むしろ「日本は弱い国」からの再生を願う

ご覧になった方も多いと思うけど、最近旧公共広告機構(ACジャパン)が「日本の力を信じている」のCMを流して日本は強い国ということをさかんに強調しようとしているようだ。そうやってただでさえ沈滞気味の世相・風潮を元気づけよう、鼓舞しようとしている意図も分からないではないが、むしろ今こそ「日本は弱い国」ということから再出発したいと思うが、如何であろうか。

松岡正剛氏の言葉ではないが、もともと日本はフラジャイルで傷つきやすい国であり、まさに地震の多さ、津波などの災害の多さに代表されるように壊れやすい国である。その壊れやすさを前提に設計してゆくことが大事だと思う。

原発にしても核閉じ込めの「五重の壁」の防御機構とかなんとか言っても、いかに脆かったか。結局冷却機能が失われれば五重の壁も容易く突き抜けられてしまうわけで、むしろ注意の視線は脆い冷却機能にこそ向けられるべきだったのだろう。

「安全だ、大丈夫だ」の強さの誇示ではなく、これからは脆い部分から出発し、それを素直に認め、開示してみんなでその脆さをどう克服してゆくかにフォーカスしてゆくような展開こそ望みたい。もう日本は強い国ではないはずだ。財政課題然り、経済停滞然り、人口減少然り。ある面借金漬けと高齢者の国になりつつあるのだ。

国破れて、山河はあるか。山河はもうないのか。重い課題を突きつけられているような、いまも予断を許さない状況が続いている。でも強がっても仕方がない。自分たちの弱さを見つめ、もう一度そこからリスタートできるような「柔らかさ」だけは失いたくないものだ。

よしむね

「むしろ「日本は弱い国」からの再生を願う」への6件のフィードバック

  1. 日本の繁栄が永遠に続くと思ってしまう僕らは夢の中にいたのかもしれません。
    本当は何か大事なものを探し続ける努力をしなければならなかったのに、いつの間にか傲慢になっていたのかもしれません。

    井上陽水「夢の中へ」を聴きながら。

  2. それから経済成長し続けるという右肩あがりの幻想からも脱却していかなければならないのかもしれませんね。そうした前提が、肥大化、極大化してきた電力需要を招いたのかも。これからは足るを知る経済が大事になるのかもしれません。

  3. 日本人は「国(独立政府)が消えた事がない」(=「日本は強い国」の信憑性の薄い根拠)と言う歴史的事実を過信しすぎていると思います。中国はモンゴル(元)と満州(清)に制圧されて「漢民族政府」が存在しない時期がありました。中国は皇帝の家が何十回も変わっています。「万世一系」ではありません。北朝鮮・韓国は中国と日本に国土を制圧された事があります。
    アメリカでさえ「独立記念日」としてイギリスの植民地体制からの独立を記憶しています。ベトナムは中国とフランスなどの植民地の時代が合計で1400年くらいあります。
    「それが何なんだ」と言う声が出そうですが、これらの国は今では日本をしのぐ点がどこかにあります。独立した時に「新しい歴史」と温故知新が始まっていると言えます。
    つまり「失って見つける良さ」を認識すべきだと思います。
    豊臣秀吉が主人公の「太閤記」が流行したのは徳川幕府ができたからで、江戸時代が終わっているから、「江戸文化」(江戸風俗)が現代に生きていると言えます。
    ハワイでフラダンスが名物になったのは、ハワイ王国時代の風俗であるフラダンスの良さを再認識したからでしょう。
    国難に対して北風姿勢(克服する)で臨むのが良くないとも言えますね。国内外を見ると太陽姿勢(妥協する)で克服した前例もあります。

  4. えびすこさんへ

    日本は現在、曲がり角に来ていますね。

    これまで通りの価値観で、無理をしてでも、右肩上がりに進むのか、それとも、世界の流れに取り残されてでも、新しい価値観を模索していくのか。

    後者は必然的に、一時的にでも貧しくなるという選択をすることでもありますが、僕は長い目で見ればそのほうがいいようにも思えます。

    現代は、一度、日本という国が消えたと思うくらいの瞬間かもしれません。

    グローバル化に逆らってでも、今こそ、日本らしさを模索するべきだと僕は思います。
    抽象的ですみません。

  5. 良く知られた話ですが心理学的には試合・試験前に、「がんばれ」や「負けないで」を言いすぎても駄目だそうですね。ネガティブな思考の人に景気づけで、「君は強い」と言うのは効果があると思いますが、全国レベルで「日本は強い」と言っても地震の被害がない西日本には励ましの意味をなさない(なぜかこれが指摘されない)と思います。

    「東日本大震災」となったのは北海道や南関東でも死者が出たためだと思います。これを踏まえてCMの標語で気になる事で、「がんばろう東北」ではないのはなぜでしょう?駅などでは「がんばろう東北」の字があるポスターもあります。正直言うと「がんばろう東北」で一本化した方が良かったと思います。1995年の阪神大震災の時は「がんばろうKOBE」であり、「がんばろう西日本」ではなかったです。地震から7か月・180日が経過しましたが、東北東部はまだ色濃く被害が残ります。山を隔てた東北西部では被害が小さいです。
    私の住む千葉県は沿岸部でも液状化現象が起こり、浦安は壊滅的被害を受けました。

  6. えびすこさんへ

    一本気新聞へお越しいただきありがとうございます。

    貴殿のコメントで思い浮かんだのですが、今回のキャッチフレーズが「がんばろう東北」ではなく、「がんばろう日本」だったという意味は、16年前の阪神淡路大震災のキャッチフレーズが「がんばろうKOBE」だったこととの比較で見ると、より鮮明になってくるように思いました。
    残念ながら、この16年で日本の国力の弱体化が体感として感じられる、あるいは政府がより、あてにならなくなっているという背景があったのかもしれないと考えさせられましたね。

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