「源氏物語千年紀 Genji」は3つの困難を克服出来るか

源氏物語関連での最近のニュース(11/12)にこんなのがあった。

フジテレビで09年1月から木曜深夜のアニメ枠「ノイタミナ」で放送予定だった、「源氏物語」の世界を描くテレビアニメ「あさきゆめみし」のアニメ化が中止となり、「源氏物語」を原作としたオリジナル作品「源氏物語千年紀 Genji」を制作することに変更されたというのだ。

僕は、アニメの源氏物語というのは、今まで見た事がないが、映像化された源氏物語にいつも幻滅を感じさせられてきた。
例えば、2000年に公開された『千年の恋 ひかる源氏物語』(主演:吉永小百合、天海祐希)は鳴り物入りでの登場だったが、残念な結果だった。

僕が思うに、源氏物語を映像化する際に問題となる点は以下の3点だ。

1)オカルトシーン(葵上が六条御息所の生霊に殺されるシーン等)の処理が難しい
2)数々の姫の元に通い続ける光源氏の身勝手さに感情移入させるのが難しい
3)光源氏が紫君を誘拐したり、夕顔が腹上死したりするシーン等の唐突さの処理が難しい

しかし、一方で、源氏物語を将来的にも渡って人々の心に残していくには、秀逸な映像化源氏、アニメ化源氏の誕生が不可欠だと思う。
特に、今後、日本に多くの外国人が移住してきた際、彼らに、日本文化の源泉を理解させるという意味でも、これは、重要な文化的事業ではないだろうか。

今回の企画には、是非、以上3点を克服した新しい源氏の世界を見せてほしいものである。

まさむね

「源氏物語」誕生 1000周年に寄せて

若紫.gif本日(2008年11月1日)は、「源氏物語」の事が「紫式部日記」に記載されてからちょうど1000年目にあたる。

その記載は以下のような文章だ。括弧内は私の意訳。

左衛門の督「あなかしこ。このわたりに若紫や候ふ」と窺ひ給ふ。源氏にかかるべき人も見え給はぬに、かの上はまいてものし給はむと、聞きいたり。
(藤原公任が、「このあたりに、若紫はいらっしゃいますか。」と、冗談口調で、聞いてくる。「光源氏に似た人すらいないんだから、紫の上がいるわけないじゃん。」と内心思いながら、受け流した。)
※画像は光源氏が最初に若紫を見た場面。

まぁ、現代で言えば、部長のオヤジギャクを軽くスルーするOLの気持ちに通じる日常の一場面だけど、この歴史的な一行のおかげで「源氏物語」の作者が紫式部だって事が確定されたんだよね。
紫式部がこの1行を書いたのが、今からちょうど1000年前なのか。

これを機会に、「源氏物語」について書いてみたい。

「源氏物語」っていうのは一般的に、光源氏という貴公子と、その周りをとりまく女性達の恋物語だって言われているけど、それだけじゃない。いろんな見方が出来るんだよね。

■政治小説として

天皇の子とはいえ、母親の身分が低かったため、臣籍降下した光源氏が、当時、権勢を誇った右大臣家との権力闘争に勝ち、太上天皇(天皇の父)にまで上りつめる(その後もいろいろとあるんだけど)話という解釈も出来る。
その政争のために、いろんな女性との恋愛があるっていう見方だ。
例えば、右大臣家が次期天皇の正妻にと手塩にかけて育てた朧月夜に手をつける光源氏。ライバル家に大きなダメージを与える。しかし、自分も無傷ではない。それがバレて、自分は須磨・明石に流れていく事になるのだ。

■ドキュメンタリとして

政治ドラマはさらに、現実世界で起きた様々な事件のパロディになっている。つまり、「源氏物語」は半ドキュメンタリだったという見方も出来る。
例えば、在原業平、源融、源高明等、光源氏のモデルとされるような歴史上人物は沢山いる。当時、暇だった宮中の女官達は当然、それらの人々の噂事は熟知している。
彼女達は「源氏物語」を読みながら、光源氏とそれらの歴史上の人々を比べて、事の真相をさらに深く想像したことだろうね。

