「イノセント・ラヴ」最終前回における10の奇行

イノセントラブの9回目放送の平均視聴率が出た。
最終回一回を残しての、14.5%だ。
月9ドラマとして、この数字が及第点だとは思えないが、それまでの数字の動きから見れば、盛り上がってきたとは言えるだろう。

1回目放送 16.9%
2回目放送 13.3%
3回目放送 13.1%
4回目放送 11.7%
5回目放送 11.7%
6回目放送 12.6%
7回目放送 13.4%
8回目放送 12.8%
9回目放送 14.5%

今まで、聖花(内田有紀)の突然の、植物人間からの突然の起き上がりや奇行など、すなわち彼女の唐突演技に支えられて、6回目放送以降、徐々に上げてきた視聴率も、聖花が、9回目放送の最後の方ではついに立ち上がり、殉也(北川悠仁)と佳音(堀北真希)の結婚式会場に向かうという、これ以上無いようなあり得ない展開に。視聴率的に大いに貢献した。
さらに、この回は、その他に、佳音の兄・耀司(福士誠治)による殉也にナイフでの切りかかり、美月(香椎由宇)の殉也や聖花に対するイジメ、殉也と佳音のキス、佳音の花嫁衣裳姿など、”単品”でも魅力的なシーンの連続で、この14.5%という数字を無理やり確保したという感じだろうか。
しかし、シーン&シーンをそれぞれにキャラ立ちさせるために、ストーリーが破綻してくるというのは、いかがなものか。最終的に俳優自身の魅力で引っ張れなかったシワ寄せがこういった展開を生み出してしまったのである。そこが今回の「イノセントラブ」と前作「ラストフレンズ」の大きな違いだと思われる。

しかし、元々、このドラマは、登場人物の奇行(覗き見、勝手な家への上がりこみ、盗み撮影等)の連続だったことは確かで、恋愛ドラマというよりも、ホラーあるいはSFとして見るべきだと思っていたが、9回目放送回も、登場人物の心の動きの不自然さがどんどん出てきた。登場人物の心情よりもシーンの奇抜さに心を奪われていかざるを得ない展開だ。

それらを以下にまとめてみよう。

◆1◆佳音を追って、長野までやってきた殉也。佳音のアパートにやってくるが、佳音に拒絶され、アパートの近くから昼夜離れない。「僕はいつまでも待っている」と言えば、聞こえはいいが、傍から見ればただのストーカーだ。

◆2◆部屋の外で、賛美歌のオルゴールを聴かされ、説得されて、殉也を部屋に導きいれる佳音。意志が弱すぎる。

◆3◆出所した耀司が、夜にそのアパートへやってくる。何故かドアの鍵が開いている。部屋では2人で一つの毛布に包まり就寝。あまりにも無用心だ。

◆4◆耀司が殉也にナイフで襲い掛かる。それを止めようとする佳音。結局これは耀司による佳音の(両親を殺したのは彼女ではなく、耀司だったという)記憶を呼び起こそうとした狂言だった。耀司は、心理学者か。この行動によって佳音の記憶が戻るということが、何故解ったのか。それにしてもリスクの高すぎる行動だ。

◆5◆その後、耀司がナイフで自殺を図るが、殉也に阻止され、泣き崩れる。殉也曰く「生きていて欲しいんだ」って、心広すぎ。

◆6◆とりあえず、殺したのは自分ではないという記憶をよみがえらせた佳音。一応、自分が幸せになってもいいんだという免罪符を受け取る恰好に。でも、殺そうとしたことは確かなんだから、最後に刺したのが耀司だからって、自分は救われるの?という疑問が残る。

◆7◆横浜に帰り、佳音にプロポーズする殉也。聖花を死ぬほど好きだったのではないか。この心変わりは早すぎるとの指摘も。

◆8◆勿論、佳音はOKする。「殉也さんの笑顔を近くで見たい」という事で近くにいたのではないか。それまで、潜在的に存在した下心が露呈した恰好に。

◆9◆そして結婚式。自分が振った美月(香椎由宇)がいる教会での結婚式。美月への配慮はまるで無し。

◆10◆殉也の写真を見て、彼を思い出した聖花。招待状の住所を見て、その式場に歩いて向かう。彼女の頭の中はどうなっているのか。住所が解るのか?いきなり立ってそこまで歩けるのか?等の不条理の謎が残る。

来週の予告Vによれば、その聖花が教会の上から身を投げ、受け止めようとした殉也が下敷きになり頭から血を流すというわけのわからないシーンが見られた。また、昴(成宮寛貴)の殉也に対する同性愛、耀司の佳音に対する近親愛等がまだ未処理だ。どうなるのか。

