イノセントラブとスキャンダル勝負あった!?

月9ドラマ「イノセントラブ」の展開があまりにも息苦しい。
堀北真希演じる佳音の”心情”にベッタリと寄り添わないと、とても見続けるのはつらい。
客観的に、彼女の行動を追っていくと、覗き、盗み聞き、不法侵入、出まかせの嘘、その場のごまかし等が満載で、奇行少女といった感じだ。
おそらく、殉也(北川悠仁)の絶対的心の広さ(何をやっても最終的に許す優しさ)があるから物語がかろうじて成立しているのではないか。

こういった純愛物は例えば、「恋空」なんかもそうだけど、映像にしちゃうとイメージが限定されすぎちゃって、感情移入しにくくなっちゃうんじゃないかな。
時代の流行っていう意味で、厳しいような気がする。
80年代の大映ドラマや90年代の野島ドラマ等の不幸物は、もう喜劇としてしか見られないからね。

一方、日曜劇場「スキャンダル」の華やかな展開は「イノセントラブ」の息苦しさと好対照だ。
第4話を終わった時点で、先が全く読めない。
今まで隠されていた過去、お互いの人間関係が、どのように、露呈していき、そして収束していくのか。
沢山いる個性的な登場人物達がそれぞれに、事件と過去に巻き込まれていく、その展開は、新しさを感じるよね。
今後、このドラマの感覚を模したドラマが多産される予感すらする。

さて、この「スキャンダル」は「セックス・アンド・ザ・シティ」の多大な、影響下にあると言われている。
だとするならば、「セックス・アンド・ザ・シティ」同様に、主役の4人のライフスタイルとか年齢とかを元にして、それぞれが着ている服のブランドやセリフの言い回しのコード(意味)が理解できればもっと楽しいんだと思う。
金持ちの奥さんってこういうブランド着るんだよなとか、役人の奥さんはこういう色好きだよねとか、年増OLってこういう言い方するよねとか、みたいな、いわゆる、あるある感覚を楽しむのも一つの楽しみ方だよね。
でも、僕にはそれを解読する知識は無いのが、残念。
唯一、前回、みんながたまき(桃井かおり)の家に泊まるシーンで、たまきがその場で用意した寝巻き用のTシャツが、ストーンズ、キッス、クラッシュ等のロック物だった事で、たまきの趣味と部屋の汚さの起源がわかる程度だ。

「イノセントラブ」の浅野妙子と「スキャンダル」の井上由美子。
浅野は「ラブジェネレーション」「神様、もう少しだけ」「大奥」「ラスト・フレンズ」、井上は、「ギフト」「GOOD LUCK!!」「14才の母」「ファーストキス」等を手がけている。

1961年生まれの現代を代表する二人の脚本家だが、今回の「イノセントラブ」と「スキャンダル」の勝負は見えた!というのは早計だろうか。

まさむね

 

純愛一直線「イノセントラブ」は成功するか

先日(10月25日)、自ら結婚式を予約していたホテルに、その当日に放火した男が逮捕された。
容疑者の供述から、彼は、実は既婚者であり、それが判明するのを恐れての犯行であった事がわかった。

世の中、いろんな事件が起きるものだが、これまた、普通では考えられないとんでもない事件であった。

結婚式に招待されていた人の中に、男が既婚者だった事を知ってる人はいなかったのだろうか?
結婚当日、彼は何と言って現妻の家から出てきたのであろうか?
婚姻届はどうしようと思っていたんだろうか?
とりあえずその日には式が出来なかったとして、仕切り直しの式当日はどうしようと思っていたのだろうか?
この事件を知って、現妻とその親族、新妻とその親族、会社の同僚、友人達、ホテル関係者はどう思ったのだろうか?
いったい、彼はどんな性格だったのだろうか?

