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2008年FNS歌謡祭 斬らせていただきました

FNS歌謡祭
FNS歌謡祭

恒例のFNS歌謡祭が昨日あった。
4時間を越す長丁場。これだけ長いといいシーンも悪いシーンも、いいアーティストも悪いアーティストもごった煮状態。

勝手に概観を語ってみたい。

ノッケに出てきたのがSMAP。
ツアーの最終日という事で、札幌の会場からの生中継だ。
番組の冒頭にSMAPでつかんでという意図は分かるのだが、演目が無名曲だったのが残念。
「夜空のムコウニ」「世界に一つだけの花」位のサービスがあってもよかったような。
だって、クサっても歌謡祭だからね。
局とアーティストの力関係が露骨にでた瞬間でもあった。
ちなみに、いつもの草彅剛が不在のため、フジの局アナが司会。時々ニュースとか読んでる顔の四角い人。
剛とは四角つながりか。そんな安易な人選でよかったのか。

さて、SMAPのパフォーマンスだが、そこそこ...いや、実は辛かった(笑)...

二番手はWAT。SMAPの後だから、逆に実力を示せばチャンスかと思ったが、こちらも残念、轟沈。

そして、次は大橋のぞみと藤岡藤巻のポニョ。(親父の一人は過労で不在。のぞみちゃん無関心。)
さて、ポニョには、のぞみちゃんが歌えば、それがスタンダードになるという強みがある。
音のはずしも、当て振りの遅れも含めて彼女がやることが正解なのだ。

この後は、順不同。気になったアーティスト羅列させていただきます。

まずは、広瀬香美。
片桐はいりではなく広瀬香美。
周囲にPerfume、Pabo、青山テルマ、絢香を従えてのメドレーの披露。
Perfumeは音声にデジタル処理してないと結構辛い。
Paboの歌はカラオケ並か。
聴かせところは、絢香とテルマの歌合戦だが、押しの強さで絢香に軍配上がる。さすが大阪人。
本人・香美は、残念ながら高音出ず。

芸能人の”お仕事”をバッチリ披露したのが、郷ひろみ。
いつでも、ギャラ分のパフォーマンスは必ずこなす安定感は随一。
おそらく、郷ひろみがいつまでも若く見えるのは、彼が他のアーティストとの比較が成り立たないほどユニークなためか。
逆に言えば、SMAPなんかは、同類として嵐とかNEWSとかと比較されるから、劣化した印象を貫禄でごまかすしかないという辛さはあるよね。

途中、登場してきたのが、自称・エンタマイスターの小倉智昭氏。
たまにカメラが向くゲスト席で一人で、はしゃいで手を叩く。
そんなに首振って”帽子”ずれないか?
マイクを向けられ、嵐のことを「普通のいい子達ですよ」とバッサリ。これって褒めてるの?一応、スターなんだけどさ。
一方、EXILEには気を遣って、尊重。
そのEXILEは2曲披露。艶かしい。可も無く、不可も無く。

今年初といえば、ジェロ。
HIP-HOPのバックダンサー付きのパフォーマンス。
この人、実は、こういう音楽やりたいのかも。
10年後、独り言で「本当は、ダンスミュージック好きだったんだ。演歌はおばあちゃんに無理やり歌わされてたんだ」って告白したりして。
それにしても、この人の持ちネタとしての「おばあちゃん孝行」はいつまで続くのか。
その日本人のおばあちゃんの他にも、おじいちゃん二人、もう一人のおばあちゃんいるだろうに、それらの方々の話はいつも一切無しだからね。

その他、ミスチル、ゆずのトイズ系は無難。
浜崎はSEASONSのアカペラ頑張った。耳大丈夫か。いろんな意味で正念場。客席にTOKIOいたが、カメラ捕らえず。
そして倖田來未。今年を振り返るも、羊水発言には触れず。当たり前か。

それに織田裕二。誰もが山本高広のパフォーマンスが目に浮かんでしまう昨今、周りの人たちが微妙に気を遣っていて、薄暗い苦笑。
一瞬、ゆずの北川とツーショットに。「お互い月9数字取れませんな」とのヒソヒソ話が聞こえてきそうな場面。

そしてV6。簡保さんが踊ってた。それだけ。
TOKIOは地味な扱い。個人的に松岡のドラムとか上手だと思うんだけどさ。
矢島美容室の歌は実は僕は好き。途中マイク飛んだけど、声は聴こえてた。さすがタカさんだ。ただ、この矢島美容室企画って、代理店臭が強すぎない?

