グルジア紛争と大相撲

北京五輪開会式と同じ日、グルジアは国内の南オセチアに軍事行動を起した。
そして、それに対抗する形で、ロシアがグルジア国内に侵攻した。いわゆるグルジア紛争が勃発したである。

この戦争の本質的なところには、アメリカとロシアの間での覇権争い、エネルギー争奪戦があると言われている。
不謹慎のようだが、僕は、とっさに、秋場所でのロシアン力士(若ノ鵬、露鵬、白露山、阿覧)とグルジアン力士(栃ノ心、黒海)との対戦(代理戦争)が楽しみになったなぁとワクワクしてしまった。僕の中には、俗っぽいプロレス体質がまだ残っているのだ。

ところが、こともあろうに、その後、若ノ鵬、露鵬、白露山がいわゆる大麻問題で続々と解雇されてしまった。
僕の夢は、しばらくお預けになってしまったのだ。(阿覧はまだ新十両のため)誠に残念だ。

そして、ここからは、妄想。

しかし、この大麻事件、意外な事実が出てきた。
露鵬、白露山がロサンゼルス巡業の際にアメリカ人から大麻から勧められて、思わず手を出してしまったというのだ。

それは、軍事同盟国である日本のロシアに対する心証を悪化させることを画策したCIAが、ロシアン力士に大麻(体内に残存しやすく改良された品種の)を吸わせ、ロシアがグルジアに攻め込んだタイミングで、日本で大麻事件を起したのではないだろうか?

どうでしょう...有り得ないか。

まさむね

外務省って何をする所なの?

外務省という役所は何をするところなのであろうか。

皮肉ではなく、私はそう思ってしまう。
先日、文部省が中学校の教科書の指導要領の解説書に「日本と韓国の間に竹島をめぐって主張に相違がある」と明記したことを契機にして、韓国側から正式抗議があり、ソウルの日本大使館前で大規模なデモが発生したとの報道がなされた。
多くの日本人はこの一連の騒動に対して、「またか」とウンザリしている。
よく考えてみれば、ロシアとの北方領土、中国.台湾との尖閣問題といった領土問題、そして、勿論、北朝鮮との拉致問題もそうだが、東アジアにおける日本の外交的重要な問題は、ほとんど解決していないとの印象すら受けてしまう。これでは、難しい問題を後回しにする受験生みたいなもんだ。

一般的に考えれば、外務省というところはそういった問題を解決するためのところだろう。
確かに外交というものは100%、国民に状況を明かせる類のものではない事は理解できる。ただ、解決に向けての方向くらいは示せるだろう。

例えば、竹島問題に関して言えば、日韓どちらの領土化ということに関して、お互いの話がつかないのであるなら、それこそ何度でも何度でも、国際司法裁判所への提訴を日本国民、韓国政府.国民に向けアピールしていくべきではないのか。日韓首脳会談とかも、何度もやってるんだから、「竹島は日本の領土だ」という主張
があまりにもストレートすぎてビビるというのであれば、そのたびに、提訴を内外にアピールすればいいじゃない。
もしも、韓国が対馬が韓国領だと主張するならば、どうぞ提訴してください。多分、そちらの恥になりますがと言ってやればいいのだ。
恐らく、日本人の多くは、もしも国際司法裁判所での判決が出れば、それに異をとなえる人は少数だと思う。
その位日本人は理性的に物事に対して対処できる国民だと思う。(また、韓国人もそうである事を希望する)

それよりも、解決の道筋すら国民に知らされず、何かあるたびに、大使送還だとか反日デモとかを見せられて嫌な思いだけさせられるのは明らかに国民の利益に反している。

あの外務省のラスプーチンと呼ばれた佐藤優氏が以前、皮肉交じりに言っていた。
「外国から見た日本の外交官は評判いいですよ。頭と性格以外は。」と。
すなわち、「語学が出来ない、戦略がない、人脈を作れない、でも、援助はくれる。」という事らしい。

再び問う。外務省という役所は何をするところなのであろうか。

まさむね

サミットの成果って何だったの?

