ドラマに見る階級の残酷さ

TBSドラマ「Around40-注文の多いオンナたち-」の最終回は、格差社会を反映してか、階級の異なる男女がことごとく結婚しない、あるいは離婚するという、ある意味、残酷な結末となった。

結婚せずに医者として、自己実現しようとするす聡子(天海祐希)は臨床心理士の恵太朗(藤木直人)との婚約を破棄し、病院の院長に就任する。
雑誌編集者の奈央(大塚寧々)は、いわゆる勝ち組のセレブ夫との仮面生活に嫌気がさし、ゴージャスな生活を捨てて、離婚して一人で子育て自立を目指す。後に、幼なじみのシェフ(筒井道隆)と結婚か?
また、瑞恵(松下由樹)は、長年連れ添って子供もいた旦那との間にいろいろ問題もあったが、結局は結婚というシステムの中で幸せを再確認する。

もちろん、上記のように階級の残酷さという現実(リアリティ)はオブラードに包み込まれ、口当たりのいいドラマとして仕上がっていたと思う。
人生いろいろと言った人がいたが、まさしく、それぞれの生き方を尊重した、ターゲットユーザーの嗜好にあったいい意味での予定調和を見せてくれた。

しかし、この「Around40」で示された、建前(人それぞれの価値観重視)と現実(階級の残酷さ)は、実は、もう一つのTBSドラマ「ラストフレンズ」とも通底している。

結局、一般的な意味での勝ち組である航空会社の正社員であったエリ(水川あさみ)とオグリン(山崎樹範)の2人が結婚。
そして、無職の母子家庭のミチル(長澤まさみ)と、アルバイトをしながら一流のモトクロスレーサーを目指すルカ(上野樹里)、バーテンとヘアメイクアーティストで食いつなぐタケル(瑛太)は共同生活を選択するのだ。

「Around40」と「ラストフレンズ」。双方とも友情、個性という言葉で曖昧にされているが、階級の残酷さこそ共通テーマという見方も出来るのではないか。

まさむね

ラストフレンズは盗聴ドラマだ

 ラストフレンズは盗み聞きドラマだ。
主なシーンの順を追ってみよう。
ミチルの母が部屋で男と乳繰り合っている所をミチルが盗み見(第1話)
ソウスケがミチルに暴力を振るっている所をルカが盗み見(第2話)
ミチルが卒業アルバム(ソウスケにルカの顔を塗りつぶされた)を見ている所をソウスケが盗み見(第3話)

オグリンが妻が別の男とデートしているシーンを、オグリンとエリが盗み見(第4話)
シェアハウスを出ようかと思っているとミチルがタケルに話している所をルカが盗み聞き(第6話)
タケルがルカに優しくするも、ルカに拒絶された所をミチルが盗み聞き(第7話)
ミチルがタケルにした告白をルカが盗み聞き(第7話)
オグリンが妻と会っている所をエリが盗み見(第7話)
ルカが見ていた性同一障害のサイトをエリが盗み見(第8話)
ルカとタケルが井の頭公園で抱き合っている所をミチルが盗み見(第8話)
ルカとタケルの楽しそうな会話をミチルが盗み見(第9話)
ルカがミチルを異性として好きだとタケルに話している所をミチルが盗み聞き(第10話)
ミチルがシェアハウスを出たいとタケルに相談している所をルカが盗み聞き(第10話)

ほぼ、1話に1回のペースだ。上記の他にもの覗き見(特にソウスケのミチルに対する)は別途満載、街での偶然の見掛けは沢山あったがここでは省略。

恐らく、5人の男女が一つ屋根の下で暮らすという設定は、盗み聞きドラマには欠かせない設定だったんだろうか。

しかし、我々の感覚からすると、彼らの不用意さは、あまりにもリアリティがない。
この不用意さは、若者特有の経験不足と解釈すべきなのか。あるいは現代の若者に特有の思いっきりのよさと解釈すべきなのだろうか?

ちなみに最終回は、話を回収する会だったため、盗み聞きはありませんでした。

まさむね

道路建設の末路としての木更津キャッツアイ

道路特定財源の一般財源化の方針が決まり、これから秋にかけて、どの道路を作るの作らないのという激しい論議が水面化で始まりそうだ。

道路を作ることの大きな理由は、地域の活性化とのことである。
確かに、工事中は、地元民にいくばくかの労賃が落ちて若干は潤うのだろうが、開通後は、逆に経済活動が低迷するケースがあまりにも多い。
有名なのはアクアライン開通によって、大型店舗(そごう、ダイエー)が相次いで撤退し、駅前がシャッター街となってしまった木更津である。

