アフタースクール 勝利する中学時代の純情

内田けんじ監督、大泉洋、佐々木蔵之助、堺雅人出演の「アフタースクール」を見た。

はっきり言って、私の理解力では、1回見ただけだとよくわからないディテールが多かったが、この話がどういう価値観に基づいているのかということはおぼろげながら、解釈することが出来た。

ここでぶつかっているのは、佐々木蔵之助扮するチンピラが体現している実社会的・経済的価値と、大泉洋が体現している学校的価値だ。

話の途中で、小利口なチンピラ(佐々木蔵之助)が中学教師(大泉洋)を「この世間知らず!、早く中学、卒業しろ」と罵倒するが、最終的には、逆に「どこのクラスにもお前みたいな奴はいるよ。つまらんつまらんと言いながら他人のせいにばかりしている。」と反論される。

詳細の展開(この映画での一番の面白いストーリー)は省略するが、結局のところ、この映画は、中学時代的価値である初恋、友情、勤勉、正義といった価値が勝利する映画である。

最近、メディアでは学校で教える事や、教科書に書いてある事には価値が無い的な言説がはびこっているが、俺的は、今後は、個人的なレベルでは、スタンダードな人々の地味な価値観こそ再評価されるべきだと思うし、その意味で、この映画は、評価に値すると思う。

まさむね

後期高齢者医療制度に関して

後期高齢者医療制度を修正するのか?廃止するか?でまた国会でもめている。

少し前までは、現在の日本の個人資産の3/4は老人層が持っているんだから、いかにその層を相手にビジネスしようかってみんな考えていたんじゃないの?マスコミはいつの間にか、「かわいそうな」老人の味方になっているよね。

また、年金からの天引きが問題だという人もいるけど、俺が思うに、元々、国民年金っていうのは、農業や個人商店等の自営業者の老後のお小遣い制度だったんじゃないの?そういう層は、子供世代にあとを継がせたとしても、老後、同居しながら、ある程度、仕事は続けられるということで、月々6万円位の最低年金をあげればいいじゃないという事だったんじゃないかと思う。
そして、あとを継ぐという事が出来ないサラリーマン層には厚生年金を手当てしたんだよね。

ただ、問題は、この制度が出来た時から、社会状況は大きく変わってしまったということ、その間、大店法、減反政策などで、自営者は本当に苦しくなってしまった。
また、核家族化で、家族の「財布」が世代毎にバラバラになってしまった。さらに、同居している子供・孫世代がいたとしても、彼らは老人世代を養うというよりも、逆にパラサイトとして現実の収入不足を高齢者からの援助で補償している始末だ。

今回の問題は、後期高齢者医療制度という経済的な話だけじゃなくて、日本の社会自体をどのようにしていきたいのかという哲学不在が根本的な問題なんじゃないかな?その哲学(そして、ウソばっかりつく政府への信頼)がないから、みんな不安でしかたないんだよ。

でも、おそらく、この制度はなし崩しに進行し、なしくずしに定着していくんだろうな。絶望的だ。

まさむね

天窓にオバサン 想像を超える不条理

押し入れの天袋に、見ず知らずのオバサンが住んでいたという椿事が起きた。

ニュースによると福岡県志免町に無職男性(57)宅の天袋に無職堀川タツ子容疑者(58)が、住み込んでいたらしい。
なんでも、マットレスを持ち込んで数ヶ月間隠れ住んでいた疑いがあるという。

これを受けて、各局のワイドショーでは、お手洗いはどうしたんだろうか?とか風呂に入ったら、タオルが濡れてるからバレちゃうに違いないなどとか、いろいろと想像でコメントしていた。

しかし、現実世界は時として想像の世界をはるか超えることがあるんだね。

だから、この世は面白い。

まさむね

水道からドジョウの不条理な世界

水道管からドジョウが出てくるという椿事が発生した。
原因は、水道管と防火用配水管を誤って接続していたためとのことだが、3ヶ月位、その状態が続いたという。

ここで思い出すのがボリス・ヴィアンの「日々の泡」で、水道からウナギが出てくるシーンだ。
シュールでメチャクチャな現実を描いたこの作品の象徴的なシーンの一つが、21世紀になって、和歌山県で現実化するとは。

この事件、現代社会の不条理の象徴なのでしょうか。

まさむね

鶴丸の悲しい歴史

JALの飛行機から鶴丸のマークが消えるという。

今月で最後とのこと。
もともとこのマークは、家紋を下敷きにしたデザインなんだよね。

じゃあ、この鶴丸の家紋をつけた有名人を見てみよう。

まずは、足利将軍家に正妻を出し続けた、日野家。足利義政の夫人、日野富子が有名だ。
政治には全く興味のなかったオタク将軍の義政。ある時はケツを叩き、ある時は任せていられないとばかりに政務を取り仕切る。一般に、金儲け主義、悪女の典型とされる。
NHK大河「花の乱」(1994年放映)では三田佳子が演じていました。

また、戦国時代では、織田信長の小姓・森蘭丸で有名な森家の家紋もこの鶴丸。美男子だったという伝説と、本能寺の変で、かない最期を遂げたせいで、なんとなく有名。

そして近年では、コンプレックス文学の最高峰・太宰治(実家の津島家)も鶴丸紋。確認はしていないが、太宰治全集には、この鶴丸の箔押しがついているとか。太宰の最期も玉川上水への入水自殺だった。

