手塚の物語

手塚治虫は、小中学生の頃、秋田書店の単行本で読みまくった。
バンパイヤ」「W3」「どろろ」「リボンの騎士」「海のトリトン」「マグマ大使」「ビッグX」、みんな懐かしいな。
勿論、「火の鳥」「ブッダ」「ブラック・ジャック 」や「鉄腕アトム」も大好きだった。
当時はプロ野球といえば、みんな巨人ファンだったけど、僕は名前がアトムズだったって事だけで、サンケイのファンだったんだ。

手塚治虫の偉業なんて、一言では言えないけど、少年向けSF漫画のスタイルを確立した事。と同時に、当時の少年達に、科学的、社会的知識を知らず知らずに教えてくれたこと。例えば、僕は「バンパイヤ」でLSDっていう幻覚剤がアメリカで流行っているって事知ったんだよ。60年代~70年代初めに少年時代を過ごした世代の僕らが、今、考えてみると、手塚さんはその時代のヒューマニスティック・ファンタジスタだったんだと思う。
でも、時代が漫画にそれ以上を求めるようになってくると徐々に時代からずれていったんじゃないかな。

ちょうどイメージ的には、ジョンレノンが70年代に入ると泥臭いアメリカンサザン・ロック(リアリズム系=すなわち、劇画系)や音楽性の高いブリティッシュロック(テクニック系=すわなち、大友、宮崎系)に圧されていくさまに近い。

手塚さんは結局、少年漫画家に域から出られなかったのかもしれないっていうのは言いすぎかな。評価、難しいけどね。

それに、手塚さんは、ところざわさんが言うように、石の森や大友、梶原一騎、さいとう・たかお、そして水木しげるなんかに対しても、偏狭なライバル心を持っていたようだね。
初対面の水木さんに対して、「あなたの漫画だったら僕はいつでも描けるんですよ」って言って、「どろろ」を書いたというエピソードもあるよね。

晩年、自らの原稿を持って出版社周りをしたというエピソードも。

でも、この偏狭さ(反おおらかさ)が好きだ。僕は、これこそ、手塚さんの天才の証(聖痕)だと思う。

まさむね

我々は源氏を次世代に伝える義務がある ~『源氏物語ものがたり』書評~

たとえ政治・経済・法制度が一変し、一夫多妻の結婚形態が消滅したとしても、永遠にかわらないものがある。
いや、それぞれの時代の人々の心に合わせて変り続けることで、不死の生命を獲得し続けたものがある。
それが日本人にとっての源氏物語だった。
-「源氏物語ものがたり (新潮新書 284)」島内景二 P54-

伝統を守るということは本当に大変な事である。この本を読むと、その事がよくわかる。

藤原定家、四辻喜成、一条兼良、宗祇、三条西実隆、細川幽斎、北村季吟、本居宣長、アーサーウェリー。

この本で紹介された面々、まるで駅伝のタスキをつなぐかのごとく、連綿と歴史の荒波から源氏物語を守ってきた。
さらに、それだけじゃなく、それぞれが生きた時代の新しい感性でもって、都度、源氏物語を再生させてきたのである。

例えば、室町時代に連歌師として一斉を風靡した宗祇は、当時、最もイケてるコンセプト、”幽玄”をもってして、作品に込められた登場人物の心を深く思いやる鑑賞方法を、次の三条西実隆に伝授したという。

しかし、それは決して、彼らだけの偉業ではない。
彼らに源氏物語を守るような立場を与え続けた、その他の多くの日本人の気遣いがあったことも忘れてはならない。

それらの人々とは、時の天皇は勿論だが、時代によっては、武家であり町人であった。

例えば、”源氏物語を守るための運命のタスキ”を受けていた一人、細川幽斎。
彼は文化人とは別に、戦国武将としての一面も持っていた。

幽斎は、関が原の戦いに東軍の一武将として参戦していたが、西軍に城を包囲され、絶体絶命のピンチになってしまったのだ。
しかし、その時、後陽成天皇は勅使を派遣し、和議を結ばせて、幽斎の命を救おうとした。というか、源氏物語を初めとする古典文学を守ろうとしたのだ。

