星野監督のドラマ体質と残酷な五輪

北京五輪の野球の結果は誠に残念だった。

敗因はいろんな解説者が出し尽くした感があるので、ここで素人の僕が付け加えることは特に無い。

ただ、気になったのは星野監督の、己のドラマに対するこだわりだ。

決勝戦、3位決定戦での采配ミスに関して、彼は、テレビインタビュー(ZERO 8.25)でこう述べている。

質問「選手起用ついてお伺いしたいんですが、調子が良くない、あるいはミスした選手、実名を挙げますとGG佐藤選手ですとかピッチャーで言うと岩瀬投手、準決勝であまりよくないパフォーマンスの中で3位決定戦でも使い続けました...」
星野「はい、言われますね。これが私のやり方なんです。挽回させてやろう。もう一回チャンスを与えてやろうという。一度や二度、失敗したからと言って、という...(後略)」

このやりとりを聞くにつけ、星野監督は、勝負にこだわる以上に「部下思いのいい上司でありたい」という自分と、期待を意気に感じて大活躍する選手との感動的なドラマに、取り付かれれて生きるタイプの人間と思わざるを得ない。

その直後、キャスター氏は当然のごとく以下の質問を続ける。

質問「それは、僕は長期決戦だったらわかる気もするんです。ただ短期決戦の場合には、そうも言ってられないじゃないかなと私なんかは思ってしまうんですが。」
星野「そうなんですけれども、代わる選手がいないんですよ。正直言って。体調面を考えるとか、台所事情が。その苦しさはありましたね。え~。」

だったら、最初から正直に、現実を言えばいいではないか。しかし彼は、上記の判断を己の美学として語ろうとするのだ。

しかし、五輪という場は残酷だった。
戦いの最中には、星野的ドラマが入り込む余地は無かった。
そこに必要なのは、勝利を得るためのリアリズムのみであった。

そして、ドラマは勝った者のみが許される特権である。
例えば、フェンシングの太田選手や体操の内村選手、柔道の石井選手を見るまでも無く、彼らは勝利したがゆえに、ドラマを手に入れることが出来た。そして、マラソンの土佐選手や柔道の鈴木選手はドラマを作ってもらえなかった。

一方、星野監督は上記のように、ドラマを己で演出するようなタイプの人間である。すなわち、ドラマ体質の人なのだ。
勿論、それはプロとしても稀有な才能だ。だから彼は成績は超一流ではなかったが、男・星野の反骨精神というドラマを武器に、全日本の監督にまでのし上がることが出来たのだ。
しかし、彼は五輪の監督しては、あまりにもファンタジックではなかったのか。

あの準決勝と3位決定戦の惨敗を目の前にして、かつて、プロレスラー達がリアルファイトのリングでボコボコにやられ続けた。あの風景を思い出してしまった。

まさむね

五輪に見た漫画的超人

人は、あまりにも凄い現実を見せられると逆に虚構のように感じるものである。
今回のオリンピックで、そういう意味での「虚構」を見せてくれたのが、100M走りでの金メダリストのウサイン.ボルトとソフトボールのアメリカチームのスラッガー、クリストル.ブストスである。

ボルトの世界新記録の瞬間、「史上最速の欽ちゃん走り」と実況でアナウンサーが評していたが、誰が見ても、彼の存在は現実を超えていた。「勝負は時の運、勝った者が一番、速いのだ。」というような詭弁にも似た表現を横目に、「一番速い者が、当然勝つ」という当たり前の事を教えてくれた。

一方、ブストスの片手ホームランは、まるで「ドカベン」に出てくる雲竜のようだった。
決勝戦で彼女が打った打球は、一瞬、外野フライかと思われたが、そのままライトスタンドに飛び込んだ。
その瞬間、上野選手は里中に見えたのは私だけだろうか。

まさむね

グルジア紛争と大相撲

北京五輪開会式と同じ日、グルジアは国内の南オセチアに軍事行動を起した。
そして、それに対抗する形で、ロシアがグルジア国内に侵攻した。いわゆるグルジア紛争が勃発したである。

この戦争の本質的なところには、アメリカとロシアの間での覇権争い、エネルギー争奪戦があると言われている。
不謹慎のようだが、僕は、とっさに、秋場所でのロシアン力士(若ノ鵬、露鵬、白露山、阿覧)とグルジアン力士(栃ノ心、黒海)との対戦(代理戦争)が楽しみになったなぁとワクワクしてしまった。僕の中には、俗っぽいプロレス体質がまだ残っているのだ。

ところが、こともあろうに、その後、若ノ鵬、露鵬、白露山がいわゆる大麻問題で続々と解雇されてしまった。
僕の夢は、しばらくお預けになってしまったのだ。(阿覧はまだ新十両のため)誠に残念だ。

そして、ここからは、妄想。

しかし、この大麻事件、意外な事実が出てきた。
露鵬、白露山がロサンゼルス巡業の際にアメリカ人から大麻から勧められて、思わず手を出してしまったというのだ。

それは、軍事同盟国である日本のロシアに対する心証を悪化させることを画策したCIAが、ロシアン力士に大麻(体内に残存しやすく改良された品種の)を吸わせ、ロシアがグルジアに攻め込んだタイミングで、日本で大麻事件を起したのではないだろうか?

