3)理佐子の「私は勝ったわ」というセリフの根拠が薄い
結局、他の4人がいろいろと家庭や旦那に対して、愚痴を言っていて、愛情が薄れているのに対して、理佐子の久木田に対する愛情の方がピュアという事で「勝った」と言ったという事になっているが、4人の生活愚痴を聞いたのは、結婚式の後の、2次会の居酒屋での話なので、時系列的におかしいのではないか。

4)理佐子がアリバイを作るために4人を結婚式に呼んだという無理
4人にナンパをさせるゲームを仕掛けている間に、金沢を殺そうとしたという理佐子のアリバイ工作には無理があるのではないか。
何故なら、その時間には別々に行動しているわけであり、逆に殺人のタイミングには誰も理佐子と一緒に居たわけではないからである。

5)金沢とラブホに入るときに、理佐子が貴子に見せた視線は何だったのか
あのシーン、確かに、理佐子は貴子にこれ見よがしの視線を投げかけている。
あれは何だったのだろうか。

6)雄一が、何故、金沢が理佐子を恐喝していたのかを知っていたのか
結局、雄一の警察への垂れ込みが、逮捕に大いに役立ったのだが、金沢が理佐子を恐喝していた事を何故、雄一は知っていたのだろうか。
金沢が雄一にその事を話していたとしたら、それは何故なのか?その理由が無いような気がする。

7)勝沼の奥さんは死んだの?失踪したの?
以前、勝沼は、奥さんに逃げられたと話していたが、最終回では、奥さんに死なれたという話になっていた。この食い違いが疑問として残る。

8)理佐子が金沢を殺さなかった理由の説得力が無い
理佐子の話によると、結婚式の2次会の気の置けない雰囲気が気に入り、またそこに戻ってきたかった。
つまり、4人の友達としてその中に入りたかったという事であるが、その時点では4人はまだ初対面で、決して仲の良い状態ではなかったはずだ。
理佐子がそれを見て、殺人を思いとどまったというには説得力が薄いのではないか。

9)一度、理佐子が高柳家にやってきたがあれは何だったのか
第6話に、理佐子が高柳家にやってきて、家の前にいたところを娘に見られている。
あの行動は何を意味していたのだろうか。何を求めてやってきたのか不明のままである。
また、その際、秀典に会い、「女だったら誰でもこうなる可能性がある」と叫ぶが、そうだろうか。理佐子だけの問題のような気がするが。

10)公式HPの人物相関図を見ると、秀典の愛人として、会社の女の子が出てくるが...
公式HPの人物相関図を見ると、秀典の愛人として、会社の女の子が出てくるが、あの子、最終前回で、彼女はただのアシスタントだったと秀典は貴子に言う。
これは、秀典が、あんな緊迫した場面でも、またウソをついたのか。疑問として残る。

11)最終前回に、秀典が貴子に警察へ行けと言った際に、久木田がどんな男かお前は知らないと言っていたが...
最終前回に、秀典が貴子に警察へ行けと言った際に、久木田がどんな男かお前は知らないと言っていた。
それによって、久木田のさらなる秘密が出てくるかと思っていたが、それは全く無かった。
あの秀典のセリフの根拠は、そして、「どんな男」だと思っていたのだろうかが、不明。

まぁ、最終前回まで、かなりの謎を残しての最終回だったため、若干の破綻はしかたがないと思っていた。
結果として、毎回楽しませてもらったので、僕としては満足な「SCANDAL」であった。
そしておそらく、今後、この「SCANDAL」のような、豪華キャストによる複雑なサスペンスがブームにすらなるような気がする。
あまりに話が、複雑だと、一度落ちた視聴率を上げるのが難しいという懸念もあったが、、最終回には15.5%を回復していた。
最近の常套手段=視聴率回復のための夕方の再放送もしなかったのに。

ちなみに、日曜劇場のスポンサーは、トヨタ、NTTdocomo、花王、アサヒビール、アサヒ飲料だ。広告界の上客5社をバックに背負った今回のドラマ、TBSにとっては、ほっと胸をなでおろす数字がとれたのではないか。

まさむね

「イノラブ」「篤姫」「流星の絆」からの共通メッセージとは?


