横綱・白鵬の紋所が三つ鱗なのをご存知だろうか。

横綱・白鵬の紋所が三つ鱗なのをご存知だろうか。

実はこの紋は、13世紀にモンゴル来襲を撃退した北条時宗を輩出した北条家の家紋として知られている。

ところが、その紋所をモンゴル出身の横綱が身に付けているということ、これは如何に。

俺なりに二つほど邪推してみた。

一つは横綱になったことで、日本を制圧したことの印として元寇の復讐を果し、念願の相手の大将の家紋を奪い取ったという説。(実際に戦国時代には、竜造寺氏が戦に勝った、大友氏の杏葉紋を奪ったという事例がある)
もう一つは、白鵬がこの三つ鱗を身に付けることによって、日本側に着き、もう一人の横綱・朝青龍を迎え撃つ覚悟の印としたという説だ。

本当の事知ってる人、教えて。

まさむね

渕VS蝶野

9月2日、全日本の武道館大会に登場した蝶野。
相手を徹底的に蔑むそのたたずまいは、全日本ファンの私から見ても魅力的だった。
渕に攻めさせ、技を受け、最後は余裕で仕留め、リング上でアジテート。
「逃げない。群れない。」とどっかで言っていたくせに、Team2000の面々を連れてくるわ、途中で逃げ帰ろうとするわで、その言行の不一致もまたヒールの味わいがある。
また、試合の流れを決めた金的蹴りは、渕が完全にバックに回ったタイミングで決めるプロレス的礼儀正しさを見せてくれた。
今まで、渕正信を見つづけた人は、渕がバックに回った姿に、馬場との対戦を思い出した人も多かったのではないか。これこそ、渕が「プロレス」をするときの合図に他ならない。そして、それに完璧に答えた蝶野。
おそらく、渕のバック取りから、蝶野の金的攻撃に至る流れを見て、川田も安心したにちがいない。
全日VS新日の様式美合戦ははじまったばかりだ。

まさむね

モーニング娘。なっちとノアの垣原

モーニング娘。の安部なつみの欲しいものが「どこでもドア」という本来だったら、ファンタジックアンサーになるはずの答えがFOCUSのおかげで、いきなり薄暗いリアリティを帯びてしまうのはなんとも気の毒だ。いっその事、中沢のように欲しいもの=男と開き直っておいた方が被害は少なかったかもしれない。
それにしても、ノアの垣原だ。旗揚げ第2戦の出場メンバーにいなかったことからはやくも、ノア脱退かとの噂も流れている。ノアの規制緩和の建前に喜び勇んだ垣原は、宴会の無礼講を勘違いした新入社員のようなものかもしれない。それにしてもどうなるのか。

まさむね

ノア旗揚げ

全日本プロレスを脱退した三沢達の「ノア」旗揚げ興行に行って来た。
馬場(あるいは馬場家)という規制下では、お題目だけだった「好きにやれ」がそのまま表現されていたリングは、グローバル化の波にさらされた後の日本金融界の比喩として見ても楽しかった。ただ、観客はただ、三沢、小橋の元気な姿をみにきていたのだろう。その取り残され方も楽しかった。

本来だったら、高山やオブライト、垣原が全日に来たときに出現するべき風景がそこにあったのだと思う。
しかし、そのグローバル化についていけない浅子、大森、田上等の醜い抵抗が楽しみだ。

まさむね

若乃花の神

文芸春秋今月号に若乃花の引退後の気持ちなどが書いてあり、約90%はどうでもいい感謝系の人情話だったたが、その中で自分が横綱になれたのは、「他の人よりもより神が手助けしてくれたから」と述べているくだりがあり、ちょっとハッとさせられた。
でも、横綱で優勝できなかったのは、横綱になってから神が助けてくれなくなったからだというような事も言っていた。
元々横綱というのは、神が宿る肉体として、注連縄をつけていたはずだ。それが形式だけじゃなく、実感としても若乃花の口から語られたということは面白いと思った。
同じ号の文春に、女子マラソンの五輪代表問題が出ていて、いろいろと書いてあったがこの記事のポイントはその東京、大阪、名古屋の大会がそれぞれ、新聞社(テレビ局)の宣伝として機能しているため、一つにすると他のレースが興ざめになるから、各社が反対しているのだということ。それに関しては、正直、建前論だけのテレビのニュース解説番組だけ観ていても読み切れなかったが、言われてみればそうだな。

まさむね

若乃花の引退万歳

若乃花引退で各方面から残念の声が上がっているらしいが、僕にとっては若乃花の笑顔は確実に、現代の相撲をつまらなくした。本当に引退してくれてよかった。
当然、僕は貴乃花の不機嫌さを断固指示する。
大体、横綱がかわいいなどと言われて恥ずかしくないようでは美意識に欠けるといわれてもしかたあるまい。
大相撲の不人気にたいして、久米宏は、何故、国技館にオーロラビジョンが無いのか。などと言っていたが、彼は大相撲をどのようにしたいのだろうか。物事の本質が見えていないのに唖然とした。
大相撲はあくまで異形で身勝手な物であるべきだと思う。観客におもねっても一時の人気回復になっても、長い目で見ればK-1うやPrideなどと比較されて捨てられるのが落ちだ。
あの前田日明は、各種格闘技でコロコロ負ける日本人が強くなるための処方箋として、「日本古来からの歴史の見直し」という表現を使ったという。おそらく、彼の出自などから来る微妙な立場が、逆にそのような事を言わせたということは想像に難くないが、全くその通りだ。西洋式トレーニングでは西洋人に近づけこそすれ勝てるとは思われない。
強さとは無関係だったが、馬場さんのリング上での農耕民族としてのたたずまいが懐かしい。