番組の間に入る過去の映像。ジュリーや山口百恵、松田聖子、やっぱり時代を創ったアーティストって魅せるよね。
でも一番インパクトがあったのが、尾崎豊。これこそ、一曲入魂というのだろう。
トップを維持しようとするとき、SMAPのように貫禄を出す方向に行くという手段もあるが、尾崎豊のように常にその番組で、一番のパフォーマンスを目指し、闘い続ける姿勢をくずさないアーティストの方がインパクトあるよね。

あっという間の4時間半。最後にまたSMAP。
「この瞬間、きっと夢じゃない」を披露。特にコメントなし。

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まさむね

 

(R&B)+平安文学=EXILE

CDのミリオンセラー(シングル)が出なくなったよね。
このままで行けば、今年は一曲も出ないかもしれない。
おそらく、こんなことは、1990年以降では初めての状況である。

でも、こんな時代ではあるけど、現在、最も、今日的なメジャーアーティストは誰かと問うならば、EXILEという答えに異存無い人は多いと思う。それほど、彼らの楽曲はヒットチャートの常連なのである。
さて、このEXILEであるが、その特徴はR&Bを基礎とした官能的なサウンドと世界観にある。
わかりやすい言葉で言えば、その世界は「不在の彼女(彼氏)が残していったぬくもりを愛おしく思う一瞬」を歌にした感じだ。

例えば、彼らの代表曲「ただ・・・逢いたくて」。

ただ逢いたくて…もう逢えなくて
くちびる噛みしめて泣いてた。
今逢いたくて…忘れられないまま
過ごした時間だけがまた一人にさせる

そして、昨年のヒット曲「I believe」。

君のもとへ飛んで行きたい
いつもそばで感じていたい
瞳閉じて君を映し出す
今だけは寄り添って 君だけを感じたい
繋いだその手を 離さないように
君がいる季節は 何よりも輝いて
優しく包んでくれるから

さらに、最新のヒット曲「Ti amo」。

日曜日の夜は ベッドが広い 眠らない想い 抱いたまま朝を待つ
帰る場所がある あなたのこと 好きになってはいけない わかってたはじめから
どれだけの想いならば 愛と呼んでいいのでしょうか?
この胸をしめつけてる この気持ちに名前をください

これらの歌詞には、くちびる、瞳、手、胸という肉体的な言葉がちりばめられているが、それが彼らの創り出す世界をなまめかしくしているんじゃないかな。
相手の不在を想い、心を焦がすというのは、恋の基本シチュエーションだが、このEXILEの世界の艶かしさって、どこかであったなぁと思い返してみると、実は日本の伝統、平安王朝の和歌の世界がまさにそれなんだよね。言うまでもないんだけど、平安時代の貴族階級ってのは、通い婚なんだよね。男が女の屋敷に夜這いをかけるのが唯一の逢う方法。だから、女は待つしかない。その待つ身の切なさが平安文学を生む土壌にあるんだよね。

例えば、その代表歌が、待賢門院堀河の有名な一首。百人一首にも引かれてるから知ってる人も多いと思う。

ながからむ心もしらず黒髪の乱れて今朝はものをこそ思へ
(ずっと好きだよって言うあなたの気持ちも、本当かなぁって思ってしまう。あなたが行ってしまった朝の寝乱れた黒髪のように心が乱れるんだから)

また、同じく百人一首にある藤原道綱の母の一首。

嘆きつつひとりぬる夜の明くるまはいかに久しきものとかは知る
(また、来てくれなかったあなたのことを嘆きながら過ごす独り寝の夜が、こんなに長いなんて、あなた、わかってるのかしら)

ねっ、EXILEの世界と通底しているでしょ。
EXILEが、現代日本で受けているのは、R&Bのリズムと日本独特の平安貴族の感性の融合が生み出す肉体性(官能性)なんじゃないかな。

