日本人は権威主義?

先日、TBSの「どこか変だよ~」を見ていたら、老人達が出ていて、アメリカ人からの日本人は権威に弱いという発言に思わず沈黙してしまうという一幕があった。古くからいわれている事ではあるが、確かに一理ある。
その昔、細川隆元という政治評論家が昭和天皇にインタビューした時、すべての発言に過剰に深読みし、納得するという芸を演じた事があった(※)が、結局、反権威的と言われる左翼の流れにいる人々も実は逆の意味で権威主義に他ならない人が沢山いる。例えば、その辺の野山で魚取って暮らしているオヤジが魚の生態に詳しい、自然と共棲しているではないかと感激しまくる本多勝一とか、ただの甘えた不登校児童の一人言を盗み聞きして、人間の真実を言い当てられたかのように唖然とする灰谷健次郎とか、最近では、不良の女子高校生のだらだらした行き方に、まったり革命とか持ち上げる宮台真司とか。まぁ、商売と言ってしまえば、それはそれでいいのだが、ただ、恥ずかしくないんだろうかと思うだけだ。

※手元に本が無いので、こんな感じだったとしか言えなくて残念だが、例えば、昭和天皇が「野の花はきれい。」と言えば、「うぉ~天皇陛下は野の花のようなつまらないものにも、多大な愛を抱いていらっしゃる。しかも、花の美を直感的に見抜かれておられる。お見事でございます。うぉ~。」っていう感じ。

まさむね

とにかく中澤裕子だ。

さっそく、今日のTBSの朝の番組で、新潟の事件と京都の事件を結び付けて、「父親の死後の母親の甘やかし」という物語に回収しようとしていた。
まぁ、こういった単純化作業はマスコミの仕事(役割)だから、しかたないけど、もう少しひねれよって感じですな。

それよりも、モーニング娘。の中澤祐子だ。
部屋に入るなり早く脱ぎなさいよとか、話をすれば、一体何が言いたいの!とか、常に男をせきたてるように仕切る。そういった男女関係をこよなく愛するM系の男(平均年齢30以上)と、会社に入っても「××先輩!」と姉さんを慕い、常に体育会系プラス宝塚系の奴隷を志願する下済み系の女達(平均年齢20歳)の絶大な支持を受ける関西女・中澤裕子の30秒前に来たばかりなのに、1年も前からそこに居たかのような存在感に、モーニング娘。の背骨を確認して、僕などは思わず「全てを任せた」とつぶやきたくなる。
かつての日本のアイドルグループ界に彼女のような明確なキャプテンキャラが存在した事があっただろうか。それ一つとってみても、わしは、モーニング娘。のオリジナリティを確信するし、それは決して○○アクターズスクール等では学べない事に違いないと思う。

まさむね

何故、矢口なのか。

何故、矢口なのか。
モーニング娘。の中でも一際小さく、二の腕も太い。誰しもが一度は「何故矢口なのか。」とつぶやきたくなる瞬間、我々はすでに矢口の術中にはまっていると言わざるを得ない。
「LOVEマシーン」で最後の「ラブマシ~ン」そして、「ダンスサイト」では「セクシ~ビ~ム」と常に、ポイントポイントでそのポジションを確保する彼女はそれなりにつんくの評価も高いのだろう。確かに、権威的あるいはあやしげな人気投票でもいつも上位をしめる彼女の魅力は、ロリコン向けという言葉では語り尽くせない。
それよりも、SPEED無き後、小学生をターゲットとした空き家に忍び込んだ感のあるモーニング娘。の立派な戦力だと言っておきたい。
しかし、それでもなお私は今日もどこかで思わずつぶやいてしまう。
「何故矢口なのか。」と。