いずれにしても、悲しい運命の人が多いよね。

まさむね

船場吉兆倒産 湯木佐知子さんへ捧げる歌

予約客 かぞ~えたら片手にさえ余る♪
キャンセルを か~ぞえたら 両手でも足りない♪
SACHIKO 思い通りに♪
SACHIKO ささやいてごらん♪

ばんばひろふみ -SACHIKO- の替え歌です。

船場吉兆が倒産した。女将の湯木佐知子(SACHIKO)さんは、記者会見では、うなだれた状態で登場。
会見中はほとんど、膝の上のQ&Aを読んでいた。
その紙をよく見ると 

誠に申し訳ございません(女将さん)

という風に、答弁人物(しかも さん付け)が書いてある。
弁護士が書いた事がバレてるやないか。

痛い。痛すぎる最後だ...

まさむね

中野から渋谷へはバスで行こう

中野から渋谷へ行くいわゆる63番のバス路線はある意味、現代的な観光路線だ。
中野通りを抜けて、甲州街道に入ると、幡ヶ谷駅付近の右手に、兄(勇貴)が妹(亜澄さん)を殺した歯科医が見える。
甲州街道から山手通りに入り、代々木八幡の先で左に折れると、すぐに夫を殺害した三橋歌織のマンションが見える。
バスは突き当たりをさらに、左に折れると、社員がこぞって、時間中に株取引をしているNHKがある。
NHKを左に、ぐるっと回って、公園通り経由で渋谷駅に。

俺はこの路線を使って大学に通っていたのだ。懐かしい。

まさむね

横綱同士の一触即発に思う

昨日の大相撲夏場所千秋楽、結びの一番終了直後にで起きた横綱同士の一触即発状態。

北の湖理事長は「朝青龍のダメ押しについては勢いというものがある。しかし、白鵬の行為はいただけない。横綱は、どんなことがあってもカーッとなってはいけない」とコメントし、各方面から、悪いのは朝青龍だろうとか、喧嘩両成敗的な批判が相次いだ。

北の湖理事長の真意について、夏のモンゴル巡業を控えた政治的な意図を詮索する向きもあるようだが、俺は理事長の見解には納得出来る。
思い出してみれば、現役時代の北の湖は、土俵に転がした相手や土俵の外に突き出した相手に対して、決して助けの手を差し伸べなかった。その態度が当時から傲慢とか、ぶっきらぼうとか言われたものだが、そこには、確実に「くやしかったら立ち上がって来い」的な哲学があった。

正直言って、当時は、北の湖ファンだったからよく覚えているんだよね、俺。

だから、そんな北の湖の哲学からすれば、朝青龍のダメ押しが流れの中での出来事と見えるということは十分ありえたのではないだろうかと思うわけです。

まさむね

葵と夕顔

前回、平安時代の相撲会の伝統を踏まえて、瓢箪=夕顔に対抗して、家康が葵紋にこだわったという話をしたが、葵と夕顔と言えば、源氏物語に登場する二人の女性を思い出す方も多いのではないか。

葵の上は源氏の正妻ではあったが、気位が高かったゆえに、源氏からはあまり愛されず、息子の出産時に亡くなってしまう。また、夕顔は源氏お気に入りの気さくな女性だが、源氏と一夜をともにしている間に腹上死してしまう。いずれもの死も、六条の御息所の生霊の仕業というのが因縁めいている。

しかし、この葵の上と夕顔の落とし子(夕顔は源氏の子ではなく、ライバルの頭の中将の子)達はその後の物語の展開で重要な役割を果す。

葵の上と源氏の間に出来た夕霧は、葵の上の遺伝か、源氏の厳しい教育のせいもあってか、わからないが面白味の無い性格として大きくなる。

一方、夕顔の子供、玉蔓は、一時、九州に都落ちするが成人して状況、偶然に源氏の保護・後見を受ける。しかし、その後、源氏はこの玉蔓にちょっかいを出そうとするが、結局は相手にされなかったという、光源氏の一連の恋物語の中では最も寂しいオチを迎えるのでした。

まさむね

徳川葵紋と豊臣桐紋(2)

前回、豊臣秀吉の紋所が桐紋との話をしたが、秀吉の象徴として瓢箪を思い浮かべる人も多いだろう。

これは、家紋というよりも戦場での馬印に使われたようだ。戦に勝つたびにその瓢箪が増えていったとの伝説(千成瓢箪伝説)もあるが真偽はわからない。しかし、当時、秀吉といえば、瓢箪というイメージは一般に共有されていた。

一方、家康は当時の武家にはめずらしく教養のある人で、幼少の頃から様々な古典文学に慣れ親しんでいたという。

それを考慮に入れると家康が東国の王として桐紋を拒否し続け、葵紋にこだわった理由が見えてくる。秀吉の生前、主に西日本は秀吉の勢力下だったが、その象徴の瓢箪(=その花は夕顔)に対抗する理由から、家康は、葵にこだわったのではないか。

というのも、平安時代の宮中で、に七夕に行われた相撲会では、古来より、西からの力士は夕顔を、東からの力士は葵を髪かざりとして土俵に上がっていたという。(ちなみに、花道という言葉の由来はここから出ている。)

そんな故事が、葵紋にこだわった家康の頭をかすめていたというのが、俺の想像だよ。

まさむね