9月のリーマンショック以来、金融恐慌が徐々に実物経済の不況に伝染してきている。
トヨタ、ホンダ、キャノンなどで派遣社員の契約解除、ソニーの大型リストラの話が世間を騒がせている。
大変なことだ。
おそらく、来年あたりさらに、失業者は増えていくのだろう。

心配なのは、それにつれて、自殺者の数も増加しそうということだ。
左表を見ると、悲しいほど、失業者数と自殺者数に相関関係にある。厳しい現実だ。

自殺の動機に関して、一番多いのは健康問題、次に経済問題だと言われているが、そういう問題を抱えていても多くの人は頑張って生きている。
おそらく、自殺するという事は、結局は、将来の向かって何の希望もなくなったということ、人間関係を断ち切りたくなったということである。
最終的には、人と人との結びつきしか、その増加を食い止める手段はないのだろう。
      ◆
さて、そんな現況の中、最近のドラマでも、自殺を阻止するような場面が多く見られる。
死のうとする人に対して、「死なないでくれ」というメッセージを積極的に出すことは、社会として重要な課題であるという認識が共有されているということか。

例えば、「イノセント・ラブ」において、佳音(堀北真希)の兄・耀司(福士誠治)がナイフで自殺しようとするが、殉也(北川悠仁)に制止される。
その時のセリフが「生きていて欲しい」だった。
そして最終回に耀司は言う。「何があっても生きなくてはいけないのですね。」と。
大河ドラマ「篤姫」でも、主人公の篤姫(宮崎あおい)は、自分は死んで官軍の江戸総攻撃を回避しようとする徳川慶喜(平岳太)に対して、「あなたも家族です。」と言って、自害を阻止する。
また、「流星の絆」、真犯人だった刑事(三浦友和)が自殺しようとするが、自分の両親を殺された有明功一(二宮和也)はそれを許さない。
原作では、この場面で刑事は自殺する事になっていたらしい。
ドラマ化する際に、殺させるのを良しとしなかったことがうかがえる。
そして、そのシーンに、敢えて「生きろ」というメッセージを込めたのだと思われる。

3作品とも、少なからず憎んでいた相手に対してのメッセージだったことは共通している。
      ◆
一方、冷静な目で見れば、こういった不況の時期は新しい才能が芽生える時期でもあることも事実である。
右表は、自殺者数の増加を年毎に表したグラフであるが、1998年に急激に伸びているのがわかる。
そして、1998年に年間3万人台に上がった自殺者数はその後、高値安定の状態になってしまっている。

1998年と言えば、前年の1997年に、山一證券、北海道拓殖銀等が破綻。
この年には、バブル以降最悪の不況だった年である。

しかし、同時にこの年、宇多田ヒカル、浜崎あゆみ、モーニング娘。、aiko、MISIA、椎名林檎、キロロ等、その後の大活躍する女性ミュージシャン達が次々にデビューしている。
おそらく、こういう時期だからこそ、人々の新しい心情、感情、人情を汲み取れるような新しい感性が登場するチャンスなのだとも言えるのかも知れないのだ。

不謹慎かもしれないが、そういう意味で、来年の音楽シーンは大変楽しみである。

まさむね

「篤姫」ヒットの一因に、普遍的な物語性があった

篤姫は、物語のアーキタイプ(典型)としても、優れているのではないかと思う。
アーキタイプというのは、典型的な物語の枠組みの事である(ここではそう使っている)。
例えば、世阿弥の「忠度」とか、「忠臣蔵」「水戸黄門」、西洋だと「シンデレラ」や「ロミオとジュリエット」がこれにあたる。
ようするに、それを典型として、いくつものバリエーションが生み出せるような普遍的な物語のことである。

では、篤姫は典型としてまとめるとするならば、どんな物語なのであろうか。

自由奔放に育った子が、心ならずも運命的に別世界に送り込まれてしまう。
そこには自分を苛めてくる数々の敵がいるが、その敵を一つづつ、自分の味方にしていく。
そして、その世界で、王子様と出会って、愛し合うことができるが、不幸にもその王子様は死んでしまう。
その王子様からのメッセージを心に秘め、さらに襲ってくる数々の敵を自分の味方にしつつ、難関を乗り切っていく。
その敵の中には、子供の頃に一緒に遊んだ仲間もいるが、それぞれの立場で最良の道を選んで進んでいく。
運命のしたがって、その別世界は崩壊してしまうが、その子は、最終的に、闘いの過程で味方にした仲間達と幸せに暮らす。

こんな感じだろうか。
篤姫では、この別世界は江戸城大奥だったが、それは老舗の旅館だったり、銀座のクラブだったり、大手町の大企業だったり、嫁入り先だったり、どんな設定でも物語は成立するような気がする。
それはバリエーションの問題なのだ。

今回、篤姫の大ヒットの原因の一つに、この物語の普遍性というのが追加できるかもしれない。
今後、このアーキタイプを活用したアドベンチャーゲーム、別のドラマ、小説などが多産されていくような気もする。

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「イノラブ」「篤姫」「流星の絆」からの共通メッセージとは?