まさむね

これからは後藤だ。

学業に専念するために脱退した福田明日香は、なんかのクイズ番組で、「フランスの首都は?」と聞かれて答えられず、彼女の将来に思いを寄せるファンをはなはだ不安に陥れたものだが、その後釜として、昨年9月にモー娘に就職した後藤真希は逆に、「今、学校で数学どこまで進んだの?」とお笑いに聞かれ、「今、冬休みですから。」と言い切り、学業なぞはアイドルになれなかった者どもの苦役に他ならないわとでもいいたげな表情をちらっと見せた。
彼女の成長こそ、我々が今後、主題として楽しむべき物語なのではないかとその時、私は確信したのである。モーニング娘。の中では早くも2曲目でなっちと並ぶメインの位置をキープした彼女の屈託のなさ(=増長した感じ)と、まだプロになりきれないあまったれた感じが現時点での彼女の魅力である。
しかし、ただの街の娘とアイドルの中間的存在でいつまでも行けるわけでもなく、成長物語の先にある彼女は今の時点では想像もしたくないというのが我々の正直なところではないだろうか。

まさむね

いろんな事件

いろんな事件が起きるようになって久しいけど、そのたびに、ドラマのような事件って言っていたのが、すでに、ドラマにもならないような事件の域に突入していますよね。
ある男(39)が自分の彼女(17)を自分の家族の目の前でメッタ刺ししたという事件とか、自分の彼氏(19)が同居していた子供(13)(自分の友人から捨てられた子供)に指示して、自分の幼子を熱湯につけさせて重体を負わせたという事件とかを、我々はテレビを見ていてただ唖然とするしかない。
精神異常だとか、家庭環境だとか、社会とか学校とかでは、もう説明がつかないよね。テレビというメディアはそういった事件をなんとか一般大衆の想像出来る範疇に丸め込む(凡庸化)のが仕事なんだけど、もうそれも、出来ないですね。
これじゃあ、基本的に同情(シンパシー)で成り立っているテレビドラマが置いていかれるしかない。高度資本主義社会は、すべてのものが商品化される社会だととりあえず定義できるけど、いろんな事件は、そんな社会に対する暗部からの抵抗という感じもしますね。
私の「自転車事件」にしても、社会全体に漂う不思議な雰囲気と同調した不気味さがありますよね。本当は、偶然の重なりなんだけどね。
ところざわさんのご指摘通り、「まさむね。」はモー娘の影響でした。

まさむね。

事件と時代性

たしかに、昨今猟奇的な事件が話題になっていて筑紫テツヤ的には現代の閉塞感とか言い出しそうだけど、昔は家族やコミュニティがあって各々に居場所があって現代はそれがないのが原因見たくね、でも、考えてみればいつの時代でも事件は起きているんだよね。閉塞間で言えば戦前の事件で八墓村のモデルになった津山三十人殺しとか起こった際には田舎の因習に対する閉塞感みたいなものが一員だろうしね。まだ報道されるだけ現代のほうが風穴開いているとも言えるしね、以前の江戸時代の農民は米食ったことがないという神話にも通じるけど安直な想像や単純な潔癖感で真相が単純化されちゃいますよね。

最終的に想像力って、イッチャッタ人の想像力には、常識的な作家には追いつけないものがありますもんね。彼らの想像力は観客に対するケレンみはなくて、欲望に忠実だから選択肢も多いしね。

ところざわ

伝栗決着

伝栗に関して、私はついに、問題用紙を入手。さっそく、確認。しかし、当日会場で配られた問題は伝栗ではなく、伝票になっていた。私はすぐに東京理科大にメールを出した。

—-私のメール
> 先日は、メールありがとうございました。
> 再び、大変恐縮なのですが、平成9年春午後の情報処理第二種の問16設問2の例の「伝栗」の文字に関してなのですが、当日、試験会場で配られた用紙を確認しましたところ、「伝票」になっておりました。 (以下略)

—-東京理科大より
あ!漢字が間違っているということでしたか。
問題にミスがあるのかと勘違いしました。申し訳ありませんでした。
さっそく、「伝票」に変更させていただきました。
イメージスキャナで読み込んだときに、誤変換したようです。
連絡、ありがとうございました。
—–以上

