養老令では本当に女系容認していたのか ~『万世一系のまぼろし』書評~

注目すべきなのは、718年に編纂された養老令(継嗣令)は、それ以前の大宝令とほとんど同文だが、女帝の存在を認めていて、次のように明記されている。
現代語に訳して紹介する。

「天皇の兄弟、皇子は、みな親王とすること(女帝の子もまた同じ)。それ以外はいずれも諸王とすること。親王より五世は、王の名を得ているとしても皇親の範囲には含まない。」

男系説を強引に主張する論者の中には、この継嗣令を曲解したり、無視したりする人達がいる。
-「万世一系のまぼろし」中野正志 P54-

天皇制などの、歴史、伝統に関して議論をすることはむずかしい。
ほとんどの論者は、言葉を発する前に、既に、己の感情的立場に絡め取られているからだ。
女系天皇に関しても、推進する立場と容認する立場と否認する立場とで、それぞれが都合の良い史実、資料を持ってきてそれぞれの論を組み立てる。
だから、客観的な議論が極めてしにくいのである。

さて、本書の著者・中野氏だが、彼は、明らかに女系天皇容認(あるいは推進)の立場に立っている。
だから、冒頭の記述の養老令で女帝が認められていた条文に関して、金科玉条の如く、取り上げているのだ。
たしかに、養老令は、その廃止令が出ていないため、法形式上には、明治時代まで上記法律は生きていたことになる。

しかし、実際に、上記の法令が発動されることは無かった。すなわち、女帝の子が親王になることはなかった。っていうか、女帝が子を生むれることがなかったのだ。

一方、僕の興味は、この条文が編纂、あるいは、施行された時の政治状況にある。
法律というものが、時代状況抜きにして語られないからだ。
これを見ることによって、この条文が必然として作られたのか、苦し紛れに作られたのか、状況を糊塗するために作られたのか、まぁいいんでないの的に作られたのか、間違って作られたのか等がわかるのである。

編纂時は、718年。ちょうど元正天皇の御世である。
元正天皇は、歴代天皇の中で唯一、母から娘へと女系での継承が行われた天皇である(ただし、父親は男系男子の皇族である草壁皇子であるため、男系の血統は維持されている)。(wikiより)
次の天皇になる聖武天皇(弟の文武天皇の子)は既に生れていたが、まだ子供だ。無事成長して即位できるかどうかも718年の時点では不安が残る。
そうした状況下、朝廷では、男系維持という建前よりも、女帝の子も親王と規定しておく事による可能性の広さを選択したんだと思う。
当時、既に38歳だった天皇だが、(まだ見ぬ)自分の御子を天皇にと内心思っていた可能性は否定できない。

また養老令が施行されたのは、757年である。
この頃、橘諸兄が失脚(756年)したのに続き、この年には、時の孝謙天皇とは別系統の道祖王が廃され、藤原仲麻呂の推挙で、さらにまた別の系統の大炊王(後の淳仁天皇)が皇太子となった。
ようするに、この時期、皇太子の選別が時の権勢者の恣意に左右される状況があり、それが政情不安の大きな原因となっていたのだ。
そこで、これらの状況を安定させるために、立太子に関して、時の天皇が主導権を握れるように手を打ったのが、長い間(約40年間も)寝かせてあった養老令の施行だったのでないだろうか。

尤も、養老令編纂時の元正天皇と同様に、孝謙天皇も女性である。今後、自分が結婚し、子供を設けることは大いに考えられた。
それを踏まえての「天皇の兄弟、皇子は、みな親王とすること(女帝の子もまた同じ)。」の一文だったという見方も出来るのだ。

このように見てくると、例の条文の編纂、施行は、極めて時代の特殊性に依存していた出来事のように思われる。
おそらく、これらの時代の特殊性がその後の時代の変化のなかで忘れ去られるも、条文としては立派に残ったというのが正直なところではないだろうか。

しかし、一方、日本という国は、そのような時代状況のちょっとした変化(危機)によって、国の根幹になるような法律(女系天皇がありや否や)が右往左往するって可能性を常にはらんでいるというのも事実だ。