戦とは、生きるか死ぬかのギリギリの状況下で行われる。
しかし、その勅使が来た時に、西軍の武将・前田茂勝は、あっさりと城の包囲を解いた。
天皇からの勅命だったという事もあるが、茂勝自身が、源氏物語の文化的価値を前に、幽斎に、屈したのである。
そらに、その心がわかる徳川家康は、この前田茂勝の領地を安堵したというのは言うまでもない。

さて、今後、この”源氏物語を守るための運命のタスキ”はどのように引き継がれていくのであろうか。
グローバリズムやコスモポリタニズムの美名のもと、今後、日本人のアイデンティティを危うくするような危機が何度も襲ってくるに違いない。

「どうして、学校で、源氏物語なんかやる必要があるの?その分、英語や中国語を勉強させろよ」っていう勢力が増えてくる時代が必ず来る。
その時、源氏物語を誰がどうやって守るのか、あるいは、守る必要があるのかという国民的コンセンサスの確立は急務だ。

それは、ある意味、憲法改正や、核保有よりも大事な防衛政策かもしれない。

まさむね

最近の政治状況に一言

ちょっと前の話になってしまうが、G20に出席した麻生総理。
IMF(国際通貨基金)に10兆円供出を約束して帰ってくる。
曰く「後世、歴史的な会議と呼ばれることになると思う」とのことだが、その10兆円は誰がどこから出すのか?
日本は800兆円の赤字がある。それなら10兆円位増えてもあんまり変らないってことなのか。
金が無い、無いって言ってなかったっけ?

でも、この件、世界のための日本という美名の下で、マスメディアの批判は無し。
そもそも、今の時代、IMF自体というアメリカ主導のシステムが発展途上国にどのように思われているのか。
日本は、今後もアメリカ主導の経済体制について行きますという宣言をしたようなものだ。
しかも、そのアメリカって、現時点では、まだ、ブッシュのアメリカでしょ。
今回、オバマが居ないところで、日本がIMFに10兆円を張ってよかったのか。
オバマの方向性は、国際協調なんだから、来年、日本がハシゴをはずされる危険性はないのか。

経済に全く素人の僕だが、これらの疑問って全く的をはずしている?
ちなみに、僕が、どの位、経済音痴なのかって言えば、例えば、麻生総理が読めなかった前場に関してだって、”まえば”か”ぜんば”か知らないが、この言葉自体、何の事かわからない。
大体、ダウって何だ?ってレベルだからね。

さて、先日、民主党の小沢さんが麻生総理に急遽、党首会談を提案した。
その日の夕方に、会談が実現って、小学生の「遊びましょ」じゃないんだから。
2人とも暇だったの?

小沢さんは、第二次補正予算を今国会で提出するように、総理に要求。
選挙より経済優先って言いながら、予算提出を来年にするって事の矛盾をついたらしい。

でも、麻生さんは、定額給付金の件をまとめきれないんだと思う。今国会に提出するなんて無理ですって周辺(笑)に言われてるんだろう。
おそらく、本音では、やってもやらなくてもどっちでもよかった。っていうか、元々関心なかったんだけど、公明党とかが「やってよ」っていうから、政策に入れたら、いろんな矛盾点が出てきて収拾がつかなくなった。

俺のせいじゃないって思ってると思うよ。
なんだかババ抜きのババみたいになってきた定額給付金。結局どこに着地するのか。ちょっと怖いもの見たさで興味深い。

一方、民主党もはがゆい。与党の第二次補正予算が出たら、民主党の経済対策を党首討論でぶつけて、その場で解散を迫るっていうのが大向う受けする手順なんだろうけど、小沢さんはそうはしないだろう。
でも、それは仕方が無いのかなぁ。
古来、権力者っていうのは、偏屈で疑い深い人も多い。っていうか最終的にはそういう人が権力を握ってきた。
最終的には秀吉は家康に、かなわなって事だよ。
恐らく、小沢さんの血には斬った張ったのヤクザ的なものは入ってないような気がする。根は、東北の農民だから、寝技しか出来ない。
体質的に、小泉さんが横須賀の博徒、麻生さんが筑豊の川筋者(人買い)の流れにあるのとは違うからね。