だから、昨年の日本レコード大賞の授賞式で、最優秀歌唱賞受賞の瞬間、ATSUSHIの後ろで作り笑いをしていたパフォーマーの面々、そんな顔をする必要は無いんだよ。
パフォーマー達のダンスがあるからこそ、EXILEの世界の肉体性がリアリティを帯びるんだからね。

まさむね

小室哲哉、夢に裏切られた男

僕がここで書いてみたいのは、彼がいろんな人に騙され、いろんな人を騙そうとして詐欺罪で逮捕される経緯というような裏の話ではない。
彼の音楽が1998年あたりから、何故、売れなくなったのかという事と、彼は何故、アジアに進出しようとして、そして失敗したのかという問題だ。

小室さんのプロデュース曲が次々とミリオンヒットを続けていた時期、それは1990年代の中盤から後半にかけてだ。
時は、女子高生ブーム全盛。僕の個人的なことを言えば、この頃、「女子高制服図鑑」とか「100万人の女子高生」というCD-ROMの制作にかかわっていた。
同じ頃、彼がプロデュースした安室奈美恵や華原朋美は、コギャル達のカリスマと言われ、楽曲は、ストリートコギャルの応援歌としてもてはやされていた。
小室さんの作る曲、詞は確実に彼女達をリアルに捉えていたのだ。

Lonelyくじけそうな姿 窓に映して
あてもなく歩いた 人知れずため息をつく
I’m proud 壊れそうで崩れそな情熱を
つなぎとめる何かいつも探し続けてた

-I’m proud -(華原朋美)

今日もため息の続き
1人街をさまよっている
エスケープ昨日からずっとしてる
部屋で電話を待つよりも歩いてる時に誰か
ベルを鳴らして!

-SWEET 19 BLUES-(安室奈美恵) 

当時、小室さんは、これらの曲を、スタッフ達と十分に、戦略を練って作っていたんだと思う。
そしてその戦略は見事成功した!
音楽業界におけるマーケッティングというものが、まだ、嫌らしさとも、嘘っぽさとしてとも、意識されていなかったこの頃、コムロサウンドは街を席巻したのである。

しかし、1998年頃に潮目が変った。それは音楽界だけでなく、社会的にも変った。

この頃、この社会的変化を象徴する二つの事件が起きている。

一つが、山一證券の廃業だ。
これは、「学校に行って、いい企業に入って真面目にやっていれば一生安泰」という夢の崩壊の象徴である。
そしてもう一つが、和歌山の砒素入りカレー事件だ。
こちらも「日本中どこにでもある共同体。そこに普通に暮らしていれば安心」という夢の崩壊の象徴である。

社会学者の山田昌宏氏は、この年に起きた、大きな社会的変化を1998年問題としてまとめている。
以下に上げるものの数が、この年に激増しているというのだ。

自殺者数
青少年の凶悪犯罪(殺人、強盗、強姦)の数
成人事件の強制わいせつ認知件数
セクハラ相談件数
児童虐待相談処理件数
離婚件数
できちゃった結婚の数
不登校児童の数
高校の中退率

このような現象は、それまで日本を支えていた社会システムの崩壊と言い表せると思う。
そして、コギャル達は、厳しい現実を前に、夢から醒めて、ルーズソックスを脱ぎ、ストリートから、それぞの家の中へと戻っていた。
それとともに、彼女達の応援歌=コムロサウンドも街から消えていったのである。彼が生み出したミリオンヒットは、1997年の安室奈美恵のCan you celebrate?と華原朋美のHate tell a lieが最後になった。コギャルの卒業ソングと解釈されたCan you celebrate?と、”嘘”との決別を表現していたHate tell a lieが、小室さんの最後のミリオンヒットとなった事実は、音楽シーンの流行にとって、誠に示唆的であったと思う。

