2006年に大ヒットした「純恋歌」(湘南乃風)は普通の人々の普通のラブソングである。
現在でもカラオケランキングで上位に来ているが、今後もJ-POPのスタンダードとして聴かれ、歌われ続けていくだろう。
歌は、独特のレゲエ調のリズム/メロディに乗って物語風に進む。
出会ってから、好きになって、付き合って、喧嘩して、仲直りして、そして、一生「お前」と手を繋ぎ、一生「お前」のために愛を歌う...
ここには、夜空に輝く星のように女性をあがめるロマンティストとしての男がいる。
好きになった女を守りたいと思う善良な男がいる。
時には自分勝手に怒鳴りまくる自分勝手な男がいる。
でも、すぐに反省する単純で素直な男がいる。
そしてそんな男を許す女がいる。
これは、バブルだとか、不況だとか、格差社会だとかいった時代の流れとは無関係な普通の男と女の関係である。
ここには、いさぎよくも、普遍的な若者達の幸福観が正面から歌われているのである。
目立たないけど、社会の多数を占める地道で普通の人々の気持ちを正面から汲み取った「純恋歌」。
彼らが「純恋歌」で通ったラブソングの王道は、最近では、照れ臭すぎて誰も通らなかったド真ん中の「空き道」だったのではないか。
最後に「純恋歌」のプチ疑問。
歌詞の中に出てくる「春の夜風に打たれ、思い出に殴られ、傷重ねて気付かされた大事なもの握りしめ」の握りしめられた大事なもの ってナンだったんだろうか?
まさむね
純恋歌(湘南乃風)は2006年の、愛唄(Greeeen)は2007年の大ヒット曲、両方とも実質、プロポーズの歌であるが、以下のような共通点がある。
1.君のために一生歌い続けるよ。(ただし歌はヘタ)
2.手も握り続けるよ。
3.お互い老人になってもそれは続けるよ。
これが「結婚」という言葉をつかわない現代風プロポーズなんだろうか。
この歌詞の共通点を見ると感じるのだが、現代の若者は、今の幸せな二人の状態が、働き盛りの年代の様々な問題を一気に飛ばして、そのまま老人にワープすることを理想としているのではないかと思えてくる。
それを裏付ける統計として例えば、最近の「生活に関する満足度調査結果によると、男女ともに、20歳代と70歳代の満足度が高くて、いわゆる働き盛りの30歳代~60歳代のそれは低い。
おそらく、20代の人も、そんな上世代の人々との現実的な接触の中で、あと数十年はつらい日々が続くということを薄々わかっているのではないか。
ロマンスの影に隠れた現実回避願望が透けて見える。と同時に、不安な世の中を背景としていわゆる現役時代は”面かぶりクロール”で泳ぎきり、早くゴールして隠居したいという本音が透けて見えると言い直すべきだろうか。
—
純恋歌(湘南乃風)より
今すぐ会いに行くよ手を繋いで歩こう
絶対離さない その手ヨボヨボになっても
白髪の数喧嘩してしわの分だけの幸せ
二人で感じて生きて行こうぜ
LOVESONGヘタクソな歌で愛をバカな男が愛を歌おう
一生隣で聴いててくれよ
愛唄(Greeeen)より
ヘタクソな唄を君に贈ろう
めちゃくちゃ好きだと神に誓おう!
これからも君の手を握っているよ
僕の声が続く限り
隣でずっと愛を唄うよ
歳をとって声が枯れてきたら
ずっと手を握るよ
まさむね
Just another WordPress site