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カテゴリー別アーカイブ: 歴史・家紋
片喰紋 -平和的、協調的、平凡な極めて日本的な紋- 長曾我部元親、田中正造、藤子・F・不二雄...
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梶紋 -永遠の敗者として奉られた軍神の紋- 小松帯刀、加山雄三、安倍晋三...
梶紋は、諏訪大社の神紋と知られている。
ご存知の通り、諏訪大社は、建御名方神(たけみなかたのかみ)を奉ってる。
この建御名方神は天孫降臨の際に、大国主神(おおくにぬしのかみ) の子として、建御雷神(たけみかづちのかみ)と戦うが、敗れ、諏訪の地に逃れ、奉られたという。
実は、建御名方神が奉られてある諏訪大社は、ちょうど、ライバル、建御雷神が奉られてある鹿島神宮の真西にある。
建御雷神は、建御名方神に対する優位を永遠のものにしようとしたのだ。
東と西、大相撲でも東の方が西よりも格上とされる伝統はここから来ている。
しかし、不思議なのは、むしろ多くの武士にとって人気を博したのはこの敗れた神(建御名方神)だったということだ。
梶紋は、この建御名方神を軍神として崇めた武士たちの発展とともに広まったのである。
全体としては、30位に入っていないが、諏訪大社のお膝元の長野県(15位)、山梨県(8位)。群馬県、愛知県、東京都、岐阜県、徳島県、鹿児島県では30位に入っている。
梶紋を持つ有名人は以下。


諏訪頼満の嫡孫・諏訪頼隆の子。上原城城主。武田信玄によって上原城を攻められ降伏。弟の頼高と共に武田氏の本拠・甲府に連行され東光寺に幽閉された後に自刃。2007年のNHK大河ドラマ「風林火山」では小日向文世(画像)が演じた。家紋は梶の葉紋。


三河譜代の名門、戸田氏の嫡流・戸田松平家の分家の出自。幕府内の海防掛に徳川斉昭、戸田忠太夫、藤田東湖らと共に参与。また水戸藩で日本発の軍艦 旭日丸の建造に参与するなどして日本の海防に功績を残す。回天神社祭神。家紋は丸に立ち梶の葉。


伊勢国一志郡須川村の郷士松浦桂介の四男。松浦家は、肥前国平戸の松浦氏の一族で中世に伊勢国へ来たといわれている。1844年に蝦夷地探検に出発。その探査は択捉島や樺太にまで及んだ。北海道という名前を考案した。画像は染井霊園の墓所にて撮影。


防州小周防村生まれ。父は医師の手塚治孝、母は瀬脇氏。墓所には後に改名した瀬脇寿人の名前が見える。英語の重要性を早くから認識。桂小五郎にも英語を教えた。門人から西周、津田仙など優れた英学者を輩出。家紋は立ち梶の葉紋。青山霊園にて撮影。


薩摩国出身。島津久光に重用され西郷、大久保などの下級藩士と藩主とを繋ぐ役として重要なポジションをこなした。帯刀の紋は一般的には抱き鬼菊の葉とも言われているが小松家は禰寝氏の流れのため梶紋の流れを汲む抱き鬼梶の葉とみなす。


佐賀藩多久邑出身。父は多久家家臣。読みは、つるたあきら。江木鰐水に学ぶ。江藤新平に命じられ司法省調査団として井上毅らと渡仏。陸軍刑法、海軍刑法、旧商法、他を起草。元老院議官。家紋は平戸梶紋。画像は谷中霊園の墓所にて撮影。


薩摩国鹿児島城下山之口馬場町の薩摩藩藩医、鮫島淳愿の子として生まれる。薩摩藩の留学生としてロンドンで学ぶ。「外国交法案内」を著す。仏特命全権公使時代に、条約改正に尽力。家紋は丸に立ち梶の葉紋。画像は青山霊園の墓所にて撮影。


薩摩国鹿児島郡出身。日本海軍のオーナーと言われた。また内閣総理大臣時代には軍部大臣現役武官制を廃止した。最終階級は海軍大将。財部彪、山路一善、上村従義、松方乙彦の岳父。家紋は抱き鬼梶の葉紋。画像は青山霊園の墓所にて撮影。


大坂出身。家は国学者の家系。陸軍大学校、東京帝国大学、早稲田大学などで憲法、国際法を講じる。日清戦争、日露戦争には法律顧問として従軍。著書『社会学』は日本初の体系的な社会学的著作。家紋は鬼梶の葉に二本筆紋。青山霊園の墓所にて撮影。


兵庫県明石市出身。医師の息子。建築家としては帝国劇場、三越日本橋本店等を設計。実業家としては計測・制御機器メーカーの電気計器研究所(現横河電機)を創業した。墓所の家紋の梶の葉は、葉が七枚の変わり紋。画像は多磨霊園の墓所にて撮影。


信州・伊那出身。上京し上野輪王寺の御用商人となる。銀座に小松食堂を開業。 日比谷公園の内の松本楼を入手。孫文の支援者で日活の創業者・梅屋庄吉とは姻戚関係。衆議院議員、貴族院議員を務める。家紋は丸に梶の葉紋。画像は谷中霊園にて撮影。


愛媛県出身。読みは、あべよししげ。松山城下の小唐人町に生まれる。妻は藤村操の妹。法政大学教授、京城帝国大学教授、第一高等学校校長、貴族院勅選議員、文部大臣、学習院院長を歴任。家紋の丸に立ち梶紋は安倍家(晋太郎、晋三)と同じという。


長野県上伊那郡朝日村出身。読みは、あるがこうさく。戦艦大和最後の艦長として有名。坊ノ岬沖海戦にて米海軍空母艦載機386機の攻撃を受け、「大和」は沈没。有賀も沈没した大和と運命を共にした。戦死後、海軍中将に昇格。家紋は梶の葉紋。