まさむね

篤姫が私達にくれた6つのメッセージ

前エントリーで、大河ドラマ「篤姫」の視聴率がよかった11の理由を書いたが、今回は、その篤姫からの6つのメッセージを書いてみたい。
やはり、どんなジャンルでもそうだが、ヒットするコンテンツには、ユーザーに対する実践的なメッセージ(処世訓)が含まれているものだ。

篤姫という作品が、僕たちに送ってきたメッセージを以下の6つにまとめてみた。
 
 
 
1)迷ったら、自分の信じた道を行け
これは、父・島津忠剛(長塚京三)、義父・島津斉彬(高橋英樹)、母・お幸(樋口可南子)、夫・家定(堺雅人)達が、手紙や幻影の中で繰り返し、篤姫に伝えるメッセージである。
最終的に信じれるのは自分の感性であるというメッセージである。

2)自分の家族(身内)を大事にしろ
家定の幻影に言われることであるが、守らなければならないのは、財産でも、家でもなく、本寿院(高畑淳子)、滝山(稲森いずみ)等の「家族」(信頼できる仲間)である。そしてその心である。

3)運命に逆らわず、自分の役割貫け
これは「女の一本道」という表現があったが、薩摩の今和泉島津家の置く女中・菊本(佐々木すみ江)や、父・島津斉彬から伝えられる。

4)相手に対しては、自分をさらけ出せ
英姫(余貴美子)、島津斉興(長門裕之)、徳川斉昭(江守徹)、井伊直弼(中村梅雀)、和宮(堀北真希)等との確執をすべて、直談判で乗り切る。

5)生理的に合わない人にも優しくしろ
徳川慶喜(平岳大)に対しては、生理的にあわなかったが、そんな慶喜に対してもプライドを重んじて接し、生き場所を与えてあげる。

6)友人は、分け隔てなくつきあえ
上級武士の子であった篤姫であるが、薩摩時代に下級武士の西郷や大久保、有馬などとも等しく付き合う。後にその人間関係が生きてくるのだ。

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まさむね

大河ドラマ「篤姫」の視聴率がよかった11の理由

NHK大河ドラマ「篤姫」が高視聴率で全50話終了した。
平均視聴率は、24.5%で、ここ最近10年の大河では最高を記録したという。それによって、某視聴率稼タレントKさんが再来年の出演を尻込み、辞退し、結局、福山雅治に決定したとの噂話にもリアリティがある。
また、2008年のヒット商品番付では、関脇に選出された。
全体的にNHKの番組が支持されたこの1年であったが、その代表選手がこの「篤姫」だったのだ。
それは何故なのだろうか。

ヒットの理由を僕なりに考えてみた。

1)主演・宮崎あおいの魅力
宮崎あおいは、天璋院・篤姫の生涯のうち、12歳~49歳までを演じた。
彼女は、子役としてデビュー後、映画「NANA」等で好演し、評価を徐々に上げ、史上最年少で大河の主役に抜擢される。
史上最年少(22歳1ヶ月)の主役として、放映開始前から話題になった。
実際、スタジオで台本を持っているところはほとんど見られなかったというほど、完璧な役作りで、彼女自身が本当の篤姫になったかのごとく、を見事演じきった。
実際、江戸城開城を前にして、一千人の女中に大奥明け渡しを伝えるシーン撮影の前夜はソワソワしてしまったという。それほど、役にのめり込んでいたという事だ。

2)幕末という大変革の時代と現代とがシンクロ
現代は100年に一度の大変革の時代と言われている。多くの日本人はそんな激流の中、将来への不安を心に抱いている。
そんな現代という時代状況が、篤姫が生きた幕末と酷似していると言われている。
特に、徳川幕府の大奥という、あの時期、衰退を余儀なくされた既得権益集団をどう、終わらせていくかという、一見地味だけど、物凄く困難な状況を乗り切った篤姫の人間性、判断力、説得力が、これから退潮を余儀なくされるであろう現代社会を生きる、多くの日本人の共感を呼ぶところだったのではないか。
現代に蔓延する閉塞感を切り開くためにはどうしたらいいのか。視聴者一人一人が、こういった疑問の答えを模索する中で、篤姫に惹かれたのではないかと思う。

