カテゴリー別アーカイブ: 日常雑事 雑感

俺が住んでる町に、焼き鳥屋と小鳥屋が並んで商売していた。

箱根のリゾートSPAでつくづく時間という買い物について想ったこと

先々週末、箱根の某リゾートホテルに家内と一緒に宿泊に出かけた。ぼくの目的はリハビリを兼ねて温泉に浸かること、家内は以前から行ってみたいホテルだったらしいが、結果としてはアロマトリートメントを施術してもらい大いにリラクシングできてご満悦だったようである。因みに彼女自身も自宅でアロマを施術しているアロマセラピストである。ぼくにとっては大江戸温泉通いの延長としての温泉療養の意味合いもあった。そこは強羅温泉のエリアなので温泉の質も格段によかった。

今回上記ホテルに行ってとても新鮮に感じたことがある。そのホテルはいわゆる世界に冠たる一大ホテルグループであり、その雰囲気といい宿泊施設の上質さといい、ホスピタリティーの良さは言うまでもない。ぼくがここであえて上質といっているのは、時間の邪魔にならない、邪魔をしないというほどの意味もある。とても有難かったのはそのホテル内を丹前に浴衣姿で闊歩できたことである。ホテル自体は骨の髄までリゾートホテルでありきわめてモダンな作りであった。

ふつうそんなモダンなホテルのなかを浴衣で歩くことは厳禁といわれても致し方ないとも思えるのだが、そのミスマッチがいわゆる温泉旅館じゃないところで許容されていたことがとても新鮮だった。極端な言い方をすればドレスアップしたカップルのなかを浴衣姿のおじさんが歩いているのだから。ホテルの品位にこだわるやり方もできるわけだ。だがホテルがその縛りを設けなかったのは、やはり温泉に入る人たちのことを考えてだろうな。なんといってもやはり浴衣で温泉に行くほうが便利だからだ。

それから、吹き抜けのリビングフロアーの天井から長い筒のような煙突が下がっていて、その下に薪がくべられた暖炉があり、その爆ぜる音を聞きながらゆったりできることもとてもよかった。ふつう暖炉といえば部屋の隅のほうにあるものだろうが、そこではちょうどフロアーの真ん中に位置するように暖炉が設計されており、寛ぎにきた人たちが取り囲むようにしてその暖炉の火を眺めることになるのだ。グラスを一杯傾けながら、いつまでも飽きることなくその火を眺めながら談笑している泊り客のすがたも絶えなかった。こうした何でもないような設計にみえて、客本位への気配りといい、寛ぎを演出するその意匠の心づくしといい、やはり上質であったといえるだろう。
結局非常に月並みな当たり前の感想になってしまうのだが、サービスとかホスピタリティーとかいろいろな御託を並べても、ぼくらは詰まるところこのホテルでの「時間」を買いにきているのだ。その対価としてお金を払ってゆくのである。その意味では時間こそがやっぱり一番高価なものだ。明日死ぬひとにとって今日という時間ほど何物にも変えがたいものはない。

まさむねさんが{「ここはウソで固めた世界でありんす」とは僕らの台詞だ}のなかで語っているように、「世界に対する違和感、それは現代人に特有の感覚なのだろうか。それは、本当の自分はどこか別の場所に居るべきであり、今、ここに存在するのはウソの自分だという感覚」だけがたしかなものなのかもしれない。だとするなら、そうした不確かさのなかでヒトはより確からしいなにかにスガルしかない。それが唯一根っこのような時間というものなのだろうか。
最近フランスで日本ブームだといわれていると前回書いたけれど、こうも言えるかもしれない。いまフランス人の多く(?)は不確かさのなかで「日本という時間」に確かななにかを感じているのだ、と。それがブームの根源にあるのだ、とも。

