少子化を踏まえて日本はどうなっていくべきか

現在、30代前半の男性の半数、女性の3割が未婚であるという。
しかし、彼らは決して結婚したくないわけではない。9割の人に、結婚願望があるのである。
では、どうして結婚が進まないのであろうか。

それは、現状、男女の結婚観に大きな隔たりがあるからである。
簡単に言ってしまうと、女性の方は、高収入のイイ男と結婚して、結婚後は専業主婦になりたいと思っている。
一般的に年収二倍の法則(白河桃子さんの説より)といって、独身時代の自分の年収の最低2倍の年収の相手を求めているという。独身時代の生活レベルはキープしたいのだ。
しかも、結婚しても現在の仕事を続けたいと思っている女性は、それなりに社会的地位の高い職業の人々だけで、一般的には、多くの女性は、「結婚したらこんな仕事を早く辞めたい」と思っているらしい。

ちょっと前までは、結婚しても仕事を続けたいから結婚しないという女性がそれなりにいたように思うのだが、最近では、そういったキャリアウーマンタイプが減ってきているのか。
ドラマで言えば、「Around 40」で天海祐希扮する聡子や「四つの嘘」で高島礼子扮するネリ(両方とも女医)、「モンスターピアレンツ」で米倉涼子扮する高村樹季(弁護士)のような女性が羨ましく思えなくなってきている女性が増えているのかもしれない。

しかし、一方で、彼女達の結婚対象である男性の方の状況はどうだろうか。
彼らの状況は決して明るくはない。年収は減って来ており、しかも将来も不安定になってきているのだ。
(勿論、年収も将来も約束されたような階層の男性もいることはいるのだが、多くは20代で結婚してしまっている。)
だから男性は男性で、女性に対して結婚後も仕事を続けてもらいたい。でも、出産、育児に関しては女性に任せたいと思っている。
ようするに、女性に対して、そこそこの収入プラス家事・育児を期待しているのだ。

こうした、男女の結婚観のミスマッチが未婚化の根本原因となっているようだ。現代の多くの若者は結婚しないのではなく、結婚出来ないのである。

しかし、行政の少子化対策は、少子化の主因である未婚化の方は、とりあえず横に置いておいて、子育て支援(保育所整備、育児休業制度、児童手当)にのみに偏っている(山田昌弘・中央大学教授)という。
だから、90年代中盤から行ってきた少子化対策はほとんど成果を上げられていないのだ。

だからと言って、国家が国民の結婚に介入するというのは余計なお世話という感じがしないでもない。
それぞれの個人の生き方を尊重しましょうという価値観の大きな流れの中で、露骨な結婚奨励策は取るのもどうかと思われるのだ。
結局、現代においては、政策によってでは、人の生き方は、強制は出来ないということなのだろうか。
例えば、世の中には、いろんな人がいて、先日、京都である女性が「結婚が『おめでとう』の社会は、非婚の人が生きづらい」「婚姻制度には差別がいっぱい」と、「反婚」を掲げてデモをしたという。
こういう思想は、認めざるを得ないのだ。(でも、この思想を踏まえた上で、例えば、40歳の独身者をつかまえて、「独身、おめでとう!!」という勇気は僕にはまだないけどね。)

上記のような状況があって、非婚化=少子化が止められないとしたら、僕は、日本には2つの選択肢しかないように思える。
一つは、現在のあらゆる面での水準(生活、国力等)を落とさないように、高齢者も女性も働き続けたり、新しい技術革新したりして、ひたすら頑張っていく方向。大量の移民を受けるというのもこの方向に沿った政策だ。
そして、もう一つは、日本の国力や生活水準を徐々に落としつつ、それにあった新しい国民意識(価値観)を模索していく方向だ。

恐らく、現在の政治は、自民党にしても、民主党にしても、明らかに前者の方向を無自覚に志向しているように思える。

しかし、最近の20代の人々は、自動車の購入数、アルコールの消費量が段々減ってきている、貯金が増えてきている。明らかに自ら生活水準を落とし始めているのだ。
もしかしたら、新しい世代は無意識的に後者の新しい価値観を模索し始めているのかもしれない。

まさむね

「篤姫」高視聴率は許婚システムへの憧れか 

「篤姫」の視聴率が相変わらず好調らしい。

篤姫と和宮の、己の運命を受け止めて、その中で前向きに生きていく、生き方が逆に現代の若い人々にとって新鮮に映っているのかもしれない。

特に、和宮の表情が心を打つ。
元々、和宮は、他に結婚相手が決まっていたのだが、幕府と朝廷との政略的意図により、心ならずも徳川家茂に嫁ぐ。
しかし、家茂の人柄に段々心を惹かれていく。
長州征伐に向かう家茂、ただ、黙って見送るしかない和宮。
和宮の家茂への想いの深さが伝わって来て、まさしく切なさの極致だった。

さて、最近の二十代の女性は、酒井順子の『負け犬の遠吠え』以降、「絶対に負け犬になりたくない」と早くから結婚を意識しているという。(「婚活時代」山田昌弘、白河桃子共著 より)
そんな彼女達にとって、結婚活動(婚活)でバタバタ動き、時に恥をかき、時に傷つくよりも、周りの人が勝手に段取りし、否応なしに運命の御相手と結ばれる、いわゆる「許婚(いいなずけ)」システムが一周して憧れとして感じられても不思議がないような気がする。

「篤姫」の高視聴率は、そういった憧れに支えられているのかもしれない。

まさむね

徳川葵紋と豊臣桐紋(1)

徳川家の家紋はご存知、葵である。

NHKの大河ドラマ「篤姫」では薩摩の島津家の分家から将軍の御台所まで上り詰める話であるが、その島津家の本貫は宮崎だったとの説もある。その昔、源頼朝から地頭として派遣された惟宗忠久が、宮崎県都城市あたりの「島津荘」を領地としたのが島津家の始まりというのだ。(ちなみに、この忠久は頼朝のご落胤との噂もある)

だとすると、宮崎から出てきて、徳川家に入り葵紋をつけたという意味で、篤姫に、宮崎あおい(葵)が抜擢された深層が見えてこようというものだ。まぁいつもながら、かなり苦しい説だが...

さて、この徳川政権の基礎を築いた徳川家康は、朝廷からの懐柔策見え見えの桐紋下賜を、何度も断り続けたという。
織田信長、豊臣秀吉はそういうことはなかった。彼らはもらえるものはもらう、利用できるものは利用するのだ。
例えば、愛知県長興寺にある信長の肖像の紋は、織田木瓜でも、揚羽蝶でも無い。正親町天皇から下賜された五三の桐紋だ。

また、秀吉は晩年にすべての自分関連グッズ(身の回りの小物、着物等)にいわゆる太閤桐という独自紋をつけている。成り上がりはいつの世もブランドを志向するということだろうか。

しかし、その後、この桐紋は最も正統な紋所として、脈々と受け継がれ、特に西日本の家の多くが桐を家紋としている。
そして、現在は、日本政府の象徴にもなっている。

木村拓也主演の「CHANGE」の冒頭では、この桐紋(五七の桐)がCHANGEというロゴにモーフィングするシーンが放送されているが、それを見るたび、桐紋の歴史が脳裏をよぎるのであった。

つづく

まさむね