「C型肝炎治療での人工透析に関して、日本初の治療例ですよ。」
医師の先生からそう言われた。
私もこの歳ではじめて「日本初」の栄冠を得ることが出来た。
先生の話だと、透析前には、ウィルス値が測定不能だったのが、人工透析をしたおかげで劇的に減ったということだ。
今後は週1回のインターフェロンの注射とレベトール投薬を続ける。
まさむね
「C型肝炎治療での人工透析に関して、日本初の治療例ですよ。」
医師の先生からそう言われた。
私もこの歳ではじめて「日本初」の栄冠を得ることが出来た。
先生の話だと、透析前には、ウィルス値が測定不能だったのが、人工透析をしたおかげで劇的に減ったということだ。
今後は週1回のインターフェロンの注射とレベトール投薬を続ける。
まさむね
それぞれの時代にはそれぞれの時代に会った歌姫が登場する。
おそらく、大衆の無意識的な願望を広く拾った個性がそれぞれの時代に輝くんだと思う。
例えば、90年代後半、ストリート系コギャルに圧倒的に支持されたのが、安室奈美恵だ。
衝動の赴くままに街へ出ようというメッセージが当時アムラーなる流行を生み出した。
そんなんじゃないよ 楽しいだけ 止まらない衝動に 従うだけ 「Chase the Chance」
90年代末に登場したがの、浜崎あゆみだ。携帯電話の普及や平成不況によってストリート系が後退する中、表に出てきたのがアダルトチルドレン系の女の子のリアリティを最も体現していたのが彼女である。
居場所がなかった 見つからなかった 未来には期待できるのか分からずに...「A Song for XX」
アダルトチルドレンが段々、痛い存在だと意識されはじめた頃、に登場したのが倖田來未だ。肉体性を前面に出した彼女は、露骨な関西弁と圧倒的なパワー、無類の明るさでキャバクラファッション時代を代表する。
この頃はやりの女の子 お尻の小さな女の子... 「キューティハニー」
しかし、その倖田來未が例の羊水発言などで失速する中、次の歌姫は誰か。俺的にはYUIに期待したいな。ゆとり世代といわれる彼女達の世代。薄暖かい自由はすでに与えられていた。でも同時に自分の臆病に支配される内向的な世代だよね。
窓ガラス割るような気持ちとはちょっと 違ってたんだ はじめから自由よ...
わかってほしいなんて思わないけど描いた夢を信じきれない弱さにただ支配されてた...「My Generation」
まさむね
格差社会の到来が言われている。
もしも、その格差社会が避けられない現実であるとすれば、最下層の人々に対して、どういった手当て(経済的にそして、精神的に)をしたらいいのかという現実的政策が今後、大いに論議されていくことだと思う。
解決策としては大きな方向性として2つある。一つは最下層の人々の幸せを完全に保障するというEUの高福祉型。そしてもう一つは、最下層の人々にも等しく階級上昇の思想と具体的チャンスを与えるというアメリカのネオリベ型。
TBSのドラマ「Rookies」は、上記2つの解決策の葛藤が主題のドラマである。
夢を失ない、心もすさみ、他の生徒からも差別されるある高校の野球部。彼らはいつも、暗い部室を自分たちのアジトとして、喧嘩、タバコ、麻雀等にふけっていた。というと、なんともネガティブな状況だが、逆に言えば、そこは彼らも自称するパラダイスであった。先の話に近づけて言えば、学校側から無視されるという形で幸せを完全に保障されているのだ。(彼らは様々な違反に対して、黙認されると同時に、授業に出席しなくても出席扱いとなっていた。)
そこに現れた新任教師・川藤。「夢」という階級上昇の思想を持って、野球部の生徒たちを改宗させていく。つまりアメリカ型のネオリベ的価値観に生徒を強引に巻き込んでいくのだ。(ちなみに、ちょうど、この漫画が連載された頃は、平成大不況から小泉構造改革時代にかけての時代で、この川藤的価値観が隆盛になっていく時代と連動しているのが興味深い。)
