今月から保険で認可されたC型肝炎の人工透析治療をはじめている。
人工透析はすでに、2回行った。首に管を入れて、血を抜き取り、浄化し、手から浄化された血液を流し込む。
(+インターフェロン注射、レベトールの投薬のあわせ技)という治療だ。
入院した日に、すぐに医者、看護師達にいきなり首に麻酔を打たれて、管を差し込まれたのにはビビッた。
まさむね
今月から保険で認可されたC型肝炎の人工透析治療をはじめている。
人工透析はすでに、2回行った。首に管を入れて、血を抜き取り、浄化し、手から浄化された血液を流し込む。
(+インターフェロン注射、レベトールの投薬のあわせ技)という治療だ。
入院した日に、すぐに医者、看護師達にいきなり首に麻酔を打たれて、管を差し込まれたのにはビビッた。
まさむね
笑いの主は国会の党首討論における小沢一郎だ。福田康夫が「かわいそうな位ですよ。」と懇願しているのを一瞥しての高笑いだ。
ヒール大物政治家の面目躍如と言ったところか。
しかし、そもそも、ヒールがその象徴として見せる高笑いはいつから始まったのだろうか?
例えば、古事記では、号泣し、そして怒りの感情を露わにするスサノウはアマテラスとの対比で完全にヒールだ。(高天原を追放された後は、そうでもなくなるが...)また、源氏物語でも、ヒール役の弘徽殿女御は、常に怒り、嫉妬、蔑みの感情を隠さない。
相手に対して、不快となるであろう感情を隠さないというのが古来からの日本におけるヒールの所作なのかもしれない。
今後、研究/考察してみるつもりだ。
まさむね
ついに、明日から入院だ。
C型肝炎の人工透析治療がはじまるのだ。
去年はインターフェロン注射のため、2週間の入院をしたが、今年も2週間~3週間程度の入院予定。
ちょっと不安です。
まさむね
純恋歌(湘南乃風)は2006年の、愛唄(Greeeen)は2007年の大ヒット曲、両方とも実質、プロポーズの歌であるが、以下のような共通点がある。
1.君のために一生歌い続けるよ。(ただし歌はヘタ)
2.手も握り続けるよ。
3.お互い老人になってもそれは続けるよ。
これが「結婚」という言葉をつかわない現代風プロポーズなんだろうか。
この歌詞の共通点を見ると感じるのだが、現代の若者は、今の幸せな二人の状態が、働き盛りの年代の様々な問題を一気に飛ばして、そのまま老人にワープすることを理想としているのではないかと思えてくる。
それを裏付ける統計として例えば、最近の「生活に関する満足度調査結果によると、男女ともに、20歳代と70歳代の満足度が高くて、いわゆる働き盛りの30歳代~60歳代のそれは低い。
おそらく、20代の人も、そんな上世代の人々との現実的な接触の中で、あと数十年はつらい日々が続くということを薄々わかっているのではないか。
ロマンスの影に隠れた現実回避願望が透けて見える。と同時に、不安な世の中を背景としていわゆる現役時代は”面かぶりクロール”で泳ぎきり、早くゴールして隠居したいという本音が透けて見えると言い直すべきだろうか。
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純恋歌(湘南乃風)より
今すぐ会いに行くよ手を繋いで歩こう
絶対離さない その手ヨボヨボになっても
白髪の数喧嘩してしわの分だけの幸せ
二人で感じて生きて行こうぜLOVESONGヘタクソな歌で愛をバカな男が愛を歌おう
一生隣で聴いててくれよ
愛唄(Greeeen)より
ヘタクソな唄を君に贈ろう
めちゃくちゃ好きだと神に誓おう!
これからも君の手を握っているよ僕の声が続く限り
隣でずっと愛を唄うよ
歳をとって声が枯れてきたら
ずっと手を握るよ
まさむね
ねがわくは花の下にて春死なむ そのきさらぎの望月のころ (西行)
自分が死ぬんだったら、満開の桜の木の下で死にたいってことでしょうか。これは同時に、桜の花になって生まれ変わりたいっていうのも深読み出来るんじゃないかな。桜の花を生まれ変わりの象徴として、あるい、桜の木を生まれ変わりの霊の宿り木として観念するのが、中世の特徴からね。
例えば、世阿弥の能「忠度」でも、死霊がよみがえるために満開の桜の木を必要としている。また、「西行桜」では、桜の木を宿り木として、老人の精をよみがえらせる。
桜の木は時として、死者を想起させる「幽玄」の場(この世と霊界との通り口)として現れるんだよ。
そういえば、隅田川沿岸にならぶ桜並木は明暦の大火の被災者を追悼するために、徳川吉宗が植えさせてたらしいし、上野の山は彰義隊で死んだ幕府側の勇士のために桜を植えたという。
近代に入ってからは、「桜の木の下に死体が埋まっている」と書いた梶井基次郎が有名だが、その観念は、ORANGE RANGEの「花」まで続いているのかもしれない。
生まれ変わってもあなたのそばで花になりたい...