山形県鶴岡市出身。東京帝大出身。農林省に入省後、米穀局で食程政策を担当。終戦とともに食糧庁の検査課長として食糧行政機構と農産物検査制度の確立に尽力。後に参議院議員を4期務め大蔵政務次官、逓信委員長等を歴任。画像は多磨霊園にて撮影。


長野県上田市出身。本名は半田祐一。高見順らと『人民文庫』を創刊、プロレタリア作家として活動。戦後は風俗小説も書いた。代表作は『片意地な街』『太陽のある附近』『禁断の果実』『色事師と女』等。家紋は梶紋。画像は谷中・瑞松院にて撮影。


信濃国の医家の家系。読みは、すわのぞむ。キリスト者として深い信仰に生きた。著書は『急がずに休まずに ―精神医学とキリスト教 』 『最新精神医学』『精神科臨床の基本』『精神医学とともに60年』。家紋は丸に梶紋。画像は多磨霊園の墓所にて撮影。


北海道函館市出身。後復興期にドン・コサック合唱団、ボリショイ・バレエ団、ボリショイサーカなどを招聘した。1962年に作家有吉佐和子と電撃結婚するも、2年後の1964年に離婚。家紋は丸に立ち梶の葉紋。墓所は函館・立待岬にある。


東京市神田区神保町の官吏の家に出生。『ぽんこつ』で監督デビュー。1960年代に数多くの喜劇シリーズを監督。代表監督作は『図々しい奴』『乾杯!ごきげん野郎』等。また、テレビドラマ『赤いシリーズ』『スチュワーデス物語』等の脚本も手がける。


静岡県富士宮市出身。本名は佐野邦俊。芸歴が半世紀を越える時代劇俳優。代表出演作は『大江戸捜査網』『闇を斬る!大江戸犯科帳』『松平右近事件帳』『水戸黄門』等。また、演歌歌手としても多数リリースしている。家紋は立ち梶の葉紋。


神奈川県横浜市出身。祖父は鹿児島出身の陸軍大佐。父親は俳優の上原謙。母は女優の小桜葉子(岩倉具視のひ孫)。代表出演作は『若大将シリーズ』。『君といつまでも』『サライ』の作曲者としても有名。画像は多磨霊園にある父親・上原謙の墓所より。


山梨県南巨摩郡増穂町出身。タイトル獲得数19期は歴代5位。永世棋聖の称号を保持。2003年11月、紫綬褒章受章。3人の兄達は頭が悪いから東大へ行った。自分は頭が良いから将棋指しになったという言葉は有名。家紋は丸に立ち梶の葉紋。


東京都杉並区出身。本名は、禰寝正一。父は俳人のねじめ正也(高円寺北口商店街の乾物屋)。代表作は、『高円寺純情商店街』『荒地の恋』など。熱狂的な長嶋茂雄、巨人ファンとしても有名。家紋は薩摩国禰寝氏の末裔ということで、梶紋と判断。


山梨県山梨市出身、歴史学者の網野善彦は叔父。東京大学大学院人文科学研究科へ入学後、ネパールでチベット仏教の修行を行い帰国後現代思想研究の成果を駆使して著作活動を開始。代表作は『チベットのモーツァルト』『悪党的思考』『哲学の東北』。


東京都出身。安倍家は山口県長門市の豪家。父親の晋太郎も有力政治家であったが志半ばで亡くなる。第90代、第96代内閣総理大臣。「戦後レジュームからの脱却」を旗印に本格的保守政権を目指す。画像は冨士霊園・安倍家の墓所にて撮影。


長野県松本市出身。祖父・下条康麿は文部大臣、父・下条進一郎は厚生大臣を務めた。また母方の祖父は、経団連初代会長・石川一郎。衆議院議員(3期)。羽田グループに所属。家紋は松皮菱に梶紋。画像は染井霊園の下条康麿の墓所にて撮影。
有名人の家紋索引(あ行~さ行) (た行~わ行)
まさむね































































鱗紋 -北条家とモンゴル、その因縁の紋- 正岡子規、川端康成、白鵬...
三つ鱗紋は北条家の紋として知られている。
その昔、北条時宗が家運興隆を祈念して、江ノ島弁才天に参った際に、女房が現れた。
その女房が北条家の家運上昇を予言した後、大蛇になって海中に姿を消した。
そして、その後に残った鱗三枚を持ち帰って北条家の家紋としたというのである。
この三つ鱗は、北条氏が滅びた後も、戦国時代の後北条家も含め家紋として採用した。
今でも、弁財天では波と組み合わせて三つ鱗紋を定紋としている。
写真は、吉祥寺の弁財天の提灯。
さて、この三つ鱗だが、モンゴル出身の横綱・白鵬の紋である。
今から700年前の元寇を迎え撃った北条時宗と同紋というのは、これいかに。
横綱になったことで、日本を制圧したことの印として元寇の復讐を果し、念願の相手の大将の家紋を奪い取ったということなのだろうか。
あるいは、この三つ鱗を身に付けることによって、日本の味方になり、もう一人の横綱・朝青龍を迎え撃つ覚悟の印として三つ鱗を採用したということなのか。
いずれにしても、興味深い。
また、19世紀初末のウィーン分離派の巨匠・クリムトの「幸福への憧れ」にも三つ鱗と同様の文様が見られる。
実際、日本の家紋台帳はヨーロッパに輸出され、アール・デコの芸術家のネタ本になっていたという。
もしかしたら、この絵画に描かれている三つ鱗は、クリムトが、日本美術に影響を受ていたということの証なのかもしれない。
さて、鱗紋の全国分布だが、福岡、大分、大阪、和歌山、三重、神奈川で30位に入っている。
ちょうど、瀬戸内海を通って、太平洋に出て関東までのルートにこの紋が散見されるというのも、面白い。
元々、海上民のシンボルだったのかもしれない。
鱗紋を持つ有名人は以下だ。