勿論、最初は、このネオリベ的価値観に学校側も生徒側もこぞって抵抗するのだが、川藤先生の熱意に気おされ、少しづつ(一人づつ)落城していき、ようやく野球が出来るまでに野球部を変えていくというストーリーだ。
学ラン、リーゼント、麻雀、殴り合い等、最近ではほぼ死滅した不良アイテムが何の違和感も無く登場する久しぶりに男くさいコテコテのスクールウォーズ的ドラマだが、その不良達の圧倒的存在感はGJだ。
まさむね
西日本と東日本では、日本人の名字の分布が大きく異なっている。
目安としては以下のことが言える。
1)西日本の方が字数が少ない名字が多い。
例えば、西日本では、山本、田中が多いが、東日本では斎藤、佐藤が多い。また同じ斎藤でも、西日本では斉藤という名字が多い。
2)東日本では藤がつく名前が多い。
佐藤、加藤、斉藤等の名前は藤原氏の流れを汲むと自称する武士・農民階級に爆発的に広まる。西日本では、藤は下ではなく、上につくケースが多い。例:藤田、藤井等
3)西日本では読み方に濁点がつかない場合が多い。
例えば、山崎。東ではヤマザキだが、西だとヤマサキが多い。また、同様に、中田は東ではナカダだが、西ではナカタが多くなっている。
例えば、サッカーの中田は山梨出身でナカダだが、日本ハムの新人中田は、ナカタだ。
また、その他の名前でも西日本では濁点読みしない例がおおいようだ。例えば、鹿児島出身の中島美嘉はナカシマミカだし、福岡出身の浜崎あゆみの本名はハマサキだ。
最も、上記はあくまで傾向なので、得意げに話をして失敗することもあるのでご注意。
まさむね
どんな曲にも必ず、キラリと光る一節を持っている宇多田ヒカルの歌詞。
2001年のヒット曲「Traveling」には、平家物語の冒頭の一節(祇園精舎の鐘の声 諸行無常の響きあり・・・おごれる人も久しからず ただ春の夜の夢のごとし)が引用されている。
風にまたぎ月へ登り
僕の席は君の隣
ふいに我に返りクラリ
春の夜の夢のごとし
金曜の夜の彼女とのデートで盛り上がる気持ちを歌った曲だが、その盛り上がりに水をさす自分の心の中のスキマを、平家物語の無常観をしのばせる事で刹那的に表現する彼女の文学的センスが光る。
また、その他古典文学を意識したフレーズとしては、ジェロの海雪に出てくる「出雲崎」。
ここは古来からの歌枕の一つで、芭蕉が「奥の細道」の中の名句「荒海や佐渡に横たふ天河」を詠んだと言われているが、おそらく、この海岸から佐渡を眺めた芭蕉は、世阿弥、日蓮、順徳院等、佐渡に流された先人の苦難を偲び、この句をしたためたのであろう。
勿論、秋元康もそれを踏まえての作詞だと思われ。
さてもう一つは、湘南乃風の「純恋歌」に出てくる以下のフレーズ
桜並木照らす おぼろ月
出会った二人の場所に帰りに一人寄り道
「桜」に「朧月」といえば、「源氏物語」の花宴の巻。光源氏とライバルの右大臣家の大事な娘(朧月夜)との危険な恋を暗示するシーンとしてあまりに有名だ。
地元土着型労働者階級の歌声を代表する若旦那(湘南乃風)の教養を感じさせる一節だ。
まさまね
光市の母子殺害事件の被害者、元村洋さんの記者会見を見た。
考えに考えた人の言葉はなんて重いのだろうかと感じた。
本村さんにとっては、犯人が殺される(死刑にされる)事が重要ではない。犯人が、最高刑である死刑判決を言い渡されることで、死を目前にして真に反省するようになる事によって、彼の応報感情が手当てされるというのが、彼の話の主旨だった。
人を殺したんだから殺されて当たり前的なワイドショーのノリとは一線を画す、優れた論理だと思う。
まさむね
中国共産党によるチベット弾圧は本当に腹立たしいが、心の中で99%そう思っていても、残りの1%で、そういう考えを持ってしまう自分への内省は忘れたくないものだ。
俺にとってそれは3つある。