例えば、先の小泉政権時に、皇室典範改正案が、国会に提出される直前まで行った。
紀子様が第3子を御懐妊されている最中の出来事だ。
世論はむしろ、女系天皇容認に傾いていたようにも思えるが、悠仁様誕生でそれまでの議論は潮が引くように消えてしまった。
しかし、状況や議論の方向によっては、日本は分裂する可能性ですらあった。実際、平沼さんを初めとする保守派は、断固阻止の態度を表明していたからだ。

一方、結果として、女系天皇が正統化され、実現する可能性も十分あった。
しかし、潮目が変わってしまうと、野暮は言うな的空気によって、誰もその議論を口にしなくなってしまったのである。

それにしても、この、状況に流されるいい加減さ、物事を確定したくないという曖昧さ、この済んだことは口にするな的空気の力、これらはまさしく、極めて日本的なメンタリティではないだろうか。

まさむね

麻生首相はついに、小沢氏の格下になったか

麻生首相と小沢代表が17日に党首会談を行った。

その席上での、やりとりを踏まえ、麻生首相は、記者団のこう述べたといわれている。

「小沢氏は(今国会での第2次補正予算案の審議に協力するという約束を守らなければ)『辞める』と、合計7人の前で言ったのに、後で『言っていない』と言っている。この人の話は、危ない。あまり信用できなくなった」

自民党としては、党内がまとまりきれずにいるから、第2次補正予算案は今の臨時国会には出したくない。定額給付金の件もあったし、不況で税収の予測計算も出来ていない、ようするに、またいろいろと混乱が予想されるからね。
でも、麻生首相は、先月の記者会見で、「政局より、経済優先」ということで一刻も早く、この補正予算案を出す(だから選挙どころじゃない)って言ってしまっているのだ。

追い詰められた麻生首相、経済が第一課題だったら、小沢氏が何といおうと、今年中に補正予算案を出さないと筋が通らない。
しかし、出せるような状況じゃなくなってきた。だから、ここは時間を置いて、潮目を戻したい。
一方、小沢氏の方は、とにかく国会が閉幕しちゃったら、もう与党を追い込むチャンスが無い。だから、なんとか自民党をリングに上げたい、しかも相手の準備不足をつけば、一気にダメージを与えられそうなのである。

双方の思惑が交錯する中での、麻生発言である。

おそらく、麻生首相は、今年中に予算案を提出しない言い訳が欲しかったの。
だから、思わず、小沢氏のせいにしようとする。その浅知恵から出てきたのが、小沢は信用できない発言なのだ。

「信用出来ない」っていうセリフ、実はこれは、格下の相手が格上に使う言葉であり、決して逆ではない。
日本では古来、上に立つものは格下の批判をするものではない。日本文化は、鷹揚に構えるのをよしとする文化なのである。
例えば、小泉元首相、政策的にはいろいろ問題があったけど、トップとしての倫理観は持っていたように思う。
下(他者)の悪口を決して言わなかったというのだ。それは、おそらく、下に気遣ってというよりも、権力者としてのセルフイメージを本能的に守ろうとしたのだ。

しかし、麻生首相は小沢氏の計略に引っかかった。
この発言によって、麻生首相と小沢氏との力関係は逆転したと僕は見る。
これは権力争いにおける、格上・格下論理としてそうなのだ。

この状況を、国民は、辞めるの辞めないのっていう会談の中身はどうでもよくて、オスとオスの力関係と移動として、敏感に察知するだろう。

前の前の首相の安倍さんは、小沢氏に会ってもらえなくて、下痢ピーで辞めた。前の首相の福田さんも、小沢氏に振り回されて、あなたとは違うんですって言って辞めた。

さて、麻生首相は、小沢氏の次の一手にどう対応するのか。っていうのか対応出来るのか。

「歴史は繰り返す。1度目は悲劇として、そして2度目は喜劇として。」とマルクスは言ったが、3度目はよりパワーアップした喜劇になるような予感もする。

まさむね

元厚生次官宅襲撃事件の結末が示唆するもの

元厚生事務次官宅連続襲撃事件が意外な結末をむかえた。
埼玉に住む46歳の独り暮らしの男が自首したのだ。

「34年前、保健所に家族を殺された仇討ちである。やつらは今も毎年、毎年、何の罪も無い50万頭のペットを殺し続けている。無駄な殺生をすれば、それは自分に返ってくると思え!」

