何故、ハロプロの中で里田だけが紅白に出演出来たのか

今年の暮の紅白歌合戦。誠に残念な事ながら、ハロー!プロジェクト(モーニング娘。、Berryz工房、℃ute等の総称)からの出場予定は、里田まいだけになってしまった。
モーニング娘。が出場できなかった件に関しては、後日、まとめて書いてみようと思うが、とりあえず今日の話題は、里田まいである。

里田まいは、北海道出身。2001年に、カントリー娘。の追加オーディションに合格。2002年1月から正式メンバーとなる。

里田がデビューした時代(2002年当時)は、いわゆるハロプロは、タレントとしての全盛時代にあたっている。
例えば、モーニング娘。はこの時期、人気芸能人の証といわれる24時間テレビ「愛は地球を救う」のメインパーソナリティを2年連続(2001年と2002年)して務めている。

そんな羽振りいいの時代に、ある種のベンチャービジネスとして誕生したのがカントリー娘。だったのだ。
彼女達は、半農半芸というコンセプトの元、田中義剛の花畑牧場で酪農業をしながらの芸能活動を行う。
しかし、それは、本格デビューにはほど遠い、実質的には”二軍扱い”であった。
そのため、カントリー娘。は、里田加入以後、何枚かシングルをリリースしているが、カントリー娘。だけでのリリースはなく、石川梨華や藤本美貴、紺野あさ美というモーニング娘。からの”出向”を借りてのリリースであった。

もし、この時期(2002年頃)に、6年後の2008年の紅白歌合戦に、ハロプロから、誰が出場しているか?という質問をして「里田まいだけ」と答えた人がいたとしたら、それは未来から来た人だと断言していい。
それほど、彼女一人の出世(とハロプロの低迷)は、当時としては、考えられないことだったのである。
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さて、御存じの通り、里田まいブレイクのきっかけを作ったのは「クイズ!ヘキサゴンⅡ」である。
初出場は、2006年の7月12日。この時の珍回答連発がおおいにウけて、これ以降、準レギュラーを獲得。(レギュラー化は2008年5月~)
いわゆるおバカ6人組の中では、初出場こそ、つるの剛士(2005年7月)の方が早いが、準レギュラー化したのは、里田が一番早いのだ。

そういう意味で、ただの無知が、アレンジによってはおバカ芸として、ビジネスになる事を最初に紳助に気付かせたのは里田だと言っていいと思う。

その後、2007年から2008年にかけて、つるの剛士、上地雄輔、野久保直樹、スザンヌ、木下優樹菜がレギュラー化し、おバカ6人組が確定し、羞恥心、Paboという男女のユニット、あわせてアラジンというユニットが結成される。
しかし、この6人をよく見てみるとそのおバカ芸には、個々に微妙な差(個性)があることに気付く。
例えば、女性の3人であるが、木下は、いわゆる不良としてのおバカ。「勉強なんてやってられねぇんだよ」的なキャラなのに対して、スザンヌは、ボーッとしたお嬢様キャラである。
「女の子は可愛ければ、勉強なんてしなくていいのよ」的な雰囲気が漂っている。
それに対して、里田は基本的には、真面目な普通の女の子なのである。
学生の時にクラスにいたでしょ。いつも何か、勉強していてノートもちゃんと取ってるんだけど、テストになるとうっかりミス連発で成績が悪い娘って。そんな感じなのだ。
例えば、以前、あるバラエティ番組で、里田がイカの塩辛が好きで、北海道に帰った際に買い求めるというシーンがあったのだが、その時、塩辛屋で彼女は自分のノートにいろんな塩辛のメモを一生懸命に取っていた。

そういえば、里田が「ヘキサゴン」でブレイクした後、何人もの元モーニング娘。のメンバー達(石川梨華や小川麻琴など)がおバカ芸に挑戦したが、彼女ほどのインパクトを残すことが出来なかった。
おそらく彼女達は、知識量で言えば、里田とそれほど変らないレベルであろう。
しかし、彼女達にはモーニング娘。だったという栄光の過去があるゆえに、無意識的にアイドルとしてのプライドを壊すことが出来なかったのだと思う。
自ら規定した自己イメージから出ることができなかったのだ。
相撲からプロレスに転向したレスラーでも、横綱経験者(東富士、輪島、双羽黒)は大成出来ないのと同じことなのである。

だから、回答が間違えたとしても普通の間違えしかできなかったのだ。
例えば、次のような質問があるとする。

問)アメリカの首都はどこか?

これに対して答えがわからない場合、普通のアイドルは黙るか、わかりませんという。
あるいは、少し勇気があってもこう答える。

答)ニューヨーク

ところが、これでは、普通の無知である。それに対して、以下のように答えられるのがおバカ芸なのだ。

答)クリントン

里田まいならば、何度も誤答を繰り返した末に、一生懸命に、こう間違えるであろう。
しかし、一方、元モーニング娘。のメンバーにはそれは出来ないのではないか。

おそらく、里田まいは、決して無回答という事をしない。一生懸命になんらかの回答をする。
そして、おそらく、その泥臭いほどの一生懸命さが、視聴者の共感を呼ぶのだ。

しかし、その姿が共感を呼ぶには、一生懸命さだけではない、彼女達の姿勢を受け入れるような、社会全体を覆う新しい価値観があるのではないだろうか。
そうでなくては、おバカキャラが社会現象にまでなることはないと思うからだ。
以下、考えてみる。
  ◆
通常、人前で間違うということは恥ずかしいことだ。少なくとも今まではそうだった。
そして、わからない場合は、わからないと言う。それが今までの倫理だった。

しかし、おバカ達は違う。間違いでもいいからとにかく何かを言ってみる。ダメだったらまた別の事を言ってみる。そういうトライ&エラーの前向きの姿勢があるのだ。

これは、長年、日本人が培ってきた伝統的生き方(毎年、暦と掟に従って、みんなで同じ作業をする農業共同体的な生活態度)とは明らかに違う。
伝統の技術を代々受け継ぐような、厳しい熟練の職人気質とも違う。
また(これは農業共同体の延長ではあるが)、周囲との協調性を重視し、コツコツと正しいことを継続することを善とするような従来の学校的、会社的共同体的な振る舞いとも違う。

それは、どちらかといえば、修正・テスト・デバッグを繰り返しながら、物を作っていくコンピュータプラグラミング的態度に似ているように思う。
また、ある銘柄にこだわらず、リスクを分散させながら、売りと買いを繰り返す株のトレーディング的態度にも似ている。
そして、これは、対象の情報が、正しいかどうかというよりも、いかに多くの人が使用したかによって、勝ち負けが決まるような検索エンジン的な価値とも通底している。

おそらく、先行き不安が広がる、未曾有の現代世界で生き残るには、信念を持って自分の信じた方向に進む強さよりも、たとえ、間違えたとしても、それに気付き、それをすぐに修正できるような柔軟性と勇気の方が重要である。

里田まいを始めとするおバカタレント達の活躍は、そんな現代的な価値観に、明らかに乗っている。
それは、無意識的な選択だとしても、決して普通の馬鹿にはできない。やっぱり、絶妙なおバカ芸なのである。

まさむね