新潟事件雑感

新潟の少女誘拐監禁事件は県警の不手際+誤魔化しの方向に話が進み、よくわからない展開になってしまったが、もしかしたら警察が事件の本質を隠すために自らを犠牲にして醜態をさらしたのだと超善意の解釈をしたくなってしまう。
さて、その事件の本質だが、男の中に存在する「イノセントな少女に全てを認めてもらいたい」という欲望、平たく言えば、ロリ(-タ)コン(プレックス)について、ちょうどこの少女がいなくなったのと同じ時期に話題になった宮崎務の時と比べて、ほとんど話題にならないのは、それだけその欲望が社会にとって自明のものになったからだろうか。「レオン」なんていう映画はそういったロリコンの凡庸化に一役かったのかもしれない。
しかし、このロリコンは一般の女性の利害と真っ向から対立するもんだから、かなり評判が悪い。評判が悪いと自然と男はその部分を抑圧して、そんなの他人事でしょっていうフリをするから、その後のツケは誰が払うんだろうか。

まさむね

高田と三沢

浮き沈みの激しい人生というのが、いいのか悪いのかわからないが、高田と三沢という今から15年ほど前の未来のエース2人(当時のプロレス豆本等を見ると2人の対比表等が出ていて興味深い)の人生を見ていると、人の運命って過酷だなぁと思わざるを得ない。
今、高田の事を口にするなら、誰だってその暴落の歴史を辿ってみたくなる。しかし彼が不思議なのはその人生に於ける負のイベント(落選、倒産、惨敗等)が彼の現在のファイトを観る側にドラマとして立ちあがってこない事だ。
例えば、猪木ならば逆にその失敗が彼のファイトを浮き上がらせるパワーとなって観るものを熱狂させたのに、高田の場合、こうやって指折り数えてようやく、そういえばいろいろあったなぁ位の過去との「取り結び方」しかしていないのだ。逆に言えば、そんなに悲惨な事が続いても自称さわやかというキャラクタが世間的には通用してしまっているという幸福が彼の持ち味なのである。(もっとも、それはかなり不幸であるという言い方も出来るが。)
それにしてもグレイシーに連敗した彼が許せないのは、自分は格闘家として立ち振る舞っているつもりでいるが、実はちゃっかりプロレスラーとしての遺産で食べている事だ。と同時に敗戦のツケをプロレスにも払わせて、それで何の落とし前もつけようとしないその態度だ。
プロレスから離れたフリをして、実は得たものだけは離そうとしない高田の欺瞞はそれ自体が醜悪な見世物である。
一方、馬場亡き後、全日本プロレスの社長になった三沢のレスリングには逆にプロレスラーであることの責任を体全体で背負い込んだものが見せるあまりにも、俗世間的な悩みがマット上に露骨に反映してしまっている。それは、高田とは全く違った意味で醜悪な見世物である。

まさむね

源日本人

グレイシー一家の商品価値はとどまるところを知らず、一説によれば、一試合のギャラが全日本の小橋健太のギャラ以上だとか。
かつて、高田がヒクソンと試合をして完璧に負けた時、私はフジモリ大統領と橋本首相の気概の違いをパラレルなものとしてみた。
今でも、アメリカ大陸には戦前-戦後に帰化した「源日本人」達がいて、我々日本列島に留まりつづける日本人との気質の差を見せてくれる。それはまるで、ガラパゴス諸島で進化が止まった動植物を見るような物なのだが、逆に新鮮でかつなつかしい。グレイシーのロマンは、かつて講道館を追われた前田光世が、かの地ブラジルで宿した格闘技の種が、流行に流されずに脈々と純化を進めていて、それが日本に復讐するというストーリーだ。
我々、「現日本人」は「源日本人」に復讐されているのだ。馬場亡き後、「源日本人」の風格を保っているレスラーといえば、天龍「源」一郎だが、その天龍こそ、今一番輝いている。

まさむね

高田の彷徨

先日、i-mode用に95年から96年のニシムラさんの一本気のバックナンバーを変換しながら読み返して思い出したんだけど、高田って選挙でたり、借金こさえたり、ニュースの司会したり、まあ、いろいろ手広くやっているんだよね。プロレス的なのかもしれないけど、思い出してみると、なんだかなあって感じでした。まあ、グレイシーがほんとにストイックに格闘技に打ち込んでいるかは別にして、イメージ的には成功してますよね。
やっぱ、見るほうとしても、今の結果(高田の連敗)のほうが納得しますね

ところざわ

佐山とボスマン

鮫肌っていう名前はやっぱりインパクト強いですよね。僕はえんぴつ大賞の件は、中島らもとの対談で知った。びっくりハウスは読んでいたけど、投稿者の名前までは覚えていなかった。