■仏教小説として

また、ある意味、不遇な生立ちの光源氏が政争に打ち勝って、一時は栄華を極めるも、最終的には寂しく死んでいくというドラマは、諸行無常の小説化という意味で仏教小説なのである。
さらに、「源氏物語」では、俗世では様々な悩みを抱える女性達(藤壺、六条御息所。女三宮等)が、出家する事によって精神的に自立していく(瀬戸内寂聴さんもこういう事言っています)が、女性と出家というテーマを扱っているという意味でも仏教小説と言いうるかも知れない。

■怪奇小説として

「源氏物語」が怪奇小説の側面を持っているというのもよく指摘される。
言うまでも無く、光源氏より年上で高貴な六条御息所は、彼に段々と相手にされなくなると、無意識的にではあるが、自らの嫉妬心を物の怪として飛ばし、夕顔や葵の上を死に至らしめる。
その力を恐れた光源氏は、その後も六条御息所の荒ぶる生霊を静めようと様々に気を使うが、上手くいかず、彼女は死後も紫の上や女三宮に取り付く。
ある意味、「源氏物語」は、光源氏VS六条御息所のサイキックバトル物語なのだ。

■怨霊鎮魂の書として

作家の井沢元彦さんは、「源氏物語」を、藤原道長が紫式部に、藤原家との政争に敗れた一族の鎮魂のために書かせたのではないかという説を提唱されている。
紫式部のパトロンであった道長が自分の氏・藤原が負けて、ライバル氏・源氏が栄華を極める物語を普通に書かせたのは、現実世界の敗者である源氏を物語の世界で勝者として表現させることによって、源氏(源融や源高明等)の怨霊を鎮魂させようとしたのではないかという事なのだ。
この説は学会とかでは無視されているらしいけど、今後、専門家の人の検証も交えて、深めて行ってもらいたい魅力的な説だと思う。

■教養小説として

さらに「源氏物語」は、歴史を経て、江戸時代頃には、上流階級の子女の教養小説という面も出てくる。
彼女達は、第23帖の「初音」から読み始めたという。
この帖は、正月のうららかな日の中で、紫上の元に預けられた明石の姫君の所に、実母の明石の御方から和歌が贈られるシーンから始まるが、”子を想う母の愛情”を子女に教える恰好の場面なのである。
でもこんな中途半端なところから読むっていうのも、ちょっと変だよね。

■文化の題材として

日本の文学史どころか、文化史に燦然と輝く「源氏物語」は、小説として楽しまれるだけではなく、和歌、能、工芸作品、浮世絵、香道等の日本文化のネタ本みたいな使われ方もされたんだ。
例えば、能の中では、世阿弥の傑作「葵上」を始めとして「野宮」「玉蔓」「夕顔」等の作品が残されている。
さて、日本人の心の中には、「ますらおぶり」=男らしさと「たおやめぶり」=女らしさという二つの概念があって、それがせめぎあう事で歴史が進んでいくという話がある。
「ますらおぶり」の概念が前面で出てくるとき、ようするに戦争の時なんだけど、逆に、人々は「たおやめぶり」を求めたりする。
そして、この「たおやめぶり」の象徴が「源氏物語」だったんだね(本居宣長)。
例えば、鎌倉時代に元が攻めてきた時、貴族達は争って「源氏物語」を読んだという記録もあるし、第二次世界大戦後、源氏ブームが起きているんだ。
また、これは、僕が好きなエピソードなんだけど、関が原の戦いの最中、東軍に細川幽斎という武将がいたんだけど、彼は古典文学に明るく、”古今伝授”を受け、さらに「源氏物語」の研究家でもあった。
その幽斎が西軍に城を包囲され、絶体絶命のピンチになってしまったんだ。
しかし、その時、時の後陽成天皇は勅使を派遣し、和議を結ばせて、幽斎の命を救ったという。
僕はその勅使が来た時に、城の包囲を解いた武将(前田茂勝)が偉いと思う。日本人は、生死を賭けた戦の時でも、いや逆に、そういう時にこそ、「たおやめぶり」に憧れる心がムクムク出てくるんだろうね。
勿論、その心がわかる徳川家康は、この前田茂勝の領地を安堵したというのは言うまでもない。

