I LOVE YOU メール

I LOVE YOU メールが来なくって少し凹みました。来たらきたで怖いけど、来ないと寂しいものがあります。同僚には来た見たいだし・・・・。夏の海は人混みの砂浜に行かないと海って感じがしないのと一緒でしょうか。やっぱ。世間で話題のものは参加したいものです。このWEBとメルマガもGWのかなり前から凍っていましたが徐々に再開していきます。

バスがらみは事件は、事件の核心はさておき、既存のマスコミ対インターネットのコミュニティの対立に置き換わりつつありますね。現場ではしゃぐ野次馬と被害社宅の前で全国放送にはしゃぐ地方局のアナウンサーは等価でしょう。犯人の顔写真もネットで公開されて騒いでいますが結局マスコミがとったものだしね、彼らが見れて一般人が見ちゃ行けない理由はないはずです。

そんなことより、やっぱ、横田基地に進入し軍用機のシートに座ってアメリカに亡命しようとした家族の方が想像を超えていると思うのだけど。なぜなぜ?こっちの方が理解できないよ

ところざわ

気なる保田の今後

今朝、モーニング娘。の市井さやかが脱退というニュースをテレビでやっていた。
朝のワイドショーのトップだった。半年前の石黒の時と比べると格段の扱い。このままモーニング娘。にとどまってもメインになれる確率はあまりにも低い。だからこそ、絶頂の今、脱退するとは、さすがに聡明だ。もちろん、その聡明さは今後の活動でこそ試されるのだが...
市井がいなくなると保田も後藤も言語能力がないから、どうなるのかプッチモニ。
後藤はモー娘のクリーンアップだからいいにしても、あわれな保田の今後はどうなる?
飯田とともに注目だ。

今週の深読み。
誘拐事件で無事保護された徹君の目が笑ってないのが気になって仕方が無い。
父親に抱きかかえられた時に、手は振っているのだが、目は笑っていない。彼を紹介する一連のスナップショットもどれもこれも目が笑っていない。これは彼が宿命的に持つスティグマ(聖痕)なのだろうか。

まさむね

若乃花の神

文芸春秋今月号に若乃花の引退後の気持ちなどが書いてあり、約90%はどうでもいい感謝系の人情話だったたが、その中で自分が横綱になれたのは、「他の人よりもより神が手助けしてくれたから」と述べているくだりがあり、ちょっとハッとさせられた。
でも、横綱で優勝できなかったのは、横綱になってから神が助けてくれなくなったからだというような事も言っていた。
元々横綱というのは、神が宿る肉体として、注連縄をつけていたはずだ。それが形式だけじゃなく、実感としても若乃花の口から語られたということは面白いと思った。
同じ号の文春に、女子マラソンの五輪代表問題が出ていて、いろいろと書いてあったがこの記事のポイントはその東京、大阪、名古屋の大会がそれぞれ、新聞社(テレビ局)の宣伝として機能しているため、一つにすると他のレースが興ざめになるから、各社が反対しているのだということ。それに関しては、正直、建前論だけのテレビのニュース解説番組だけ観ていても読み切れなかったが、言われてみればそうだな。

まさむね

TVドラマ雑感

現クールのTVドラマを斜観した感想。
金曜日の夜のTBSの「IWGP」と「クイズ」は、ちょっと場面展開とかが、奇をてらいすぎていて、保守的な僕には疲れるが、「大人計画」出身の阿部サダヲと温水洋一がそれぞれ出ていて、すでにこういった現代の退廃的ドラマには欠かせないキャラ達なのだなぁと感じさせる。(「大人計画」の詳細は他Web参照の事)
フジの月9「天気予報のナントカ」は、凡庸だが、安心して見れる。音楽とかが後ろ向きでいいね。深津絵里はいつのまにか、「この人がやっている役は美人じゃないんだ。」と踏まえてみないと話がよくわからなくなる「不美人記号としての女優」になってしまったが、今回もそうだ。
もともとキムタクの本拠地だった時間帯だけに、「ビューティフルライフ」以降が気になった月9だが、この「視聴率はあきらめました。中身で勝負です」路線は、企画が間に合わなかったということか。
あと、自閉症系のドラマがあったが、それは見逃した。
以上。