そうこうしているうちに、元厚生事務次官へのテロとも見える殺傷事件が起きた。
テレビでのキャスター、コメンテーターは必ず、枕詞のように”どんなことがあったとしても殺人というのは卑劣な行為です”をつけるいつものお約束。
とりあえず、全員が言わなくてもと思う。

ネットでは、事件の痛ましさを嘆くよりも、この事件に対する厚生省関係者の「今回の事件は見当がつかない。」っていう発言が一斉に槍玉に(19日の深夜2:00頃)。
改めて、多くの人が潜在的に持っているマグマのような熱い怒りを再認識。

怒りのハケ口をみんな求めているんだろうな。こっちの方が大きな問題のような気もするが。

まさむね

パヤヲの物語

千と千尋と日野ヒデシの恐怖豚の街の関連性を真っ先に指摘した当イッボンギであるが、時代の差をぬきに比較できないが、ボニョでパヤヲは既に大手塚(だいてづか)を凌駕したと思う。ルパン三世とナウシカでほぼ手塚にならぶ知名度を得、その後の作品群で(漫画と映画を単純に比較出来ないが)手塚に対して量的にも遜色無いと思う

盟友であり思想的師であった高畑を、才能の差で飼い殺しかつ再起不能にし、彼のバイブルでありあったゲド戦記はナウシカで用済みとなると息子の手で映像化し致命的ダメージを作品に焼き付け、最初映像化を袖にし後に懇願した作者ルグインを苔にした様は大作家の風格である。まさに親殺し子殺しの主人公さながらに悲劇で喜劇だ。大衆的かつ前衛的、家族的でロリコンで、左翼的でエコでアナーキ、この時代に生まれてホントに良かった
大友の絵に対してボクも描けるといい
イシノモリや劇画の胎動に対して言い放った前代の神様さながらだ

他でも指摘するものがいるが、唯一、黒沢との対談映像でパヤヲがヘコヘコする様だけが神様の汚点である。

黒澤なんて二人に比べたら寡作な前座の神様だ

小渕優子さんに読んで欲しい一冊 ~『「婚活」時代』書評~

日本社会に、「少子化」という言葉が定着して十年以上たちました。
日本で子供を生むことが少なくなるのことに関して、さまざまな調査や議論がなされ、さまざまな対策が提案され、実施されています。
そこで、いつも疑問に思っていることがあります。
それは、少子化の直接の要因が「未婚化」、つまり、結婚する人の減少にあるのにもかかわらず、少子化対策として打ち出されるものは、子育て支援(保育所整備や育児休業導入や児童手当)なのです。
-「「婚活」時代 (ディスカヴァー携書 21)」山田昌弘、白河桃子 P195-

確かに、僕も、「猪口さん、なぜ少子化が問題なのですか?(猪口邦子、勝間和代)」を読んでいて、そう感じたことがある。
今は、職場の飲み会等で「結婚しないの?」というだけでセクハラになる時代である。
行政は、結婚する、しない等のライフスタイルに価値の序列をつけ、一方を明らかに推進するような政策も取りにくいのかもしれない。
だから、結婚という面倒なハードルは置いておいて、その次の出産/子育てにお金をばら撒くというのがいつも通りの安易な行政手法か。

まぁそれはいいとして、この本の著者の山田昌弘氏は、僕が信用できる数少ない社会学者の一人だ。
最近は、たまに報道ステーションのコメンテーターとしてテレビでも見受けられる事もあるが、山田先生の個性を古舘氏の”振り”が十分引き出せていないのが残念だ。
パラサイトシングル、1998年問題、希望格差社会、そして婚活時代というように、90年代以降の社会学(御専門の家族社会学にとどまらず)の名コピーはすべてこの人の手によっていると思えるほどの山田先生、おそらく、時代を斬るセンスが卓抜なのである。