■アバンギャルドとして

また、「源氏物語」は20世紀芸術の大きな流れコンセプチュアルアートの先駆けという見方も出来る。
20世紀を代表する芸術家に、マルセル・デュシャンやジョン・ケージがいるけど、彼らは芸術が芸術として成り立つ、その制度自体を疑った人々なんだ。
例えば、ケージは、「4分33秒」というピアノ作品で、全く何も演奏しないというコンサートを行った。
ようするに、「ピアノコンサートでは、聴衆の前でピアノを弾く事によって何かを表現するものだ。」という”当たり前”の欺瞞性を暴くと同時に、鳥のさえずりとか人の息音とか、あらゆるものが聴者の心次第では素晴らしい音楽になるということを表現しようしたんだ。
これを文学に持ってくるならば、何も書かない事によって、書くという表現以上のものを表現しようとする態度という事になるよね。
「源氏物語」第41帖の「雲隠」は、光源氏が亡くなる所の帖であるが、それが巻名だけで中身が無い。
何故、その帖の中身が無いのかに関しては、いろんな説が歩けど、僕は、紫式部は書かなかったんだと思ってる。
紫式部は、源氏の死という最も悲劇的な場面を読者達の心にゆだねたんだね。
これって極めて現代芸術的だと思わない?

いずれにしても、1000年も前に、こんなこと考えた紫式部ってやっぱり天才だと思う。

まさむね

源氏物語を世界遺産に

oosawa.gif先日、源氏物語の写本が見つかった。

これは、藤原定家がまとめた「青表紙本」とは別の系統の写本も含まれており、大沢という人物が豊臣秀吉から拝領したもので「大沢本」(写真)と呼ばれている。
今回、この写本の発見が重要と思われるのは、現在、流布している写本とは異なる記述の箇所がある事。今後の研究が楽しみだ。

さて、この源氏物語、今から約1000年前に書かれた奇跡の文学である。現代にいたるまで、多くの研究者がこぞって、研究しているが未だに定説が存在しない、その奥深さは尋常ではないのだ。

一般的にこの物語は光源氏という色男の恋の話として通っているが、見方を180度替えると、それは、源氏と右大臣家と左大臣家、三つ巴の政治闘争の話だ。
例えば、光源氏の朧月夜(右大臣家系)への誘惑は、右大臣家に対する挑戦に他ならないし、左大臣家に対する秘密兵器は、源氏が密かに後見していた玉鬘(左大臣家系)である。
一方、朱雀院(右大臣家系)は、出家を機会に娘の女三宮を光源氏に降嫁させるが、この女三宮は源氏と紫の上との関係に微妙なヒビを入れ、しかも、柏木(左大臣家系)との間に不義の子をもうけてしまう。源氏、晩年の暗転の物語は、女三宮の降嫁から始まるのである。
これは、当時、飛ぶ鳥を落とす勢いだった源氏に対する右大臣家と左大臣家が連携した周到な復讐という見方も出来る。

勿論、上記は僕のオタク的な勝手な解釈であるが、そういった解釈の幅を許す豊かな物語。

日本が誇る文化的世界遺産を一つ上げろと言われれば、建物でも彫刻でもなくこの文学かもしれない。

まさむね

光源氏は何故、光なのか

光源氏.gif天皇の皇統が変るときに、その漢風諡号(おくりな)に「光」がつく事が知られている。

天武系の皇統が称徳天皇で途絶えた時、天智系から即位した天皇は、光仁天皇との諡号がおくられた。
また、陽成天皇が廃された後、2代前の文徳天皇の弟、が即位。光孝天皇との諡号がおくられている。

興味深いのは、それぞれの「光」天皇の前の天皇(系統が途絶えた天皇)は2人とも歴史的な評価が極めて良くない。
例えば、称徳天皇は、道鏡という怪僧にイカれて、皇位を譲ろうとしたとか、陽成天皇は、三種の神器の一つの勾玉を覗こうとした、宮中で殴殺事件を起した等という薄暗い噂によって、不徳の天皇のレッテルを貼られているのである。
ちなみに、江戸時代の後陽成天皇は、その子の後水尾天皇との仲が悪かったが、後水尾天皇は、父帝を貶めるために、敢えてこの追号を選んだと言われている。

さて、「源氏物語」が紫式部によって書かれ、宮廷で大ブームを起していた時代、この書物は、正史には絶対書けない宮廷秘話が物語の形態を借りて表現されているというのは、公家の間では暗黙の常識となっていた。

