いじめ構造から逃れられない生徒たちが一斉に叫んだ高校演劇

9月に埼玉東南部の高校の演劇部が集う演劇祭に行った。
そこでいくつか見た演目のうちのひとつに強いインパクトを受けた。
だがきっと今後どこかで上演・発表されることはないだろう。それはちょっと惜しいので、ここでぜひ紹介したい。春日部女子高校演劇部の『ひまわり』という作品だ。脚本も演出も演劇部自身よるという。

舞台は高校の教室。出演者は女子ばかりだから、女子高という設定か。
大きく2つの部分からなる。
前半はいじめの場面。登場人物は5人で、仮にA、B、C、D、Eとする。
被害者Aが加害者C、D、Eからいじめられている。
BはAの友人で、Aがいじめられている境遇に心を痛めている。

 A=被害者
 B=Aの友人。後に被害者
 C=加害者(首謀者)
 D=加害者
 E=加害者

やがてAはいじめを苦にして、登校しなくなる。
すると、加害者CDEは次にBを標的にする。
いじめは構造であり要素は入れ替え可能だという説の通りに事態は進行する。
Bは加害者グループからの陰湿ないじめに耐えかねて(カッターナイフをつきつけて「死んでくれる?」と脅すおぞましい場面もある)、転校を決意する。
だが、Bが逃げおおせたとして、そのあとに残されたAにはどんな苦難が待ち受けているだろうか。
BはAに対して負い目を感じて、途方にくれる。

ここで唐突にストーリーは後半に移る。
移るきっかけは、
「はいカーット!」
という声。
舞台が明るくなり、みんなががやがやと集まってくる。
おお! 今までのお話は演劇部員たちによる稽古の場面だったのだ。
つまりいじめはすべてお芝居であり、架空の世界のできごとだった。
我々は陰湿な暴力から解放された。
一転して、笑いのある明るい世界が現われる。
でも明るいのは表面だけだった。ここにもいじめはあったからだ。
いじめ構造は説話次元をも超えて存続しつづけるからだ。
ただし世界が変わったら構造内の構成要素がシャッフルしてしまった。いじめ被害者と加害者が逆転したのだ。
劇中劇内でいじめられて登校拒否したAはここからは加害者。そして加害者の中心人物だったCは被害者であることが明らかになる。まるで芝居内容への復讐であるかのようだ。さっきまであんなに憎憎しい悪の塊にしか見えなかったCは、ここからは弱くてナイーブな少女にしか見えない。
またいじめに加担していたD、Eはここでは傍観者(という名の加害者)だ。
そして劇中劇でAをかばってその後被害者に転じたBはいじめ構造から逃れているらしい。
Bは演劇部の部長である。部を統率する役割を担っているにも関わらず、部内を蝕むいじめの存在に気づいていない。
部長がいるときは明るく活気のある演劇部だが、部長が姿を消すととたんに暴力が顔を出す。

 A=加害者
 B=演劇部部長
 C=被害者
 D=傍観者
 E=傍観者

AがCを執拗に追い詰める。
「最近ものがなくなるのよね。あんたが犯人としか思えないのよね」
傍観者たちも、そういえば自分たちのものもなくなった、と同調する。
身に覚えのない罪を着せられて、傷つくC。
Cはなぜか部長に苦難の状況を打ち明けない。たしかにいじめ被害を受ける子供がなかなか親に打ち明けられないという実態を我々は知っている。
Aが机に放置されたCの服をカッターで切り裂くシーンが痛い。
だが、とうとう部長は暴力の証拠を発見し、部内にいじめがあることを認識する。
部長はきびしく加害者Aを追及し、結局Aは反省して謝罪する。被害者は許す。部に平和が戻る。

だが劇はまだ終わらない。
部員がみんな去った部室で、ひとり残った部長がどこからか袋をひっぱり出す。
袋を逆さにすると、床に物が散らばる。傘や文房具やいろいろな小物。
「最近ものがなくなる」と彼女らが言っていた、あのものたちだ。
部長が犯人であり、いじめの元凶だったのだ。
「面白かったな!」と部長。激しく笑う。

だが、まだまだ劇は終わらない。
舞台に現れたDとE。
「あいつら面白すぎだ。あはははあは」
Cが立っている。
「悲劇のヒロインぶるの楽しかったのになあ。あんなやつ好きじゃないっての。あははははは」
Aが携帯電話で話している。
「もしもし、今部活終わった、ほんと今日はむかついた。あははははは」
全員、身をよじって激しく笑う。
そして、いっせいに独り言をいう、「あ~あ。みんな……」
舞台、暗くなる。
全員が叫ぶ、「死んじゃえばいいのに!」
幕。

破壊的な結末だ。観客はあっけにとられた。なんと加害者も被害者もみんなワルだったのか。
叫びの内容を見れば憎悪を読み取るしかないのだが、唱和の響きからはなんだかすがすがしさを感じる。したたかさ、力強さを感じる。この力強さはいじめ解決のヒントにつながるのか?
もちろん構造からは逃げられない。内部にとどまることしかできない。せめて一斉に叫んで孤立した共闘で、構造への抵抗を示そう、ということか。