そして、それらの言葉は、いつも僕らに、考えるヒントを与えてくれるのだ。
例えば、以前、このブログ内で、小室哲哉がプロデューサーとして凋落した現象を、山田先生が提唱された1998年問題にからめて書かせていただいた。

僕が山田先生の発言にいつも感動するのは、現代日本の一般的な価値観を、上品に批判するような、例えば、下のような箇所だ。

結婚年齢がばらつくことにより、逆に、自分の思ったタイミングで結婚できるとは限らなくなってくるのです。
就職にしろ結婚にしろ、自由化が起こればおもいどおりにならなくなるというパラドックスです。
選択肢が増えれば増えるほど、自分の思い描いた選択ができなくなる。
その結果が現在の急速な晩婚化、非婚化の進展となって現れているわけです。
-「「婚活」時代 (ディスカヴァー携書 21)」山田昌弘、白河桃子 P18-

自由になる事、選択肢が増えることは、絶対的に正しいことっていうのが現代の絶対的価値観の一つだ。
自分の選択肢をふやすために、ひとは高学歴を目指すわけだし、高収入を得ようとする。現代的価値では、これはけっして悪い事ではない。むしろ正しいことだ。

しかし、自由はけっして、人々の幸福度を上げるわけではない。
自由は、一方で、おちこぼれを生み出すという残酷な一面を持っているのだ。

いつだって好きな人と結婚できる意志と、魅力と、能力と、家柄と、自由を謳歌出来る階層の解放のイデオロギーが同時に、そのどれも持っていない大多数の非モテ系の人々の普通で当たり前の幸せのライフサイクルを脅かす。
言い方を変えるならば、女性解放運動、人権運動の理論的な正しさが、必ずしも一般人の幸福には結びつかないという事なのである。

小渕優子・少子化担当大臣や猪口氏に、誰か山田先生の本を贈ってほしい。

まさむね

熟女は大相撲を擁護する ~『女はなぜ土俵にあがれないのか』書評~

ところで、この神について、第二十八代木村庄之助は、私(内館牧子氏)に次のように語っている。
「現在の主祭紳三柱を招くようになったのは、昭和二十年、終戦直後の事である。その前は天神七代、地神五代の神々を招いていた。
(中略)
戦後になって、立行司と彦山光三が相談して、武神と力の神だけ三代にしたと聞いている」
こういう話を聞きだせると、本当にワクワクする。
-「女はなぜ土俵にあがれないのか (幻冬舎新書)」内館牧子 P184-

土俵には神様が居るから、女は上がれないのだ、いや、それは女性差別だ、といった論争が、たびたび起きては消えていくが、それでは神様って誰って言ったら、ほとんどの人は知らないだろう。
それを明かしてくれるのが冒頭の部分である。
こんな大事な事を、相撲協会の理事会等で話し合ったのではなく、なんと、行司の一人が、当時の相撲解説者と相談して、ある意味、勝手に神様を変更しているのだ。
おそらく、GHQから文句を言われないようにとの先読みの配慮があったことが推測される。
ちなみに現在の三柱は、天手力男命、建御雷之男命、野見宿禰だそうだ。

上記の事、一つとっても、大相撲というものがいかに、伝統を、状況に合わせて、作り上げてきたのか、その健気な歴史がよくわかる。若干の悪意を込めていうならば、その歴史は、いかに権力に媚びるかという歴史でもあった。
生き残りを賭けた本当に健気(そして大男達に似合わず、ビクビク)な闘い歴史だったのである。

さらに、この本は、大相撲を離れても、一般的に日本的伝統というものは守ってきたものではなく、作られてきたものであるという事がわかる、極めて優れた日本文化論だと僕は思う。

さて、先週の「関口宏のサンデーモーニング」の最後のコーナー、一枚の写真では、大相撲の観客がいかに減っているかを示す写真が紹介され、勝手なことを言っていた。
ロクに見もせず、知りもせず、関心もないくせに、イメージだけで、大相撲に関して語るのはやめてほしい。
世間的にはいろんなことがあったが、今場所の土俵ではいつも通り、熱い戦いが続いているのである。
例えば今日(平成20年九州場所9日目)の取組だけに限っても、いくつも見所があった。