ところで、先日、現役のプロレスファンの方々と話す機会があって大変楽しかった。
彼らの関心はやはりプロレスから少しづつ格闘技にシフトしているようだ。
その中の一人が言った。「何十年後にいまの時代を振り返った時に残っているのは前田じゃなくて佐山だと思う。」
格闘技史の中で佐山は常に時代の先端を走りつづけているというのだ。UWF→シューティング→バーリトゥードそして、新しい格闘技「掣圏道」にたどり着いた佐山。
今度の格闘技はその胴着が背広に近いそうだ。しかも、対戦も必ずしも1対1ではないという。
ようするに、街の喧嘩により近くなったということらしい。必然的に一人の相手に時間をかけて関節を極めるということがナンセンスになる世界ということだ。
僕はその話を聞いて、すぐに「じゃあその先にはビッグボスマンがいるんですね。」と言ったのだが、その場を白けさせただけだった。
ビッグボスマンは、ニューヨークのWWFというエンターテインメント主流のプロレス団体のスター選手だったレスラーで、ニューヨークの監獄の監守の格好をしている。
佐山の変遷は実は常に新しいリアリティへの模索だ。その模索の果てに、全く別の方向からやってきたビッグボスマンが待っていたという話に僕はロマンを感じるのだが。

まさむね

振り出しに戻るって感じでいいすね

16日本日昼間サーバーが動かずブラウザーでご覧いただけず、すいませんでした。時々不調になりますので、時間をおいて見てみてください。
それからコーナー名が往復書簡から毎日コメントという名前に変わりました。

で、ビッグボスマンが待っていたという話は結局は振り出しに戻るって感じでいいですね。
原罪というか、出自には逆らえないって感じでしょうか。

大陸から流れて来たのか、支配しにきたのか、の末裔たちが出自たる大陸を制覇しに行くという倒錯したシチュエーションを思い出しました。プロレスでいうケーフェイが明治憲法なのかもしれませんね。

あ、昔聞いた、半島出身の力道山が沖縄の空手チョップで日本人代表としてアメリカ人レスラーを倒すという構図も倒錯してますもんね。この場合は国技の相撲出身というのが要な訳でしょうか

ところざわ

久しぶりの朝ヤン

久しぶりに朝ヤンを観た。モーニング娘。、太陽とシスコムーン、ココナッツ娘。なんかが一度シャッフルされて、テンポラリの新しいユニットが3つ出来るという事だ。
しかし、話の流れを見ていくと、結局はモーニング娘。の試練話が80%以上のメイン。その他の人々はいわゆる「かませ犬」扱いだった。それにしても、ちょっと見ないうちに変わったのは保田だ。プッチモニのヒットのせいか、その野心がむしろ安倍を上回る。その昔の長州のようでいい。
しかし、この朝ヤン。鮫肌文殊(1965年生まれ。かつて高2でびっくりハウスの「えんぴつ大賞」を受賞)のシナリオのせいか、プロレスがかっている。「さんまのからくり」「がさ入れ」「電波少年」とともに、テレビが現実に染み込んでくる独特の彼のセンスが凄い。

まさむね

やっぱ、鮫肌文殊

鮫肌文殊、まさむねさんも知ってたんですね。わたしも、ビックリハウスの彼が大賞を受賞した号は覚えています。といっても、その不思議な名前となんか、汚くて力のある漫画風の受賞作?だったって事だけですが・・・内容はすっかり忘れました。

わたしも、前回の朝ヤンみてみました。でも、さすがに誰がどの組かわからず、知らないマージャンを見ているようでした。

ところざわ

やっぱりなっちだ。

多分一番可愛いんだと思う。
安倍なつみの事である。なっち一本化作戦、人呼んでクールファイブ化路線「ふるさと」の失敗で、身代わりも速くドンチャン騒ぎ政策に移行して大ブレイクしたモーニング娘。で、それでもなお辛くもトップの座に居続ける彼女はやっぱりそれだけの外見を備えている。しかし、彼女の本当の魅力は、その可愛さの陰から時折、垣間見られる田舎者の野望だ。今時珍しい女版どっこい大作的向上心はちょうど、女子プロで言えば長与千種の出世物語ように、世間知らずと背中合わせの危険なシナリオを彼女に書かせる可能性もある。
自分を育んだ大地とこれから彼女が活躍していくべき世界とのバランスをどうとって行くのだろうか。

まさむね

最後はさやか。

大きくなったら、何になりたいのと聞かれ、アイドル歌手と答えてた少女がその夢をあっさりとかなえ、さらにその夢を確実なものにしようと前向きに頑張っている。市井さやかの表情を見ていると、そういった疑問の無い健康的な上昇志向を感じ、それはさらに70年代のアイドル黄金時代の価値観にも通じ、私なんかはなつかしささえも覚えてしまう。
才能あふれる金髪少女・後藤真希の教育係から長じて、モーニング娘。から別れた新ユニット・プッチモニのスポークスマンとして16才とは思えない利発さを見せ付ける彼女は、他のメンバーが男の子向けであるのに対し、むしろ女の子向けの商品として期待されている。
ソロになっても多分いけるよ。彼女なら。

まさむね