一つは、我々・日本人も歴史をさかのぼるとアイヌ民族、朝鮮民族、台湾民族等に同様の事をしてきたという事は、覚えておきたい。日本人(和人)と同様の価値観を相手に押し付け、彼らの文化を否定してきたことは痛恨の歴史である。
もう一つは、実は、最近の中国の経済勃興、軍事力増大に対する警戒心、嫌悪感が、チベット解放を叫ぶ時の、真のモチベーションになってはいまいかということ。こういう心性は「痛い」からね。
今回の暴動のきっかけとなったは、チベットが急速な近代化へNOを突きつけたという一面もある。ということは、世界市場でグローバライゼイションの一翼を担う日本も、チベット人に対して抑圧する側にまわっているのではないかということだ。こういうことに無自覚なのも相当痛いよね。
まさむね
オリンピックの聖火に対する各国での妨害のニュースが連日流されている。
中国共産党のチベット人への弾圧に関しての真実が、中国国内で報道されていないために中国人はその横暴に気づいていないのだという視点もあるようだがどうだろうか。
TVのインタビューでは、横浜中華街の店員、サンフランシスコのチャイナタウンに住む中国人も口を揃えて「チベットの状況は正しく報道されていない。一部の暴徒が起こした騒ぎだから無視すればいい」などと言っているの見るにつけ、いくら情報があっても、自分にとって都合のよいものばかり受容していては真実は見えない。いわゆるバカの壁(養老猛)にはばまれているんだろうか。
また、別の見方をすれば、中国国内の親族に迷惑がかからないように共産党の公式見解をなぞっているのかもしれない。
いずれにしても、この問題はしばらく時間がかかりそうだ。
まさむね
その昔、キースリチャードが体中の血液を総入れ替えしたという記事をミュージックライフ等で読んだ時は、さすがキースはやることがカッコいいと思ったものだが、実際に、自分がその立場になってみて、そんな事は言ってられないと思った。ちなみに病院の専門用語では、この人工透析をする事を「まわす」と言うらしい。
朝、医者が来て、「体調はどうですか?今日、まわしますんで。」と言って帰っていった。
まさむね
チベット問題を云々するのは中国への内政干渉なのだろうか。
中国の主張によると元の時代からチベットは中国(シナ)の領土とのことだが、その「元」だって、モンゴルの征服王朝じゃなかったの?
その後、チベットはシナ(元、明、清)に対して、独立といえば、独立、冊封体制下と言えば、冊封体制下、領土内と言えば、領土内という曖昧な状態をダラダラ繰り返したんだよね。
例えば、明時代に発表された「大明一統志」によるとチベットは完全に明とは別(平凡社の「世界歴史辞典」より)とされている。
でも、そんな状況の中、シナの王朝は、権力の源泉である「徳」をチベットの聖人からの承認で得るという精神的な結びつきがあった。ようするに相互信頼と尊敬があったんだと思う。
以下、「チベット」多田等観(岩波新書)からの引用です。
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ツァムカパは国の内外より厚く敬仰せられ、明の太帝はたびたび使を派して来朝を請うたが、辞して赴かず、弟子のジャムチェンチュウゼを代理としてシナに派遣した。太帝と仁帝はラマ教に深く帰依し、西蔵大蔵経カンギュール部の上梓を行わしめた。世に永楽版大蔵経と称しているのはこれである。
五世ラマは1652年清朝に迎えられて、北京城に入り、国師としての禮遇を受けた。この時、北京に西黄寺を建立し、世祖から西天大善自在仏という尊称を贈られた。
パンチェンラマ・パルテンエシェは乾隆帝70歳の賀宴に招かれて、北京を訪問した。乾隆帝はこれに先立って熱河に避暑山荘と名づける離宮を造営し、壮大な八大ラマ廟を建立して大いにラマ教に庇護を加えた。
~(後略)
現状、中国政府はダライラマ14世を罪人として扱っているが、そこをまず改めないと問題は解決しないんじゃないの?
まさむね