これは、彼が自首直前にマスコミに送りつけた(と思われる)メールでの一節だ。

他人にとっては、理解しがたい苦悩、煩悶、怒りが、ばらばらになった個々人の心の中でマグマのように、それぞれ渦巻いている。
それが現代社会である。

さて、現代の格差社会は、地域と地域の間の格差ではない。より、本質的なのは、地域社会内でのコミュニティ格差である。
今、地域社会には、ヨネスケが隣の晩御飯のしゃもじを持って訪問しそうな団欒家族、木更津キャッツアイ的な仲間、そしてそれらの結びつきから墜ちた人々、この3つの階層がある。

僕には小泉容疑者が、三番目の墜ちてしまった人の一人ではないかと思えてならない。

しかし、現実的に、結びつきから墜ちてしまった人々の心情を汲み取る政治的回路が無い(彼らの心情を唯一汲み取れるのがネットか?)ことは、大きな問題だ。
小沢さんや麻生さんが、地方を回りましたって行っても、決してこれらの人々と会うことは無いだろう。
という事は、物事の重要性には気付かないだろう。

ドストエフスキーは、”一杯の紅茶のためなら世界が滅んでもいい”と記しているが、19世紀の文豪のつぶやきが、21世紀には普通の人々の心にまで浸透しているのか。
なにか手を打てば、政治は、小泉容疑者を救うことが出来たのだろうか。今回の事件が提示する問題は小さくない。

まさむね

大相撲九州場所、悲喜こもごも

九州場所の千秋楽、白鵬と安馬が相星で優勝決定戦。
白鵬が、安馬に首根っこを押さえつけて、引きずるような上手投げで格上を見せ付けた。

実は、白鵬は、本割りでも琴光喜に、同様に強引な上手投げで相手をひっくり返している。
白鵬が今日の2番で見せた強引さは、ある意味、格上意識を相手に植え付けるという意味で有効だ。
横綱としての自意識の強さがなせる業だろう。

一方、決定戦で敗れたとはいえ、安馬の今場所の充実ぶりは特筆もの。
あの小さい体から繰り出す喉輪(のどわ)のスピードと威力は本割りでの把瑠都戦でも証明された。
僕は把瑠都の大きな体の下に潜り込んで揺さぶる戦法でいくのかと思っていたが、いい意味で裏切られる内容だった。

相手の把瑠都も、今場所は素晴らしかった。
あの肩越しの上手からクレーンのように相手を持ち上げるその大技は、大相撲新時代を予感させる。
僕は、エストニア出身の把瑠都のことを、密かに「史上最強のバルチッククレーン」と呼んでいる。

さて、海外の力士が、それぞれの国で培った体躯と技と文化でもって、大相撲の新しいスタイルを創造する。そんな時代の幕開けかも。
同様の意味で、僕達に大いに期待感を抱かせてくれるのが、ロシア(実は北オセチア)出身の阿覧だ。
あの格闘技チックな左右の張り手と腕力の強さからの強引な取り口は魅力たっぷりだ。
今後、この自分のスタイルを守りながら上位を目指してほしい。
決して、「とにかく前に出ろ」といった凡庸な大相撲イデオロギーに染まらないでほしい。
その点、親方の三保関は、元大関の増位山だ。
関取というようりもヒット曲「そんなゆうこに惚れました」を持つ演歌歌手として有名な彼だが、現役当時の柔軟性でもって、阿覧には優しく指導してほしいものだ。