脚本担当・浅野妙子の前作「ラスト・フレンズ」のように、誰か死んで遺児を、残り人々が育てるというパターンになるのか。
そうだとしたら、死ぬ(あるいは植物人間になる)のは殉也で、彼の子を宿した佳音が兄・耀司と一緒にその子を育てるのか。兄の気持ちを考えるとそれも無理がある。
あるいは佳音が死んで、殉也と耀司が一緒に...というのももっとあり得ないか。

しかし、いずれにしても、登場人物の行動の唐突さでは他の追随を許さないこのドラマだけに何があるかわからない。
というわけで、来週の最終回もなんだかんだ言って、テレビの前に釘付けにされる僕であった。

まさむね

似すぎてないか「イノセント・ラヴ」と「ラスト・フレンズ」

「イノセント・ラヴ」の展開が、ますます「ラストフレンズ」に近づいてきているように思う。
勿論、両方とも、浅野妙子脚本、スタッフも同じというから、同じような色合いのドラマになるということは予想されていたことだが、登場人物達の苦悩の種類まで似ているのだ。

例えば、「ラストフレンズ」の瑠可(上野樹里)は、性同一障害を自分の中に抱え込み苦悩するが、「イノセント・ラヴ」の昴(成宮寛貴)は殉也への同性愛という感情を抱えている。
おそらく、次の展開としては、昴の、殉也(北川悠仁)への想いが、や殉也本人、あるいは聖花(内田有紀)にバレることによる新たな苦悩発生の可能性が高い。

また、「ラストフレンズ」のタケル(瑛太)は姉からの性的虐待を受け、そのトラウマにより、女性恐怖症に苦しむが、「イノセント・ラヴ」の佳音(堀北真希)も父親からの性的虐待を受けていた。
さらに、その虐待に対して、彼女はついにナイフを持ち出し、父親を刺殺するが、その現実を受け入れる事が出来ない彼女はその事実を無意識的に意識から排除、いわゆるPTSD状態なのである。
そして、彼女の兄・耀司(福士誠治)は、その事実を隠蔽するために自分が罪を背負い、家に火をつけるという過去を持ってる。しかも、耀司自身も妹の佳音に対して近親相姦的な恋愛感情を抱いているのである。

さらに「ラストフレンズ」の美知留(長澤まさみ)とその恋人の宗佑(錦戸亮)は、小さい頃からネグレクト状態で育てられるという生育環境のため、宗佑は美知留にたいしてDVを行ってしまう。
また、逆に美知留も宗佑からのDVに対して無意識的な依存関係に陥っている。

心の傷という意味では、本日の放映された「イノセント・ラヴ」の第8話でも、殉也が深い失恋状態から常軌を失う。
婚約者の聖花のために、献身的に尽くしてきた殉也だが、彼女の愛が殉也にはなかったという現実を思い知らされ、呆然としてしまうのだ。

ようするに2つのドラマとも、登場人物達は、それぞれの心と闘わなければならない状態なのだ。
それゆえに、彼ら、彼女らは、一様に暗い。
また、だからこそ、一様に優しく思いやりがある。
さらに、現実世界における、いわゆる欲望に関して希薄である。
それは勿論、性的関係においてもそうだ。「イノセント・ラヴ」では殉也は佳音との間にSEXを匂わすものは一切無いのだ。

浅野妙子ドラマが現代人に受けているとすれば、おそらく、内面的苦悩を抱えた若者、あるいはそれに共感出来る人々が確実に増えているという事ではないだろうか。
それは、同時に、心の闘いを乗り越えるために、他者からの絶対的承認、すなわち愛が必要なのだということを切実に感じている人々も増えているという事だと思われる。

日本の恋愛史について特に詳しいわけではないが、多くの日本人にとって、恋愛というものは長らく、結婚のための通過点であった。
というよりも、おそらく恋愛経験をする以前に、人々は結婚したし、あるいは、性的な対象として相手を希求し、そしてそれが実現するに及び、結婚に至るという流れだったと思う。

しかし、「イノセント・ラヴ」も「ラストフレンズ」も、登場人物達の関係の先に結婚という道筋が強く見えてこない。
それが、現代的といえば、確かにそうかもしれない。
ここ数年、いわゆる”出来ちゃった結婚”が増加しているという事実もそれを裏付けている。
結婚というものが恋愛の結果ではなく、妊娠の結果としてしかないという事を意味しているからだ。

おそらく、このような若者のメンタリティが続くとするならば、少子化はますます進むであろう。
託児所を沢山作るということは、それはそれで大事なことではあるが、少子化対策の本質とはずれているようにも思える。
元、TVの番組ADだった小渕優子大臣。
お分かりかとも思うが、予算を使うことばかり考えないで、根本に立ち返り、これらの最近のドラマをご覧になられたらいかがだろうか。(余計なお世話か?)

さて最後に全く関係ないが、神父役の内藤剛のクレジットに特別出演とあるが、ほぼ毎回出演しているし、失礼だが、それほどの大物だろうか?
ちょっとした疑問でした。

まさむね