まさむね

目の話と叶姉妹

最近、目が悪くなったと思っていたら、雑誌でこんな記事を見つけた。
目が悪くなるという事は進化だと。草原で動物を追っていた頃の人類だったら、遠視というのは一つの長所だったが、現代においては、そういった能力はほとんど必要無くなっている。それよりも、30cm目先の端末を長時間見つめていても疲れない目こそ、重要であり、それこそ人類の進化なのだと。
それはともかく、叶姉妹である。昔の男の暴露本に対して、訴訟か?という展開に我々は何故、ワクワクしてしまうのだろか。我々は彼女たちに何を期待しているのであろうか。
本物の上流階級人の定義として、「叶姉妹みたいじゃない人」というのがあるが、逆にそう言われるのが彼女たちの価値だ。
だから、姉妹が有り余る金を有珠山の避難所とかに寄付したとしたら、ワイドショーからも遠ざけられるであろう。善行に対しては他人は見向きもしないからだ。

まさむね

知りたいコト

今までは知りたい事って、マスメディアが答えてくれたけど、っというか、何を知りたいかという元のトコでさえ、実はメディアにリードされてきたけど、インターネットはそんなモン壊してくれますねえ。モー娘の新メンバーでさえ、名前が流れている
そうです。
石原の発言でさえ、言った事は事実らしいけど、かなり共同通信の記者のミスリードがあったみたいです。
いままでは、そんなの流れてこなかったモンネ。
共同通信って時事と合わせて電通の主要株主なんだよね。瀬島龍三の暗躍を書いた「沈黙のファイル」は傑作なのになあ。

世の中にココロ乱すモノは一杯あるけど、時はいろんなメディアが乱そうと思って手を変え品を変え仕掛けてくるからなあ

ところざわ

人は知れる事しか、知りたいとは思わないものだ。

確かに何を知りたいのかっていうことはテレビによって左右されるよね。
もし、この世にテレビなくてインターネットだけしかなかったら、僕は身の回りの事以外、果たして何かをしりたいと思うのだろうか。
そういう意味で何かを知りたいと思うという事は、みんなも同じくその事を知りたいと思っているという幻想を前提にしているんだろうな。
まともに考えれば、野村サチヨなんて興味の対象になるはずないということがすぐにわかる。

ところで、石原発言だが、僕は朝日の天声人語で「三国人は~」という発言を関東大震災の時の流言にひっかけて非難しているのを読んだとき、「石原もこんなチャンスボールあげるか?」と疑問に思ったが、後でネットで知ったところによると、「不法入国の」というのが抜けていたという事が判明。
石原に関東大震災の時の教訓から何も学んでいないと非難するんだったら、自分達も言葉尻だけとらえて、嬉々として(権力者)を非難しつづけた早トチリの歴史から何か学べば。

まさむね

昼はゲイツ、夜は良寛

「日本人は昼間はビルゲイツで、夜は良寛に憧れている」という記事が文芸春秋にあったが、確かに我々の生活はおよそ、その両極端の価値に引き裂かれていると言えるだろう。
一方で優秀なビジネスマンに憧れ、一方でそんな事よりも身の回りのほのぼのとした生活で満足したいと思っている。
自分で、こんなメールマガジンをやっていて言うのもなんだが、我々は本当にインターネットなんかやりたくてやっているのだろうか。
それともう一つ重要な疑問。最近の広末は大学に行っているのだろうか。

まさむね

だろうか。ということ

よく考えたら、その他いくらでも知りたい事がある事に気が付いた。
モーニング娘。の新メンバーは誰がなるのだろうか。小渕はまだ生きているのだろうか。野村サチヨと石田順一の本は売れたのだろうか。プロレスラー橋本はどうなるのだろうか。キムタクは本当にそれでいいのだろうか。そして、十勝花子は今、何をしているのだろうか。

世の中にたえて桜のなかりせば..という和歌があったが、世の中には無ければいいのに、あるゆえに心を乱してくるものが一杯ある

まさむね

昼はゲイツ、夜は良寛って

良寛って、晩年は年若い美しい尼僧と幸せに暮らしたんじゃなかったけ?だったら矛盾しないかも。

小渕はどうしているのかねえ、真相は明らかになるのかなあ。大平と主治医同じだそうだし。

石原は、確信犯なのかなあ~。昔の関東大震災時の首謀者は山縣有朋だったけど、歴史は繰り返すのかなあ~。一番の心配はサッカーのフーリガンの方だと思うけど。

羊たちの沈黙の続編「ハンニバル」今読んでいるけど良いっす。

ところざわ