扇紋 -佐竹家を800年以上も守った魔除け紋- 佐竹義宣、福田康夫、タモリ...

昔の貴人は、いつも扇で顔を隠していた。
そして、骨の隙間から外を見ていた。

扇というのは、魔除け用グッズだったのである。
ちなみに、とげ抜き地蔵で有名な巣鴨・高岩寺の寺紋は檜扇紋である。
同時に巣鴨通り商店街の提灯にも檜扇が描かれている。
そのデザインは”おばあちゃんの原宿”を演出しているのだ。
左写真は、高岩寺内で撮影。

一方、鎌倉時代の最初から、大政奉還まで生き延びた大名の佐竹家の家紋は代々扇に月丸紋であった。
「吾妻鏡」には、佐竹四郎が、源頼朝からこの紋を賜ったとの記述がある。
佐竹家を守ってきたのは、その扇の魔力だったのかもしれない。

扇紋は全国では、23位だ。特に突出して多い地域は無いが比較的西日本に多い。京都府、山口県、熊本県で18位が最高、和歌山県(19位)、高知県(20位)といったところが目立つ。佐竹藩のお膝元の秋田県は27位と少ないが、元お膝元の茨城県は21位と比較的多い。

扇紋を使用した有名人は以下。


長野業政。1491年 – 1561年12月28日、戦国時代の武将。
長野憲業の子として出生。本姓は在原氏で、祖先は在原業平と称する。官位は伊予守。長野氏は上野西部の豪族で、周囲の国人の取りまとめ役のような立場であった。勢力としては関東管領・山内上杉家に属していた。上野国・箕輪城主。家紋は檜扇。


角倉了以。1554年 – 1614年8月17日、豪商。
近江国犬上郡吉田村出身。本姓は吉田氏。佐々木氏の分家。朱印船貿易の開始とともに安南国などとの貿易を行う。幕命により大堰川、富士川、高瀬川、天竜川等の開削を行った。家紋は扇地紙に片喰紋。画像は雑司ヶ谷霊園の別の角倉家墓所にて撮影。


佐竹義宣。1570年8月17日 – 1633年3月5日、武将、大名。
父・義重の隠居により家督を相続し、佐竹氏十九代当主となる。豊臣秀吉の小田原征伐の際に参陣し所領を安堵された。関ヶ原の戦い時に西軍の立場に立つが、父が東軍についたため出羽・久保田21万石へ減転封されるものの家名存続は許された。


秋田実季。1576年 – 1660年1月11日、武将、大名。
安東愛季の長男。読みは、あきたさねすえ。豊臣秀吉より出羽・秋田5万2千石の安堵を認められたが、関ヶ原の戦いの後、徳川家康に常陸・宍戸に転封される。嫡男の俊季の代に陸奥・三春に移され、幕末まで存続した。家紋は檜扇に違い鷲の羽紋。


貝賀友信。1650年 – 1703年3月20日、侍。
赤穂藩浅野家家臣吉田助兵衛の二男として誕生。本姓は藤原氏。貝賀新兵衛の養子となる。穂藩では中小姓・蔵奉行。赤穂四十七士の一人。吉良邸討ち入りでは弥左衛門は表門隊に属し、門の警戒にあたった。家紋は重ね扇。


岡本黄石。1811年 – 1898年4月12日、家老。
彦根藩家老・宇津木久純の子。岡本業常の養子。読みは、おかもとこうせき。攘夷を促す建白を行い、藩主・井伊直弼に疎まれるが桜田門外の変の後は藩政を主導。戊辰戦争の際には藩論を新政府軍側にまとめた。家紋は檜扇紋。画像は豪徳寺にて撮影。


仁礼景範。1831年4月6日 – 1900年11月22日、海軍軍人。
薩摩藩士の子弟。読みは、にれかげのり。薩英戦争に参加。海軍中将として、横須賀鎮守府長官、海軍大学校長などを歴任。第2次伊藤内閣の海軍大臣に就任し、海軍備の充実に力を注いだ。家紋は筋入り三本骨三つ扇紋。画像は青山霊園にて撮影。


三遊亭圓朝(初代)。1839年5月13日 – 1900年8月11日、落語家。
橘屋円太郎の子として江戸に出生。本名は出淵次郎吉。歴代の名人の中でも筆頭に巧いとされる。「芝浜」「文七元結」「牡丹燈籠」等を創作。言文一致体を一代で完成させ現代の日本語の祖といわれる。家紋は高崎扇。画像は全生庵にて撮影。


渡辺洪基。1848年1月28日 – 1901年5月24日、政治家、教育者。
福井藩士の医者の長男。読みは、わたなべひろもと。衆議院議員、貴族院議員、東京府知事、東京帝国大学初代総長などを務める。工手学校(工学院大学の前身)を築地に設立。家紋は三つ日の丸雁木扇紋。画像は青山・長谷寺にて撮影。