「日本という時間」、それは何だろうか。浴衣を着る時間、温泉に入る時間、暖炉の薪をながめながら日本酒を飲む時間、ホテルのギャラリーで焼き物を観る時間、などととりあえず言ってみるが、そのいずれでもない時間。海外の目からみた日本という時間、おそらく生きることに通底させるようななにものかとしての時間、通奏低音としての。日本人のぼくらはそのことにもう少し客観的かつ自覚的になることが必要なのかもしれない。

よしむね

「なんでも腐りかけがおいしい」という斜陽のなかでの日本ブーム

雑誌記事などによるとフランスで空前の日本ブームだという。空前というのがどの程度なのかよく分からないが、同じように日本ブームという意味ではちょうど150年くらい前の日本文化への嗜好(いわゆるジャポニズム)がこれに匹敵するのだろうか。今回の一連のブームのなかでは日本を題材にした小説も結構多く書かれているようだ。最近では本国フランスでベストセラーになったといわれている「優雅なハリネズミ」(これに登場するのは映画監督小津安二郎を思わせるような日本人オズが登場しているそうだ。ぼくはまだ読んでいないが。)という小説もあるらしい。ぼくも今年にはいって日本を題材にした一冊である「さりながら」(フィリップ・フォレスト著)を読んだことがある。夏目漱石、小林一茶、山端庸介(写真家)を主人公に設定しながら、コント風仕立ての枠組みを使って単に日本への関心にとどまらずに、自身の遺児への思いと重ね合わせながら哲学的な省察(同時代への考察)を試みている、抑制の効いた佳品だったと記憶している。

今回の日本ブームはアニメやゲーム、コスプレなどの従来のポップカルチャーのみならず、寿司、禅、焼き物、茶、相撲、歌舞伎など広範な事象への関心の広がりも特徴の一つのようだ(それらが紋切り型の理解であれどうあれ、理解のためには多少の紋切り型が必要だと思う。その意味でぼくは紋切り型について好意的に考えている)。
どちらも見出された国・日本であろうが、およそ150年前に近代国家の仲間入りを果たそうとしていた中で見出された国のかたちと、すでに十分に成熟した国家となって見出された今この段階での見出され方の違いはそれなりに興味深い感じがする。前者には単純に今まであまり知らなかった未知への国(東洋)への興味本位も多少なりともあったとすれば、後者には情報というものがすでに十分に氾濫している最中でもなおかつ興味をそそられる全世界共通のなにかの琴線に触れえたことが背景にあったと思われるもするからだ。その何かはぼくには分からない。それがクール・ジャパン(かっこいい日本)と呼ばれている正体なのだろうか。その一端については日本ブームをめぐる考察(次回作)でも少し考えてみたいが。
もう一つ面白いのは、ちょうどクール・ジャパンと言われ出した時期が、日本が90年のバブル崩壊を経て国力の低下・衰退と重なる時期であることだ。国、敗れて、山河あり、だけではなく、国敗れても人気あり、が続いているわけだ。いわゆる国力と人気の関係、この相反が面白い。

アメリカの世紀であった20世紀についてつらつら考えてみると、国力と人気の持続は陰に陽にけっこう重なっていたように思うのだ。いわゆる50年代・60年代の大衆文化の見本としてのアメリカ(芝生つきの広い家、電化製品に囲まれた豊かな暮らし、車社会)から金融市場の活性化を経た90年代以降のアメリカ(成長神話としてのアメリカン・ドリーム、先端ハイテクと投資・ベンチャービジネスの盛り上がり)まで、それなりに一貫してその人気はアメリカという国の力に支えられて憧れの対象となり羨望の像となり続けたように思う。ベトナム戦争の時代や冷戦の時代も、大きい意味ではまだ国家としてのアメリカの器の大きさは変わらなかったと思うのだ。そしていま時代は「アメリカ後」の世界にむけて動き出そうとしている。人はそれを多極化する世界と呼んでみたり、ポスト・アメリカとしての21世紀=中国の時代と形容したりするのだろうが。

