オタクとエイベックスと携帯と。

男子高校生の性体験が40%を越え、女子を抜き返したという東京都の発表が先日あったが、この事と、最近、オタクが激減している事とは、何らかの関係があるに違いない。そういえば、古典的オタクは、どこにいったのだろうか。茶髪にして、街にまぎれてしまったのだろうか。

一方、先日、昨年のMp3を連続して流していて気づいたんだけど、エイベックス系の音楽って行動へと、せき立てるような,勇ましい感じの曲が多いよね。それがなんだかとても古く感じる。その古い感じというのは、携帯電話の普及によって、女子高校生の消費傾向が通信費用に移行し、そんなに急いで街で闊歩するよりは、ダラダラ時間をやりすごす方が楽って思いだしたことと関係する。エイベックスの凋落と携帯の普及は符合している。

関係ないが、モー娘の保田の居心地の悪さは、彼女の無理した立ち振る舞い、歌うときの表情、頭の悪さが一人だけエイベックス系だからに違いないと思う。プッチモニの新人・吉沢のだらけ方をどなりつけたという保田の気持ちもわからなくもないが...

まさむね

Piecesの真意(ラルク論)

ラルクアンシエルの「Pieces」という曲の歌詞に以前、感心したことがあった。
「私のかけら(Pieces)が昔の恋人の元に飛んでいく」というアニミスティックで奥深い内容が、安倍晴明があやつったといわれる式神をも彷彿させ、タダ者ではないと思わせたのだ。
しかし、先日、カラオケで歌ってたら、これは子作りの歌ではないかということにフト気づいてしまい、(ラルクを歌う事自体がよっぽど恥ずかしいという議論はさておき)いきなり自分が恥ずかしくなった。
「ねぇ遠い日に恋をしたあの人もうららかなこの季節愛する人と今 感じてるかな?
あぁ私のかけらよ力強く 羽ばたいて行け振り返らないで広い海を越えてたくさんの光が
いつの日にもありますようにあなたがいるからこの命は永遠に続いてゆく 」
この部分は、ソーテックのCMにも使われた部分であるが、昔の彼女の事を考えながらセックスして、射精した男が、我に返り、目の前の女に『君のおかげで子孫を残せるよ。』と考えたところ。と言えなくも無いと思う。ちょうど、「感じてるかな?あぁ~」で盛り上がって音楽が止まるところが、射精の瞬間のメタファで、Pieces=私のかけら=精子、広い海=女性器とかさぁ。どうでしょう皆さん。

まさむね

東スポの変わり身

本日の東スポの1面。「日本優勝!サウジ倒し8年ぶり2度目」
朝刊紙が間に合わなかった海外スポーツネタ仕入時の、東スポの普通スポーツ紙への変わり身の速さにはいつも感心させられる。
数日前の「長嶋辞任(も)杉山逮捕」という無責任さとは180度異なるまともな記事。
そういえば、その「長嶋辞任(も)」の事件に関しての東スポの記事の力の入れ方にも笑わされた。
「事件概要」のほんの一部を以下に引用。
「女性を抱き上げヒザの上に乗せた杉山は、女性のパーカーのファスナーを下ろし、ブラジャーの中に手を入れ直接胸を触った。女性は抵抗したが、オレとセックスやる気あるの?とブラジャーのホックが外れるほど力ずくで触った...」
どこが、概要だか。まるで詳細だ。その取材力(想像力)には頭が下がる。

まさむね

巨人優勝

自然に見えるけど、よく考えると結構、不自然なものというのがある。
最近、思ったのがプロ野球の優勝後のビールかけだ。人は嬉しい時はああいう風にはしゃがないのではないだろう。同時期にオリンピックをやっているのでよけい喜びのリアリティについて考えさせられた。
ただ、その後、視聴率が試合21%、祝勝会27%とわかり、あれは仕事かと納得。
しかし、いくら選手会長だと言っても、足を引っ張りつづけた桑田に鏡割りをやらせるというのも、残酷なような気がした。

まさむね

黒鳥の湖

「黒鳥の湖」というニューハーフショーパブへ行った。
芸風があまりにも古典的なのに感動した。
世界はまるで、70年代前半だ。
男らしさや女らしさという言葉が禁忌になりつつある現代、元々男であるがゆえに、「性」というものにこだわり、過剰に女らしく振舞う姿は古典的に映るのかもしれない。
さらに、「おまん(人の名前)、子鹿にさわるな」みたいな語呂合わせの下ネタも、今のご時世、つつましすぎるような気もした。
でも、時代によって変わらないものを見るっていいよね。