そして、この寂れた地方都市の現実を斬新な手法で描いたのが、「木更津キャッツアイ」であった。

このドラマは、時流に取り残された木更津という街で、まったりと生きる野球青年達の群像話である。

主人公のぶっさんは、シャッター通りにある床屋の息子。癌宣告を受け、余命数ヶ月と診断されるが、なかなか死なない。
彼は、財政破綻寸前だが、補助金、交付金、市債等で生き延びる木更津市(というか全国の地方都市)の象徴だ。

オジー(古田新太)は、木更津の高校の先輩。過去の記憶を失い、木更津の守り神(石像)となる。
こちらは、古くからの共同体が崩壊した地方都市が、町おこしと称して、わけのわからないハコモノやオブジェを作成する事によって、逆に土地固有の匂いを消し去っていくという矛盾を婉曲に批判。
木更津的に言えば、海ホタルくんのパロディとも見られる。

また、それ以外のメンバーも、それぞれが、土地の呪縛と閉塞的な現状の中、中途半端な時間を過ごす。

道路による地域活性化は幻想だということを再度、検討すべきだ。

まさむね

篤姫 幕末に迷い込んだ現代女性

NHK大河ドラマ「篤姫」は大雑把に言えば、薩摩の片田舎に、島津の分家の娘として生まれた女の子がその運命の糸に引かれて、御台所として、幕末の日本を泳ぎ渡る話だ。

それにしても、篤姫の人間力はたいしたものだ。島津斉彬、島津斉興、近衛忠熙、徳川斉昭、阿部正弘、そして徳川家定と次々と登場する男達を、その実直な物言いと、笑顔でコロっと行かせつづける。

まるで、大河ドラマに朝の連ドラの主人公が迷い込んだかのような篤姫が、一体、どこまで驀進するのか?

歴史物の本によると徳川慶喜とは馬があわなかったらしいので、そのあたりはどう描かれるのか楽しみだ。

まさむね

ラストフレンズ 三低男の典型

バブルの頃のモテる条件は3高(高学歴、高身長、高収入)だったが、今は3低(低姿勢、低依存、低リスク)というらしい。
「ラストフレンズ」のタケル(瑛太)はまさしくその条件にぴったりのイイ男だ。

常に、相手の事を気遣う姿勢の低さは、同居人?のミチル(長澤まさみ)から「タケル君は誰をも幸せにする才能があるね。」って言われる。
また、昼間はヘアメイクアーティスト(まだ半人前だが)、夜はバーテンダーと働き分ける彼は、ほそぼそながら自立し、自分の道を進もうとしている。精神的にも経済的にも相手を束縛せず同時に、依存しないタイプだ。

そして3つ目。セックスレスの彼は、ある意味、最高に低リスクな男だ。

※低リスクとは実は、公務員的な将来性のリスクが少ないということらしいが、それだと宗佑(錦戸亮)とかぶるのであえて、別解釈しちゃった。

まさむね

ラストフレンズ 青い鳥、新約聖書、古事記からの飛び出た三人

フジテレビ 木曜日10:00からの「ラストフレンズ」が佳境に迫っている。

長澤まさみ(ミチル)、上野樹里(ルカ)、そして瑛太(タケル)が出演しているが、私が個人的に気になっているのが、左記3人の名前がそれぞれ、童話、聖書、神話をぼんやりと想起させることだ。

言うまでも無く、ミチルは、「青い鳥」(メーテルリンク)に出てくる女の子の名前と同じだ。その童話では、幸せを探して、お兄さんのチルチルと様々な冒険をして、最後に自分の家で青い鳥=本当の幸せを見つける。「ラストフレンズ」のミチルは、幸せをさがしてフラフラする弱い女の子だが、最終的に幸せが見つけられるか楽しみだ。

ルカと言えば、キリスト教の聖人。新約聖書のルカ伝の著書として名高い。
ドラマの中のルカは、性同一障害者として他人に言えない悩みを抱えるが、宗教的(精神的)高みに達することは出来るのか。

タケルの名前はあまりにも有名。古事記に出てくる英雄(ヤマトタケル)だ。ただし、彼は父親に疎んじられ、熊襲や蝦夷征伐のために、日本中を放浪し、最後は力尽きて白鳥となったという悲劇的な存在だ。
ドラマの中のタケルは子供の頃に姉から性的悪戯を受け、それがトラウマになってしまった青年だ。自分の悩みを克服できず、最後美しく死んでしまうのか?

