小渕優子さんに読んで欲しい一冊 ~『「婚活」時代』書評~

日本社会に、「少子化」という言葉が定着して十年以上たちました。
日本で子供を生むことが少なくなるのことに関して、さまざまな調査や議論がなされ、さまざまな対策が提案され、実施されています。
そこで、いつも疑問に思っていることがあります。
それは、少子化の直接の要因が「未婚化」、つまり、結婚する人の減少にあるのにもかかわらず、少子化対策として打ち出されるものは、子育て支援(保育所整備や育児休業導入や児童手当)なのです。
-「「婚活」時代 (ディスカヴァー携書 21)」山田昌弘、白河桃子 P195-

確かに、僕も、「猪口さん、なぜ少子化が問題なのですか?(猪口邦子、勝間和代)」を読んでいて、そう感じたことがある。
今は、職場の飲み会等で「結婚しないの?」というだけでセクハラになる時代である。
行政は、結婚する、しない等のライフスタイルに価値の序列をつけ、一方を明らかに推進するような政策も取りにくいのかもしれない。
だから、結婚という面倒なハードルは置いておいて、その次の出産/子育てにお金をばら撒くというのがいつも通りの安易な行政手法か。

まぁそれはいいとして、この本の著者の山田昌弘氏は、僕が信用できる数少ない社会学者の一人だ。
最近は、たまに報道ステーションのコメンテーターとしてテレビでも見受けられる事もあるが、山田先生の個性を古舘氏の”振り”が十分引き出せていないのが残念だ。
パラサイトシングル、1998年問題、希望格差社会、そして婚活時代というように、90年代以降の社会学(御専門の家族社会学にとどまらず)の名コピーはすべてこの人の手によっていると思えるほどの山田先生、おそらく、時代を斬るセンスが卓抜なのである。

そして、それらの言葉は、いつも僕らに、考えるヒントを与えてくれるのだ。
例えば、以前、このブログ内で、小室哲哉がプロデューサーとして凋落した現象を、山田先生が提唱された1998年問題にからめて書かせていただいた。

僕が山田先生の発言にいつも感動するのは、現代日本の一般的な価値観を、上品に批判するような、例えば、下のような箇所だ。

結婚年齢がばらつくことにより、逆に、自分の思ったタイミングで結婚できるとは限らなくなってくるのです。
就職にしろ結婚にしろ、自由化が起こればおもいどおりにならなくなるというパラドックスです。
選択肢が増えれば増えるほど、自分の思い描いた選択ができなくなる。
その結果が現在の急速な晩婚化、非婚化の進展となって現れているわけです。
-「「婚活」時代 (ディスカヴァー携書 21)」山田昌弘、白河桃子 P18-

自由になる事、選択肢が増えることは、絶対的に正しいことっていうのが現代の絶対的価値観の一つだ。
自分の選択肢をふやすために、ひとは高学歴を目指すわけだし、高収入を得ようとする。現代的価値では、これはけっして悪い事ではない。むしろ正しいことだ。

しかし、自由はけっして、人々の幸福度を上げるわけではない。
自由は、一方で、おちこぼれを生み出すという残酷な一面を持っているのだ。

いつだって好きな人と結婚できる意志と、魅力と、能力と、家柄と、自由を謳歌出来る階層の解放のイデオロギーが同時に、そのどれも持っていない大多数の非モテ系の人々の普通で当たり前の幸せのライフサイクルを脅かす。
言い方を変えるならば、女性解放運動、人権運動の理論的な正しさが、必ずしも一般人の幸福には結びつかないという事なのである。

小渕優子・少子化担当大臣や猪口氏に、誰か山田先生の本を贈ってほしい。

まさむね

少子化を踏まえて日本はどうなっていくべきか

現在、30代前半の男性の半数、女性の3割が未婚であるという。
しかし、彼らは決して結婚したくないわけではない。9割の人に、結婚願望があるのである。
では、どうして結婚が進まないのであろうか。