一方、音楽界では1998年という年は、多くの画期的な新人が登場している。
宇多田ヒカル、浜崎あゆみ、aiko、椎名林檎、MISIA等、自分の個性を、自分の言葉とサウンドで表現できるミュージシャンの多くはこの年のデビューである。
大人が作って、タレントに歌わせ、タレントと同世代の女の子がCDを買い、メガヒットを記録するといった業界にとって幸福な時代。実は、この頃には既に終わっていたのかもしれない。
別の言い方をするならば、多くの視聴者はこの頃、より、共感出来る曲、リアルで本物の叫びとサウンドを求めたのである。
しかし、残念な事に、小室さんはこの流れについていけなかった。この年、彼の主な仕事は、鈴木あみをデビューさせることだったのだから。

勿論、パブリックイメージとしての小室哲哉は、まだ全盛である。特に小室さんを利用しようとする人々にとっては。
その翌々年の2000年の沖縄サミットでは、各国首脳の前で小室哲哉プロデュースの「NEVER END」という曲が披露されている。
小室さんの人生の絶頂とも言えるイベントである。

しかし、水面下では既に、終わっていた小室さんにとって「NEVER END(決して終わらない)」という曲は、今から見ると皮肉にしか聴こえない。

Never End Never End 私たちの未来は
Never End Never End 私たちの明日は
Fantasy 夢を見る 誰でも夢を見る
数えきれない やさしさが支えてる

-NEVER END-(安室奈美恵)

さて、この「NEVER END」では、Fantasy(夢)が歌われているが、実は、小室さんにとってのFantasy(夢)は2つあった。
一つは、「小室哲哉の楽曲は時代を超えて、永遠に通用するものだ。」という夢であり、それは上記のような時の流れによって否定されてしまった。

そしてもう一つは、「小室哲哉の楽曲は国境を越えて通用するものだ。」という夢であった。
実際に、今日の小室さんの転落の大きな原因は、彼の大陸進出の失敗と言われている。
実は、彼はここでもFantasy(夢)に裏切られたのである。

『Jポップとは何か』(烏賀陽弘道)によると、「Jポップ」という名称が運んだのは「日本のポピュラー音楽が世界に肩を並べるようになった」というファンタジーだったという。
すなわち、元々、Jポップという名前には、ある種の欺瞞があったというのだ。
それは、日本国内市場向けの音楽であるにもかかわらず、Jポップという名前によって、あたかも世界で通用しているかのようなイメージを生み出し、それによって国内市場で成功させようとしたのだという。
これは、”世界の”という冠詞をつけることによって、国内向けに売り出そうとする手法と同じ発想だ。世界のジャイアント馬場とか、世界の北野武とか、世界の三宅一生とか...

恐らく、小室さんは、このJポップのFantasy(夢)をベタに信じてしまったのだ。
しかも、先導するのは自分だという自負もあったんだと思う。

しかし、夢は夢だったのである。本来だったら、アジア市場を研究して、海賊版天国である事を踏まえるべきだった。パッケージはあくまでも宣伝という位置づけにして、コピーされることを前提に、とにかく認知度、高級なイメージを広めて、ライブでビジネスという方向も考えられたかもしれない。

このように、小室哲哉は、楽曲・才能の永遠性という夢、世界性という夢、いろんな意味で、夢に裏切られてしまったのだ。

さらに言えば、小室さんは、逮捕直前、最後の最後に誰かが救ってくれると夢想していたともいわれている。「NEVER END」における、”数えきれない やさしさが支えてる”という夢にまで、彼は裏切られたのである。

まさむね

不安時代の旅人、ミスチル

日本の90年代、「失われた10年」と言われた。
この時代を境にして、様々な点において、日本人が今まで行ってきた行動パターンの安定性(安全性)が根底から揺らいだ。
これらの不安は、経済面だけでなく、安全保障面、治安面、社会制度面等、あらゆる場面で見られているのだ。
そして、そこから来る不安は、小泉改革を経た現在まで続いている。
いや、現代の不安はさらに大きくなっていると言うべきかも知れない。
それまでは、普通の人が普通に生活していけば、一生、安泰に暮らせたのがそうでない時代が来てしまったということだ。

さて、こんな時代の人々の心情を最も表現しえてスーパースターの座に上り詰めたのがMr.Childrenである。
ソングライターの桜井和寿は、多くの楽曲で、こんな不安な時代の生き方を”旅”に例える。