第9代執権北条貞時の三男。鎌倉幕府第14代執権在任中に奥州で蝦夷の反乱、安藤氏の乱、正中の変、元弘の変が起きる。新田義貞の鎌倉へ侵攻の際、菩提寺の鎌倉・東勝寺にて自刃。画像はその東慶寺にて撮影した北条鱗紋。


室町幕府の政所執事を務めた伊勢氏の出自。関東一円を支配する戦国大名に成長する北条氏の基礎を築いた。早雲の活動は東国の戦国時代の端緒として歴史的意義がある。後北条家の家紋は北条鱗(ただし早雲の使用は未確認)。


種子島氏の第十四代領主。島津氏に属した。種子島に漂着したポルトガル商人から鉄砲を購入。鉄砲を分解させて調べさせ鉄砲製造に成功。種子島銃は、戦国時代に大きな影響を及ぼす。画像は青山霊園の種子島家分家の墓所にて撮影。


尾張津島の出身で、若年にて秀吉に仕えた。賤ヶ岳の戦いで「賤ヶ岳の七本槍」と称えられた。関ヶ原の戦いでは東軍に付き、旗本として徳川秀忠に仕えた。徳川秀忠旗下で旗本として仕え、子孫は九代続いて明治まで生き残る。


肥後国出身。横井家は桓武平氏北条氏嫡流に発する。松平春嶽の政治顧問として招かれ、福井藩の藩政改革、さらには幕政改革をする。また、私塾「四時軒」を開き坂本龍馬や井上毅らにも影響を与える。家紋は丸に三つ鱗紋。


美濃国方県郡出身。庄屋近藤伊右衛門の次男。名古屋城内の御前試合で優勝し大垣藩の嶋田才に見初められ養子となり嶋田家を継ぐ。江戸に出て心形刀流を修得。箱館まで戊辰戦争を戦い抜く。西本願寺の夜間警備員として一生を終える。


宇和島藩出身。宇和島藩士・金子惟彬の二男。津田三蔵によるロシア皇太子暗殺未遂事件(大津事件)の際には大審院長として司法権の政治部門からの独立を守り抜き護法の神と評価された。家紋は三つ鱗紋。画像は品川・海晏寺にて撮影。


萩城下近郊の阿武郡出身。長州藩の中間・山縣有稔の長男。奇兵隊に入って頭角を現し新政府では日本陸軍の基礎を築き国軍の父と称される。内閣総理大臣(第3、9代)。最終階級は元帥陸軍大将。家紋は丸に大和桜紋と三つ鱗紋。画像は護国寺にて撮影。


長州藩出身。高杉晋作の義弟。(高杉の父親・小忠太の妹の子で、養子となる。)イギリスに留学。日本で始めて国際結婚(相手は英国人ライザ・ピットマン)をしたことで知られている。家紋は丸に一つ鱗紋。画像は青山霊園の墓所にて撮影。


美作国津山出身。父は津山藩士・磯野湊。読みは、いそのはかる。弁護士から郵便汽船三菱会社社員を経て、起業。横浜で明治屋を創業し、麦酒販売などを行なう。家紋は子持ち亀甲に三つ鱗紋。現在でも明治屋のロゴに三つ鱗が残っている。


肥後熊本藩士横井久右衛門時教の四男。種籾の塩水選種法を考案。東京農業大学学長として日本最初の私立農学校を大学に昇格させる。「稲のことは稲に聞け、農業のことは農民に聞け」という名言を残す。家紋は丸に三つ鱗紋。画像は多磨霊園にて撮影。


越後国出身。父恭平は藩医。宮内省侍医局勤務後、入沢内科を創始・主宰。日本内科学の確立に貢献。十二指腸虫の感染経路追究などの寄生虫症、レントゲン診断学応用、血色素測定法などの研究をする。家紋は北条鱗紋。画像は谷中霊園にて撮影。


伊予国温泉郡出身。松山藩士・正岡常尚の長男。本名は常規。俳句・短歌・新体詩・小説・評論・随筆など多方面に渡り創作活動を行い日本の近代文学に多大な影響を及ぼす。家紋は丸に鷹の羽紋と丸に三つ鱗紋。画像は子規系図の三つ鱗紋。


広島県賀茂郡広村に医師の二男として出生。福島県知事、台湾総督府内務局長、殖産局長を歴任。第1回選抜中等学校野球大会の始球式を務めた。政治家としては民政党幹事長、文部大臣、商工大臣を務める。家紋は丸に三つ鱗紋。青山霊園にて撮影。


愛媛県温泉郡千船町にて河東坤の五男として出生。正岡子規に野球を教わる。同級生の高浜虚子を誘い子規より俳句を学ぶ。子規が没すると新聞『日本』俳句欄の選者を子規より受け継ぐ。家紋は丸に三つ鱗紋、副紋は笹竜胆紋。


大阪府出身。製鉄業、砂金鉱業、セメント業に携わった後に、大阪造船所設立。戦後は南氷洋漁業権を確保。億万長者の一人に数えられた。合理的節倹主義の経営方針をつらぬく。日本造船工業常任理事。瓜輪に三つ鱗紋。画像は多磨霊園の墓所にて撮影。


熊本県宇土郡松合村にて、漢方医・御船秀益の二女として生まれる。三井合名会社の依頼で福岡県大牟田市にて透視を行い、万田炭鉱を発見して謝礼2万円を得る。東京帝国大学の福来友吉助教授が「透視」の研究に彼女を使う。家紋は六つ鱗紋。


大阪府大阪市北区此花町(現在の天神橋付近)に医師の子として生れる。『伊豆の踊子』『雪国』『千羽鶴』『古都』など日本の美を表現した作品を発表。1968年に日本人初のノーベル文学賞を受賞。家紋は北条鱗、画像は鎌倉霊園にて撮影。