また、今場所で目立った力士。
武蔵川親方が、新理事長になって2場所目。武蔵川勢の活躍が目立った。
ずっと全勝を守り、優勝争いに食らいついていった雅山。
前半の台風の目となった出島。
「大きいがしかし、くたびれた」感じがいい味を出していた、32歳で新入幕を果たした武州山。
見事、十両優勝を飾ったモンゴル出身の翔天狼。

幕の内の下位まで落ちてしまい、最悪、十両陥落まで想定された高見盛、今場所はさし身が冴えて、11勝の大活躍だった。
初日に白鵬を破り、今場所の大勝が期待された安美錦は、結局は8勝で終わったが、見事殊勲賞を獲得した。
負け越しても印象に残ったのが、グルジア出身の栃ノ心。初めての上位との対戦で、ボロボロだったけど、新しい技を引っさげての再登場に期待したい。
十両上位で勝ち越した山本山は、相手の腕をキメてその巨腹で相手をグイグイ押すスタイルで来場所はさらに、人気者になるだろう。
同様に、十両に堕ちていた岩木山。モンゴルで魁皇の次に人気があった日本人力士だが、そのおっとりとした表情と巨体がまた幕の内で見られるのが楽しみだ。

最後に大関勢だが、琴欧洲は千秋楽でようやく勝ち越すという状況。仕切り時に時折見せる内向的な暗さは、内面での不安を感じさせる。
今年の夏、「オーラの泉」に出演した際に、「他に、江原さん美輪さんに聞きたいことありませんか?」と国分に振られ、「番組が終わってから」とつぶやいた彼がどうしても気になる。
番組終了後、何が話されたのだろうか?
また、結局、優勝争いに残れなかった琴光喜は安馬、白鵬戦での完敗が気になる。愛子様涙目...か!?
千代大海の8勝は、それはそれで名人芸だ。既得権益を必死に守ろうとする老獪な突き押しは、名脇役としての存在感を示した。
一方、途中休場してしまった魁皇だが、左腕が相当悪いらしい。来年の初場所が相撲人生の正念場になるかもしれない。

こうやって大相撲の事を書き連ねていくと、話が無限になってしまうのでこのあたりで終わりたいが、最後に一言。

大相撲を、夜のスポーツニュースだけを眺めて印象批評する輩に、客が入っていないとか、八百長云々などと言われたくはない。

まさむね

成子天神、時代の流れと庶民のおおらかさ

先日、新宿に所用があって行った時に、西新宿(青梅街道沿い)のあたりに行ってきた。

実は、今から25年位前に、僕が最初に就職した会社が、この辺にあったので、懐かしさもあって足を伸ばしたのだ。
ところが、この辺りの風景、結構変っているんだよね。

特に、青梅街道から1本道を入ったあたりの様変わりは凄い。
実は、このあたりは、25年前、一見、普通の住宅街なのだが、数件おきにスナックがあった。
なんでこんなところにスナックがあるんだろう?儲かるのかななんて思って、当時、会社の物知りの先輩に聞いたところ、これは青線の名残だそうだ。
青線というのは、1957年に施行された売春防止法以前に、黙認で売春させていたスナックや飲み屋街の非合法地域のこと。
下はカウンターだけ、2階に3畳の部屋が2つ位並んでて、そこで、男女が乳繰り合わせるような飲み屋があったんですね。この辺りに。

そういえば、80年代頃になっても、このあたりの壁に古い鉄板の看板(代表例:アース製薬の水原弘の看板)が残っていて、

「マンモスキャバレー開店。全席100席、近代女性募集!」

と書いてあったのを思い出す。マンモスキャバレーって、60年代の、植木等の映画なんかに、出てくるよね。
僕はというと、この近代女性っていう言葉にインパクトを感じたものです。

さて、これらが混在していたエリアだけど、今は、地上げにため、更地(写真一番上)になっている。
昔、この土地で様々な男と女のドラマがあったんだなぁ、それらのドラマはみんなブルドーザーに持っていかれたんだなぁって、更地を見ながら妙な感慨に浸ったりする僕。