そうした中で日本人気はまさにアンビバレンスななかで起こっている。だがこうした海外での日本への評価・人気というものがどれだけ正しく日本に伝えられてきたかははなはだ疑わしい。TVによる報道に限っても世界のなかのクール・ジャパンについてわりと一貫して伝えてきたのはNHKくらいで、民放からこの手の継続的な報道ニュースがあったことをぼくはほとんど知らない。それからどうも日本人の傾向として自虐的に自己分析することはあっても、他人に褒められることに素直になれない性向があるのだろうか。自分たちの良いものを海外に評価されて始めて、そんなに凄かったのかと気づかされるようなところが往々にしてあるようだ。建築の例をとっても桂離宮などがその最たる事例だろう。逆にいえば日本人は自分たちに自信がないので、いつも外部評価(海外の目)を通じてしか評価づけることができない性なのだろうか。

こうしたことのチグハグさもふくめて、依然日本の本質は変わっていないのかもしれない。ただ斜陽のなかでの日本ブームについて考えるとき、ついつい思い出してしまう映画の中のことばがある。その映画というのは鈴木清順監督の「チゴイネルワイゼン」で、もう大分昔に見た映画なのでその言葉をつぶやいたのが主人公の原田芳雄だったかもはっきりとは覚えていないのだが、たしか何か果物を食べるシーンで「なんでも腐りかけが一番おいしい」とつぶやくセリフがあったことを記憶している。

ちょうど夕日がとても美しく感じられるように斜陽のときのほうがその本質がよりよく反映されるのか分からないが、日本も腐りかけの残照のときが一番おいしいのだろうか。そこにデガダンスの影でもきらめているのか。国力だけの尺度で見るかぎり世界に憧れを持たれていることがとても理解しにくいことも事実だが、なにか奇妙で不思議な印象をもってしまう、昨今の日本ブームという感じだ。

よしむね

大江戸温泉の無国籍化でブレードランナーのことなどを思いながらわしも考えた

最近、骨折快癒後の腰痛リハビリを兼ねて大江戸温泉に通っている。大江戸温泉が果たして本当の温泉なのか、なぜ大江戸温泉通いなのかにはとくに深い意味はない。比較的家から近いという利便性と手ごろさというのが選んだ理由の一番だ。それに湯による癒しは確かに腰痛には良いようだ。因みに僕の住まいは大田区だが、京浜地区にも近いエリアでいわゆる城南地区ということになる。

さて通いつめて常々思うのは、コンスタントに来ている外人客の存在だ。ここがどれほど日本在住の外人に知れ渡っているのか僕は知らないが、築地市場ほどとは言わないが、案外隠れ人気スポットだったりして! 来訪してくる外人の多様性もそれなりに面白い。会話から聞き取れるかぎりでも、いわゆるイングリッシュやアジア系(中国、台湾、韓国)に限らず、ドイツ語、フランス語、スペイン語、ロシア語等々と思しきことばたちが結構渦巻いていたりするのだ。団体でやってくる客も結構いる。それだけ無国籍化しているわけだ。
この外人客の多さをグローバル化や経済の多様性と結びつけることもできようが、それよりも異邦人からみて大江戸温泉の持つコンセプトの分かり易さが一番の理由かもしれないな。温泉といういかにも日本的な「場」、しかもそこに江戸の持つ見世物屋的な雰囲気(因みにここでの浴衣は江戸時代の浮世絵を図案にした柄もの)が多少味付け演出されていること。そこにリトル・ジャパンのなにかの面影でも感じているのかどうか・・・・。造られているものは、どれも折衷的・ガラクタ的な模造建築でおよそ時代考証的にはいい加減な感じはするのだが。だがここではこれ以上大江戸温泉自体への考察は行わないつもり。
ぼくにとってむしろ興味惹かれるのは、大江戸温泉がいわゆる湾岸エリアの只中にある、という事実だ。江戸時代には存在しなかった海の上の埋め立て地に「大江戸」が存在するという皮肉、構図。