等々、疑問は尽きない。

しかし、実は僕は、彼の気持ちはわからなくはないのだ。
恐らく、彼の頭の中の願望の世界では、現妻とも新妻とも、それぞれに楽しく暮らす絵が描かれていたのだろう。
勿論、それは、現実生活としては不可能だ。有り得ない。
しかし、彼は願望と現実の間に挟まれ続けて、対応を遅らせ、問題を先送りし続けて、最後に、放火に至ってしまったのである。
そういう意味で、彼はあまりにも純情だったのかもしれない。

ところが、彼が持っているような、ある意味での内面の純情さ(ナイーブさ)は、ドラマの登場人物の行動のモティベーションとしてはアリなのだ。

そのいい例が、「イノセント・ラヴ」の主人公の佳音(堀北真希)のいわゆるイノセント(純情)な気持ちである。
例えば、前回も、一目惚れした殉也(北川 悠仁)のあとを付け回す佳音。
彼が落としたハンカチを届けに彼の家に行き、鍵が開いていたため、勝手に侵入してしまう。
しかも、以前に入ってはいけないと言われていた部屋にも忍び込もうとするのだ...

恐らく、彼女の心情とシンクロしてドラマを楽しんでいる人にとっては、彼女の行動は、違和感は無く見れるのだろう。
多くのドラマファンにとっては、そこに描かれている現実のリアリティよりも、心情のリアリティの方が重要だからだ。

しかし、この心情最優先主義という思想自体が、最近、徐々に、揺らいで来ているように思える。
いろんなニュースを見ていても、同情を惹こうとする振る舞いに対して、以前ほど、多くの人々の感情が揺り動かされなくなってきているように思われる。
例えば、ちょっと前に、高速道路を作るために、幼稚園のイモ掘りが中止されるというニュースがあったが、昔だったら、泣き叫ぶ子供の前では、行政への非難が集中しそうな場面も、逆に幼稚園側の不可解さの疑問の声の方が大きかったようだ。

このような、心情最優先主義の後退が、最近のドラマの視聴率の低迷の背景にあるのではないかと、僕には思われる。

この夏、「恋空」がTBSでドラマ化されたが、昨年、映画や小説で大ヒットした割りに思ったような数字を稼げなかった。
恐らく、「恋空」というコンテンツがテレビというマスメディアで流されて、国民的に共感を得られる程の”広い心情のリアリティ”が無いのだ。
それは、あくまで携帯サイト、映画館レベルの人々が共感出来るリアリティにすぎなかったのではないか。(恐らく、多くの大人達にとっては、「恋空」の登場人物の行動・心情は理解不能だったのではないか。)

さて、そんな状況を受けて、月9というメジャーステージで、心情最優先主義ドラマ「イノセント・ラヴ」がどれほど、世間に受け入れられていくか。
数字の動きが楽しみだ。

まさむね

「スキャンダル」とdocomoの思惑

提供スポンサーの意向がドラマに残した痕跡を深読みするというのも、ドラマウォッチャーの楽しみの一つである。

今クールのドラマで言えば、TBSの日曜劇場「スキャンダル」はNTTdocomo提供番組だけあって、携帯電話が重要な場面で使われていて興味深い。

例えば、主人公の4人の女性が持っている携帯の使い方、色は、それぞれのキャラクタを具現化している。

バリバリのキャリアウーマンだが、一方で引き篭もりの子供を抱える悩み深い新藤たまき(桃井かおり)、携帯の色は闇を表す黒。家事をしながらストラップで首からさげた携帯をテブラモードにして仕事話をするシーンが、新しい女性のスタイルを示唆。
金銭に細かく世間体ばかり気にする財務官僚の夫からの支配にうんざりする河合ひとみ(長谷川京子)、携帯の色は夢を表すピンク。息の詰まる日常で唯一の楽しみは、“薔薇姫”の名前で妄想の生活を書き綴る携帯ブログのみ。
20歳年上の美容整形医の妻だが、夫の異常な嫉妬と束縛に耐えている鮫島真由子(吹石一恵)、携帯の色は派手さを表すデコ電。これはあくまで予想だが、夫が彼女の携帯を盗み見て騒動になる可能性大。
理想の主婦を演じながら、夫と娘からあまり相手にされない高柳貴子(鈴木京香)、携帯の色は貞操をあらわす白。2話の最後では夫の浮気場面という修羅場に遭遇するも、行方不明になった友人の白石理佐子(戸田菜穂)からの電話が...