3)周りの男性が草食系
篤姫が子供の頃から男勝りで積極的な少女として成長したが、彼女を取り巻く男達は、それに比べて情けない性格で、最近よく言われる草食系男子として描かれていた。
積極的に女性を求め、ギラギラした人物はあまり、出てこないのだ。
草食系男優の代表格・瑛太が小松帯刀を、ひょうひょうとした性格俳優の堺雅人が徳川家定を演じた。
瑛太は、尚五郎の情けない青年時代から、時代を動かすほどの傑物・帯刀への成長を上手く演じた。
篤姫と再会すると、以前の尚五郎に戻って伏し目がちになるところ等、出色だ。
また、他の人々の前では”うつけ”のフリをしているのだが、篤姫との寝室だけ、本来の聡明さを見せる家定は魅力的だ。
第48回放送時に、幻影として復活した家定が再び”あの世”に帰ろうとする時に、一瞬、篤姫がついて行こうとするシーンは、大河史上でも名場面として今後も語り継がれるだろう。
さらに、松田翔太も、若いながら気品と思いやりのある名君・次代将軍の家茂をよく演じていた。

4)大奥バトルという見せ場
フジテレビのドラマ「大奥」等によって、江戸時代の大奥で繰り広げる女の戦いが、見せ場として認知されてたという背景がある。
今回の場合、大奥だけにとどまらず、篤姫の教育係の幾島(松坂慶子)との確執、島津斉彬の妻の英姫(余貴美子)との確執、家定の母・本寿院(高畑淳子)との確執、大奥総取締りの滝山(稲森いずみ)との確執、そして皇女和宮(堀北真希)との確執等、様々な闘いを持ち前の明るさで乗り切るシーンはそれぞれ見せ場を作った。しかも、それぞれのシーンは上品さ(例えば、和宮の堀北真希)、ユーモア(例えば、本寿院の高畑淳子)、適度な嫌味(例えば、庭田の中村メイ子)によって、陰湿な感じを抱かせなかったのがよかったと思う。
こうしたシーンは、普段、女同士の闘いに疲れている現代のOL達、主婦達に支持されたのではないか。

5)衣装美術等のアイテムが本物志向
他局での大奥物の衣装が、金柄の布で派手さをアピールしているのに対し、今回の大河ではあくまで史実に忠実であろうと、柄よりもむしろ生地に本物らしさを感じさせた。
また、手元の小道具や、駕籠などの大道具、大奥の庭、建物などもリアリティがあった。
惜しむらくは、西郷の家紋が蛤門の変の時点で抱き菊になっていた点、水戸家の家紋が徳川宗家と同じだった点など、家紋に関する考証はいまひとつだった。

6)篤姫のシンデレラ結婚、上流生活への憧れ
今年の流行語のひとつに婚活というのがあった。
最近の女性(男性も)は積極的に結婚のための活動をしなければならない時代になったという事だ。
そのように、ある意味厳しい時代を生きざるを得ない結婚願望のある女性達にとって、許婚制度、篤姫の玉の輿婚は憧れであろう。
また、(様々な苦労はあるのだろうが、)篤姫に登場する江戸城大奥での上流階級の生活も庶民にとっては、垣間見てみたい世界なのである。

7)幕末のキャラは一応おさえる
篤姫の時代は、歴史ファンの間にも人気のある時代だ。
特に坂本龍馬、西郷隆盛、勝海舟等は人気があるが、「篤姫」では彼らを上手に話の中に取り込んでいた。
しかも、幕府側からみた幕末、という今まであまりなかった視点は新鮮を感じさせ、歴史ファンを喜ばせてくれたのではないか。
また、西郷と大久保の二人の関係を、それぞれの不遇の時期、活躍の時期の表情を、原田泰造、小澤征悦の二人がよく表現していた。