まさむね

渕VS蝶野

9月2日、全日本の武道館大会に登場した蝶野。
相手を徹底的に蔑むそのたたずまいは、全日本ファンの私から見ても魅力的だった。
渕に攻めさせ、技を受け、最後は余裕で仕留め、リング上でアジテート。
「逃げない。群れない。」とどっかで言っていたくせに、Team2000の面々を連れてくるわ、途中で逃げ帰ろうとするわで、その言行の不一致もまたヒールの味わいがある。
また、試合の流れを決めた金的蹴りは、渕が完全にバックに回ったタイミングで決めるプロレス的礼儀正しさを見せてくれた。
今まで、渕正信を見つづけた人は、渕がバックに回った姿に、馬場との対戦を思い出した人も多かったのではないか。これこそ、渕が「プロレス」をするときの合図に他ならない。そして、それに完璧に答えた蝶野。
おそらく、渕のバック取りから、蝶野の金的攻撃に至る流れを見て、川田も安心したにちがいない。
全日VS新日の様式美合戦ははじまったばかりだ。

まさむね

終戦後のトルコ人達

犬飼を飼うことを禁止された家系のお爺さんに会った昨日、自宅に帰ると妻から突然、「今日、犬を飼っている人の家に行ってきたの?」と聞かれ、ギクっとした。
でもそれは僕の手の甲にダニに噛まれたかのような赤く腫れた小さなデキモノがあったから聞いたということ。ちょっと変な偶然であった。
さて、今日会った別のお爺さんからは、終戦直後の日本の様子をうかがった。その頃、代々木上原あたりには、トルコ人が沢山住んでいて、その頃の混乱に乗じて結構やりたい放題の不良をしていたらしい。彼はそのトルコ人たちの友達だったから何もされなかったそうだが、ひどい奴になると東横線の運転手にからんで、自分達で強引に運転して遊んでいたという。もちろん、乗客を乗せたままだった。
ちょっと前まで、ソープランドのことをトルコ風呂と呼んでいたが、その差別的な呼び方の影にはそういったトルコ人たちの一時のヤンチャがあったのかもしれないと想像してみる。
ちなみに、そのトルコ人たちの一人にあの、ユセフ・トルコもいたという事だ。ユセフ・トルコは今どこで何をしているのだろうか。

まさむね

犬を飼ってはいけない家

今日、面白い爺さんにあった。
その家系には、家訓があって、それが「犬を飼ってはいけない。」というものだそうだ。
なんでも、遠い先祖、おそらく戦国時代に土佐で城主をしていたそのご先祖が隣の城の城主に土佐犬を欲しいと言われ、断ったせいで、その城が攻め込まれ、一家ほとんど死滅したという。
ところが、不幸中の幸いに、その一家に、乳飲み子がいて、その子が乳母の家にいたため、かろうじて生き延び、乳母の家の姓を苗字として、今日にいたったのだという。
その爺さんの言うことには、ある親戚が、「そんなの迷信だ。」と言わんばかりに犬を飼ったら、早死にしたそうだ。
今度、その爺さんの家に捨て犬しようと、僕は心の中でつぶやいた。

まさむね

ところざわです

御無沙汰ですが、もう一人の筆者です。
こんどは、トマトジューズにガラス片が入っていたけど、のんだら血まみれでまさにトマトジュース状態だね。
実は、以前、私も冷凍ピラフにプラスチック片が入っていたことがあったけど、その時は直接メーカーに指摘したのでアイスの引き換え券ですまされちゃったけど・・・
(あっ、雪印じゃない方のメーカーね)。
でも、コンコルドが落ちて、原潜が沈む程度の科学技術の世の中で、数百円の食品に、LSIのクリーンルームみたいなトコロで作れっていうのは無理なんじゃナインすか
ね。
まあマスコミがメーカーをリンチ状態にするのも何だかなって感じですよね。彼らこそ、今迄やってきたと事といえば、品質のカケラもない連中だからね。

ゲーム業界もこの先、どうなりますかね、今のゲームなんて勤勉なヒトしか楽しめないっスよ。あんな、ややこしっくて、時間かかるの・・・。
よく、インターネットで名簿流出とか起きると、名簿のデータが掲示板に挙がっているけど、ちゃんと、見やすいように書式を整えて挙がっているんだよね。是非はともあれ、そこまでマメなヒトだから、そう言う技術もあるんだろうね。

ところざわ

オタク文化の将来

テレビゲームが全く売れないらしい。来月のプレステゲームの発売予定数が50タイトルなのに、総出荷予定数が30万個だそうだ。ということは1タイトルあたりの平均で6000本ということになる。これじゃあ、昔の3DOだ。
一方、最近は漫画を読む人も減ってきているという。学力低下により、漫画を読める人は、ある程度、優秀な人だというから、そうでない人は漫画も読めないということだ。日本で唯一世界に通用するオタク文化の将来は極めて暗いといわざるを得ない。

まさむね