来週からの新展開にも、重要な役割をはたしそうな携帯電話。今後も、目が離せない。

しかし、さらに深読みするならば、前回、貴子が行方不明になった理佐子(戸田菜穂)の旦那・久木田慶介(加藤虎ノ介)に貴子の旦那・高柳秀典(沢村一樹)が理佐子と付き合っていた事を知らされるのが、なんとKDDIが入っている泉ガーデンの目の前という設定に、ネガティブイメージポイントをライバル社の本社前に持ってく
るdocomoのスキャンダラスさなセンスを感じざるを得ない。

さらに言えば、この泉ガーデンは、かつて、あの永井荷風の屋敷があったところだ。
言うまでも無いが永井荷風は、耽美文学の巨匠であるが、スキャンダラスな猥褻裁判として争われた「四畳半襖の下張」の原作者としても有名ある。
そしてさらに荷風の先祖をたどっていくと、一族には、あの藤原道長に「浮かれ女」と称されたスキャンダラスな女流歌人・和泉式部、「伊勢物語」の主人公で、性的に放縦だった言われるスキャンダラスな美男、在原業平の名前も見える。

そんなこの土地を、このドラマ「スキャンダル」の重要なロケ地に選ぶとは、奥の深さはなかなかのものだ。

それじゃあ、次はソフトバンクがある汐留で何か不吉な事を起すか?でも、あそこは、日テレのお膝元だからなぁ。

最後に、新藤たまきの夫・哲夫(石原良純)が部屋を片付ける時に、最後まで黄色いタウンページが置いてあった。docomoではないが、NTTさすがしぶとい。

まさむね

イノセントラブの盗み見 日本文学の伝統

浅野妙子脚本作の特徴の一つは覗き見・盗み聞き・偶然の発見の多用だ。

前作「ラストフレンズ」でも、ほぼ毎回1回はそのようなシーンがあり、ストーリーを転がしていた。(本ブログ6/20の「ラストフレンズは盗聴ドラマだ」参照の事)

それでは最新作「イノセント・ラヴ」はどうだろうか。
第1回放送では早くも4回もあった。

佳音(堀北真希)が喫茶店の女主人と客との間での佳音兄妹の悪い噂しているのを覗き見る。
春江(宮崎美子)がハウスクリーニング先で現金を盗むところを佳音が発見。
佳音が殉也(北川悠仁)の写真を盗もうとしたところを殉也が発見。
ハウスクリーニング事務所で佳音の過去の事件が表示されているPC画面を春江が盗み見る。

これはちょっと多すぎやしないか。普通の人生で、こういった劇的な盗み見ってそんなにあるもんじゃないからね。
まぁ、これらの仕掛けが悪いわけじゃない。それでドラマが面白くなってくれればいいんだけどね。

考えてみれば、この覗き見・盗み聞き・偶然の発見っていうのは、日本の文学作品を振り返ってみても重要な物語転換点になっている。

例えば、「古事記」で、黄泉の国でイザナギノミコトがイザナミノミコトの死後の姿を見ちゃうとか、アマテラスが天岩戸に隠れた後、他の神々の饗宴を岩戸の中から覗いたりする。
この2つのシーンは、「古事記」の中でも凄く有名でしょ。

また、「源氏物語」でも、乳母の家の隣の家で、夕顔を覗き見るシーン、光源氏が紫の上を始めて見つけるシーン、柏木が、飼い猫が御簾の中から出てきた瞬間、女三宮を見てしまうシーンが有名。
偶然かもしれないけど、この3シーンは、後に作られた源氏絵巻、源氏蒔絵、浮世絵の題材等でも人気ベスト3の絵柄として人々の印象に残ってるっていうのも面白い。

その後の文学史を見ても、今昔物語、能の題材(「黒塚」)、おとぎ話(「鶴の恩返し」)から、谷崎潤一郎(「鍵」)の近代文学まで、覗き見は、日本文学の主題の一つとして生き続ける。

実は、日本人ってこういうの好きな民族なのかも。
ちなみに、ある調査によると、現代でも、20代で恋人の携帯の記録を勝手に、見たことある人って6割くらいいるんだってさ。