さて、そんなエリアのすぐワキに成子天神がある。
更地から、成子天神に上がっていく脇の道(写真上から2番目)は、ここは東京かと思われるほど、ガタガタの石道路。
この道路もいつか舗装されちゃうかもしれないから、一応撮っておこう。

さて、成子天神だけど、このあたりの氏子の信仰に支えられて立派な本殿(写真上から3番目)がある。

天神っていうのは、菅原道真公を祭った神社で一般的には、学問の神様と言われています。
九州の大宰府天満宮が勧進元。山口の防府天満宮、京都の北野天満宮が有名だよね。
東京では、湯島天神、亀戸天神など、どちらかと言えば、下町(東東京)に多い。っていうか、その昔、農業エリアに学業の神様があってもしょうがないので、やっぱりに、人の多い、江戸に多いって事なんだろうな。

ここの成子天神は、菅原公の威光だけじゃ人が集められないと見えて、境内に、富士塚というのがある。さらに、その塚の各所に七福神が配置されているが、勿論、菅原公とは全く関係無い。
とにかく、庶民に人気のがあるっていんで、混在させているんだろう。
現在では、その富士塚は公開されていないけど、25年前はなんとなくそこにあって、いつでも見られたんだよ。

僕はこの神道系の人々の発想の、いい意味でのおおらかさが好きだ。なんでもありなのだ。

さて、天神様の神紋といえば、有名な梅紋。
菅原道真の梅好きって有名だったからね。

「東風(こち)吹かば 匂ひをこせよ 梅の花 主なしとて 春な忘れそ」

大宰府に流された菅原公が、都に残してきた梅を想ってこの和歌を作ったら、梅が京都から飛んできたっていう伝説がある。

狛犬の台座(写真上から4番目)と、神社の門(写真上から5番目)等にみつけた。
よく見ると、若干違うんだよね。狛犬の台座の方は、梅の花びらと花びらの間の物体が、鉢の形をしているんだけど、門の方は梅の花弁の形なんだよね。

同じ神社なんだから、統一しろよというのは、現代の広告代理店的発想。いいんだよ、似てるんだから。有難い事には変わりないんだから、細かいこと言うなというのが庶民の発想。

さて、この梅紋だけど、加賀の前田家の家紋として超有名だ。ただし、前田家の家紋は上記の物体は剣でした。
僕が思いつく限り、有名人だと、文学者の中上健次氏、筒井康隆氏、芸術家の岡本太郎氏、政治家ならば、池田隼人首相(写真一番下)、そしてこれはあくまでも想像なんだけど、名前からして(菅原公と管 の管つながりから)民主党の管直人氏もそうだと思う。

まさむね

ジョンレノンは労働者階級の歌が作れなかった

ジョンレノンに「労働者階級の英雄」という歌がある。
ビートルズが解散した後、初めてリリースした本格的アルバム「ジョンの魂」(写真一番上)の収録曲だ。

実は、僕は、ずっとこの曲の歌詞の抽象性(観念性)が気になっていた。
その歌詞の中でジョンはこう歌う。

Keep you doped with religion and sex and tv,
And you think you’re so clever and you’re classless and free,
(宗教とセックスとテレビに酔わされて誰もが平等で自由だと信じ込まされていた)

確かに、この一節、労働者階級が置かれている現状を、ジョン独自の鋭い視線でえぐった歌詞であるかもしれない。しかし、この歌詞には、労働者からのリアルな視線、そしてその生活実感はない。ここに歌われているのは観念としての”労働者階級”ではないのか。

それに対して、僕は、労働者階級の生活の情景を、歌詞に歌いこんだブルース・スプリング・スティーンやビリー・ジョエルの歌の方に、より具体性(ある種の肉体性)を感じる。以下の歌詞は、ブルース・スプリング・スティーンの代表曲「Born in the USA」(写真真ん中)の一節だ。

Got in a littletown jam so they put a rifle in my hand
Sent me off to a foreign land to go and kill the yellow man
(小さな町でちょっとした騒ぎを起し、そうしたら、奴らは俺に銃を握らせた。黄色人種を殺すために俺は海の向こうに送られた)