誰もが胸の奥に秘めた迷いの中で
手にしたぬくもりをそれぞれに抱きしめて
新たなる道を行く
(「CROSS ROAD」 1993)

僕は僕のままでゆずれぬ夢を抱えて
どこまでも歩き続けていくよ いいだろう?Mr.myself
(innocent world 1994)

心のまま僕はゆくのさ 誰も知ることのない明日へ
(Tomorrow never knows 1994)

長いレールの上を歩む旅路だ
風に吹かれてバランスとりながら
“答え”なんてどこにも見当たらないけど
それでいいさ 流れるまま進もう
([es]~Theme of es~ 1995)

いいことばかりでは無いさ でも次の扉をノックしたい
もっと大きなはずの自分を探す 終わりなき旅
(終わりなき旅 1998)

どちらに転んだとしても それはやはり僕だろう
このスニーカーのヒモを結んだなら さぁ行こう
(優しい歌 2001)

旅立ちの唄
さぁどこへ行こう?またどこかで出会えるね
(旅立ちの唄 2007)

しかし、これらの”旅”は、僕には孤独で薄ら寒いもののように思える。
それは、先の見えない、しかも、終わりがあるかどうかもわからない旅なのだ。
不安を抱えながら、社会という化物によって、旅立たざるを得ない状況に追い込まれている現代の僕たち。
頼れるのは、自分しかいない。
しかし、その自分も、不安に満ちた、頼りない子供のようだ。

彼らが自分達のバンド名に選んだMr.Children。
彼らが意識しているかどうかは知らないけど、社会から、無理矢理に大人としての(Mr.)を冠された子供たち(Children)という名前は、彼らの作品の基本テーマそのものである。

まさむね

70 年代ユーミンの役割

桑田佳祐の楽曲は、彼の内面的な妄想をモティーフにしているのに対して、もう一人のスーパースターのユーミンは、あくまで自分の外部の風景と物を楽曲に、歌い込みながら、リスナーに対して新しい価値観とライフスタイルを啓蒙していく。

例えば、ユーミンの初期の楽曲でバンバンに提供した「『いちご白書』をもう一度」は1975年に大ヒットするのだが、この曲のテーマは、学生闘争時代(60年代後半~70年)へのノスタルジーであるとともに、過去への絶縁歌である。
無精ヒゲを伸ばして、学生運動に参加した「僕」は、髪を切って就職して、その時代を捨てる。
当時の時代を映した「いちご白書」のリバイバルポスターに懐かしさを感じる。あくまで過去の遺物として。

また、翌年に発表した「中央フリーウェイ」、象徴的ではあるが、この楽曲も、新しい時代の価値観を表現している。

中央フリーウェイ
調布基地を追い越し
...
片手で持つハンドル 片手で肩を抱いて
愛しているって言っても聞こえない
風が強くて
...
中央フリーウェイ
右に見える競馬場 左はビール工場

調布基地(1974年に米軍から都と市に返還)、これは安保反対、60年代の政治闘争の象徴だった。
この調布基地をあっさりと追い越し、その先にあるのが、新しい価値観だ。
彼女に肩に手を回して高速を走る、これこそ新しい若者の憧れのスタイル。
同時に、ギャンブル=競馬場、酒=ビール工場を横目で見る。これらは、新らしい享楽主義の象徴だ。

こうして、70年代~80年にかけての若者は、ユーミンの楽曲を聴きながら、新しい価値観を自然に身に付け、新しい恋愛の作法を学んでいった。

例えば、「A HAPPY NEW YEAR」は、家族と雑煮を食いながら、テレビを見る位がせいぜいだった僕たちの正月に、街路樹のある街を走りながら恋人に会いに行くという正月というものもあるのだという事を教えてくれた。