洞爺湖サミット(7月7日~7月9日)での環境問題に対する共同声明。改めて確認してみよう。

2日目のG8首脳国だけの会議では、一応、2050年までに(全世界に対して)温室効果ガスを半減する(ことを求める)ということが採択されたが、次の日、新興国からのプレッシャーにあっさりと押されて、「世界全体の長期目標を採択することが望ましいと信じる」という声明になった。
結局、2050年という期限もいつの間にかなくなっているし、「求める」という文言もなくなっている。結局、これって「とりあえず、CO2削減の方向でやっていきましょうや。」程度の話なのである。

もっとも、元々、じゃあいつに対しての半減なの?っていうことからして曖昧だった。京都議定書が決めた1990年なのか、2005年(日本政府は主張)なのか?記者会見では、福田首相は外国メディアからの質問に対して、目を泳がせながら「それは現状の半減ってことでしょ。」ってごまかした。

よくよく考えれば、日本では、地球温暖化対策は重要課題だってキャンペーンが毎日のようにマスメディアで流されているが(このキャンペーンもかなり胡散臭い)、例えば、本音で言えば、ロシアやカナダみたいに、今まで雪と氷に悩まされていた国々にとって温暖化はウェルカムに違いないのだ。
腹の中ではみんなどんどんCO2出して欲しいとすら思っているのかも…

さて、会見場から去る福田首相は小さくガッツポーズをしていたが、そのポーズにはどういう意味があったのだろうか。
父・福田赳夫が出来なかったサミットでの議長をとりあえず果たしたっていう「父ちゃん、やったよ。」的福田家の事情ではないか。という憶測が出るほど、首相の志は低かったのかと思うと情けなくなる。

かかった経費が500億円とも600億円とも言われているこの会議だが、その具体的な成果が、福田首相の自己満足だけっていうのはあまりにも寂しい。
この寂しさは、居酒屋タクシーどころの話ではないのである。

まさむね

深夜タクシーなおもて天国、いわんや居酒屋タクシーをや

 普通のサラリーマンにとって、仕事が終わった後、深夜0時であろうが、家までタクシーで帰ることが出来れば、これほど、気持ちがいいものは無い。

もしも、これが毎日出来るとしたら、そんな職場は、天国だろう。

普通だったら、会社の最寄り駅まで走る>満員電車で1時間>電車の中では周りの人はすでに酔っ払っている>数回乗り換える>家の最寄り駅から歩いて15分。帰宅時間は2時過ぎ。>次の日は普通に出勤…あるいは、そのまま会社のイスで睡眠でしょ。

これが当たり前だと思っていた。

今回の居酒屋タクシー問題。1回のタクシー料金は2万円/1回で税金支給、しかも運ちゃんからビールとか現金とかもらえるんだって。

2万円っていうと、霞ヶ関から八王子や高尾まで行けます。本当に普通に帰宅していたの?という疑問すら浮かぶ。

罪人リストでは、財務省での対象者が600人。(あくまで内部調査ってことは自己申告ってことも要注意!)

財務省って言うところは、各省庁から上がってきた予算案をチェックして、予算を削るところだよね。日本で一番のエリートが行くところ、少なくとも俺はそう、理解していた。

ところが、この役所が過去20年間にやった事。バブル以降の日本経済で約800兆円もの借金を作ったんですね。逆に言えば、国民は知らないうちに、一人当たり600万円の借金を作られたってことなんですね。
ウチの家訓は借金厳禁なんだけど、どうしてくれるんだ!!

少なくとも、そんだけのお金があったなら、極端な話、北朝鮮位買えたでしょ。

彼らが反省しているとしたら、受け取った現金を返却、名前と写真の公開するのはあたり前として、今まで使用した深夜タクシー料金も全額返金してください。

多分、霞ヶ関の番記者連も同様にタクシーで帰ってるから、そういった待遇がどんなに天国だって事わからないんだろうな。

まさむね

道路建設の末路としての木更津キャッツアイ

道路特定財源の一般財源化の方針が決まり、これから秋にかけて、どの道路を作るの作らないのという激しい論議が水面化で始まりそうだ。

道路を作ることの大きな理由は、地域の活性化とのことである。
確かに、工事中は、地元民にいくばくかの労賃が落ちて若干は潤うのだろうが、開通後は、逆に経済活動が低迷するケースがあまりにも多い。
有名なのはアクアライン開通によって、大型店舗(そごう、ダイエー)が相次いで撤退し、駅前がシャッター街となってしまった木更津である。