同様に上記の「光」が、別系統の天皇名につけられるという事も常識だったはずだ。

それを考え合わせると「源氏物語」の主人公が、「光」の君と呼ばれたという事は、この物語の展開を暗示する伏線となっているということも分かる人には分かったのではないか。
その通り、物語の中では、桐壺帝の後を継いだ長男の朱雀帝の後、朱雀帝とは別系統の光源氏の子が冷泉帝として皇位につくのであった。

源氏物語の奥深さはこういった素人の邪推をもゆるす懐の深さにもあるのではないかと思う。

まさむね

源氏物語は奇跡だ。

源氏物語.gif言うまでもないが、源氏物語は今から1000年も前の平安中期に書かれた長編物語である。

桐壺帝の子・光源氏とその後妻・藤壺とのスキャンダル
光源氏と姫君達との恋バナ
六条御息所の怨霊が巻き起こす怪奇
源氏と右大臣家との権力闘争
王朝の雅な描写
物語の底に流れる仏教観
前衛芸術(本文の無い巻で源氏の死を表現)

あらゆる要素を含んだ懐の深い孤高の文学であることに異論を唱える人はあまりいない。

ここには、ワイドショー的な俗悪と繊細な文学的描写が絶妙なバランスで存在しているのだ。

それは、現代から見ても、突出している。
例えば、1000年経った現代でも、誰が皇室のスキャンダルを小説に描けるだろうか。

井沢元彦氏は、この物語は、藤原北家がそれまでの政争の過程で潰してきた源氏を初めとする諸氏の怨念の鎮魂の物語だという。
傾聴に値する意見だし、今後、定説にすべく、より検証されいくことを期待したい。

それにしても、一般的に、歴史的名作というものは、その他の無数の作品のピラミッドの頂点に現れるものだと思う。
それなのに、源氏物語はいきなり頂点が出来ちゃったようなものだ。
奇跡というのはそういうことだ。

しかし、この物語の不幸は、日本人のほとんどがこの物語を原語で読んだことが無いという事だ。
現代語訳でも、それほど読まれていない事だ。
日本人の伝統云々を口にする輩はまず、この物語を手にとって欲しい。
勿論、私も何度目かの挑戦をしようと思う。「桐壺の巻」の壁は高い…

まさむね

葵と夕顔

前回、平安時代の相撲会の伝統を踏まえて、瓢箪=夕顔に対抗して、家康が葵紋にこだわったという話をしたが、葵と夕顔と言えば、源氏物語に登場する二人の女性を思い出す方も多いのではないか。

葵の上は源氏の正妻ではあったが、気位が高かったゆえに、源氏からはあまり愛されず、息子の出産時に亡くなってしまう。また、夕顔は源氏お気に入りの気さくな女性だが、源氏と一夜をともにしている間に腹上死してしまう。いずれもの死も、六条の御息所の生霊の仕業というのが因縁めいている。

しかし、この葵の上と夕顔の落とし子(夕顔は源氏の子ではなく、ライバルの頭の中将の子)達はその後の物語の展開で重要な役割を果す。

葵の上と源氏の間に出来た夕霧は、葵の上の遺伝か、源氏の厳しい教育のせいもあってか、わからないが面白味の無い性格として大きくなる。

一方、夕顔の子供、玉蔓は、一時、九州に都落ちするが成人して状況、偶然に源氏の保護・後見を受ける。しかし、その後、源氏はこの玉蔓にちょっかいを出そうとするが、結局は相手にされなかったという、光源氏の一連の恋物語の中では最も寂しいオチを迎えるのでした。

まさむね

桜(3)源氏にとって凶兆の桜

日本文学に燦然と輝く金字塔「源氏物語」。
ここでも桜は美しく描かれているが、同時に不幸への伏線としても描かれている。

最初は「花宴」の巻。桜見の宴会で酔った源氏は、ライバルの右大臣家の箱入り娘・朧月夜との一夜を過ごしてしまう。そして、結局は、この不義が原因で、後の須磨、明石へ流される事となるのだ。

次は、「若葉上」の巻。桜満開の下で蹴鞠をしていた柏木(太政大臣の子)フトしたアクシデントで源氏の正妻・女三宮を見てしまう。そして、結局は、柏木は女三宮をはらませてしまう。このことが、その後に源氏に精神的ダメージを与える。

おそらく、この桜=凶兆という観念は当時の貴族達にも共有されていたんじゃないかな。

4へつづく

まさむね