どうでしょう...有り得ないか。

まさむね

近所の共同墓地で宝物、発見!!

家の近所にあった何気ない共同墓地で、家紋の観察(採取)を行った。

その中で、宝物のような紋所を見つけた。
ムカデ紋だ。
しかも、その紋は、本橋家という墓に彫られていた。

「家紋辞典」(丹羽基次)によると、このムカデ紋は現在はその形状の不気味さから、多くが変更されてしまったが、まだ存在しているとすれば、それはれっきとした藤原秀郷流の本橋家とのことだ。
ご存知の通り、この秀郷は、平安時代の中期、関東の独立を企てた平将門を射殺したことで武名を上げた武将であるが、一方、三上山で大ムカデ退治をしたという伝説も残っている。

そのムカデが1000年以上の時を超え、この本橋家の家紋としてここに、ひっそり残っていることに感動したのだった。

まさむね

日本の霊思想考

以前、書いた「悪い人なんていない。已むに已まれず暴力を振るってしまった人も本当はいい人に違いない。」という思想に関して考えた。

日本人は古来、悪事というものは、悪霊がその人に憑いて行わせると考えていた。
しかし、と同時に、悪霊は同時に強い力を持っているとも考えていた。

だから、逆に力の強い人に敢えて「悪」という形容詞をつけた。
例えば、保元の乱を起した藤原頼長は左大臣であったが、大変な切れ者で、別名、悪左府と呼ばれていた。
また、源義朝の長男で平清盛を暗殺しようとした源義平は悪源太と呼ばれていたのだ。

強い力を持った人の霊は、時に悪霊(=怨霊)にもなるが、手厚く敬えば、善霊になる。
こうして日本人は、怨みを持って死んだ強力な人、例えば、菅原道真や平将門を奉り続けてきた。

そして、同様の事は、生きている人の念(強い感情)にもあてはまると考えた。
強い怨念は、その人の意志を離れて回りに不幸をもたらすと考えられていたのだ。
例えば、「源氏物語」に登場する六条御息所の生霊(物の怪)は夕顔や葵上を死にいたらしめる(写真一番上:能の「葵上」での六条御息所の怨霊)。
光源氏は後にそんな御息所を見舞って機嫌をとり、生霊を鎮めようとする。

日本人の伝統的メンタリティでは、悪い人(悪霊)に対しては、おだてて、ほめて、いい人(和霊)に変わってもらおうとする事こそ、信仰の本質となる。
また、逆に、いい人(和霊)も、扱い次第では悪い人(悪霊)になってしまうことを恐れる。
例えば、靖国賛成派は、心ならずも戦死した英霊を粗末に扱うことによって、それが悪霊となってしまう事を懸念しているのだ(写真中:靖国神社)。

恐らく「悪い人なんていない。已むに已まれず暴力を振るってしまった人も本当はいい人に違いない。」という思想は、信仰にも近い。

それを考えると、最近、「犯罪者に対して厳し刑を課せ」という論調がかまびすしいが、それは日本の伝統にあっているのだろうかと思わざるを得ない。
悪いことをした人は死刑にしろという人が同時に霊を粗末に扱うなというのがなんとなくしっくり来ないのだ。
靖国賛成派が死刑存置論者である事に違和感を感じるのはそのせいである。

ちなみに、アイヌの宗教では死者の魂を天に送るときに「こいつは悪いことをしたけど、本当はええ奴だから、神の国へ行ったら、ちゃんと心を改めて直るだろう。だから神様、受け取ってやってくれ」というような内容の葬送儀式をするという(梅原猛先生談)。これは上記の日本人の思想と通底しているのではないか。
アイヌ文化(写真一番下:アイヌの民)は、日本文化のルーツであるという魅力的な説は今後、より深く掘り下げて行くべきだと思う。