そして、この寂れた地方都市の現実を斬新な手法で描いたのが、「木更津キャッツアイ」であった。

このドラマは、時流に取り残された木更津という街で、まったりと生きる野球青年達の群像話である。

主人公のぶっさんは、シャッター通りにある床屋の息子。癌宣告を受け、余命数ヶ月と診断されるが、なかなか死なない。
彼は、財政破綻寸前だが、補助金、交付金、市債等で生き延びる木更津市(というか全国の地方都市)の象徴だ。

オジー(古田新太)は、木更津の高校の先輩。過去の記憶を失い、木更津の守り神(石像)となる。
こちらは、古くからの共同体が崩壊した地方都市が、町おこしと称して、わけのわからないハコモノやオブジェを作成する事によって、逆に土地固有の匂いを消し去っていくという矛盾を婉曲に批判。
木更津的に言えば、海ホタルくんのパロディとも見られる。

また、それ以外のメンバーも、それぞれが、土地の呪縛と閉塞的な現状の中、中途半端な時間を過ごす。

道路による地域活性化は幻想だということを再度、検討すべきだ。

まさむね

韓国の反政府デモは凄いね

米国産牛肉の輸入再開に反対する抗議デモが物凄い盛り上がりだ。
政府に対して、政策変更を求める直接行動という伝統は韓国ではまだ脈々と生きていることに驚かされた。(多分、動員屋の力がまだ強いんだろうけど...)

こういった行動が政治を動かすツールとして生きているのは韓国の他にはフランスが思い浮かぶ。数年前にCPE(26歳以下の労働者は、2年以内であれば、雇用者がいつでも首を切れるという法律)に反対する300万人のデモがあった。その際、そういった若年層だけではなく、地方の農民、労働者も連帯したんだよね。

一方、日本では、決まる前は様々な反対運動があったとしても、一度、決まってしまうと、微修正はあるものの、ほとんど、なしくずしに実現されてしまうよね。

韓国やフランスを羨ましいと思う反面、俺は面倒だなと思ってしまうそのメンタリティは同時かならないものだろうか(>自省)

まさむね

平成の平安化を踏まえて、橋下知事に期待

平成の現代は平安化しているという論評をたびたび見かける。

例えば、井沢元彦氏は、現代の護憲憲法を律令(ともに、建前だけの成文法)に、自衛隊を検非違使(ともに、成文法から逸脱した令外の官)に、それぞれなぞらえてその状況を説明される。
また、大塚ひかり氏は、見かけ重視主義、恋愛至上主義等をさして、平成と平安の共通点を指摘している。

いずれにしても、現代の閉塞感はますますつのっているようにも感じられるが、平安時代も多分、そうだったんだろうな。朝廷の政治は一部の公家(藤原北家)に独占され、出世の見込みを失った、他の氏族(源氏や平氏)は地方に下り、実力を蓄える。地方の治安の惨状をきっかけに徐々に中央政府への不満が醸成、そして爆発。平将門の乱、前九年の役、そして、平家政権を経て、鎌倉幕府誕生にいたるのである。

そんな、1000年前の流れを見ていると、今後の日本を占う上で重要なキーワードが浮かび上がってくる。
日本が変わるには地方の活性化が必要不可欠なのだ。

そこで、橋下さんのように、失敗して元々の人材が、地方でやりたいことをやり、言いたいことをする事が、閉塞的な時代を動かしていくんだろうな。

まさむね

後期高齢者医療制度に関して

後期高齢者医療制度を修正するのか?廃止するか?でまた国会でもめている。

少し前までは、現在の日本の個人資産の3/4は老人層が持っているんだから、いかにその層を相手にビジネスしようかってみんな考えていたんじゃないの?マスコミはいつの間にか、「かわいそうな」老人の味方になっているよね。

また、年金からの天引きが問題だという人もいるけど、俺が思うに、元々、国民年金っていうのは、農業や個人商店等の自営業者の老後のお小遣い制度だったんじゃないの?そういう層は、子供世代にあとを継がせたとしても、老後、同居しながら、ある程度、仕事は続けられるということで、月々6万円位の最低年金をあげればいいじゃないという事だったんじゃないかと思う。
そして、あとを継ぐという事が出来ないサラリーマン層には厚生年金を手当てしたんだよね。