「手のひらの東京タワー」では、金色の東京タワーの鉛筆削りを恋人にプレゼントするのだが、その時、彼女は彼氏につぶやく。

子供じみていると 捨ててしまわないで
つぎはあなたの夢 私に下さい

乾坤一擲の名セリフだよね。

ところで、この鉛筆削りには「根性」の刻印はあったのだろうか。

まさむね

桑田佳祐 普通のモテない男の妄想歌

加勢大周が覚醒剤、及び大麻の不法所持で逮捕された。

加勢大周といえば「稲村ジェーン」だ。
駄作だという人も多いようだが、僕は逆。桑田さんのいろんな想いが詰まった名作だと思う。
見れば見るほど、奥深いんだよね。

暑かったけど 短かったよなぁ…夏

この映画のキャッチコピーがこれだ。
期待に胸を躍らせながら迎えたのはいいけど、何もなかった夏。
誰しもが経験したホロ苦い青春の1ページ、「稲村ジェーン」のテーマの一つなんだけど、それは、桑田佳祐の音楽のモティベーションでもあると思う。

あるデータによると1955年~1964年生まれの70%位の男性の結婚前に付き合った女性の数は3人位までという。
結婚する平均年齢を30歳位とすると、15歳~30歳の15年で3人というのは、どう考えても多いとは言えない。
また、ちなみに結婚まで一人ともお付き合いしたことない男は15%いるらしい。
ようするとほとんどのこの年代の男は基本的にはモテてないのである。

桑田さんの音楽が多くの人の共感を呼ぶのは、この年代に属する彼の”モテなかった夏の記憶”が歌の歌心の根本にあるからだというのが僕の説だ。

C調言葉に御用心、経験Ⅱ、マンピーのG★SPOT、ゆうこのマンスリーディ、いなせなロコモーション、気分しだいで攻めないで…

桑田さんの曲って猥歌が多いでしょ。
70年代の学生って異性と知り合える機会が少なかったから、大多数のモテない男同士は、誰かの下宿とかで、ギター弾きながら、みんなで猥歌を歌って発散したんだよね。
桑田さんの音楽ってこういう発散の男文化の尻尾をひきづってる。(ところで、最近の若い人の間で猥歌文化ってまだ生き残っているのかな?)

恐らく、桑田さんの青春も、上記データで見られるような普通の男達と変らなかったんじゃないかな。
最初、桑田さんが青学の軽音楽部に入った時、後に奥さんになる原由子は友達と「あの人、怖くて気持ち悪いから近寄るのやめようね」と話をしたという。
また、この2人が結婚する時、桑田さんは「俺は童貞だから」と言い張っていたけど、まんざらでもない感じがしたものだ。

モテなかった男の作品は、だから、現実には役立たない。

一般的にポップミュージックというのは、視聴者にとって、資本主義的啓蒙の側面がある。
例えば、ユーミンの歌詞に出てくるちょっとしたフレーズは、多くの視聴者にとって、憧れるべきニューライフのアイテムになっている。
これらのフレーズは、若者の消費行動の斜め上にあって、知らず知らずのうちに、ある方向に人々を導くものだ。

緑のクーペ(DESTINY)、窓辺に置いたイス(翳りゆく部屋)、裏通りの飲茶(昔の彼に会うのなら)…

しかし、一方、桑田さんの楽曲にはこういった憧れの消費財が出てきて、それが僕たちを巻き込んでくる事はあまり無い。
それは、彼が歌を作るときの視線が、現実のモノに向いてないからだ。彼の歌は、頭の中の妄想で成り立っているのだ。

しかし、この妄想のエネルギーはとっても強い。
桑田さんの曲が未だに、人々の心をつかんで離さないのは、彼のいろんな想いがつまったエネルギーの強さによるところが多いのではないか。

これは、映画「稲村ジェーン」の魅力にも通底しているのだ。
この映画、もう一度、じっくりと見たい。

まさむね

モーニング娘。の奇跡

「ハロモニ@」の放送が終了した。
最近、他の番組でモーニング娘。を見る機会が激減していたので、この番組の終了はまことに残念だ。
この番組の視聴率が0.1%になった、みたいな、つらい情報がしばしば流れていたので、いつかはこうなる日が来るかもと思っていたが、その時はあっさりと訪れてしまった。

くしくも、そのハロモニ@の最終回が放映された週にモーニング娘。の最新シングル「ペッパー警部」が発売された。
本日のオリコンウィークリーでは3位、売上げ枚数は、発売枚数は1週目で38,596枚だ。