この湾岸というエリアは、特に90年代以降のパースペクティブのなかでは世界的に流行となった湾岸再開発のながれもあり、ほんとうは世紀末をまたいで輝かしい未来都市の何かにつながるはずだった。ウィリアム・ギブスンのSF「ニューロマンサー」のチバ・シティに代表されるような電脳空間のさきがけ、先端都市のイメージ。それをいま代表しているのはかろうじて世界のアキバかもしれないが。
だが結果として今ぼくらの目に映っている湾岸地帯とは、意味のない更地のうえに立つ空虚な記号としてのなにかの施設というビル建物だけとも言える。そこに大江戸温泉も位置しているのだ。たしかに未来にやってきて、ハコ(箱)だけが残ったのだ。

また無国籍化というと、ぼくも大好きなかつてのSF映画「ブレードランナー」(原作はフリップ・K・ディックの「アンドロイドは電気羊の夢をみるか?」)で描かれている未来都市のなかの屋台風景に通じるようなアジア的な混沌、猥雑なエネルギーみたいなものを想像したくなるが、お台場に代表されるのはそのような混沌とはおよそ対極にあるものだろう。むしろ無機的で人工的でそれがかもし出すどこか醒めた感じの匂いや距離感といったほうがより正確だろう。今では上海のガイタン地区に代表されるような中国沿岸部の成長性のほうが余程未来に通じる湾岸のイメージに近いであろうし、悲しいかなその意味で日本は国力の衰退をたどる以外に道はないともいえるかもしれないけど・・・・。

でも世の中に絶対というものはないし、かつてこうあれと思ったものが、そうなるとは限らない。今、若者を中心に、工場地帯を遊覧船で回る夜景クルーズツアーが流行っているという。工場地帯の持つ無機性に惹かれる若者が多いらしい。世代が違っても、ぼくもかれらの心情に通じるものは共有している。湾岸や工場がかもし出す廃墟を美しいと感じる心性たち、その群れ。それがまぎれもない今だとするなら、それが所詮かりそめの空虚な箱に過ぎないとしても、そこから出発するしかない、それを受け止めてゆくしかない、と思う。「未来の都市」なんてどこにも存在しないからだ。

よしむね

年越しカウントダウンって なんとなく苦手だ。

大晦日に年越しカウントダウンとかあるけど、微妙に嫌じゃない?

僕の場合...

だいたい8くらいから、嫌な予感がして、
6くらいで、0になったらどういう顔すればいいか悩みだして、
3くらいで、ヤバイッ。もうすぐだと不要の緊張感がして、
1くらいで全てを諦める。
0でみんな一斉に「おめでとう」とか叫ぶ。

とりあえず無事終わったことはよかったが、何が嬉しいんだかという疑問は残ったまま、作り笑い。

いつから日本に入ってきた風習なのだろうか。少なくとも子供の頃にはなかったけど。

僕はやっぱり、除夜の鐘が好きだ。

まさむね

高級時計のある世界

pige.gifちょっと前に終了してしまった「クリームなんとか」というお笑いのバラエティ番組の最終回、売れっ子の芸人(有田鉄平、河本準一、ナベアツ達)が自分が身に付けている服や時計や財布等を鑑定してもらうというコーナーがあった。

驚いたのは、彼らが一様に、100万円、200万円もする高級ブランド時計を持っていたということだ。
今まで、高級時計趣味の世界を全く知らなかった僕にとって、お笑い芸人の全員が高級ブランド時計を持っているのを見た時、それはカルチャーショックに近い衝撃だったよね。

さて、人は何故、ブランド時計に惹き付けられるのだろうか。
恐らく、所有物はその人のステータスを表現している。その事は同時に、ステータスの高い世界の住人へのパスポートを手に入れることでもあるんだろう。
芸人達は、高級時計をする事によって、その高級時計の価値がわかる世界に入ったっていう実感を得てるんじゃないかな。
逆に言えば、200万円の時計は、庶民レベルの世界では、ある意味、全く、無価値だからね。