東京市麻布区麻布笄町出身。男爵西徳二郎の三男。通称:バロン西。ロサンゼルスオリンピック馬術障害飛越競技の金メダリスト。第二次世界大戦に従軍、硫黄島の戦いで戦死。家紋は三つ鱗紋。鱗の背景の草は月桂樹か。画像は青山霊園にて撮影。


愛知県中島郡の貧しい農家に生まれ東京日本橋の繊維問屋に丁稚奉公。進駐軍出入りの商人となり一財産を築く。白木屋の株買占めや東洋郵船設立による海運業への進出を行う。ホテルニュージャパンの買収で脚光を浴びた。画像は多磨霊園にて撮影。


東京府東京市牛込区出身。1965年、大河ドラマ『太閤記』の主役に抜擢される。『楢山節考』『火宅の人』で日本アカデミー賞最優秀男優賞受賞。代表出演作品は『鬼畜』『復讐するは我にあり』など多数。家紋の丸に三つ鱗紋は獅子吼霊園にて撮影。


東京都荒川区出身。本名は、木下利美。初代全日本シングル王者、WWWA世界シングル王座など数々のタイトルを獲得。現在はタレントとしても活躍。愛息・大維志君の七五三時の黒紋付の家紋より、三つ組み合わせ鱗紋と判断。


モンゴル・ウランバートル市出身。父ジグジドゥ・ムンフバトはモンゴル相撲で6度の優勝。メキシコ五輪のレスリング重量級でも銀メダリストの国民的英雄。第69代横綱。歴代の不知火型・横綱では史上最多の優勝回数を誇る。家紋は丸に三つ鱗紋。


宮崎駿の漫画「風立ちぬ」の登場人物。主人公・堀越二郎の上司。仕事に対して厳しい反面、二郎の天才性を高く評価しドイツ留学を推薦した。また、二郎と菜穂子との結婚の仲人を務める。その結婚式の時に使用した提灯、妻の紋付より三つ鱗紋と断定。
有名人の家紋索引(あ行~さ行) (た行~わ行)
まさむね































































月星紋 -狩猟、漁労、海上の民の痕跡紋- 新渡戸稲造、中原中也、橋本龍太郎...
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扇紋 -佐竹家を800年以上も守った魔除け紋- 佐竹義宣、福田康夫、タモリ...
昔の貴人は、いつも扇で顔を隠していた。
そして、骨の隙間から外を見ていた。
扇というのは、魔除け用グッズだったのである。
ちなみに、とげ抜き地蔵で有名な巣鴨・高岩寺の寺紋は檜扇紋である。
同時に巣鴨通り商店街の提灯にも檜扇が描かれている。
そのデザインは”おばあちゃんの原宿”を演出しているのだ。
左写真は、高岩寺内で撮影。
一方、鎌倉時代の最初から、大政奉還まで生き延びた大名の佐竹家の家紋は代々扇に月丸紋であった。
「吾妻鏡」には、佐竹四郎が、源頼朝からこの紋を賜ったとの記述がある。
佐竹家を守ってきたのは、その扇の魔力だったのかもしれない。
扇紋は全国では、23位だ。特に突出して多い地域は無いが比較的西日本に多い。京都府、山口県、熊本県で18位が最高、和歌山県(19位)、高知県(20位)といったところが目立つ。佐竹藩のお膝元の秋田県は27位と少ないが、元お膝元の茨城県は21位と比較的多い。
扇紋を使用した有名人は以下。


長野憲業の子として出生。本姓は在原氏で、祖先は在原業平と称する。官位は伊予守。長野氏は上野西部の豪族で、周囲の国人の取りまとめ役のような立場であった。勢力としては関東管領・山内上杉家に属していた。上野国・箕輪城主。家紋は檜扇。


茶人の古田重定の子。信長、秀吉の家臣だが一般的には茶人として有名。利休七哲の一人。千利休が大成させた茶道を継承しつつ、茶器製作・建築・造園などにわたって織部好みと呼ばれる一大流行をもたらした。家紋は三つ引両紋と丸に地紙紋。


近江国犬上郡吉田村出身。本姓は吉田氏。佐々木氏の分家。朱印船貿易の開始とともに安南国などとの貿易を行う。幕命により大堰川、富士川、高瀬川、天竜川等の開削を行った。家紋は扇地紙に片喰紋。画像は雑司ヶ谷霊園の別の角倉家墓所にて撮影。


尾張佐治氏は、知多半島の大野を中心とする西海岸地域を領する一族。浅井長政の娘・江を妻に迎える。本能寺の変で、織田信長横死後、次男・織田信雄に仕える。家紋は日の丸扇紋。顔画像は大河ドラマ「江~姫たちの戦国~」で一成を演じた平岳大。


父・義重の隠居により家督を相続し、佐竹氏十九代当主となる。豊臣秀吉の小田原征伐の際に参陣し所領を安堵された。関ヶ原の戦い時に西軍の立場に立つが、父が東軍についたため出羽・久保田21万石へ減転封されるものの家名存続は許された。


安東愛季の長男。読みは、あきたさねすえ。豊臣秀吉より出羽・秋田5万2千石の安堵を認められたが、関ヶ原の戦いの後、徳川家康に常陸・宍戸に転封される。嫡男の俊季の代に陸奥・三春に移され、幕末まで存続した。家紋は檜扇に違い鷲の羽紋。


武蔵国出身。別名・松平伊豆守信綱、知恵伊豆。徳川家康の家臣・大河内久綱の長男として生まれ、松平正綱の養子となる。家光の信を受け武蔵忍藩主、武蔵川越藩主となる。家紋は高崎扇と伊豆蝶紋。画像は菩提寺・平林寺の大河内家墓所にて撮影。


赤穂藩浅野家家臣吉田助兵衛の二男として誕生。本姓は藤原氏。貝賀新兵衛の養子となる。読みは、かいがとものぶ。穂藩では中小姓・蔵奉行。赤穂四十七士の一人。吉良義央邸討ち入りでは弥左衛門は表門隊に属し、門の警戒にあたった。家紋は重ね扇紋。