まさむね

安室奈美恵は孤高の戦士だ

安室奈美恵の最近のベストアルバム「BEST FICTION」が久々にミリオンセラーを記録した。

90年代の後半にストリート系女子のリーダーとして、少女達に音楽は勿論、ファッション、その生き方にまで多大な影響を与えた安室奈美恵。
彼女の音楽は、そんな時代の共感者への応援歌であり、その存在は、時代のカリスマとでも呼ぶべき光を放っていた。
その後、結婚、出産、母の死、離婚、育児等の様々な人生経験を重ねる一方で、小室哲哉から離れて独自の音楽世界を追求していくが、一時期、ヒットチャートから見放された時期もあった。しかし、一昨年頃から、再び復活してきたのである。

時代が彼女に追いついたという事であろうか。
あるいは、時代と彼女が再び邂逅したという事なのであろうか。彼女の音楽の一途さ(HIP
HOPへのこだわり)が、かつてのアムラー世代だけでなく、現在の高校生も含んだ幅広い層の女の子達の共感を呼び起こし、その生き方のカッコ良さ、すなわち、リアルな安室に対する憧れがそのまま、今回の大ヒットにつながったということなのかも知れない。

しかし、ファンが彼女の姿に憧れれば憧れる程、「みんなが見ている私のキャラクタはリアルじゃないのよ。ウソなのよ。誰も私の事なんてわかってないわ。」とでも言わんばかりに世間に対して屹立しつづける安室奈美恵。
自分で名付けたという「BEST FICTION」(最高の虚構)というアルバム名はそのことを明確に表現している。

彼女は、何物にも媚びず、逆に突き放すことによって、常に、上の次元をキープし続けるのだ。その孤独な強さこそが、安室奈美恵のカッコ良さの本質なのではないだろうか。

僕には、彼女が踊りながら歌う姿は、我々のあずかり知らない別次元の何物かと一人闘い続ける孤高の戦士にも見える。
そして、その姿は10年の時を超え、再び、時代への応援メッセージとして現代の女の子達に届いているのである。

まさむね

60 年代のギャグ作家・赤塚不二夫

7月30日に赤塚不二夫が亡くなった。
赤塚漫画は、昭和30年前半に生れた僕達にとって、多大なる影響を与えてくれたんだよね。
遅ればせながら、心よりご冥福をお祈りいたします。

赤塚不二夫における3大ギャグ漫画といわれる「おそ松くん」「もーれつア太郎」「天才バカボン」。
面白いのは、3つの漫画とも、主人公は普通の人なのに、その周りのキャラクタが個性的なことだ。
ア太郎は、父に先立たれた少年の八百屋であるが常識的なキャラであり、バカボンは、おっとりした普通の少年だ。
さらに、おそ松くんに至っては、六つ子だから、誰がおそ松くんかわからない程度の個性しかもっていない。

一方、周辺キャラを挙げてみると、

「おそ松くん」のダヨーン、イヤミ、チビ太...
「もーれつア太郎」のニャロメ、ココロのボス、ケムンパス...
「天才バカボン」のパパ、レレレのおじさん、おまわりさん...

このキャラクタの雑多さが赤塚ワールドの本質なのだろう。

さて、これらのキャラクタの中で、僕が最もお気に入りなのがニャロメだ。
個人の思い出で言えば、イヤミのシェーをやった記憶はないのだが、学習ノートにニャロメは何匹描いたことか。

ニャロメは、いつもみんなとは逆の事を言い、みんなを扇動し、すぐに欲に目が眩むが、一方で純情で仲間思い。
そして、最終的にはいつも失敗する愛すべきキャラクタである。
赤塚不二夫は後に、ニャロメを全共闘のゲバルト学生の象徴だったと打ち明けているが、言われてみれば、ニャロメはまさに、60年代の混沌を具現化したキャラだ。

赤塚不二夫の漫画は寺山修司のアングラ芝居、大島渚のヌーベルバーグ映画、北山修のフォークソングと同じように60年代の空気を作品化したんだって言えるかもしれない。
それまで、江戸小噺や落語の世界みたいに大人の文化を前提としたお笑いがメインストリームだったのを、ナンセンスギャグっていう若者文化を背景とした世界を漫画というフィールドで構築したのが赤塚不二夫だったと思う。

実は、上記3作品に「ひみつのアッコちゃん」も含めた赤塚不二夫のスタンダード漫画は全部、60年代に生れている。残酷な言い方をするならば、70年代以降の赤塚不二夫は、キャラクタ管理者になっちゃうんだよね。

まさむね

復活しました

ブログ復活します。

C型肝炎の人工透析治療をしたんですが、まだ数値が下がりません。
インターフェロン注射+レベトールは引き続き続けます。

最近、注射した後、発熱しちゃうんだよね。
また、肌も荒れてくるし、副作用とのことだけど、嫌だ。顔や頭や耳がかゆいし。

8月~9月の文章はおいおいアップしたいと思います。

まさむね