この数字は高いのか、低いのか。

一般大衆的な感覚では、はっきり言って、モーニング娘。は過去のグループである。
しかし、業界全体として、CDの発売枚数が激減している中でこの数字は決して悪くない。
いや、逆に言えば、モーニング娘。は凄い。あるいは極論すれば奇跡ではないのか。

下記の通り、CD発売1週間での発売枚数(生涯売上枚数ではない)は、ここ4年位、若干の上下はあっても、それほど変っていないのである。

2008/09/24 ペッパー警部 38,596枚 3位
2008/04/16 リゾナント ブルー 48,086枚 3位
2007/11/21 みかん 28,082枚 6位
2007/07/25 女に 幸あれ 43,364枚 2位
2007/04/25 悲しみトワイライト 53,551枚 2位
2007/02/14 笑顔YESヌード 40,884枚 4位
2006/11/08 歩いてる 40,967枚 1位
2006/06/21 Ambitious! 37,065枚 4位
2006/03/15 SEXY BOY 36,531枚 4位
2005/11/09 直感2 43,535枚 4位
2005/01/19 THE マンパワー!!! 51,421枚 4位
2004/11/03 涙が止まらない放課後 50,967枚 4位
2004/05/12 浪漫 36,531枚 4位
(オリコンのHPによる)

世間の視線からモーニング娘。が”消えて”しまった中、上記の数字は、このグループのファンの忠誠心の異常な高さを示していると思う。

もともと、モーニング娘。はASAYANというオーディション番組から出てきたユニットである。1997年につんく♂が開催したオーディションに落選したメンバー(中澤裕子.石黒彩.飯田圭織.安倍なつみ.福田明日香)が敗者復活を期して結成されたグループである。
それゆえ、彼女達の初期のウリはハングリー精神だったのだ。だらか、彼女達のパッケージ写真の流れを見ていくと、「サマーナイトタウン」「抱いてHOLD ON ME」から、メジャースターダムの地位を確立した「LOVEマシーン」まで、決して笑っていない。
逆にこちらに対して挑戦的な視線を向けているではないか。特に安倍なつみのギラギラした態度は、初期のモーニング娘。を象徴している。

さて、このグループをささえるファンたちは、伝統的なアイドルオタク達がアイドル史の流れでファンになったというよりも、いわゆるアイドルヴァージンの男達がモーニング娘。登場の衝撃によって、オタク心を喚起され、ファンになったと言われている。
すなわち、「最初がモーニング娘。」っていうファンが多いんですね。
それが、彼らの忠誠心の高さの原因とされる事が多い。

と同時に、ある社会学者の調査によると、モーニング娘。のファンには地方公務員が多いというが、彼らの職業倫理がファン倫理に横滑りしているのだ。それが、彼らの忠誠心の強さの一因になっているのかもしれない。
ファンクラブの退会理由の一番が「一身上の都合」であるという伝説があるが、モーニング娘。のファン層を考えると、むべなるかな、って感じなのである。

もし、今後、モーニング娘。の人気が下降する日が来るとすれば、地方改革、金融不況の果てに、地方公務員のリストラあるいは、その財布を脅かす状況が進行した時であろう。

いや、そんな時が来ても彼らは忠誠心を持ち続けるのかもしれないし、持ち続けてほしい。

まさむね

安室奈美恵は孤高の戦士だ

安室奈美恵の最近のベストアルバム「BEST FICTION」が久々にミリオンセラーを記録した。

90年代の後半にストリート系女子のリーダーとして、少女達に音楽は勿論、ファッション、その生き方にまで多大な影響を与えた安室奈美恵。
彼女の音楽は、そんな時代の共感者への応援歌であり、その存在は、時代のカリスマとでも呼ぶべき光を放っていた。
その後、結婚、出産、母の死、離婚、育児等の様々な人生経験を重ねる一方で、小室哲哉から離れて独自の音楽世界を追求していくが、一時期、ヒットチャートから見放された時期もあった。しかし、一昨年頃から、再び復活してきたのである。

時代が彼女に追いついたという事であろうか。
あるいは、時代と彼女が再び邂逅したという事なのであろうか。彼女の音楽の一途さ(HIP
HOPへのこだわり)が、かつてのアムラー世代だけでなく、現在の高校生も含んだ幅広い層の女の子達の共感を呼び起こし、その生き方のカッコ良さ、すなわち、リアルな安室に対する憧れがそのまま、今回の大ヒットにつながったということなのかも知れない。