最終章を残した段階での勝手な妄想でございました。

まさむね

ROOKIES 通過儀礼としての黒板コミュニケーション

学園ドラマにおける黒板って大事だよね。

ROOKIESでは、新任の川藤先生(佐藤隆太)に対して「暴力教師」っていう誹謗が黒板に書かれ、教室に入ってきた先生と不良生徒との間に一触即発の状況に発展する。
ちょっと古いが「鹿男あをによし」では、「パンツ三枚 千円」とか「鹿せんべいそんなにうまいか」という黒板への書き込みに、先生(玉木宏)誰かに見張られてるんじゃないかと疑心暗鬼になる。

だけど、この黒板による先生&生徒とのコミュニケーションは古く、夏目漱石の「坊ちゃん」に探れるんじゃないかな。この小説では、坊ちゃんは黒板の「天麩羅先生」と書かれ、「教師が天麩羅蕎麦食って悪いのか」とムキになる。

いわゆる黒板事件は、学園ドラマでは、エイリアンとしての教師から人間として教師へ移行するための大事な儀式なのかもしれない。

まさむね

ROOKIES 高福祉型×ネオリベの代理闘争

格差社会の到来が言われている。

もしも、その格差社会が避けられない現実であるとすれば、最下層の人々に対して、どういった手当て(経済的にそして、精神的に)をしたらいいのかという現実的政策が今後、大いに論議されていくことだと思う。

解決策としては大きな方向性として2つある。一つは最下層の人々の幸せを完全に保障するというEUの高福祉型。そしてもう一つは、最下層の人々にも等しく階級上昇の思想と具体的チャンスを与えるというアメリカのネオリベ型。

TBSのドラマ「Rookies」は、上記2つの解決策の葛藤が主題のドラマである。

夢を失ない、心もすさみ、他の生徒からも差別されるある高校の野球部。彼らはいつも、暗い部室を自分たちのアジトとして、喧嘩、タバコ、麻雀等にふけっていた。というと、なんともネガティブな状況だが、逆に言えば、そこは彼らも自称するパラダイスであった。先の話に近づけて言えば、学校側から無視されるという形で幸せを完全に保障されているのだ。(彼らは様々な違反に対して、黙認されると同時に、授業に出席しなくても出席扱いとなっていた。)

そこに現れた新任教師・川藤。「夢」という階級上昇の思想を持って、野球部の生徒たちを改宗させていく。つまりアメリカ型のネオリベ的価値観に生徒を強引に巻き込んでいくのだ。(ちなみに、ちょうど、この漫画が連載された頃は、平成大不況から小泉構造改革時代にかけての時代で、この川藤的価値観が隆盛になっていく時代と連動しているのが興味深い。)

勿論、最初は、このネオリベ的価値観に学校側も生徒側もこぞって抵抗するのだが、川藤先生の熱意に気おされ、少しづつ(一人づつ)落城していき、ようやく野球が出来るまでに野球部を変えていくというストーリーだ。

学ラン、リーゼント、麻雀、殴り合い等、最近ではほぼ死滅した不良アイテムが何の違和感も無く登場する久しぶりに男くさいコテコテのスクールウォーズ的ドラマだが、その不良達の圧倒的存在感はGJだ。

まさむね

鹿男あをによし 最終回で全ての謎はとけたのか

鹿男あをによし、最終回は何の謎も解決せず、謎を持った私がバカだったと思わせるような結末だった。

俺が持った期待はこうだ。

日本列島を周期的に襲う大地震を鎮めるための「鎮めの儀式」に重要な役割をはたす狐と鹿と鼠。
ご存知の通り、狐は京都の大神社・伏見稲荷のご眷属(神獣)で、鹿は奈良の春日大社の眷属(神獣)だ。そして鼠は、一般的には大黒様(大国主)の使いとの俗信がある。と言うことは、さらに出雲大社に絡んでくるのか。ワクワク...

また、先生(玉木宏)が東国からくるときに持ってきた鹿島神宮の勾玉、鎮めの儀式に使われて鏡(三角縁神獣鏡)、そう来れば、後は刀はどこでどう絡んでくるのか?
言うまでも無く、勾玉、鏡、刀は天皇が即位する際に前天皇から譲られる三種の神器だからね。

剣道の話もあったし、そのあたりから刀の秘密が解明されていくのか?三種の神器の秘密が明かされることによって、天皇制の正当性の話まで膨らんでいくのか...俺は期待して最終回を迎えた。

しかし、結局は登場人物達の恋の話で終わってしまった。
あの期待は何だったんだろうか。

ドラマの冒頭のナレで、で八百万(ヤオヨロズ)の神っていうのを、ハッピャクマンの神って言っていたので若干に不安を感じていた俺。悪い予感的中というところか。

まさむね

大仁田と鶴太郎

朝のテレビドラマ小説「私の青空」で主人公・なずなのお見合い相手が片岡鶴太郎であった。これであの大仁田厚と恋敵になったわけであるが、15年位前の全日本プロレスの会場で、しがないジュニアレスラーだった大仁田に対して顔が似ているということで「つるたろぅ~」ヤジが起きていたのが妙になつかしい。
それにしてもモーニング娘。の安部なつみは、オリンピックの応援の席次で、ついに後列になってしまった。世間は厳しいということか。

まさむね