ついに、理科大の伝栗はただのミスである事が判明。しかも、当人が私の第一回目のメールで気づかないという、かなり微妙なものであることも彼からのメールで読み取れた。しかし、一方、中部職業リハビリセンタからは何の返事もない。
しかし、自分は何のためにこんな事をやっているのだろう。一瞬、とまどう今日このごろであった。

まさむね。

自転車後日談

実は、自転車の話。後日談がある。
登場人物の中で唯一まともっぽかった秋定さん(娘さんの方)が、最後の電話で、どうしても住所を教えてくれと繰り返した。何でかって言えば、ウチが送ったお礼のタオルの包装紙を無くしてしまったからという事らしい。僕は最初、ちょっと抵抗があって、「いや、そんな、とんでもない」というような何に向かって言っているのかわからないような事を言って、ごまかそうとしたが、もう一度、どうしても教えて欲しいっていう。そして、教えた。で、それからかれこれ、1週間何の連絡も無い。

あの僕の住所に対するこだわりは何だったんだろうか。また、新たな不思議と不気味が残った。

まさむね。

飯田と保田とモンテクリフト伯

飯田と保田がどの人なのか、週末テレビでその事だけど真剣に見たので知ることができました。この年になると真剣に学ばなければ知識が身につかないのは悲しいことです。保田は、いつも見いてメンバーの中で一人だけコイツちょっと場違いなんじゃなないのかなって思っていた人でした。飯田は怒り顔の人ですね。

ニシムラさんの署名にいつも「。」が最後についているのはモー娘「。」なわけですね

そういえば、監禁少女(なんていう言い方だ!)は両親や自分の名前を忘れないために書き留めて覚える努力をしていたそうですね。(涙 中国の日本人孤児のようだ)彼女のこれからに安らぎが訪れて欲しいけどマスコミが黙っていないでしょうね。映画以上ですもんね、まさにショーシャンクの空にやモンテクリフト伯-岩窟王-の様な人生です。犯人はコレクター(犯人)+ヒッチコックのサイコ(母親)ってかんじですかね。これからはジャンバルジャンな人とかゴリオ爺さんな人とか登場して欲しいですね(いったいどんな?)

監禁中の彼女の現実は夢想する頭の中だけだったのかなあ

自転車後日談は実は家族中ぐるで、こっそり自転車を取り返しにきたら面白いね。

ところざわ

新潟とモーニング娘の保田圭

新潟の誘拐監禁事件は、その9年間、少女がずっと何を考えていたのかが気になる。人は9年間もの間、脅えつづけてだけ生きていけるものだろうか。
彼女の頭の中には、どのようなイメージ、願望、物語がうごめいていたのだろうか。人間って何にも考えない事って難しいものだ。
さて、話は変わって、モーニング娘。である。この中で将来性があるのは誰かと聞かれれば、私は間違いなく、安倍、中澤、市井の3人と答えるだろう。その理由は簡単。安倍と市井には聡明さと野望があり、中澤には芸としたたかさがあるからだ。
しかし、わからないのは後藤と矢口。そして、将来性があまり見えないのが、飯田と保田である。
ただ、私はだからこそ、飯田と保田に注目してしまう。逆に今だからしか2人を楽しめないような気がするからだ。飯田の不気味さは前回話したので今回は、保田について。
彼女を見ていると今、現在が最高の時間であるっていう事を余すところ無く表現している。別な言い方をすれば、10年後の保田は想像もしたくないと思わせるものがある。「LOVEマシーン」のミュージッククリップでは逆に「未来は♪」っていうところだけが、彼女のアップであるところが、逆に皮肉である。
ベテラン歌手にも、バラドルにも俳優にも成れないであろう彼女の今を見る事は、せつない桜を見るようなものだ。福田や石黒のようにスパってやめることが彼女にできるかどうか。彼女にはそれほどの聡明さはないだろうが。

まさむね。