※この話題に関して、「家紋の文化史―図像化された日本文化の粋」(大枝 史郎)を大いに参考にさせていただきました。
まさむね
日本文学に燦然と輝く金字塔「源氏物語」。
ここでも桜は美しく描かれているが、同時に不幸への伏線としても描かれている。
最初は「花宴」の巻。桜見の宴会で酔った源氏は、ライバルの右大臣家の箱入り娘・朧月夜との一夜を過ごしてしまう。そして、結局は、この不義が原因で、後の須磨、明石へ流される事となるのだ。
次は、「若葉上」の巻。桜満開の下で蹴鞠をしていた柏木(太政大臣の子)フトしたアクシデントで源氏の正妻・女三宮を見てしまう。そして、結局は、柏木は女三宮をはらませてしまう。このことが、その後に源氏に精神的ダメージを与える。
おそらく、この桜=凶兆という観念は当時の貴族達にも共有されていたんじゃないかな。
(4へつづく)
まさむね
昨日、桜が国家主義的象徴だって話をしたけど、今回は日本の歴史における桜がどのようにイメージされてきたのかを追ってみよう。
まず、古事記。桜といえば、日本神話の中ではコノハナサクヤ姫に象徴される。ニニギのミコト(アマテラスの孫で、天皇の先祖)が、天孫降臨すると、まず、こ美しい姫に一目ぼれをして、結婚を申し込む。
姫の父はもう一人、姫の姉(石の精・石長姫)も一緒に嫁として嫁がせるが、ニニギはそれを拒否。
そのせいで、天皇の子孫は、美と引き換えに永遠の命を失ったという。
ここで、桜は、美の象徴であるとともに、死の象徴でもあるんだよね。
その後、平安時代に入ると、和歌で花と言えば、梅ではなく、桜を指すようになる。
久かたの光のどけき春の日にしず心無く花の散るらむ(紀友則)
桜花散りぬる風のなごりには水なき空に波ぞ立ちける(紀貫之)
風に舞い散る花こそ、最も日本らしい美意識、そして日本人の悲しい心情を現すというのはこの平安の頃に生まれたんだよね。実はそれが、最近のJ-POPにも引き継がれているんだ。そして、桜の歌を作ると日本人は咲くところじゃなくて散るところを歌にすると国文学者の池田弥三郎先生が言っていたがまさにそうだ。
さくら舞い散る中に忘れた記憶と君の声が戻ってくる... 「さくら」(ケツメイシ)
さくらの花びら散るたびに届かぬ思いがまた一つ...「桜」(コブクロ)
さくらさくらただ舞い落ちるいくつか生まれ変わる瞬間を信じ... 「さくら」(森山直太朗)
(3へつづく)
まさむね
鹿男あをによし、最終回は何の謎も解決せず、謎を持った私がバカだったと思わせるような結末だった。
俺が持った期待はこうだ。
日本列島を周期的に襲う大地震を鎮めるための「鎮めの儀式」に重要な役割をはたす狐と鹿と鼠。
ご存知の通り、狐は京都の大神社・伏見稲荷のご眷属(神獣)で、鹿は奈良の春日大社の眷属(神獣)だ。そして鼠は、一般的には大黒様(大国主)の使いとの俗信がある。と言うことは、さらに出雲大社に絡んでくるのか。ワクワク...
また、先生(玉木宏)が東国からくるときに持ってきた鹿島神宮の勾玉、鎮めの儀式に使われて鏡(三角縁神獣鏡)、そう来れば、後は刀はどこでどう絡んでくるのか?
言うまでも無く、勾玉、鏡、刀は天皇が即位する際に前天皇から譲られる三種の神器だからね。
剣道の話もあったし、そのあたりから刀の秘密が解明されていくのか?三種の神器の秘密が明かされることによって、天皇制の正当性の話まで膨らんでいくのか...俺は期待して最終回を迎えた。
しかし、結局は登場人物達の恋の話で終わってしまった。
あの期待は何だったんだろうか。
ドラマの冒頭のナレで、で八百万(ヤオヨロズ)の神っていうのを、ハッピャクマンの神って言っていたので若干に不安を感じていた俺。悪い予感的中というところか。
まさむね
武士道という観念は、武士が具体的な戦闘で死ぬ必然性が無くなった江戸時代に入ってからイデオロギー化した。
その武士道を精神運動として美学的にサポートしたのが本居宣長をはじめとする国学者であった。
敷島の大和心を人問はば朝日に匂ふ山桜花 (本居宣長)
靖国神社の遊就館に入ると最初に飛び込んできたのがこの和歌である。この頃から、桜とナショナリズムが融合していったんだろうな。そして、武士道というイデオロギーもそれに近いところに存在していた。
実際は、江戸時代の後期には、武士階級はほとんどが事務員と化していた。また、仕事の無い旗本なんかは隅田川に船を浮かべて、桜を見ながら粋だとかなんとか言っていたんだろう。
だから、彼らに実際の戦闘行為が出来たかというとはなはだ怪しい。例えば、現代の公務員にいきなり刀や槍を持たせて戦えというのと同じように、当時の武士階級に、無理やり、先祖伝来の具足を付けさせて戦場に駆り出したのが、長州征伐や鳥羽伏見の戦いだったんだろうね。
そしてそこでは、多くの直参、旗本達は愚痴を言いながら、アリバイ作りのためにとりあえず、戦場に赴いたんだと思う。
逆に、幕末の戦闘において、奇兵隊とか新撰組とかの非武士階級の方が武勇をとどろかせたのは、むしろ彼らのほうがより、意識的に「武士とは何か」「戦うとは何か」「そして何のために死ぬのか」を考えるポジションにあったからだ。
ところが、その答え、一体誰のために死ぬのかという思想が、この幕末から明治維新にかけて大きくかわったんだよね。江戸時代にあった家のために死ぬ、藩のためにしんで名誉を残すというロジックが、この時期、国家のために死ぬというイデオロギーにスリ替わったんだよね。
その、国のためにパッと散ってこそ、大和心という思想の象徴として、山桜紋が国家主義的戦略組織の印として散見されるようになる。
陸軍、海軍、学習院、靖国神社、そして大相撲、今でもこれらの組織の紋所には山桜が使われているんだ。
戦国時代より以前には、桜紋はほとんど広まらず、逆に「桜」は死霊を呼び寄せる、あるいは不吉な予兆として意識されていたのに、そういった日本の伝統は幕末>明治に強引に変わったんだよね。
(2へつづく)
まさむね