雅山と嘉風の突き合いは最高だった。雅山は優勝の可能性もあるかも。
高見盛と鶴竜の一番。最後、土俵際でもつれた時、土俵の一部が崩れる。なにかやってくれる高見盛健在に館内大笑いだ。
把瑠都が勝ち越した。相手の背中越しにつかむ彼の上手は新しい相撲の時代を感じさせる。
琴奨菊が稀勢の里を得意のがぶり寄りで下す。豊ノ島も加えた有望日本人トリオ。今場所いずれも好調だ。
強い時はめっぽう強い琴光喜。怒涛の勝利に、愛子様もきっと笑顔になったことだろう。

等など、書き出せばきりが無い。

最後に一番言いたいこと。グローバリズムやジェンダーフリーなどに惑わされている場合ではない。
現在、この大相撲が、いろんなバッシングを受けている時だからこそ、大相撲を擁護したい人々は、バイブルとして、読んでほしい一冊である。

まさむね

闘っている女性は美しい ~『女の読み方』書評~

“嫌われる女”が好きだった。いや、好きな女が嫌われてしまう、と言ったほうが正解かもしれない。
なぜ、彼女たちは嫌われたのか?今にして了解できる。
時代風潮に逆らっていたからだ。
時代と闘っていたからだ。
彼女らが”闘っている”その姿にこそ、私は魅せられたのではないか?闘っている女は美しい!単純にそう思う。
今でもそれは変らない。
-「女の読み方 (朝日新書 81) 」中森明夫 P15-

闘う女、そして嫌われる女といえば、まずは、僕の中ではオノヨーコと神田うのである。
中森氏は、勿論、この2人に関してもつづっている。そこで、中森氏の文章を踏まえ、僕なりに、2人について書いてみよう。

まずはヨーコ。

実は、中森氏がSPA!の「ニュースな女!」のコーナーで最初に書いたのがヨーコだったという。
最初という事もあってか、ヨーコが怖かったからか、残念ながら、その文章は硬い。
しかし、それもむべなるかな。60年代をブロンズ化した(本書より)ヨーコを前にしては、人は、思い出を書くか、その強靭さを書くしかないのだから。

今年もジョン・レノン・スーパーライブの季節がやってくる。
ブロンズ化したヨーコの変らない言葉をまた聞くことができるのが楽しみだ。
「夢の力で、世界を変えよう」っていうメッセージを発生するヨーコだが、自身は全く変らないってのが闘女・ヨーコらしくていい。

そして、うの

うのの名前が、持統天皇の幼名、鵜野讃良皇女(うののさららのひめみこ)が由来である事を本書で初めて知った。
持統天皇は相当に強引な天皇である。
自分の息子の草壁皇子が夭折してしまったために、次の天皇に、孫の文武天皇を強引に即位させるのである。
さらに、これを正当化するために、記紀における天孫降臨を、天照大神の”子”ではなく、”孫”のニニギノミコトにさせたとも言われている。
敢えて言うならば、自分の孫のために、神話の改竄をした天皇なのである。

その持統天皇の幼名を自分の子供につけた親も親だが、子も期待に違わず成長し、モデル、タレントを経ていまやクリエイターとしても成功。
今や、億万長者である。
“うの”という名前のプライドに違わず、自分を強引に貫いている彼女。
尤も、自分では闘っているという意識は無いのかもしれない。

この本には、本当に、いろんなネタがつまっている。
じっくりと読んでみると、この本を起点にして、語ってみたい女性が沢山発見できる。

聖子、アムロ、あゆ、蓮舫、あんな、なっち...

