永源のツバの起源

日曜日は全日本プロレス武道館大会に行き損ねてしまった。大変残念である。過去、僕は2回だけ武道館大会に行けなかった事があった。一回目は舞台で二回目は出張だった。だが、その一回目はちょうど三沢が馬場さんをフォールして全日本の跡目を継いだ試合、そして二回目は川田がUの怪物オブライトを迎撃した試合。もしかしたら、ここ10年ではベストを争うような印象深い試合だっただけに、私の不徳を呪ったものだ。
しかし、一体昨日はどんな試合だったのだろうか。
関係ないが最近、考えていたのが永源遙のツバ飛ばしの起源というような事だ。私の記憶によれば、永源のツバ攻撃は古くても1990年位からのものである。当初は大熊も同じ事をやっていて、どっちが本家かなどという不毛な争いがあった。
しかし、このツバ攻撃の起源は、おそらくマードックやウィリアムスのようなアメリカ白人労働者階級レスラーの作法にある。マードックはアメリカでは「レッドネック」と呼ばれていたし、ウィリアムスはその昔はブルーススプリングスティーンをテーマ曲にしていた。日本でのイメージはともかく、アメリカではレッキとしたワークイングクラスヒールだったはずだ。
そして、この唾飛ばしは、さらに類推を重ねるならば、その昔、西部のガンマンがその男らしさを競って、痰壷にはいた紙タバコ吐きに起源を持っていると思われる。無頼の象徴だったのだ。
現代のプロレスの起源に確実に存在する西部開拓時代の酒場の作法をこうやって一つづつ深読みしていくのもプロレスの楽しみの一つではないだろうか。

まさむね

松野某の所在のなさ

沢田アヤコともめてる、松野某だけど、彼女の未婚時代の子供の父親と噂されてる江本某に似てるんだよね。そういえば、彼もスポーツ平和党でしたね。
デビ婦人も、攻撃は最大の防御って感じですよね。常に一方的に攻撃してないと、反撃されたり、マスコミの視線が反転するとかなり窮地に立つ弱点いっぱい有りますもんね。
越知某は容姿がマンガだよね。石原都知事にも突っ込まれていたけど、虐められるのが似合いそうな風体ですね。

まあ、私も全部想像ということで

ところざわ

越智金融相の口走り雑感

朝、テレビをつけてみると、金融相の越智という男が、どっかの内輪の講演会(実質的には献金名目でワイロを渡すためのパーティ)で、「銀行を救うためには60兆でも都合つけますよ。」みたいなその場だけで通用するような暴言を口走り、そのテープをこれまた胡散臭いルートで入手した民主党の若手議員に公表され、いきなり窮地に立たされたと思いきや、「あれはヨイショだ」と、身もフタもない真実を人当たりの良さそうな善人口調で言うもんだから、我々テレビの前の無責任衆を多いに憤慨させ、これがまた水戸黄門真っ青な見世物となっているではありませんか。
多分、これからも、こういった口走りは「こんな事言っちゃまた怒られるかもしれませんが…」等というような接頭語を伴った内輪ギャグとして成立するんだろうな。と同時にそういったセリフを言うときって気持ちいいんだろうな。そういう個人的な気持ちよさの前では政治倫理なんてギャグにしかならないんだろうな。
全部、想像だけど。