まさむね

永源のツバの起源

日曜日は全日本プロレス武道館大会に行き損ねてしまった。大変残念である。過去、僕は2回だけ武道館大会に行けなかった事があった。一回目は舞台で二回目は出張だった。だが、その一回目はちょうど三沢が馬場さんをフォールして全日本の跡目を継いだ試合、そして二回目は川田がUの怪物オブライトを迎撃した試合。もしかしたら、ここ10年ではベストを争うような印象深い試合だっただけに、私の不徳を呪ったものだ。
しかし、一体昨日はどんな試合だったのだろうか。
関係ないが最近、考えていたのが永源遙のツバ飛ばしの起源というような事だ。私の記憶によれば、永源のツバ攻撃は古くても1990年位からのものである。当初は大熊も同じ事をやっていて、どっちが本家かなどという不毛な争いがあった。
しかし、このツバ攻撃の起源は、おそらくマードックやウィリアムスのようなアメリカ白人労働者階級レスラーの作法にある。マードックはアメリカでは「レッドネック」と呼ばれていたし、ウィリアムスはその昔はブルーススプリングスティーンをテーマ曲にしていた。日本でのイメージはともかく、アメリカではレッキとしたワークイングクラスヒールだったはずだ。
そして、この唾飛ばしは、さらに類推を重ねるならば、その昔、西部のガンマンがその男らしさを競って、痰壷にはいた紙タバコ吐きに起源を持っていると思われる。無頼の象徴だったのだ。
現代のプロレスの起源に確実に存在する西部開拓時代の酒場の作法をこうやって一つづつ深読みしていくのもプロレスの楽しみの一つではないだろうか。

まさむね

高田と三沢

浮き沈みの激しい人生というのが、いいのか悪いのかわからないが、高田と三沢という今から15年ほど前の未来のエース2人(当時のプロレス豆本等を見ると2人の対比表等が出ていて興味深い)の人生を見ていると、人の運命って過酷だなぁと思わざるを得ない。
今、高田の事を口にするなら、誰だってその暴落の歴史を辿ってみたくなる。しかし彼が不思議なのはその人生に於ける負のイベント(落選、倒産、惨敗等)が彼の現在のファイトを観る側にドラマとして立ちあがってこない事だ。
例えば、猪木ならば逆にその失敗が彼のファイトを浮き上がらせるパワーとなって観るものを熱狂させたのに、高田の場合、こうやって指折り数えてようやく、そういえばいろいろあったなぁ位の過去との「取り結び方」しかしていないのだ。逆に言えば、そんなに悲惨な事が続いても自称さわやかというキャラクタが世間的には通用してしまっているという幸福が彼の持ち味なのである。(もっとも、それはかなり不幸であるという言い方も出来るが。)
それにしてもグレイシーに連敗した彼が許せないのは、自分は格闘家として立ち振る舞っているつもりでいるが、実はちゃっかりプロレスラーとしての遺産で食べている事だ。と同時に敗戦のツケをプロレスにも払わせて、それで何の落とし前もつけようとしないその態度だ。
プロレスから離れたフリをして、実は得たものだけは離そうとしない高田の欺瞞はそれ自体が醜悪な見世物である。
一方、馬場亡き後、全日本プロレスの社長になった三沢のレスリングには逆にプロレスラーであることの責任を体全体で背負い込んだものが見せるあまりにも、俗世間的な悩みがマット上に露骨に反映してしまっている。それは、高田とは全く違った意味で醜悪な見世物である。

まさむね

源日本人

グレイシー一家の商品価値はとどまるところを知らず、一説によれば、一試合のギャラが全日本の小橋健太のギャラ以上だとか。
かつて、高田がヒクソンと試合をして完璧に負けた時、私はフジモリ大統領と橋本首相の気概の違いをパラレルなものとしてみた。
今でも、アメリカ大陸には戦前-戦後に帰化した「源日本人」達がいて、我々日本列島に留まりつづける日本人との気質の差を見せてくれる。それはまるで、ガラパゴス諸島で進化が止まった動植物を見るような物なのだが、逆に新鮮でかつなつかしい。グレイシーのロマンは、かつて講道館を追われた前田光世が、かの地ブラジルで宿した格闘技の種が、流行に流されずに脈々と純化を進めていて、それが日本に復讐するというストーリーだ。
我々、「現日本人」は「源日本人」に復讐されているのだ。馬場亡き後、「源日本人」の風格を保っているレスラーといえば、天龍「源」一郎だが、その天龍こそ、今一番輝いている。

まさむね

高田の彷徨

先日、i-mode用に95年から96年のニシムラさんの一本気のバックナンバーを変換しながら読み返して思い出したんだけど、高田って選挙でたり、借金こさえたり、ニュースの司会したり、まあ、いろいろ手広くやっているんだよね。プロレス的なのかもしれないけど、思い出してみると、なんだかなあって感じでした。まあ、グレイシーがほんとにストイックに格闘技に打ち込んでいるかは別にして、イメージ的には成功してますよね。
やっぱ、見るほうとしても、今の結果(高田の連敗)のほうが納得しますね

ところざわ