彦根藩家老・宇津木久純の子。岡本業常の養子。読みは、おかもとこうせき。攘夷を促す建白を行い、藩主・井伊直弼に疎まれるが桜田門外の変の後は藩政を主導。戊辰戦争の際には藩論を新政府軍側にまとめた。家紋は檜扇紋。画像は豪徳寺にて撮影。


水戸藩士・高橋諸往の長男。藤田東湖らに学び、尊王攘夷論に傾倒。安政の大獄で水戸藩への弾圧を強める井伊大老を倒すために暗躍。薩摩藩士・有村雄助らと共に井伊大老暗殺を計画し、関鉄之介らと桜田門外の変を起こす。家紋は高崎扇紋。


薩摩藩士の子弟。読みは、にれかげのり。総理大臣斎藤実の義父。薩英戦争に参加。横須賀鎮守府長官、海軍大学校長などを歴任。第2次伊藤内閣の海軍大臣に就任し、海軍備の充実に力を注いだ。家紋は筋入り三本骨三つ扇紋。画像は青山霊園の墓所にて。


江戸出身。父は橘屋円太郎。本名は出淵次郎吉。歴代の名人の中でも筆頭に巧いとされる。「芝浜」「文七元結」「牡丹燈籠」等を創作。言文一致体を一代で完成させ現代の日本語の祖といわれる。家紋は高崎扇。画像は全生庵の墓所にて撮影。


薩摩国鹿児島郡吉野村出身。桐野利秋は従兄。戊辰戦争では、川村純義指揮の元、勇戦した。外務大丞・花房義質の随員として朝鮮を視察。西南戦争では、篠原国幹・村田新八らとともに薩摩方につき、最後、西郷隆盛を介錯した。家紋は、丸に日の丸扇紋。


越前国出身。医者の長男。読みは、わたなべひろもと。岩倉具視欧米使節団に随行。東京府知事、東京帝国大学初代総長などを務める。工手学校(工学院大学の前身)を築地に設立。家紋は三つ日の丸雁木扇紋。画像は青山・長谷寺の墓所にて撮影。


越中国氷見郡出身。医師淺野泰順の長男。妻は板垣退助の四女。長女、マツは穂積八束妻。浅野セメントを核として、浅野財閥を一代で創設する。川崎市にある扇町は、家紋の扇紋にちなむ。家紋は半開きの扇紋ということから浅野扇紋と判断。


豊後・佐伯藩の中級武士の家系。本名は矢野文雄。読みは、やのりゅうけい。大蔵省に入るが、明治十四年の政変で政界を追われる。東京専門学校設立に携わり役員に就任。主著は『経国美談』。家紋は三つ追い雁木扇紋。画像は多磨霊園にて撮影。


熊本県阿蘇郡出身。評論家・蔵原惟人は甥。破傷風菌純粋培養法に成功、血清療法の開発、ペスト菌の発見などの偉業がある。「細菌学の父」として知られる。北里研究所、慶應大学医学部を創設。家紋は檜扇に左三つ巴紋。画像は青山霊園の墓所にて。


福岡藩士勘定所附・金子清蔵直道の長男。岩倉具視欧米使節団に同行して米国留学。伊藤博文の側近として大日本帝国憲法の起草に参画。専修大学創立に携わる。日本大学初代校長、二松學舍大学舎長も務める。画像は青山霊園の墓所にて撮影。


石見国津和野出身。読みは、ことうぶんじろう。地質学、鉱物学、火山学、地震学など、幅広く学び、濃尾地震の際に、発生から約2週間後に現地入りして調査を行い、後にその結果から断層地震説を発表。家紋は地紙に文字紋。画像は多磨霊園にて撮影。


東京出身。本名は柴田清五郎。7歳の若さで三遊亭圓朝(初代)門下に入門。「鰍沢」「三軒長屋」「牡丹灯籠」を得意とした。後世に大きな影響を与えた名人。「魚売人」「二人癖」など20種類ほどのSPレコードを遺している。家紋は三遊亭と同じ高崎扇紋。


肥後国出身。父は横井小楠門下の俊英、徳富一敬。本名は徳富健次郎。読みは、とくとみろか。思想家・ジャーナリストの徳富蘇峰(猪一郎)は実兄。自然詩人として出発し、小説『不如帰』はベストセラーになった。家紋は丸に扇紋。蘆花記念館で確認。


山口県萩市出身。鮎川義介は義兄。日立、日産創立の基盤となった日立銅山や久原財閥の総帥として鉱山王の異名を取る。政治家としても逓信大臣、立憲政友会総裁を歴任。二・二六事件にも深く関与したという。家紋は五つ雁木扇紋。肖像画像にて確認。


東京生まれ。吉住勘四郎の子。長唄の唄方。東京音楽学校長唄選科教授、日本芸術院会員、人間国宝、文化勲章受章、文化功労者。代表作曲「鳥羽の恋塚」「醍醐の花見」「新平家物語」等。家紋は三本並び扇紋。画像は南麻布・西福寺にて撮影。


福岡県出身。父は旧福岡藩士中野泰次郎。読みは、なかのせいごう。東京日日新聞、朝日新聞で政治評論を行う。政治家になってからは東條首相の独裁に反対。倒閣工作を謀った容疑で憲兵に拘束され自殺。家紋は丸に中陰地紙に橘紋。画像は多磨霊園。


備中国賀陽郡門田村出身。1900年に、水彩画「蓮池」をフランスで開かれた大博覧会へ出品して三位になり銅メダルを獲得した。代表作は「車夫の家族」「椅子による裸婦」など。家紋は丸に重ね五本扇紋。画像は多磨霊園の墓所にて撮影。


大阪府堺市か岸和田市出身の二説あり。本名は和田久一。日露戦争をネタにした「無筆の号外」が大当たりした。自らが選んだ脚本を、三十六歌仙にあやかり「36快笑」として天満天神に奉納する。家紋は扇を浮線蝶の擬態に使用した浮線扇紋。