まさむね

朝の緊急書き込み

ひさしぶりの書き込みになってしまった。
今朝、テレビを観ていたら、デヴィ夫人が酒井プロデューサを告訴かというのをやっていた。相変わらずだ。しかし、彼女の発言の根拠をささえているといわれているフランス社交界というものだが、これはその昔、「本場アメリカでタイトル総ナメ」的な胡散臭さが十分漂う。どうなっているのかフランス社交界は。
でも、もしそれば存在していて、デヴィ夫人がそこに所属していたとするならば、彼女の傍如無人な態度を見ているとそこのレベルというものも高が知れたものだと思わざるをえない。ただの洋風のオバサン達の井戸端会議所じゃないのかしらん。
さて、一方、沢田亜矢子ともめている松野氏という人もでていて、何の華も無い存在で、テレビに出てくるような魅力もないのに、まだまだテレビに出たいらしくて、ほぼ勝訴したにも関わらず控訴したという。テレビに出ているうちにVシネからとか声がかからないか待っているとしか思えない。しかし、邪悪そうな人だ。僕は個人的には見世物としては好きだけどね。
関係ないが、妻の友人の旦那の会社の人(僕からすると全く関係ない人)がYahoo株で大儲けして会社を退職したという話を聞いた事がある。うらやましい限りであるが、しかしYahooという会社が面白いのは、その会社が革新的な存在であるというイメージがありながら、その存在がインターネットを毎日思わず見てしまう人のルーチンワークという極めて保守的な作法に依存しているというところだろう。
まぁ、そんなところが、朝の読経代わりでした。

まさむね

新潟事件雑感

新潟の少女誘拐監禁事件は県警の不手際+誤魔化しの方向に話が進み、よくわからない展開になってしまったが、もしかしたら警察が事件の本質を隠すために自らを犠牲にして醜態をさらしたのだと超善意の解釈をしたくなってしまう。
さて、その事件の本質だが、男の中に存在する「イノセントな少女に全てを認めてもらいたい」という欲望、平たく言えば、ロリ(-タ)コン(プレックス)について、ちょうどこの少女がいなくなったのと同じ時期に話題になった宮崎務の時と比べて、ほとんど話題にならないのは、それだけその欲望が社会にとって自明のものになったからだろうか。「レオン」なんていう映画はそういったロリコンの凡庸化に一役かったのかもしれない。
しかし、このロリコンは一般の女性の利害と真っ向から対立するもんだから、かなり評判が悪い。評判が悪いと自然と男はその部分を抑圧して、そんなの他人事でしょっていうフリをするから、その後のツケは誰が払うんだろうか。

まさむね

高田と三沢

浮き沈みの激しい人生というのが、いいのか悪いのかわからないが、高田と三沢という今から15年ほど前の未来のエース2人(当時のプロレス豆本等を見ると2人の対比表等が出ていて興味深い)の人生を見ていると、人の運命って過酷だなぁと思わざるを得ない。
今、高田の事を口にするなら、誰だってその暴落の歴史を辿ってみたくなる。しかし彼が不思議なのはその人生に於ける負のイベント(落選、倒産、惨敗等)が彼の現在のファイトを観る側にドラマとして立ちあがってこない事だ。
例えば、猪木ならば逆にその失敗が彼のファイトを浮き上がらせるパワーとなって観るものを熱狂させたのに、高田の場合、こうやって指折り数えてようやく、そういえばいろいろあったなぁ位の過去との「取り結び方」しかしていないのだ。逆に言えば、そんなに悲惨な事が続いても自称さわやかというキャラクタが世間的には通用してしまっているという幸福が彼の持ち味なのである。(もっとも、それはかなり不幸であるという言い方も出来るが。)
それにしてもグレイシーに連敗した彼が許せないのは、自分は格闘家として立ち振る舞っているつもりでいるが、実はちゃっかりプロレスラーとしての遺産で食べている事だ。と同時に敗戦のツケをプロレスにも払わせて、それで何の落とし前もつけようとしないその態度だ。
プロレスから離れたフリをして、実は得たものだけは離そうとしない高田の欺瞞はそれ自体が醜悪な見世物である。
一方、馬場亡き後、全日本プロレスの社長になった三沢のレスリングには逆にプロレスラーであることの責任を体全体で背負い込んだものが見せるあまりにも、俗世間的な悩みがマット上に露骨に反映してしまっている。それは、高田とは全く違った意味で醜悪な見世物である。