でも、高級時計を持つメンタリティをもう少し分析すると、もっと深いものがあるのかもしれない。
そこには、世界最高級の職人技への尊敬の念が込められているんだと思う。
また、それぞれのメーカーには愛好者の連綿たる歴史があって、その歴史物語に対する愛着もあるんじゃないかな。
例えば、ロンジンは、島津忠義が西郷隆盛に贈った懐中金時計のメーカーであるとか、パネライは、藤原紀香と陣内智則の結納を交わした際、藤原紀香が結納返しとしてこの特注時計を贈ったとか、パテックフィリップの愛好者には、ヴィクトリア女王、ワグナー、トルストイがいたとかね。(高級腕時計ブランドガイドのHPより)

時計趣味っていうのは、恐らく、こういった歴史的、精神的、あるいは物語的な背景も含めて多層的に時計に惹かれるってことかもしれないよね。

だから、それは持ち主にとっては、凄く大事な物なんだろうな。

そういえば、あの三島由紀夫は、その最期、割腹自殺をするために自衛隊に向かった時、いつも左腕にしていた世界三大高級時計メーカーの一つのスイス製のオーデマ・ピゲ(写真)ではなく、敢えて、実用的で安価な時計をしていったという。
自分の最期の集大成の時間を、オーデマ・ピゲでは刻みたくなかったのかな?その真意は永久に謎だよね。

まさむね

焼き鳥屋の隣にあった小鳥屋

俺が住んでる町に、焼き鳥屋と小鳥屋が並んで商売していた。
そこを通るたびに、お互い、迷惑してるじゃないかな、なんて思っていた。

しばらくして、焼き鳥屋がつぶれた。
やっぱり小鳥屋の隣で焼き鳥を喰う方がダメージ大きかったんだろうか。

しかし、先日、そこを通りかかってみると、小鳥屋もつぶれていた。

「安定的な卸し先が無くなるって、商売上、痛手だよな。」と俺は心の中でつぶやいた。

まさむね

中野から渋谷へはバスで行こう

中野から渋谷へ行くいわゆる63番のバス路線はある意味、現代的な観光路線だ。
中野通りを抜けて、甲州街道に入ると、幡ヶ谷駅付近の右手に、兄(勇貴)が妹(亜澄さん)を殺した歯科医が見える。
甲州街道から山手通りに入り、代々木八幡の先で左に折れると、すぐに夫を殺害した三橋歌織のマンションが見える。
バスは突き当たりをさらに、左に折れると、社員がこぞって、時間中に株取引をしているNHKがある。
NHKを左に、ぐるっと回って、公園通り経由で渋谷駅に。

俺はこの路線を使って大学に通っていたのだ。懐かしい。

まさむね

立方体の体積

頻繁に近所のファミマに宅急便を出しに行く。最近のレジの大学生?のバイトが宅急便専用のメジャーで箱の寸法を図るわけだが、二辺しか図らない。メジャーは運賃で色分けされているのだが、数回得している。

でも、さっき出しに行ったときは、隣のチーフに指摘されて気づいたみたいだ。

コンビニで学ぶ立方体の体積。

家にはヤマトのIC精算カードあるんだけど、コンビニにで出し続けたかったになあ

小ネタ3選

1 ホテルの朝食
フレッシュジュースは普通オレンジとグレープフルーツがあるが、自分でミックスすると苦味と甘みがちょうど良い。

2 ビックサイト
コインロッカーは近くの松下のショールームのコインロッカーがデポジットで100円戻ってくる。ついでにトイレはウオシュレットだ。併設のカフェはLANケーブルを貸し出している。(ドコモのM-zoneもあるけど)

3 千と千尋の神隠し
豚になった両親を救う話だが、これは恐怖漫画家、日野日出志の「恐怖!豚の町」の方が先