TBSラジオ「ニュース探求番組Dig」で7月に「”いじめ”を構造から考える」という話題が放送された。たいへんに刺激的な内容だった。
内藤朝雄さんという学者が、明晰でラディカルな議論を展開していた。
TBSラジオの方針変更によって現在Podcastを聞き返すことができないのだが、議論の内容は自身のブログに掲載されている。「内藤朝雄HP -いじめと現代社会BLOG-」「2010-08-27 いじめの直し方」というエントリー。
内藤さんによると、学校という制度こそいじめの原因であることは、狭いスペースに長時間監禁すると暴力的な異常行動を起こすラットなどの動物実験からも明らかだという。学校を解体しない限り、いじめはなくならないのだ。
じつに

「いじめ構造から逃れられない生徒たちが一斉に叫んだ高校演劇」への6件のフィードバック

  1. なんだかメチャクチャ、レベル高いシナリオ。
    女子高生恐るべしですね。ちゃんと、観客がみえているのがすごい。
    でも、もしかしたら時代が進んで、自分がついていけないだけかな?

  2. まさむねさん。
    メチャクチャ、レベルが高いシナリオですよね。志が高い。
    でも、この大会で勝ち残って県大会に進むことはできませんでした。演技や発声の技術が伴ってなかったから。指導者がいなくて、自分たちだけで試行錯誤しているようです。
    そういうわけでこのシナリオはより広い舞台で日の目をみることもなく、埋もれていくことになったのです。
    それでネタバレ覚悟でここでご紹介した次第です。

  3. こんばんわ。
    劇の内容だけであっけにとられました。これ、本当に高校生が演ったのですか!?指導者がいないってことは、ストーリーも自分たちで考えたってことですよね?
    ステージで繰り広げられている場面を想像しながら読ませていただいたのですが、奥がすごく深いですね。
    最後のセリフは、ズガンっと心にきました。
    この劇実際に観てたらきっと私は泣いていたと思います。
    実際今泣きそうになり、泣きたくなりました。
    「こわい」でなく。

    で、思うのですが。私は別に学校だけがいじめの原因とは思いません。現に職場や家庭でもいじめは存在しますし、記事の最後にも書かれていた「狭いスペース」にも十分属しますし、それに狭くなくても、例えばどっかの○○王国の国王様が民衆に税を絞りとっているというのは、「広いスペースのいじめ」ではないのでしょうか?
    昔、「伝説の教師」というドラマで松ちゃん演じるなんば先生(漢字忘れました 汗)が言ってました。「あんな人いじめて楽しいものなくなるわけがない」と。昔のことなので正確なセリフは忘れてしまいましたが、ニュアンス的にはこう言ってました。
    当時小学生の私にはとても衝撃的な事実でした。
    私もそう思います。
    だれだって少なからずとも有利に立ちたいものです。どれだけ善人ぶっていようとも、目の前で誰かが自分にひれ伏す姿を目の当たりにすれば、優越感は芽生えるものです。愉快です。
    その欲がある以上、いじめは決してなくならないですし、学校や民衆がいくら「いじめ撲滅」を訴え、子供たちに教育したところで意味がない。
    なくならないのだから。

    自分が審査員だったらこの劇にシナリオ大賞をあげたいです。
    こうやってブログ記事に取り上げてもらえるぐらい、人の心を響かせることのできる力を持っているのだから、これからも頑張ってほしいですね。

  4. レベル高いシナリオですね。

    今、盛んに苛め問題が社会問題になってますが、昔もありましたよ。

    中学の時、勉強は出来るが運動音痴、体が小さい、ちょっと理屈っぽい・・・etc
    結構、苛めにあう要素があった同級生・・・

    母から「A君が苛めにあってるんだって?A君のお母さんがA君、B君が怖いから学校に行きたくないと言ってるらしいよ。あんた、何とかしてあげなさい」

    次の日から、少しずつ話しかけてやるようにしました。
    次第に苛めは無くなりましたよ。

    やっぱり、親も含めて、周りの人間が、心配して、手を差し伸べることが必要なんでしょうね。

  5. ようこさん

    コメントありがとうございます。
    最後のセリフで泣きそうになったという、ようこさんの言葉で、僕はちょっとその場面を振り返ってみました。
    身を震わせて笑う彼女たちは、本当は泣いていたのかもしれない。あのセリフは悲鳴だったのかも。

    「いじめ」は学校だけではなく、国家のレベルでもありうるというのはまさにその通りですね。
    「いじめ」というとちょっとかわいいようだけど、「暴力」という本質は変わらないわけですからね。そういえば相撲界には「かわいがり」という暴力もありました。
    「シナリオ大賞」をあげたいという言葉、この演劇部関係者に届くと、すごく喜ぶでしょうね! ぐぐってたどってここを見てくれるといいんだけど‥‥。

  6. JOHN BEATLE LENNONさん

    孤立している部分が狙われるという事実はあるかもしれないです。サッカーやバレーボールで守備の弱点が徹底的に狙われるように。
    孤立させてはいけないです。スペースは埋めなくては。
    JOHN BEATLE LENNONさんのお母さん、素晴らしいですね。
    JOHN BEATLE LENNONさんの行動も勇気があると思います。

JOHN BEATLE LENNON へ返信する コメントをキャンセル

メールアドレスが公開されることはありません。 * が付いている欄は必須項目です