やっぱ、鮫肌文殊

鮫肌文殊、まさむねさんも知ってたんですね。わたしも、ビックリハウスの彼が大賞を受賞した号は覚えています。といっても、その不思議な名前となんか、汚くて力のある漫画風の受賞作?だったって事だけですが・・・内容はすっかり忘れました。

わたしも、前回の朝ヤンみてみました。でも、さすがに誰がどの組かわからず、知らないマージャンを見ているようでした。

ところざわ

久しぶりの朝ヤン

久しぶりに朝ヤンを観た。モーニング娘。、太陽とシスコムーン、ココナッツ娘。なんかが一度シャッフルされて、テンポラリの新しいユニットが3つ出来るという事だ。
しかし、話の流れを見ていくと、結局はモーニング娘。の試練話が80%以上のメイン。その他の人々はいわゆる「かませ犬」扱いだった。それにしても、ちょっと見ないうちに変わったのは保田だ。プッチモニのヒットのせいか、その野心がむしろ安倍を上回る。その昔の長州のようでいい。
しかし、この朝ヤン。鮫肌文殊(1965年生まれ。かつて高2でびっくりハウスの「えんぴつ大賞」を受賞)のシナリオのせいか、プロレスがかっている。「さんまのからくり」「がさ入れ」「電波少年」とともに、テレビが現実に染み込んでくる独特の彼のセンスが凄い。

まさむね

日本人は権威主義?

先日、TBSの「どこか変だよ~」を見ていたら、老人達が出ていて、アメリカ人からの日本人は権威に弱いという発言に思わず沈黙してしまうという一幕があった。古くからいわれている事ではあるが、確かに一理ある。
その昔、細川隆元という政治評論家が昭和天皇にインタビューした時、すべての発言に過剰に深読みし、納得するという芸を演じた事があった(※)が、結局、反権威的と言われる左翼の流れにいる人々も実は逆の意味で権威主義に他ならない人が沢山いる。例えば、その辺の野山で魚取って暮らしているオヤジが魚の生態に詳しい、自然と共棲しているではないかと感激しまくる本多勝一とか、ただの甘えた不登校児童の一人言を盗み聞きして、人間の真実を言い当てられたかのように唖然とする灰谷健次郎とか、最近では、不良の女子高校生のだらだらした行き方に、まったり革命とか持ち上げる宮台真司とか。まぁ、商売と言ってしまえば、それはそれでいいのだが、ただ、恥ずかしくないんだろうかと思うだけだ。

※手元に本が無いので、こんな感じだったとしか言えなくて残念だが、例えば、昭和天皇が「野の花はきれい。」と言えば、「うぉ~天皇陛下は野の花のようなつまらないものにも、多大な愛を抱いていらっしゃる。しかも、花の美を直感的に見抜かれておられる。お見事でございます。うぉ~。」っていう感じ。

まさむね

最後はさやか。

大きくなったら、何になりたいのと聞かれ、アイドル歌手と答えてた少女がその夢をあっさりとかなえ、さらにその夢を確実なものにしようと前向きに頑張っている。市井さやかの表情を見ていると、そういった疑問の無い健康的な上昇志向を感じ、それはさらに70年代のアイドル黄金時代の価値観にも通じ、私なんかはなつかしささえも覚えてしまう。
才能あふれる金髪少女・後藤真希の教育係から長じて、モーニング娘。から別れた新ユニット・プッチモニのスポークスマンとして16才とは思えない利発さを見せ付ける彼女は、他のメンバーが男の子向けであるのに対し、むしろ女の子向けの商品として期待されている。
ソロになっても多分いけるよ。彼女なら。

まさむね

やっぱりなっちだ。

多分一番可愛いんだと思う。
安倍なつみの事である。なっち一本化作戦、人呼んでクールファイブ化路線「ふるさと」の失敗で、身代わりも速くドンチャン騒ぎ政策に移行して大ブレイクしたモーニング娘。で、それでもなお辛くもトップの座に居続ける彼女はやっぱりそれだけの外見を備えている。しかし、彼女の本当の魅力は、その可愛さの陰から時折、垣間見られる田舎者の野望だ。今時珍しい女版どっこい大作的向上心はちょうど、女子プロで言えば長与千種の出世物語ように、世間知らずと背中合わせの危険なシナリオを彼女に書かせる可能性もある。
自分を育んだ大地とこれから彼女が活躍していくべき世界とのバランスをどうとって行くのだろうか。

まさむね

これからは後藤だ。

学業に専念するために脱退した福田明日香は、なんかのクイズ番組で、「フランスの首都は?」と聞かれて答えられず、彼女の将来に思いを寄せるファンをはなはだ不安に陥れたものだが、その後釜として、昨年9月にモー娘に就職した後藤真希は逆に、「今、学校で数学どこまで進んだの?」とお笑いに聞かれ、「今、冬休みですから。」と言い切り、学業なぞはアイドルになれなかった者どもの苦役に他ならないわとでもいいたげな表情をちらっと見せた。
彼女の成長こそ、我々が今後、主題として楽しむべき物語なのではないかとその時、私は確信したのである。モーニング娘。の中では早くも2曲目でなっちと並ぶメインの位置をキープした彼女の屈託のなさ(=増長した感じ)と、まだプロになりきれないあまったれた感じが現時点での彼女の魅力である。
しかし、ただの街の娘とアイドルの中間的存在でいつまでも行けるわけでもなく、成長物語の先にある彼女は今の時点では想像もしたくないというのが我々の正直なところではないだろうか。