60年~70年代アメリカの暗い一面。マーチン・スコセッシ監督の映画「タクシードライバー」にも通じるダーティリアリズムの世界がここにある。

僕の知っている限り、ジョンは労働者階級と自負しながらも、ダーティリアルズムの世界を描く事をしなかった、いや、出来なかったんだと僕は思う。

ビートルズの4人の生い立ちを見てみよう。

その中で一番、典型的なの労働者階級出身者はリンゴ・スターである。
彼の父親はパン職人だった。彼は典型的な労働者階級の街、ディングル地区で生まれ育った。

ジョージ・ハリスンも似たようなものだ。
彼の父親は、市営バスの運転手だった。ただし、彼は暖かい家庭に育った。4人兄弟の末っ子だった彼はみんなからかわいがられて育った。

ポール・マッカートニーの父親は綿花のセールスマンだった。彼の家にはピアノがあったというから、それなりに裕福だったのかもしれない。

そしてジョン・レノン。彼の父親は船乗り(ウェイター)だったという。そういう意味で彼の出自は、労働者階級である。
しかしその後、両親が離婚し、彼は母親の叔母であるミミの家で育てられた。
ミミの夫のジョージは、中流階級の教養人だったため、ジョンは子供の頃から、沢山の豊かな書籍に囲まれて育ったという。

ジョンが自分の置かれた状況(労働者階級の父親に捨てられ、母親にも先立たれた事)を把握したのは、彼が中学の頃だった。
彼は恐らく自身の境遇を恐る恐る理解した。出自は労働者階級、頭脳・感性は中流階級という自分の境遇を。

その後、ジョンはポールと出会い、そしてジョージと出会い、ビートルズの前身となる音楽活動を始める。
特にドイツのハンブルグで彼らはロックンローラーとしての修行を積む。

日本から漠然と見ると、ドイツって環境大国だったり、リベラルだったりそんな印象があるが、当時のハンブルグはそれこそ暴力とセックスと犯罪の温床みたいなところだったらしい。
そんなメチャクチャな環境の中で彼は、どうしたら観客に受けるのか、いかに自分達の存在をアピールしたらいいのかを、それこそガチンコで学んでいったのだ。

彼が、その地で選んだファッションスタイルは、リーゼントに革ジャン。いわゆる労働者階級ファッションである。しかし、長い間、彼らの芽は出ることはなかった。
ただ、彼らの活躍は、徐々に広まる。そして、遂にイギリスでデビューする事となる。ジョンがポールと出会い、バンドを始めてから実に7年間も経っていた。

しかし、その時、彼らが選んだのは、中流階級向けのスタイルだった。ハイスクールの制服(襟無しジャケット)に、脱リーゼント=マッシュルームカット、笑顔、深々としたお辞儀に象徴される行儀の良さ等である。
恐らく、このあたりのスタイリングは辣腕マネージャーのブライアン・エプスタインの指示に違いない。
エプスタインはビートルズを階級を超えたスターにしたかったからである。

その後、ビートルズは、ロイヤル・バラエティ・ショーに出演。ビートルズの脱階級化の目論見が見事成功した象徴的な出来事である。
ちなみに、その時にジョンの有名な一言が出る。「安い方の席の方は手拍手をお願いします。そのほかの方は宝石をジャラジャラ鳴らしてください。」

勿論、一方で、エプスタインの意向を汲み取ったビートルズメンバーとジョージ・マーチンは、楽曲面、作詞面でもアイドルとしてのハニカミを前面に出す。

ここでビートルズの初期のヒット曲のタイトルを見てみよう。

Love me do
(僕を愛しておくれ)
Please please me
(僕を喜ばしておくれ)
I wanna hold your hand
(君の手を握りたいんだ)
She loves you
(彼女は君が好きなんだよ)