まさむね

「イノセント・ラヴ」と「流星の絆」の共通性

昨日、TBSドラマ「流星の絆」はふるさとを喪失した兄弟の物語だと書いたんだけど、本日放映されたフジの月9ドラマ「イノセント・ラヴ」も同様の主題だった。

人気ドラマが偶然にしても同様の主題を扱うと言う事自体、根っ子が無くなってしまった人々、政治のみならず地域からも阻害された人々をどうするのかという事が社会的なテーマとなりつつある事情が背景になっているのではないかな。

さて、この「イノセント・ラヴ」だけど、堀北真希演じる秋山佳音のキャラクタがちょっと固まっていない感じがするよね。
よく働くいい娘なのだが、突然別の面を見せる。
携帯で他人を盗み撮りするは、写真自体を盗もうとするは、と倫理観が無いようなのだ。
しかも、写真を盗むところを見られ、逆に優しくされた相手(北川 悠仁演じる長崎 殉也)を好きになり、彼の家に突然、プレゼントを持って会いに行く。

動機が純粋であればいいということか?
だからイノセントなのか?

まぁその他、北川悠仁が”棒”だって問題もあるけど、このドラマ、「ラストフレンズ」と同じく浅野妙子が脚本なのでしばらく見続けてみようかな。

ちなみに、最近の堀北真希といえば、「篤姫」の和宮役のイメージが強いんだけど、ここ数週間、長州征伐で大阪に行ってしまった愛する夫の徳川家茂の写真を見ながら、モンモンと過ごす可憐な和宮のイメージを、「イノセント・ラブ」は見事に引き継いでいるなぁと感心した。その辺りはフジってさすがだよね。

まさむね

「流星の絆」ふるさとを喪失した兄弟の復讐物語

地域格差が言われて久しい。
それは都会VS地方という図式で語られる事が多い。

しかし、より問題なのは、地域内部の格差ではないかと、僕は思っている。
地域社会で一番力を持っているのは、いわゆる「ヨネスケの隣の晩御飯」において訪問対象となる人々だ。
彼らは、地域のコミュニティ(農協、漁協、商工会議所、氏子等)の重要な地位を占める既得権益者と言ってもいいだろう。
恐らく、小沢一郎とか、麻生太郎が日本全国を行脚したなんて言ってるけど、彼らが会っているのは、この隣の晩御飯組に所属する人々だけだろう。
公共事業とか、地域活性化事業等が行われる場合、利権は、この人達に一次的に落ちるような仕組みになっていると想像されるような人々だ。

次に地域に根付いているのが、いわゆる「木更津キャッツアイ」的なジモティ仲間のコミュニティに所属する人々だ。
彼らは、利権があるから地域にしがみ付くのではなく、仲間がいるから地域にとどまり続ける。
彼らにとっては東京は遠い存在だ。自分達の世界とは別の世界なのである。

そして、最後に、格差社会の最下層にいるのが、隣の晩御飯的なコミュニティからも、ジモティ的仲間からも阻害されたバラバラになった人々である。
彼らの所には決して小沢一郎も麻生太郎もヨネスケも訪れない。

恐らく、秋田の連続児童殺害事件で逮捕された畠山鈴香被告とか、秋葉原の通り魔事件の加藤智大容疑者は、こういった人々だったのではないか。
例えば、鈴香被告は、高校の頃、クラスの人々から痛恨のイジメにあっていたという。彼女の卒業文集に書かれていた同級生からのメッセージだ。

会ったら殺す!/顔をださないよーに!/もうこの秋田には帰ってくるなョ/秋田から永久追放/いつもの声で男ひっかけんなよ/山奥で一生過ごすんだ!/今までいじめられた分、強くなったべ 俺達にかんしゃしなさい。

こういった周りの目の中で、ひっそり生きるっていうのも辛いだろうな。
僕は、彼女が犯した罪とは別次元で、そういった生き方をせざるを得ない人々に、一定のシンパシィを感じてしまう。