東京浅草の花川戸に出生。本名は岩井久次郎。父親は四代目岩井粂三郎。屋号は大和屋。当たり役は『伽羅先代萩』の政岡や『嫗山姥』の八重桐。告別式で大名跡・九代目・岩井半四郎が追贈された。谷中・本寿寺の岩井家の墓所の家紋は三つ追い雁木扇紋。


鹿児島県出身。本名は知久。読みは、みやはらこういちろう。「海の子」を作詞し文部省の懸賞に応募。尋常小学唱歌に登用される。新聞記者を経て翻訳家となる。代表作は「竜宮の犬」など。家紋は丸に三つ扇紋。画像は多磨霊園の墓所にて撮影。


広島市出身。父は国学者の藤井稜意。母の伯父の賀屋姓を継ぐ。読みは、かやおきのり。戦前は大蔵大臣として軍事費中心の予算を組みA級戦犯に指名されたが、戦後は右派系自民党議員として活躍。家紋は丸に二つ日の丸扇地紙紋。画像は多磨霊園にて撮影。


東京市小石川区出身。旧松江藩士の山口宗義の子。読みは、やまぐちたもん。軽巡洋艦「五十鈴」や戦艦「伊勢」の艦長を歴任。太平洋戦争では真珠湾攻撃に参加。ミッドウェー海戦で戦死。最終階級は海軍中将。家紋は檜扇紋。画像は青山霊園にて撮影。


北海道札幌市出身。読みは、ほりうちじゅろう。科学反応速度理論の研究では世界的な功績を残した触媒研究の世界的な権威。湯川秀樹らと共に第30回恩賜賞を受賞。北海道大学学長も務める。家紋は高崎扇紋。画像は多磨霊園の墓所にて撮影。


香川県仲多度郡多度津町出身。東京市小石川区に指圧学校を設立。マリリン・モンローに素手で触って指圧した唯一の日本人。「指圧の心は母心、押せば命の泉湧く」は得意フレーズ。家紋は丸に五本扇紋。画像は小石川・伝通院の墓所にて撮影。


神奈川県橘樹郡日吉村の農家に生まれる。本名は横山武。新十両・新入幕・新三役など全てで当時の最年少記録を樹立。最高位は第33代横綱。幕内戦歴は174勝69敗2分71休。幕内最高優勝1回。家紋は丸に雁木檜扇紋。画像は日吉・金蔵寺にて撮影。


広島県佐伯郡出身。本名は新藤兼登、読みはしんどうかねと。妻は乙羽信子。社会派の映画監督の巨匠。代表作品は『裸の島』『ある映画監督の生涯 溝口健二の記録』『午後の遺言状』『一枚のハガキ』等。家紋は浅野扇紋。画像は鎌倉霊園にて撮影。


東京市赤坂区出身。ただし両親は高知県の出身。息子は推理小説家、SF小説家の田中光二。太宰治に弟子入り。その自殺に大きな衝撃を受け後に禅林寺の太宰の墓前で自殺する。代表作『酔いどれ船』『愛と憎しみの傷に』。家紋は隅切り角に地紙。


青森県青森市出身。医者の家系。本名は高木誠一。『能面殺人事件』で第3回探偵作家クラブ賞を受賞。代表作は『人形はなぜ殺される』『成吉思汗の秘密』『白昼の死角』等。家紋は隅切り角に重ね地紙。地紙とは扇に貼る紙。画像は大吉寺にて撮影。


新潟県新発田市出身。本名は、寺田博雄。漫画「まんが道」、映画「トキワ荘の青春」などで、伝説的なトキワ荘のリーダーとして描かれている。代表作は『背番号0』『暗闇五段』等。家紋は五本骨日の丸扇紋。画像は茅ヶ崎・浄見寺の墓所にて撮影。


北海道釧路市出身。本名は佐武豊。『女心の唄』でレコードデビュー。250万枚を超える大ヒットとなり、翌年の第7回日本レコード大賞新人賞を受賞。その後も『ネオン川』『カクテル小唄』がヒット。家紋は五本扇に月紋。墓所画像にて確認。


東京都大田区出身。「誰よりも君を愛す」(和田弘とマヒナスターズとの共唱)が大ヒットし、スターダムにのし上がり、後にムード歌謡の女王と称される。その後も「お座敷小唄」「再会の朝」等のヒットを飛ばす。家紋の丸に地紙紋は杉並の西照寺にて撮影。


東京府東京市世田谷区に大蔵官僚・福田赳夫、三枝の長男として生まれる。内閣総理大臣(第91代)。『低炭素社会』を目指す「福田ビジョン」を提唱した。 家紋は丸に五本骨扇紋。家紋画像は福田家の菩提寺・徳昌寺(群馬県高崎市)の墓所にて撮影。


東京都出身。本名は寺島秀幸。屋号は音羽屋。妻は、富司純子。長女は女優の寺島しのぶ、長男は歌舞伎俳優の五代目尾上菊之助。いわゆる、三之助の一人。家紋は重ね扇に抱き柏紋。画像は雑司が谷霊園の五代目尾上菊五郎の墓所にて撮影。


福岡県福岡市南区出身。本名は森田一義。株式会社田辺エージェンシー所属。『笑っていいとも!』『ミュージックステーション』『タモリ倶楽部』『世にも奇妙な物語』でMCを務める。「笑っていいとも!」にて家紋は丸に五本骨扇であることを告白。


山梨県大月市出身。本名は天野幸夫。古典落語専門で、長屋ものを得意としている。1983年(昭和58年)3月 真打昇進・同年10月16日から『笑点』にレギュラー出演を続ける。東京オリンピックの聖火ランナーに抜擢されている。家紋は高崎扇紋。