ここにはマッチョで男尊女卑的な労働者階級的発想は無い。ここにいるのはあくまでも上目遣いのアイドルの4人なのである。

しかし、ジョンはこういったエプスタイン&マーチンプロデュースの”ビートルズスタイル”に欺瞞を感じ始める。
1965年あたりから彼の作る曲は、内省的でよりファンタジスティックになっていく。その極致が以下の楽曲群だ。

Strawberry fields forever
(苺畑よ永遠に)
I am the Walrus
(僕はセイウチだ)
Across the Universe
(宇宙を超えて)

ジョンが、いわゆる初期のビートルズスタイルを捨てたときに戻った場所は、労働者階級の音楽ロックンロールではなく、頭脳・感性を全開にした中流階級的ファンタジーだった事は重要である。
実は、彼にとって、労働者階級という場所は、戻れる場所でも、本来所属していた場所でもなかった事を証明しているからだ。
これは僕の主観なのだが、ジョンのビートルズの後期から、ソロの初期のストレートなロックンロール(ブルース)は、Yer Bluesにしても、I want youにしても、Cold turkeyにしても、I found outにしても観念的に感じられる。
ようするに、サウンドは激しいが、体がノッて来ないタイプの楽曲なのである。

繰り返そう。ビートルズにおいても、解散後もジョンは、労働者階級の生の生活を楽曲に描く事が出来なかったのである。

また、解散後に出した「ロックンロール」(写真一番下)。実はこのアルバム、ジョンの個性がまるで発揮されていない。
あのギラギラとしたジョンが不在なのである。
ここには、懐メロとしてのロックンロールしか存在しないのだ。

ジョンは聡明で正直だ。恐らく彼は、この事、いわゆる労働者階級的ロックンロールでは自分を表現出来ない事を悟っていたんだと思う。

この後、彼は長い沈黙期に入って、子育てに没頭してしまうのであった。

まさむね

「源氏物語千年紀 Genji」は3つの困難を克服出来るか

源氏物語関連での最近のニュース(11/12)にこんなのがあった。

フジテレビで09年1月から木曜深夜のアニメ枠「ノイタミナ」で放送予定だった、「源氏物語」の世界を描くテレビアニメ「あさきゆめみし」のアニメ化が中止となり、「源氏物語」を原作としたオリジナル作品「源氏物語千年紀 Genji」を制作することに変更されたというのだ。

僕は、アニメの源氏物語というのは、今まで見た事がないが、映像化された源氏物語にいつも幻滅を感じさせられてきた。
例えば、2000年に公開された『千年の恋 ひかる源氏物語』(主演:吉永小百合、天海祐希)は鳴り物入りでの登場だったが、残念な結果だった。

僕が思うに、源氏物語を映像化する際に問題となる点は以下の3点だ。

1)オカルトシーン(葵上が六条御息所の生霊に殺されるシーン等)の処理が難しい
2)数々の姫の元に通い続ける光源氏の身勝手さに感情移入させるのが難しい
3)光源氏が紫君を誘拐したり、夕顔が腹上死したりするシーン等の唐突さの処理が難しい

しかし、一方で、源氏物語を将来的にも渡って人々の心に残していくには、秀逸な映像化源氏、アニメ化源氏の誕生が不可欠だと思う。
特に、今後、日本に多くの外国人が移住してきた際、彼らに、日本文化の源泉を理解させるという意味でも、これは、重要な文化的事業ではないだろうか。

今回の企画には、是非、以上3点を克服した新しい源氏の世界を見せてほしいものである。

まさむね

久米さんは本当に危険な地雷からは逃げた?

