我々は源氏を次世代に伝える義務がある ~『源氏物語ものがたり』書評~

たとえ政治・経済・法制度が一変し、一夫多妻の結婚形態が消滅したとしても、永遠にかわらないものがある。
いや、それぞれの時代の人々の心に合わせて変り続けることで、不死の生命を獲得し続けたものがある。
それが日本人にとっての源氏物語だった。
-「源氏物語ものがたり (新潮新書 284)」島内景二 P54-

伝統を守るということは本当に大変な事である。この本を読むと、その事がよくわかる。

藤原定家、四辻喜成、一条兼良、宗祇、三条西実隆、細川幽斎、北村季吟、本居宣長、アーサーウェリー。

この本で紹介された面々、まるで駅伝のタスキをつなぐかのごとく、連綿と歴史の荒波から源氏物語を守ってきた。
さらに、それだけじゃなく、それぞれが生きた時代の新しい感性でもって、都度、源氏物語を再生させてきたのである。

例えば、室町時代に連歌師として一斉を風靡した宗祇は、当時、最もイケてるコンセプト、”幽玄”をもってして、作品に込められた登場人物の心を深く思いやる鑑賞方法を、次の三条西実隆に伝授したという。

しかし、それは決して、彼らだけの偉業ではない。
彼らに源氏物語を守るような立場を与え続けた、その他の多くの日本人の気遣いがあったことも忘れてはならない。

それらの人々とは、時の天皇は勿論だが、時代によっては、武家であり町人であった。

例えば、”源氏物語を守るための運命のタスキ”を受けていた一人、細川幽斎。
彼は文化人とは別に、戦国武将としての一面も持っていた。

幽斎は、関が原の戦いに東軍の一武将として参戦していたが、西軍に城を包囲され、絶体絶命のピンチになってしまったのだ。
しかし、その時、後陽成天皇は勅使を派遣し、和議を結ばせて、幽斎の命を救おうとした。というか、源氏物語を初めとする古典文学を守ろうとしたのだ。

戦とは、生きるか死ぬかのギリギリの状況下で行われる。
しかし、その勅使が来た時に、西軍の武将・前田茂勝は、あっさりと城の包囲を解いた。
天皇からの勅命だったという事もあるが、茂勝自身が、源氏物語の文化的価値を前に、幽斎に、屈したのである。
そらに、その心がわかる徳川家康は、この前田茂勝の領地を安堵したというのは言うまでもない。

さて、今後、この”源氏物語を守るための運命のタスキ”はどのように引き継がれていくのであろうか。
グローバリズムやコスモポリタニズムの美名のもと、今後、日本人のアイデンティティを危うくするような危機が何度も襲ってくるに違いない。

「どうして、学校で、源氏物語なんかやる必要があるの?その分、英語や中国語を勉強させろよ」っていう勢力が増えてくる時代が必ず来る。
その時、源氏物語を誰がどうやって守るのか、あるいは、守る必要があるのかという国民的コンセンサスの確立は急務だ。

それは、ある意味、憲法改正や、核保有よりも大事な防衛政策かもしれない。

まさむね