東京都世田谷区松原出身。元妻は女優・声優の戸田恵子。『恋人ならば』でソロレコードデビュー。映画『はつ恋』にていきなりの主演も果たす。家紋の三つ扇紋は、1980年頃の雑誌記事「これがアイドルスターの家紋だ!!」による。


広島県広島市榎町出身。1977年に吉田拓郎プロデュースにより「てぃーんず ぶるーす」でデビュー。「キャンディ」「シャドー・ボクサー」とヒットを飛ばす。家紋の丸に五本扇紋は、1980年頃の雑誌記事「これがアイドルスターの家紋だ!!」による。


長野県諏訪市出身。愛称は「しんご」。よしもとクリエイティブ・エージェンシー所属。中田敦彦と組んだオリエンタルラジオのツッコミ担当。『武勇伝』ネタで有名。「笑っていいとも!」にて家紋は家紋は五瓜に檜扇であることを告白。
有名人の家紋索引(あ行~さ行) (た行~わ行)
まさむね































































茗荷紋 -謎の神・摩多羅神のシンボル- 三島由紀夫、水木しげる、北野武...
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菱紋 -武家の正統としてのプライドと信玄の威光- 武田信玄、高杉晋作、森進一...
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鶴紋 -最も優美で華やかな紋- 森蘭丸、杉田玄白、太宰治...
多くの家紋の中で最もデザインが優れた家紋はおそらく、鶴の丸紋であろう。
その証拠にこの紋のデザインは様々に、変形され、社章などになって進化している。
一番有名なのが、日本航空の鶴のマークだ。
一時期、JASとの合併によって、この鶴の丸が機体についた飛行機は姿を消してしまったが、再度、復活した。それも、このマークが持つ伝統と美の力によるところか。
もともと、日航が社章を作るときに、フランスの高名なデザイナーに依頼したのだが、そのデザイナーから「日本の伝統にも素晴らしいものがある」と切り返され、鶴の丸をベーシックデザインとして採用したとの話が伝わっている。
また、清酒・白鶴のイメージも鶴の丸の影響を受けている。
鶴の首の方向、円の歪みなど、いくつかの点で異なっているが、鶴の丸をもとにしたデザインであることは確かなようだ。
白鶴酒造公式HPにはこのマークについて以下のような記載がある。
シンボルマークは、白鶴酒造が伝統的に使用してきた商標名「白鶴」を、現代的に感動あふれる形で表現したものです。
この躍動感あふれるフォルムは、力強い翼で鶴が天高く飛翔する姿を示しています。翼は鶴の頭部を保護するように楕円形になっており、日輪のような羽がダイナミックな感じを与えています。
このシンボルマークは昭和54年、業界に先駆けてCI(コーポレート・アイデンティティー)システムを導入した際に、スローガン「時をこえ 親しみの心をおくる」とともに設定されました。
現在では、このマークは多くの人々から認知され、親しまれており、日本のCIの代表例の一つとされています。
さらに、鶴の丸は、日蓮宗の寺紋としても知られている。
寺紋を見るには、門の脇の塀の端に瓦を見るのが一番わかりやすい。
写真は、「恐れ入りやの鬼子母神」で有名な真源寺の寺紋だ。
ちなみに、真源寺が所属する本門流には、あの信長が討たれた時に滞在していた本能寺も所属している。
さて、鶴紋の普及に関してであるが、全国で29位、決して多くは無い。ただ、青森県だけは12位と多いようだ。
確かに、津軽は、鶴紋を使用していた南部家から別れた津軽家の領地だったという事が一因かもしれないが、南部家の本家である岩手県ではそれほど多くない(29位)を考えると、別の理由があるのかもしれない。
その他、比較的に多い地域は、北海道(21位)、秋田県(21位)、宮城県(22位)、愛媛県(22位)、広島県(25位)、福井県(26位)、徳島県(26位)。
さて、鶴紋を使用している有名人だが、以下。


山城国に出生。公家・日野家の出身。室町幕府8代将軍足利義政の正室。関所、米相場、高利貸しからの賄賂等で得た財力によって室町幕府を運営。大河ドラマ「花の乱」の主役(三田佳子)。家紋は鶴の丸紋。画像は青山霊園の日野家の墓所にて。


蒲生氏は奥州藤原氏・藤原秀郷の系統に属する鎌倉時代からの名門。織田氏家臣から、豊臣家(羽柴家)家臣となる。初め近江日野城主、次に伊勢松阪城主、最後に陸奥黒川城主。またキリシタン大名で洗礼名はレオン。家紋は蒲生対い鶴と左三巴。


家系は清和源氏のひとつ河内源氏の棟梁 源義家の七男(六男?)源義隆を祖とする森氏。信長と衆道の関係にあったとされ、そのため稚児・児小姓として織田信長に優遇されたとの俗説が流布している。本能寺の変で主君・信長と共に討ち取られた。


南部信直の長男として三戸の田子城にて出生。南部家は河内源氏流。関ヶ原の戦い時に領内で一揆を鎮圧し、家康から所領を安堵され盛岡藩の藩祖となる。定紋は南部鶴だが、割り菱、鶴菱も使用。画像は護国寺の南部家墓所にて撮影。


上野国藤岡出身。関家の養子となる。本姓は内山氏。『発微算法』を著し筆算による代数の計算法を発明。和算が高等数学として発展するための基礎を作る。行列式や終結式の概念を世界一早い時期に提案。家紋は右向き舞鶴。画像は浄輪寺にて撮影。


江戸、牛込の小浜藩酒井家の下屋敷に生まれる。杉田氏は近江源氏・佐々木氏の支族である真野氏の家系。前野良沢らと『ターヘル・アナトミア』を和訳し『解体新書』として刊行。回想録として『蘭学事始』を執筆。画像は栄閑院にて撮影。


