孫と重田とモー娘と

最近、週刊文春がしきりにソフトバンクの孫と光通信の重田を叩いている。
孫に対しては、彼の奥さんの実家が借金を踏み倒したというもので、毎回やっているわりには、孫の心臓部には全くとどいていない。ただの嫉妬という感じがして退屈だ。
一方、重田の方は叩かなくても、自滅しそうな気配だからいいか。
それよりモー娘だ。最近発売されたLOVEパラダイスというアルバムのジャケット写真を毎日、通勤路で目にする私は、後藤が真ん中に来たのはいいとしても、なっちが向かって右端と左端に居て(右と左は同じ写真で、ようするに合成している)、しかも左端のは顔が半分切れているのが気になって仕方が無い。
徳川家康だったら、打ち首にされそうな構図だが、何を暗示しているのだろう。

まさむね

政局

かねがね、やることなすこと、小渕は脳死状態に違いないと思っていたら、本当に脳梗塞になってしまい、いきなり小渕の気配りだとか人の良さだとかがクローズアップされてきて、病人はやっぱり強いなと感心させられた。
後を継いだ森はとりあえず、大臣とかは全く変えず、失敗しても他人のセイにする体勢はとりあえず出来たようだ。
死んでくれれば弔い合戦とかなんとか大平の時みたいにどさくさまいれで自民党が勝ち、そのまま首相の座に居座るんだろうな。
それにしても貧乏クジをひいたのは小沢だ。政治は結果論だとは言え、自由党は半分になっちゃうし、小渕を追いつめたみたいになっちゃうし。(大物)政治家としての命も、もう終わりだろう。

まさむね

井上円了と哲学堂

先日、桜に誘われて中野の哲学堂に行ってきた。
井上円了という明治の学者が精神修養のために私財を投じて作ったというこの公園。
哲学というものに勢いが感じられた時代の遺物として、幼稚さと大胆さを兼ね備えている。例えば、4大聖人として、孔子、釈迦、ソクラテス、カントを並べて崇め奉っているところなど、その面目躍如たるところだ。
しかし、明治の博覧強記、例えば南方熊楠とか宮武外骨そして、この井上円了。この強引な四方八方への好奇心と実行力は現代の学者達が可能性として無意識的に捨ててしまったものに違いない。
哲学の内容はともかくとして、哲人としての生き方は面白すぎる。弟子とかだったら楽しかっただろうな。

関係ないが、ちょうど花見をやっていた。花見の醍醐味は、全然無関係なグループ同士が偶然に隣り合ったときの、異文化接触だ。私がみかけたのは、「車椅子にのった老人達とボランティアの女子高生」VS「ヘビメタと飲み屋のねぇちゃん軍団」。
はたして、どちらに軍配が上がったのか。

まさむね

サザエさん電車

先日、世田谷線に乗ったら、サザエさん電車というのが試運転していた。車両の両側にサザエさんの絵が描いてあって、よっぱらいの喧嘩をギャグ化する新手法だと感心した。
サザエさんといえば、先日、長崎に行ったときに思い出したんだけど、カツオの「長崎も大変だね。海からピンカートン、空からピカドン!」っていう放送禁止された懐かしのギャグを思いだした。

まさむね

大前はどうでもいいけどSPEED解散

大前研一といえば、ビジネスチャンネル(スカパー)はどうなったんだろう。本当にドットコム革命(ショック)信じてるんなら、自分で勝手に儲けろよ。

ところで、ついにSPEEDが解散した。その空き家に入ったのがモーニング娘。という事なんだろうけど、SPEEDが子供たちの前向きの内面を極めて抽象的に代弁した歌(文部省推薦も夢ではない歌)を歌っていたのに対し、モーニング娘。の歌は逆立ちしても卒業式の式次第で歌える歌じゃないよな。
もっとも、モーニング娘。だって、LoveMachine以前は、結構、内面を吐露するようなの歌ってけど。

まさむね

大前健一も高田同様、暴落タイプ

大前健一も高田同様、選挙でボロ負けしたり、コンサル時台はバブル時代のイケイケ住友の片棒担いだり、価値暴落タイプですよね。もともと出身は日立の原子力のエンジニアだから最後のツキからは見放された人生なのかも。
でも、実はソフトバンクの取締役だったりして、ちゃっかりしたとこもあります。まあ、なのでIT関連をプッシュするのもマッチポンプだったりするわけです

そうたしか、息子が大学辞めてデジハリに進むのを手放しで喜んだりしてして、相変わらずツキに見放されているようです

ところざわ