みんな闘っている女達だ。

まさむね

THE BEATLES 全曲レビュー

ビートルズは20世紀最大の奇跡である。

1962年にイギリスの地方都市、リバプールから突如現れ、激動の60年代を席巻した。
音楽のみならず、ファッション、ライフスタイル、ビジネスモデル、政治等あらゆる面で、世界中の若者に影響を与え、革命を起した。

ビートルズが残したロック、提起した諸問題は、21世紀の現在でもけっして色あせてはいない。 だからこそ、今(2008年)、もう一度、ビートルズをレビューしてみようと思ったのだ。

でも、時に、極めて主観的-個人的な内容になってしまったことはお許しいただきたい。ちなみに、僕自身は、ちょうどLet It Beがヒットしていた頃、小学6年生だった。ビートルズにかすった世代である。

今後、アップしていくレビューの各曲名の下の★は、現時点での私のオススメ度だ。 ビートルズの曲の不思議さは、昨日、★1つだと思ったものが、次の日に★5つに感じられるという事だ。だから、あくまで一つの参考としていただければと思う。

ビートルズバージンの方には、今後、思う存分、”天才”に触れるという至高の体験を味わってほしい。
また、すでにビートルズを経験されている方々には、再度、ビートルズの事を思い出していただければ幸いだ。

ビートルズはいつでもそばにいるのだから。


レビュー


書評


「ビートルズ都市論」(1) 労働者の町・リバプール
「ビートルズ都市論」(2) 野生と知性の街ハンブルグ
「ビートルズ都市論」(3) 彼らには冷たかったロンドン


勝ってにベスト10シリーズ
リンゴのドラムス ベスト10
楽器演奏者としてのポール=マッカートニー ベスト10
ビートルズ・ワルツ曲 ベスト10
ビートルズドラッグソング ベスト10
ビートルズ・カヴァー曲 ベスト10


評論
ビートルズで最も斬新だったのはジョージ・ハリソンだ
ビートルズを利用して己の思想を語る輩、困ったものだ
09.09.09、ビートルズという名の狂気に触れて欲しい
朝の通勤時間に聴く「ホワイトアルバム」の意味とは何?
まさむねが勝手に再編成した「Let It Be」とは?
若い世代がビートルズをどう感じているのかを知りたい
リマスターCD発売時に再確認させられる自分のオタク性
ビートルズは常に我々に謎を投げかけてくる存在である
ジョンのビートルズ時代の歌詞に見る女性観の変遷
『A Day In The Life』~現代社会にぽっかり開いた穴~
ジョージの未発表歌詞は1967年物だからこそ興味津々
村上春樹とビートルズの「ノルウェイの森」における共通点
w-inds.の龍一とジョンレノンが似ている件
「Dizzy Mizz Lizzy」 ジョン=レノンの孤独の叫びを聴け
「REVOLUTION9」をどう聴くか?それが問題だ!
「REVOLVER」は今でも可能性の中心である
ビートルズの本質を表す「ラバーソウル」というタイトル
兄貴分・ポールに対する弟・ジョージの複雑な反抗心
ビートルズにおける猥歌合戦 ~ポールVSジョン~
ジョンレノンは労働者階級の歌が作れなかった
暴力的なジョンだからこそ、愛と平和を語ったのだ
愛こそはすべての 2面性
ビートルズが胃腸にいい説に関するどうでもいい感想
ビートルズメンバーの人気投票が大体、4:3:2:1なこと
ジョン・レノンミュージアムの廃館はやっぱり寂しいよね
原作を知る者なら、原盤を映画に起用するのは必然的ではない「ノルウェイの森」
やっぱり、この季節はビートルズを意識せざるを得ない
アビーロードが文化的・歴史的遺産となった日
ビートルズ国民投票の結果を受けて一言言いたくなった
「Nowhere Boy」それはあまりにも正直な男の話である
20世紀の奇跡、ビートルズ!

リンク
BEATLES ビートルズ ’69 ☆Abbey Road 40周年☆
ビートルズ・・・いつも心にビートルズ
A Day In The Life ~ 懐かしき1曲
BEATLESを歌おう♪ Yeah Yeah Yeah!
レビューの館/ビートルズ
ビートルズについてのWEBサイト:ビートルズの奇跡的軌跡
A SONG IN THE LIFE ビートルズ1日1曲
B.Songrist
In My Life with the beatles – livedoor Blog(ブログ)
晴れ、ときどきBeatles
ALL THOSE YEARS AGO ~ 過ぎ去りし日々
YOUR BEATLES
お気楽雑記帳

まさむね

Just another WordPress site