矢野龍渓。1851年1月2日 – 1931年6月18日、官吏、著作家。
豊後・佐伯藩の中級武士の家系。本名は矢野文雄。読みは、やのりゅうけい。大蔵省に入るが、明治十四年の政変で政界を追われる。東京専門学校設立に携わり役員に就任。主著は『経国美談』。家紋は三つ追い雁木扇紋。画像は多磨霊園にて撮影。


北里柴三郎。1853年1月29日 – 1931年6月13日、医学・細菌学者。
熊本県阿蘇郡小国町に出生。破傷風菌純粋培養法に成功、血清療法の開発、ペスト菌の発見などの偉業がある。「日本の細菌学の父」として知られる。北里研究所、慶應義塾大学医学部を創設。家紋は檜扇に左三つ巴紋。画像は青山霊園の墓所にて撮影。


金子堅太郎。1853年3月13日 – 1942年5月16日、官僚・政治家。
福岡藩士勘定所附・金子清蔵直道の長男。岩倉具視欧米使節団に同行して米国留学。伊藤博文の側近として大日本帝国憲法の起草に参画。専修大学創立に携わる。日本大学初代校長、二松學舍大学舎長も務める。画像は青山霊園にて撮影。


小藤文次郎。1856年4月8日 – 昭和10年3月8日、地球科学者。
石見国津和野出身。地質学、岩石学、鉱物学、火山学、地震学など、幅広く活躍。濃尾地震の際に、発生から約2週間後に現地入りして調査を行い、後にその結果から断層地震説を発表した。家紋は地紙に文字紋。画像は多磨霊園にて撮影。


橘家圓喬。1865年12月26日 – 1912年11月22日、落語家。
東京出身。本名は柴田清五郎。7歳の若さで三遊亭圓朝門下に入門。「鰍沢」「三軒長屋」「牡丹灯籠」等を得意とした。後世に大きな影響を与えた名人。「魚売人」「二人癖」など20種類ほどのSPレコードを遺している。家紋は、三遊亭と同じ高崎扇紋。


徳富蘆花。1868年12月8日 – 1927年9月18日、小説家。
肥後国出身。父は横井小楠門下の俊英、徳富一敬。本名は徳富健次郎。読みは、とくとみろか。思想家・ジャーナリストの徳富蘇峰(猪一郎)は実兄。自然詩人として出発し、小説『不如帰』はベストセラーになった。家紋は丸に扇紋と言われている。


吉住小三郎(4代目)。1876年12月15日 – 1972年2月27日、唄方。
東京生まれ。吉住勘四郎の子。長唄の唄方。東京音楽学校長唄選科教授、日本芸術院会員、人間国宝、文化勲章受章、文化功労者。代表作曲「鳥羽の恋塚」「醍醐の花見」「新平家物語」等。家紋は三本並び扇紋。画像は南麻布・西福寺にて撮影。


中野正剛。1886年2月12日 – 1943年10月27日、言論人、政治家。
福岡市出身。父は旧福岡藩士中野泰次郎。読みは、なかのせいごう。東京日日新聞、朝日新聞などで政治評論を行う。政治家としては東條首相の独裁に反対。倒閣工作を謀った容疑で憲兵に拘束され自殺。家紋は丸に中陰地紙に橘紋。画像は多磨霊園にて。


曾我廼家五郎。1877年9月6日 – 1948年11月1日、喜劇役者。
大阪府堺市か岸和田市出身の二説あり。本名は和田久一。日露戦争をネタにした「無筆の号外」が大当たりした。自らが選んだ脚本を、三十六歌仙にあやかり「36快笑」として天満天神に奉納する。家紋は扇を浮線蝶の擬態に使用した浮線扇紋。


岩井粂三郎 (5代目)。1882年6月28日 – 1945年4月13日、役者。
東京浅草の花川戸に出生。本名は岩井久次郎。父親は四代目岩井粂三郎。屋号は大和屋。当たり役は『伽羅先代萩』の政岡や『嫗山姥』の八重桐。告別式で大名跡・九代目・岩井半四郎が追贈された。谷中・本寿寺の岩井家の墓所の家紋は三つ追い雁木扇紋。


宮原晃一郎。1882年9月2日 – 1945年6月10日、文学者、翻訳家。
鹿児島県出身。本名は知久。読みは、みやはらこういちろう。「海の子」を作詞し文部省の懸賞に応募。尋常小学唱歌に登用される。新聞記者を経て翻訳家となる。代表作は「竜宮の犬」など。家紋は丸に三つ扇紋。画像は多磨霊園にて撮影。