ただ、問題は、この制度が出来た時から、社会状況は大きく変わってしまったということ、その間、大店法、減反政策などで、自営者は本当に苦しくなってしまった。
また、核家族化で、家族の「財布」が世代毎にバラバラになってしまった。さらに、同居している子供・孫世代がいたとしても、彼らは老人世代を養うというよりも、逆にパラサイトとして現実の収入不足を高齢者からの援助で補償している始末だ。

今回の問題は、後期高齢者医療制度という経済的な話だけじゃなくて、日本の社会自体をどのようにしていきたいのかという哲学不在が根本的な問題なんじゃないかな?その哲学(そして、ウソばっかりつく政府への信頼)がないから、みんな不安でしかたないんだよ。

でも、おそらく、この制度はなし崩しに進行し、なしくずしに定着していくんだろうな。絶望的だ。

まさむね

ROOKIES 高福祉型×ネオリベの代理闘争

格差社会の到来が言われている。

もしも、その格差社会が避けられない現実であるとすれば、最下層の人々に対して、どういった手当て(経済的にそして、精神的に)をしたらいいのかという現実的政策が今後、大いに論議されていくことだと思う。

解決策としては大きな方向性として2つある。一つは最下層の人々の幸せを完全に保障するというEUの高福祉型。そしてもう一つは、最下層の人々にも等しく階級上昇の思想と具体的チャンスを与えるというアメリカのネオリベ型。

TBSのドラマ「Rookies」は、上記2つの解決策の葛藤が主題のドラマである。

夢を失ない、心もすさみ、他の生徒からも差別されるある高校の野球部。彼らはいつも、暗い部室を自分たちのアジトとして、喧嘩、タバコ、麻雀等にふけっていた。というと、なんともネガティブな状況だが、逆に言えば、そこは彼らも自称するパラダイスであった。先の話に近づけて言えば、学校側から無視されるという形で幸せを完全に保障されているのだ。(彼らは様々な違反に対して、黙認されると同時に、授業に出席しなくても出席扱いとなっていた。)

そこに現れた新任教師・川藤。「夢」という階級上昇の思想を持って、野球部の生徒たちを改宗させていく。つまりアメリカ型のネオリベ的価値観に生徒を強引に巻き込んでいくのだ。(ちなみに、ちょうど、この漫画が連載された頃は、平成大不況から小泉構造改革時代にかけての時代で、この川藤的価値観が隆盛になっていく時代と連動しているのが興味深い。)

勿論、最初は、このネオリベ的価値観に学校側も生徒側もこぞって抵抗するのだが、川藤先生の熱意に気おされ、少しづつ(一人づつ)落城していき、ようやく野球が出来るまでに野球部を変えていくというストーリーだ。

学ラン、リーゼント、麻雀、殴り合い等、最近ではほぼ死滅した不良アイテムが何の違和感も無く登場する久しぶりに男くさいコテコテのスクールウォーズ的ドラマだが、その不良達の圧倒的存在感はGJだ。

まさむね

中国批判はいいけど、痛いのも嫌だ

中国共産党によるチベット弾圧は本当に腹立たしいが、心の中で99%そう思っていても、残りの1%で、そういう考えを持ってしまう自分への内省は忘れたくないものだ。
俺にとってそれは3つある。

一つは、我々・日本人も歴史をさかのぼるとアイヌ民族、朝鮮民族、台湾民族等に同様の事をしてきたという事は、覚えておきたい。日本人(和人)と同様の価値観を相手に押し付け、彼らの文化を否定してきたことは痛恨の歴史である。

もう一つは、実は、最近の中国の経済勃興、軍事力増大に対する警戒心、嫌悪感が、チベット解放を叫ぶ時の、真のモチベーションになってはいまいかということ。こういう心性は「痛い」からね。

今回の暴動のきっかけとなったは、チベットが急速な近代化へNOを突きつけたという一面もある。ということは、世界市場でグローバライゼイションの一翼を担う日本も、チベット人に対して抑圧する側にまわっているのではないかということだ。こういうことに無自覚なのも相当痛いよね。

まさむね