さて、宮藤官九郎脚本の「流星の絆」が始まった。
これは殺人事件によって両親を殺された3人兄弟(二宮和也、錦戸亮、 戸田恵梨香)がその復讐をする物語だ。子供たちは両親とともに過ごした横須賀を離れ、その後、施設で育ち、現在は、吉祥寺に住んでいる。
「池袋ウエストゲートパーク」や「木更津キャッツアイ」においてジモティ仲間の青春を描いたクドカンの視線がその下の層に届いた作品と言っていいのだろうか?
ふるさと(地域社会)を喪失した兄弟を、彼がどのように描くのか、楽しみだ。

まさむね

瑛太が演じる草食系男子(タケルと帯刀)に注目

結婚しない、あるいは出来ない男性が増えてるという話を昨日したが、その前段には、恋愛が苦手な男子が増えてるっていう要因もある。

流行の言葉で言えば、草食系男子増殖っていうことか...
この草食系男子というは女の子に対して、恋愛関係にはなりたくない(なれない)、けど、マッたりと一緒の時間を過ごすのは大得意っていうタイプの男の子の事だ(詳細は、「草食系男子の恋愛学」(森岡正博著)参照の事)。

恐らく、若い男っていうものは、好きな女の子と二人っきりになると、いかにヤるかっていう欲望+戦略+妄想で頭が一杯になるっていうのは、昔の話。
最近は、こういうタイプが目立ってきているらしいのだ。

それは、別の言い方をするならば、そういうタイプの男の子に対して、「それもいいんだよ」って、やっと言えるような時代になってきたっていう事かもしれない。

具体的なイメージで言うならば、今、フジテレビで再放送している「ラスト・フレンズ」で、瑛太が演じているタケルっていうのがまさしくこのタイプなんだよね。
タケルは、子供の頃に実姉から受けた性的暴行をトラウマにしていて、SEX恐怖症になっているっていう背景はあるんだけど、シェアハウスにいる他の女の子達に対する扱いが完璧に上手い。
気が弱いんだけど、気が利くし、気が回るし、優しいし、聞き上手なのだ。
だから、「タケルは、他人を幸せにする才能があるよね」って言われたりする。
しかし、”恋愛”は、いつも上手くいかないのだ。
エリ(水川あさみ)からのSEXの誘いには応じられないし、ルカ(上野樹里)への告白は空振りに終わる(これにはルカがレズだという理由があるんだけど)し、ミチル(長澤まさみ)からの告白は受け入れられない。
それでも、そんないろんな事がありながらも、彼女達から絶大に好かれている。上手くやっていけるのだ。凄い才能だ。

一般論で言うならば、恋愛下手な草食系男子が増える事に関して、少子化の視点から眉をしかめる向きもあるのかもしれないけど、周りの人々、社会にとっては、むしろ歓迎すべきことだと思う。
消費しない若者と同時に、周りにストレスを与えない若者像っていうのも、新時代の生き方として、肯定したいところだ。

さて、瑛太が出演しているもう一つのドラマ「篤姫」だが、ここでの彼の役どころは、薩摩藩家老・小松帯刀である。
明治維新の立役者として歴史上では大活躍する彼だが、女性に対してはタケルと同じような、いつも上手くいかなく、情けないスタンスなのが面白い。
篤姫(宮崎あおい)に対しては、結局、愛を伝えることは出来ず、姉さん女房のお近(ともさかりえ)とは、(小松家の養子となる事によって)半ば強制的に結婚させられる。また、京都の屋敷には、芸者のお琴(原田夏希)に上がりこまれるのだ。

次の放送では、このお近に、お琴との同居生活がバレるらしい。
幕末の草食系男子・小松帯刀のアタフタした姿が楽しみだ。

まさむね

「篤姫」高視聴率は許婚システムへの憧れか 

「篤姫」の視聴率が相変わらず好調らしい。

篤姫と和宮の、己の運命を受け止めて、その中で前向きに生きていく、生き方が逆に現代の若い人々にとって新鮮に映っているのかもしれない。

特に、和宮の表情が心を打つ。
元々、和宮は、他に結婚相手が決まっていたのだが、幕府と朝廷との政略的意図により、心ならずも徳川家茂に嫁ぐ。
しかし、家茂の人柄に段々心を惹かれていく。
長州征伐に向かう家茂、ただ、黙って見送るしかない和宮。
和宮の家茂への想いの深さが伝わって来て、まさしく切なさの極致だった。