しかし、ファンが彼女の姿に憧れれば憧れる程、「みんなが見ている私のキャラクタはリアルじゃないのよ。ウソなのよ。誰も私の事なんてわかってないわ。」とでも言わんばかりに世間に対して屹立しつづける安室奈美恵。
自分で名付けたという「BEST FICTION」(最高の虚構)というアルバム名はそのことを明確に表現している。

彼女は、何物にも媚びず、逆に突き放すことによって、常に、上の次元をキープし続けるのだ。その孤独な強さこそが、安室奈美恵のカッコ良さの本質なのではないだろうか。

僕には、彼女が踊りながら歌う姿は、我々のあずかり知らない別次元の何物かと一人闘い続ける孤高の戦士にも見える。
そして、その姿は10年の時を超え、再び、時代への応援メッセージとして現代の女の子達に届いているのである。

まさむね

篤姫と世界に一つだけの花

先日、篤姫の「己の心に従って行動せよ。」という行動原理に関して話をした。

この行動原理の基となる価値観は、我々の”外”のどこかに普遍的な真実が存在しているのではないということだ。

逆に言えば、真実はそれぞれの個人の中にある、尊重されるべきは個性だという事にもつながる。

2003年3月に発売され、今世紀最大のヒット曲となったSMAPの「世界に一つだけの花」は、このような”個性主義”の応援歌としてあまりにも大きな影響を社会に与えた。最近では、学校の卒業式などでも歌われるという。
でも、この歌を歌わせて、ハイさようならっていう学校はいいかもしれないが、現実社会は、この歌のようにはいかない。(元々、花屋の店先に並んでいる花は品種改良をされ、間引きを逃げ抜けたエリートじゃないかっていう批判もある。)

先日、家の近くの花屋の店先で、店長が店員に花を投げつけて、なにやら怒っていた。悲しすぎる光景であった。

最初は、ナンバーワンになろうと思ったけど、この歌の影響でオンリーワンでもいいかって悟り、競争から降りたはいいけど、社会から、オンリーワンなんて不要ってNoを突きつけられた挙句、就職できなくて、ロンリーワンという名のニートになってしまった人、多いんじゃないかな。

現実はいつも残酷だ。

まさむね

思想犯としての「花」、その無邪気な罪

2004年から2005年にかけての大ヒット、ORANGE RANGEの「花」。

この曲を主題歌にした映画「いま、会いにゆきます」も大ヒット。
主演の中村獅童と竹内結子との恋愛>結婚>出産。
この歌のイメージも手伝って、純愛カップルとして世間の祝福を受けるも、今年2月に離婚。

だから、今改めて、「いま、会いにゆきます」を見ると、中村獅童と竹内結子の演技が秀逸なだけに、なんだかとても残念だ。
「愛し合って ケンカして、色んな壁 二人で乗り越えて、生まれ変わっても あなたのそばで
花になろう」って言っていたんじゃないの?って突っ込みたくなってしまう。

まぁ、現実というのは常に残酷で不透明なものだから、言っても仕方ない事なんだけどね。

さて、この「花」であるが、よくよく聴いてみると、あまりにも主観的な歌詞である事に驚かされる。
相手の事を一方的に好きになって、思いつめるモノローグは引いてみるとかなり”痛い”。

二人の出逢いにもっと感謝しよう
あの日 あの時 あの場所のキセキはまた
新しい軌跡を生むだろう

何故キミに出逢えたんだろう
キミに出逢えたこと それは運命

君の喜び 君の痛み 君の全てよ
さぁ 咲き誇れ もっと もっと もっと

社会全体が、性的異常者の存在自体をネグレクトし、ストーキングに対して、どんどんと狭量になっている一方で、このような、”痛い”内面を支える大ヒットが何の後ろめたさも無く、次々に再生産されている現実。

しかし、何か性的な事件があると、美少女ゲームやエロサイトは槍玉に上がるが、”思想犯”としての「花」は追求されることはない。

まさむね