まさむね

何故、矢口なのか。

何故、矢口なのか。
モーニング娘。の中でも一際小さく、二の腕も太い。誰しもが一度は「何故矢口なのか。」とつぶやきたくなる瞬間、我々はすでに矢口の術中にはまっていると言わざるを得ない。
「LOVEマシーン」で最後の「ラブマシ~ン」そして、「ダンスサイト」では「セクシ~ビ~ム」と常に、ポイントポイントでそのポジションを確保する彼女はそれなりにつんくの評価も高いのだろう。確かに、権威的あるいはあやしげな人気投票でもいつも上位をしめる彼女の魅力は、ロリコン向けという言葉では語り尽くせない。
それよりも、SPEED無き後、小学生をターゲットとした空き家に忍び込んだ感のあるモーニング娘。の立派な戦力だと言っておきたい。
しかし、それでもなお私は今日もどこかで思わずつぶやいてしまう。
「何故矢口なのか。」と。

まさむね

とにかく中澤裕子だ。

さっそく、今日のTBSの朝の番組で、新潟の事件と京都の事件を結び付けて、「父親の死後の母親の甘やかし」という物語に回収しようとしていた。
まぁ、こういった単純化作業はマスコミの仕事(役割)だから、しかたないけど、もう少しひねれよって感じですな。

それよりも、モーニング娘。の中澤祐子だ。
部屋に入るなり早く脱ぎなさいよとか、話をすれば、一体何が言いたいの!とか、常に男をせきたてるように仕切る。そういった男女関係をこよなく愛するM系の男(平均年齢30以上)と、会社に入っても「××先輩!」と姉さんを慕い、常に体育会系プラス宝塚系の奴隷を志願する下済み系の女達(平均年齢20歳)の絶大な支持を受ける関西女・中澤裕子の30秒前に来たばかりなのに、1年も前からそこに居たかのような存在感に、モーニング娘。の背骨を確認して、僕などは思わず「全てを任せた」とつぶやきたくなる。
かつての日本のアイドルグループ界に彼女のような明確なキャプテンキャラが存在した事があっただろうか。それ一つとってみても、わしは、モーニング娘。のオリジナリティを確信するし、それは決して○○アクターズスクール等では学べない事に違いないと思う。

まさむね

事件と時代性

たしかに、昨今猟奇的な事件が話題になっていて筑紫テツヤ的には現代の閉塞感とか言い出しそうだけど、昔は家族やコミュニティがあって各々に居場所があって現代はそれがないのが原因見たくね、でも、考えてみればいつの時代でも事件は起きているんだよね。閉塞間で言えば戦前の事件で八墓村のモデルになった津山三十人殺しとか起こった際には田舎の因習に対する閉塞感みたいなものが一員だろうしね。まだ報道されるだけ現代のほうが風穴開いているとも言えるしね、以前の江戸時代の農民は米食ったことがないという神話にも通じるけど安直な想像や単純な潔癖感で真相が単純化されちゃいますよね。

最終的に想像力って、イッチャッタ人の想像力には、常識的な作家には追いつけないものがありますもんね。彼らの想像力は観客に対するケレンみはなくて、欲望に忠実だから選択肢も多いしね。

ところざわ

いろんな事件

いろんな事件が起きるようになって久しいけど、そのたびに、ドラマのような事件って言っていたのが、すでに、ドラマにもならないような事件の域に突入していますよね。
ある男(39)が自分の彼女(17)を自分の家族の目の前でメッタ刺ししたという事件とか、自分の彼氏(19)が同居していた子供(13)(自分の友人から捨てられた子供)に指示して、自分の幼子を熱湯につけさせて重体を負わせたという事件とかを、我々はテレビを見ていてただ唖然とするしかない。
精神異常だとか、家庭環境だとか、社会とか学校とかでは、もう説明がつかないよね。テレビというメディアはそういった事件をなんとか一般大衆の想像出来る範疇に丸め込む(凡庸化)のが仕事なんだけど、もうそれも、出来ないですね。
これじゃあ、基本的に同情(シンパシー)で成り立っているテレビドラマが置いていかれるしかない。高度資本主義社会は、すべてのものが商品化される社会だととりあえず定義できるけど、いろんな事件は、そんな社会に対する暗部からの抵抗という感じもしますね。
私の「自転車事件」にしても、社会全体に漂う不思議な雰囲気と同調した不気味さがありますよね。本当は、偶然の重なりなんだけどね。
ところざわさんのご指摘通り、「まさむね。」はモー娘の影響でした。

まさむね。