さて、最近の二十代の女性は、酒井順子の『負け犬の遠吠え』以降、「絶対に負け犬になりたくない」と早くから結婚を意識しているという。(「婚活時代」山田昌弘、白河桃子共著 より)
そんな彼女達にとって、結婚活動(婚活)でバタバタ動き、時に恥をかき、時に傷つくよりも、周りの人が勝手に段取りし、否応なしに運命の御相手と結ばれる、いわゆる「許婚(いいなずけ)」システムが一周して憧れとして感じられても不思議がないような気がする。

「篤姫」の高視聴率は、そういった憧れに支えられているのかもしれない。

まさむね

「篤姫」の家紋に物申す

satumakamon.gif篤姫のような本格的な時代ドラマを見ていると、僕はどうしても(若干の悪意を含みながら)登場人物の家紋に目が言ってしまう。

いつも気になるのが、徳川家茂と一橋慶喜の家紋が同じに見える事。
ものの本によると、三つ葉葵でも、徳川宗家の家紋は3つの葉が中心がくっついているが、一橋家では離れていたらしい。
まぁウチはまだアナログテレビなので、微妙な差異は見分けられないんだけどね。

そして、今日の「篤姫」で気になった事。

本日の放映回では、西郷隆盛が島津久光に許されて薩摩の軍役に復帰するのだが、その際、紋付を羽織っていたのだが、その家紋が「抱き菊葉に菊」(写真真中)だった。
確かに、西郷さんといえば、この「抱き菊葉に菊」と言われているのだが、この家紋は明治天皇から下賜されたもののはずだ。
という事は、禁門の変(1864年)の時点で西郷隆盛がこの紋付を着ているのはおかしいのではないだろうか。

それでは、西郷の元々の家紋は何だったのであろうか。
多磨霊園にある、西郷隆盛の弟の西郷従道の墓の家紋は写真一番上だ。
これが、梶の葉なのか、菊の葉なのか、僕にはちょっとわからない。
しかし、ここからは推測だが、元々、菊の葉の家紋だった西郷家の隆盛に対して、明治天皇が「私をずっと守ってほしい」という意味を込めて、その菊の葉が囲む菊の花の紋を与えたのではないか。

さて、西郷と言えば、大久保だが、青山墓地にある大久保利通の墓にある家紋は写真一番下。僕には藤巴紋に見える。
ちなみに、この藤巴紋は、寅さんで有名な渥美清の本名、田所康雄の家紋でもある。

家紋を調べていくと、全然別のキャラクタの人々が同じ紋を持ってたりするから面白い。

まさむね

鉄板少女から和宮への見事な転身

「篤姫」での堀北真希がなかなか素晴らしい。

徳川家茂(松田翔太)に対する愛と孝明天皇(東儀秀樹)の妹・皇女・和宮としての立場の間での葛藤、天障院(宮崎あおい)との信頼の醸成、公家衆の陰湿さ(彼女達は身内であるが)に対する不快感等を微妙な表情で演じ切っているように思えるのだ。

実は昨年、和宮を堀北真希が演るということが発表された時、僕は、かなり違和感を感じた。
僕の中で堀北真希って言えば、「鉄板少女アカネ」だったのだ。
それは、コテコテの庶民キャラである。
その彼女が皇女を演じるって大丈夫っていう風に思っちゃったわけだ。

しかし、「篤姫」では彼女は素晴らしく演じている。彼女はもしかしたら凄い才能があるのかも。

ただ、苦言が一つ。

テレビナビのインタビューで以下のように述べているのだ。
「家茂さんとの収録では、実はラブシーンが大変でした(笑)。寄り添うだけでも、かつらが気になってしまい、寄り添うカタチをキープ!みたいな...(笑)」
この雑誌を見た後、家茂と和宮のラブシーンでは、彼女のかつらに目が行ってしまう。集中して見れなくなったじゃないか。
こういうこぼれ話って放映後の後日談にしてほしいよね。

このあたり、まだまだ、真の女優になりきれていないということか。あるいは周りのスタッフの問題か?

まさむね