桜(2)美と不安-紀貫之からコブクロまで

昨日、桜が国家主義的象徴だって話をしたけど、今回は日本の歴史における桜がどのようにイメージされてきたのかを追ってみよう。

まず、古事記。桜といえば、日本神話の中ではコノハナサクヤ姫に象徴される。ニニギのミコト(アマテラスの孫で、天皇の先祖)が、天孫降臨すると、まず、こ美しい姫に一目ぼれをして、結婚を申し込む。
姫の父はもう一人、姫の姉(石の精・石長姫)も一緒に嫁として嫁がせるが、ニニギはそれを拒否。
そのせいで、天皇の子孫は、美と引き換えに永遠の命を失ったという。
ここで、桜は、美の象徴であるとともに、死の象徴でもあるんだよね。

その後、平安時代に入ると、和歌で花と言えば、梅ではなく、桜を指すようになる。

久かたの光のどけき春の日にしず心無く花の散るらむ(紀友則)
桜花散りぬる風のなごりには水なき空に波ぞ立ちける(紀貫之)

風に舞い散る花こそ、最も日本らしい美意識、そして日本人の悲しい心情を現すというのはこの平安の頃に生まれたんだよね。実はそれが、最近のJ-POPにも引き継がれているんだ。そして、桜の歌を作ると日本人は咲くところじゃなくて散るところを歌にすると国文学者の池田弥三郎先生が言っていたがまさにそうだ。

さくら舞い散る中に忘れた記憶と君の声が戻ってくる... 「さくら」(ケツメイシ)
さくらの花びら散るたびに届かぬ思いがまた一つ...「桜」(コブクロ)
さくらさくらただ舞い落ちるいくつか生まれ変わる瞬間を信じ... 「さくら」(森山直太朗)

3へつづく

まさむね