上野国新田郡細谷村の郷士高山良左衛門の二男として生まれる。先祖は平姓秩父氏族である高山氏出身とされている。勤王の志を持ち、各地を遊歴して勤王論を説く。家紋は京都三条大橋にある皇居望拝姿の台座の丸に十字紋と鶴の丸紋。


遠江国掛川宿の医師、戸塚隆珀の三男。読みは、とつかせいかい。将軍徳川家定の急病に際し薩摩藩医より幕府医師に登用。法眼に叙せらる。伊東玄朴・坪井信道とともに江戸の三大蘭方医と呼ばれた。家紋は向い鶴紋。画像は谷中霊園にて撮影。


播磨国赤穂郡赤松村の医師・小林直輔の子として生まれる。戊辰戦争では主戦論を唱え、伝習隊を率いて宇都宮や今市、会津を転戦。榎本武揚と合流するが、箱館五稜郭で降伏して投獄された。出獄後、新政府に出仕して殖産興業政策に貢献した。


生家は肝付家。後に小松家の養子となり帯刀と名乗る。大河ドラマ「篤姫」では瑛太が演じた。肝付家の家紋は尻合わせ四つ結び雁金と鶴の丸紋。また、小松家の養子入ってからの使用家紋は抱き鬼梶の葉紋。画像は青山霊園の肝付家の墓所にて撮影。


土佐国大野見村出身。土佐藩郷士・陽明学者の南部従吾の長男。読みは、なんぶみかお。土佐勤王党に加盟。文久の政変では三条実美に従って長州へ亡命し大宰府にも随行。維新後は法曹会の設立に尽力。家紋は丸に向かい鶴紋。青山霊園にて撮影。


皇太后宮小上臈として出仕し、掌侍を経て権典侍となる。読みは、やなぎわらなるこ。伯爵・柳原前光の妹。「筑紫の女王」柳原白蓮は姪。大正天皇の母として明治天皇の没後は準皇族の扱いを受ける。家紋は鶴の丸紋。画像は目黒の祐天寺にて撮影。


尾張国名古屋出身。父・森春濤は漢詩人で尾張藩の儒者。読みは、もりかいなん。明治漢文学の中心的存在で随鴎詩社を主宰。官僚としては枢密院属、式部官を歴任。伊藤博文狙撃の際に同行し被弾。家紋は反り六角に鶴の丸紋。画像は多磨霊園にて撮影。


但馬国豊岡出身。古島家は旧豊岡藩士。雑誌「日本人」、日本新聞などの記者を務める。衆議院議員としては犬養毅の側近として行動を共にする。玄洋社の頭山満と結んで孫文を援助し辛亥革命を陰から助けた。家紋は鶴の丸紋。画像は天王寺墓地にて撮影。


岩手県花巻市出身。読みは、みきたかし。日本製鐵・八幡製鐵(現・新日本製鐵)元社長。鉄鋼業界の大御所だった。経済復興会議副議長、日本経営者団体連盟会(日経連)第2代会長等も務める。家紋は鶴の丸紋。画像は多磨霊園にて撮影。


横浜市伊勢町にて代々津軽藩士の家系の長男。読みは、こんとうこう。新感覚派作家としてデビュー。『お吟さま』で直木賞を受賞。主著は『朱雀門』『悪名』等。生前、日航機の鶴丸のマークを見て「自分の家紋を使ってもらった」と言っていたという。


青森県北津軽郡金木村出身。県下有数の大地主・津島源右衛門の6男。本名は津島修治。自身「私の生れた家には誇るべき系図も何も無い。」と述べている。代表作は「斜陽」「人間失格」「走れメロス」等。画像は禅林寺にて撮影。


山梨県東八代郡御坂町にて、江戸時代から続く地主の末男として誕生。中世の職人や芸能民など、農民以外の非定住の人々である漂泊民の世界を明らかにし日本中世史研究に大きな影響を与えた。代表作品「異形の王権」「日本中世の非農業民と天皇」。


東京府(東京都杉並区)生まれ。旧姓は上野。太宰治の長女・園子と結婚、入婿。自由民主党所属の前衆議院議員。厚生大臣、党役職を歴任。平成研究会に加入し、旧橋本派の会長に就任し、同派閥を率いる。家紋は太宰治と同じ鶴紋。


鹿児島県徳之島町出身。医療法人徳洲会理事長。元自由連合代表、元衆議院議員、元沖縄開発政務次官。地方自治体や医師会と対立しながらも、全国各地に病院や診療所を開設し日本で最大規模の病院・医療事業グループ・徳洲会を築く。家紋は向い鶴紋。


東京都出身。本名は丸茂智惠子。『木曜ゴールデン』『火曜サスペンス』等の二時間ドラマや昼帯の連続ドラマの脚本を手がける。代表作は『ママは大ピンチ』。父は国学院大教授で文学博士の丸茂武重。家紋は舞い鶴。画像は多磨霊園にて撮影。


福岡県直方市出身。本名は古賀博之。友綱部屋所属。最高位は東大関。引退後は年寄・浅香山を襲名。通算勝星1047勝、幕内勝星879勝、大関勝星524勝は歴代1位を記録。通算成績は1047勝700敗158休。優勝5回。家紋は向かい鶴。


青森県弘前市出身で鳴戸部屋所属。本名は古川忍。金星は2個(若乃花1個、朝青龍1個)。上位陣・実力者には強く殊勲賞を4回獲得している(2011年11月現在)。家紋は鶴の丸紋。鳴戸親方(隆の里俊英)の葬儀時の紋付で確認。


東山紀之が演じる必殺仕事人2009の登場人物。普段は、事なかれ主義の情けない同心だが、仕事人としての腕は一流。渡辺という姓に対応する紋は一般的には三星に一の字の”渡辺星”であるがここではおしゃれな、六角光琳鶴を使用している。
有名人の家紋索引(あ行~さ行) (た行~わ行)
まさむね































































桔梗紋 -反骨と悲劇の紋- 明智光秀、坂本龍馬、柳田国男...
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