昨晩は、久米宏のテレビってやつは!?のチャンネルを合わせた。

まずは大麻の話だ。
久米さん曰く「大麻を持っているだけで逮捕なのに、タバコは全く問題なし。って落差が激しくありませんか」
いまさらながら、その通りだと思った。
僕も以前から、大麻ってそんなに悪いの?って思っていたからね。
でも、テレビで、大麻というタブーをここまで、擁護するのもめずらしい。さすが久米さんの番組だって思って関心。

ところが、次は麻生首相の話。
登場は小泉さんの懐刀、飯島秘書官。
麻生さんが秋葉原やネットで人気という話になり、飯島さんが「ネットの書き込みを世論と思うのは間違い、所詮便所の落書」って発言した途端に、話題を変える久米さん。

大麻という、既に踏みやすくなっている地雷は、積極果敢に踏んだ久米さんだが、本当に危険な地雷からは逃げた...と感じたのは僕だけだろうか。

まさむね

(R&B)+平安文学=EXILE

CDのミリオンセラー(シングル)が出なくなったよね。
このままで行けば、今年は一曲も出ないかもしれない。
おそらく、こんなことは、1990年以降では初めての状況である。

でも、こんな時代ではあるけど、現在、最も、今日的なメジャーアーティストは誰かと問うならば、EXILEという答えに異存無い人は多いと思う。それほど、彼らの楽曲はヒットチャートの常連なのである。
さて、このEXILEであるが、その特徴はR&Bを基礎とした官能的なサウンドと世界観にある。
わかりやすい言葉で言えば、その世界は「不在の彼女(彼氏)が残していったぬくもりを愛おしく思う一瞬」を歌にした感じだ。

例えば、彼らの代表曲「ただ・・・逢いたくて」。

ただ逢いたくて…もう逢えなくて
くちびる噛みしめて泣いてた。
今逢いたくて…忘れられないまま
過ごした時間だけがまた一人にさせる

そして、昨年のヒット曲「I believe」。

君のもとへ飛んで行きたい
いつもそばで感じていたい
瞳閉じて君を映し出す
今だけは寄り添って 君だけを感じたい
繋いだその手を 離さないように
君がいる季節は 何よりも輝いて
優しく包んでくれるから

さらに、最新のヒット曲「Ti amo」。

日曜日の夜は ベッドが広い 眠らない想い 抱いたまま朝を待つ
帰る場所がある あなたのこと 好きになってはいけない わかってたはじめから
どれだけの想いならば 愛と呼んでいいのでしょうか?
この胸をしめつけてる この気持ちに名前をください

これらの歌詞には、くちびる、瞳、手、胸という肉体的な言葉がちりばめられているが、それが彼らの創り出す世界をなまめかしくしているんじゃないかな。
相手の不在を想い、心を焦がすというのは、恋の基本シチュエーションだが、このEXILEの世界の艶かしさって、どこかであったなぁと思い返してみると、実は日本の伝統、平安王朝の和歌の世界がまさにそれなんだよね。言うまでもないんだけど、平安時代の貴族階級ってのは、通い婚なんだよね。男が女の屋敷に夜這いをかけるのが唯一の逢う方法。だから、女は待つしかない。その待つ身の切なさが平安文学を生む土壌にあるんだよね。

例えば、その代表歌が、待賢門院堀河の有名な一首。百人一首にも引かれてるから知ってる人も多いと思う。

ながからむ心もしらず黒髪の乱れて今朝はものをこそ思へ
(ずっと好きだよって言うあなたの気持ちも、本当かなぁって思ってしまう。あなたが行ってしまった朝の寝乱れた黒髪のように心が乱れるんだから)

また、同じく百人一首にある藤原道綱の母の一首。

嘆きつつひとりぬる夜の明くるまはいかに久しきものとかは知る
(また、来てくれなかったあなたのことを嘆きながら過ごす独り寝の夜が、こんなに長いなんて、あなた、わかってるのかしら)

ねっ、EXILEの世界と通底しているでしょ。
EXILEが、現代日本で受けているのは、R&Bのリズムと日本独特の平安貴族の感性の融合が生み出す肉体性(官能性)なんじゃないかな。

だから、昨年の日本レコード大賞の授賞式で、最優秀歌唱賞受賞の瞬間、ATSUSHIの後ろで作り笑いをしていたパフォーマーの面々、そんな顔をする必要は無いんだよ。
パフォーマー達のダンスがあるからこそ、EXILEの世界の肉体性がリアリティを帯びるんだからね。

まさむね