8)ドラマ全体から伝わってくるメッセージが現代的
篤姫が様々な試練を前にして、決断を迫られる時、義父・島津斉彬(高橋英樹)、実母・お幸(樋口可南子)、家定(堺雅人)からのメッセージを思い出す。
それらは、最終的には「己の信じた道を進みなさい」という価値に集約される。
江戸時代の武家の女がこのような価値観を持っていたかどうかの歴史考証は置いておくとして、行動原理が自分の外のどこか(宗教、慣習、学問等)にあるのではなく、自分の中の素直な気持ちにあるという価値観は、いわゆる戦後民主主義の価値観と通底している。
現代人に自然に入っていったのではないか。
また、「最終的に家族を大事に」というメッセージもあったが、その大事にするものは、血のつながりではなく、財産でもなく、(徳川の)心なのである。
それではその心とはさらに具体的に言えば何なのかという点は深くは掘り下げられてはいないが、逆に具体的でないがゆえに多くの視聴者の心に響いたのではないか。

9)歴史上での篤姫の失敗を上手くカバー
実は、この作品が世に出るまで、天璋院は不幸な女性と言われていた。
政略結婚で大奥に入るが、夫の家定はすぐに亡くなってしまう。息子の家茂も夭逝してしまう。
そして、和宮との確執。大奥明け渡し、明治に入ってからは旧女中達の面倒を見るなど、苦労に苦労を重ねた人生のように言われていた。
特に明治時代以降は、時代背景もあって、和宮と対立した天璋院の評価は低かったのだ。
しかし、今回のドラマではそういったネガティブな天璋院像はなかった。
むしろ、前向きで明るい人生であるように表現されていた。この演出力は素晴らしい。
また、一橋派の策略(慶喜擁立)に失敗。徳川幕府存続にも失敗している。ただ、その失敗はドラマの中では、”大事なのは、権力の保持でも城に居座る事でもない。家の心を残すことだ”という価値観によって、見事に、自然に正当化されて表現されていた。あまり不自然には感じられなかったのである。

10)ボーイッシュな女性が活躍する現代という時代背景
最近の芸能界で活躍している女性を見てみると、一様にボーイッシュな女の子が人気となっている。
以前(10年位前)、イエローキャブの女の子全員にインタビューするという機会があったが、その際、小池栄子、MEGUMI、佐藤江梨子、根本はるみ等、その後、活躍する女の子達はみんな子供の頃の遊び相手は男の子だったと言っていた。逆に見た目は魅力的だが、性格が女っぽい娘は、全員、その後大成しなかった。
また、最近、低調なハロプロだが、その中でもボーイッシュな里田まいと矢口真里が現在でもテレビ芸能界で活躍しているという現象も興味深い。
おそらく、現代は、男ウケする女性よりも、ボーイッシュな女性の方がテレビウケするような時代なのではないか。
篤姫が子供の頃から男の子と遊ぶのが好きだったというエピソードは篤姫人気の一つの隠し味だったような気もする。

11)オヤジ殺しとしての篤姫
高視聴率だったということは、中高年の人々にも広く受け入れられたという事である。
篤姫の、どんどん積極的にオジさんの胸に飛び込んでいく性格は、それらの中高年の人々にも好感を持たれたのではないか。
例えば、調所広郷(平幹二朗)、島津斉興(長門裕之)、徳川斉昭(江守徹)、井伊直弼(中村梅雀)、阿部正弘(草刈正雄)、勝海舟(北大路欣也)等、一癖も二癖もあるオヤジ連中に対して、ひるまず、正面から自分をさらけ出す事によって、最終的にコロッといかせているのだ。
オヤジあしらいの天才としての篤姫という側面も視聴率アップに貢献したのではないか。

以上、勝手に推測させていただいた。
みなさんもそれぞれ考えてみてください。

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まさむね

「イノセント・ラヴ」最終前回における10の奇行

イノセントラブの9回目放送の平均視聴率が出た。
最終回一回を残しての、14.5%だ。
月9ドラマとして、この数字が及第点だとは思えないが、それまでの数字の動きから見れば、盛り上がってきたとは言えるだろう。

1回目放送 16.9%
2回目放送 13.3%
3回目放送 13.1%
4回目放送 11.7%
5回目放送 11.7%
6回目放送 12.6%
7回目放送 13.4%
8回目放送 12.8%
9回目放送 14.5%