それは、現状、男女の結婚観に大きな隔たりがあるからである。
簡単に言ってしまうと、女性の方は、高収入のイイ男と結婚して、結婚後は専業主婦になりたいと思っている。
一般的に年収二倍の法則(白河桃子さんの説より)といって、独身時代の自分の年収の最低2倍の年収の相手を求めているという。独身時代の生活レベルはキープしたいのだ。
しかも、結婚しても現在の仕事を続けたいと思っている女性は、それなりに社会的地位の高い職業の人々だけで、一般的には、多くの女性は、「結婚したらこんな仕事を早く辞めたい」と思っているらしい。

ちょっと前までは、結婚しても仕事を続けたいから結婚しないという女性がそれなりにいたように思うのだが、最近では、そういったキャリアウーマンタイプが減ってきているのか。
ドラマで言えば、「Around 40」で天海祐希扮する聡子や「四つの嘘」で高島礼子扮するネリ(両方とも女医)、「モンスターピアレンツ」で米倉涼子扮する高村樹季(弁護士)のような女性が羨ましく思えなくなってきている女性が増えているのかもしれない。

しかし、一方で、彼女達の結婚対象である男性の方の状況はどうだろうか。
彼らの状況は決して明るくはない。年収は減って来ており、しかも将来も不安定になってきているのだ。
(勿論、年収も将来も約束されたような階層の男性もいることはいるのだが、多くは20代で結婚してしまっている。)
だから男性は男性で、女性に対して結婚後も仕事を続けてもらいたい。でも、出産、育児に関しては女性に任せたいと思っている。
ようするに、女性に対して、そこそこの収入プラス家事・育児を期待しているのだ。

こうした、男女の結婚観のミスマッチが未婚化の根本原因となっているようだ。現代の多くの若者は結婚しないのではなく、結婚出来ないのである。

しかし、行政の少子化対策は、少子化の主因である未婚化の方は、とりあえず横に置いておいて、子育て支援(保育所整備、育児休業制度、児童手当)にのみに偏っている(山田昌弘・中央大学教授)という。
だから、90年代中盤から行ってきた少子化対策はほとんど成果を上げられていないのだ。

だからと言って、国家が国民の結婚に介入するというのは余計なお世話という感じがしないでもない。
それぞれの個人の生き方を尊重しましょうという価値観の大きな流れの中で、露骨な結婚奨励策は取るのもどうかと思われるのだ。
結局、現代においては、政策によってでは、人の生き方は、強制は出来ないということなのだろうか。
例えば、世の中には、いろんな人がいて、先日、京都である女性が「結婚が『おめでとう』の社会は、非婚の人が生きづらい」「婚姻制度には差別がいっぱい」と、「反婚」を掲げてデモをしたという。
こういう思想は、認めざるを得ないのだ。(でも、この思想を踏まえた上で、例えば、40歳の独身者をつかまえて、「独身、おめでとう!!」という勇気は僕にはまだないけどね。)

上記のような状況があって、非婚化=少子化が止められないとしたら、僕は、日本には2つの選択肢しかないように思える。
一つは、現在のあらゆる面での水準(生活、国力等)を落とさないように、高齢者も女性も働き続けたり、新しい技術革新したりして、ひたすら頑張っていく方向。大量の移民を受けるというのもこの方向に沿った政策だ。
そして、もう一つは、日本の国力や生活水準を徐々に落としつつ、それにあった新しい国民意識(価値観)を模索していく方向だ。

恐らく、現在の政治は、自民党にしても、民主党にしても、明らかに前者の方向を無自覚に志向しているように思える。

しかし、最近の20代の人々は、自動車の購入数、アルコールの消費量が段々減ってきている、貯金が増えてきている。明らかに自ら生活水準を落とし始めているのだ。
もしかしたら、新しい世代は無意識的に後者の新しい価値観を模索し始めているのかもしれない。

まさむね