まさむね

高田の彷徨

先日、i-mode用に95年から96年のニシムラさんの一本気のバックナンバーを変換しながら読み返して思い出したんだけど、高田って選挙でたり、借金こさえたり、ニュースの司会したり、まあ、いろいろ手広くやっているんだよね。プロレス的なのかもしれないけど、思い出してみると、なんだかなあって感じでした。まあ、グレイシーがほんとにストイックに格闘技に打ち込んでいるかは別にして、イメージ的には成功してますよね。
やっぱ、見るほうとしても、今の結果(高田の連敗)のほうが納得しますね

ところざわ

源日本人

グレイシー一家の商品価値はとどまるところを知らず、一説によれば、一試合のギャラが全日本の小橋健太のギャラ以上だとか。
かつて、高田がヒクソンと試合をして完璧に負けた時、私はフジモリ大統領と橋本首相の気概の違いをパラレルなものとしてみた。
今でも、アメリカ大陸には戦前-戦後に帰化した「源日本人」達がいて、我々日本列島に留まりつづける日本人との気質の差を見せてくれる。それはまるで、ガラパゴス諸島で進化が止まった動植物を見るような物なのだが、逆に新鮮でかつなつかしい。グレイシーのロマンは、かつて講道館を追われた前田光世が、かの地ブラジルで宿した格闘技の種が、流行に流されずに脈々と純化を進めていて、それが日本に復讐するというストーリーだ。
我々、「現日本人」は「源日本人」に復讐されているのだ。馬場亡き後、「源日本人」の風格を保っているレスラーといえば、天龍「源」一郎だが、その天龍こそ、今一番輝いている。

まさむね

振り出しに戻るって感じでいいすね

16日本日昼間サーバーが動かずブラウザーでご覧いただけず、すいませんでした。時々不調になりますので、時間をおいて見てみてください。
それからコーナー名が往復書簡から毎日コメントという名前に変わりました。

で、ビッグボスマンが待っていたという話は結局は振り出しに戻るって感じでいいですね。
原罪というか、出自には逆らえないって感じでしょうか。

大陸から流れて来たのか、支配しにきたのか、の末裔たちが出自たる大陸を制覇しに行くという倒錯したシチュエーションを思い出しました。プロレスでいうケーフェイが明治憲法なのかもしれませんね。

あ、昔聞いた、半島出身の力道山が沖縄の空手チョップで日本人代表としてアメリカ人レスラーを倒すという構図も倒錯してますもんね。この場合は国技の相撲出身というのが要な訳でしょうか

ところざわ

佐山とボスマン

鮫肌っていう名前はやっぱりインパクト強いですよね。僕はえんぴつ大賞の件は、中島らもとの対談で知った。びっくりハウスは読んでいたけど、投稿者の名前までは覚えていなかった。

ところで、先日、現役のプロレスファンの方々と話す機会があって大変楽しかった。
彼らの関心はやはりプロレスから少しづつ格闘技にシフトしているようだ。
その中の一人が言った。「何十年後にいまの時代を振り返った時に残っているのは前田じゃなくて佐山だと思う。」
格闘技史の中で佐山は常に時代の先端を走りつづけているというのだ。UWF→シューティング→バーリトゥードそして、新しい格闘技「掣圏道」にたどり着いた佐山。
今度の格闘技はその胴着が背広に近いそうだ。しかも、対戦も必ずしも1対1ではないという。
ようするに、街の喧嘩により近くなったということらしい。必然的に一人の相手に時間をかけて関節を極めるということがナンセンスになる世界ということだ。
僕はその話を聞いて、すぐに「じゃあその先にはビッグボスマンがいるんですね。」と言ったのだが、その場を白けさせただけだった。
ビッグボスマンは、ニューヨークのWWFというエンターテインメント主流のプロレス団体のスター選手だったレスラーで、ニューヨークの監獄の監守の格好をしている。
佐山の変遷は実は常に新しいリアリティへの模索だ。その模索の果てに、全く別の方向からやってきたビッグボスマンが待っていたという話に僕はロマンを感じるのだが。

まさむね