今まで、聖花(内田有紀)の突然の、植物人間からの突然の起き上がりや奇行など、すなわち彼女の唐突演技に支えられて、6回目放送以降、徐々に上げてきた視聴率も、聖花が、9回目放送の最後の方ではついに立ち上がり、殉也(北川悠仁)と佳音(堀北真希)の結婚式会場に向かうという、これ以上無いようなあり得ない展開に。視聴率的に大いに貢献した。
さらに、この回は、その他に、佳音の兄・耀司(福士誠治)による殉也にナイフでの切りかかり、美月(香椎由宇)の殉也や聖花に対するイジメ、殉也と佳音のキス、佳音の花嫁衣裳姿など、”単品”でも魅力的なシーンの連続で、この14.5%という数字を無理やり確保したという感じだろうか。
しかし、シーン&シーンをそれぞれにキャラ立ちさせるために、ストーリーが破綻してくるというのは、いかがなものか。最終的に俳優自身の魅力で引っ張れなかったシワ寄せがこういった展開を生み出してしまったのである。そこが今回の「イノセントラブ」と前作「ラストフレンズ」の大きな違いだと思われる。

しかし、元々、このドラマは、登場人物の奇行(覗き見、勝手な家への上がりこみ、盗み撮影等)の連続だったことは確かで、恋愛ドラマというよりも、ホラーあるいはSFとして見るべきだと思っていたが、9回目放送回も、登場人物の心の動きの不自然さがどんどん出てきた。登場人物の心情よりもシーンの奇抜さに心を奪われていかざるを得ない展開だ。

それらを以下にまとめてみよう。

◆1◆佳音を追って、長野までやってきた殉也。佳音のアパートにやってくるが、佳音に拒絶され、アパートの近くから昼夜離れない。「僕はいつまでも待っている」と言えば、聞こえはいいが、傍から見ればただのストーカーだ。

◆2◆部屋の外で、賛美歌のオルゴールを聴かされ、説得されて、殉也を部屋に導きいれる佳音。意志が弱すぎる。

◆3◆出所した耀司が、夜にそのアパートへやってくる。何故かドアの鍵が開いている。部屋では2人で一つの毛布に包まり就寝。あまりにも無用心だ。

◆4◆耀司が殉也にナイフで襲い掛かる。それを止めようとする佳音。結局これは耀司による佳音の(両親を殺したのは彼女ではなく、耀司だったという)記憶を呼び起こそうとした狂言だった。耀司は、心理学者か。この行動によって佳音の記憶が戻るということが、何故解ったのか。それにしてもリスクの高すぎる行動だ。

◆5◆その後、耀司がナイフで自殺を図るが、殉也に阻止され、泣き崩れる。殉也曰く「生きていて欲しいんだ」って、心広すぎ。

◆6◆とりあえず、殺したのは自分ではないという記憶をよみがえらせた佳音。一応、自分が幸せになってもいいんだという免罪符を受け取る恰好に。でも、殺そうとしたことは確かなんだから、最後に刺したのが耀司だからって、自分は救われるの?という疑問が残る。

◆7◆横浜に帰り、佳音にプロポーズする殉也。聖花を死ぬほど好きだったのではないか。この心変わりは早すぎるとの指摘も。

◆8◆勿論、佳音はOKする。「殉也さんの笑顔を近くで見たい」という事で近くにいたのではないか。それまで、潜在的に存在した下心が露呈した恰好に。

◆9◆そして結婚式。自分が振った美月(香椎由宇)がいる教会での結婚式。美月への配慮はまるで無し。

◆10◆殉也の写真を見て、彼を思い出した聖花。招待状の住所を見て、その式場に歩いて向かう。彼女の頭の中はどうなっているのか。住所が解るのか?いきなり立ってそこまで歩けるのか?等の不条理の謎が残る。

来週の予告Vによれば、その聖花が教会の上から身を投げ、受け止めようとした殉也が下敷きになり頭から血を流すというわけのわからないシーンが見られた。また、昴(成宮寛貴)の殉也に対する同性愛、耀司の佳音に対する近親愛等がまだ未処理だ。どうなるのか。

脚本担当・浅野妙子の前作「ラスト・フレンズ」のように、誰か死んで遺児を、残り人々が育てるというパターンになるのか。
そうだとしたら、死ぬ(あるいは植物人間になる)のは殉也で、彼の子を宿した佳音が兄・耀司と一緒にその子を育てるのか。兄の気持ちを考えるとそれも無理がある。
あるいは佳音が死んで、殉也と耀司が一緒に...というのももっとあり得ないか。

しかし、いずれにしても、登場人物の行動の唐突さでは他の追随を許さないこのドラマだけに何があるかわからない。
というわけで、来週の最終回もなんだかんだ言って、テレビの前に釘付けにされる僕であった。

まさむね