賀屋興宣。1889年1月30日 – 1977年4月28日、大蔵官僚、政治家。
広島県広島市出身。父は国学者の藤井稜意。母の伯父の家を継いで賀屋姓を名乗る。戦前は大蔵大臣として軍事費中心の予算を組み、A級戦犯に指名された。戦後は自民党議員として活躍。家紋は丸に二つ日の丸扇地紙。画像は多磨霊園にて撮影。


山口多聞。1892年8月17日 – 1942年6月6日、海軍軍人。
東京市小石川区出身。旧松江藩士の山口宗義の子。読みは、やまぐちたもん。軽巡洋艦「五十鈴」や戦艦「伊勢」の艦長を歴任。太平洋戦争では真珠湾攻撃に参加。ミッドウェー海戦で戦死。最終階級は海軍中将。家紋は檜扇紋。画像は青山霊園にて撮影。


堀内寿郎。1901年9月17日 – 1979年6月27日、理学博士。
北海道札幌市出身。読みは、ほりうちじゅろう。科学反応速度理論の研究では世界的な功績を残した触媒研究の世界的な権威。湯川秀樹らと共に第30回恩賜賞を受賞。北海道大学学長も務める。家紋は高崎扇紋。画像は多磨霊園の墓所にて撮影。


浪越徳治郎。1905年11月15日 – 2000年9月25日、指圧師。
香川県仲多度郡多度津町出身。東京市小石川区に指圧学校を設立。マリリン・モンローに素手で触って指圧した唯一の日本人。「指圧の心は母心、押せば命の泉湧く」は得意フレーズ。家紋は丸に五本扇紋。画像は小石川・伝通院にて撮影。


田中英光。1913年1月10日 – 1949年11月3日、作家。
東京市赤坂区榎坂町生まれ。ただし両親は高知県の出身。息子は推理小説家、SF小説家の田中光二。太宰治に弟子入り。その自殺に大きな衝撃を受け後に禅林寺の太宰の墓前で自殺する。代表作『酔いどれ船』『愛と憎しみの傷に』。家紋は折敷に地紙。


高木彬光。1920年9月25日 – 1995年9月9日、推理小説作家。
青森県青森市生まれ。医者の家系。本名は高木誠一。『能面殺人事件』で第3回探偵作家クラブ賞を受賞。代表作は『人形はなぜ殺される』『成吉思汗の秘密』『白昼の死角』等。家紋は折敷に重ね地紙。地紙とは扇に貼るおしゃれな紙。


バーブ佐竹。1935年2月7日 – 2003年12月5日、歌手。
北海道釧路市出身。本名は佐武豊。『女心の唄』でレコードデビュー。250万枚を超える大ヒットとなり、翌年の第7回日本レコード大賞新人賞を受賞。その後も『ネオン川』『カクテル小唄』などがヒット。家紋は五本扇に月紋。


福田康夫。1936年7月16日 – 、政治家。
東京府東京市世田谷区に大蔵官僚・福田赳夫、三枝の長男として生まれる。内閣総理大臣(第91代)。『低炭素社会』を目指す「福田ビジョン」を提唱した。 家紋は丸に五本骨扇紋。家紋画像は福田家の菩提寺・徳昌寺(群馬県高崎市)にて撮影。


尾上菊五郎(7代目)。1942年10月2日 – 、俳優、歌舞伎役者。
本名は寺島秀幸。屋号は音羽屋。妻は、富司純子。長女は女優の寺島しのぶ、長男は歌舞伎俳優の五代目尾上菊之助。現代歌舞伎のスターにして三之助の一人。家紋は「重ね扇に抱き柏」。画像は雑司が谷墓地の五代目尾上菊五郎の墓所にて。


タモリ。1945年8月22日 – お笑いタレント、司会者。
福岡県福岡市南区出身。本名は森田一義。株式会社田辺エージェンシー所属。『笑っていいとも!』『ミュージックステーション』『タモリ倶楽部』『世にも奇妙な物語』でMCを務める。「笑っていいとも!」にて家紋は丸に五本骨扇であることを告白。


三遊亭小遊三。1947年3月2日 -、落語家。
本名は天野幸夫、山梨県大月市出身。古典落語専門で、長屋ものを得意としている。1983年(昭和58年)3月 真打昇進・同年10月16日から『笑点』にレギュラー出演。東京オリンピックの聖火ランナーに抜擢されている。家紋は高崎扇。


藤森慎吾。1983年3月17日 – 、コメディアン、司会者。
長野県諏訪市出身。愛称は「しんご」。よしもとクリエイティブ・エージェンシー所属のオリエンタルラジオのツッコミ担当。『武勇伝』ネタで有名だが、しゃべくり漫才もする。「笑っていいとも!」にて家紋は家紋は五瓜に檜扇であることを告白。

まさむね



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